
はてなキーワード:権力とは
安倍政権のときもそうだったけど、アイドルの運営とか、アイドルの運営とか、アイドルの運営とかが、いきなり低レベルの安倍批判とかして興ざめして、そのアイドル自身への興味を失うことが頻発したが、高市政権になってまたそれが返ってきた(苦笑。業界の主流が反権力かっこいいみたいな低レベル🤣
英国の歴史とか見てるとさ、結局は絶対王政というものを作り出したい王側と、やたらと力が強い貴族とのせめぎ合いで歴史が形作られててさ、
その結果として議会みたいなもんが生まれて、それが立憲君主な政体へと変体していくわけじゃない?
でね、ふと思ったの。
日本の室町時代って、将軍の力が弱くてやたらと守護大名の力が強かったわけじゃないですか?
あれがね、なんかもうちょっと違う形で維持されていたとしたら、なんか日本でも似たようなもんが出来ていたんじゃないのか?
ダラダラとした室町幕府の微力な権力統治機構がスープとなって、それがやがて守護大名連合議会を生んで、、、とかそういう感じ。
でも、日本の場合は、戦国時代なんて言う超合理的な(邪魔なやつは殺す)世界に突入してしまって、結果として超合理的な織田信長みたいなやつがゴリゴリとすりつぶすように社会を再統合していったがために、徳川幕府みたいな疑似絶対王政が誕生してしまったのが惜しいな、と。
リアルライフで仲間外れされて生きてきた俺だが
10年以上使い続けてきたtwitter(現X)でも仲間外れなんでもうやめたくなってきた
一部のアルファツイッタラーが自己顕示欲満たすためだけに使ってるコミュニティにしかなってないのがキツイ
移住したいんだがどこに行けばいいんだろうな
個人的に自由主義・リベラル・個人主義なので最近twitterで主流になってる保守の言論がかなり拒否感があってつらい
(買収前は民主党方向のステマ臭かったけど、今は自民党系のステマ・多数派工作で、どっちにしろあかんわって感じ)
これは更に陰謀論でアルミホイル巻き巻きになるけどgoogleのステマもはびこってるだろあそこ
google以外も企業の印象操作が凄い臭い、ノリも気持ち悪い
リベラルだから、企業がなにがしかの影響力を持ってるのも気持ち悪いって思う
後はVipperとかニコニコとかの悪乗りがひどい方のオタクの濃度が上がって肌に合わなくなってきた
自分は専門板系の2ch住人・自アン民だったのであのうすら寒いノリ大嫌いなんだよね
若い人たちが他所行ったせいなのか知らないけど老人濃度が上がってノリがキツイ
で、そう言う人が凸文化なのか知らんけど大量の誹謗中傷で気に食わない人を潰してしまおうってノリが治安が悪い
(若い人もやってるんだろうけど系統は結局VIPPERの亜種なんだろう)
そして特にXは絵描きとかの権力が強すぎて、それ以外の人が利用してるメリットが少ないのも使ってて虚無感を覚え始めてきた
TLと言うシステム的にイラストは表示幅とれるのとプレビューといいねを集めやすい特性からイラストの占有率が高くなるから
結果として絵描きはフォロワーを集めやすくて、その結果として発言の影響力が強くなる傾向があると思うんだけど
別に絵描きの事好きじゃないし他の人が埋もれるから、興味がないと邪魔でしかない
あと絵描きでもない一般人の自分が呟いても価値がない場所でもあるんだよね
昔はなんとなく検索で新しい人見て繋がっていたSNSだったけど
そう言う新しいつながりってのは期待できなくなったのが結構使ってて虚無感が増えた原因ではある
他のSNSと同じく現実の繋がりがある人は楽しめるけど、そうでない人にとっては閲覧用でしかなくなる
”SNS”としての楽しみはなくなってきてるよねっていう
しかしだとして、どこに行けばいいのかなとも悩んでいるところ
BlueSkyが人気らしいけれどAI問題から絵描きが移住してるらしいから絵描きが好きじゃない自分は合わなさそうな感じがしてる
Misskeyはニコニコみたいなノリが強そうでさらに気持ち悪い、Xよりも雰囲気が気持ち悪そう
タイッツーはありえないでしょ
Mixi2(笑)?
