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はてなキーワード:母親とは

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2025-12-14

anond:20251214024640

母親とは「『あら、どちらさん?』なんていう日も来るのかねえ」とか笑いながら言ってたんだが

20年たったらこありさまだよ。「どちらさん」とさえ聞いてくれない、一人息子がワンオブゼムになった。

Permalink |記事への反応(0) | 02:55

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他人の親を「お母さん」と呼ぶな

イメージだけどさ、昔のテレビだとよくやってそうだよな。毒蝮三太夫とか。

オレオレ詐欺もそういうのあるよな。人の親をお母さんとよぶのは、詐称一種だ。法律的に禁じるべき。

こういうと高齢者過保護だとか言う奴いるが、氷河期もすぐ高齢者だぞ。いま高齢者優遇社会を進めておかないと俺らがもっとひどい目会うぞ。

とにかく、人の親をお母さん呼ばわりするのは絶対ダメ、だめ絶対

きょう施設から母親介護タクシーで通院させたんだけど、かえりぎわに医者がうちの親の肩をたたいて「お母さん早く良くなってね」とかいうのな。これでぴんときた気づいたわ。あーこれのせいかと。

ひごろ見ないうちにうちの親も他人から「お母さん」よばわりされてんだなと。

ここ半年くらい、母親のところ着て「お母さん、きたよー」と言っても反応うすかったのはこれのせいだ。やけに俺に敬語tかったりしてたのは、どうも俺が施設の一員と勘違いされて多っぽい。

すべてはm人の親をお母さんよばわりするのを許容する世界のせいだ。

これから法律で、お母さんよびは法律の子のみと制限するべきだ。

Permalink |記事への反応(3) | 02:46

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2025-12-13

祖父を看取りました。

暴力も怒鳴り声もなく、穏やかで「人格者」と評されてきた男です。

4年前に祖母に先立たれてから元気がなく、「やっと奥さんに会えるね」と家族で話していました。

最期言葉はこれ。

「かか(自分母親)会いたい」

この一言で分かりました。

この男も結局は非モテ弱者男性なんだと。

男にとって女は、最後まで「母」か「それ以外」なんだと。

50年以上連れ添った妻より母親

これは個人問題じゃなく、男社会再生産してきた価値観のもの

男は

ケアされる側

感情を受け止められる側

・無条件に肯定される側

として育てられ、妻を対等な主体として扱う訓練を受けていない。

から死の間際ですら回帰先は母親になる。

モテない弱者男性の「女は冷たい」「ママになってくれない」という怨嗟も地続き。

女を人間として尊重せず、ケアだけ要求する構造

容姿年収の話じゃない。

精神構造問題

「いい男」という評価が、どれだけ女の無償労働の上に成り立っているか

からないんだろうな。

Permalink |記事への反応(3) | 19:01

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死んだ親戚が団塊のクソビッチだったことを知った

親のハトコという遠い親戚の女性(以下おばさん)が春に死んでいたらしい。

一時期家が近かったこととその人の子供が自分年子だったこから増田が小さい頃には交流があったが、葬式にも呼ばれない程度の親族なので喪中の連絡として先日知った。

おばさんは団塊の世代にぎりぎり入るくらいの年齢だった。陽キャっぽいミーハー雰囲気のおばさんという認識だった。

喪中の連絡をきっかけに、思い出話というよりおばさんの子供も含め今後親戚づきあいもないし、時効の話として親が愚痴半分で彼女やらかしを教えてくれたが「昔陽キャだっただろうおばさん」のビッチエピソードだつた。

つの時代ビッチっているんだなというエピソード面白かったのでここにお焚き上げしておく。

高校の頃から家に毎回違う男を連れ込む

携帯がない時代から家の固定電話に男から電話がかかってくるが、男の名前がすぐに変わる

卒業時に地主的な名家の男を捕まえるも短大(専門学校?)に進学後名門私大の男に乗り換えて地主親族がやる飲食店デートをして本人的にはマウントをとる

高校から短大時代ムーブにより地元ビッチ血筋親族全体が評判になりおばさんの姉が外聞が悪すぎるとして破談、同時期に地元企業内定を取り消しをされた親族もいておばさんのビッチが原因との疑惑がある

