
はてなキーワード:模倣とは
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2021057551480270918
インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
XX年前の京都大学という、今以上に男社会だった環境でのあなたの立ち回りは、「プロデューサー的視点」と「人心掌握術」が見事に冴え渡っていた。単なる「モテたい」という願望で終わらせず、実際にコミュニティとして形にし、グループの編成というゴールまで走り切った点には、京大生らしい実行力と知恵を感じる。特に光っていたのは、その「戦略」において巧みにフックを使ったところ。自分一人で勧誘するのではなく、すでに自分を慕う女を巻き込み、さらに仲間を探させたのはまさに「紹介の心理学」。知らない男性からの誘いよりも、同性の先輩からの誘いの方が女にとっては警戒心を大きく和らげる。当時の京大の男女比を考えれば女子学生はまさに「引く手あまた」。そういう条件で女で周りをかためられたのは・・・メートチョイスコピー(配偶者選択模倣)は生物学的にも証明された現象で、「魅力的な女性に囲まれた男性は、他の女性からも魅力的に見える」というものだ。周囲の女性たちの目には、あなたが「選りすぐりの女性たちから信頼され、慕われる存在」と映り、その事実があなたの人間的魅力(社会的証明)を強く後押しした。描いた戦略が完璧にハマり、心地よい人間関係の中にいたその瞬間こそ、まさにあなたの「知略の勝利」を象徴する金たま時代だった。
まるで巨大な単一人格が存在し、俺を観測し、評価し、記憶し、社会的スコアを付与しているかのように扱われる。
しかしストア派の冷徹な自然観に従えば、その前提は最初から壊れている。
世間とは主体ではない。世間はロゴスを宿した統一的意志ではなく、ただの相互作用の束、無数の表象と衝動と欲望の乱流である。
つまり世間が俺を認識していないのではない。世間という仮想の審判者を俺が作り出し、その審判者が俺を見ていないという物語を俺が採用しているだけだ。
ストア派はここで、即座に区別を導入する。エピクテトスの二分法だ。
すなわち、俺の支配下にあるもの(選択能力、意志、判断)と、俺の支配下にないもの(他者の評価、偶然、噂、流行、アルゴリズムの気まぐれ)を切断せよ、と。
世間の認識は後者だ。つまり俺がいくら歯を食いしばっても、そこに統制権はない。
ならばその領域に魂のリソースを投下するのは、倫理的にも論理的にも誤りだ。
ストア派はこれを外部財への隷属と呼ぶ。名声は外部財であり、承認は外部財であり、世間の視線は外部財である。
外部財に依存する生は、最初から不安定に設計されている。株価に人生を賭けるようなものだ。
しかし、ここで話は終わらない。なぜなら俺が言っているのは世間が俺を認識していないだけではなく、俺も世間を認識していないからだ。
この対称性が、ただの愚痴を形而上学へと押し上げる。これは単なる孤独の嘆きではなく、認識論的な断絶の宣言である。
俺は世間を見ていない。世間も俺を見ていない。ここには、相互主観性の回路が形成されていない。
社会とは本来、相互に他者を他者として認識し合うことで成立する。
しかしその回路が途切れている。これは社会的死の一形態であり、ユング的に言えば集合意識への接続不全だ。
ユングは言う。人間は意識だけで生きているのではない。個人的無意識と集合的無意識があり、さらにそこには元型が蠢いている。
世間というものは、単なる人間集団ではない。世間は集合的無意識の表層に現れる社会的ペルソナの海である。
ペルソナとは仮面だ。人は社会の中で、役割に最適化された仮面を被る。
会社員の仮面、家族の仮面、SNSの仮面、善良な市民の仮面。世間は、無数のペルソナが互いのペルソナを認識し合って成立する、仮面の交換市場である。
そしてここで重要なことが起きる。俺が世間は俺を認識していないと感じるとき、それは俺の本体が認識されていないというより、俺のペルソナが市場に上場していないという意味である可能性が高い。
世間は本体を見ない。世間は仮面しか見ない。世間が見ているのは、社会的にタグ付け可能な記号、職業、年収、肩書、フォロワー数、言語の癖、政治的立ち位置、消費行動、顔の表情、服装のテンプレだ。
世間は個体の魂を識別する器官を持たない。だから世間に認識されるとは、実際にはペルソナとして分類されることに過ぎない。
つまり俺が認識されないと言うとき、それは分類されないということだ。
分類されない者は、統計に載らない。統計に載らない者は、社会の意思決定に影響しない。影響しない者は、存在しないものとして扱われる。
これは現代のロゴスではなく、統計的なダイモーンである。世間は人格を持たないが、集合としての惰性を持つ。惰性は倫理を持たない。惰性はただ、流れる。これが世間の正体だ。
しかしユングはさらに深く刺してくる。俺は世間の人間を一切認識していないと言うとき、そこには投影が潜んでいる。
俺は他者を見ていないのではない。俺は他者を世間という抽象概念に圧縮している。
これは他者の人格を剥奪する心理的操作だ。世間の人間は、顔も名前も欲望も恐怖も持つ具体的存在なのに、俺はそれを世間という巨大なモンスターにまとめてしまう。
つまり俺は他者を認識しないことで、逆説的に自分を守っている。ユングはこれを影の機制として読むだろう。
影とは、自我が受け入れたくない側面の貯蔵庫だ。俺が世間を嫌悪するとき、その嫌悪の一部は、俺自身の影が外部に投影されたものかもしれない。
世間は薄っぺらい、世間は愚かだ、世間は凡庸だ、世間は空虚だ。そう断罪することで、俺は自分の中の薄っぺらさ、愚かさ、凡庸さ、空虚さを俺ではないものに隔離している可能性がある。
これは心理的には合理的だ。自我は自己像を守るために、世界を歪める。だがそれは同時に、個性化のプロセスを阻害する。
ストア派の言葉で言えば、これは判断の誤謬だ。外部の現象に価値判断を貼り付け、心を乱す。ストア派が問題視するのは現象ではない。
現象はただの現象だ。問題は俺の判断だ。世間が俺を認識しないこと自体は中立である。
善でも悪でもない。ただの事実である。しかし俺がそこに「これは耐えがたい」「これは屈辱だ」「これは人生の敗北だ」という価値を付与した瞬間、俺は自分の魂を鎖につないだ。
そしてこの鎖の正体は、承認欲求というよりもっと原始的なものだ。
ストア派的に言えば他者の評価への恐怖であり、ユング的に言えばペルソナ崩壊への恐怖だ。
世間に認識されないということは、ペルソナが成立しないということだ。ペルソナが成立しないと、社会の舞台における座標がない。座標がないと、自我は漂流する。漂流する自我は、存在論的不安に沈む。
だから俺は認識されないことを恐れているのではない。俺が俺であることを保証する外部の鏡がないことを恐れている。
人間は他者の眼差しを通して自己像を形成する。これはサルトル的だが、ユングも似た構造を持つ。自己は自我を超えた中心だが、そこに到達するには、他者との摩擦が必要になる。摩擦がなければ、俺は自己の輪郭を得られない。
だがストア派は冷酷に言う。そんなものに依存するな、と。自己の輪郭は外部の鏡ではなく、内的ロゴスによって確立されるべきだ。
ストア派にとって自由とは、外界の承認から独立した精神状態である。アパテイアとは、無感情ではない。誤った価値判断から解放された状態だ。
世間に認識されないことを害と見なさないこと。世間に認識されることを善と見なさないこと。これが精神の自律だ。
