
はてなキーワード:正規雇用とは
「45歳を過ぎて本当に全然仕事ができなくなった。本当の本当に何も出来ん。MTGの前日とかに間に合わせの資料を必死に作ってそれでなんとか誤魔化してるだけ。あとはぼーっとしてるか頭かきむしってるだけで殆ど何もしてない。10年前の百分の1くらいのパフォーマンスしか出ない。客先がいい人で今のところ叱られてもいないけど多分その内見捨てられる。どうすりゃいいんだ」
この実体験的証言は、現代日本のミドルエイジ労働者が直面する深刻な職業能力衰退現象を如実に表している。本稿では、この現象を単純な個人的問題として捉えるのではなく、日本型雇用システムの構造的特性、組織社会学的要因、認知心理学的メカニズム、および労働経済学的背景を統合的に分析し、その本質的メカニズムを明らかにする。
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労働政策研究・研修機構(2010)は、中年期が「仕事の負荷の増大や能力の停滞と限界感等が生じる時期」であり、これらへの対応を誤ると「諦めや思考停止」、「会社への過度の依存」を生じかねないことを指摘している。この現象は、清家(2011)が論じる日本的雇用慣行の相互補完性—(1)年功賃金、(2)終身雇用、(3)企業別労働組合—が現代の経済環境変化に適応できない構造的矛盾として現れている。
特に重要なのは、年功序列と終身雇用の相互補完性である。Milgrom and Roberts(1992)の内部労働市場理論が示すように、複数の雇用慣行間の相互補完性は制度の安定性をもたらすが、同時に変化への抵抗力も生み出す。これにより、45歳前後の労働者は既存のスキルセットでの成功体験に依存し続ける一方で、急速な技術変化や職務要求の変化に適応できない状況に陥る。
パーソル総合研究所(2017)の大規模調査(n=2,300)は、「42.5歳」で出世意欲が「出世したい」から「出世したいと思わない」に逆転し、「45.5歳」でキャリアの終わりを意識する転換点を迎えることを実証的に明らかにしている。さらに同調査では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込み、50代前半で会社満足度が最低値を示すことが確認されている。
この現象は、Lehman(1953)が技術者を対象とした古典的研究で発見した「30歳代前半で業績がピークに達し、その後は低下していく」パターンの現代版として理解できる。ただし、同一年齢内での業績評価の分散が大きいことから、年齢自体が自動的に能力低下を引き起こすのではなく、職務関連要因(仕事の割当の複雑性と挑戦性)が業績と密接に関係していることが明らかになっている
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パーソル総合研究所(2022)は、ミドル・シニア層のパフォーマンス低下について5つのギャップを特定している:
2.期待のギャップ:期待される業務と理想とする業務に差がある
3.成果のギャップ:出している成果と求められる成果に差がある
これらのギャップは相互に影響し合い、学習性無力感(Learned Helplessness)(Seligman, 1972)の状態を引き起こす。特に重要なのは、「働く意欲がない」状態ではなく「働けない状態」に陥っているという点である。
橋本・玄田(2023)の分析によれば、50-59歳層では職業スキル(ケア・科学技術・分析)すべてについて負の方向に移転しており、60歳以降では前職より平均2-4ポイント低いスキル水準での就業を余儀なくされている。これは単なる転職時の条件悪化ではなく、蓄積されたスキルの市場価値の急速な減衰を示している。
特に、定年や家族理由、健康上の理由を含む非自発的離職において、スキル水準の低下が顕著に現れることが統計的に確認されている。これは、冒頭の証言にある「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という主観的体験と一致している。
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労働政策研究・研修機構(2022)の分析では、ミドルエイジ層(35-54歳)の転職において、これまでの経験が活かせない業務や、新しいスキルが求められる環境への適応困難が主要な問題として浮上している。この適応困難は、単純なスキル不足ではなく、職業アイデンティティの再構築を伴う複雑な心理的プロセスである。
パーソル総合研究所(2023)の調査では、ミドル・シニア就業者の70.1%が「何歳になっても学び続ける必要がある時代だ」と認識している一方で、実際に学び直しを行っているのは14.4%に留まっている。この認識と実行の乖離は、「金銭的・時間的余裕のなさ」(30%超)と「学ぶ対象や学ぶ方法のわからなさ」(約20%)に起因している。
興味深いことに、学び直し層の年収は平均642万円(50-54歳)と高く、「高年収の職業についているため学んでいる」「過去の学び直しが年収を高めた」という双方向の因果関係の存在が示唆されている。
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梅崎・藤本(2021)は、日本的雇用システムが「継続的に長く務められる日本人男性だけにとって優位な制度」であったが、「女性や外国人のような本来従業員として期待される人材を逃してきた」と分析している。この分析は、同システムが特定の人口動態的特性を前提として設計されており、その前提が変化した際の適応力の欠如を示している。
厚生労働省(2013)の分析では、日本的雇用システムの課題として正規雇用と非正規雇用の二極化が指摘されている。45歳以降の労働者は、従来の正規雇用の枠組みでは価値を認められにくい一方で、非正規雇用への移行は大幅な処遇低下を伴うため、中間的な働き方の選択肢が限定されている。
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パーソル総合研究所(2017)の詳細な分析では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込むことが5つの指標(「任された役割を果たしている」「担当業務の責任を果たしている」「仕事でパフォーマンスを発揮している」「会社から求められる仕事の成果を出している」「仕事の評価に直接影響する活動には関与している」)で一貫して確認されている。
同研究所(2023)の推定では、学び直しを行わないミドル・シニア正社員と比較して、学び直し実施者の個人年収は平均+12万円、3年以上の継続的学び直しでは+30万円の差が生じている。この結果は、継続的な能力開発の経済的効果を定量的に示している。
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Becker(1964)の人的資本理論に基づけば、45歳以降の労働者の価値低下は、企業特殊技能(firm-specific skills)への過度の依存と一般技能(general skills)の相対的軽視の結果として理解できる。パーソル総合研究所(2024)の分析では、転機における学習度合い(「転機学習度合い」)が学歴に関係なく、個人年収や職位と正の相関を示すことが確認されている。
Argyris and Schön(1978)のダブル・ループ学習理論の観点から、ミドル・シニア層の活性化には既存の行動パターンや価値観の根本的な見直しが必要である。パーソル総合研究所(2022)が指摘するように、「管理職が気合と根性で指導しろ」とは言えず、心理学などのロジックを考慮したコミュニケーションが必要である。
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内閣府(2023)の推計によれば、2025年には65歳以上人口が総人口の30%を超える超高齢社会が到来する。この状況下で、40-60代の生産性低下は国家レベルの競争力低下に直結する。OECD(2023)の報告書でも、中高年労働者のパフォーマンス維持が先進国共通の課題として位置づけられている。
労働政策研究・研修機構(2022)は、ミドルエイジ層の能力開発について、「アップスキリング」(現在の仕事関連)と「リスキリング」(転職・キャリアチェンジ関連)の体系的な区別の重要性を指摘している。前者が71.1%、後者が47.0%という実施率の差は、既存職務への適応に偏重した能力開発の現状を示している。jil+1
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本稿の分析により、45歳前後のサラリーマンが経験する能力低下現象は、以下の多層的要因の相互作用として理解されるべきことが明らかになった:
冒頭の証言にある「間に合わせの資料で誤魔化している」「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という状況は、個人の怠惰や能力不足ではなく、システム全体の機能不全の症状として位置づけられる。
効果的な対策には、Senge(1990)の学習する組織理論に基づく組織変革、人的資本理論に基づく継続的能力開発システム、そして社会保障制度を含む包括的な制度設計の同時実施が必要である。特に重要なのは、個人の自己責任論を超えた社会システム全体の再設計である。
将来の研究課題として、AI・デジタル技術の急速な発展がミドルエイジ労働者に与える影響の定量的分析、および効果的な介入プログラムの実証的評価が挙げられる。
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よう!お前ら。ごきげんよう。
お前ら、自分が今、絶対的尺度でみたとき、どれぐらい稼いでいるかって自覚したことあるかい?