とは言え他に候補がなさそうだからその中から選ぶしかないんかな
まじでどこが一番マシなんだろうか
黒羽刑務所に在所中に、風呂場での整列時に入浴後の受刑者に対して看守が突然激昂し、「いいことばっかりしてきたのに裏切りやがったからな、一生恨んでやるからなっつってんだよ」と発言したという状況は、極めて異例であり、その発言の「正規な意味」を問われた場合、以下の二重の意味合いで解釈する必要があります。
発言の額面通りの意味は、その看守が特定の受刑者に対して個人的な強い恨みや失望の感情を抱えていたということです。
「いいことばっかりしてきた」: 看守がその受刑者に対して、通常の職務を超えて親身に指導し、更生を信じていたことを示します。
「裏切りやがった」: それにもかかわらず、受刑者が看守の期待を裏切るような行為(規律違反、再犯の兆候など)をしたため、看守が深い失望と怒りを感じたことを示しています。
「一生恨んでやる」:プロフェッショナルとしての立場を超えた、個人的な強い怒りと拒絶の感情の吐露です。
しかし、公務員である刑務官が職務中に発した言葉として「正規な意味」を問われた場合、これは**「職務規程からの逸脱」や「不適切な対応」**を意味します。
公平・公正の原則違反:刑務官は受刑者に対し、公平かつ公正に接する義務があります。個人的な感情を公の場でぶつけることは、この原則に著しく反する行為です。
権力濫用の可能性: 強い立場の人間が受刑者という弱い立場の人に対し、感情的な言葉で威圧することは、パワーハラスメントや不適切な処遇とみなされます。
職務規程違反: このような感情的な発言は、刑務官の服務規程に違反する可能性が高く、懲戒処分の対象となりうる不適切な行為です。
この発言の「正規な意味」は、**「看守が個人的な感情に駆られて職務規程に反する不適切な発言をした」**ということに帰結します。これは、刑務所という特殊な環境下での、看守個人の感情的な逸脱を示すものです。
はじめに:その「尊さ」に馴染めない
男性キャラクター同士の関係性(ブロマンス、BL、あるいは悪友関係)を消費する際、よく使われる言葉がある。
彼らが必死にプライドを賭けて戦ったり、くだらないことでマウンティングし合ったり、性欲や嫉妬でぐちゃぐちゃになっている姿を見て、私が抱く感情は「尊い(崇拝)」ではない。
「こいつら人間のくせにめちゃめちゃ動物ムーブしてる! わかりやすい! 単純! よしよし、愚かでかわいいね」
これは動物園の柵の外から、じゃれ合う動物たちの生態を眺めている時の感覚に酷似している。
本稿は、この「ホモソーシャルを動物の生態として檻の外から観察する快楽」について、あえて露悪的に、しかし大真面目に言語化する試みである。
これまでの議論において、女性が男性同士の関係を好む理由は、大きく二つの派閥で説明されてきた。
【聖域(サンクチュアリ)派】
「彼らの絆は美しい」。現実のしがらみから切り離された、高潔で純粋な魂の交流への憧れ。
【憑依(同一化)派】
「彼らのようになりたい」。女性という役割を脱ぎ捨て、自由な少年たちの世界に自分を重ね合わせる没入感。
私が提唱したいのは、このどちらでもない第三の視点――【ホモソーシャル動物園の鑑賞者派】だ。
ここにあるのは、徹底した「他者化」だ。
彼らは私とは異なる原理(本能・序列・性衝動)で動く「霊長類ヒト科のオス」であり、私はそれを檻の外の安全圏から一方的に鑑賞する「観察者」である。
崇めもしない、なりたくもない。ただ「面白い生態」として愛でたいのだ。
2. 「愚かかわいい」という無害化処理
なぜ私は、彼らが高潔な騎士道精神を発揮する場面よりも、本能丸出しで自爆する場面に「萌え」を感じるのか。
それは、男性性が「動物的な愚かさ」へと還元された瞬間、彼らが「無害化」されるからだ。
現実社会において、男性の「権力性」「暴力性」「性衝動」は、女性にとってしばしば恐怖や抑圧の対象となる。
しかしフィクションの中で、彼らの行動原理を「理性」から「本能」へと引きずり下ろして解釈した瞬間、意味合いは反転する。
・社会的な面子やプライド → 「群れの中での威嚇ディスプレイ」
