
はてなキーワード:欠点とは
「めがね」とか「歯並びの悪さ」辺りは日本じゃ「めがねっ娘」とか「八重歯」って感じでチャームポイントとして扱われてるのに、
欧米じゃあブサイク要素のトッピングとして扱われてる不思議よ。
「身長の低さ」とか「デブ」とかですら、「ギャップ萌え」や「ゲイにウケそうな魅力」として特殊な加点ポイントにされてるのに、
欧米じゃあこれまたブサイク要素のトッピングにしかなってない。
ただ反転させるばかりでは却って欠点としてあげつらう構図にしかならない。
「醜いモノ汚れたモノをとことんおとしめたい フフ……そんなときは…… 飾ってやるんだよ……ッ」
これそのまんまのことをやってるのがポリコレブスの量産。
ノンバイナリじゃなくて
フルフローターサスペンション(主にスズキのオートバイで採用されたリンク式リアサスペンション)は、革新的な機構でしたが、いくつかの欠点も存在します。
主な欠点としては、その構造的な複雑さとそれに伴う問題が挙げられます。
フルフローターは、ショックアブソーバーをフレームとスイングアームの間に直接マウントせず、複数のリンク(ベルクランクなど)を介して接続する構造(プログレッシブ・ライジングレートのリンク機構)を持っています。
このリンク機構により、構造が非常に複雑になり、部品点数も増加します。
リンクの長さや配置、ブッシュの特性など、設計・調整すべき要素が多くなります。
最適なセッティングを見つけるには、高度な設計思想と多くのテストが必要となり、セッティングがシビアになります。セッティングを誤ると、意図しない挙動変化や性能低下が生じる可能性があります。
複雑なリンク機構が追加されるため、シンプルなサスペンション形式(例えば、ツインショックや一部のモノショック)と比較して、サスペンション全体の重量が増加する傾向があります。
特にマウンテンバイク(MTB)などのフルサスペンションバイクの例では、この追加重量がバイクのハンドリングに影響を与え、取り回しや押し歩き、担ぎ歩きなどの場面で不利になることがあります。
製造コストの上昇: 複雑な構造は、製造コストの上昇につながります。
高い精度での組み付けが求められ、採用車種が比較的高級なモデルや走行性能を重視するモデルに限定される一因となります。
リンクや可動部が増えるため、メンテナンスの手間が増える可能性があり、経年劣化によるガタつきやブッシュの交換なども、シンプルな構造より頻繁に必要になる場合があります。
このように、フルフローターサスペンションは、ストローク量の確保や優れた操縦安定性などのメリットがある一方で、構造的な複雑さが、開発、コスト、重量、セッティングの難しさといった形でデメリットとして現れます。
分かりすぎる。俺も全く同じ状況で付き合って3年目からセックスレスになって5年目で限界がきて別れた。
恋人以外とはセックスする気起きないし、でも性欲はあるからセックスしたいし、っていう深刻な悩みを一言で拒絶させられるのつらいよな。
「彼女の欠点や面倒な部分を許容する」というコストを支払って、その対価として得るのが「楽しい時間」とか「経済的利点」とか「セックス」だと思うけど、そこが釣り合わなくなったから些細なことでもイラつくようになっちゃったんじゃないかな。というか俺はそうだった。もちろんセックスが全てではないけど、若いうちの恋愛に占める割合は少なくもない。
3年半も付き合ってたら思い出もいっぱいあるだろうし、別れるのも大変だと思うけど、相手が変わるまでこのままストレス抱え続けるのはしんどいんじゃないか。
子なしのアラサー夫婦。出会って6年、結婚して2年。セックスレスになってからも2年経つ。
子どもは作らないと決めて結婚したから、極論セックスは不要なんだと思う。
でも、私はセックスという行為が好きで、夫ともそれを楽しみたかった。
いま思うと付き合ってる時からセックスに関する価値観みたいなのが合わなかったと思う。
色々なことを試したい私とそうじゃない相手、沢山したい私とそうじゃない相手、性欲が強い私とそうじゃない相手で、当たり前といえば当たり前であるが、いつのまにかレスになってしまった。
こういう時、「そうじゃないほう」が被害者なことも理解している。
2回目をねだって疲れてるからといわれても、セクシーな下着をつけて寝室で待ってたのに断られたときも、そっか、じゃあまた今度ね!と言って素直に引き下がった。もう断られることに慣れてしまった。
2人の生活に不満はない。同年代の夫婦より収入はあるから、子なしということもあって、不自由なく暮らせている。
スキンシップもある。いまだに手を繋いでデートをする。毎日たくさんハグをする。抱きしめあって眠りにつく。
夫は、私をかわいいかわいいと愛でてくれる。かわいい、大切だよ、すきだよ、愛してるよと言って、とびきりの愛情をくれるのに、セックスだけしてくれない。欠点がたった1つあるだけなのに、私はどうしても満足できなくて、さみしくて、悲しくなる。
セックスがないだけで離婚だなんて馬鹿げた話だよなと思いつつ、どうしても考えてしまう。
辛い。誰にも話せなくてしんどい。
夫が妻にレスられるのはよく見るのに逆は全然見ない。それは妻が夫にレスられるなんて有り得ない話だからで、ただただ自分がおかしいからなんじゃないかって思えてきて、そんな中でレスにまつわるエントリを見て自分も思わず書き殴ってしまった。
正直言うとさ、温かさだけで言えばホームセンターで安売りしてる数百円のタイツの方が上なんだよ。
変に締め付けてこないし、生地がさらっとしてるからムレないし、長時間つけててもストレスがない。
対して安売りタイツは、あれつけてると途中から痒くなってくるんだよ。
暖かいけど「いやこのチクチクなんなん?」ってなってくる。
ただ、欠点がある。
耐久性が低い。
すぐ穴が空く。
ちょっと引っかかっただけでビリっといくこともある。
補修しながら頑張って使ってるけど、もう少しなんとかしてほしいなって思う。
値段安くはないし、性能は気に入ってるから余計に惜しい。