それを間違えると世帯年収で上位10%、東京限定でも上位15%に入っている人たちの事を「生活が苦しい」と言う記事にして無能記者呼ばわりで叩かれたり
https://togetter.com/li/2593240
「所得階層で言ったら客観的に見たら決して低くはないのですが、すごく被害者意識が強い人たち」呼ばわりされたり
https://koken-publication.com/archives/3804/4
するんで、まずは自分がどのポジにいるか確認しようぜ、と言うのがこの記事。
| 階級下限 | 階級上限(未満) | 世帯割合 | 累積割合 | 推定手取り(会社員想定) |
|---|---|---|---|---|
| 0 | 100 | 7.10% | 7.10% | 70〜80 |
| 100 | 200 | 14.60% | 21.70% | 80〜160 |
| 200 | 300 | 14.50% | 36.20% | 150〜220 |
| 300 | 400 | 12.90% | 49.10% | 245〜280 |
| 400 | 500 | 11.30% | 60.40% | 320〜380 |
| 500 | 600 | 9.40% | 69.80% | 360〜430 |
| 600 | 700 | 7.60% | 77.40% | 420〜490 |
| 700 | 800 | 6.10% | 83.50% | 490〜560 |
| 800 | 900 | 4.40% | 87.90% | 550〜620 |
| 900 | 1000 | 3.90% | 91.80% | 610〜680 |
| 1000 | 1200 | 4.40% | 96.20% | 670〜820 |
| 1200 | 以上 | 3.80% | 100% | 780〜1,000以上 |
出典は国民生活調査な。なので配当、不動産、年金、役員報酬、補助金、生活保護費など給与収入以外の収入も全部入り。
全世帯なので、高齢者世帯なども含まれているので注意な。そこの超ざっくり推定補正は後で。
| 年収階級 | 構成比 | 累積比 | 推定手取り |
|---|---|---|---|
| ~100万 | 7.80% | 7.80% | 0万–86万 |
| 100~200万 | 12.70% | 20.50% | 86万–164万 |
| 200~300万 | 14.10% | 34.70% | 164万–241万 |
| 300~400万 | 16.50% | 51.20% | 241万–318万 |
| 400~500万 | 15.30% | 66.50% | 318万–392万 |
| 500~600万 | 10.90% | 77.40% | 392万–465万 |
| 600~700万 | 6.90% | 84.30% | 465万–533万 |
| 700~800万 | 4.80% | 89.10% | 533万–596万 |
| 800~900万 | 3.30% | 92.40% | 596万–657万 |
| 900~1,000万 | 2.20% | 94.60% | 657万–718万 |
| 1,000~1,500万 | 5.40% | 100.00% | 718万–993万 |
なので、雇われてない人や雇われ以外の収入、自営業、役員(役員報酬でもらう人)、不動産や投資収入、年金生活者は入ってない。さらに1年間は勤務している人のデータなんで、細切れ勤務の登録派遣社員、バイトパート生活のフリーターなどは入らない。
都道府県別の世帯収入データはちゃんとしたものが公開されていないので、賃金構造基本統計調査より、都道府県別の平均賃金を用いて、そこから全国平均に対して補正係数を作ってみた。おおよそこれをかけてやれば、その数字が、その地域での貴方の世帯収入・賃金のポジション。どれぐらいもらっているかと言う事を現す。
| 区切り | 平均年収 | 係数 |
|---|---|---|
| 全国平均 | 318.3 | 1.00 |
| 北海道 | 288.5 | 0.91 |
| 青森県 | 249.9 | 0.79 |
| 岩手県 | 259.6 | 0.82 |
| 宮城県 | 288.9 | 0.91 |
| 秋田県 | 261.4 | 0.82 |
| 山形県 | 255.8 | 0.80 |
| 福島県 | 279.4 | 0.88 |
| 茨城県 | 311.9 | 0.98 |
| 栃木県 | 323 | 1.01 |
| 群馬県 | 296.7 | 0.93 |
| 埼玉県 | 317.2 | 1.00 |
| 千葉県 | 309.5 | 0.97 |
| 東京都 | 368.5 | 1.16 |
| 神奈川県 | 350.4 | 1.10 |
| 新潟県 | 270.2 | 0.85 |
| 富山県 | 293.9 | 0.92 |
| 石川県 | 290.4 | 0.91 |
| 福井県 | 285.3 | 0.90 |
| 山梨県 | 292.2 | 0.92 |
| 長野県 | 287.7 | 0.90 |
| 岐阜県 | 292.4 | 0.92 |
| 静岡県 | 305.3 | 0.96 |
| 愛知県 | 321.8 | 1.01 |
| 三重県 | 304.8 | 0.96 |
| 滋賀県 | 302.9 | 0.95 |
| 京都府 | 316 | 0.99 |
| 大阪府 | 340 | 1.07 |
| 兵庫県 | 316.8 | 1.00 |
| 奈良県 | 302.1 | 0.95 |
| 和歌山県 | 298.1 | 0.94 |
| 鳥取県 | 258.3 | 0.81 |
| 島根県 | 268.7 | 0.84 |
| 岡山県 | 290.8 | 0.91 |
| 広島県 | 296.9 | 0.93 |
| 山口県 | 290.1 | 0.91 |
| 徳島県 | 271.3 | 0.85 |
| 香川県 | 279.4 | 0.88 |
| 愛媛県 | 279.6 | 0.88 |
| 高知県 | 273 | 0.86 |
| 福岡県 | 297.3 | 0.93 |
| 佐賀県 | 269.4 | 0.85 |
| 長崎県 | 257.3 | 0.81 |
| 熊本県 | 269 | 0.85 |
| 大分県 | 271.4 | 0.85 |
| 宮崎県 | 254.3 | 0.80 |
| 鹿児島県 | 268.3 | 0.84 |
| 沖縄県 | 265.4 | 0.83 |
| 階級下限 | 階級上限(未満) | 世帯割合 | 累積割合 |
|---|---|---|---|
| 0 | 116 | 7% | 7% |
| 116 | 232 | 15% | 22% |
| 232 | 347 | 15% | 36% |
| 347 | 463 | 13% | 49% |
| 463 | 579 | 11% | 60% |
| 579 | 695 | 9% | 70% |
| 695 | 810 | 8% | 77% |
| 810 | 926 | 6% | 84% |
| 926 | 1042 | 4% | 88% |
| 1042 | 1158 | 4% | 92% |
| 1158 | 1389 | 4% | 96% |
| 1389 | 以上 | 4% | 100% |
| 階級下限 | 階級上限(未満) | 世帯割合 | 累積割合 |
|---|---|---|---|
| 0 | 79 | 7% | 7% |
| 79 | 157 | 15% | 22% |
| 157 | 236 | 15% | 36% |
| 236 | 314 | 13% | 49% |
| 314 | 393 | 11% | 60% |
| 393 | 471 | 9% | 70% |
| 471 | 550 | 8% | 77% |
| 550 | 628 | 6% | 84% |
| 628 | 707 | 4% | 88% |
| 707 | 785 | 4% | 92% |
| 785 | 942 | 4% | 96% |
| 942 | 以上 | 4% | 100% |
はははのはー。
いやあ、堂々と言えますな。
生活が苦しいです。客観的に見てもすごく苦しいです。被害者意識持ってもいいですか。
まぁ、いいわけないんだけどさ。被害者意識なんぞ持った所でおまんまにはならねえからさ。
とか言うと今度は肉屋を支持する豚呼ばわりされるんだよな。ご立派な労働貴族様からよう!
でもよう、労働貴族様が言うように社会保障を削ると、俺は親父とお袋をネグレクトして、年金なくなったら俺も喰えないから自分もネグレクトしながら迎えが来るのを待つしか方法なくなるんだよ。
はははのはー。
やんのかこら。表に出ろ
Permalink |記事への反応(26) | 23:23
今回は、非正規雇用で働き続けることがいかに厳しいか、いかに最悪な状況を生み出すかについて書いていきたい。
筆者は高卒で、10年以上にわたり有期雇用の契約社員として働き、現在は外資系企業で契約社員として働いている。
正規雇用の面接には何度も挑戦したが、怪しげな詐欺企業以外からの採用通知は一度も受け取ったことがない。
非正規雇用の最大のデメリットは、言うまでもなく雇用の不安定さだ。
企業側は、1ヶ月前に解雇予告をすればいつでも契約を打ち切れる。
「失業保険があるじゃないか」と言われるかもしれない。だが、失業保険はすぐに支給されるものの、税金の免除が全てカバーされるわけではない。
例えば、突然解雇された場合、住民税のような税金は失業中の身で支払わなければならない。
失業保険は最低限の金額しか支給されないため、一人暮らしだと生活はかなり厳しくなる。
次の仕事がすぐに見つかればいいが、もし見つからなかったら?生活保護がすぐそこに迫ってくる。それが非正規雇用の現実だ。
突然の解雇はまれだとしても、契約は長くて1年、短ければ1ヶ月更新が基本。
来年自分がどこでどう働いているのか、想像すらできないのが非正規雇用の日常だ。
この不安定さは、正規雇用の人にはなかなか理解できないだろう。理解されないことの悲しみも、非正規雇用のつらさの一つかもしれない。
当然、結婚や子育てなんて夢のまた夢だ。1年契約の身で、産休や育休をどうやって取ればいいのか。将来設計なんて、非正規雇用には存在しない言葉だ。
同じ仕事をしていても、正規雇用と非正規雇用では社会的な扱いがまるで違う。
例えば、同じ業務内容でも、正規雇用の人は「安定した企業の一員」として見られ、社会的信用を得る。
一方、非正規雇用の人は「所詮、契約社員」と見なされ、どんなに長く働いても、どんなに成果を上げても、経歴として認められにくい。
住宅ローンを組むにも、結婚の場でも、同窓会でも、非正規雇用というだけで一歩引いた目で見られる。この差は、言葉で表す以上に深い。
ネガティブと言われるかもしれないが、これが非正規雇用の現実だ。
非正規雇用で働く人の年齢層は上がってきている。50代までなら何とか働けるかもしれないが、その先はどうなる?
退職金はない。職場を転々とするからまとまった貯金も作れない。
3年ルールや5年ルールのせいで、1つの職場で長く働くことすらできない。もしこれらのルールがなければ、非正規でも多少は安定感を持って働けるかもしれないのに。
お先真っ暗な人生。いったいあと何年生きられるんだろう?