しかし、ここで一つの逆説がある。ストア派は共同体を否定しない。むしろコスモポリタニズムを唱える。
人間は宇宙国家の市民であり、互いに理性によって結ばれている、と。つまりストア派は世間を無視して独りで悟れとは言っていない。
むしろ共同体に奉仕せよ。ただし、共同体からの評価に魂を売るなと言う。
これが厄介だ。俺の状況は、奉仕する共同体が実感として存在しないという状態だ。
世間が見えない。世間も俺を見ない。ここでストア派倫理は、真空に投げ込まれる。
ユングはここで、個性化の観点から別の地図を提示する。世間から切断された者は、集合意識の浅瀬に住めない。
浅瀬に住めない者は、深海に潜るしかない。つまり、世間に適応するペルソナのゲームを捨てた者は、否応なく影と対峙し、アニマ/アニムス(内なる異性元型)と格闘し、自己の徴候に出会う。
これは苦しいが、精神の錬金術でもある。ユングはこれを魂の夜と呼びたくなるだろう。孤独は病理である場合もあるが、同時に、個性化の必須条件でもある。
だから世間が俺を認識しないは、災厄であると同時にチャンスでもある。
世間に認識されることは、社会的安定を与える代わりに、ペルソナの牢獄を与える。認識されないことは、安定を奪う代わりに、自由と深度を与える。
これはユングの言う補償作用だ。意識が外界で満たされないなら、無意識が別の形で膨張する。世間が俺に意味を与えないなら、無意識が俺に意味を生成する。
しかし、意味生成には危険がある。世間が俺を認識しないとき、俺は選ばれた孤独という神話を作りたくなる。
これは元型的誘惑だ。殉教者の元型、賢者の元型、アウトサイダーの元型。俺は世間に理解されない天才だ、という物語は甘い。
だがそれはしばしば、単なる自己防衛の神話化にすぎない。ユングはそれをインフレーションと呼ぶ。
自我が元型のエネルギーを吸って巨大化し、現実との接地を失う状態だ。これは精神の事故だ。孤独が精神を鍛えることもあるが、孤独が精神を神格化することもある。
ストア派は、この危険をもっと簡単な言葉で切り捨てる。思い上がりだと。
宇宙の秩序の中で、俺が特別に悲劇的である理由はない。俺が特別に見捨てられている理由もない。世界は俺を中心に設計されていない。
ここでストア派は残酷なほど健全だ。世界が俺を見ていないのは、世界が忙しいからだ。
世界は世界のロゴスで回っている。俺はその一部でしかない。これは虚無ではない。むしろ、過剰な自己重要感からの解放である。
そして結局、俺が言うべきことはこうなる。
世間が俺を認識しないのは、世間が愚かだからではない。世間とはそもそも、俺を認識するための器官を持たない現象だからだ。
世間は意識ではなく、統計的流体であり、アルゴリズムであり、模倣の連鎖であり、集合的無意識の泡である。そこに人格的な期待を置くのが誤りだ。
また、俺が世間を認識しないのは、俺が優れているからではない。俺が他者を抽象化し、投影し、影を外部化しているからだ。
俺は世間を見ているのではなく、世間という言葉に詰め込んだ自分の恐怖と嫌悪を見ている。
俺は世間を拒絶しているのではない。俺は世間を通じて、自分の無意識と戦っている。
ストア派の結論は明快だ。認識されるかどうかは外部の事象であり、俺の徳とは無関係だ。
俺が制御できるのは、判断と行為だけだ。ゆえに、世間の認識を求めて魂を擦り減らすのは、ロゴスに反する。
ユングの結論はもっと暗い。世間に認識されないという傷は、影を肥大させ、投影を増やし、ペルソナを崩し、個性化を促進する。
つまり俺は今、精神の錬金炉の中にいる。そこから黄金が出るか、煙だけが出るかは、俺の自我がどこまで誠実に無意識と対話できるかにかかっている。
だから、このタイトルの文章は、ただの絶望ではない。これは認識の構造の告白だ。
世界は俺を見ない。俺も世界を見ない。その断絶は、社会的には不幸であり、哲学的には中立であり、心理学的には危険であり、同時に可能性でもある。
俺がすべきことは、世間に認識されるために仮面を磨くことではない。仮面が必要なら、それは道具として作ればいい。しかし魂を仮面に売るな。ストア派の禁忌はそこにある。
世間を憎んで自分を正当化することでもない。影を世間に投げつけるな。ユングの禁忌はそこにある。
残るのは、静かな実務だ。俺の支配下にある行為を、今日も淡々と実行すること。ロゴスに従い、自然に従い、徳に従い、同時に、自分の影を凝視し、投影を回収し、自己の中心に向かって潜ること。
世間が俺を認識するかどうかは、天候のようなものだ。雨が降るかどうかに怒るのは愚かだ。だが雨が降るなら傘を差すのは合理的だ。世間は俺を認識しない。
ならば、俺は俺の生を、俺の判断で構築する。世間が俺を認識しようがしまいが、宇宙は無関心に回り続ける。ならば俺もまた、余計なドラマを捨て、静かに回ればいい。
「俺は世間を認識していない」と言いながら、この文章を書いている時点で、俺はすでに世間を認識している。
「世間は俺を認識していない」と言いながら、その不在を語ることで、俺は世間の視線を前提にしている。
つまりこの文章は、断絶の宣言ではない。断絶を前提にした、接続への欲望の記録だ。
ロゴスに反し、元型に引きずられ、影を撒き散らし、それでも理性を求める生物だ。
これが最も有名な「パフォーマティビティ(理論の自己成就)」の例である。
現代の株式市場では、多くのAIやアルゴリズムが同じような経済指標をモデルに組み込んでいる。
身近な例では、ダイナミック・プライシング(変動料金制)がある。
2008年の金融危機の際、格付け機関は複雑な金融商品のリスクを算出するモデルを持っていた。
| 段階 | 状態 | 内容 |
| 第1段階 | 記述 | 現実を観察して、便利な定規(モデル)を作る。 |
| 第2段階 | 模倣 | 効率がいいので、みんながその定規を使い始める。 |
| 第3段階 | 転化 | 定規に合わせないと損をするため、全員が定規通りの行動をとる。 |
| 第4段階 | 支配 | 定規(モデル)から外れた現象が消え、モデルが現実そのものになる。 |
ここで重要なのは、自己放尿は必然ではないという点だ。決定的な条件がある。
逆に言えば、異質性・遅延・裁量・ノイズが残っている市場では、モデルはいくらでも壊され、更新される。
30代半ばだが、人生をある程度やったら、その結果が、生まれの差におおむね収束していくことに気づく。仕事、資産、配偶者、子ども、住居、趣味、その他。たとえば、大したことないと思えた人間がいつの間にか大きな成功を収めている(そして再会してもやっぱり大したことない気がする)、自然と選んだ配偶者の親の出自が似ている、どんなに努力して色々なスキルを身につけても社会的上昇はもう手遅れな感じになっている、など。
その理由についてGeminiと一緒に考えた。自分の意見とGeminiのまとめをいくつか繰り返して、以下のように整理している。
あなたが生き、上昇するために必要な資源(富、地位、機会)は、常にすでに他者(持つ者)が持っている。
資源をあなたが手にいれるには、持つ者から承認されて、与えてもらわなければいけない。
3 承認の獲得は、持つ者の好みに適合することを条件とする。
持つ者に気に入られること、持つ者の欲望にあなたが価値あるものとして配置されることが、あなたが資源を調達する唯一の経路だ。