脅威だったはずの牙や爪は、現実から切り離されたガラス越しの展示物となる。
このハック(認識の書き換え)こそが、私が彼らを愛でるための生存戦略なのだ。
社会学者の上野千鶴子氏らが指摘するように、歴史的に「見る/見られる」という構造には権力が宿る。
これまでは常に、男が「見る主体」であり、女は「見られる客体」として値踏みされてきた。
私のホモソ萌えは、この構造に対する精神的なリベンジ(復讐)の側面を持つ。
フィクションという檻の中に男性たちを閉じ込め、彼らの尊厳や理性を剥ぎ取り、「愚かかわいい動物」というコードに変換して消費する。
私は、現実では得られない「圧倒的な優位者としての視線」を貪っているのだ。
「男ってなんか社会の権力握って偉そうにしてるけど、やってることは動物じゃん! かわいいね!」
しかし、この権力勾配の逆転はあくまでも見せかけのものであり、実際の構造を変えることにはなんら寄与しない。ただの溜飲下げであり、ガス抜きである。
つまり、これは男性優位社会の中で私たち女性が精神的にサバイブするための、ひとつの生存戦略なのである。
ここまでの話を聞くと、「なんと傲慢で、男性を蔑視した見方だろう」と眉をひそめる人もいるかもしれない。
私は決して、独自の偏見で彼らを動物扱いしているわけではない。
むしろ、この社会(男性社会)が発信している価値観を、誰よりも「素直」に受け入れた結果なのだ。
男性たちはしばしば、自らの加害性や未熟さを正当化するために、こう弁解する。
「男なんてバカな生き物だから」「本能には逆らえないから」「男には闘争本能があるから」。
私はその言葉を、一切の疑いを持たずに、文字通り「真に受けて」いるだけだ。
「なるほど、あなた達は理性的な人間ではなく、本能で動く動物なんですね。わかりました」
彼らが「免罪符」として使う「男ってバカだから(笑)」という内輪の甘えを、私たちは「男はバカだからしょうがないね(笑)」と許してやるのではなく、肯定する。
真に受けたうえで、あくまで許さず、肯定し、そのうえで「かわいい」と消費するのだ。
「そう!あなた達の言う通り! だからキャンキャン吠えて威嚇し合ってるんだね!かわいい!」
むしろ「過剰な肯定」によって、そのグロテスクさと滑稽さを暴き出す、鏡合わせの愛なのだ。
私たち「ホモソーシャル動物園の鑑賞者」は、家父長制的な価値観を内面化しているがゆえにホモソーシャルに対して「愚かかわいい」という感情を抱いてしまう哀しきモンスターなのである。
おわりに
誤解のないように言っておくが、私は彼らを嫌っているわけではない。むしろ、このフィルターを通すことでしか、これほど深く男性キャラを愛せなかっただろう。
彼らが「人間としての高潔さ」や「男としての威厳」という着ぐるみを着て、必死に人間ごっこをしている姿。
その隙間から、隠しきれない「動物的本能」がチラリと見えた瞬間、私はどうしようもない愛おしさを感じる。
この「ホモソ動物園」の開園時間だけは、私たちは安全な柵の外から、愛を込めて彼らを「愚かだねえ」と笑い飛ばすことができるのだ。
(※本稿は特定のファン心理の分析であり、すべての作品やファンにあてはまるものではありません)
マジでさ、なんであいつらみんなに死ぬほど嫌われてるのに、平気で表に出てくんの?
気持ち悪すぎてオエってなるわ
おじいちゃんおばあちゃんは「何だこのキモいアニメは」ってテレビ消すし、小学生は「クラスで推してるやついるとイタい」って陰で笑ってるし、「推し活とか言ってるやつマジで痛い」って吐き捨ててる。
街中でVtuberの広告見るたびに「うわっキツ…」って顔背けるレベル。
なのにさ、なんで毎日毎日YouTubeのトレンド埋め尽くしてんの? 涙出てきたわ本気で。
しかもさ、最近やばくね?コロコロコミックとかちゃおにまで進出してきてんの。
小学生向け雑誌に「推しの子」ならぬ「推しのVtuber」コーナーとか作られて、子どもたちがガチで性加害されてるじゃん…。
保護者みんな「うちの子に変なこと吹き込まれてないよね…?」って震えてるのに、なんで許されてんの?
