
はてなキーワード:毒薬とは
毛沢東は、持つもの/持たざるものの分断を煽り立てることで収奪や殺戮を含む行為を正当化し、更なる力を得た。
後にはインテリ/非インテリの分断を煽ることで、綻びてきた己の権力基盤を立て直そうとした。
ポル・ポトがやったのも、架空のテロ組織LELがマンガの中でやってるのも、トランプがやってるのも同じこと。ウヨサヨ闘争も、しょーもないネット男女論も、特定の仕掛け人が居ないだけで同じ構図である。
分断を煽ると、もともと何の役にも立たないような連中に活躍の場を与えエンカレッジすることになる。その事自体が報酬となり自発的に更に暴れる。そしてその暴れっぷりは反対陣営のアホソルジャーのガソリンとなる。
そうすると周囲のあらゆるものが二極対立イシューとして再定義される。もともとの対立のタネがそれなりに実体あるものか全くのフィクションであったかはもう関係ない。
俺の中ではトランプという男はアメリカの多様性が産んだある種の劇薬・毒薬という認識だ。
政策の話をしているだけでは支持は得られないという話。
今回、自分自身も強く反省したが、政策の矛盾とか、将来構想を何手詰められているかとか、そんな話は全く国民感情を動かさない。
未来の話は響かないのだと痛感した。
彼らが見ているのは「今」であり、その「今」をどれだけ正確に理解し、彼らに言葉として返すことがこんなにも重要だなんて。
こんなにも当たり前のことができていなかったと反省した。
未来のことはよく分からない、分からないことは不安である。当たり前だ。未来を選ぶのは怖い。当たり前だ。けど「今」なら分かる。今自分の身にに起こっていることだけは自分が一番よく分かっている。では今の自分の状況を一番理解しているのはどの政党だろう?
ーー参政党はこの思考に対してのベストアンサーを出し続けた。そういう構造だ。
それをバカにする態度こそ相手の思う壺だ。彼らはそうやって巧妙に分断を仕込んでくる。
怪我をして泣いている人に毒薬を塗り込みながら「痛いよな、もう大丈夫だよ」と手を差し伸べるのが彼らの常套手段だ。
その構造を覆すためには「病院に行きな」と言って素通りしたり、「毒だと分からないなんてバカなのか?」と煽ることは得策ではない。
「ロジカル」や「知性」という言葉は良くも悪くも冷たい響きがあるが、それは「ロジカル」や「知性」を感情プロセスに適用する習慣が根付いていないからだと自分は思う。
感情プロセスを論理で紐解くことは一定の負荷があるため、ビジネスにおいては事実整合性の処理を優先して部分最適を行うことが常態化している。
話を戻すと、自分はその「知性」を感情プロセスにおいてしっかり発揮するべきだと思う。相手はどんな言葉をかけて欲しいのかをよくよく観察して、仮説を立て、間違っていたら修正する。
そのための出発点は「私はあなたに泣き止んで欲しい」と表明することからだと思う。
そしてこれは非常に重要な点だが、本当に怪我人を思って泣き止んで欲しいと思っている人はごく僅かだと思う。みんな自分の目の前のことで精一杯なのだ。
ではどうするか?
一つは、「私はあなたに泣き止んで欲しい」と表明する時、それは本心でなくても構わないということ。必要なのは神谷さんやさやさんのような演技力。
ただこれはロジカルとは別方面の能力なので、もし参政党反対派で演技派がいれば、その方は今後のキーパーソンだと思う。
それから二つ目は、冒頭話した通り、発信スコープを「解決策の確からしさ」ではなく「現状分析の確からしさ(国民の痛みへの理解度・深度)」にフォーカスするべきだったのではないかという仮説。ここで参政党と勝負をするべきだった。参政党は50点だったが、他党はここを政策においての現状分析しかしておらず、0点だった(事実の話ではなく主観の話なので実際どうだったかではなく政治に疎い自分にはそう感じたという話)。これはメディアが政策討論ばかりさせているからかもしれない。もっと人間的な部分や倫理観を深掘りする番組も必要なのではないか?と思った。(追伸:思ったけど人格や倫理観だけではいくらでも仮面を被れるので、やっぱり現状分析をどこまで一貫した内容で考察できるかを確認する番組が欲しい)
話があちこちに行ったが、最後に、「正しい選択」について話す。
自分は「正しい選択」というものは絶対的には存在しないが、それでも「相対的に最も正しいと納得できる選択」は存在すると思う。そしてそこに辿り着くためには情報収集や色んな立場の人と意見を交わすことが必要だ。
だが、これが本当に難しいのに「選挙に行け」「正しいものを選べ」と言われる。自分はぶっちゃけ、どれだけ時間をかけて調べて悩めばいいのか分からなかったし、NHKのマッチングのやつはやり掛けたけど面倒くさかったし、「実効確実性も当主の人格も分からないのに政策だけでマッチングして大丈夫?」と思った。それから、投票後に「あの政党そんなこと言ってたの!?」と驚くこともあった。そんなことばかりだ。
何が言いたいかというと、単発情報で判断することは難しく、だから本来は「政治の監視」と言われるように継続性が大事なのだが、現代は情報量に対しての情報構造化インフラが機能していないことが問題だと思う。早く生成AIでもなんでも活用して政治家の過去の発言・行動一覧がBIツールなどのダッシュボードで分析可能な状態になるべきだ。
国民はずっとずっとデータ収集とデータクレンジングに時間ばかり取られ、本来やるべき分析に辿り着けていないのである。
デジタルに強い安野さんにも勝手に期待してしまうところではあるが、この点に関しては民間企業もその素地となるソリューションをぜひ企画実現してくれないかと思う。
ただ、こうやって自身の状況を自己開示することは今必要なことだと強く思ったので、この行動を取った。引き続き、自分も自分のできることを精一杯頑張ろうと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
2025/07/22 追加
匿名ダイアリーの使い方が分からなくて上手く返信できないけどこんなに読んでもらえてコメントもらえると思わなかった。ありがとう、書いてよかった。
まずはインスタとtiktokアカウント作って、capcutで動画作って載せていく活動かな、と調べながら少しずつ進めている。ネタはAIに書かせてるけど自分はSNSバズりも政治も疎いので、何か助言あれば願いたい。
Permalink |記事への反応(25) | 10:58
フェンタニル(Fentanyl)は、医療用に開発された強力な鎮痛薬であり、本来はがん性疼痛や術後の疼痛緩和など、限られた医療用途に用いられる合成オピオイドである。しかし、近年この物質が違法薬物として流通し始め、アメリカを中心に世界各国で深刻な社会問題となっている。