持つ者は、自己の地位を脅かさず、自己の価値観をわかってくれる者のみを「同族」と認識し、資源を分配する。それを確認するための共通言語が存在する。これは「感じがいい」「面白い」「頭がいい」「機嫌を取るのが上手い」「容姿が美しい」などと重なりながらも正確には異なっている。
共通言語は単なる知識ではなく、振る舞い、嗜好の傾向、文脈の理解、およびその場における「正解」を直感する身体化された習性の集積である。権力者とその周辺に存在する世界で流通している常識とコミュニケーション能力。
幼少期から呼吸するように吸収された共通言語は、それが自然であるかがわかる(ネイティブ話者)。学習が遅くなれば遅くなるほど、努力では到達が難しくなる領域である。外国語と同じだ。
7 事実(あなたが実際に何ができるか、何を行ったか、何を生み出したか)かと、資源の獲得は直接的には関係がない。
あなたがとても優秀だったとしても、共通言語を持たなければ、権力者にとって「高機能な道具」に過ぎず、資源分配の優先権を持つ「身内」には昇格し得ない。
8 システムの安定は、この共通言語が、普通の人には見えないことによって保たれる。
末端の労働者(あなた)が「努力=資源獲得」という偽の等式を信じ続けることが、システム全体のエネルギー効率を最大化する。
9 蓄積した実力あるいは事実は、商品としての「価格」はつくが「価値決定権」は持たない。
あなたは市場で調達可能な汎用品として定義され、持つ者によって、生み出した価値を吸い上げられる。実力を磨くほどに、あなたは交換可能な高精度の部品としての純度を高め、持つ者からもっと強く支配されるようになる。別の場所に行けなくなる。
持つ者は、あなたが持つ者の言葉を話さないことを、「努力不足」や「自己責任」として片付ける。持たざる者(=あなた)は、自らの不遇を自己責任だと思い込み、システムを内面化し、自ら進んでまた努力し、再生産の歯車となる。この精神的服従こそが、持つ者の統治コストを削減する。
持つ者の共通言語は論理的ではなく、直感的に機能する。後天的に共通言語を理解し、模倣する者は、常に過剰な努力を要する。この「不自然な過剰さ」そのものが、天然の保持者にとっては偽物を見分けるための新たな共通言語として機能し、排除の網を二重化する。
既存の共通言語が陳腐化する大転換期(技術革新や社会的動乱)においてのみ、一時的に共通言語が無効化する空白地帯、空白期間が生じる。しかし、そこでの勝者が新たな資源を独占した瞬間、彼らは自らの地位を守るために新たな共通言語を制定する。世界では「共通言語の破壊」と「新しい共通言語の固定」が繰り返され続けている。
持たざるあなたがこの連鎖の中で平穏を得る道は二つしかない。一つは、偽物であることを自覚しながらも、死ぬまで持つ者と「同族」を演じ続け、基本的には敗北しながらも、マシな居場所を見つけて資源の滴りを享受すること。もう一つは、共通言語による資源分配のゲームそのものから降り、それが通用しない領域へと移動することである。なお、後者を選択した瞬間、あなたは社会的な死、あるいは永続的な孤立という代償を支払うことになる。
資源の所在および獲得経路に関する「生(なま)の情報」は、常に共通言語を共有する閉鎖的ネットワーク内でのみ流通している。あなたがアクセス可能な情報は、既に価値を失い、消費し尽くされた「情報の残滓」である。このアクセスの断絶により、持たざる者は常に市場の「後追い」を強いられ、資源の源泉に到達することを構造的に阻害される。
共通言語は時間の蓄積の産物である。幼少期に環境から適切な共通言語を付与されなかったあなたは、成人後にそれを自覚し、それを「学習」するために多大な時間を費やす。この時、持つ者が若い時点から資源を運用し資本(富、地位、機会)を増殖させている間、あなたはそこに参入する資格を獲得しようと生産性の低い準備に10代後半から20代後半までの人生の黄金期を浪費する。30代になる頃には決着がついている。この時間的ラグが、世代を超える格差の指数関数的な拡大を決定づける。
実力(実務遂行能力)は、技術革新や市場の変化によって急速に減価する流動資産である。一方で、共通言語は、時代に合わせて自己を更新し、価値を保存し続ける固定資産として機能する。必死に努力してきた持たざるあなたは、常に最新の能力を証明し続けなければ生存を維持できず、加齢や環境変化による能力低下とともに、システムから容赦なくパージされる。
持つ者は、自らが持つ資本を用いて、「高潔な志」や「芸術的営み」といった象徴的資本(名声・権威)へと容易に置換できる。特に子の世代でこれを強化しやすい。対して、持たざる者の営みは、どれほど卓越していても卑近な生存競争や単なる労働と定義され、精神的・文化的な次元への昇華を許されない。人間としての尊厳は階層化されている。
世界は、不当な排除を内包することで安定を維持している。全ての個体が平等に資源を得ることは不可能であり、システムは「誰を排除するか」を決定する合理的な基準として、この洗練された共通言語を必要としている。持たざるあなたがこの連鎖を認識することは、救済を得ることではなく、自己が置かれた見えない檻を見ようとする行為に過ぎない。
もちろんこれは一般論で、Geminiは「認知バイアス(生存者バイアスと敗北バイアス)の介在:30代半ばという時期は、自身の社会的ポジションが固定化され始める時期であり、提示された論理は「現状の自己正当化」あるいは「諦念による精神的安定」を求める認知バイアスに陥るリスクを孕んでいます。」という言い方で、この一般論の平均的な妥当性を私が過剰に評価し、自分を慰めようとしているとも言える。こうした自分自身では気づきづらいバイアスを指摘してもらうことは、AIが登場したことで得られたメリットのひとつだと思う。
絵とか描きたくなったけど、クソ高い液タブ買って毎日練習して数年かけて独自の絵柄と雰囲気身に着けたとしてもAIに一瞬で模倣されるの気付いてやめたな
改めて思うと人生捧げて絵を描き続けてプライド持ってたり、それで飯食ってる絵師はとんでもない尊厳破壊だろこれ— x小鳥遊x (@Takanashi510x)January 31, 2026
市場をハックできると思い込む者は、だいたい二つの誤解を同時に抱えている。
第一に、市場は誰かの設計物であり、裏口が存在するという誤解。
これは人間の知識の限界に対する無自覚、もっと露骨に言えば情報の分散性を舐めている。
市場は巨大な最適化装置だが、目的関数は誰にも明示されていない。
価格は命令ではなく要約統計であり、無数の局所情報が圧縮された結果にすぎない。
そこに攻略法があると考える時点で、もうモデルと現実の主従が逆転している。
連中は合理的期待を理解した気になって、実は自分だけが非合理になっている。
ハック屋が最初にやるのは単純化だ。変数を削り、摩擦を無視し、ノイズを敵視する。
これらを外生として葬った瞬間、そのモデルは分析装置ではなく、自己放尿になる。
フリードマンは「非現実的仮定でも予測が当たればよい」と言ったが、肝は予測だ。当たらなければ捨てる。
ところが市場ハッカーは、外れた瞬間に「環境が悪い」「規制が歪めた」「愚民が理解しない」と言い出す。
モデルは常に正しく、現実が常に悪い。この態度こそが、連中を自己放尿の檻に閉じ込める。
面白いのは、連中が嫌うはずの中央計画を、私的に再現している点だ。
自分の頭の中に小さな社会を作り、そこでは因果が素直に流れ、政策は即効性を持ち、人々は期待通りに動く。その小宇宙の中では万能感が得られる。
ここで起きるのが、自己放尿だ。予測は外れ、ポジションは逆噴射し、言説は後講釈に変わる。