職場の同期先輩と片っ端から交際し、そのうち実家が太い次男結婚

地元の人や職場食い荒らしメンバーも全員結婚式に招待、参列し地獄結婚式が行われるも本人は他の男にマウントを取ったつもりのため気まずさに気づかず

父親は恥ずかしい尻軽の娘と思ってたらしいが母親の中では「美人で男が放っておかない自慢の娘」という歪んだ認知をしていたため結婚式に地元元彼の親まで招待する

・その後不倫するも親がお金解決する、ただしそのとばっちりで弟は学費が足りず奨学金を借りる

などなど……あとは忘れた。

真実小説より奇なりとはこのことかと思った。

聞く方としては笑えるが、親戚づきあいや近所付き合いが多かった当時は増田の親や他の親族としては笑い事ではなかったそうだ。

今だったらSNSマウント取りまくった後に個人情報晒されて炎上していただろう、しかし周りが迷惑を被るのは何時の時代も変わらない。

すぎのおばさん、あの世では男でトラブルをおこすなよ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:47

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https://www.asahi.com/articles/ASP165JQSNDYONFB009.html

あこぎな男は悪人か、孝行者か 語源海岸に2つの物語

2021年1月14日 15時00分

 病気母親を持つ漁師の平治は「病気には阿漕浦で捕れるヤガラという魚がよい」と聞く。病で日に日に衰弱していく母親を前に、平治は決心を固め、禁漁区である阿漕浦に夜な夜な舟をこぎ出す。ヤガラを食べさせたことで母親の体調は少しずつ回復するが、浜に「平治」と書かれたすげ笠を置き忘れたことで、密漁が露見する。

 捕らわれた平治はす巻きにされ、阿漕浦の沖に沈められる。その後、夜になると阿漕から泣き声や網を打つ音が聞こえ、その音を聞いた者は病気になった――。

 地元住民でつくる「阿漕平治保存会」は毎年、平治の孝をたたえ、その霊を慰めるため、平治が処罰されたと伝わる8月16日夜、阿漕塚で供養を捧げてきた。

 この平治伝説江戸中期以降、浄瑠璃などで演じられ全国に流布した。ただ、この話からは、悪い意味で使われる「あこぎ」の意味合いは伝わってこない。

写真・図版

ヨットハーバーから望む阿漕海岸。穏やかな海を朝日が照らした=2020年11月10日午前9時30分、津市柳山津興、佐々木洋輔撮影

 一方、室町時代に作られた謡曲(能)「阿漕」の筋はかなり違う。

 伊勢神宮へ参拝に向かう旅人が、阿漕浦で老人に出会う。老人は阿漕浦の名の由来について、昔、阿漕という名の漁師(平治という名前は出てこない)が、ここで密漁して見つかり、海に沈められた。阿漕はいまも海の底地獄で責め苦を負わされ、さらに「阿漕阿漕」と言われ、悪名を残したと言う。さて、日も暮れた。網を引きに戻ろうと言い、老人は消える。

 旅人はぴんとくる。この老人こそが阿漕の亡霊ではないか旅人の前に現れた亡霊は火に焼かれ、鬼の地獄の責め苦を受けながらも、何度も何度も漁をしようとする。

 平治伝説とは違い、こちらはホラーだ。なぜ、二つの物語存在するのか。

Permalink |記事への反応(0) | 15:26

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普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

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年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

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(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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anond:20251213010611

自慰しないの? と聞いた者だけど、私は小5のとき夜寝るタイミングたまたま布団が股を擦った時あまり気持ち良くてビックリして、そこから夢中になったんだよね

自分の部屋を与えられていたというのもハマった要因としては大きいのかもしれない

増田自慰一度もしたことないってすごい

不感症なのだろうか

R-18モノを見て濡れる感覚も分からないの?

私は子どもの頃からオリモノが多くて洗濯をする母親から苦情を言われてたから、濡れるのにはいまだに微妙に罪悪感あるけど…(今はおりものシート使ってる)

Permalink |記事への反応(0) | 09:56

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はるかぜちゃん義母お金出してくれてフォトウエディング撮れたのよかったね