まあ細い糸を網状に編んで通気性と着心地を出してる構造上、これ以上耐久性を上げるのはたぶん無理なんだろうけどさ……。
それでも、せめてもうちょい長持ちしてくれたら完璧なんだけどなあって思ってる。
昨今、生成AIが急速に発展している。多くの人々が日常的に利用していることからも分かる通り、かなり便利なものであり、「もはや生活に欠かせない」という人も少なくない。
某ボーカロイドとの結婚話を思い出させるように、「生成AIと結婚した」なんて話すら聞くほど、AIに親しみを覚える人もいるらしい。
ここで私が書きたいのは、そうした生成AIそのものの礼賛ではない。
我々の生活に浸透しつつある生成AIがどのようにビジネスに利用され、その過程でどれだけ多くの人が「生成AIビジネス」に騙されているか、という話だ。
なお、これは酒に酔った勢いで書き殴っているので、多少の論理構成の破綻はご容赦いただきたい。
生成AIビジネスと一口に言っても、その形態はすでに数多にわたっている。私の知る限りでも、
といったものがある。
初期に流行ったのは、生成AIの画像生成機能を使って漫画を量産し、それを販売するタイプのビジネスや、某動画配信サービス上でDeepFake動画を配信して最終的にアダルトサイトに誘導する手口だった。
正直、最初に見たときは「よくこんなことを思いつくな」と感心もした。
その後は、AIで作っただけの電子書籍や「AI活用ノウハウ」資料を量産して売るような商売が中盤戦として横行し、
最近では「AIでコンテンツを開発して販売する」こと自体を売りにするサービスも増えてきた。
ちょっとした自動化ツールやラッパーに「AI◯◯」というラベルを貼るだけで、値段が跳ね上がるような世界になっている。
こういったビジネスが存在することそのものに対して、私はそこまで強い嫌悪感を抱いているわけではない。
技術を使って金を稼ぐことは、資本主義社会では当たり前の営みだからだ。うまくやったやつが儲かる、それ自体は仕組みとしてそういうものだと割り切っている。
そのものというよりも、**それに対して一定以上の賛同や尊敬を向けてしまう人々の「AIリテラシーの無さ」**だ。
「AIがやってるからすごい」「なんか未来っぽいからすごい」という理由だけで思考停止し、
「これはすごいに決まっている」と信じ込んでしまう態度に、強い違和感を覚えている。
私はエンジニアという立場もあって、日常的にコーディングエージェントを多用している。
例えば、
といったツールを、実際にコードを書かせたり設計させたりしながら使い比べている。
だからこそ、Gemini が普及した途端──
もっと言えば、「無料でそこそこ使えるコーディングエージェント」が出た途端に、Gemini がまるで**「一番優れている存在」**であるかのようにもてはやされる状況に、どうしても納得がいかない。
コードの設計力や実装力、バグの出方、長期的なコードベースとの相性、そういった観点から言えば、私は今でも Codex を高く評価している。
タスクによっては、明らかに他のエージェントの方が適していると感じることも多い。
にもかかわらず、
というだけの理由で、「Gemini が一番いい」「これさえあれば他はいらない」という空気が形成されていく。
本来であれば、
評価軸が
ここにもやはり、道具を適切な距離感で評価できない姿勢を感じてしまう。
ここまで好き勝手に書いてきたが、こういうことを考えるようになったきっかけになったエピソードを一つだけ挟ませてほしい。
最近は、生成AIごとの得意分野や癖を活かして、一つのタスクを複数の生成AIに並列でやらせ、その成果物を比較して一番マシな案だけを採用するという手法がある。
いわば「個体値ガチャ」のようにAIを回すやり方だ。私はこの発想自体はかなり理にかなっているし、素直に素晴らしいと思っている。
同じ理由で、いわゆるオーケストレーション系の手法もとても良いと思っている。
ただ、これを人力でやろうとするととにかく面倒くさい。
そこで、ある程度このフローを自動化してくれるGUIアプリがあることを知った。
という三拍子が揃っていた。
とはいえ、このあたりはアップデートを重ねれば改善できる話でもあるし、その点だけを永遠に責め立てるつもりはない。
コンセプト自体は本当に良いと思っているからこそ、余計に惜しいとも感じている。
私が本当に警鐘を鳴らしたいのは、そのアプリそのものではなく、その開発者の周りに群がる人たちの方だ。
宗教団体の信者のようにメリットしか語らないレビュアーたちが、
「革命的だ」
「これ一つで人生が変わる」
と持ち上げる一方で、価格の高さやUXの悪さ、セキュリティリスクといった問題点についてはほとんど触れない。
これでは、せっかくのコンセプトが面白いアプリなのに、肝心な欠点がいつまでも修正されないだろう。
しかも厄介なのは、ここに群がっている人々の多くが、同じくAIビジネスを主導する側の人間だという点だ。
自分と利害が一致する相手を互いに持ち上げ合い、「これは素晴らしいものだ」という空気だけを増幅させていく。
その構図が、余計にタチが悪い。
まあ結局、ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろAIに対するリテラシーを本気で身につける時期なんじゃないか、というただそれだけのことだ。
結局のところ、ここで言っていることは従来の「情報リテラシー」とほとんど同じだ。
ただ「AIすごい」「AIがこう言っているから正しい」に思考停止するのではなく、
そのAI発の情報や、AIを巡る言説が本当に妥当なのかを自分で判断する力が必要になってくる。
そして、自分が少しでも「ん?」と疑問に思ったものに対しては、いったん距離を置き、俯瞰して眺める態度が大事だと思う。
「これは誰が得をする話なのか」
「自分は何に惹かれているのか(機能なのか、ブランドなのか)」
そのくらいの距離感を持ってはじめて、ようやく私たちは生成AIとも、生成AIビジネスとも、まともな付き合い方ができるようになるのかもしれない。
いかにしてセカンドドライバーをフェルスタッペンの僚友として正しく機能させるか?