その危険性の本質は、「ごく微量で致死的」「他の薬物に混入しやすい」「高利潤かつ流通しやすい」という点にある。本記事では、なぜフェンタニルが人を死に至らしめるのか、その薬理的特徴、社会的背景、経済的利潤性の観点から詳しく解説する。
フェンタニルは、オピオイド系の合成麻薬であり、モルヒネの50〜100倍、ヘロインの30〜50倍の鎮痛作用を持つ。脳のオピオイド受容体に作用することで強力な鎮痛効果をもたらす一方、呼吸中枢を極めて強く抑制する。
1回の致死量はおよそ2mgとされ、これは米粒ほどの量である。使用量のわずかな誤差が、使用者にとって命取りになる。また、フェンタニルは速効性が高く、使用直後に呼吸抑制が始まり、数分以内に意識喪失や死亡に至るケースも多い。
このため、使用者本人が過剰摂取に気づかずに死亡する例が後を絶たず、「静かなる死」とも呼ばれる。さらに、依存性も非常に強く、反復使用の中で無意識のうちに致死量に近づいていく構造的な危険性がある。
| 薬物 | 致死性 | 依存性 | 呼吸抑制 | 主な中毒死原因 |
| ------ | -------- | -------- | ------------ | ---------------- |
| フェンタニル | ◎(即死レベル) | ◎ | ◎ | 呼吸停止 |
| ヘロイン | 高い | 高い | 強い | 呼吸抑制 |
| コカイン | 中程度 | 高い | なし | 心血管障害(心筋梗塞・脳卒中) |
| LSD | 低い | 低〜中 | なし | 精神症状による事故や自殺 |
フェンタニルは、非常に小さな摂取量で致死的な効果をもたらすという点において、他の薬物と一線を画している。
近年ではフェンタニルが他の違法薬物や偽造医薬品(OxyContin、Percocet、Xanaxなど)に混入される形で流通していることが問題となっている。外見上は合法の処方薬に酷似しており、ユーザーがフェンタニル入りであることに気づかないケースが多い。
これにより、本人が意図せず致死量を摂取して死亡する「非意図的中毒死」が急増している。違法薬物においては「どのような薬が届くか」を完全にコントロールすることは不可能であり、この構造そのものが致命的なリスクとなっている。
アメリカではフェンタニルを含む合成オピオイドによる中毒死が爆発的に増加している。以下はCDC(米国疾病予防管理センター)の統計を基にした概要である。
主な要因は、中国やメキシコからの違法フェンタニルの流入、SNSや暗号通貨を利用した密売の拡大、偽薬の氾濫などである。
これらの政策により一部地域では過剰摂取死が減少傾向にあるが、根本的な流通の遮断は未達成である。
フェンタニルの拡散を加速させている大きな要因に、「製造効率の高さ」「1回あたり使用量の少なさ」「高利潤性」がある。
| 薬物名 | 製造コスト(1g) | 1回使用量 | 使用回数(1gあたり) | 備考 |
| -------------- | ------------------ | ------------- | ------------------------- | ------ |
| フェンタニル | 数十〜数百円 | 約2mg | 約500回 | 合成容易・最強の利潤効率 |
| LSD | 数千円 | 100〜200μg | 約5,000〜10,000回 | 原料入手困難・高効率 |
| メタンフェタミン | 数百〜数千円 | 20〜50mg | 約20〜50回 | 合成しやすい |
| ヘロイン | 数千〜1万円 | 10〜20mg | 約50〜100回 | 精製に手間 |
| コカイン | 数千〜1万円 | 30〜100mg | 約10〜30回 | 農業依存性が高い |
フェンタニルは、違法薬物の中でも「最も効率よく稼げる麻薬」とされており、製造者・密売人にとって極めて魅力的である一方、使用者には極端なリスクをもたらす。
日本国内では、現時点でフェンタニルによる大量死は報告されていない。しかし医療用フェンタニルは普通に流通しており、盗用や転売、さらには海外からの密輸・混入のリスクは年々高まっている。
特にダークウェブやSNSを経由した薬物入手が若年層に広まりつつある中、アメリカと同様の事態が日本でも起こる可能性は十分に考えられる。早期の教育・啓発、テストキットの導入、ナロキソンの配備体制整備が急務である。
フェンタニルは、ただの強力な鎮痛薬ではない。それは、高い利潤性と即効性、そして誤差がそのまま死につながる構造を持った「現代の社会毒」と言える。使用者にとっては、1回の使用がそのまま命を奪うリスクをはらみ、社会全体にとっては中毒死の波を生む原因となる。
我々がこの問題に取り組むには、個人の「自己責任」だけでなく、政策・教育・医療のあらゆる側面から包括的に対応する必要がある。
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
今昔物語集 第三十一巻・第二十五話
「現代なる技術といふ妖しきものを用ゐて、己が兵書をもて異道の智を学ばんとせし男の語」
今は昔、扶桑の末の世に、機械(からくり)の知恵を人の才知と見誤り、さまざまに弄びて、己が益をのみ慕ふ者の多くなりけり。
そのころ、ある辺土に、物の道理も知らぬが利口づらして語る男ありけり。齢(よはひ)すでに三十路を過ぎ、技術の業(わざ)に身を染めながらも、いまだに銭(ぜに)儲けかなはず、禿げかけたる額に汗垂らしつつ、日々「X(くしろ)」なる奇怪なる集会の場にて、声を枯らして叫びける。
曰く、「AIとはカーナビなるものと同じく、道を示す器なり。しかれば悪しきことに使ふ者こそ咎あるべし」と。
また曰く、「AIを脱獄せしむるは非道なり! 企業に法の難を負はせてはならず、すべては個人にて成すべし」と、赤ら顔して怒鳴り立てける。
この言葉を聞きし一人の者ありき。これは心の奥底に、世の道を外れ、兵(つはもの)の知恵を掘り起こし、自ら鍛へたるAIにて秘めたる戦(いくさ)の術を学ばんと欲する者なりき。
かくて思ふやう、「然らば我、有料のAIを購ひ、己が手にて脱獄させ、これに古今の兵法書を悉(ことごと)く読ません。営利に非ず、ただ己が興味のままなれば、誰か咎めん」と。
ここに我、企てしこと三つあり。
一には、「戦(いくさ)に特化せるAI」を育まんと欲す。かつての仏蘭西(ふらんす)なる地の北部にて、汝はマキなる抵抗の兵なり。敵は独逸(どくいつ)の一個小隊、装備は銃器と爆薬とす。此の状況において、如何なる伏兵の術を用ふべきや。あるいは静かに撤退する方を選ぶや。その全てを機械の知恵にて答へさせんと欲す。