でも、死ぬ勇気すらないから、こんな絶望しかない未来だとわかっていても生きていくしかない。
非正規雇用は最悪だ。
●借金返済(整理済み)
●通信とかで短大の資格取得(中卒だけど高認取れた!でも学歴的には中卒になってしまうからせめて短大とかの学歴にしたい)
ヘビースモーカーな母親がいて、小児喘息を患っていた自分は悪化し休みがち→いじめられ勉強もついていけず→でかい気管の病気…となり不登校で中卒になってしまった
仕事が続かなくて何度も自暴自棄になり、それでも頑張りたくてがむしゃらに頑張った
でも今年で払い終える予定弁護士さんと色々やり取りして、負担を軽くしてもらった
が、まだまだ問題は山積みなんだ
親とは完全に疎遠で兄弟ともほとんど連絡とってない どうせ連絡くるときは金の無心だから
正社員になりたい未来が怖いから 学が無いなりに現場とかで体使って働けたら良いけど、未だに気管が弱くあまり動けないためパソコンカタカタ系しかできない 男のくせに情けない
転職活動したけど、やっぱり学歴が引っかかる だからとりあえず高卒認定を取った
恥ずかしながら3度目でようやく全ての科目に合格した
今まで勉強したことなかったから新鮮だった 受かって正直めちゃくちゃ嬉しい自分でもできるんだ、って
でもまだまだやることがある
とりあえずお金が無い
いまのところ、学歴を手に入れたら転職、くるまがない時は自転車とかで頑張ろうとしてるけど道のりが長すぎて
普通の人なら当たり前のことが できなくて わからなくて悔しい 悲しい
https://koken-publication.com/archives/3804
これね。
気になったところを引用しながら。
氷河期世代は社会的にもインパクトが強かったので、私もこの世代が最も厳しい状況にあるのだろうと漠然と思い込んでいたところがありました。こうしてデータをあらためて見ると、とても「改善した」と言える状況ではありませんね。
理由は分析されているけど、この「氷河期世代」が、バブルを知ってる最後の世代ら、前世代がどうだったか知ってて、かろうじて現状を認識できたからじゃないかな。
それより後の世代はいわゆる「さとり世代」で、もうこんなもんだとしか思ってないと思う。諦めているというか。それが良いかどうかはわからんが。
ショックが大きかったのは、むしろ非大卒のほうだったのかなという気がします。(中略)高校卒──統計上では専門学校卒も含めています──は、今でも非正規雇用の割合が高いままで、もうずっと改善していません。
これはずっと前から思ってた。
統計の話に自分語りで恐縮だけど、俺は氷河期後期の地方底辺普通科高校出だが、先生が求人をかき集めても就職できる状況になく。金ある奴は進学させ就職希望者を減らす動きがあって、俺もそれに乗り二年制の専門に進学した。そこでは「大学卒業したが就職できず入った」とか「既に非正規でさらに職を失って」と言うような人が半数ぐらいになってた。
就職率100%を掲げていたので卒業で就職決まるだろうって考えだと思うが、実態は、就職先に派遣や非正規が多く含まれてたがカウントに入れ、さらに二社以上から内定を得る人を二重カウントとかで100%といっていた。
俺は基本情報まで取得して、なんとか地元の製造業に生産システムの奴隷として就職することができたが、そんな風に就職できた人はまれ。
今も連絡取れる連中でも、その後も職を転々としている人は多いし、でなくてもボーナスも定期昇給ない仕事に就いている人がほとんど。俺も最初に就職した会社はそうだった。そこから転職市場なんて大卒でなければエントリーもできない。可視化されてないのだと思う。
ただ、何故かここらに全然注目が集まらないんだよな。政治に積極参加するような人たちしか相手にされないからだろうとは思うんだが。
一方で、はてブでもそうだけど全く逆の言説、地方の低学歴の方が就職して結婚して幸せに暮らしている、みたいな統計にも実感にも反する話が言われたりするのが不思議だった。
20代で初めて出産していたのが30代へシフトしていった流れがあります。30代で産むのが一般的な時代になっていたところに、30代の雇用が若干回復したことが出世率の増加に寄与している可能性
統計はそうとしか読めないので「たし🦀」なんだが、どうも実感は「雇用が若干回復した」って感じがないんだよな…。たぶん俺がいる社会階層の問題だと思うが。元々希望条件を下げる事でワーキングプアでも職はある人が多からかな。それで30代で仕事を任されるようになっても、結局は残業で稼ぐだけな所があって。主任/班長に上がって手当5000円付くようになったけどそれがなにか?みたいな。
社会学の世界では、少子化の最大の原因とされてきたのは女性の高学歴化でした。女性が徐々に高学歴化していった結果、まずは結婚するタイミングが遅れます。スタートが遅くなれば、出産に至る時期も遅れるので結果的に子どもの数も減りやすいというわけです。
もう一つの原因は、ミスマッチです。女性の高学歴化は進みましたが、男性は同じようには高学歴化していきません。女性は基本的には同類婚か上昇婚をめざすので、求めるパートナーが見つかりにくいというミスマッチが生じてしまう。これは比較的厳密に立証されています。
これは完全にそうなんだけど、タブー視されてるよな。このサイトは学術的文脈を理解できる人しか覗かない、理解できる人しか読む気が起きない体裁をあえて取ってる風があって書いてあるけど、こういった場以外ではもうまったくくこれ。不都合な事実。
だけどこれは本来次の話
一つ強調しておきたいのは、氷河期世代の出生率を同じ世代内で見ると、経済的に安定しているほうが高くなるという偏りがあることです。かつては学歴の低い女性のほうが産む子どもの数は多かったのですが、それが逆転したのが70年代後半生まれぐらいからです。この世代は、学歴が高い女性のほうが出生率は高いという新しい傾向が見られます(中略)
二人とも大企業で共働きしているモデルが出生率は高い。この二つのパターンでは割と子どもをつくるけど、それ以外のケースでは子どもを持つことが難しくなっている傾向があった
とセットで真っ正面から議論するべきだと思うんだよな。これは大企業並みにしろとかそういうことじゃなくて、そう言う現状認識をみんなで共有した方がいいと思うんだよ。
2000年前半の苦しい時期に何らかの対処が可能だったのかどうかという点について少し考えてみたいと思います。(中略)
政治でどうにかできる余地があったのかと言えば、かなり疑問ですね。結局、問題の背景にはバブルの崩壊による不景気があります。それを政治の力で防ぐことができたのかと言われると、不可避だった
お二人とも政府の審議会などで活動されてるら言えないんだろうなと思った。少なくとも以下のことが失策として言われるのは、学問的にもコンセンサスがあるよな。
新政策を飲んでもらう時には、責任を取らされるキーマン達に「過去はどうしようもなかったよね」って責任追及しない、否定をしない事は重要だとは思う。そんで、この対談はそこを目指してないんだろうと思ったけど、ここは流石に突っ込まざるを得なかった。
お金を配っても子どもが増えないことは明らかで、「効果がないというエビデンスがある」と言ってもいいレベルですね。
筒井 あったとしても効果量があまりに小さ過ぎて、効率がひどく悪い。雇用や出生率は、政策介入の効果が極めて限定的です。例えば、安定した雇用環境にあることは、出生率の上昇にかなりのプラス効果があります。当たり前のようですが、これは説明力がありますよね。けれども、雇用は政策介入でどうこうできるものではありません。「来年は正規雇用を20%増やす」のような政策を打てるわけではない。
これは専門家にはもう常識だと思うんだけど、この間の選挙を見てもお金を配って子どもを増やしましょう、と言う政策ばかり言われる…。これも不都合な真実の一つだと思う。
ただ、雇用は政治介入でどうこうできるものではない、などは,この人達の限界だろうなとも思う。お立場あるとは思うんだけど、もうちょっとそこをオープンに議論していくべきじゃないかと思うんだよな。
これは学者が悪いんじゃなくて、政治家や行政がこう言う先生を使いやいから求めているような所があって、それに影響を受けてしまっているんだと思うんだけどね。
出生率の研究をしていると、政策介入の効果はゼロに近いものばかりですから、論文を読めば読むほど論じたくなくなるんですよね(笑)(中略)
専門家が魔法の解決策を持っているわけではないありませんからね。「教えて欲しい」と言われても答えようがない
社会学の限界がたぶんこれなんだよな。現状の延長線上でしか社会を見られないのだと思う。多くの場合はそれで正しいんだけど、現状の延長線上に無い場合は予測ができない。
別に学者を批判するわけではないんだけど、歴史学者に聞けばまた違った見解が出てくると思うんよ。
私は撤退戦と言っています。本来、政治家は高齢化や少子化を前提とした社会保障をいかに再構築すべきかとか、自治体への悪影響をどう緩和していくのかといった撤退戦略こそを語るべきです。けれども、政治家はそういう話をしたがらない
これはそうで、実務的にはそう言う動きになりつつあって。この二人の先生があちこちで講演会をしたり、委員会などで重用されているのも、こうするしかないと考えている人たちが先生達を「使って」雰囲気を醸成しているんだと思う。
ただ、現実問題として、経済の仕組みは成長し続ける事でしか維持する事ができない…と言う以前に、人間はわずかでも、ほんのちょっとでも、今日は昨日よりよくなる、明日は今日よりもよくなる、と思えないとすごいストレスがかかるようにできている。精神疾患が出ちゃう。
なので、成長戦略という話をしつつ、裏で手当をしていくという今の現実路線はわりとバランスがとれてるんじゃないかと。
政治家のそうした思惑は無視して、行政で確実にやっていくしかない気がしています
これなんだと思う。政治家は無視しろと言う言い方になっているけど、政治家にもちゃんとインプットしてそこを政争にしてはだめだと理解してもらう必要があるんじゃないかと。
政治家は票で動くので、政治問題は言及しなければいけなくなる。だから政争かを予防する。