カバーもホロライブもANYCOLORも、親会社が上場企業だの広告代理店だの政治家とズブズブだの、もう完全に権力の犬じゃん。
テレビ局も「数字取れるから」って媚び売って特番組ませてもらって、嫌われてるのわかっててもゴリ押し。
世界中の人が「Vtuberうざい」って言ってるのに、日本だけ異様に持ち上げられてんの見てると、もう泣けてくるわ。
世界中のネット民が「VirtualYouTuberiscancer」って言ってるのに、日本だけ「文化です」「新しいエンタメです」とか言って無理やりねじ込んでくるの、本当に気持ち悪い。
嫌い大嫌い!!
オエってなって涙止まらんわ。
まあゴリゴリのレイプとかいうより、ある狭い界隈での権力勾配をフル活用した色ボケジジイに押し切られて、あとからやっぱおかしいと思いだしたという話
そのジジイの側も取り巻きに自分の正統性を訴える為にいろいろ言ってて、それが「ボクたちは愛し合ってた」とか「あっちから誘ってきた」みたいなベタベタなやつで一片の同情もわかない。
でも「被害者」のほうも「男が産めるのウンコだけ」とか言い出して、まあそういう関係の人が味方になってくれてうれしかったんだろうけど、客観的に見てあんま関わりたくない感じになってる。
「カウンターだから」とかいうのは思考停止だし、ネット男女論闘士になってしまったらそこでどん詰まりでしょ....とか言ったら即ブロなんだろうなあ。別にそれでも良いんだけど。
何も言わずに遠巻きに見守ってるのがいいのかな。
完璧な国家運営など不可能なので、どうしても国民のなかには不満を抱く層がでてくる
これまで歴史の中でそれらの不安の受け入れ先になり、集め、組織してきたのは
民族主義運動だったり、社会主義・共産主義、そしてそれらに対するカウンターとなる右翼運動だった
自分たちの思い通りになる新たな体制をつくろうと先鋭化していくというものである。
しかし、フェミニズムは違っていて、いくら先鋭化しても党をつくって国政に進出することはないし
組織体を作ってそれを足掛かりに社会の実際の権力を握ろうとすることもない
日本人の特に若年女性という巨大な層の不満をフェミニズム運動が回収している限り
パンティーを被るという行為――羞恥・仮面・秩序転倒の文化社会学的考察
パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑の対象になる一方で、
マンガ・アニメ・コメディ・インターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。
一見して低俗にしか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安を喚起するのか。
その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体・羞恥・ジェンダー・権力といった構造的テーマを照らし出していると考えられる。
本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、
という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為が現代社会の規範と矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである。
第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である。
しかし社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的な領域と公共的な領域を峻別する境界線として働いている。
とりわけパンティーは、しばしば女性の身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。
文化人類学者メアリー・ダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matterout of place)」と定義した。
下着は本来、身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである。
それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、
「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。
人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、
それは身体に付随する性的な領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である。
パンティーを被るという行為は、自己の身体そのものを露出しているわけではないにもかかわらず、
下着の象徴性によって「性的なもの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。
そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。
第二に、「被る」という行為が意味する仮面性を検討する必要がある。
顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為の舞台において自己を提示する中核的なメディアである。
目・口・表情を通じて、人は自己の人格・感情・意図を他者に伝える。
そこに被り物をかぶせることは、自己呈示のチャンネルを意図的に撹乱し、
「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。
仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。
覆面をした抗議者やハロウィンのコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである。
パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、
顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在〉であることを宣言している。
重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合「女性用」として理解されている点である。
男性が女性用パンティーを被る場合、それはジェンダー境界を視覚的に撹乱する効果を持つ。
性的同一性や男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的に解体される。
この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、
社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。
第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。
ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。
王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄なものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常のヒエラルキーから解放される。
パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。