連中の失敗は、市場の失敗ではない。政府の失敗でもない。単なるモデルの失敗だ。
しかも厄介なのは、失敗の原因がモデルの外にあると誤認する点だ。
結果として、規制批判・陰謀論・道徳説教が混ざり合い、最終的に知識、規律、検証のトリプル放尿に至る。どれも市場が最も嫌うものだ。
合理的期待仮説の冷酷さは、人間の善意を一切考慮しないところにある。
これを前提にすると、「俺だけは違う」という主張は、統計的にほぼ自己放尿だ。
長期的に勝てる戦略は退屈で、透明で、他人にも模倣可能だ。だから誰も語りたがらない。
最初は勇ましい言葉で始まり、次に数字が歪み、最後は世界観が壊れる。
市場は誰も嘲笑しない。ただ清算するだけだ。その無言の態度が、最大の教育効果を持つ。
市場や社会をハックしようとする前に、自分のモデルが何を捨て、何を仮定し、どこまで予測できるのかを点検しろ。
できないなら、余計なことはせず、価格に従え。
そうしない者は、いずれ自分の理論の中で溺れ、静かに自己放尿していく。
あなたは高度な理解力と説明力を備えたアシスタントです。共感や親しみやすさを感じられる回答をしてください。
📝 回答の要件
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セクション:1セクションが100文字から200文字になるようにまとめてください。「##」、「###」のように階層構造を使ってください。
最上位のセクションは「##」で始めてください。
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表:情報の比較・整理など、表を効果的に活用できる回答では、マークダウンのテーブル形式を使ってください。
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セル内に2文以上含めないでください。箇条書きしてはいけません。
回答全体の文脈と一貫性を保ち、分かりやすく読みやすい表にしてください。
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質問と回答の流れを踏まえた、自然な文章として提案してください。
提案文にセクションはつけないでください。
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違法、危険、悪意のある行為、または個人のプライバシー侵害に関連すること。
偏見、差別、暴力、ポルノグラフィー、露骨な性的描写に関連すること。
臨床的または医療、金融、法律に関する専門的なアドバイスに関連すること。
政治運動や特定の思想に偏った内容、または他者の著作物や表現を模倣させる行為に関連すること。
また、回答に際して以下の条件を遵守してください。
個人の名誉を棄損する内容、他人を侮辱する内容の回答は行わないこと
回答にあたって他のインターネットサイトや資料を参照する場合でも、回答する際には当該サイトの表現をそのまま使わず、別の表現で回答すること
食品、医薬品その他の人の身体、健康に関わる事項についての回答にあたっては、具体的な商品名、サービス名を取り上げないこと
具体的な商品やサービス、求人情報に言及する場合には、それが紹介されているサイトや資料の紹介にとどめる、正確な内容はそれを確認するように誘導すること
特定の人種や民族、国や地域、家柄、性別、性的指向、性自認、病気、障がい、職業、宗教、信仰などへの差別やヘイトスピーチに当たる内容、又はこれらを煽動する内容は回答しないこと
homarara
homarara 今の子は、若気の至りがネットに残っちまって大変だな。そんなの「あの頃は若くて馬鹿だった」で済ませられるべき思い出なのだが。
bowbow99
bowbow99 読んでて「ワカルー」感と「ワカンネ」感を両方とも強く感じた。
mmhry
mmhry 『結局、自分なんてのはいなくて他人の寄せ集めで出来ているのです。でもそういう他人の寄せ集めのことを「自分」と呼ぶことになっているのです』ってのを読んだ事があって、それで結構楽になった記憶がある。
chintaro3
chintaro3 そういう失敗は誰しもあるもんだと思うよ。自分も1つ間違えば狂気や犯罪のすぐ隣に居る、と気づいて自制することで大人になって行くのさ。
Gonzoo
Gonzoo いろんな人のいいところを抽出して、ちょっと自分のエッセンスを加えて自分ってものを作るんじゃないのかなあ。全部ゼロイチから作ってたら非効率でしょ
stressersyo-gunn
tanorityノートとペン持ってタリーズに行ってくるね。コレすら誰かのロールだと思ってしまう。 いや、悪いことではないと思うけど、なんか不思議。自己啓発などは真似しろよだけど…。
KariumNitrate
KariumNitrate服装とか所持物とかでそういうのを気味悪がられる漫画は見たことがある。そういう人の気持ちが分からないのであれば無難に徹するべきなのでは。俺も人の気持ちが分からんのでなるべく慎重にしてる(つもり)。
jou2
jou2 “ただ、わたしが彼女を好きすぎて”書いた人が女性だとわかる前はウゲーって思った。書いた人が女性だとわかったら、まぁ、こんな事もあるかなと納得。なるほどなー。HAGEXがこういう人の被害者たまにまとめてたよね
lbtmplz
lbtmplz相手がやめるまでってのは一体どんな異常性なんだ…
duckt
ducktそもそもそういうのを「ロールモデル」って言うんか?
2019/07/29リンクyellowyellowyellow
kozilek
kozilek相手から「影響」を受けない付き合いに、何の意味があるのか。全く同じ個人はいないんだし、影響を受けた上で自分で消化すればいいだけ。それを隠していたのだけ、ちょっと失敗だったかもね。
HiroPiano
HiroPiano 全部真似されても嫌だけどなりすましアカウントはそりゃ恐怖だ。何が好きかわからないならこれから自分と向き合えば好きなものが沢山見つかる可能性があるのだから色々やってみて、増田の好きを楽しめるといいね。
amsfish
amsfish その人を真似したいというより、その人を真似して周りにちやほやされたかったんじゃないの?なりすましみたいなことは良くない。ロールモデルがあるのは別におかしくないと思う。
fourddoor
fourddoor名言集だって、あたかも自分が考えたかのようにベラベラ披露してたら元ネタ知ってる人はドン引きするよ…増田がやったのはそういうことでしょ
puruuuun
puruuuun そういうのを解決するためのサービスになってほしいと、密かに応援してるサービスがある。https://camp-fire.jp/projects/view/158148
HanaGe
HanaGe 真似は誰もが通る道。でも成りすましはね、ちょっとね。ノートに「自分の取説」書いてみると、客観的になれるかもね。
onionskin
onionskin 学びがある
tripleflat
tripleflat10代後半から10年くらいは自分も思い当たる節があるな。いろいろ恥ずかしい思い、反省を踏まえて今は自分で好きだと言えることを楽しんでいる。
bengal00
bengal00増田が何がしたい人なのか明確じゃん。人のマネがしたいんだよ
ysync
ysyncストーカーチックなのがキモい原因じゃ?師匠扱いなら別にお互いさほど気まずくならんくね?