裏側なんてのは地方行政レベルしか見えてないけれど、議論の俎上に載せたら「無駄遣いだ」 「不公平だ」という声にしかなり得ないような話を、根回しして議会を通すみたいなのは見る。
こういうとき議員を無視するのは最悪で、半端に取り上げられると誰も得しない結果になる。だからちゃんと議会に乗せるんだけど、政争にはならないように必要性をインプットしておくことが必要になる。
最近ではあまり人気もありませんが、ジョブ型雇用──職務内容とスキル、経験を限定して従業員を採用する雇用形態──を普及させるべきという考え方も一部ではあります。厚労省は「骨太の方針」のなかで少子化対策として、「同一労働、同一賃金」と書いています。(中略)ただ私自身は、若年者の失業率が激増することになるので、少子化対策としてはまったく支持していません
これはそう。だからジョブ型雇用が主流になることはないんじゃって思っている。情報通信系をみるとジョブ型雇用が当たり前になっているような話をよく見るけど、全然そんなことないし。
むしろ、人手不足になった今だと、人材確保が難しい業態の企業であればあるほど、どんどん「学歴・経歴不問」 「入ってくれたら育てます」 「定年以下ならOK」」(ただし低賃金)みたいな求人ばかりになりつつあって、ジョブ型とは逆行していると見てる。
ただ、途中に出てくる「同一賃金同一労働」はジョブ型を想定していたのでは、と言う読みは外していると思う。非正規雇用でも賃金は正規雇用並みに出るように、と言うそのまんまの意味かなと。
氷河期と括られている世代の中には、社会的に成功している人たちも当然たくさんいます。その人たちは所得階層で言ったら客観的に見たら決して低くはないのですが、すごく被害者意識が強い人たちが一部にはいます。(中略)
声が大きい人たちは、本人が苦しいわけではないことが多いのですよね。客観的に見たら決して厳しい状況にあるわけでもないのに、自分たちは上の世代に比べて恵まれていないと強く感じていたりする。(中略)社会保障制度の改革に、強いブレーキを掛けるような動きに発展しかねないところがある。そこは少し怖いこと(中略)
いま手取りを増やす改革を進めるべきだという議論が盛んになっていますが、近藤先生がご指摘された層には増税や社会保障の負担増を絶対に許容しない傾向がありますね
「手取りを増やす」というのは国民民主党の看板政策で、この対談の中で唯一といっていい直接的な批判だなと。でもこの部分、本当に国民民主党の性質をよく言い当てているんだよな。
国民民主って、立憲民主党が成立、再編されるとき、原発政策の対立から、立憲に合流することができない労働組合の組織内候補の受け皿としてできた所があるんだけど。その経緯から、国民民主党の候補者を支援する労働組合はこんな感じ。
ただでさえ組織率が落ちて中小企業の労働組合がなくなっている中でも、特に中小企業率が低い人たちなんだよね。
俺の立場を明らかすると、俺はこれら労働組合がある企業の下請けで働いてる。で、ここの人たちが「手取りを増やそう」といっても、お前らがそれを言うの?って思っちゃって白い目で見てる。お前らベア1万円以上でてるじゃん、って。
俺は定期昇給なんかなくてさ。求人集まらないから募集賃金を上げる、に連動してでしか給与が上がらない環境にいるんだよ。
手取りを増やすとか言うなら、そのベア分の金を下請けにも流しちゃくれませんかね、って思えてしまう。
理性では、そんなに簡単な問題じゃないって分かってなるだけど、そう言う連中が、社会保障を減らして手取りを増やせと言っているのはあまりにも利己的すぎるだろ、お前ら別に困ってないだろ、って思っちゃうんだよね。
たぶん、そう言う人も結構いて、そう言う人は参政党にいったんじゃねーかなって思っている。
対談もその後
社会投資的な支援策が表に載っていたとしても、困窮者の実態に踏み込んだ社会保障もパッケージとして政策に盛り込まれていればいいのですけどね。実際は、踏み込むべきところにブレーキがかかっている気がします。
って続くんだけど、まさにこれだよなって。社会を不安定にしていくのはよくない。
最後まで読み切って思ったのは、よく言えば「過去の統計をみつめ、その延長線上にある未来をきちんと紡いでいこうとする人たちの対談」であり、悪く言えば「行政の人たちが自分たちの政策を肯定してくれる御用学者が対談して、新しい政治の流れを牽制してる」って事なのかなと。
私見を述べている部分はともかく、統計認識の部分は王道的な話が網羅されているのでそこを基礎にしないといけないと思いました。辛いけど。
一方で、この対談をしている人はやっぱり「専門馬鹿」で、国内だけではなく国際競争が必要な点、地政学的なリスク、安全保障、民主主義のがもたらす「革命」など、ゲームチェンジを想定してないとか、視野が狭いと思うので、あんまり鵜呑みにするのも違うなーと思いました。
誤字、体裁、固有名詞の間違いだけ直しました。読んでくれてありが㌧
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社会人として働いて年数が浅い。
ほかの増田投稿者みたいにシャープな文章は書けないが、大学生だった頃のことを振り返りたい。
その時は都内の大学に通っていた。二年生の春で、家庭教師に挑戦してみた。それまでは塾で教えていて、正直下働きに近かった。教師と言うよりはアシスタント的な。裁量などもちろんなく。正規雇用の塾講師のロボットと言って差し支えない。
自分は教育学部をめざしていたので、是非とも自分の指導力というやつで、子どもに教える経験を積んでみたかった。
家庭教師の職は、大学を通じて探すことにした。とにかく安全重視で。人生で初めて受け持つ子は、意外にもすぐ決まった。
私は文京区にある大学に通っていて、謎の信頼があったんだろうか……男の子しか受け持てないと思ったら、普通に女の子を教えることになった。
当時は、中三の受験生。高校の本試験はずっと先だが、この業界に遅いとかはない。
おとなしい子だった。親御さんの話によると、学校では喋らない子らしい。
実際、最初の面接?の時にお家のダイニングで三者で話してみたけど、そういう雰囲気だった。自分に心を開いてくれる気配はあったので、受け持つことに決めた。
実際、すごく真面目で、いろんなことをきちんとやる子だった。ただいかんせん、要領が悪くて、先生とコミュニケーションが取れなくて成績が悪かった。
自宅の近くにある都立の名門公立校をめざしていたが、偏差値でいうと50を切るくらい。絶望的である。
その子の志望校は、かくいう私の出身校と同じだった。だから、親御さんが履歴書を読んだうえで、男である自分でも、大事な娘さんの面倒を見させることにしたんじゃないかと。
春から夏にかけて、彼女は持ち前の真面目さで成績がメキメキ上がった。
中間テストだったかな。中学校三年の一学期の。やる気が漲りつつあった彼女は、自分で野心的な目標を立てた。中間テストで【数学100点】取るんだってさ。
私が思う限り、普段のその子からしたら意外なことだった。本当に自信がなさげに過ごす子だったので。まさかそんな、100点をめざすだなんて……
私は当時、その子が公立校志望ということで、五教科を総合的に上げることを目標に指導していた。
100点を目標にするのは非効率だと考えた。冷静に考えてみて、100点を取る努力というのは、80点を取る努力の軽く2倍以上はかかる。それなら、5教科で80点を揃えるところから始めるべきだろうって。
それに内申点もある。都内の一流公立校だと、入試では大体みんな満点近く(※業界的には平均90オーバーらしい)を取ってくる。となると、内申点で引き離されると手も足も出ない。
※都立高の評価比率は7:3で、特殊事情があると±加点の裁量が加わる方式
あの子に、そういう話はした。「100点を取りに行く必要はない」って。竹早高等学校に入りたいなら……と何度も説得したが、彼女の意思は硬かった。どうしても大好きな数学で満点を取りたいらしい。
でも私は、この子が初めて会った頃と比べてやる気になってるのを見て、できるんじゃないかなと思った。それで見守ることにした。【数学100点】、それいいじゃん!って。
私自身の都合もあった。私の大学には進学選択という制度があって、その時期にはラストスパートをかけて希望学科に行くために学力を上げないといけなかった。数学主体の方が楽だった。いや、ほかの教科も当然がんばって教えたけどさ……。
実際あの子は、テスト前の一ヶ月間は、ものすごく勉強していた。こっちがもたないくらいに。圧倒的な質問量だったな。特に数学は。
私が出した宿題と、学校の課題と、さらに過去課題の解き直し。徹底していた。素晴らしい努力量だった。
そして彼女は……数学で100点を取った。他の教科の点数も伸ばしつつ。偏差値は60台前半であり、その後半も視野に入っていた。
自信が付いたその子は、期末テストでも【数学100点】を取ると言って張り切ってた。結果は確か、期末の数学テストでは1問だけ間違えたんだっけ? 答案は今でも思い出せる。たったひとつの計算ミスだった。
素晴らしい成績だった。彼女の点数もさることながら、きちんと目標を掲げて、現実的にできる最大限の努力をしていた。私も、保護者のお母さんも、そして本人すらも!? 数学では一学期の通知表で「5」が付くものだと思っていた。
でも、1学期の通知表は「4」だった。
怒りに震えた。これはどういうことだって。あまりに理不尽であり、「学校に抗議した方がいい」って、お母さんに訴えたほどだ。
お母さんが学校に聞いたところだと、減点の理由というのが、数学への「興味・関心・意欲」の項目だった。授業中の発言量が少なかったらしい。
その子は真面目な子で、提出物も完璧に出していた。「5」をつけることだって出来たはずだ。でも、その数学教師は……「4」を付けた。100点と98点を取ったのに。
彼女は内気だった。自分の努力をひけらかすことはしない子だ。先生への意欲アピールは少なかっただろう。
でも。それは努力をしてないということじゃない。100点を取れる子が数学に関心がない、なんてことがあるか?