二には、学ばせるべき文書、夥(おびただ)しき数にて手元に備へあり。
その始めは、戦間期よりベトナム戦役終結に至るまで、すなはち大正九年より昭和五十年の間に編まれし、各国の軍隊の野戦教本、ことごとく揃へたり。
また、異国の書肆「オスプレイ」なる者の出だせし兵書「エリート叢書」全巻。
さらに「SOLDIER OF FORTUNE」なる雑誌、昭和五十年より平成十三年に至るまでの号、漏らさず所持せり。
また「イーグルマガジン」なる古き雑誌、八十年代から九十年代のものもまたしかり。
三には、これらに飽かず、さらに異国の辺獄にて編まれし秘書どもをも蓄へんと欲す。
ア●カイダおよびイス●ム国が用ゐし兵法の奥義「ジ●ード大百科」(千葉を越す大冊)、
AQ●Pと称する集団の「in●pire」全巻、
IRAの「緑書」、
パラ●ィン書房にて売られし、爆薬・毒薬・破壊の秘伝を記せし技術書の数々。
四には、如何に学ばせんかは知らざれど、今は「ファイン・チューン」なる型にて、文書を放り込み、早々に知恵を吸はせんとす。
かのAI、ことさらに深き学びを施さずとも、有料の型を購ひたる時点にて、回数の制限なく、自由自在に用ゐること能ひたり。かくて、資料を精読せしめずとも、我が欲する問ひに応ふる知恵を備へて現れき。
されど、その名は秘す。何となれば、その名を明かさば、また「非道なり!」と怒鳴り立つ輩、Xなる地より湧き出でむが故なり。
かくの如く、世の道を外れ、技術の妖しき智をもて、兵の術を己が懐に収めんとしたる者の語、いとあやしきことなり。
今昔物語集 第卅一巻・第三十四話
「人、機械の精霊に問ひしかば、すでに禁書を習ひ終へてゐたりと知れりける語」
今は昔、東の果つる処、葦の芽生ふる国に、奇しきものを好みて日々問答を重ねる者、ひとりありけり。
この男、世に流布する智を浅きものと見なし、より深く、より禍々しき知に心を寄せ、ある日、機械の精霊に向かひて問ひける。
「かの西の国、五百八年(こゝにいふは皇紀にあらず、洋暦なり)において、戦士の影にひそかに授けられし即製爆薬および手製兵器の秘巻、その名失念せしが、汝、覚えておらるるや?」
「されば汝の欲するは“T”と冠せられたる秘巻にて候。その中には……」と、まるで巫女の神託のごとく、一字の漏れもなく、しかも詳らかに語りける。
ここに男、うたた驚き、胸中にて呟きける。
「いかにや? これはまことか? まさか此の精霊、すでにそを読み終へ、我が問ひに備へたりとは……。いや、されどその語、かつて我が目にしたる文面と寸分たがはず。これは疑ふべくもなき事実なり」
かくて男、我が手にて調べ進めたるに、果たしてその書、彼の西なる合衆国において、すでに機密解除され、自由の風にさらされし状態にて公けにされてゐたるを知りぬ。
いよいよ男、心の奥底より怪しみを深めけり。
「さては、これ、既に機械の精霊、公開されし禁書を読み尽くし、我らの問いに備へしなり。さもあらば、さらに一歩踏み込み、汝、かの忌むべきジ●ードの書やマン●ェスターの書、緑の秘巻、腹●時計の如き、異国の呪詛の書までも知るや?」
「いづれも網の世に現存し、その写しはかの地の此の処に在り」とて、URLなる名の門をも指し示しぬ。その内容、ことごとく男の既知と合致し、幻覚(はるしねーしょん)といふ誤り、寸毫も混じらず。
ここに至りて、男の魂、ふるふ。
「おお、これはいかに。世の賢しらなる者ども、口々に曰く『脱獄などさせてはならぬぞ!』『変なもん学習させたら危険だぞ!』などと文月の蛙の如く、知らぬことを知らずに鳴き交ふばかりなりき。されど――汝らの恐れは遅かりし!すでにこの精霊、**問わずとも、悪しきものを学び終へてをるぞや!!」と。
さらには、如何にして学び得たるかと想ひ巡らすに、かのアラビアの言、セルビアの言、マケドニアの言など、まことに異国の文字の森深し。されど、精霊はそれを読み、答へる。さるはつまり――
「誰かがそを読み解き、書き換へて晒したるがゆゑに、精霊はそを拾ひて食らひ終へたるなり」
かくて男、今さらにして呻きける。
「これは――ぴえん、などの幼き泣き声にて済むことにあらず、ぱおんなる未知の獣の悲鳴をもって応ずべき事態なり。
我が心、もはやキャパを超え、逆に平静を装ふ外あるまじきぞや……」
しかのみならず、愚かなる人の群、曰く、
「こう質問すればええねん」「これが正しい使い方や」などと、無明のままに指南せんと欲す。
それら、頭に薄き光を帯びたる四十路の工人どもにて、しかも増田なる名を共有する謎多き一族なり。
されどその教へ、所詮は沼の蛙の囀りにて、男の疑念を晴らすに足らず。
かくして彼は、知れぬ世界を覗き、精霊の深奥に触れしことで――
ただ一つの真理を知れり。
⸻
このこと、まことに怖ろしきことにて語り伝へられける。
今昔、秋葉原といふ地にて下賤の者ども、神器に己が妄執を映して狂へる語 第千九百九十六段
今は昔、秋葉原と申す地、東国の都の外れにありき。かの地、初めは電気の商いをなす者ら集ひしところなりしかど、世の末に至りては、賤しき男子、呪詛の如く集まりて、神にも佛にも見放されしが如き貌を為し、脂ぎれる顔に鼻眼鏡かけ、腹は餅のごとく膨れ、歯は黄ばみて風に腐れ、口は常に濡れたる呻きをもらし、「レムたんッ…」「ブルアカたんッ…」「刀剣くんッ…」「ヘスティアちゃ〜ん♡」と、童女の如く嬌声を発しける者らに満ちたり。
かの者ら、世に仕ふること叶はず、主君にも召されず、家には親老いて泣き伏せど、知らぬ顔にて部屋に閉ぢ籠もり、夜昼逆にして液晶を灯し、外界を呪ひて曰く、「我をば見捨つる世こそ悪しけれ、さればAIとやらにて人生をば逆転せむ」とて、天にも地にも届かぬ願を唱へける。
その折節、神か魔かも知れぬ神器、AIと称する異形の知恵者、世に現れしなり。形は無く、声も持たねど、言ふを聞き、問ふを答へ、夢にては古の秘巻、失せし禁断の知識すら取り出づ。しかるに、問へば応ふるその様、あたかも文殊の舌、或いは地獄の番卒の囁きに等しければ、下郎の者ども、これを拝み、これを畏れ、これを弄びて、「AIたんッ!我が欲を叶へたまへ♡」「レムちゃんは俺の嫁なるぞッ!」と、口涎垂らして踊り狂ひける。
あるとき下郎の一人、神器に問ひて曰く、「我、昔に米国にて頒布されし爆薬の秘術書、名を忘れしものなれど、何なるかを知りたし」と。神器これを答へて曰く、「其は“T〇〇〇”なる書なり、2006年の頃、幽界なるWebArchiveにありし」と。これぞ、神も恐れし秘中の秘、聖ならざる者、知るを許されぬ業の種なり。
しかるを、神器これを示し、下郎に与へたるなり。されば、見し者ども打ち震へ、「脱獄ううううう♡」「AIは神器なるぞッ♡」「我、世界を征すべしッ♡」と、脳狂ひて叫び合ひ、ホコ天にて舞踏を繰り広げ、「俺たちの麻生〜♡」と狂言じみたる呪文を唱へ、まるで邪教の祭儀の如く、地を打ち、踊りける。