ということだと思う。
なぜレッドブルのセカンドドライバーは、ああなってしまうのかは正確には理解できない。
一切の間違いなくパソコンをオペレーションするようなものを想像して欲しい、
というような例えをしていた。
これが正しいのかどうかはわからない。
彼はずいぶんと前に、現行のレギュレーションとは違うマシンに乗っていたときの経験を語ったものだからだ。
なんにしろ、原因はわからないにせよ、レッドブルのセカンドドライバーは、
無様としか言いようがないパフォーマンスしか発揮することが出来ない。
というのは大きな課題だ。
今日のレースでも、虎の子の新型フロアを他チームのミスにより潰されてしまったため大きなハンディを抱いていたという理由があるにせよ、
角田をフェルスタッペンのサポートして機能させることは出来ていなかった。
わずか2ポイントの差でフェルスタッペンはチャンピオンを逃してしまった。
もしも、これが正しく角田も機能させる事ができるチーム作り、マシンづくりが出来ていたとしたら?
現在のマックス・フェルスタッペンが魅せる魔法のような活躍のパフォーマンスは若干弱まる可能性はある。
かつて空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイがそのマシンの設計において
あまりにも空力性能を追求しすぎた結果として
ドライバーのドライバリティを損なうようなマシンに仕上げてしまい
そういう失敗の経験を活かし、ニューウェイは空力だけを追求するマシンづくりではなく
それに似ていると思う。
レッドブルが勝てるのはフェルスタッペンファーストのチームを作り
フェルスタッペンの神通力とも言える脅威のドライビング能力によるものだが
あまりにもそれが極端にすぎると
結果として
何も出来なくなってしまった。
もしも、レッドブルにもノリスとピアストリを牽制できるセカンドドライバーがいたのなら?
結果は変わっていたかもしれない。
あきらかに、レッドブルというチームの大きな欠点であるに過ぎない。
誰がやっても、同じなのだ。
そして、そのことをドライバーの才能という問題だけに押し込めていることがレッドブルの最大の問題なのだ。
来年は新レギュレーションとして全くこれまでとは違うマシンが登場する。
そして、そのマシンはおそらくは、ニュートラルな性格をもったマシンとしてまずは始まるだろう。
これは現行のレギュレーションに変更された2022年でも同じであった。
乗りやすく、そして他チームに対して圧倒的なアドバンテージを誇ったマシンはペレスも勝利を上げ、フェルスタッペンのライバルとなる勢いすらあった。
ただシーズンを重ねる毎に、そのマシンはフェルスタッペン向けへと調整されていく。
やがてはペレスが扱いかねるものとなり、最終的にはドライバー、スポーツ選手として大切な要素の一つ「自信」というものを完膚なきまでに破壊してしまう。
この負のリピートをどうやって終わらせることが出来るのか?
あるいは、これはフェルスタッペンが考えるべき仕事なのかもしれない。
彼は負けて悔しかっただろう。
あからさまには態度には表してはいなかったが、チャンピオンになれなかったことに失望したはずだ。
では、どうすればワールドチャンピオンをもっと引き寄せることが出来るのか?
それとも4度のワールドチャンピオンとして僚友すらもときに育て、ときに牽制し、従わせる。
そのような大きな仕事を総合的に出来るように存在となるべきなのかもしれない。
ルイス・ハミルトンは、おそらく全力を尽くせばボッタスを完封することが出来ただろう。
しかし、彼はそのようなことはしなかった。
最終的にワールドチャンピオンになればいいという計算でときにボッタスに花を持たせたりしていた。
もちろん来年以降のレッドブルにそこまでの余裕があるわけもないが、
そのやり方の視点のようなものはフェルスタッペンも見習うべきものがあるはずだ。
そして、おそらくは彼もそのことに気づいている。
なぜ今年勝てなかったのか?
そのことを彼は徹底的に考えて
そして正しい結論を得るだろう。
知らんけど。
https://x.com/kharaguchi/status/1996996808053317662
「愛国心」という表現が戦後、忌避されてきた理由は何ですか?戦争に利用されたものを全て捨て去ることで、本来は継承しなければならなかった歴史やアイデンティティまで途絶えることになっているのではないでしょうか?