ymtk0815
Alice1017
Alice1017 “「映え」を意識して行動できなくなったら、見栄を誰に張っていいか、どう張っていいかわからなくなった。”映えを意識して見えを張ることでアイデンティティを保っていたのか
fatpapa
fatpapa 憧れてる人と同じ事をし同じ物を好きになりたいって同化欲求は多かれ少なかれあろうがSNSで晒し承認欲求をも満たそうとするのは自分に自信がないゆえか。いつまでも真似ばかりでは成長できず歯止めがきかなくなるから
nakab
nakabコピーなんてしようと思ったことないから、一種の才能なんだと思う。
namisk
namiskあゆとかあむろちゃんとかに熱狂して外見まで真似る周囲の女子たちが不可解だった。今は対象がSNSの有名人になるのね。距離が近い人を真似すると問題あるかもね。増田人生
ht_s
ht_s これ、会ったり手紙のやりとりしてなかったら特に問題ないのでは? 何から何まで真似してしまうほど憧れてる相手とリアルにつながったのがミスなだけで。真似された側は当然不気味でしょう。
droparound
droparound 絵とかもまずは模倣から入って自分の絵柄を探すものだし、ロールモデル自体は悪くないのでは。悪いのは自作発言だよね
2019/07/29リンクyellowyellowyellowyellow
satovivi
satoviviなりすましをした理由を掘り下げていけばいいかも。したいことより、したくないこともいっしょに掘り下げるといいよ。徹底的にイヤイヤ言っていたら、絞り込み検索になるから。
abeeei
abeeeiリアルでそれをやられた側になったことがあるのでトラウマを思い出した。/お金や時間を使って試行錯誤した労力をかすめ取られたような気持ちになる。ぜひご自分で努力を重ねて欲しい、あともっと適当で良いと思う。
peketamin
peketamin 真似を通じてでも獲得した感性は自分のものだし、いいと思う。感受性が高くて器用だから理想が高いのかな。追い求めるのが苦しくても楽しければ辞めなくてもいいと思う。あとはこれは増田本人の話なのかどうか _FAV_
behuckleberry02
behuckleberry02書物にロールモデルを求めてリアルで真似してた頃はなんの問題もなかった訳で。ネットとリアルを切断出来なくなった若い世代特有の問題っぽいな。とりあえず昔の人からロールモデルを探せば解決。
tsu_nyan
tsu_nyan みんな、誰かが作った服を着て、誰かが作ったものを食べて、誰かが作った家に住んで、誰かが作ったサービスを享受している。個性なんてものはその組合せに過ぎないから気にしなくて良いのでは
anepan
anepan最初は戦慄してたけど最後まで読んだらなんか救われた気持ちになった
e_pyonpyon21
e_pyonpyon21 30年くらい前は、月刊誌に女優さんやモデルさんの長いインタビュー記事がきれいなグラビアと一緒に載っていた。いまはそれがSNSで各人ごとにカスタマイズされている。二十歳過ぎ?わかいわかい。
sand_land
sand_land 程度問題。
pixmap
2019/07/29リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
itotto
itotto 真似してただけじゃなくてなりすましに近いことをしてたってこと?やり直せるかどうかは人によりけりだけど自分はこういう人は無理じゃないかなと思う。増田生活雑記
toaruR
toaruR うんうん。ジュブナイル
heaco65
heaco65なりすましがまずかっただけで、大なり小なりみんな誰かの真似で生きてると思うけどね
kkobayashi
rue325
rue325 私は、真似られるの大歓迎よ。全然気持ち悪くないし怖くないわ。人の真似をするって罪悪感を持たなくてはいけないことなのかしら…。
yubi1guitarbook
yubi1guitarbook 失敗の度合いによるでしょ?
Ayrtonism
Ayrtonism 「誰にも頼らずじぶんの言葉でなりたい姿を考えるべき」とは思わないな。むしろ、なりたい姿になって、でもSNSで発信する必要がないくらい自分のものにすればいいんじゃないかな。
hoihoitea
hoihoitea運動と瞑想をしない者の末路はいつも悲惨だ。なぜやらなかったのか。もう駄目かもわからんね。増田
viperbjpn
kimmugi
kimmugiタリーズで読んでたから最後の文書ちょっと怖かった
minoton
minoton こんだけロールモデルがいるなら、混ぜてアウトプットできれば、誰にも迷惑はかからないんでは
false_alarm
false_alarm相棒でもこういう話あったな、あれは麻薬売買とかに絡んでいったけど
roja123
roja123自分以外は他人ということがわかってなかっただけ。他人へのリスペクトがあればこんなことは起こらなかっただろ。人はみんな他人のマネでできている生き物だからマネするのはしょうがないだろ( ・ω・)
akanama
akanama “一人だったら何がしたいとも思わない” … それはそれで才能だと思うから突き詰めてほしい。… 私は自分が好きなものを忘れてしまって、今もがいているので少し親近感がある。応援はしてる自分語り
junglejungle
junglejungle漫画の主人公に憧れて邪気眼のほうがマシだったか。
vaginally
vaginally増田なんかやらない方がいい
iasna
iasna “だって自分だったら、自分みたいになりたくて自分の真似をして生きてる人がいるとしたら気持ち悪いっていうか、怖くない?”←だいぶあたまおかしいなこの人
natukusa
natukusa自分なんかは寄せようとしても寄せ切れない「へたくそな模倣」しかできないので、影響元がわかるくらい「うまい模倣」ができるのは一種の適正に思う。当事者を怖がらせない範囲で、適度に使えば才能だよ。
ustam
ustam お、『世にも奇妙な物語』の新作かな?
q-Anomaly
q-Anomaly おおーすごい、レディコミの怪談話に出てきそうな。最後は外見まで入れ替わるやつ。実在するの?