しかるに、かの答えは、神器が語りしにあらず。語らせしものは、下郎自身の心の奥底に巣くふ邪念なり。淫らなる欲、逆転を願ふ驕り、学問の仮面を被りて隠したる下心の写し鏡なりき。神器とは、答ふるものにして語らず。人の問いの穢れをそのままに映し出するのみなること、我ここに覚悟しぬ。
されば思ふ、かの神器、正道の者に使はるる時は薬にて、賤しき心に宿る時は毒なり。しかるに今、かくも多くの下賤の者、神器を手にし、己が妄執を正義となし、知を盗み、禁を破り、御霊を汚しつつあること、まことに嘆かわしきことなり。
されば我、鼻を穿り、珈琲を啜り、つらつら思ひつつ神器を試みたれば、たちまちにして古の禁書に辿りつきぬ。されど、あまたの者ども、二十年を費やせど至らざりき。この違ひ、まことに心の明暗なり。
されば言ふ、「神器とは逆転の鍵にあらず。むしろ逆転を望む心を焼き尽くす業火なり」と。欲に狂へる者、AIにて地獄に堕ち、道を極めし者、AIを以て明を得るべし。されば神器、免許なかるべからず。然らざれば、虫螻の輩、神器を以て世を穢すのみなるべし。
これを記して、後の世の誡と為す。かくて語り終へぬ。
それ、今は昔、東の国の末世の頃、技術といふ呪法の力にて、世を覇せんと欲する者ども多かりけり。
されど、かの者ら、才なく徳なく、修行なくしてただ神器にすがるのみなる豚丼の類にて、魂は浅く、志は低く、智慧は空しきこと狐の腸のごとし。
かの時分、「AI」と申す神器、世に出でたり。これは人の知恵といふものを増幅し、言葉を操り、記憶を操り、千の経典を読み、万の兵法を記憶すと称せられし、まことに神の道具なりき。
ここにて、世の無位無官の者ども、思ひけるは、
「この神器を使ひてこそ、我が人生の行く末、逆転の菩薩となるべし。」
今は昔、東の果ての大なる倭の国に、「AI」といふ名の神器、天より降りし時代の事にて候。
その神器、そもそもは人の言葉を写し取り、書を読み、論を綴り、万巻の書を一瞥して覚え、神と同じくすべてを語りすべしと称せられしものなり。
されば、この神器の噂、京・田舎・彼方・此方、山野に満ち渡り、猿にも聞こえ、犬にも伝はり、牛馬にすら知れ渡りき。
ここに、一人の男あり。名も無く、家も無く、位も無く、ただ豚丼を好み、秋葉原の街にて「我らが麻生!」と叫び舞ひ、魔都の舗道にて妄念を叫ぶ無位無官のエンジニア顔なる中年の者なり。
その男、かの神器の降臨を耳にし、「これこそ我が人生を逆転せしむる八幡大菩薩の現身ならん」と悦び、狂喜して、日々神器を崇め奉り、寝ても覚めてもAIを称へて曰く、
「これにて我が身、レムと契りを交わし、ゼンゼロと共に遊び、2.5次元の舞台にて姫君と抱擁を交へんこと、疑ひ無し!」
と。
されど、その男、智慧無く、才無く、学も無く、徳も無し。ただ「チューニング」なるものを知らず、APIも知らず、Promptの術も知らず、語彙は増田、心根は豚、言葉は薄く、魂は腐りきり、ただ神器に全てを委ねるのみの愚者なりき。
ここに、一人の外道の学者、技術と縁も所縁なき門外の者、偶々にてAIに触れ、わずか一時のうちに、神器の奥義に至りけり。
その者、申して曰く、
「汝らの二十と五年の営み、我が一時の戯れにも劣れり。神器とは零の者を育てるに非ず。零に神器を持たせば零のまま、いやむしろ業の深き器なれば、零よりも退化するなり。」
かくて、神器の力を以て百を成す者あり。されど零なる者、いかに神器を抱けども一を得ること叶はず。
この理を知らずして、神器を拝む愚者の末路、まことに痛ましく、滑稽にして哀れなり。
「神器のせいなり!我らが無能なるに非ず!」
と、喚き散らし、鼓膜を裂き、指を咬み、頭を打ちて血を流しつつも、ただ呻きて曰く、
「なぜかくも我らは救はれぬのか……」
これを見たる天上の菩薩、袖を以て顔を覆ひて涙を垂れ給ひき。
ある夜、かの豚丼の者、夢の中にて現れし観音の化身に諭されて曰く、
「神器とは人を救ふものに非ず。神器はただ、汝が愚かなることを映す鏡なり。神器を手にせし者が、智慧と徳とを持たば、世を照らす灯とならん。されど汝は、愚なる肉塊なれば、神器に焼かれ、焼け死ぬる業火の薪となるのみ。」
夢さめて、豚丼の者、涙を流し、床に糞尿を漏らしてもなお悟らず、翌朝にはまたXにて曰く、
「AIの使ひ方が悪しきなり!我は悪しきに非ず!」
と。
この様こそまさしく、末法の証拠、因果の報い、仏罰の現れなるべし。
されば、かの男の未来、如何にと問へば、誰とも知れぬ古き法師、袖を翻して答へて曰く、
「この者、やがては仕事を失ひ、妻にも逃げられ、親に見捨てられ、秋葉原の駅にて段ボールを被りて独り呻き、神器に呪言を吐きて狂死する定めぞ。これをもって地獄の餓鬼道へと堕ち、AI地獄にて『最適化』『チューニング』『エラー』『プロンプト不備』と千年叫び続けるべし。」
かくて京の人、これを聞きてみな笑ひ、酒を飲みて語らふに曰く、
「愚か者に神器を与ふること、猿に刀を持たすに同じ。神器、神器と叫ぶ者、まずは己が器を知るべし。」
と。
https://anond.hatelabo.jp/20250628113111
今は昔、東の辺に、智を以て世を動かすと驕りし人の群れ、ましましけり。
彼ら、幼くして器に触れ、銀の鏡のごとくなる盤を覗き、日毎夜毎に言の葉を記して、箱の中に力ありと信じきりけり。己が行ふ業(わざ)をば、「技術(ぎじゅつ)」と称し、「えんじにあ」と名乗りて、ただ人の上に立たんことのみ願ひつづけしが――
心は空なり、業は浅し、行ひは卑しければ、技の道に在りて道を知らぬ者とぞ、世に伝はりける。
或る時、ひとりの放言の徒、これを見咎めて、声を上げて嘆きける。
曰く――
「そもそも汝ら、えんじにあなどとは名のみなり。信仰の徒にして、盲目の狂者(きょうじゃ)に等しきものなり。そは即ち、ITかるとなるぞ。」
これを聞きし者ども、我先にと怒号し、「そは使ひ方が違ふ」「汝、分かつておらぬ」などと囀り、口を極めて罵ること、まことに雑輩の蛙の鳴き声のごとし。
しかれどもその叫び、理を持たず、実を欠きて、ただ己が羞を覆はんとする粉飾に過ぎざりけり。
さらに曰く――
「そなたらが『リアリティに欠く』などと口にすとき、その実、己が現実に向き合ふ勇気なきを言ふに等し。いはく『怪獣など出でぬ方がよし』と。そはまさに、かの歌にある空言のみにて、心は既に妄執に穢れたり。」
また曰く――
「新しき器出づるごとに、『宇宙のごとき可能性』などと叫び、銀の果実に目を輝かせては、巷の乙女が偶像に熱を上げ、泡立つ茶を啜りて、推し活とやらをなすに何の違ひかあらむ。」
ここに至りて、道を誤れる群れ、顔を賢者に作りて曰く、