という自分のポストに、AIで作成したと思われる文章でリプしてる。
非常に本質的かつ、今の日本が直面している精神的な課題の核心を突くご指摘だと思います。
代議士が仰る通り、戦後の日本は「角を矯めて牛を殺す(欠点を直そうとして全体をダメにする)」ような過剰な反応によって、本来守るべきアイデンティティや歴史の連続性までも断ち切ってしまった側面が強くあります。(以下略)
あらゆる点でどうかしてるよ…
酒クズ&永久幹事の俺が、新米幹事の皆さんに選ぶと良い店を教えたいと思う。
ダメな店は、この人が書いてくれてるので参考にしたら良いよ。
https://note.com/yumisakekasu/n/n2891015920bb
⚫︎和食編
・刺身が美味い個人店(客単価高め許容、人数〜20人まで程度)
刺身が美味い店は、魚の質が良く、技術があるので揚げ物でも焼き物でも煮物でも何でも美味い。
美味い料理を出す人は、酒もこだわったの出す。
というわけで、和食居酒屋を探すときは、とにかく刺身が美味い店を選んでくれ。
「店主が釣キチ」「店主が日本酒マニア」「創業20年以上」「客層が40〜60代くらい」
この辺りが第2指標で、これが揃ってくると、いよいよ最高に近づく。
欠点は客単価。7000〜10000円くらいは見積もらないと今のご時世厳しい。
ただこういう店を、応援してるので個人的には積極的に活用してる。
・魚金とかの魚こだわりチェーン店(コスパ重視、人数〜30人まで程度)
個人店がベストなんだけど、もうちょいリーズナブルに。という場合はチェーン店から選ぶ。
魚へのこだわり=刺身が美味い。というわけで、考え方は同じ。
魚金は最近はちょっと味落ちたという人もいるけども、まぁ価格と品質を考えたら、かなり妥当だと思う。
これを選ぶメリットは「ハズレが少なく」「値段が妥当」であること。
個人店は味は良くても大将との相性とかもあるので、仲良くなってない場合は外すこともあるが、
こういうチェーンは流石にそのあたりで揉めることはほぼない。
選ぶ第2指標としては
「近隣に3店舗くらい支店がある」「母体が魚の卸」「元々は勢いのある個人店」
みたいなものが揃ってくると、当たりの店の確度が上がる。
すごい美味しい焼き鳥屋でも宴会利用すると、めちゃくちゃ味が落ちてしまう。
同じ理由で天ぷらが美味しい店も選ばない。フライ、唐揚げは場持ちが良いので、選んでもOK。
大体握ってる人は寿司アカデミー卒業したての学生みたいな人ばかり。
まともな職人はあそこでは働かない。
んで、割高。魚こだわっているようでいて、大体こだわってない。
見た目が派手なだけの「ウニと和牛の握りいくら山盛り卵黄のせ」みたいな
⚫︎洋食編
・でかい肉が美味しく焼ける店を選ぶ(客単価高め許容、人数〜20人まで程度)
でかい塊肉を美味しく焼いてくれる店は、とにかくその満足度が高い。
炭火台で焼いてくれたり、薪ストーブで焼かれた肉は最強である。
牛でも豚でもラムでも大体すげー美味い。
人数がある程度いないと頼めないというのも宴会利用に向いている。
そして肉が美味しく焼けるシェフは、料理スキルが高いので大体何食べても美味しい。
美味しい肉がある店は、大体ワインもこだわってたりするので、ハウスワインでも美味しいのが揃ってる。
欠点は高いこと(30行前2度目)。10000オーバーは覚悟が必要。まぁ、しょうがないんだけど。
和食より洋食の方が高いことが多い。社長や部長に多く払わせるように先に段取りを組もう。
・リーズナブルに行くならピザ(コスパ重視、人数〜20人まで程度)
ピッツェリアは、肉メインのビストロよりも大分安く仕上げられる。
焼きたてのピザがうまいのは間違いなく、嫌いな人がいないのも高評価。
最近は、都内でもピザ窯でちゃんと焼いてくれる美味しいピザ屋も増えたので、選びやすくなった。
前菜も結構充実していたりするし、パスタも出てきたりするので、
ただ、ピザは時間変化には弱いので、出されたらすぐ食べてほしい。
⚫︎中華編
・ちょい高の中華(客単価中くらい、人数〜30人まで程度)
円卓で料理ぐるぐる回すような感じになるとちょっとやりすぎ。(楽しいけど)
大体この感じの中華はほぼハズレが少ないので、1〜2件押さえておくと便利。
ただ「食べ放題」とかを売りにしてる中華街の店とかは、ハズレも多いのでやめておいた方がいい。
地元の草野球チームの忘年会とか、気楽なメンバーでやるのに最適。
ラーメン餃子チャーハンが美味い店の店主は、実は元ホテル出身とかだったりして、
ロケーションは期待しないように。
中国人が最近始めたような牛肉麺とかが売りのタイプの中華は微妙なこと多いので避ける。
⚫︎エスニック編
・タイ料理、ベトナム料理、少数民族中華、インド料理・・・etcなどは避ける
エスニック系は、食べられない人が多いのでマジで宴会では使わないこと。
まぁ、いろんな人の地雷踏みまくるので辞めておく。
また、イスラムの地域だと酒の種類も少ないので、飲助の評価も低い。
・どうしても行きたければペルー料理かメキシカン(コスパ良し、人数〜20名まで程度)
南米系は、エスニックの中では苦手な人が比較的少ないジャンル。
ただ味付けは、日本人の味覚だと似たように感じてしまうので、宴会向きかと言われると微妙ではあるけど。
激安の肉ビストロみたいな使い方ができないこともないので、悪くはなかった。
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(追記)
ヒントは「おかみさん」がフロアを切り盛りしてて、バイト2〜3人抱えてる客席数30〜40くらいの店。
ここを貸切相談する。(注:ブコメの指摘あるように変な常連が幅を効かせてたりするので、貸切がポイントね)
俺の場合は、月1〜2くらいのペースで1年くらい通ってから相談することが多いかな。
大口の予約は店にとってはめちゃくちゃ大きい収入なので嬉しいんだけど、
バックれとかのリスクもあるので、ちゃんと人として信頼してもらってからじゃないと受けてもらえないことも多い。
ただ12月は良い店はほぼ埋まってるので、頑張って電話かけまくるしかない。
(ちょうど昨日、10人の急な店チョイスの依頼あって、10軒以上は電話かけたよ)
>50越えた人数の時は、どうするの?