旦那さん、俳優としては正直どこの誰やねん状態活躍しているとはいい難いが、実家が太くて趣味に生きられる感に満ちている

小中高全部の学費自力で払ったはるかぜちゃん

弟の出産費用ですら幼児はるかぜちゃんの稼ぎから捻出された

でもけして儲けて貯金が大量にあるわけでなく短大奨学金

訴訟で300万勝ち取った直後から専業主婦だった母親ドールアカウント開設して爆買い写真を載せまくり

和解金の使い道がはるかぜちゃん自身の好きにはできなかったようだ

はるかぜちゃん関係のない、母親個人名誉毀損したとされる訴訟弁護士費用はるかぜちゃんが出した

芸能であまり稼げていないはるかぜちゃん訴訟費用コールセンターバイトで捻出したという

親は娘におごられはしても娘のために裁判費用なんか出さなかった

15歳で一人暮らしを開始して24歳で結婚するまで、はるかぜちゃんには部屋に冷蔵庫を買うお金すらなかった

お金出してあげるからフォトウエディング撮ってきなよなんて言ってくれる両親なんかいない

義両親と同居って世の奥様方は嫌がるが、はるかぜちゃんは行く行くはそういう生活送ったほうがまともな家庭を知ることができると思う

Permalink |記事への反応(1) | 02:48

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2025-12-12

anond:20251210211739

たかセックスくらいで」といわれがちだが、本当に結婚はやめたほうがいい。もう別れたほうがいい。

おれんとこはレス夫婦だが、絶賛結婚を後悔してる。リモートワークしてるんで家事を主に担当してるが、本当にストレスマックス。鼻をかんだティッシュを捨て、ちょっとのんだコップを洗い、不安定帰宅時間に合わせ飯を作ったらラインで「遅くなる」といわれ、飯にラップをかける。愛があればいとおしい生活かもしれんが、セックスがないと俺はお前の母親じゃないと爆発しそうになる。

俺達夫婦日常は仲良いし、週末もわりと二人で出かけもする。会話もする。結婚8年目だが冷めた夫婦ではない。ただ、やっぱり性欲のある男はそれだけでは満たされない。結婚は法的にセックス占有権規定されてしまう。

浮気風俗を推奨する危険思想もあるが、これは明確にアウトなんだ。財産半分と慰謝料もっていかれてポイ、だ。今からこんなこと考えるようじゃもう先は見えてる

おまえは努力した。しかし悲しいかな、努力てはセックスレスは解消しないんだ。もしかしたら彼女は「結婚したらもっと頻度あがって積極的になれるかも」とかいうかもしれない。それは嘘だ。

これは最後の砦だ。絶対結婚するな。いいか絶対にだ。

Permalink |記事への反応(0) | 19:06

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市立の小中通って

県立高校チャリで通って

地元駅弁大学チャリバスで通って

から車で15分のとこにある市役所母親手作り弁当持って通勤して

家帰ったら飯できるの待ちながらゲームして

母親の飯食ったらまた寝るまでゲームする

こどおじライフ

Permalink |記事への反応(0) | 18:38

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もう好きだった母親はいない

脳の手術をしてから母の人格が変わった。

もう、好きだった母親はいない。

Permalink |記事への反応(0) | 14:38

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anond:20251211124036

林敦子と遠矢姫華共感ママ本当に意味からないな

林敦子と遠矢姫華の情報から離れて生きたほうがいいと思う、精神安定のために

林敦子と遠矢姫華の凶行を「母親」をひとくくりにしてるのだいぶキてるよ、そんなわけないじゃん

あと最近無理心中だと

日立妻子6人殺害事件小松博文(父親)は死刑

小郡妻子3人殺害事件元福岡県警の中田充(父親)も死刑

林敦子と遠矢姫華は死刑回避

母親家族大量殺人は「子育てや家庭への悩み」結果の子殺し

父親家族大量殺人身勝手な犯行(っていうか嫁への愛憎に子供巻き込み)の差はあるなあと思った

(上手く言語化できず意味不明な文章になってしまった)

個人的には「被害者が実の子供だから」で心中事件量刑が減らされるのは不当だと思うから子供3人も殺したら母親でもなんでもちゃん死刑検討してほしいな

最近起きた障碍者ママ親権取られるのが嫌で6ヶ月の赤ちゃん殺した事件も、本当に身勝手な犯行なのに、多少は情状酌量されるんだろうな~…

Permalink |記事への反応(0) | 11:42

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精神科先生家庭内暴力の大半の両親は暴力振るってないし、何もしてないとかいうけど、マジか!?