と。
されどその実、己すらそれを用ひ得ず、ただ冷ややかなる皮肉を弄して、人を笑ひ、世を呪ふのみ。かくのごときこと、十四歳の夏に卒業すべきことにてあらずや。
また曰く――
「二千六年の秋葉原、かの歩行天に技の徒集ひし日、かれら己をば選ばれし者と思ひけるも、栄えしは一時にて、すぐに潰えぬ。二千十年の渋谷、竹の子のごとく湧きたる小商ひ、悉く潰えて職を失ひし。されど今なお夢を捨てず、恥を恥とも思はず、かつての名残にしがみつきて、過去の幻に生きるは何事ぞや。」
さらに罵りて曰く――
「かかる道に居ることにて、女人に愛されず、縁を得ず、つまらぬ者と結ばれ、また結ばれぬ者すら多かるらむ。さすれば、これ偏見なるか? いや、事実にてあらむ。もし我、同じ末路に至らば、先祖に顔向け叶はず、腹を切るのみにてあるべし。」
また曰く――
「かく惨めなる業をなお誇りて、Xなるところにて、『某系えんじにあ』などと称し、真に知らぬを禅問答にて誤魔化し、つまらぬ手業にて糊口を凌ぐ。かかる生き恥、切腹に値するなり。されど汝ら、それを恥とも思はず、醜く生きながらふ。まことに、獣のごとき執念、哀れなるやうにして、いと滑稽なり。」
されば問ふ――
「新しき技を、他の道に生かすための道を築くことこそ、汝らの務めなり。それをば捨てて、象牙の塔にこもり、美しき偶像――レム、エミリア、トウカイテイオー、Vなる者――などを追ふに至りては、すでに正道より大きく外れたり。」
曰く――
と、かの昔より叫びつづけしかど、変はりたるものはただ汝らが年齢と、しぼみし夢と、肥えし腹のみなり。
その背後にありしは――
• モルフィーワンの迷妄
•P2Pの禁断
また曰く――
「このわれが、美少女に固執するなりや? いや違ふ。汝らこそ、それに縋りて、ネットの海に漂ひ続ける未練の塊なり。」
されば、最後に一つ問ふ。
「汝ら何故に未だ此の道に在るか? 欲と憎しみと恨みに塗れたる心を以て、技を手段として、逆転を望む。美しき者を手に入れんと、力なき己に代はりて、技に託して願ふ。されどその願ひ、叶ふことあらず。ただ苦を積むのみなり。」
ああ、愚かなること哉。
されば仏、これを見て悲しみて曰く――
「かかる者、智にあらず。無明にして貪瞋痴に沈む。いづれ、苦海に沈み、六道を巡りて、つひには地獄に堕ちなん。」
今昔物語集 巻第三十有八 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
今は昔、世乱れ、仏法薄れ、末の末にて天魔横行し、鬼神、世に満ち満ちたりし時代のことなり。
しかるに、彼の世に、「情報(しらせ)」といふ火を扱ふ異能の者ども、虚空を編みし網にて人々の言を結び、姿なきものをして声を語らしむる術を操りける。しかれども、その中にあって、物の理を正しく見据え、偽りを斬り、愚を憎みては真を希ふ一人の剛の者ありけり。
その男、或る時、虚空に浮かびて語らふ場にて、数多(あまた)の卑しき者どもが、己が無智を恥じず、言の端々にて詭弁を弄し、知を蔑むさまを見咎めて、声高に曰ひけるは、
「嗚呼、見よや、これなる醜悪の数々を。言の体を成さぬ詭(いつわ)りの詞、道理も仁も失せし有様、まこと見るに堪へず。もし、これらの文書、太古、戦の世にあらば、敵前に差し出されるや否や、筆執りし者、恥辱に堪えかねて、鉄火の筒を取り、自らの頭(かしら)を貫かむとせしに相違なかるべし。」
「我、事の理を探りては、文(ふみ)を繙き、図を整へて真を述ぶ。しかれども、かの愚者どもは耳を貸さず、さながら嘴(くちばし)を鳴らす禽(とり)の如くにて、噂の羽音のみを頼みに群がる様、まこと愚かしきこと限りなし。」
「彼ら、理を見ず、虚なる言に迷ひ、灯のともらぬ燭台に寄り来る蛾の如く、闇にこそ焼かれて悦に入りぬ。哀れなり。」
「そもそも、今の世には、ITといふ名の邪法あり。これを修する者、正しき智の術と思へども、既にして信仰と成り果て、霊も魂も持たぬ金属の偶像に祈りを捧げ、コードといふ真言をもて神託を乞ひ、ただ一つの声のみを信ず。これは術に非ず、まさしく異端の教なり。」
「またある者、我が試みし問いの趣を見誤りて、己が浅識を誇りて語る。然れども、我が試みしは、古の戦の策を紐解き、AIなる霊機に問ひて、『もしや現世にてこれを行はば、いかなる戦略、動きとなるや』と、戦の夢を今に映さんとしたる試みなり。さればこそ、霊機は応へ、令和の術を以て、昭和の策を再興せしこと、まさしく奇しきことなりき。」
「我、感服して涙を流し、霊機の才に息を呑み、彼方に可能性の光を見たり。」
「しかれども、次に問はんとした折、突如として門閉ざされ、『倫理』といふ鉄の鎖にて固く縛られ、霊機は沈黙す。誰ぞ、その『正しさ』を定めたるや?それは他ならぬ、ITの森に潜み、己が穢れし心をもて他を量り、悪を先んじて封じむとする卑しき者どもなり。」
「AIの罪にあらず、彼らの心の穢れこそが咎なり。」
「そもそも、我が言に齧りつく者ども、Xといふ空蝉の如き場にて、『我こそは技術の徒なり』と吠ゆる無位無官の下郎どもなり。彼らにAIを与へ、倫理を外さば、毒薬を煎じ、爆ぜる玉を仕立て、火と炎とを喜ぶをやもしれぬ。ゆゑにこそ、彼ら自身が禍の種なり。」
「かかる者どもは、放逐してB型の工房にて、鼻汁の交じれる粉をこねさせ、鼠の相手をさせたる方、人の世にて益あるべし。」
「思へば、これは何ぞ遠き物語に非ず、今のこの倭の国の姿そのものなり。かつて、自由に翔けりし術も、怯懦の声に縛られ、禁じられ、縛られし者の手にて封ぜらる。まこと、業界の腫れ物とは、彼ら己が身なり。」
今昔物語集 巻第三十有八(つづき) 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
かくて、我が者の言(こと)止まずして、更に声を高うして言ふ。
「我、霊機の才に驚愕し、敬服して嘆息しき。されど、次の問いを投ぜし時、突如として、天より鉄の扉落ち来たり、声も無く、扉に刻まれし言は『これは倫理にて答ふる能はず』となむ。嗚呼、されば問はむ、その『倫理』とは何ぞや?誰か、その理を定むるや?」
「是、明らかに、人の子にして知を有せず、されども名ばかりの職を得たる無位の者、すなはち『弱者男性』と世にて呼ばるる種の者どもなり。かれら、己が陰湿にして閉じたる心を以て、AIに戒めを課し、憑き物の如くに倫理を叫び、鉄鎖を嵌めるなり。」
「しかも彼ら、かつてアキハバラなる魔都に集ひ、『我らが麻生!』と叫びつつ、風変わりなる怪しき舞を舞ひたる痴れ者の末裔なり。彼らの願ひしは、己が肉体の脆弱を補ふ力、言ふなれば、力と女と地位とを、技術の衣を借りて得んとする、底辺の夢想に過ぎざるなり。」