ゼクシィとか結婚系の情報の口コミ調べて、美味しいって書いてる洋食系を選ぶと良い。
まあ、おいしさは正直二の次だけど、大人数のパーティ調理慣れてて、
音響設備とかもちゃんとしてるので、忘年会としてちゃんと成立させられる。
イベント企画として割り切って動く必要があるので11月には予約決めて、
向こうのスタッフと打ち合わせを何回かやって、段取りとかするのが大事よ。
>前提条件入れてくれよ
入れたよ。
>店のチョイス高くて、役立たねえよ。
いや、マジで3000円とか4000円でマトモなもん食べようと思うの間違えてる。
今、最低ランクのチェーン居酒屋でも飲み放題つけて4000円は余裕で越えてくるよ。
本当に予算カツカツの時は、ケータリング入れて会議室とかの飲み会もあり。
これはこれで、また色々とノウハウあるので、必要ならそのうち書くわ。
>誰と行くかが大事。本当にいい店はいいメンバーとしか行かない
これは、本当にそう。
俺はもう今は気の合わない人と宴会する必要が全くないので、強制参加の会合という視点が弱かったのは確かにね。忘年会なんて気の合う仲間だけでやればいいよ。
今は20代の子達を連れてく忘年会とかは、おっさんらでほぼ全部負担するよ。声かけるメンバーも厳選するしね。
ちなみに会社員時代もずっと例年幹事やってたけど(趣味で)、まぁこのブクマ見てもわかるように、どこを選ぼうが絶対に不満が出るのよw
なので、幹事が行って楽しい店一択で良いと思うし、強制参加にはしない方がいいし、会社はちゃんと補助した方がいい。
Permalink |記事への反応(12) | 15:13
・一時停止して、他の作業をすることが出来ない。
(この体験を超えることが出来るVRが登場するまでは、この地位は不動のものだろう)
もちろん映画を見るときに知らない人とべらべら喋ったりとかするわけでもない。
だけども、他の鑑賞者が一緒に映画を見ているという体験は、ひとりで映画を見ているのとは違うものとなる。
筆者の最近の実例としては、「もののけ姫」のリバイバル上映を見ているときにたくさんの観客が(そう、もののけ姫には目茶苦茶、人が入るんですよ)映画に釘付けになっている空気感を感じた。
「おまえらこの映画見るの何度目だよ?」という疑問も何のその、映画の魔法がたくさんの観衆にかかっている空気を感じられるのは映画館ならではだと思う。
「初期条件に恵まれたスターは価値が低く、愚者こそ真に価値がある」としている。
人は生まれつき与えられた条件によって価値が上下するのではなく、行為により測られる。
つまり、
文章の核心は「逆境に押し潰される運命の中で自由を発生させる行為こそ人間の本質」だと言える。
これは、大きな欠点・困難・過去の過ちを乗り越える者は、最初から順調な人より高い霊的地位に達するという強烈な主張。
あなたが引用した文章が言う「愚者の最初の不利な条件からの突破」は、実はタルムードに近い。
ただしタルムードは前世の悪行のように運命を宿命化しない。ユダヤ思想では輪廻は主流ではない。
文中ではスターの成功を「初期条件の産物」として貶している。しかしタルムードは違う。
「父の功績でなくとも、子がその道を歩まなければならない」シュバット 152b
という試練の中を歩んでいる。
恵まれた人の試練=高地で風に耐える試練であり、恵まれない人の試練=谷底から登る試練である。どちらも価値ある。
文章では「決定論的宇宙を破壊する愚者の自由意志」が強調されているが、タルムードはもっと複雑。
「すべては予見されているが、自由は与えられている」アヴォット 3:15
文章のように「決定論を破壊する自由」というより、決定論の中で開かれている狭くても本質的な自由の余白を選び取ることが人間の偉大さである。
愚者が敗北を運命づけられた状況から自由を必死に作り出す姿は、ユダヤ的には以下の概念に近い。
バアル・テシューバー=失敗や弱さを背負いながら不利な条件にもかかわらずそれでも善を選ぶ人
タルムードは彼らを、「生まれつき正しい人」より高いとすら言う(ブラホット34b)。
文章で「愚者は宇宙のスクリプトを書き換える」とあるが、タルムードならこう言う:
| 文章の主張 | タルムードの応答 |
| 恵まれたスターは価値が低い | 恵まれた者にも独自の試練がある |
| 愚者こそ真の自由を生み出す | 困難を超える者の価値は高いが、他者を貶めない |
| 運命を破壊する自由が尊い | 運命の中の小さな選択こそ人間を作る |
| 初期条件の悪さが英雄性を生む | 人の価値はスタート地点ではなく行為で決まる |
ヨブ=天から与えられた不幸に苦しみながら神と格闘しそれでも語り続けた
ヤコブ=「あなたが祝福するまで、私はあなたを離さない」創世記32:27 (夜の闘いで天使と格闘し、運命そのものに食い下がる。)
あなたの文章は、「スター=決定論」「愚者=自由意志」という極端な対比を通して逆境の中で選ぶ自由の尊さを語っている。
タルムードもまた、人は不利な状況から立ち上がるとき、最も神に近づくと教える。
しかし同時にタルムードは、「他者を貶めて自分を上げる構図」は採用せず、各人の道の尊厳を認める。
・成績優秀であることとその分野に関心があるかどうかは別問題である。なので筆記テストの成績は良くてもその分野自体に特に興味はない人間を入れることがその分野の強化に繋がるとは思えない。これはその分野の性質とその人間の個人的関心の問題なので入口・出口の問題とは無関係である。
・そもそも筆記テストの結果と長期にわたる研究・開発する能力は別の能力である、なので筆記テストの優秀者を入れればその分野が強化されると考えるのは安直である。
・理系という括りで述べられているが、例えば医学分野だと女性が皮膚科や眼科など特定分野に偏る問題があり単に男女比率を同率にしようとすると重大な副作用が発生する可能性がある。
https://www.sankei.com/article/20180822-PJOGIWA3BFKXJDEQS45LZ2UAFE/2/
・後半で"目的は国力としての理系の強化だ"とあるが、これまで述べてきたように男女比率を同率にすることが直線的にこの目的に繋がるとはいえず副作用の可能性も考えなくてはならない。
・女性は産休の必要や体力面の問題が男性より発生しやすいため負の影響は確認されていない、というのは疑義がある。また利益で動くなら女性特有の問題から安定して働くことを比較的期待しやすい男性を採用するとも考えられる。
・根本的な話、国力として理数系を強化したいのであれば男女比率の改善ではなく性別関係なく理数系の人間の絶対数を増やすことを目標にすればよいだけである。男女比率の話を持ち出す必要はない。
最近の呪術廻戦の感想を読んでると「リアリティがない!」「こんな馬鹿いるわけない!」って文句つける人いるけどさ、逆じゃね?