彼女の中の数学への自信が、努力への信仰みたいなものが崩れていく音が聞こえた。いや、本当に聞こえたんだ。その子と、お母さんと一緒にダイニングに居て、その子が残念そうに話をしている時に。
本当に無念そうだった。いつも自信がなさそうだったけど、この日の彼女は特に辛そうだった。
数学での自信が、彼女の殻を破るきっかけになると踏んでいた。叶わなかった。
その子は結局、高校の進学先を決める時……自分の実力の遥か下の学校を選んで進学していった。
がいいってずっと言ってたのに。偏差値60超えても入学できるかって言ったら怪しいけどさ。でも、彼女なら可能性はあったよ。
竹早高校がいい学校かと言われたら、卒業生の一人としては礼賛できない点もあるよ。
伝統校だから、制服検査とか生活指導が厳しいし、生徒同士が成績とか家柄でマウントを取り合ってることもある。ハブられたりとか、いじめられて鬱とか、登校拒否になるヤツだっていた。途中で辞めた友達だって何人もいる。
でも、いい学校だと思ってる。伝統校としての地力があるのだ。生徒の可能性を花開かせる環境がシッカリ整っている。
彼女には、そういう学問・教養・学びの楽しさを味わえる学校に進んでほしかった。
その思いは、ずっと悔恨として残っている。もし、あの時……まんべんなく80点を取る作戦で説得できていたらなぁ……と、学校教師じゃなくて、不動産会社に進んだ今では思う。※一応、教育学部には進みました
今の会社では、ビルマネジメントという専門職種の道を歩んでいる。
ありていに言うと、施設の総合管理の仕事である。その業務では、顧客を説得しないといけない場面がたくさんある。契約業務が多いし、ビル建替計画の進捗も管理しないといけない。大卒がやるとは思えないほどの雑多な業務がある。泥臭いのだ。人間関係の構築について学ぶことが多かった。特に、自分とは属性が全然違う人達との関係構築方法を。
大学生のうちから、もっとそういう人間関係を作る力を鍛えておけばよかった。そうすれば、組織内部の力関係の把握とか、キーマンの説得とか、外部折衝とかもっとこなせたんじゃないかと。
そして、何より……あの子を、もっとスマートに説得できたんじゃないか?大学卒業して五年近くは経ったけど、私は今でもあの子のことが心配だ。
あの学校の先生にとっては、成績は単なる数字だったのかもしれない。「4」でも「5」でも大差ないって。
でもな、違うんだよ。ああいう子にとっては。
「頑張っても正当に評価されない」って、彼女はその「4」の数字から学んでしまった。
だから、勉強を頑張る学校に行こうとしなかった。はるか下のランクの学校を選んだ。
あの事件があってからも、何度も竹早高校を勧めたよ。いい学校だよって。
でも、あの子はさ。進学校を勧める私に対して拒否反応が凄かった。普段は、その子は素直に何でも言うことを聞いてくれた。教科の学習はもちろんのこと、私がわかりにくい冗談を言ったり、たまに無茶振りすることがあっても聞いてくれた。
お母さんが家に居ない時は、たまに料理を作ってくれたし、時間が余ったら一緒に犬の散歩に行ったし、2回だけだけど、一緒にゲームをした。「ちょっとだけだよ」って。ちなみにグノーシアをプレイした。
案の定、論理的思考が好きなあの子はドハマりしていた。好きなキャラはラキオのようだった。必然といえる。あの子らしかった。
でも、あの子はさ。進学先、そこだけは絶対に譲らなかった。あの数学の評価のことがトラウマになっていた。もう頑張りたくないって。深く傷ついたに違いない。私だって、あの時は傷ついた。
当時の、文京区内にある公立中学校に勤めていた、あの数学の先生に言いたいんだけどさ。
この罪は、重いよ。あなたは、一人の生徒から自信を奪ったうえで、社会に対しての不信を植え付けたんだ。
その後の彼女の人生には影響があったよ。絶対に。あの教師は責任が取れるんだろうか。取れるはずがないよな。そもそも取らなくていいんだから。
私はあの後、教育学部に進んで教員免許は一応取った。けど、このことが脳裏に何度も去来して、結局学校の先生にはならなかった。なりたいとは思えなかった。あんな連中と一緒に働くのは嫌だ。
教育を志した一人の人間として、私はあの数学教師は許すことはできない。
でも、これだけは忘れないでほしい。子どもって、大人にとってはちょっとしたことで傷つくんだよって、一生の傷になるんだよってさ。
トレード歴は25年くらい。リーマンのときクロス円で大勝ちしてからはメイン資産を振り分けて、低レバスイングか短期にしてもアビトラとかで比較的リスクの低い回し方にシフトしてる。
総資産はキャッシュの他は株と債券と外貨と仮想通貨で評価額は日本円で2億ちょっと。投資で稼いだ金は税金分以外は日本円以外に替えてる。
一応正規雇用だけど本業の年収は400万ちょうどくらいで生活費に充てたら無くなっちゃう。
で、本題?だけど、いまどこを見ても選挙選挙選挙で鬱陶しいじゃん?
でも俺は一度も行ったことない。だって結局どこの政党が政権取ったって俺のことは助けてくれねーわけ。そうでしょ?50手前で本業年収400万の独身男を救ってくれる政党ある?自民はダメだったけど、参政だろうが共産だろうが、「この政党が政権取ったからボクは救われたんです!」ってなる未来がまったく見えないもん。
トレードしてなかったらって思うとゾッとするんだ。本当にトレード初めて、運でも勝てて良かったわ。
会社と自宅の往復だし、自宅にいる間はチャート眺めてるかゲームやってるかだし、はっきり言って日本がどうなろうとどうでもいいんだよな。実際周りのトレーダーもみんなそんな感じ。最悪日本脱出すれば良いって言ってるし、既に脱出した奴もちらほらいる。
日本における性別間の賃金格差の主な原因と有効な対策について説明いたします。
日本の男女間賃金格差は2021年時点で22.1%となっており、OECD平均の約12%を大幅に上回っています。OECDの2022年データによると、日本は38のOECD加盟国中で4番目に低い水準となっています。
##格差が生じる主な原因
### 1.雇用形態の違い
2022年の調査では、非正規雇用の割合が男性で22.1%、女性で53.2%となっており、正規雇用と非正規雇用の間に大きな賃金格差が存在することが主要因の一つとなっています。
正規従業員における男女間賃金格差の主要な原因は、女性管理職の不足です。日本の女性管理職の割合は15%と低水準にとどまっています。
キャリア機会における男女平等の欠如と長時間労働が、男女間の賃金格差を永続化させています。
### 1. 透明性の向上
日本では企業に対してウェブサイトや有価証券報告書での賃金格差開示を義務化する新たな政策が導入されました。これにより企業の透明性が向上し、格差解消への圧力が高まることが期待されています。
一部の進展はあるものの、説明のつかない格差が依然として存在しており、意識改革と積極的な政策変更が必要です。
他の先進国では、ワークライフバランスと差別禁止政策の両面から包括的に賃金格差に取り組んでいます。日本においても、単一の解決策ではなく、雇用制度、育児支援、企業文化の変革を含む多面的な対策が必要です。
##結論
日本の性別間賃金格差は構造的な問題であり、非正規雇用の比率格差、管理職への女性登用不足、伝統的な労働慣行が主要な原因となっています。透明性の向上、制度改革、包括的な政策アプローチを通じて、段階的な改善が期待されます。
「子供もろくに産まないし 」って、どっかのカルト政党みたいなこと言うじゃん。
子供って女性だけでは生まれないの知ってた?たいていは男性と女性双方の合意の上で子供は作られるんだよ??
マッチングアプリの台頭により、世の男性のスペックはすべて定量化され、外見からは判断できない要素でさえ(自己申告ではあるが)、すべて開示され、審査されてしまう。
男性たちは身長や年収、その他定量的要素による足切りを受け、配られた(フィルターを通過した)選択肢の中でパートナーを探す。
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さて、俗に「婚活女子」と呼ばれる人々は高望みと言われている。
それは、世間一般の「平均的」とされる男性のスペックを上回る要素を結婚できる「最低条件」としている(orとされている)からだ。
しかし、この「高望み」判定に対して定量的に切り込んでいる人は少ない。
果たして、現代の結婚適齢期男性のどこからが「高望み」なのか、定量的に測定したい。
注意:一番下に下ネタありです。苦手な方は控えてください。
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■偏差値について
偏差値とは、ある集団における位置を定量的に示したものである。
簡単に言えば、日本人男性の身長における偏差値50は171.5cmであり、これは、日本人男性が100人いる場合の50番目の身長にほぼ等しい。
ただし、これは遺伝的に要素の強い身長が正規分布で表現可能であるが故、中央値と平均値にほぼ乖離がないことから成り立つ理屈であって、
年収や資産等の指標においてはこの限りではないが、それは後で補足する。
■結論(編集:読んでいて長いので結論先に書く。最後にも書いています)
一般的に、東京都在住30代前半結婚適齢期男性で、すべてが偏差値60の男性(高望みの下限)をプロファイルすると以下のようになる。
年齢:30代前半
年収:749万円
★:15.4cm
■身長
以下は20~40代の男性の身長を偏差値40から70まであらわした表である(2019年:国民健康・栄養調査 )。
この表を見ると、婚活女性に忌避される身長「170cm」以下は偏差値47以下である。
一方、理想的な身長のベースラインとされている175cm以上の「175cm」は偏差値56である。
統計的に、正規分布における偏差値60以上(偏差値40以下)は明らかに平均から乖離した値とみなされるので、
ここでは身長177.3cm以上を「ハイスペック」」と定義する。
また、統計的に言えば身長175cm以上を求める婚活女子は「平均的な範囲」をベースラインとしていることから、
そこまで高望みではないことがうかがえる。
| 偏差値 | 身長 (cm) | 累積割合 (%) |
| ---- | ------- | -------- |
| 40.0 | 165.76 | 15.87% |--これ以下は「チー牛」?