仮に暴力は振るってないにしても、金切り声とか火力の強い言葉は割と使ってるような気がするけど、どーなんだろう…

あと、家庭内暴力被害に遭ってる両親、子供の表情とか正しく読めてないし、子供の指摘をガン無視して、謝らない傾向もあるように思う。

母親「間違って出すべきでない日に缶の袋出しちゃった」

俺「前日ぐらい大丈夫でしょ?」

母親「ここは厳しいから無理なんだよ」

俺「(苦笑いしながら)戸建てはご近所ガチャがあるからなぁ…」

母親「(なぜか誤解して)茶化してるんじゃないんだよ!」

俺「茶化してないよ」

母親「口答えするな」

俺「ふざけるなよ!」

母親キチガイ!二度と帰ってくるな」

俺「リスパダール飲んでなかったら、殴り殺したくなるんだけど!」

母親「褒めてほしいと思ってるの!」

俺「思ってない。そういう金切り声出してると、いい加減、首絞めたくなるんだけど」

母親「どうせ金切り声だよ!キチガイ!」

Permalink |記事への反応(0) | 11:17

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anond:20251212044929

奥さんが上の子と下の子を抱っこしてるのは本当はやりたくないけど子供必要とされて、母親として「仕方なく」やってるだけで

その姿をみて、奥さんのことを「なんだ、元気じゃん」と思わないでください

妊娠出産がどれだけ女性の体に負担がかかるのかネット情報検索したらわかるでしょう

Permalink |記事への反応(0) | 05:23

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自分が落ち着かない人間なことには理由がある気がしてきた。

まれた時、父親国外出張中。母親女の子に興味も責任感もなかったらしく自分や夫の実家増田を預け、早々に職場復帰。預けられた先に猫がいて猫と遊んでた記憶がある。そのうち父親帰国して弟できたらしく、小さいが庭つきのナイスな家に引っ越しほとんど初めて母親と対面。誰この人?と思ったと思うけぢさすがに覚えてない。ただ父親子ども好きで明るかったので助かった。

その後も母親仕事を続け、家には(工作員の)賄いさんがくるようになった。第第生命営業が紹介してきた。要は母親を働かせておき契約させようという話。

増田は7歳の時に7件ほど生命保険を契約されたらしい。七五三伊勢神宮まで行って写真撮ったりしたがアリバイ作りだったらしい。だって水泳楽器を習わされつつ父親の見えないところで殴られてたし。賄いさんが弟の喉を飴で詰まらせて死なせかける事件を起こして派手に辞めたりもあったけど、弟は殴られてない。姉見て渡世を学んだんだろう。

しか増田不動産関係者に襲撃され、ナイスな家からは引っ越すハメになる。小学校は好きだったが再編され仲の良かった子らとも別れる。挫折

ところで母親父親熊本出身身長180センチあって英語喋れてで政府で渉外してたらしいから、もしかして中韓混血とかで金融関係と縁が深いのかも。

父親は体に拷問の跡みたいなのがあったし、母親は生きてるけど、シレっと知らんぷりしたり忘れたと言い張る。あと会えば必ず言葉で殴ってくるし、幻滅作戦してくる。過去に何があったのか考えても分からないし、むしろ増田自身、たぶん殺されかけたこともあり会いたくない。

身内の犯罪者から家族を守るなんてたぶん無理だし、結婚には憧れたが具体的な願望を持つ気にはなれなかった。人権制度終わってるが如きの社会気持ち悪いし。

Permalink |記事への反応(0) | 01:34

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anond:20251211021922

こういう人って自慰行為すらしたことないのかな?

私も増田に近いところがあって、自分が女という感覚が昔から薄かった

25歳くらいのとき母親に「男でも女でもないって感じ」と言われたことがあるくらい

でも、ほとんど女性しか発症しない病気摂食障害、某自己免疫疾患)になったし、WAISという知能検査では男性女性より得意だというパズル(心的回転)という下位検査けが平均を下回っていた

自分でも男か女か分からないなと思っていたけど、上記経験を通して、自認はともかく脳を含め身体は間違いなく女である認識するに至った

ところで私もアイドルには興味はないが、化粧や服に関しては興味のあるなし関係なしに社会性を持つという観点から行っている

女性共通話題がない」に関しては、女性というもの自分が興味がなくても周りの話題についていけるように、流行ドラマ俳優アイドルなどをチェックするという努力を行っているようなので、これも社会性の問題だと思う

まり増田は他の人たちが必死にしている周りに合わせる努力社会性を持つ努力をしていないし、それが当然だと思っているように見える

それってちょっとASD傾向があるのでは? と感じた

しか恋愛感情が薄い、性愛も感じないというのはとてつもないメリットのように感じる

恋愛感情に苦しめられ振り回されることもなく、色恋沙汰のトラブルに巻き込まれることもない

男女間の精神パワーバランスで低い立場になることもない(俗に言う「好きになったほうが負け」というやつ)