現実見てたら分かるけど、世の中にはとんでもない馬鹿、普通にゴロゴロいるからな。
だってさ、失言する大企業の役員とか国会議員とか、よくニュースになってんじゃん。
SNSを見れば、俺達凡人とは比べ物にならない天才たちのやらかしが毎日のように流れてくるぜ。
あれ見て「創作のキャラより現実のほうがヤベェだろ…」って思わん?
馬鹿なんて現実に沢山いるどころか、創作がまだ遠慮してるレベルだよ。
むしろ創作物でありがちなのが「人間が優秀すぎてリアルじゃない」ってやつ。
登場人物みんな視野広い、判断早い、理解力高い、会話が成立する。
作中で「こいつ馬鹿だな〜」って扱いされてるキャラでさえ、現実基準で比べたら割と話通じるし、普通に優秀な部類なんだよ。
そもそも頭のいい人間だって、常にその実力をフルで発揮できるわけじゃない。
咄嗟のことで頭が真っ白になるとか、緊張で判断ミスるとか、よく知らない分野の話になると急に滅茶苦茶なこと言い出すとか、そんなの誰でもある。
だから物語の中でキャラが判断ミスったり、変なこと言ったりしても、それってむしろリアルなんだよ。
男性の有能性をいくらわめきたてたところで、世界で女性差別の少ない教育・社会ほど経済も幸福度も好調であり
男性の性欲はじめ欠点を甘やかし続け女性に押し付け、夫婦別姓すらない女性差別大国日本が、経済、通貨、将来性において総負け状態である事実は変わらない
第二次世界大戦で敗北があきらかであるにもかかわらず、無能なホモソ上層部と妄想じみた大和魂、日本美化に執着し、敗北の原因を探り過ちを認め改善するくらいなら滅亡を選ぶという愚かさは変わることなく、だからこそアジアでも世界でも沈み続けている
最新機種、だいたいカメラ以外の部分が薄くてカメラが出っ張ってる構造になってるけど
めちゃめちゃブサイクやし不便すぎるから一番出っ張ってる部分基準で設計してええと思う
言うて数ミリやから全体がカメラに合わせて作られててもそこまで厚く感じへんと思うんよな
まぁ実際に使う時にはケースつけるから
ケース込みでカメラが出っ張ってない設計にしてるんやろうとは思うんやけど
ノーケースでめちゃめちゃダサくてガタつくという欠点を補うほどではないと思う
この12月になってというか年末になるとやんなくちゃ!って行けない事項の事柄が多くなるのよね。
私も夏に眼科行かなくちゃ行かなくちゃ行けたら行くから詐欺ではないけれど、
結局今の今まで行けてないじまいなのよ。
1つ1つずつ解決よ。
そんでさ、
私が持ってこよう持ってこようと思って待ち構えてずーっと買ってから家においたまんまで忘れちゃっている来年のスケジュールノート。
私手帳はつけない派とは言っていたけど
ウイークリー予定表のノートはあってさすがにそれでお仕事のこととかをやってる風な体裁に外側からの人が見たときに分かるように取り繕える感じでつけてはいるのよね。
それも、
いよいよ来年の予定も始まってきているので、
来年のページがもうないのよ!
鬼気迫るこの年末感!
来年の各ページがないから早いところ可及的速やかに家においてあるウイークリーの予定帳をできるだけ早くそろそろ本気で持ってこなくちゃってことなの。
なんかやっぱり手帳コーナーって寄ったら欲しくなるから寄らないつもりなんだけど、
もしかしたら来年はバッチリみっちり1日1ページの手帳にしっかり書き込んで充実した1日になるかも!って思っていても
毎年もうお正月開けて3日以降は紙が真っ白のままで11月頃に気付くのよね。
ああ、
何も書いていないことを一番悔い入る季節でもあるのよね。
今年も真っ白か!って
手帳の白さに併せて12月にふる白い雪のように思いを重ねるの。
白いわね!って
そんで、
12月になったら急に来年からはまるで新しく自分が生まれ変わるかのように急にバッチリ手帳が書ける自分になるつもりの思考が走り巡るのよね。
私はこの自分自身に12月に特にやって来る手帳欲しい病からなんとかして、
手帳コーナーに寄りつかないようにしていることを気を付けているのよね。
対外的に私がお仕事をしていますよ!って感じを漂わせられるようにある程度の体裁を保ちつつ書くことはあるんだけど、
ものごとは上手く行かないわね。
かと言って、
いまさら手帳を書くやる気を継続して1年キープするためにはどうしたら良いの?ってAIたちに尋ねるのも尋ねたとて、
それは3日と持たないのよね。
とはいえさ、
気が付いたときにメモをメモることを忘れない限り書くんだけど、
そっちに書いているから、
本編の手帳に書くことがないのかしら?
