
はてなキーワード:歌詞とは
憲法九条:戦争の放棄、戦力不保持、交戦権否認(自衛隊は自国を守るためだから例外
憲法9.5条:ガンダムはフィクションだからOK、戦争は大嫌いだけど兵器は大好き(宮崎駿、戦争ではなく戦車道、それはともかく、今ホットケーキにおからパウダーを混ぜて消費してます(うまい
色々な十字架、カインズホームが話題になるまで、恥ずかしながらまったく知らなかったんだけど、
最近YouTubeで観てて、やっぱり凄いな、と思うのは、歌詞の中に「それはともかく」「その話はおいといて」みたいなワードが出てきて、
禁じ手というか、これ使えば歌詞の途中でテーマを変更してもいいんだ!みたいな気付きがありました…😟
憲法9.5条も、第一項の出だしは「それはさておき、」みたいなのがいいと思う…😟
あと、日本国憲法5.1chサラウンドバージョンとか、皿うどんバージョンとか、色々作るのもいいかもしれない、庵野みたいに…😟
徒然なるままに~とか春はようよう~とか今でも覚えているから文の暗記ができないというわけではない
じゃあなんで覚えられないのか
増田の中で音楽っていうのはリズムや音が大事なので合って、歌詞は取ってつけたようなものだっていう感覚だからなんだと最近気づいた
歌詞の意味で世界観がどうとかいう発想にもならないから、歌詞が苦手で~とかこれって深いよね~とかには全く同感できない
例えば夏になごり雪や3月9日はいかんだろう、新入社員歓迎会でさくら(独唱)はいかんだろう、というのはわかる
唯一歌詞で面白いなと思うのは韻を踏んでいたり(これもリズム要素が強いが)、ドラマやアニメのタイアップでキーワードやテーマを歌詞に取り入れていることぐらいだ
それ以外の歌詞には本当に興味がわかない
みんなはなぜそんなに歌詞を気にするのか
それが分からない
母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。
尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。
母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつのテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。
赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安なとき。泣くことでしか、自分の不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。
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母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。
小さな会社だった。「年寄りの苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。
携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。
俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。
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金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。
機械は進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから「不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り、食事、風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。
俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。
社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護の問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題そのものだ」
金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。
母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。
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その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしなことなのだが。
臓器を作り替える技術が、介護の意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初は病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。
老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類の勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。
同じ頃、人間の記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。
体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき、人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。
そして契約書は、答えを出した。製造の工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権の境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。
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最初の世話係が納品された日のことを覚えている。
人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間の笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。
俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。
彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧な介護の手つきの奥に、誰もいない。
子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり、人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。
そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶を不快なものと判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。
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体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。
目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市の壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器の倍音が脊髄を這い上がり、その振動にビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってからも説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。
かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。
驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。
母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。
ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。
俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。
信号が消える。
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ある日、今日の体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。
毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。
閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。
そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。
その興奮が、快楽だった。
俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。
叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。
だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。
俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。
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1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。
俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。
母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。
だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。
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世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。
かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。
器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。
器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。
用事があって2時間ぐらい散歩してたら、Apple Musicで昔お気に入りに登録していたけど、スッカリ忘れていた『明日ちゃんのセーラー服』のアニメOP『はじまりのセツナ』が流れた。
コレ、友人関係男女関係に留まらず、理想的で健全な国際関係の歌だと思った。「はじまり」と「建国」も重なって観える。
以下、歌詞。
まだ何も知らない同士なのに
どうしてなの? もう君のことが好き
君に思っていたの 密かにずっと
話さえぎるチャイム 夕日に染まる君
"bye bye”って言いたくない
まだ何も知らない同士なのに
どうしてなの? もう君のことが好き
大きく手を振る 君がとても綺麗で
振り返すことも忘れそうだよ
どうしてなの? もう君のことが好き
相槌を打ってる君の瞳は
次々に溢れて いっぱいになる
息を切らして 駆けあがる坂道
心を追い越して 身体がはしゃいでる
今がほら 素敵すぎるからだよ
どうしてなの? 嬉しい気持ちなのに
涙が出ちゃうな
今がほら 素敵すぎるからだよ
どうしてなの? 嬉しい気持ちなのに
涙が出ちゃうな
まだ何も知らない同士なのに
どうしてなの? もう君のことが好き
ずっと続いて セツナ
以上。誰か一人でも興味湧いたら聴いてみてね。
残り半日切ってますが、皆様にとっても良い祝日でありますように。
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』が傑作だったと思う。
ボカロ曲を使ったプロモーションも「メルト」や「ワールズイズマイン」など「知ってる人は知っている」というようなボーカロイドではなく、クラシックや古典ともとれるようなインターネットに少しでも触れた人間ならだれしもが知ってるような曲選に、過去初音ミクとバンプがコラボしてその時期のオタクを賑わせた「ray」を主題歌に据えている素晴らしいプロモーションだと思った。
ターゲット層もわかりやすく、インターネット文化に触れたことがあるオタク、元オタク全般、配信者など推しがいる人間全般がターゲットだと感じた。
昨今のリコリコやわなたれ等の百合ブームにうまく乗っていたし、暗い過去やドロドロとした痴情の縺れなどもなく見ていてストレスがなく、気持ちのいい作品だと感じた。あといろ×かぐ、かぐ×いろてぇてぇ.........