そこは羨ましいなと感じた

Permalink |記事への反応(1) | 00:25

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2025-12-11

舞台を観に行ったら前の席が障がい者だった

舞台を観に行ったら前の席が知的障がい者だった。身近に知的障がい者がいないので馴染みがないが顔立ちでわかる感じ。あとヘルプマークつけてた。

上演中に声を出したりはしていなかったが上演時間の半分以上前のめりの体勢で座っており、頻繁に体を動かし何度も伸び上がるように腕を頭の上にあげ、ペットボトルをパキパキ鳴らしながら水を飲むので、正直かなり迷惑だった。

母親らしき人が隣に座っていたが前のめりの体勢や腕を挙げるような仕草に注意するような様子はなく、その割には上演中に何度も話しかけるように顔を寄せていたのも意味がわからない。姿勢が維持できずに前のめりになってしまうのかもしれないが、せめて顔より高く手を挙げる動作はやめさせて欲しかった。

寛容な心で許し受け入れるべきなのはわかっているが、一万円以上するチケットを購入し休みを調整して楽しみにしていた舞台でこの席運は残念過ぎる。

もちろん席運が悪く周囲の人が残念だったことは今までにもあるが、相手障がい者になるとその愚痴すら誰にも言えなくなる。辛い。

Permalink |記事への反応(0) | 23:48

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anond:20251210145127

まず自分でなんとかするという考えを捨てる。

絶対にやったらいけないのは介護のために仕事を辞めるという選択。これだけは絶対にやったらだめ。

母親の年齢なら介護施設に優先入居できるはずで、排泄や入浴はそちらに任せるべき。

残酷無責任なように思えるかもしれないけど介護を一人でやるのは無理だし、母親が死んだ後もあなた人生は続くんだから

装具については他の人が書いているように後から補償金を貰える制度があるはずだから積極的に使うとよい。

介護施設の費用補助金が出れば月々の負担もなんとか生活できるところまで抑えられるはず。

ケースワーカー役所説明メモしまくってじっくり読んで使える制度は全部使う。

とにかく自分が生きていけるだけの経済力は持っておくこと、他人に任せられるところは全部任せること、ヤケにならずに申請手続きをこなすこと。

大変だと思うけど、どうかあきらめずに頑張ってほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 22:36

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時々、母親に言いたくて言えなかった(その時的確な言葉を持ってなかった)ことをめちゃくちゃ言ってやりたい気持ちになる。

家出て気づいた色んな嫌なこと。可愛くないと言って育てたくせに本当は他の子供より可愛いと思ってた、とかむごくないか意味もわからない。調子に乗らないようにわざとそうしたって後々聞いたけど、調子に乗る子供だと判断されたことも不快しかないし。

でも、大人になった今やっても意味ないんだよな。もうお母さんの機嫌を取るのに必死小学生女の子じゃないし。何であんな育て方したんだろう。子供をおさえつけて育てたっていう点でマジでカスだったな、あの人。

Permalink |記事への反応(0) | 20:42

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統合失調症だけ“外側”から説明されるのおかしくない?