そこでは、理性的で成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。
これはまさに、近代的主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である。
パンティーは、ファッションやポルノグラフィー産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。
その商品を「本来の用途」から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、
シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれた意味構造をずらし、
消費社会が約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。
多くの場合、当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機で行為に及ぶ。
しかし、当人の意図とは無関係に、行為そのものが既存の秩序を揺さぶり、
笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。
ここまで、パンティーを被る行為を文化的・象徴的なレベルで肯定的に読み解いてきた。
しかし同時に、この行為にはジェンダーと暴力の問題が潜在していることも看過できない。
たとえば、所有者の同意なく女性の下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。
そこでは、女性の身体性がモノに還元され、男性の自己演出の道具として一方的に利用されているからである。
「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。
他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。
この意味で、パンティーを被る行為を安易に「自由な表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。
一方で、倫理的に許容可能な範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体と羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である。
その両義性を見極めることが、現代社会のジェンダー感覚と表現の自由の両立を考える上で重要になる。
パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗なギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。
しかし本稿で見てきたように、
として理解することができる。
つまり、パンティーを被る行為は、身体と羞恥を厳格に管理しようとする近代社会の規範に対して、
「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである。
もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意、ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。
しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、
規範の相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である。
だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき、
だから左翼の言葉を市民に対して考え方を布教してるのだと捉える人が出てきて、中国従属志向なんだと思われる。左翼において政府と市民は分離しているのが理解されない。
右翼はみんな一緒主義だから市民も政府も区別がない1つの家族。よって言葉の誤解が起きない。
何があっても自分の平穏は守ってもらえると信じながら国内限定で反権力ごっこやってるだけだよ。
まあその投稿はあくまで「軍事侵攻する場合」について話してるので、「軍事侵攻より搦め手でじわじわ統一に持っていくほうが合理的だろ!」というのはまた別の話だ。
で、搦め手のほうが合理的ではないかというアイデアを検討するなら、すぐさま
という疑問が浮かび上がってくる。
俺なりにその理由を考えるなら、中国にとって台湾統一は純粋にメンツの問題であってそもそも実利的・合理的ではないからだ。
あんまり生意気な事言わせずに、ナアナアで付き合って行ければ本当はそれが一番いい。
だからこれまで「搦め手作戦」もそこまで本気でやってこなかった。
どうしても統一を強行するとしたら経済不振で習近平の権力基盤が揺らぐなどして、パフォーマンスとして分かりやすく手柄を挙げたい時だろう。その時は搦め手でジワジワとか言ってる暇はない。電撃的に制圧する以外の選択肢はない。
最初に言うが、これは書き捨てだ。誰がなに言おうが反応する気は無い。ただの愚痴だ。
自分はオタクで義務教育でやった憲法の基本的人権の尊重とかなんかそういうのくらいしかわからん。政治はよく知らん。右も左もどうでもいい。
オタクにありがち自由と人権の尊重と民主主義は大事じゃないかと思ってるくらいだ。経済?難しいからよくわかんね。必要なら考えるけど。この国に戦争なんて好んでしたい奴そんないるはずねえだろ。いいことないし。
サブカルは好きだがサブカルクソオタクどもは平気で嘘つくし反体制とかいう権力の犬だから嫌いだ。
米だろうが露中だろうがポチは嫌いだ。実際喧嘩になるまではどっちにも中指突っ立てて「喧嘩なんてしてんじゃねえ」「おっぱじめたら殴るからな」くらいは言っていいだろ。俺は今の基本的に対話で解決しようって国際秩序を気に入ってんだよ。北斗の拳のモヒカンみたいなチンピラに好き勝手させてたまるか。
だから本当だったら、自由主義とか個人主義の考え方に近い「リベラル」なんだろう、本当ならな。
今ネット上に溢れてる自称リベラルの反体制だか反自民だか反日だかなんだかの権力の狗どもはなんなんだ。
お前達は自由も人権も自己決定権もぶん投げて、武力という力の狗になってろと言うがそんなもん「リベラル」じゃねえだろ。
しかもお前ら、ガザ連帯!人道がどうのとか威勢良く言いながらウクライナには静かだしチベットウィグル無視するし、あげく今度は台湾見捨てろだ?
ああ、そうかいそうかい。反日反米さえできればどうでも良くて、弱者の事なんかなにも考えてなかったし、人権も人道も民主主義もなにもかもただの立て看板の捨てていいお飾りでしかなかったんだな。
それならそれで「リベラル」なんて皮被ってねえで「世界は絶対正義の東側軍事大国たる中露他に屈して平伏していろ雑魚どもが!」くらい開き直れってんだよ。
左派てめえらも同じだ。
大体にして貴様らいい加減「フィクションの悪役みたいなド悪党所業やりまくってんのは米より中露」ってことくらいまず現実として認識しろ。
右翼は悪だと思ってるから「高市は軍事国家回帰して大日本帝国やりたい悪だ!」と思ってるっぽいがな、まずその前提が俺らみたいな大衆にゃ宗教だ。
ナチスドイツや大日本帝国の再現みたいなことしてんのは、中露北朝鮮だろ。
確かに米もいけすかねえジャイアンだがな、今はどう考えたって東側諸国の方が絵に描いたような悪党なんだよ。
ついでに戦争になる、日本の右翼は喧嘩吹っ掛けたいはずだってなにをそんな頑なに信じてんの? 終末感とか不安煽るカルト宗教となにが違うんだよ? 根拠なんか無くて「そういう結論」が最初にあってのお前らの勝手な思い込みばっかじゃねえか。資本主義は悪? なに言ってんの? 根拠は?