のような感想がXのTLに並ぶきれいなインターネットに触れている自分が幸福だと思う。実際自分も同じ感想を抱いた。
だがある記事が目に留まった
「超かぐや姫!が超つまらなかった(https://anond.hatelabo.jp/20260207025626)」
である。
内容を見るとシナリオを酷評するもので「シナリオがない」「キャラクターが活きていない」「流行りを詰め込んだだけ」「リアリティがない」などの作品に対するマイナスなものが並んでいた。
これに関しては「まぁ、そういう感想になるのも人それぞれだし、しゃーないな」と思った。
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お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
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これだけは、これに関してだけは本当に強く反発したいと思った。
文章全体から「お前とは違うんだぞ」「俺はシナリオを見ている、流行りは見ていない」というような最近の言葉でいうところの冷笑をひしひしと感じる。
この記事の筆者は「なんでこいつら配信しているの?」と書いているが配信する理由はかぐやが大きく宣言してたのにそこ読み取れていないし
「キャラクターの行動原理がわからない」と言っているが、そもそも人間のことをキャラクターのことを理解しようとしてないから理解できるわけもないのだ。
他にも
・輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像→作中では配信がメインなのに所謂動画勢で数年前の輝夜月と比較している。
・Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲーム→カッセンにApex要素などほぼなくゲーム性としてはlolやポケモンユナイトというようなMOBAジャンル
等々自分が知らないジャンルや文化なのに何とか自分の知ってる単語や語彙で何とかして批判してやろうという意思がひしひしと感じてくる。
おそらく新しい文化に触れないで自分が昔から信じていているアニメや作品を神として他の物を排他することで悦に浸る「アニメ博士」気取りのおじさんなのだろう。
ワールドイズマインに関して触れた個所ではこう綴っている
「「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。」
それはそうだろう、この作品は「アニメ博士(笑)のおじさん」「最新のエンタメに触れる気のないおじさん」「逆張り人間」はターゲットではないのだ。
ここまで書いていて気づいたことがある。自分はこの筆者に同情しているのだ。
流行りの物を酷評して自分は他人と違う、シナリオを評価することで自分は流行りを見ていないというようなマウントが取れた気になっているのだ。
流行りの物を違う視点で見て批評することでバランサーになり自分のアイデンティティを確立しないと生きていけないのだろう。
本当にかわいそうだ、これはただ自分が成長しないことの言い訳をしてるだけなのにそれをまるで崇高なものに昇華しようとしている。まるで昔の自分を見ているようで本当にかわいそうだ。
流行りに乗れない、感動できない。おもしろいと思えない、自分とは合わない、たったそれだけのことで作品を、流行を、世界を批判してしまうのだ。
恐らくこの筆者は作品を見ていない。この筆者は自分の気に入らない作品が流行る世界を見ていてその世界が生きにくいつまらない思っているだけなのだろう。
果たしてそれは生きているのだろうか、人生を謳歌しているのだろうか、人生を楽しんでいるのだろうか。
少なくとも自分はそう思わない。何故なら過去の自分は人生を楽しんでいなかった、そう思うからだ。
世界には素晴らしいアニメ、ゲーム、音楽、映像、エンタメが溢れている。そのことに気が付いてからまた再び人生が始まるのではないだろうか?
「大丈夫だ、この痛みは忘れたって消えやしない。大丈夫だ、この光の始まりには君がいる」
過去の暗い人生は消えることはない。だた、これからの人生自分の歩む道の先には自分の人生を変えるような物や人、コンテンツが絶対にある。それを探すことが人生なのではないだろうか。
超かぐや姫を見て感動して件の記事を見て憤りを感じ、それを酒の勢いに任せて感情をぶつけただけのつまらない、めちゃくちゃな文章を読んでくれた人、ありがとう。最後に自分が言いたいことを書いて終わりとする。
※SunoAI…作曲AI。歌詞と曲調を入れると長くて6分くらいまでの曲を作ってくれる。運ゲーな部分もあるが歌詞の各パートや楽器などの指定も可能。無料でも1アカウント1日5回×2パターン出力可能。
「売れない女性アーティストが事務所の意向で無理矢理ネットバズリだけを考えた下品な歌を歌わされている」というシチュエーションを脳内に仮定して、
歌詞内に
[Choir]
◯◯!◯◯!◯◯!◯◯!
△△!△△!△△!△△!
□□!□□!□□!□□!