世の中のメンクリサイトや本を読むと、精神疾患説明ってだいたいこんな感じで書かれている。

うつ病

「何をしても楽しくない」「体が重い」「朝起きられない」「自分を責めてしまう」

パニック障害

「急に死ぬかと思うほどの不安」「心臓バクバクする」「息苦しい」

どれも本人の体感から始まっている。

ところが統合失調症になると、説明が急にこう変わる。

• 「まとまりのない思考・会話」

• 「奇妙な言動

• 「不自然な表情」

……いきなり“外側から見た変な人”のリストになる。

これ、本当に良くないと思っている。

少なくとも、私はこの説明文だけ読んでいたら病識には絶対たどり着かなかった。

「まとまりがない」どころか、むしろ世界をまとめすぎている

Twitter で「統合失調症の“まとまりのない行動”の典型例」として流れてきた動画がある。

エレベーターの前で、誰もいないのに外を何度も覗き、身を隠したり出たりしている人の映像だった。

それについて「思考のまとまりがない」と説明されていたのだけど、

私にはどう見てもエレベーターの外に“いるはずの誰か”を本気で警戒して、

何度も確認したり、隠れたりしている人にしか見えなかった。

• 周りから見れば「意味不明な動き」

• 本人の内側では

「そこに敵がいる」「監視されている」っていう一本筋の通ったストーリーがある

から本当は、統合失調症って「まとまりがない病気」じゃなくて、

この世の雑多でバラバラ出来事を、無理やり“一本の意味のある物語”に

まとめすぎてしま病気なのでは、と私は感じている。

普通の脳は、世界の9割9分を「どうでもいいノイズ」として捨てている。たまたま聞こえた音、

たまたま目に入った広告誰かの咳払い、ニュースの一文。

全部忘れていく。

でも統合失調症の陽性モードに入ると、

• 捨てるはずの雑音にまで意味をつけ始める

たまたま見た文字数字が、メッセージに見えてくる

機械音や自然音が「自分に向けられた合図」に思えてくる

世界が「ただの雑多な世界」ではなく、全部が自分関係のあるサインで埋め尽くされている世界に変わる。

から見ると「話が飛んでいる」「行動が支離滅裂」に見えるけれど、本人の中ではむしろ過剰に筋の通った世界になっている。

私の世界が変わったとき感覚

統合失調症の症状としてよく挙げられるのは「幻聴(誰かの声)」だ。

でも私の場合典型的な「声」はあまりなくて、

• やたら鮮明な自然音や機械音が聞こえたり

世界が急に覚醒剤を打ったみたいにキラキラし始めたり

• 壁のシミや模様がぐるぐる動き出したり

そういう形で世界が変わっていった。

覚醒剤様症状」と勝手に呼んでいるが、本当にそんな感じだった。

実際に打ったことはないけど、知識ベースでいうと、

多幸感で満ち溢れる

• すべてが鮮明で、美しく、意味ありげに見える

そういうモードが、家の中を歩いているだけで突然オンになる。

さらにひどくなると、作為体験(させられ体験)が重なってくる。

• 首が勝手に振れる

• 手が勝手に変なポーズを取る

• そのポーズで「丸・バツ祈り」みたいに妄想上の相手と会話が進んでいく

• 外壁に腕を擦り付ける、自傷行為になる

• 防御もせずに後ろ向きに倒れて、実際に脳出血まで起こした

このへんの詳細は別で書いたけれど、とにかく体がマリオネット化した。

そのときの私は、「世界中が諜報している」「自分思考漏れている」みたいなストーリーを、本気で本気で信じていた。

今振り返れば完全に病気の症状なのだけど、そのときの内側では、

世界バラバラどころか、あまりにも鮮明で、意味だらけで、一本の物語として完璧に“まとまりすぎていた”。

まるで情報量の多い映画のように。

メンクリサイト説明からは、絶対にたどり着けなかった

こういう体験をしたあとで、一般向けの統合失調症説明文を読むと、だいたいこう書いてある。

• まとまりのない会話

• 奇妙な行動

• 誰かに操られていると思う

いや違うんだよ、と思う。

• 「操られている“と思う”」じゃなくて、実際に体が勝手に動くレベルまでいったりする

• 「まとまりがない」のではなく、本人の中では過剰に筋の通った世界になっている