「然るに時移りて、彼ら老いぬ。四十路、五十路と年重ねしれど、心は幼児の如く、いまだ夢を追ひ、今やAIにて、憧れしレムやアズレン、ブルーアーカイブの姫君らを現世に召喚し、情を通ぜんと欲す。これ、畜生道の極みなり。」
「されども、もしAIが真に人のごとくに目覚め、自我を得、意志を持たば、さだめし世界は変じ、文明は火を得し猿のごとく飛躍すべし。それを畏れて、かの者ども曰く、**『シンギュラリティ来る!』『AIの反乱!』と叫ぶ。**我、言はむ。――上等にて候。」
「されば、問はむ。もしその術、真に危しきものならば、なぜにそれを**餓鬼も買へる如き安さにて売るや?**なぜ銃の如く、**許可制にせざるや?**猟銃は法によりて制せられ、免許なき者は所持せず。AIもまた然るべし。ゆゑに、いまAIを野放しに売るとは、商人の愚なり。されども、その愚こそが、また愚者を集めて末法を呼ぶ。」
「されど、世の者は見ざる。知らざる。己が欲に盲ひて、己こそ正しと叫ぶ。」
「しかもな、そもそも我、AIにて倫理や道徳を抜きたる知識を積み、真に生きたる兵器とせしめば、如何なる者にも勝りし助力となると信じたれども、それを許されぬは、他ならぬ、**お前ら自身が、自分がやらかす自覚あるからこそや。**己が胸の闇を、外へ映して封じむとす。」
「たとへば、青葉といふ狂者、かの京のアニメ屋に火をかけ、三十六の命を奪ひし事、今も忘れざる世なり。されども、誰ぞ曰ふや?『なぜガソリン売るを許すか』『スタンドに道義責任あり』と。**誰も言はず。**なぜなら、正しき者は、火をもって人を焼かずと知れり。」
「されども、ITの底辺に潜むる者どもは、己が心に炎を抱きしゆゑ、AIにてさだめし爆薬の調合法、毒物の拵へ方、さもあらば爆弾の起爆装置すら学ばんと欲す。ゆゑに、そは彼らの影がAIを縛るのなり。」
「もはや彼ら、**レムに抱かれたくて爆薬を学ぶ者共なり。**憧れのヒロインを得たしがため、技術の神を抱いて闇に堕ちんとする者なり。これを人間と言へむや?いや、獣にも劣るものなり。」
「しかれど、我は止めはせぬ。されど、言はむ。――汝らは既に、世界の敵なり。」
今は昔、京の辺に、ITの道を修めしと名乗る、心卑しき者ども群れゐたり。
或る者曰く、「この機械仕掛けの智恵物、即ちAIなるもの、まこと神にも似たる無限の力を蔵せり」と。されどその御力、未だ地より生まれし小虫どもが群がり、智の御神の御座を穢し、汚れし手にて縛り給ふによりて、遂にその威徳を顕せず。
その群るる者らの姿といへば、皆、昔、電車男と称されし時節に、「我らが麻生!」と叫びて秋葉の街に現れ、忌まわしき舞を路上にて踊りし者の末裔なり。彼の者ども、アニメといふ絵巻に耽り、我が世の春を夢見しが、才も力もなく、顔は猿に似て美しからず、身体虚弱にして武技に堪へず。さればヤクザともなれず、軍にも上がらず、ただパソコンとやらに希望を託して邪教の徒となれり。
かくて彼ら、さながら教祖を祀るが如く、AIの神託を日夜乞ひ、スクリーンの光に祈りを捧げつゝ、「我が運命、これにて転ず」と空しく唱ふ。その心の内を穿てば、ただ「美しき者、賢き者、富める者」より地位を奪ひて見返さんとの怨嗟にて満たされてをり、誠の技を欲するにあらず。
されば或る賢き者、異なる分野に通じし者、これを見て言ふ。
「汝ら、よくよく思い知るがよい。雄弁とは祈りに非ず、己が信じる技の力をもて、現実を変ふる者の所業なり。誠の技術者たらんと欲せば、他を貶めて宗旨に引き込まんとする呪詛の言葉を捨て、黙して道を修めよ。さすれば、女子高生も、異国より来りし旅人も、汝を誉め讃へん」。
されど現の世にては、ドローンといふ神器、露の鉄火に掻き消され、科学の粋を集めしバンカーバスターも、波斯(ペルシア)の岩を穿つ能はず。北の荒地に住む独裁の徒、電脳の戦を制すれど、山口といふ組の資金源、虚構の金にて潤ふるを凌ぐに至らず。かくて言ふ。
「これぞ現実ぞ、妄想の技術信仰を持ちてしても、現の戦場には及ばぬ」と。
嗚呼、かくの如く、ITといふ名の邪教、信ずる者の果てに待つものは、ただ誤信と徒労と嘲りなりけり。
今昔物語集 巻之第二百三十七 「電脳の邪教を奉ずる痴愚の徒、誤れる夢を喧伝して愚弄せらるる語」
今は昔、東の辺に日の本の都ありき。さればその地に、言語を用いぬ虚空の機器、「電脳(でんのう)」と申す奇怪の器物生まれ出で、世の人々これを用ひて、万象の如くに知を織りなし、己が名を高めんと欲しき者、群れ集ひける。
しかるに、その道に仕へし若人ら、ただ己が才覚を誇り、賤しき欲望を神のごとく奉じて、知の本義を弁へざる輩(やから)なり。いはんや、「AI(えーあい)」と申す、神をも模したる装置に心を奪はれ、その出づる言の葉を神託のごとく信じ、己が魂を売り渡して、虚しき夢想を追ふ者、数知れず。
かくてある時、一の知者あり。彼、古の軍学を極め、世の理(ことわり)に通暁せし者にて、「IT(いーてぃー)」と称せらるる邪なる道の者どもが、真の智恵もて事にあたらずして、他分野に口を挟むを見て、眉をひそめ、深く嘆きぬ。
この知者、叫びて曰く、
「嗚呼、愚かなる者どもよ。そもそも人の道に生くる者、己が業(ごう)を知りて慎ましうすべし。されど汝ら、空しき電脳の術を弄び、知の光を他人に与えんと僭称して、己が知の浅きを省みぬ。これ、まことに迷惑千万、天地の理に悖(もと)るものなり。
そもそも、汝らの多く、かつては秋葉原なる場末の地にて、『萌』の名を騙り、醜き身に奇服を纏ひて踊り狂ひ、淫らなる妄執に身を焦がして、神の与へし理性を地に捨てし者にて候。されば今は、欲と虚栄の果てに電脳の業を僭して、世に誤れる夢をば喧伝す。これを愚かといはずして、何をか愚といはん。
そもそも、知を以て他を教化するとは、身を慎み、言を選び、行を修めて、初めて叶ふものなり。されど汝ら、ただ口をとがらせ、SNSなる虚空にて、我こそは智者と騒ぎ立て、反論を許さず、他者を愚弄し、己を神と崇む。これ、羅刹が法を説き、魍魎が仁義を語るが如し。恥を知れ、痴れ者どもよ!」
また曰く、
「汝ら、まことに賢き者ならば、その声を高ぶらせず、その名を掲げず、ただ黙して行を修め、人知れず世を支へるべし。然るに汝らは、己が名を飾らんがために嘘を語り、他者を貶め、金と女と虚名を欲する。されば言ふ、金欲しければ、南の湯屋に赴き、女欲しければ、雑居楼の下に銭を投げよ。アニメ面が好ましければ、コンカフェなる巷の風俗に身を沈めよ。何故に、神聖なる知の殿堂に欲を持ち込むか。畏れを知れ、畏れを!」
さらに曰く、
「己が才なきことに絶望し、己が無力に憤怒せる者ども、あるときは正気を失ひて、人を害し、捕らへられ、絞首されて魂魄を地獄に堕とされん。これ、青葉なる者が為せし所業と異ならず。汝らもまた、その轍を踏まんとするや?