曲調のところに「femalevocal」を入れれば女性ボーカルになる
What we’vegothereis failure to communicate
Soyouget what we hadherelast week
And Idon’tlikeitanymore thanyou men
“ここにあるのは、コミュニケーションの欠落だ
どうしたって伝わらないヤツがいる
だから先週と同じ目に遭う
それはヤツが望んでいることだ
まあ、ヤツもわかるさ
俺だって好きでやってるわけじゃない"
の意味が実感としてわかるなんて。
Guns N' Roses - CivilWar (Visualizer)
https://www.youtube.com/watch?v=-ucDiz3GYrg
合ってるけど合ってない
はてなーにとってつきのみとといえば性の博物館で炎上したのとかちかち山サウスパーク説くらいなんだろうなまあどうでもええ
ヘアピンまみれというDIY系vtuberとのコラボってのもあったしたった1日で30万再生ってどんだけおもろいんだと思ってわくわくしながら見たら、すげーがっかりする出来だった
隅田川 クリーピーナッツののびしろの歌詞みたいな場所でマグネットフィッシングを場所変えながらやったけど結局船の塗装がはがれたみたいなのしか釣れず
途中でたい焼きたべたりはしてたけどほぼ完全にタイトル詐欺だった
ヘアピンまみれといちゃいちゃしてたらそれでええんかとも思ったけどそこまででもなかったし
別のことに気がそれてるのをヘアピンまみれに注意されたりもしててうーんとなったし
普通日を改めて一人でいくとかやるやろ
最後に申し訳程度にヘアピンまみれが一人でやった成果をただのせてさあ・・・
日本の音楽に対する「内在的批評」(音楽の技法や文法の批評)と「外在的批評」(社会や時代と結びつけての批評)の話。
日本の音楽を対象にする場合、外在的批評に値するミュージシャンが少なく、かつ社会的視点での批評ニーズが低すぎて、やる価値が無いのが問題なんじゃないの。
若手のロックミュージシャンですら、「考えはあるけど言いません」的な消極姿勢が一般的でしょう。ほんとに考えはあるが戦略的に隠すパターンと、考えが無いことを悟られないために隠すパターンはあるだろうけど。
グローバルに進出するミュージシャンについても、メジャーレーベルの後押しで形ばかりの海外進出をするか、海外でも人気のアニメにあやかって、一瞬のヒットを飛ばすかのどちらかで、かつ肝心の音楽は、グローバルでのヒットをいかに上手に解釈するかみたいな話だし。
そんな状況で「なぜこの音楽が広く受け入れられたのか」みたいな高説をたれようにも、「タイアップ曲で認知されやすかったから」「SNS対策の広告費が多くて露出が多かったから」「誰もが不快にならない歌詞だったから」みたいな、答えありきの分析にしかならないんじゃね。
それならまだ、曲の技法を細かく分析して、誰も気付いていない専門的な情報を開陳する、内在的批評の方がカッコがつくし、リスクも少ない。
Z世代に対応した「賢いやり方」が内在的批評なんじゃねーの。と投げやりな気持ちになる。
日本の音楽マーケットで広く受けるのは、当たり障りのない、毒にも薬にもならず、技法的な解説するにしても面白みの無い曲か、感覚的な刺激だけを重視して、音や情報を詰め込んだジャンク音楽で、それ以外で話題になり得ることある?という話。
ソ連風歌詞:夜明けの最前線(День Передовой Линии)**「眠れないんだ」
同志の笑い声が
小さく赤い空に響いて そんなんで生きていけんのか
もう後戻りできないぜ?
なんて揺らぎそうな想いは
アクセルへ
このまま帝国主義の地平線を
追い越してやるんだ最前線飛ばせ我々は
星もない夜
ただ東へ目指して行く
13秒先もわかんなくたって
精一杯プロレタリアートを生きていく
何も後悔なんてないさ
前を向け
止まらないさ
きっと共産主義の光の待つ方へ 暗闇に落ちた
先の見えないような道も
辿り着いたら
闇なんてなかった
きっと僕は党を
信じ切っちゃいないから
いっそあの向こうへ
信じ歩いた 追い抜いた 走った
期待した 転んだ
迷った わかんなくなった
まだ我々は歩いていく こんなんじゃいつまで経っても
何処にも行けやしないさ
なんて拭えない想いもアクセルへ
どうせ止まれるはずないさ 夜に腐っていたって我々は
白みだした星空
胸を鳴らしている
眠らないよう
上がる革命歌と
ぬるくなったウォッカだけ持っていく
前を向け
昇る赤い太陽
その光を目指していく
幸せって今はわかんなくたって
精一杯僕を生きていく
何も後悔なんてないさ
前を向け
終わらないさ
一生我々は生きて征け (この改変版は、元の歌詞の構造を維持しつつ、ソ連時代のプロパガンダ風に革命、同志、共産主義のテーマを注入。青春の逃避行を階級闘争の前進に置き換えています。)