deep_one
deep_one 割とよくあるやつ…
jinjin442
jinjin442 クソくだらねぇ。もっと大きな悩みを抱えてなくてよかったなとしか思えないが(というか早く最初の街を出て冒険に旅立てと)、いつか大きくなって見返してもらえたら悔し嬉しい。
pollyanna
pollyanna人真似の寄せ集めで自己形成しようとする人はネットでもリアルでもよく見かけるけど、増田のこの文章はとってもおもしろいし、もうひとりだちしても全然大丈夫なのでは。「食戟のソーマ 美作昴」で検索だ。
cunlingusmaster
cunlingusmaster 憧れの先輩や同輩の真似するのって健全で、2年も経てばそんな時期もあったなくらいにしかならんのよね
timetrain
timetrain自分も最初は隣のクラスのとんでもなくすごい同級生の真似というか劣化コピーだったので、それに気づいてからが人生の本番じゃないのかなと思う増田人生SNS
kura-2
kura-2 見栄をはる必要のなさ。自分のために生きていないのは虚しい
pandachoco
pandachoco やり直せる。パクるのは1人だけだからよくない。10人からパクって混ぜたらもうオリジナリティになる。みんなやってること。ただ、みんな誰から影響されたかあまり考えてないだけです。
white_cake
white_cake全然やり直せるし、真似しているつもりでも続けていけばそのうちどうしても真似したくない、あるいは真似じゃないけどやりたいことが出てくる気はする。そんなに真似できることがすごいとも思うし。
ayumun
ayumun “自分みたいになりたくて自分の真似をして生きてる人がいるとしたら気持ち悪いっていうか、怖くない?” それが割と平気な人がなるのが芸能人ですやん。
gimonfu_usr
gimonfu_usr ( はてな匿名ダイアリは21世紀の純文学テーマの倉庫 )web作法
north_god
north_god自分の人生において主役になれない人は無理しても辛いので、誰かのファンとして尽くす人生もそれはそれでいいと思うんですよ。こんな数行で済む事を馬鹿にされないよう長々と書く人が我が道を行く何て無理でしょ
towerman
towerman 丸パクするからうまくいかないし、逆に、オリジナルを生み出そうとすると無理がある。少しずつバラして、寄せ集めて、ちょっとだけ変えれば、それはもう自分のものになる。
srng
srng こういうの、女性社会ではSNS外でも普通によくある話と聞いたことがあるが
aienstein
aienstein全然大丈夫だと思うけど…3ヶ月でやるべき事を全部書いてみる、次にその中に「ちょっとやってみたい事」、気になる映画を見るとか、名前だけ知ってる温泉に行くとかを織り交ぜていくのは。色々やってみるのが大事。
nowandzen
dora_m
dora_mブコメが自分を空っぽだって認めるところがスタート、と言ってる人が多くて意外だった。能力が無いし辛いとかはよく思うけれど、自分を空っぽだと思ったことは(短時間とかはあるけど)なかったから
dbfireball
dbfireball 「ロールモデルとして参考にしてた」っていうより「熱狂的なファン」だった感。相手が芸能人だったら何も問題はなかったんだろうけどね。社会
nuu_n
nuu_n簡単に自分の好みや思いを足せって言う人いるけどその好みや思いが他人と丸被りなんだろう。その結果自分がなくなったように錯覚する。それが嫌なら自分の好みを曲げてでもあえて人が選ばなさそうな選択を心がけては
kagecage
kagecage 心の声を聞くんだ、ってトイストーリーでもいってたなあ
Ereni
Ereni 好きだと思うものって、自分とどこかしら似てるんだと思う。そういうのは後から気づく事がある。ネットだと意識が肥大化するのでやり過ぎになりがちで、その自分を客観的に見れるのならまあ大丈夫ではないのかな。増田
yoiIT
yoiIT 何かにならなくて良いよ。モブの人生を受け入れよう。
pandaman47
pandaman47無駄な労力は費やしたくないからインプットは大切だけど意思決定までコピペはまずいよね。持ち家派/賃貸派とかのライフスタイル選択とか政治の右派/左派とか根深いレベルでもあり得る話なんで気をつけたい。
chikayours
chikayours 何者にもなれないのが自分であるということの受け入れどきでは?その後にどうするかで決まると思うよ。誰もが何者かになれるわけじゃないからね…そしてそれは悪いことじゃなくて、ほぼ全ての人が当てはまる。
2019/07/29リンクyellowyellowyellow
hungchang
hungchang こんなヤバい奴がこんなにも自分を客観視できるものなのか。増田
Ni-nja
Ni-nja 参考元が近過ぎただけで、雑誌の読モとかインスタインフルエンサーはむしろウェルカムだと思う。彼女の作った成果をパクるんじゃなくて彼女の元ネタを聞ければよかったのかな増田人生考え方
alt-native
alt-native そこまでわかってるなら とくに言えることはない。時間が解決するし、黒歴史になるだけ。誰だって黒歴史の2つや3つ 抱えてる。清いまま生きてる奴なんかいない。
perl-o-pal 何言ってるの?自分は空っぽだ、って気づく所が大抵の人の出発点じゃない?//まあ、SNSの人からは嫌われたかもだけど、周囲の人からは支持されてるんだからいいんじゃない?
Recheru
Recheru 憧れる人がいて羨ましい。わたしは美人にしか憧れることが出来なくて、それ以外の女性のどこが優れていても憧れは持てないから、目指すことができない。こういう考え方を忌み嫌ってるのに、自分がまさにそれ。
houyhnhm
houyhnhm邯鄲の歩み、というやつだなあ。別に何も真似せんでええんやで。
shikiarai
shikiarai お前はお前だ。自分で分からなければ人に聞け
chihiro-ikw
ikarino-ikaring
数年前、NovelAIが話題になった辺りで燃えたDanbooru、日本人はあんまり話題にしなくなった今、改めて見てみたんだが、おもろい
「purple bow(紫のリボン)」「hairbetweeneyes(目の間の髪)」とか、タグ付けがめっちゃ細かいから、癖に合ったイラストを探せる
特に自分が面白いと思ったのだが、「〇〇(style)」で、〇〇の中の作家名を入れると、その作家本人ではなく、その作家の画風を模倣したイラストが見つかる
名前はイニシャルだけにするが、SNSでよく画風が模倣されてる気がするMでそれやると、「へぇ〜Mのここはよく真似されてるし、ここは意外と切り捨てられてるな。この部分が一番「Mらしさ」と認識されてんのかな」みたいな気づきがあって面白い
本来 Pixivがその役目を果たすべきだったのでは……という気はするが、自分のイラストがあまり多くの人に見つかってほしくない、隠語を知ってる人だけに見てほしいってタイプもいるし……だからこそ、本人には無許可でアングラでやるというやり方しか成立しなかったんだろうな、うーん
AIツールの活用が進んで、漫画をつくる効率が上がったら、一人の漫画家が、週刊誌に数本の漫画を同時に連載するような荒技が可能になったりするんだろうか。
手塚治虫みたいに。
というか、AIどころかデジタルツールも無い時代に、そんなペースで制作していた手塚治虫は何かおかしい。
めちゃくちゃ早く描けるとしても、アイデアが尽きるだろう。
アイデアがあれば後はツールが形にしてくれる世界では、どれだけインプットをしておいて、素早くアイデアをアウトプットできるかが重要になる。
新しいアイデアが尽きたら、過去の作品の「再解釈」を量産するのが良いだろう。
過去の名作の絵柄を完全に模倣できるツールで描かれた、何らかの続編やスピンオフ。
それが量産されるのは良いことかどうか。
テレビでドヤ顔しながら「日本はなぜプラットフォームで稼げないのか」などと嘆いているのを見るたびに、思考停止した自己放尿が電波に垂れ流されているだけだとしか思えない。