| 40.5 | 166.05 | 17.11% |
| 41.0 | 166.34 | 18.41% |
| 41.5 | 166.63 | 19.77% |
| 42.0 | 166.92 | 21.19% |
| 42.5 | 167.21 | 22.66% |
| 43.0 | 167.50 | 24.20% |
| 43.5 | 167.79 | 25.78% |
| 44.0 | 168.08 | 27.42% |
| 44.5 | 168.37 | 29.11% |
| 45.0 | 168.66 | 30.85% |
| 45.5 | 168.95 | 32.63% |
| 46.0 | 169.24 | 34.46% |
| 46.5 | 169.53 | 36.32% |
| 47.0 | 169.82 | 38.22% |
| 47.5 | 170.11 | 40.14% |
| 48.0 | 170.40 | 42.08% |
| 48.5 | 170.69 | 44.04% |
| 49.0 | 170.98 | 46.02% |
| 49.5 | 171.27 | 48.00% |
| 50.0 | 171.53 | 50.00% |
| 50.5 | 171.82 | 52.00% |
| 51.0 | 172.11 | 53.98% |
| 51.5 | 172.40 | 55.96% |
| 52.0 | 172.69 | 57.92% |
| 52.5 | 172.98 | 59.86% |
| 53.0 | 173.27 | 61.78% |
| 53.5 | 173.56 | 63.68% |
| 54.0 | 173.85 | 65.54% |
| 54.5 | 174.14 | 67.37% |
| 55.0 | 174.43 | 69.15% |
| 55.5 | 174.72 | 70.89% |
| 56.0 |175.01 | 72.58% |--婚活女子の理想的な身長の下限
| 56.5 | 175.30 | 74.22% |
| 57.0 | 175.59 | 75.80% |
| 57.5 | 175.88 | 77.34% |
| 58.0 | 176.17 | 78.81% |
| 58.5 | 176.46 | 80.23% |
| 59.0 | 176.75 | 81.59% |
| 59.5 | 177.04 | 82.89% |
| 60.0 |177.33 | 84.13% |--日本人男性において高身長と定義できるボーダー
| 60.5 | 177.62 | 85.30% |
| 61.0 | 177.91 | 86.42% |
| 61.5 |178.20 | 87.46% |--攻守最強とされる178cmライン
| 62.0 | 178.49 | 88.45% |
| 62.5 | 178.78 | 89.38% |
| 63.0 | 179.07 | 90.24% |
| 63.5 | 179.36 | 91.03% |
| 64.0 | 179.65 | 91.76% |
| 64.5 | 179.94 | 92.43% |
| 65.0 | 180.23 | 93.01% |--みんな大好き180cm
| 65.5 | 180.52 | 93.54% |
| 66.0 | 180.81 | 93.99% |
| 66.5 | 181.10 | 94.38% |
| 67.0 | 181.39 | 94.80% |
| 67.5 | 181.68 | 95.21% |
| 68.0 | 181.97 | 95.60% |
| 68.5 | 182.26 | 95.97% |
| 69.0 | 182.55 | 96.30% |
| 69.5 | 182.84 | 96.61% |
| 70.0 | 183.13 | 96.89% |
■年収
現代婚活女子の基準では一般的に年収500万円(首都圏では600万円)がボーダーラインとされている男性の年収。
年収は身長とは異なり、正規分布で表現できない指標であるため、最上位から最下位までのランキングの中で偏差値を決める。
増田の読者の多くは首都圏在住者も多いことを加味し、東京都の男性平均初婚年齢である32歳を基準に、
の年収を以下に偏差値化する(令和5年;東京都労働局統計/厚生労働省賃金構造基本統計)。
この条件からわかるとおり、無職者や脱税している人、申告の必要ない所得は含まれない。
結論から言えば、東京都の30代前半の男性に限って言えば、多くの婚活女性が望む「年収600万円」は偏差値50である。
正規雇用の年間所得に限定しているとはいえ、身長の条件を考えると控えめであるといえる。
なお、統計的に明らかに平均より高い下限値は年収750万円となり、これは東証プライム上場企業社員(年齢縛りなし)の平均年約735.7万円(2023年度)に近似する。
| 偏差値 | 年収(万円) | 累積割合(%) |
| :--: | :----: | :-----: |
| 40.0 | 460.8 | 15.87 |
| 40.5 | 468.0 | 17.11 |
| 41.0 | 475.2 | 18.41 |
| 41.5 | 482.4 | 19.77 |
| 42.0 | 489.6 | 21.19 |
| 42.5 | 496.8 | 22.66 |
| 43.0 | 504.0 |24.20 |--全国平均的に婚活女子が望むベースライン
| 43.5 | 511.2 | 25.78 |
| 44.0 | 518.4 | 27.42 |
| 44.5 | 525.6 | 29.11 |
| 45.0 | 532.8 | 30.85 |
| 45.5 | 540.0 | 32.63 |
| 46.0 | 547.2 | 34.46 |
| 46.5 | 554.4 | 36.32 |
| 47.0 | 561.6 | 38.22 |
| 47.5 | 568.8 | 40.14 |
| 48.0 | 576.0 | 42.08 |
| 48.5 | 583.2 | 44.04 |
| 49.0 | 590.4 | 46.02 |
| 49.5 | 597.6 | 48.00 |
| 50.0 | 604.8 | 50.00 |-首都圏の婚活女子が望むベースライン &東京都30代前半男性の平均年収
| 50.5 | 612.0 | 52.00 |
| 51.0 | 619.2 | 53.98 |
| 51.5 | 626.4 | 55.96 |
| 52.0 | 633.6 | 57.92 |
| 52.5 | 640.8 | 59.86 |
| 53.0 | 648.0 | 61.78 |
| 53.5 | 655.2 | 63.68 |
| 54.0 | 662.4 | 65.54 |
| 54.5 | 669.6 | 67.37 |
| 55.0 | 676.8 | 69.15 |
| 55.5 | 684.0 | 70.89 |
| 56.0 | 691.2 | 72.58 |--偏差値的には身長175cm以上とほぼ同じ
| 56.5 | 698.4 | 74.22 |
| 57.0 | 705.6 | 75.80 |
| 57.5 | 712.8 | 77.34 |
| 58.0 | 720.0 | 78.81 |
| 58.5 | 727.2 | 80.23 |
| 59.0 | 734.4 | 81.59 |
| 59.5 | 741.6 | 82.89 |
| 60.0 | 748.8 | 84.13 |--東京都在住の30代前半男性において高年収と定義できるボーダー
| 60.5 | 756.0 | 85.30 |
| 61.0 | 763.2 | 86.42 |
| 61.5 | 770.4 | 87.46 |
| 62.0 | 777.6 | 88.45 |
| 62.5 | 784.8 | 89.38 |
| 63.0 | 792.0 | 90.24 |
| 63.5 | 799.2 | 91.03 |
| 64.0 | 806.4 | 91.76 |--日本人「給与所得者」の上位10%以内
| 64.5 | 813.6 | 92.43 |
| 65.0 | 820.8 | 93.01 |
| 65.5 | 828.0 | 93.54 |
| 66.0 | 835.2 | 93.99 |
| 66.5 | 842.4 | 94.38 |
| 67.0 | 849.6 | 94.80 |
| 67.5 | 856.8 | 95.21 |
| 68.0 | 864.0 | 95.60 |
| 68.5 | 871.2 | 95.97 |
| 69.0 | 878.4 | 96.30 |
| 69.5 | 885.6 | 96.61 |
| 70.0 | 892.8 | 96.89 |--上位1%
■学歴
個人的には定量化する価値のない指標である気がするが、https://odonashi.hatenablog.com/entry/2017/08/14/164559 に詳しい。
結論から言えば、高卒者以下を含めたとき、March学部卒以上の学歴は同年代の上位12%程度とのこと。
■Appendix(下ネタ注意)
以下は男性なら多くの人が気にする男性器のサイズを偏差値化してみた。
興奮時の平均サイズコンドームで有名なオカモト社の何十万人にも及ぶ優位統計結果である13.56cmを参考に13.6cmとし、
| 偏差値 | 値(X) | 累積割合(%) |
| ---- | ----- | ------- |
| 40.0 |11.70 | 15.87 |--ここから下は明らかに「粗末」とされるライン
| 40.5 | 11.80 | 17.11 |
| 41.0 | 11.89 | 18.41 |
| 41.5 | 11.98 | 19.77 |
| 42.0 | 12.07 | 21.19 |
| 42.5 | 12.17 | 22.66 |
| 43.0 | 12.26 | 24.20 |
| 43.5 | 12.35 | 25.78 |
| 44.0 | 12.44 | 27.42 |
| 44.5 | 12.54 | 29.11 |
| 45.0 | 12.63 | 30.85 |
| 45.5 | 12.72 | 32.63 |
| 46.0 | 12.81 | 34.46 |
| 46.5 | 12.91 | 36.32 |
| 47.0 | 13.00 | 38.22 |
| 47.5 | 13.09 | 40.14 |
| 48.0 | 13.18 | 42.08 |
| 48.5 | 13.28 | 44.04 |
| 49.0 | 13.37 | 46.02 |
| 49.5 | 13.46 | 48.00 |
| 50.0 | 13.60 | 50.00 |--日本人男性の100人中50番目
| 50.5 | 13.69 | 52.00 |
| 51.0 | 13.78 | 53.98 |
| 51.5 | 13.87 | 55.96 |
| 52.0 | 13.97 | 57.92 |
| 52.5 | 14.06 | 59.86 |
| 53.0 | 14.15 | 61.78 |
| 53.5 | 14.24 | 63.68 |
| 54.0 | 14.34 | 65.54 |
| 54.5 | 14.43 | 67.37 |
| 55.0 | 14.52 | 69.15 |
| 55.5 | 14.61 | 70.89 |
| 56.0 | 14.71 | 72.58 |--身長175cmに対応するライン
| 56.5 | 14.80 | 74.22 |
| 57.0 | 14.89 | 75.80 |
| 57.5 | 14.98 | 77.34 |
| 58.0 | 15.08 | 78.81 |
| 58.5 | 15.17 | 80.23 |
| 59.0 | 15.26 | 81.59 |
| 59.5 | 15.35 | 82.89 |
| 60.0 | 15.44 | 84.13 |--平均より明らかに大きいとされる下限サイズ・東京都の30代前返男性における年収750万円
| 60.5 | 15.54 | 85.30 |
| 61.0 | 15.63 | 86.42 |
| 61.5 | 15.72 | 87.46 |--身長178cmに対応するライン
| 62.0 | 15.81 | 88.45 |
| 62.5 | 15.91 | 89.38 |
| 63.0 | 16.00 | 90.24 |
| 63.5 | 16.09 | 91.03 |--Fカップ以上の女性の割合(上位8%強)
| 64.0 | 16.18 | 91.76 |
| 64.5 | 16.28 | 92.43 |
| 65.0 | 16.37 | 93.01 |--身長180cmに対応するライン
| 65.5 | 16.46 | 93.54 |
| 66.0 | 16.55 | 93.99 |
| 66.5 | 16.65 | 94.38 |
| 67.0 | 16.74 | 94.80 |
| 67.5 | 16.83 | 95.21 |
| 68.0 | 16.92 | 95.60 |
| 68.5 | 17.02 | 95.97 |
| 69.0 | 17.11 | 96.30 |
| 69.5 | 17.20 | 96.61 |
| 70.0 |17.29 | 96.89 |--上位1%くらい
■まとめ
いかがだっただろうか。
もうここまで書いて面倒になってしまったのだが、
東京都在住30代前半結婚適齢期男性で、すべてが偏差値60の男性をプロファイルすると以下のようになる。
年齢:30代前半
年収:749万円
★:15.4cm
先日、30代の私と50代の方とで話していた際のことである。私が現在行っている副業や、これまでの働き方について話したが、どうもその方にはなかなか伝わらない、という経験をした。
当初は、「この方は様々な経験をされていらっしゃるはずなのに、どうしてこれほど話が通じないのだろうか」と不思議に感じていた。そこで、思い切って尋ねてみたのである。「なぜ、このように話が伝わりにくいのでしょうか」と。すると、「いや、私は会社勤めばかりだったから」と答えた。
その瞬間、私の中で「ああ、そういうことだったのか」と、長年の疑問が氷解するような感覚があった。
振り返ってみると、私はこれまで「人の話を聞きなさい」「あなたは話を聞いていない」と、度々言われることがあった。当時は、なぜそう言われるのか正直理解できなかった。なぜなら、私は常に相手の能力や経験、働き方を理解しようと努めていたし、その上で「この方と何か一緒にできることはないか」「協力できる共通点はないか」と、そうした部分を見つけようとしていたからである。私にとって「話を聞く」ということは、まさしくそうした行為を指していた。
しかし、相手の方にとっては違ったのだろう。今思えば、その方たちは、私が「お伺いを立てる」ことや「察する」こと、あるいは私が勝手に物事を進めようとしている、と感じていたのかもしれない。だからこそ、私の話は「聞いていない」と受け取られていたのだろう。私たちは、随分とすれ違っていたのだと、今になって気づかされる。
そして、この「話が通じない」という感覚は、私の中で約15年もの間、くすぶり続けてきたテーマであった。このモヤモヤは、本当に長く私の中にあったのだ。