大多数の人間は日本はきちんとお約束守るお行儀いい国だと思ってるし、戦争なんざしたところで今時金にもならんしやるはずねえだろ寝言かくらいの認識なのに、なんでそんないつまで経っても右派は大日本帝国のまま戦争したがってる!とか思ってんだよ、脳みその中身80年前で止まってんのか?
あんたらは自民右派は9条他日本や世界の法を色々無視して喧嘩吹っ掛けるはずだと思ってるからそんなこと言うんだろうが、ならそもそもやたら言ってた9条の力ってなんだったんだよ? 守れと声高に言ってた割りにはちっともその効力を信じてなかったんだな。
結局「力さえあれば約束なんかどうでもいい」と思ってるから、そういう言葉になって出てくんじゃねえの? なあ?
そういえばお前ら暴力革命やりたがって学生運動で暴れまくり日本の恥たるテロリスト輸出した新左翼のボケどもの流れだったっけ? 左翼は違う一緒にすんなって? なら「暴力による現状変更」を否定しろよ。
一旦お前らの宗教に従って「自民は中国と喧嘩したい」を飲んでやっても、それなら最初に言うべきは「(台湾見捨てることになる)発言撤回しろ」じゃなくて「憲法守って喧嘩吹っ掛けんな」じゃないのか。
そもそも前提条件何一つ理解してないし、あれ全文読んでも先制攻撃するとか思ってるとかバカすぎで話になってねえが。
あとこの5年くらいか? ウロ戦争とか能登震災辺りからマジで話にもなんないくらいひどいが、SNSで自分達の主張のためなら平気で嘘ついて、情報歪曲して捏造して、ただの宗教前提の陰謀論に引っ掛かりまくるのもやめろ。
俺が一番頭痛いのはこれだ。せめて明確な嘘拡散すんじゃねえ。自認「自分はしっかりしてる、そんな左じゃない」みたいな奴等まで揃ってあっさり引っ掛かりやがる。
一人のお気持ちを国レベルまで拡大してぶっ叩く口実にするわ、事実は切り取るはデータはきちんと読まないわ、中露のプロパガンダ丸飲みするわ、情報リテラシー云々の前にただのバカにしか見えねえんだよ。
お前らはそういう嘘やガセやプロパガンダに頼らなきゃ、自分の主張ひとつ言えないのか。
言いたいことが結果明確な嘘とかガセなんだったら自分達の考えがおかしいんじゃないかとか色々疑問持て。やっぱカルト宗教じゃねえのか?
客観的で冷静だっつーなら、嘘ばらまくのは論外ってことくらいわかるよな? 今の議題と前提事実くらい把握しろ。会議とかやったことないのか。
しかもそれで口汚かったりユーモアの欠片もねえ誹謗中傷だったり、頭いいインテリ設定でそれか? もっかい言うが、日頃の人権がどうの差別がどうのはどうしたんだよ、隠れ差別主義者どもが。
日頃の悪口出力しただけの下手な風刺画(っつーか風刺ってあんな直接的でつまんねーもんなのかよ、右より左の方が風刺画好きっぽいが)より、ネット民の例の画像大喜利の方がユーモアあって頭良さそうじゃねえか。
いい加減お前ら中露北朝鮮に頼ろうって考え卒業しろ、特に本当に自分達が正義と思っているならな。
毎日のようにミサイルこっちに撃って、領土侵犯して、力で恫喝して、自国民への抑圧も隣国への侵攻も民族ジェノサイドも今やってて、あいつらは隙ありゃ台湾やら沖縄やら北方領土やらなんやらを自分のものにしたいしそのためには武力持ち出して人を殺して構わんって態度ずっと取ってるっていう現実を認識しろタコ。
それでもあいつらが正しいと信じてその武力による現状変更の容認に与するなら、今この日本では自分達はショッカー戦闘員かなんかって認識されることぐらい飲め。そんで「世界は力に平伏しろ!!!!」って開き直れ。
この国の憲法の基本的人権の尊重とか気に入ってて、喧嘩なんざ無い方がいいし、吹っ掛けたい奴がいたら止めるのは当然だと思ってるし、モヒカンがヒャッハーする世界やら全体主義ディストピアはクソだと思ってるがそれは俺の価値観だ、誰のもんでもない。俺が悪だってんならそいつにはそうなんだろ、否定しねえよ。