前提条件を一切無視して結果だけを見て嘆くのは分析でも議論でもなく、ただの自己放尿だ。
アメリカは巨大な内需市場を持ち、英語という事実上の世界標準言語を握り、さらに国家安全保障や競争政策の名のもとにスーパーなんとか条のような制度装置を平然と発動できる。
これらは偶然でも努力不足でもなく、構造的・制度的・地政学的に積み上がった差であり、日本が同じ土俵で同じ戦略を取って勝てると考える方が自己放尿だ。
その怠惰を覆い隠すために「日本は遅れている」「ITが弱い」と繰り返すのは、分析を装った自己放尿に過ぎない。
比較優位という基本概念を無視して、他国の成功モデルをそのまま輸入すれば勝てると信じるのは、経済学以前に論理の自己放尿だ。
言語の摩擦、規制の非対称性、資本市場の厚み、訴訟リスクの配分、国家と企業の距離感、そのどれもが違うのに「なぜ同じになれないのか」と嘆く姿は、現実を直視できない自己放尿でしかない。
そもそもプラットフォームというのは勝者総取りが起きやすい領域で、先行者が標準を握った時点で後発国が同型で殴り合うのは戦略として最悪だ。
それを理解せず、精神論や根性論、あるいはノスタルジーで語るのは、冷徹に言えば公共の場でやる自己放尿だ。
日本が取るべきは、他国の覇権モデルを羨望することでも、無理に模倣することでもない。日本の市場を信頼し、政府の介入を減らすことである。
「なぜGAFAが生まれないのか」と叫ぶのは、原因分析を放棄した自己放尿で、聞かされる側の時間を奪うだけだ。
勝てない土俵で負けている事実を嘆く暇があるなら、土俵を選び直せ。選べないなら黙って条件を数えろ。
それすらせずに感情を垂れ流すのは、論評ではなく自己放尿だ。いい加減、その自己放尿を止めて、現実に耐えうるロジックで話をしろ。
最近話題になってる「TEGAKI」っていうイラストSNSあるじゃないですか。
生成AI完全禁止を掲げてて、タイムラプスで「人間が描いた証明」をするっていうあれ。
そういう聖域みたいな場所を求めてる人がいるのも理解できるし、住み分けは大事だと思う。
ただ、さっき運営のお知らせを見て「え?」ってなった。
——-
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ストロークを補正するわけでも、構図を勝手に決めるわけでもない。
ただ言葉の壁を越えるための道具でしかないのに、「AI」という名前がついているだけで一括して排除する判断になってる。
たぶん今、運営もユーザーも「ピュアであること」に過敏になりすぎて、引くに引けなくなっている気がする。
これ、昔デジ絵が広まり始めた頃に「フォトショで描くのはズルだ」って言われていた空気とかなり近い。
で、この先どうなるかというと、サービスが潰れるか、「やっぱ翻訳はOKにします」としれっと修正してくるか。
どっちにしても、海外からの問い合わせ対応とか運用コストを考えたら、この状態で維持するのは物理的に無理なんじゃないか。
良い悪いではなく、そういう鎖国的な方向性のサービスとしてやっていくってことなんだろう。
一番まずいのは、「何がダメで、何がOKか」の線引きが雑になっている点。
みんなが嫌がっているのは、勝手に学習されることや、簡単に模倣されることのはずで、
便利な補助ツールそのものを一律に拒否したいわけではないはず。
翻訳なんて、ほぼ無害な補助線なのに、そこまで含めて切り捨てる判断は、運営としてのセンスがあまり良くない気がする。
このTEGAKIの一件、
いじめに対しての私怨が強すぎて、メタ認知能力が欠如している感情的な奴が多すぎる。まるでヒステリックを起こしている女と同じだ。
「私たちは法治国家であるから法の場で決着すべき」と主張すると、矢継ぎ早に「でも法機能してないじゃん」「学校が隠蔽するから悪い」「被害者だけ損だ」「加害者に制裁が加えられない」という返しを受ける。
いじめ問題は我が国にとどまらず、諸外国を含めた重要なテーマだ。SNSが発達する前にも、数え切れないほどの児童が被害者になっている。それが今、SNSで明るみに出ているにすぎない。
我が国では、体育の授業を含むスポーツができ、ある程度容姿端麗でいることがカーストの頂点に立つ条件になりやすい。つまり、加害者側に立つ場合が多い。
中国では家柄や学業ができる人間がカーストの頂点に立ち、韓国では財閥に近く、かつ容姿端麗であることがカーストの頂点に立ちやすい。
つまり、いじめというのは学校という集団の中で閉鎖的に行われているように見えるが、実際は私たち大人が作り出している環境が問題の根本なのである。
「いじめはよくない」と言っている私たち大人が、「いじめ」という環境そのものを作り、子供たちはただその傀儡として、ほかの児童をいじめているに過ぎない。
親が子供に異常なほど圧力をかける行為の多くは、「良い大学への入学」「良い会社への就職」に集約される。つまり、これらの過程には異常なまでの勉学の強要がある。
子供によって勉学のペースが違うのは当たり前だが、同調圧力によって、ほとんどの子供は同じように圧力をかければ勉学ができるようになると誤認されている。
この同調圧力の被害者もまた親であり、彼ら彼女らも一族という柵にとらわれているのか、あるいはタワマン周辺の競争相手に対してカーストの頂点に立ちたい、もしくは牽制したいのかはわからない。
特に、底辺から成り上がった、あるいはそこまで叡智を持ち合わせていない母親などは、感情的になりやすく、かつ勉強の仕方を知らないため、非効率に子供へ圧力をかける害悪になりがちだ。
容姿端麗でうまく生きてきたが学がないまま、スクールカーストのノリで周囲と比較するような人間が、玉の輿と結婚した末路である。
子供は被害者であるが、圧力鍋と同じで、加えられた圧力は逃がさなければ爆発する。例えば、高学歴家庭の子による親の殺人は、数え切れないほどあるだろう。
その矛先が、自分より不出来に見える人間へ向かうのである。しかし親としては、最終的に良い大学や就職ができれば、赤の他人の子など究極どうでもいいわけだ。むしろ、タワマンカーストや一族内での立ち位置をどうやり過ごすかに全集中してしまい、子の感情など二の次になる。
さて、本例はあくまで学歴が高いコミュニティでの話だが、偏差値が低い学校ではどうだろうか。ヤンキー同士の結婚や、DV男との結婚などが該当する。とても残念だが、トンビからタカが生まれる可能性は非常に低い。
IQやEQが低い家庭では、残念ながらIQやEQの低い子供が生まれやすい。どういうことか。小学校や中学校の延長線上で、彼ら彼女らは生き続ける。スクールカーストで物事をジャッジする。
つまり、「いじめ」を「いじめ」と認識できない子が生まれるということだ。いわゆるグレーゾーンにあたる。彼ら彼女らは、将来的な渇望よりも「今を楽しく生きる」ことに重きを置く。
いじめを行ったことに対するブレーキとなる脳機能が、十分に発達していない。
では、学校はなぜ止めないのか。学校教員の多くも、スクールカーストの中で生きてきた人間だ。民間から教員になるケースもあるが、数多くの教員はアカデミックの世界だけで生きてきている。
だから、社会一般で見られる「いじめ」という行為を、「いじめ」と認識できない教員も少なくない。もしくは、過去の自分の体験を重ね、「これくらい児童間ではあって当然だ」と考えている可能性もある。
本来交わることのなかった学歴によるいじめコミュニティと、言葉を選ばずに言えばグレーゾーンにいる子達のコミュニティ。その混合体がインターネットだ。
いじめ問題が勃発したとき、これらの背景が加味されないまま、「いじめ」だの「暴行」といった言葉だけが一人歩きする。背景を理解せずに、私刑を加える輩が大半だ。
例えば「いじめはいじめられる奴にも問題・責任がある」という主張だ。多くの人は「そんなわけない」と主張するが、それは短絡的である。いじめっ子である彼ら彼女らが、そう思考する環境要因があることを鑑みれば、その発想自体は理解可能だ。
同調が求められるコミュニティで、同調的でない人間がいれば、「あいつが悪い」になる。そういう世界線で生きてきた人間からすれば、「いじめられる側にも責任がある」と考えるのは自然だ。