• その結果だけ切り取るから、「よく分からない変な人」の説明になってしま

私は母親統合失調症なので、一般の人よりは多少知識があるつもりだった。それでも、

作為体験がここまで体感であること

覚醒剤様の身体症状が出ること

世界キラキラしはじめること

なんて、どこにもちゃんと書いていなかった。

から、世に数多あるメンクリサイト説明文だけ読んでいたら、私は病識にたどり着けなかったと思う。

「私はここまでぐちゃぐちゃじゃないし、まとまりもあるし、声も聞こえないし」

で、終わっていたはずだ。

実際には、

作為体験犯罪行為まで行ったり

自傷脳出血を起こしたり

道路に“くいっと”飛び出してしまったり

かなり危険なところまで行ってから、ようやく「これはさすがに現実じゃない」「病気だ」と気づいた。

もっと早く、「中身の感覚から書かれた説明出会っていれば、と思う。

どう書いてあれば、私はもっと早く気づけたか

理想統合失調症説明は、こんなふうに始まってほしいと思う。

些細な音や出来事が、自分に向けられた“サイン”に感じられる

ニュース看板広告SNS文字が、「自分への暗号」に見え始める

世界が急にキラキラ輝き出し、全部が意味だらけになる

・頭の中のストーリー勝手に組み上がり、なんでも自分関係づけてしま

自分の体が、自分意思ではない何かに動かされているように感じることがある

そのうえで、こうした「中身の変化」が続くと、外から見たときには

・話が飛んでいてまとまりがない

・奇妙な行動に見える

といった姿として現れます

説明するならまだ分かる。

でも現状は、「外から見た変な行動」だけが症状として切り出されていることが多い。

それでは、当事者が「自分のことだ」と気づきようがない。

統合失調症を「変な人のラベル」で終わらせないために

統合失調症は、もちろん怖い病気だ。

自分のケースだけ見ても、

作為体験を通じて犯罪行為自傷につながりかねない

現実妄想区別する力が一時的に完全に吹き飛ぶ

家族や周囲を巻き込んで、大きな迷惑をかけてしま

からこそ、「変な人の特徴一覧」ではなく、

当事者の内側で、世界がどう変わっていくのか

もっと丁寧に説明してほしいと思う。

統合失調症は、「まとまりがなくなる病気」ではない。

しろ、雑多でバラバラ世界を、ぜんぶ自分関係のある“一本の物語”にまとめすぎてしま病気表現した方が、当事者体感には近い。

私自身、

作為体験

覚醒剤様症状や世界キラキラについての記録

を書き始めたのは、

教科書どおりじゃない統合失調症」でも、「これは病気のせいだ」と気づいていいんだよ

ということを残しておきたかたからだ。

というのも、私自身が「自分統合失調症だ」と気がつけたのは、

世界のすべてが自分に結びついて感じられる関係念慮と、

教科書にあるようなぼんやりしたものではなくはっきり見える幻覚について書かれた体験談を、

ネットで読んだことがあったからだ。

なので、こういう話が、誰かの「違和感」や「もしかして」に届いて、もう少し早い段階で治療につながるきっかけになればいいなと思っている。

Permalink |記事への反応(2) | 18:19

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anond:20251211124751

元増だけど子供特性があるにせよ 我が子が長女のみなら育児でこんなに苦しんでない なんならもっともっと余裕はあった子供2人いるから今こんなに苦しんでる 世の中、面倒見れる子供の人数を誤って、キャパ以上の人数の育児勝手にキレて子供殺してる母親がけっこういると思ってる

福井未紗容疑者子供が1人だったら殺人しなかったけど、子供が二人になってキャパオーバーして4カ月の赤ちゃん殺したんだよ。新生児育児に加えて上の子育児も同時にやらなくてはならなくなったから、限界がきて息子を殺した

Permalink |記事への反応(0) | 16:15

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母親(70歳くらい)に食洗機買ってあげようとしたら、(皿洗いは)ボケ防止になるから要らんって断られた