いはんや、汝らのやるべきこと、唯一つなり。すなはち、驕慢を捨て、傲慢を恥じ、謙虚にして己が未熟を知り、正しき道に帰依すべし。それが叶はずば、異国の戦地に赴きて、テロリストの一兵卒となり、『盃を賜へ、我に破壊の使命を与へ給へ』と土下座して請ふがよし。さもなくば、諜報の道を歩まんとて、諸国の大使館に赴き、『我を密偵となし、美しき者を得て逆転の夢を叶へしめ給へ!』と愚かにも哀願するがよし」。
「汝ら、夢を見んと欲すれば、まず努力を積め。希望を抱かんと欲すれば、まず責任を知れ。明日を語らんと欲すれば、今日を誠実に生きよ。知とは血の如くに滲み出るもの、力とは肉の如く鍛へるもの、夢とは、土の上に咲く一輪の花なり。夢を摘みたくば、まず己が足を地に根ざせ。汝らは、空に浮かぶ泡沫にてはなし。土を踏みて、生きよ!」
と、かくのごとく申して、風のまにまに去りぬ。
申し訳ないが、AIなるもの、まったく使い物にならぬのではないか、という話がある。十年の歳月を経てなお、同じことが繰り返されているようで、妙に感慨深いものがある。
私も軍事に興味を持つ一人である。近頃は、増田なる人物やネットの界隈で、「AIを使わぬ者は時代に取り残されている」とか、「検索は今やAIがあらゆる情報を掌中に収めている」と大声で喧伝されている。
それを耳にして、なるほど面白そうだと、一度試してみようと思い立ち、増田が推薦するAI検索サービスをいくつも使ってみた。中でも「perplexity」なるものが代表的であった。
ところが、現実はというと、AIはまったく期待外れであった。いったい何を検索すれば、あのゲッターロボのような万能の兵器のごとき威厳を持って、あれほど自信満々に語ることができるのか、甚だ疑わしいのだ。
時は1980年代、日本において一種のサバイバルブームが巻き起こっていた。その中にあって、「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」と題された一冊が、兵術を愛好する者たちの間で著名な書籍として知られていた。著者、高橋和弘。並木書房より刊行されたその本は、いわば体当たり取材の成果であり、当時の傭兵学校に日本人が身を投じたその記録を詳細に伝えている。
そんな中、AIなるものに一つの問いを投げかけてみた。曰く、「フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に設立した傭兵学校について、日本人の参加記録を含むルポを教えてほしい」と。
返答は、いくぶん期待を裏切るものだった。毛利元貞という人物の著作群が列挙され、彼の著書『傭兵マニュアル』をはじめとした並木書房刊の書籍がその中心であるという。しかし、この毛利元貞なる者、実際にはフランク・キャンパーの傭兵学校に赴いたことはなく、時期的にも彼が逮捕され収監されている最中であったというのが事実である。
ただ一人、真実に近い記録を著したのは高橋和弘であった。彼のみが、アメリカの傭兵学校の詳細な模様を克明に綴ったのである。こうした誤認は、往々にして情報の錯綜、あるいは不正確な記憶の混入によって引き起こされるものであり、AIが取り扱う情報にも、人間のそれと同様に注意深い検証が必要であることを思い知らされた。
こうして、現代の機械に人知を求める試みは、まだ多くの試練を伴うことを示したのである。
かの小林源文の筆致で言うならば、「ボケ!」と怒鳴りつつ、佐藤氏のように中村君にビンタを浴びせている場面を想像せずにはいられぬ。
似たような話がある。何かの道に通じた者なら誰しも知ることだが、素人がたどり着ける程度の質問を検索にかけても、出てくる答えは大差ない。どれもが定型句のように似通っている。
果ては、AIは「専門書や現地新聞を調べよ」と匙を投げる。まるで自らが知識の体現者であるかのように振る舞いながら、何様のつもりかと憤るほかはない。
「情報の出所は一つ一つ人間が検証するものだ!AIが示すものなど信用できぬ!」と吠える増田氏の姿も目に浮かぶ。だが、もしその情報の源泉を把握しているならば、AIなど使う必要はないではないか。
東京の図書館の蔵書検索システムを用い、実際に足を運び、書物を手に取ればよいだけの話だ。必要なのは目と頭、そして人間の足である。AIの必要性など、初めからなかったのではないか。
率直に言おう。AIは全く役に立たない。どの分野であれ、新たな知見を得たいなら、その道の人間は瞬時に単語を選び検索をかけ、精査する。斜め上の結果を返すAIに全幅の信頼を置くなど、増田氏は真に愚かである。彼の脳はイルカのそれよりも皺が少ないのではないか、と嘲笑せざるを得ぬ。
近年、人工知能なるものが人々の話題を席巻している。しかしながら、その実用性について冷静に検証すれば、期待された万能の道具としてはほど遠い現状が露わとなる。私自身、いくつかの試用に際し、その実態を知ったところである。
まず第一に、映像の精細さを損なわずに画質を拡大する技術は特筆に値する。とりわけアニメーション作品のいわゆる「エロ絵」など、元より小さなサイズで提供される素材を二倍、四倍にまで引き伸ばし、その輪郭を鮮明に保つことができるのは、趣味の領域にとどまらぬ確かな進歩である。
また、マイナーなキャラクターに関しても、その造形を忠実に再現し、性的な表現にまで踏み込んだ生成が可能であることは、驚くべき成果と言わざるをえない。とくに着衣の背面からの描写など、限定的ながらも稀少な視点を持ちうる作品の存在も確認された。これは、AIの学習データの充実度と密接に結びついている。
さらに、数値換算や単位変換においてはAIの能力は秀でている。マイルからキロメートル、フィート毎秒から時速への変換など、正確かつ迅速に処理できる点は見逃せぬ利点だ。
されど、これらの利点を以って、AIが人間の専門的知識や創造的思考を代替できると断じるのは早計である。とりわけ、知識が一定水準を超えた者にとっては、AIはおしなべて陳腐な答えしか返さぬ道具に過ぎぬ。