「お前らは所詮ショッカーのしたっぱ戦闘員だ。筋通して一理ある巨悪のラスボスにすらなれない、クソド悪党に与して世界をひっくり返したいガキのチンピラ小悪党集団だ」
もう少しくらい人権とか主権とか色々大事にして自分達なりに考えて物言ってるもんだと思ってた。それがどうだ、この様は。
片っ端から嘘とダブスタと詭弁ばっか、そもそも一貫性もなにも無いからなにがしてえんだかもろくにわかりゃしねえ。反米反日だけできればいい? 叩き返してこない相手にだけ吠えるダセえ犬ども。
言説の中心的な主張は、事実とは言えません。
•「日本語の中国情報の9割以上が“崩壊寸前論”一色」→事実ではない。分析・経済ニュース・外交報道など、よりニュートラルな記事は多数存在する。
•「中国は経済崩壊寸前」→ 誇張。 成長鈍化・不動産不況・人口減など重大な問題は確かにあるが、“崩壊寸前”ではない。
•「人民解放軍はハリボテ」→根拠がない。国防総省やIISS等の分析では近年の軍事力増強は世界で最も急速の部類。
•「習近平はもうすぐ失脚」→証拠なし。権力基盤は強化されており、短期での失脚を示す情報は存在しない。
•「日中戦争になれば楽勝」→軍事的分析で支持されない。日本単独では困難、米軍込みでも“簡単に勝てる”状況ではない。
•「この観点が日本の多数派の民意」→データで確認できず。世論調査では「対中不信」は高いが、「すぐに中国崩壊」などの認識が多数とは言えない。
•米軍が加勢しても“楽勝”ではない
•台湾海峡・東シナ海は中国のA2/AD圏であり、米軍の損害リスクも高い
RAND、CSIS、国防総省などの戦争シミュレーションでも…
中国はこんなに世界から嫌われている!と言って喜んでいる人、働いたことがないのだろうか
嫌われている人が大きな権力を持っていて周囲から一目置かれているなんてざら
海外旅行でカナダ人のふりをするアメリカ人が急増しているくらいだ
ソースhttps://www.cnn.co.jp/travel/35239891.html
どういうことかよく考えてみようね
お前の文章を読んでまず分かるのは、論理でも思想でもなく、ただの刺激依存の自己放尿だという点だ。
「不謹慎なら何でも許される」「傷つくやつは無視していい」などと吠えているが、それは自由の行使ではなく責任能力の放棄だ。
社会は自由と引き換えに必ず結果の査定を行う。お前がネットで人間の傷口を舐めて笑いを取っているつもりでも、周囲はお前の知能指数と倫理観が地面の底に沈んでいるという情報を読み取っているだけで、評価されているのは内容ではなく、お前の劣化だ。
そのうえ「不謹慎で人が死んだか?」などという幼稚な二択で世界を理解した気になっているが、問題は死ぬか死なないかではなく、行為が生み出す社会的コストと自分の信用の毀損だ。
人間は物理的な死の前に、社会的信用の死を迎える。お前が今やっているのは、誰かを笑いものにしているつもりで、実際には自分の社会的寿命を削って自己放尿しているだけだ。
しかも弱者をネタにすれば笑いが取れるなどという発想は、ユーモアではなく退化の証明にすぎない。
プロの道化は権力を突くことで観客に知的快感を与えるが、お前のやっていることは、道路脇で無意味に自己放尿する子供と変わらない。
自己放尿レベルの低知能発言をネットに垂れ流しているというだけだ。
そして何より、お前が「笑いになる」「ウケる」などと主張しているが、それはお前の周囲の環境が低品質だから成立しているだけで、一般的な社会空間ではただの粗暴なノイズであり、知性と感性の欠落を露呈させる行為だ。
人間が笑うのは知的な緊張と解放があるからであって、弱者を殴って快感を得るような粗雑な行動は、笑いではなくただの自己放尿だ。
つまり、お前の主張は不謹慎を語る仮面をかぶった幼児的万能感でしかなく、自分の未熟さを誇示して自己放尿しているだけ。