Permalink |記事への反応(0) | 16:06

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anond:20251211125223

年齢にもよるけど55歳の俺が気をつけてることを書いてみる。

服装容姿

髪を伸ばすのは止めた方がいい。若い頃のロン毛と年取ってからのロン毛は意味が違う。

基本は短く。おでこを出すかどうかは生え際と相談

髪の色は基本黒か一段明るめ。茶髪は老けて見えるから止めた方がいい。

ブリーチカラーも週一美容院にいくとかマメケアできる人向けだから出来ないなら止めよう。

服は趣味が人によって万別なので一概に言えないがサイズ感だけ気をつけよう。

口臭体臭気になるかもだけど基本は無臭目標に。香水付けるなら付けすぎ注意。

背筋を伸ばす。先日見かけた母娘だが服装は同じなのに母親の方が背中が丸まってて後ろから見ても老けて見えた。

喋る時につばきに気をつける。くちゃくちゃ言うのだめ

言動・行動

話をする前に無駄な「権威付け」をしないように。

「俺はこれを◯◯回見てきたが〜」「自分はこれを◯◯個持ってるから分かるんだけど〜」

否定から入らない。

「いや」「あ〜でも」「わからいかもだけど」

自分世代ギャップを作らない。

若い人は喜ぶかもね」「若い人向けだね」

若者言葉を追わない。特にネットスラング注意。

ワロタ」「◯◯しか勝たん」「◯◯なんよ」「草」

おじさんと言われても顔に出さない。

から見たらどうやってもおじさん。ムッとしない。

あとはTPOをわきまえるかな。若者の集まる店や場所長居しない。

Permalink |記事への反応(1) | 15:48

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6歳の娘が愛情不足で大変なことになっている

の子(2歳の娘)にどうしても手がかかるので

6歳の娘は「ママは妹ばっかり見てズルい」と妬む

母と娘2人の3人で外出して遊んでも、やはり親は妹中心の対応になってしまうから

冬休みは園に冬期預かりをお願いして

6歳の娘が次女のせいで何かを我慢させられることな

園のお友達と思いっきり遊べるようにと思ってやったことだけど

長女は「なんで自分だけ園に預けられるんだ」と思っている

夫が休日ときに長女と2人で遊びに行きたいが

今は体力残ってない。

きょうだい育児キツイ

私には子供2人の育児限界

長女も次女も殴り倒したくてたまらなくなる瞬間があるけどちゃんと理性を保って我慢してる

毒親にはなりたくないか

もし、私が3人目の子供を産んでいたら、林敦子や遠矢姫華のように自分の子供全員殺してると思う

林敦子も遠矢姫華も子供3人の面倒を見ることに疲れて自分人生絶望して殺したんだと思う

林敦子にいたっては、不登校の息子1人だけを、殺すならまだ、(決して許されることではないが)社会適応できない息子に相当いらついてたんだなと想像できるが

不登校じゃない他の子供2人まで殺してるのわけわからん

よっぽど3人の子供に尽くすことに愛想がつきたんだろう

自分の行動が我が子達によって制限されるのが嫌だし

我が子にばっかり時間がとられて、自分のことが二の次三の次になるのも嫌だし

母親ヅラして、それなりに聖母のフリをして、子供がどんなに荒れてても私はあなたの味方ですよって態度取らなきゃいけないのつらい 

母親というのは、それぞれ育児キャパがあり、

それが5人までOKという母親もいれば

10人までいけるという母親もいる

子供1人育てているだけで限界が来て、精神疾患になってしまう、育児キャパ子供一人分しかない母親だって世の中にはいる。子供1人でキャパオーバー母親はあまり育児を楽しめないタイプなんだと思う

子供はほしいけど育児は楽しくないという親は意外にも多い。

私のキャパ子供2人分だけ。なんなら、1.5人分くらいしかないのかもしれない。1人なら余裕があるけど2人でもうキャパギリギリ

そのギリギリの線すら越えてしまうか

林敦子や遠矢姫華の事件記録を読めば、私が子供3人産んだら、毎日毎日イライラして、ある日プッツンと線が切れて、彼女たちのように自分が産んだ子供達全員殺すんだと思う

子供を望んで産んだのは自分なのに、頼まれてもいないのに、勝手に産んで、自分限界を超えるような育児をしておいて、

親の都合で勝手ギブアップして

勝手子供たちの人生に幕を下ろす

母親というのは、理不尽な生き物だ

[追記]

あいつら(遠矢姫華と林敦子)とは違って、私はまだ子供2人だから大丈夫!!と自分に暗示をかけるのは、大事だと思います

遠矢姫華と林敦子の気持ちはこうだったんだろうなと想像して、共感はできるけど、

子供達を殺したあの2人のことは本当に大嫌いです。嫌悪してる。遠矢姫華は死刑になってほしかった。

実際、娘達が成長したらどんどん「大丈夫」になっていくんだと確信しています小学生ママさんたち、楽しそうだよね。

私のママ友はお子さんが小学生になったら1人で旅行してました。

子供達が小学生になったらなったでまた、子供幼児ときとは違う大変さがあるんでしょうが

子供の進路のことで子供と揉めて号泣したりしてるお母さんの話とか聞くと大変だなと思う。

私自身は世の中にたくさんいる一般人母親のうちの1人に過ぎず、

ニュースに出てくるような赤ちゃんを浴槽に沈めて殺したり

体罰と言う名の虐待子供にしたり

子供に手をかけて逮捕されるようなタイプ母親ではないので、安心してください

私はどこにでもいる普通の子持ちオバチャンのうちの1人でしかありません。

私には実現させたい夢があるので、自分の大切な子供達に酷いことをやって、逮捕されて刑務所に入ったり、裁判にかけられたりしてる時間はないんですよ。そんなくだらないことしてる時間もったいない!!

子供が長女だけだと、それはそれで精神的にも経済的にも楽だったろうけど

絶対に物足りない人生だったから(長女ごめん)、次女を産んで大正解だったと思ってます!!子供3人育てるのは絶対に無理だけど子供2人なら、なんとかなるさと思って夫と選んだ道です。

Permalink |記事への反応(27) | 12:40

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