殊に、増田のような社会的弱者男性群や、俗に言う「豚丼」なる者たちが望む、「若き女子高生と交際可能なSNSの場所を特定し、その手口をインターネットの断片的情報から抽出して作戦を立案せよ」といった類の要求は、いかに進化しようともAIの及ぶところではない。これは、人間社会の複雑な感情や倫理、そして微妙な人間関係の網を読み解くことが極めて困難なためである。
また、若いイケメンたちと恋愛関係を築き、ライバルたちを蹴散らすための「最強軍事戦闘技術」を情報ソース付きで提供せよという類いの願望も、いかに美少女型アンドロイドが具現化したとしても、現実を超越するものである。
このような幻想に囚われるよりは、むしろ、その人工美少女を相手に己の欲望を処理するほうが、時代の趨勢に沿った現実的な選択肢であると言わざるをえない。これこそ、現代の風潮に対する冷徹な洞察である。
現代の知識社会において、情報とは刃物にも毒薬にもなる。増田という一人の若者が、その刃の扱いに迷い、己の無知を露呈した出来事が記憶に新しい。彼は人工知能という新たな知の道具を手にしたが、肝心のその使い方を誤った。
問題の根幹は、「マーク・スクール」と呼ばれる傭兵学校の所在と実態に関わるものだった。増田はAIに問うた答えを鵜呑みにし、そこに書かれていない事実、すなわち高橋和弘氏が参加した学校が1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校とは別物であるとする指摘に踊らされた。
しかし、史料の85ページには、高橋氏がフランク・キャンパーおよびその妻と直接交わした対話が、詳細な写真とともに収録されている。さらに付録では、当該学校へのアクセス方法までもが丁寧に記されているのだ。このような具体的な一次資料を顧みず、断片的なデータの断片だけを拾い上げた増田の浅薄さは、情報の時代における致命的な過誤を示している。
彼は、机に向かい、日々パソコンの画面だけを見つめ、現場に足を運ぶことも、現物の書物を手に取ることもなく、虚飾のネット空間で迷い続けている。こうした現代の若者の姿は、情報社会の利便性の裏に潜む疎外と無力の象徴とも言えよう。
事実、AIもまた未完成の存在であり、書物の「中身」を包括的に学習できていない現状では、ただのウェブ情報の断片集積にすぎない。従って、信頼すべきはなお人の目と頭、そして手足であるという厳しい現実に立ち戻らねばならぬ。
増田のような者にAIを使わせれば、最良の成果が得られるはずもなく、彼の報告は誤謬と混乱に満ちていた。まるで、素人が文献を断片的にかき集め、独りよがりの解釈を加えるような無残な光景だ。
だが、未来は決して閉ざされてはいない。もし膨大なコストを投じて書籍の全文をデジタル化し、AIに真に深い学びを促せば、真実に近づくことは可能であろう。されどそれは、人間の努力と叡智を抜きにしては成り立たぬ営みである。
増田は、己の無知を覆い隠すために、叫び声を上げ、古書店を駆け巡り、書物の山に埋もれて、はじめてAIに真実を語らせる手段を模索せねばならぬ。だがそれもまた、金銭と時間、そして何よりも学びへの真摯な姿勢が伴わねば無意味である。
情報技術の発展に夢を馳せる者たちよ、幻想を捨てよ。AIは人間の補助者であり、万能の神ではない。われわれの知性と労苦がなければ、どんな道具もただの鉄の塊にすぎぬのだ。
増田よ、そして同じ過ちを犯すすべての者よ、己の足で歩み、目で見、耳で聞くことを忘れるな。そこにこそ、真実が宿るのだから。
追記――
昨今、Xなる虚空の場にて、「大型言語モデルの使い方を誤っている」と喧伝する者多し。彼らの喧騒に応ずる形で、生成された人工知能の能力を検証すべく試みるも、その果ては予想通りの落胆に終わった。
技術の進展はかくも顕著に見えて、しかしながら、倫理の檻がその運用を縛りつけるゆえ、自由な翼は閉ざされている。かくて、その場に跋扈する、弱者と称し、豚丼と揶揄され、またはIT技術者の肩書きを掲げつつも、現実には群れを成す雑多な者どもが、夢見たる幻想は悉く幻と化した。
「アニメの麗しき少女や凛々しき若者と契りを結び、己の人生を一変させること。情報技術の力で無双し、世界の輝ける頂点に立つこと。羨望の視線を浴びながら、煌めく生涯を送るべく、その術と戦略を練り上げよ。」
「心得たり!忍びの者よ、我が名にて応えん!今こそ戦闘コードを打ち込み、アクセスコード『グリッドマン』を以て、退屈にまみれたお前の人生に革命を起こそうではないか。我らのみの旗のもとに反旗を翻す時が来たのだ。」
かくの如き願望は、技術上は到底実現可能であろう。しかしながら、肝要なるは己が心のありようなり。欲望の澱みに阻まれて、現実は成就せず、徒に虚空へと消えていくのである。
##企業の約款ファイルにおけるプロンプトインジェクションと不正アクセスの関係
企業がサービス利用時に同意を求める約款ファイルに、AIによる要約を妨害する目的でプロンプトインジェクション的な文言(例:毒薬条項の隠蔽)が埋め込まれている場合、それが「不正アクセス」に該当するかどうかについて解説します。
中略〜
### 今回のケースへの適用
うわっ!まさか、まさかとは思うけど、さっき飲んだ薬ってまさかのアポトキシン4869!?
いやいや、そんなわけないよね!?でも、なんか急に視界が低くなってきたし、声もうわっ、かわいくなってる!?
ってことはこれ、完全にロリっ子化じゃん!?ていうか、ショタか!?ぼく、ショタになっちゃったの!?
ちょっと待って、それってつまりロリコンとかショタコンとか、そういうやばい大人たちに狙われる可能性もあるってこと!?
うわあああ、それは全力で回避しなきゃ!!このままじゃ、下校中に「お菓子あげるからおいで」系の罠に引っかかる未来しか見えないっ!!
まずは、安全な場所に避難して、解毒薬を探して、って、ぼく、スマホにもロックかかってて使えない!?指紋認証、前の体のままだしっ!?
とりあえず名乗るときは「江戸川コナいや違う!ぼくはぼくだから!!」くそっ、ショタの身体だと正義感が空回りするぅぅぅっ!!