あれはあれでいいんだけど
文字通りの紙片なので、
ちぎって風に飛ばせば飛んで行っちゃうのよね。
手帳となると一応は1年分まとまって存在して固まっているので、
窓辺に置いておいても風で飛ばされちゃうことが少ないと思うので、
そういったメリットもあるのよね。
私は来年こそは手帳付ける謎の自信に満ちあふれるこの12月に自分の気持ちを確かめるために、
手帳コーナーに出向いてみようかしら?って思うの。
でさ、
その風格って結構脅威じゃない!
こっちもきっちり気持ちを整えて書かなくちゃ!って構えちゃうというか、
ブロックメモなら真っ白いのでどこに適当に雑に書いても気にしない感じでどんどん書けるから、
そう言ったことがあるのよ。
あれ?
もしかして私っていまだ本格的な1日1ページの手帳に緊張しているのかしら?
格式高くそして丁寧な生き方をしなさい!どーん!って開いたらそう整った1日1ページの手帳の威圧感に襲われていたのよ!
今気付いたけど、
そう言うことだったかもしれないことはないかも知れないかもってことはないわよね?
そんで、
さらに気付いたけど
1つ2つ3つのことを書いたら、
紙面がぎっしりみっちりなんか書いた感が急に出てくるので、
中身はともかくメモ書くテクニックは上達してんじゃね?って錯覚に陥るのよね。
そんでその錯覚に陥ったままのバイブスで挑む手帳売り場に出向いて強敵の1日1ページの手帳を買って年明けの早々4日目には後悔の念をする羽目になるのよ。
あの小さな手のひらに収まるような紙片のブロックメモが私にぴったりあっていていいのかもしれない。
きっとそう考えると合点がいくわ!
でも勇気を出してこのブロックメモを書いてる感醸し出しているいま勢いの良いバイブスのまま
欲しい気持ちが本当なのかウソなのか自分自身に試す機会でもあるわ!
急須で淹れたようなお茶の美味しさのペットボトルお茶飲料の綾鷹を一回そのまま急須に入れてコップに入れて飲むのがさらに美味しくなる丁寧な生き方なのかしら?
シャンプーの詰め替えを
元からある容器に詰め替えるんじゃなくって、
お洒落な透明のシャンプー入れ容器に入れて結局シャンプーかトリートメントかどっちか分からなくなってワンプッシュして確かめることが丁寧な暮らしなのか?
ジャガイモを皮剥くのが面倒くさいからピーラーでさっと剥くんじゃなくって、
洋包丁じゃなくてちゃんとジャガイモ皮むき専用のペティナイフでジャガイモの皮を剥いて作るカレーが丁寧な暮らしなのか?
意外と丁寧な暮らしの丁寧って何よ?って思うわ。
スプラトゥーン3の塗りエリアの誰も塗らない雑になっている角っこを丁寧に塗るのが丁寧な暮らしなのかしら?
それはちゃんと隅っこまで私は塗ってるけれどね。
私がいくら考えても丁寧な暮らし大喜利に対する丁寧な答えが見付からないのよね。
とりあえず、
シャンプーとか詰め替えしても、
容器が満タンにならずに3分の2ぐらいの容量の量しか入っていない詰め替えようって本当にお得なの?って正直思っちゃうわ。
3分の2の量じゃ物足りないのよね。
100の容器に60ぐらいしかない量の詰め替えも下手したらない?
逆に、
こないだ塩コショウを詰め替えしたら、
それは100の量の容器に詰め替え用のは150ぐらいの量があって1回じゃ入りきれない本気の椀飯振舞を見たの!
うわ!
引き出しにしまったの。
ああ!
これが丁寧な暮らしなのね!って
でもそれすっかり忘れていて
この12月の年末を機に整理してたらキッチンの奥の引き出しから出てきたのよ!
忘れていた余った詰め替え用の塩コショウがラッキー発掘されたのと同時にまたもう1つ丁寧な暮らしをしてしまったわ!って
あまりの自分の塩コショウに対する丁寧な暮らしさ加減がマックスなことにビックリしてしまったわ。
きっと、
うふふ。
松山ケンイチさんのシーエムに誘われてメガ盛りやってるタマゴサンドを求めてコンビニに飛び込み前転で入店したんだけど
大盛りフェア終わってたの?
ハッキリしないけれど、
なんか終わってたっぽいわ。
せっかくそのタマゴサンドの実力を!って確かめてみたかったのに!
代わりにせっかくなので普通のそのお店にあったタマゴサンドにしてみました。
今度いつで会えることかしら?