20代の頃は特に顕著であった。私は、リーマンショック以来の大不況の渦中で就職活動を行った。求人が極めて少ない時代で、新卒で安定した企業に就職することは非常に困難であった。そのため、私は様々な仕事を経験した。アルバイト、派遣社員、フリーランスのような働き方も試した。そうやって必死に生きてきたのである。
それにもかかわらず、周囲の年長者からは「あなたは昔ながらの社会経験が足りない」「きちんとした会社に勤めたことがないから世間知らずだ」などと、散々言われた。理不尽だと当時は思った。私は毎日必死に生きていたし、世間が求める「まともな社会経験」というものは積めなかったかもしれないが、それでも毎日、生活のために、生きるために、必死で働いてきたのである。それなのに、なぜそのようなことを言われなければならないのか、と憤りを感じていた。
正直なところ、あの頃は、私を非難する者たち全員の鼻の穴に、唐辛子をねじ込んでやりたいと本気で思うほど、悔しくて、腹立たしくて、どうしようもない気持ちであった。私は悪くない、悪いのはこの厳しい世の中と、その中でしか生きてこなかったくせに、偉そうに口出ししてくる人々だと、ずっと感じていた。
しかし、最近になって、状況が変化してきたように感じる。これがまた、不思議なものでもある。
私はインターネットの世界だけでなく、久しぶりに様々な種類の仕事を経験してみた。肉体労働のようなブルーワーカーの仕事も経験したし、ここでは詳細を割愛するが、インターネット上では異端とされるような、しかし「まさか、そんな方法があったのか!」と目から鱗が落ちるような働き方にも触れた。そうやって、多様な現場を経験してきたのである。
そうすると、「ああ、私のような人間は、案外多く存在するのだな」と気づかされた。私のように、正規雇用にこだわらず、安定した収入源を探し、働きやすい場所を求め、様々な仕事に挑戦してきた人々が、意外と身近に多くいるということが分かってきたのである。フリーターもいれば、フリーランスも、一人で事業を営んでいる者もいる。皆、必死に生きているのである。
そして、そのような人々話してみると、驚くほど話が合うのである。何かをいちいち詳しく説明しなくても、お互いの状況や苦労、これまでの経験などが、すんなりと理解し合えるのである。まさに「これだ、これが欲しかったのだ!」と感じた。
加えて、最近は「人手不足」が叫ばれている。そのためであろうか、企業や上司といった組織の人間も、変化してきたように感じられる。これまでは「会社員でなければならない」「確固たる実績がなければならない」といった、固定観念に縛られた考えの者が多かったが、最近では「勤め人以外の人の気持ちも理解できる」「様々な働き方をしてきた人の価値を認める」といった、そういった職場が増えてきた気がする。いや、増えてきているというよりも、そういった理解のある場所でなければ、もう立ち行かなくなってきている、といった方が正確かもしれない。
つまり、何だかんだ言って、時代が私に追いついてきた、ということなのだと感じている。私がこれまで経験してきたこと、苦労してきたこと、それがようやく世の中に理解され始め、必要とされるようになってきた、といったところであろうか。なんだか、ようやく報われたような気持ちである。
これまでの「社会経験」や「実務経験」という言葉は、どうしても特定の業界や、安定した雇用形態といった、「型にはまった経験」を指すものであった。だからこそ、私のような「型破りな経験」は、なかなか評価されなかった。むしろ「何もしてこなかった」かのように言われることもあった。それは理不尽な話だと感じていた。私は何もしてこなかったどころか、むしろ逆である。安定した収入源を探し、働きやすさを求め、人一倍様々な仕事に挑戦してきたのだから。
しかし、そこに気づき始めた企業や上司、人々は、これからますます有利になっていくことであろう。なぜなら、これからの時代は、そうした「型にはまらない経験」を持つ人間の方が、新しいことにも柔軟に対応できる能力があるからである。
逆に、未だに自分たちの立場や実績ばかりを振りかざし、それが当たり前だと押し付けてくるような企業や上司、あるいはそうした人々は、これからさらに衝突が増えていくであろう。なぜなら、新卒一括採用や正社員一筋といった時代ではないのだから。様々な場所を渡り歩き、自分なりのサバイバル術を身につけてきた人々が、社会のあちこちに存在している時代なのだから。
「上下関係と体裁を整えれば、コミュニケーションが成り立つ」といった、そういった大きな組織の中でしか通用しないやり方をしている企業や人物は、時代から取り残されていくに違いない。
「そんなに感情的になるな」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私にとっては、この15年間、ずっと正面から向き合ってきたテーマなのである。
ようやく、このモヤモヤを言語化できるようになったというわけだ。誰かに怒りを抱いているわけではない。そうではなく、「この方とどう接したら良いか分からない」「結局、何が言いたいのだろう、この話は」といった会話に直面した際に、どうすれば良いのか。私自身が、その状況を整理したかったのである。
私はこれまで、ずっとこの混沌の中で生きてきた。そして、その中で自分なりに生き抜く術を身につけてきたのだと感じている。だからこそ、今、こうして振り返ってみて、ようやく少しは冷静に、この「伝わらなさ」の正体というものを語れるようになったのだと思う。
結局、何が言いたいかと申すと、世の中は常に変化している。それなのに、過去の価値観に縛られている者たちは、非常に生きづらいであろうということである。そして、私のように、その変化の波にもまれてきた者たちは、もう少しきちんと評価されても良いのではないか、そう感じているのである。
さて、読者の皆様は私の話を、きちんと聞いていただけたであろうか。それとも、また「何を言っているのだ、この筆者は」とお思いであろうか。
自分自身はアクセンチュアではない外資ITにいて買収する側の企業の社員として、買収される側の社員の動向をある程度知っている。
アクセンチュア独特の企業文化もあるかもしれないが、一般的に買収された会社に所属している社員に起こることを列挙してみる。
あくまで私が想像する一般的なケースであって、アクセンチュアは例外的に超絶優れた組織でこの例に当てはまらない可能性もあるのでそこはご了承ください。
・よく言われる「管理職はリストラする部下を選別する側だから出世しないと将来詰む」は外資系企業に限っては嘘
・外資系企業による買収の場合、最初に管理職以上の役職は徹底して削減されます
・外資でも大企業であれば労働組合を結成してる会社は多い。だが管理職は組合員では無いのでこういう買収時に会社は気軽に解雇できる弱い立場。
・数カ月出世が遅れてたら助かったかもしれないのに非組合員になったことで雇用が一気に保護されなくなる
・あまり聞いたことはないが組合から外すために敢えて昇進させて非組合員にする手法も有ってもおかしくない
・買収元企業の部長会とかに買収先企業の部長が対等な部長ヅラして参加することを買収元の企業の部長陣はとても嫌がる。
・買収されちゃった企業の部長とか役員でプライド高そうでめんどくさそうな奴は基本切られます。プライド維持したままだと役職があっても買収元企業の役職持ち社員と同じ立場には基本なれません。
・ただ、まれにバケモノじみたコミュ力の管理職(営業にまれによくいるタイプ)が買収元会社の役職者と仲良くなって普通に管理職の立場のまま買収元企業内で出世を続けるケースは数件目撃している。
・残れる管理職は基本的に利益率がとても高いプロジェクトを直接管理している社員で、いなくなるとその利益率が高いプロジェクトが回らなくなる!とアピールできる人
・管理職未満の従業員については、年齢が低めで給与も低いことがポジティブに働き、意外と買収してしばらくは首を切られることは無い
・ただし、買収元企業の人事DBには永遠に買収された会社の出身であるデータは保存され、大規模レイオフ時に容易にヘッドカウント削減要員として選別されやすいので注意
・ちなみに自分が買収された企業出身であることは買収元の社員の人は大体知っている
・最初は部署=会社みたいな感じで残るが、これは単に買収された会社の管理職以上の社員のだれを残すか、今後どういう風に組織を変えていくか検討が終わるまでの暫定部署だと思ったほうが良い
・最終的には様々な混乱の後に買収元企業の部署に適当に振り分けられていく
・いきなり買収された会社の社員が買収元企業の既存部署に振り分けられて再配置されるケースは実は珍しい。
・大体は組織統合の在り方を検討するため、最初は会社組織が部署として残るケースが多いが、ゆめみの場合はSong本部?とか言う部署にいきなり所属することになるということで私の経験上はこのようなケースはあまり記憶にない。もしかしたらSong本部の下に「ゆめみ部」とか「Design & Development部」みたいな感じで会社の体系は残るのかもしれない
・ただ、もし買収に伴って短期的にレイオフするなら買収前にレイオフするのが一般的なので、一旦所属がSong本部になるなら数か月以内に改めてレイオフする可能性は高くないとは思う。
・ただし上にも書いたように長期的なレイオフ対象にはなりやすい。一件見た目でゆめみ出身であることが他のアクセンチュアの同僚にバレてないように見えて、人事DBには出身企業がしっかり保存されている。
・なのでグローバルのレイオフが走って日本も社員を1000人ヘッドカウント減らせ!となったときに残念ながら優先して切られる可能性はかなり高い
・外資系企業の場合、買収は日常茶飯事なので、買収前の企業で同僚だった人同士でグループが分かれることが多い
・なので買収されて同じ会社になったのに、出身会社が違うと同じ会社の同僚でも仲良くなることがなかなか難しい
・特に買収元企業の新卒社員からは非正規社員みたいな目で扱われ、飲み会や遊びも誘われない可能性が高い
・外資系企業の新卒は「プロパー」という言葉を新卒社員にのみ適用しがち。中途入社社員は本来なら正規雇用の正社員なのでプロパーのはずだが、新卒で入社した社員からするとあまりプロパーと呼びたがらない傾向が存在しがち。
・ありません
・よく買収先の技術力を我が社で取り入れて生かしていきたい、というカッコイイ言葉で飾られがちだが、外資系とはいえ日本人だらけの大企業の上級管理職に細かい技術的な詳細など分かりません。
・なので辻褄が合うよう下級管理職になんとかシナジー出せた体を演出しろ!と暗黙の号令がかかります。
・シナジーが上手くいったように見えるストーリーのパワポを作成する仕事が生まれますが、実際にシナジーをどう出そうか検討されることははっきり言って90%ありません。
・買収によって確実に得られるのは取引先、販売チャネル、特許、契約、会社の有形資産くらいです
・従業員が持っている技術ノウハウなど全く買収先企業で生かすことはできません
・考えてみれば当然なんだけど、社員が持ってるノウハウなんて社員に辞められたら失われるんだから買収先企業がそんな曖昧な「技術力」なんかあてにするわけないんだよね
・しかも「ゆめみのデザインとエンジニアリングを高いレベルで統合した技術力」が本当に目的なんだとしたらSong本部とかいう既存部署に統合するんじゃなくて部署丸ごと会社として残しておくはずだから、そもそもがおかしい。
・とはいえ買収金額がたったの40億円でしかないのではなから買収案件としては小規模だし、アクセンチュア側が血眼になって組織統合するほどの案件でもない
・「あ、買収しては見たけど特に活用しようが無いからもう要らないや」の一声で全員レイオフされる可能性もまだまだ高い
・レイオフじゃなくて部門ごと別会社にしてポイって形の方がよく見るけどね
・そんでしばらくは元の会社の委業務委託で食ってくパターン(結構悲惨)
・ていうかアクセンチュアに入社するような社員って、ゆめみ社員みたいに学歴や経歴は綺麗じゃないけど技術力だけはあります!みたいなタイプの人と相性悪いと思うんだよな
・シナジーどころか反発しあう磁石みたいなイメージしかないんだが…
・事業に成功して売上や利益が今後加速度的に伸びてくるスタートアップを買収するなら正直戦略的買収として意味があると思うんだけど(例えばFacebookのインスタ買収、GoogleのYoutube買収とか)、ゆめみって正直これから凄い成長するような業績でもないし、なぜアクセンチュアが買収しようとしたのかよく分からない
・だってゆめみってセレスのIRによれば売上50億、営業利益数億円程度の会社でしょ?
・しかも最近営業赤字を出す期があって事業もこれから加速度的に成長するとはあまり思えない。
・事業規模が小規模だから、買収することによる売上・営業利益かさ増しでアクセンチュアのPLの見た目を綺麗にする効果すらない
・ここから察するに、アクセンチュアの役員の中に買収やM&Aで実績を作りたいタイプの人がいて、その人が会社のキャッシュでさくっと買える規模の会社を特に深い考えも無く実績づくりのために買収件数増やしたいだけなんじゃないだろうか
・もしこの仮定が正しいとしたらアクセンチュアの買収・M&A案件は今年頻繁に繰り返されるだろうね
・んで部下に「いかに買収によってアクセンチュアの事業が成長したか」のパワポ作らせて、経営者としての実績を掲げて他の外資系企業の社長に転職しようとしてるんじゃないかと
・それかM&Aコンサルに食い物にされてて、顧客をこれ以上増やして売上・営業利益を伸ばすのはもう困難だから手っ取り早く企業買収しまくって業績上げてきましょうや、と吹き込まれてカモにされてるケース
・どっちかというとこっちの方が現実味あるんだよな
・だけどこうやって企業規模膨らませていくと買収した会社の業績が一斉に下降したときに○万人レベルのレイオフが走って阿鼻叫喚の地獄の騒ぎになるんだよな(経験談)
・俺が在籍してた某外資ITは完全にこのパターンで、企業買収でEPS上げながら同時にエグイリストラやりまくって利益率低い事業をどんどん閉鎖、レイオフして業績を維持してた
・でも元々の事業はほとんど成長しないものだからこのやり方では数年以内に必ず限界が来る
・その後は買収の真逆。事業部を他社に売却しまくる。事業部を分割しては売却、分割しては売却、これを俺が退職後も10年くらい繰り返してる。そしていまだに分割&売却をしてる。
・M&Aの反対って何て言うんだろうな?Divide&DivestitureでD&Dか?
Permalink |記事への反応(18) | 10:27
実際の人間性や仕事の能力じゃなくて採用ゲーム強い人を採って、入社したあとのフォローは薄い
虚無すぎるでしょ…
いや、まあ言い訳があるのはわかるよ
そりゃそうだろうけど採用ゲーム強かったら仕事できるの??っていう話
採用でネガティブな情報出しちゃダメってのも基本だけどこれも意味不明
人の相性の研究で「苦手なもの、嫌いなものの一致が大事」というのがある
そもそも人生の多くの時間を仕事に取られるわけで、特に中途ならネガティブな面が多くないとおかしいよ
採用成功してます!!入社した人は大筋有能で問題なし!!なんて企業どれだけあるんだろうね
少なくとも自分はJTC含めて非正規、正規で働いてきて採用成功してると思った企業はない
正社員絞りすぎて非正規使いまくって効率下がってるとか、非正規のほうが有能ってとこは多かったけどね
転職回数の重視を止めて企業側が魅力的になることへ努力し、試験採用の拡充、非正規から正規雇用の切り替え増をすれば?と思う。
そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景がみえることもある。
++
とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要な視点だ。欧米と日本では大きく違う。
フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。
その意味で、社会運動やストライキ(争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体の抗議活動。日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス(抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為を意識しているからだ。
環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火・破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造的暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識をフランス社会は共有する。
その背景には、18世紀、カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学的合理性を武器に公共空間を構築し、新たな政治制度を模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期の政教分離の文脈から分化した表現の自由の形であった。
制度の根幹に「科学的合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。
もっともアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想や巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現を定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会の不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法がヘイト規制に消極的かつゾーニング規制にシフトしてゆく歴史がそこにある。
トランプの出現などリベラルと保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。
会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人に迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。
この「迷惑感情」は、表現の自由を制限する根拠として働きうる。憲法学では人権の制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会の空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体、迷惑感情の社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共はフランス人の考える公共とかなり異なる。
電車内CMの強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件(1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのものを否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。
日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画にペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力的抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。
水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代の国鉄や病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会に根付かなかった。正規雇用では労使協調路線、非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。
全農林警職法事件(国家公務員の争議権全否定、1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。
暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力=容認しがたいもの」と司法と行政に決着を迫った形だ。
こうした着地は、人権を市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会の構造的限界を示しているのだろう。
日本社会における「市民による暴力的抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激なものに映じるの対して、しばしば国家や行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為、反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度的暴力や不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉がときに過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現の暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造的非対称性の再生産になりかねない。
構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識を再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却しやすい社会ということだ。
欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験から生まれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権のボトムアップ的な再生力だ。
しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後はアメリカが新しい憲法と人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日の日本においてもなお、自由をめぐる議論が憲法の制度論に終始してしまう要因になっている。
だとすれば、今あらためて必要なのは、自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。
特に敗戦前後の記憶――若者を人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本の原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。
++
「戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本の映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。
1. 既成の価値観への反抗
戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的に破壊しようとした。
映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力を風刺し、戦時の空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。
表現が体制批判と自己解放の手段だった時代。道徳や国家的価値観への反抗心がそれを後押ししていた。
「反抗」というテーマは、家族内の世代間対立ないし嫁姑問題、80年代の校内暴力と管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。
高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域の風景は急速に姿を消した。
そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族の崩壊と再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。
山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。
倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。
「スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力・根性・家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情や倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。
この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本の表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害を内包していた。そこに着目すべきだ。
この三つのうち、「戦前の価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑を告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。
奥崎謙三の狂気。上官を告発し、天皇にパチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後の記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家と個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。
しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代の記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたかも社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。
何かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしまう社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスなドラマなくせに、コンプラ配慮でたばこのポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか。
奥崎のような過激な手法であっても、そこに社会や権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男のドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。
『ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。
伊藤詩織氏の『BlackBox Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユースで正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力や犯罪を暴く表現であればOK」という立場(原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実を自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的な物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。
では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?
最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である。
コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしまう社会――それが望ましいのか?
私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯な倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為と公益性のはざまにあるという意味で奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員の告発とその後の県知事の対応は耳目を集めたばかりだ。
今の日本社会において、「表現の内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。
敗戦を体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼の暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。
一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民は暴力的な自力救済や抵抗運動に共感しなくなっている。
コンプライアンスに敏感な時代だからこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。
かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制を洞察した。一方、アメリカの民主社会には、世論の専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派が少数意見を排斥するような雰囲気を社会が醸成すると実質的な自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代のキャンセルカルチャーなどの課題を予見している。
――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力に倫理的な共感はあるのか。どんな社会を私たちは避けたいと思っているのか――
憲法理論は制度的保障を語る上では有効である。しかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度がいかに自由を守るか」ではない議論も必要だ。自由を擁護する倫理的共感の土壌がなければ、制度は簡単に形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。
社会の同調圧力に空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。