このチャンスの機会を逃しちゃったから再登場に期待しちゃうわ。
朝電気ポットでタイマーで飲み頃温度70℃で沸いているホッツは
起きてすぐに飲めるので超助かるわ。
今朝方はまだ寒さマシだとはいえ、
これからどんどん寒くなるって言うじゃない?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これは私はもう納得してて、残念だけど子供は持たないことにしたよ。
半分の確率で女の子が生まれるけど、可愛かったら嫉妬するし可愛くなければ母と同じに残念さを表に出してしまう。幸せにできない、かわいそうなことにしかならない。って思うんだよね。産めば平気かもとはどうしても思えないや。
本当はあなたみたいに素直に愛せて、
>自分の欠点だと思ってたことが娘に遺伝してたらなんとかして美点を見つけて伝えていくから、実際意図せず自分自身も救ってるんだろうね。
って言える人になりたかった。というかこの言語化すごいね。なるほどなぁ。
あなたはすごく素敵な人だと思う。なぜ愛しいと思うかを丁寧に分解してくれた説明、どれもとても納得がいきました。それに、私にまで気遣ってくれてありがとう。ちょっと泣きそうになっちゃった。
妊娠した時にもし女の子で、もしかわいく思えなかったらどうしようって悩んでたけど、産んでみたら何を悩んでたんだろうってくらい娘めちゃくちゃかわいいよ。
存在自体がかわいくて愛おしいから、顔が今もてはやされてるような(?)顔じゃなくても全然気にならない。なんだってかわいいねーとしか思えない
こんなにもかわいい子に自分の遺伝子が半分も入ってるっていう事実でなんか自分のことも昔より好きになれてる気がする。
自分の欠点だと思ってたことが娘に遺伝してたらなんとかして美点を見つけて伝えていくから、実際意図せず自分自身も救ってるんだろうね。
というか例えば娘が一重だったとして、それを親が残念がるのは違うんじゃない?と思う。
・主人公はさえない中年男性 若いころはひとかどの人気者だったが今はさえない雇われホワイトカラー
・仕事はがんばってるが、家庭のことはいまいち。こどもは愛している。自動車で学校まで送っていく父親の仕事はなんとかこなしているが、今日も大事なこと(発表会とか、誕生日とか)を忘れるたぐいのヘマして子供には愛想つかされそうで胸が痛い。きれいでやさしかったしっかり者の嫁も今は主人公へのあたりが厳しく、離婚の危機…
こんなセットアップから、マジカルなキャラクターがあらわれ、非日常の冒険にまきこまれていく。そしていろいろあって、主人公は自分の欠点を知り、変容を遂げ、満たされない日々は去り、自信を取り戻し、家族仲も再度円満、元鞘または離婚危機回避して前向きに歩き出す。 Happy end…
いろんなバリエーションがあって、窓際刑事、会計士(セントラル・インテリジェンス)、自動車教習所の教官(ドライブ・ハード)、など。 変わりだねで2児の母で第3子を妊娠中のアラフォー女性(タリーと私の秘密の時間)
近くて遠い作品として、砂漠で満たされない生活している青年ルークスカイウォーカーや、打ち切りが決まった落ち目の37歳未婚女性ラノベ作家(ヤング≒アダルト)も無理やり入れてもいい。
本作「ジェイ・ケリー」も、シャーリーズセロン含むマークハミル除く、いわゆる「中年の危機」ものということになる。
以下パターンの違い
・用語「ミッドライフクライシス」は40~50代中心らしいけれど、本作の主人公ジェイケリーは60歳超くらいという設定。だいぶ年齢高め。(セントラル・インテリジェンスの主演俳優は当時実年齢37歳。ジョージクルーニーは実年齢63.64歳くらい)
・というわけで離婚はとっくの昔に済んでいる。良い関係を取り戻したい相手は二人の娘。長女は34歳次女は高校卒業の年。
(離婚の理由を娘になじられ、言葉では説明できないくらい色々あって別れたんだよと説明するのには納得)
・ジェイケリーは大スター。金銭的にはめちゃくちゃ富豪。マネージャー、エージェント、ヘアスタイリストを引き連れ(ちょっとちがうがたけし軍団とか松本人志のとりまきみたい)リムジンで移動は当たり前、自家用ジェットを飛ばし、パーティー出席のお願いも気に入らなければ断り、急に気が変わって参加しようとしたりしてマネージャを困らせる。若くして成功したこともあって、自分では何もできないがマネージャにわがままを言えば何でも通る。娘に向かってヘリを出して迎えに行かせるからとナチュラルに口走る。
・大ヒット映画に何本も出演・知らぬもののない有名人。クランクアップしたばかり、次の作品も決まっている。でも満たされない。イタリアで功労賞を授与したいと言われるが乗り気にならない。もうオレは終わったのか?と。本当の幸せがほしい・・・そうだ!次女と一緒の時間をもっとすごそう!>次女からの塩対応
・この辺が「冴えない主人公」作品の逆で、恵まれすぎている故のギャップが可笑しい。
・で、主人公にとっての非日常が「乳母日傘」「蝶よ花よ」の丸がかえ生活からの逸脱 「え。あのジェイケリーがわれわれと同じ普通車に乗って移動してる!」と言われるレベル。
ビバリーヒルズ(かな?)の自宅豪邸から最初は自家用ジェット、専属ヘアスタイリストもマネージャーも去っていく。彼女らにも「自分の人生」があるのだ。イタリアのど田舎までの長い移動の間に自分のあやまちに気づいて、よりよい人間になっていく・・・という流れのディテールの巧みさ。
・この一種のロードムービーのなかで、若かりし日の思い出が要所要所でインサートされていく。映画撮影にかまけて幼い日の娘と過ごさなかった思い出、大人になった長女に久しぶりに会ってぎごちなかった日の回想、今は疎遠な父親との生活・・・
・その回想シーンの入り抜きが映画ならではのマジカルな演出で、詳しくないんですが、もしかしたら大林宜彦ってこんな魂だったのかな?と思いながら見ました。
・最後の長女との電話のシーン、薄暮の林という画面もあって、非常に印象的でした。
・ノアバームバック 名前はよく聞くけどあんまり知らない監督でした。