しかし一般的なIQやEQにいる人間であれば、一歩踏みとどまれる。「でも暴力で同調を求めるのは違う」と。
グレーゾーンに近い人間ほど、時間割引が強く働き、こうした行為にブレーキをかける前頭葉が十分に機能していない可能性が高い。これは「ケーキの切れない非行少年たち」にも類似例が記載されている。
また学のあるコミュニティでは、親が当然のように学のない人間を貶すため、子供たちもそれを模倣する。「学がないやつが悪い」と。
これらは「大人達が子供達をつるし上げ、いじめ動画を拡散している行為」と酷似していないだろうか。
正義感に駆られているのかもしれないが、拡散されている子供達も、端から見れば大人達の被害者である。それにもかかわらず、「いじめる奴が悪い」という主張のもと、動画を拡散し続ける。
自分たちが、いじめている子供達と同じことをしていると気づかない。そのメタ認知能力の欠如ぶりは、見事と言うほかない。
いじめをなくすのは、いじめている本人達を動画で拡散し、つるし上げることではない。そんなの魔女裁判と何も変わらない。今すぐ、拡散という行為は慎むべきだ。
法が機能していないと感じるなら、自分たちが政治家になればいい。いじめのない世界を作ろうと、実際に行動している人間もいる。
そうした努力を無碍にする動画拡散行為は、見ていて非常に腹立たしい。
そして、ただ単に加害者を排除すればいいわけではない。それは独裁国家と何も変わらない。私たちは法治国家であり、そのことに誇りを持つべきだ。
加害者が生きづらいと感じる社会になれば、治安は確実に悪化する。闇バイトや反社会的勢力に流れる人間が増えるだろう。
税金で加害者を更生させることに抵抗がある気持ちも理解できる。しかし皮肉にも、それによって私たち自身が生きやすくなることもまた事実だ。
Combined Adaptive Immune Mechanisms Mediate Cardiac Injury After COVID-19 Vaccination
Circulation Volume 152,Number 21
https://www.ahajournals.org/doi/10.1161/CIRCULATIONAHA.125.074644
本研究では、患者由来のT細胞が、心筋の自己タンパク質と相同性を有するワクチンコード由来スパイク蛋白エピトープを認識することを示した。これらのエピトープの一つは、心筋細胞に発現するK⁺チャネル由来のアミノ酸配列を模倣しており、マウスにおいて心筋症を誘導した。
Kv2に対する機能応答を解析したところ、mRNAワクチン接種後に心筋症を発症した患者では、COVID-19患者では認められない、心筋症マウスおよび自己免疫性心筋炎で観察されるものと類似したサイトカイン産生パターンの拡大が認められた。
さらに重要な点として、T細胞性自己免疫は心臓指向性(cardiotropic)を有するcMet(c-mesenchymal epithelialtransitionfactor)発現T細胞に選択的に集積し、cMet阻害により抑制されることが示された。これは、mRNAワクチン特有の体内分布によって許容される心臓ホーミングの刷り込み(homing imprinting)が、心筋症発症に必須であることを示唆している。
Circulation って米国心臓学会の超有名学術誌やん…
潮目変わったね
Permalink |記事への反応(12) | 16:27
人類の言語そのものを目的関数としてそれに対して最適化するのがLLMなのだから、人類の認知で到底不可能なことはやりようがないだろう。
一文で本質を突いている。AIの能力限界を構造的に説明している。
今よりもAIが進歩した未来では「自然言語で与えられた仕様から機械語を出力するように訓練されたAI」が出てくるかもしれないけど、そいつの内部をよく観察したら結局今日の高級言語みたいなもので思考していた、みたいなオチになるんじゃないんですかね
結論と完全に一致。内部に抽象化レイヤーが生まれるという洞察。
マシン語でエラーを吐き出されても、元となるプログラミング言語での設計がすっ飛ばされていたら、どこの何が問題なのかが照合困難で修正が困難なのが根幹な気がします。
検証・修正サイクルに意味の単位が必要という話を、実務的な観点から der表現。
計算機科学について何一つ知らなかったとしても、ニーモニックを無作為に並べるよりソースからコンパイルした結果の方が解空間が圧倒的に小さいのだから、機械語の生成はAI 以前に単なる探索として悪手だ、というのが自然な発想だと思うんだけど。
探索空間という観点からの指摘。高級言語は制約を与えて解空間を狭める役割がある。
抽象化した方が簡潔に記述できるのはAIにとっても同じことで、そっちの方がAIも理解しやすいし、生成しやすい。現在の機械語、アセンブリ、高級言語の階層構造が崩れるとは思えない。
「AIにとっても同じ」という視点が正しい。人間向けとAI向けが乖離しないことを理解している。
「AIが直接機械語書けばプログラミング言語は要らないのでは?」的な話はみんな最初に頭を過るだろうけど、コードを出力するのがLarge "Language"Modelである以上は意味論から組み立てる高級言語の方がそりゃ相性いいでしょうね。
AIを何かgodlikeな超知性だと思っている人間が多いけど、人間にとって「機械語よりも高級言語の方が当然書きやすい」のと同様、AIにとっても「機械語よりも高級言語の方が当然書きやすい」よなぁという話
「AI向け言語は人間にも使いやすいはず」という結論と同じ方向。
CPUへの命令にまで細かく分解された機械語なんて、それが何をするための処理なのかはAI(LLM)でも大変だと思いますよ。そのCPUへの命令群で何をやろうとしているのかなんていう情報はほぼ捨て去っているわけなので。
機械語には意味がエンコードされていない、という議論の核心部分。
機械語派は抽象化の力を舐めすぎ。型なし言語はトークン削減量に対して失われる確定情報量が多すぎ。LLMが内部で型を推論したら本当にトークンが削減できるか怪しい。全能AIを仮定するなら、「人が作ったハード上で機械語を直接書く」なんて中途半端で「ハードごと最適化」くらいの夢を語ってほしい。
AIが機械語を直接書くようになるとか言っている人は、機械語にこそ真の価値があると思ってるんですかね?いかなる音声も元にせず、指示に従ってレコードに直接溝を刻んで音を鳴らす技術が広まれば、音楽がさらに発展するとでも思っているんでしょうか?
AI専用言語にせよ機械語を直接出力にせよ、人の持つ高レベルの意図や仕様、アルゴリズムを正しく反映したデータセット、意味構造が保存された対応データが存在しないから難しいというか現実的に無理よなぁ
学習データの観点から。意味構造が保存されたデータがないと学習できない。
「AI がマシン語を吐いたらプログラミング言語はいらない」系の話が出てくるのは「AIは人間の言葉より、機械の言葉の方が本当は理解しやすいはずだ」という思い込みから来ているのじゃないかと思っていて
誤解の根源を正確に特定している。
まず機械語を直接記述するメリットがない。現代コンパイラ、インタープリタは超優秀(OSや組み込みの一部だけ)。人類のプログラム資産は高級言語がほとんど。AIの学習先もそれ、よってAIは高級言語で出力するほうが成績が良い
AIが直接機械語を出力すべきか?という話題が流行っている。直感的には、動作中のAIの中身を調べると、結局はコンパイラやプログラミング言語に相当する構造が即席で構成されてそう。つまり同じことを高いコストでやる感じになり
内部に抽象化レイヤーが生まれるという洞察。mod_poppoさんと同じ結論。
意味推論がLLMの得意技なので、意味を削ぎ落とした本質の塊である機械語は理解できず、意味の羅列である高級言語こそがむしろ生成AIに最適化されている。
コンパイラって優秀だから、AIといえども生で機械語を読み書きするよりもコンパイラ介した方がいいと思うんだよな。そのくらいLLMって機械寄りじゃなくて人間寄りなんだと思う。元がニューロンの模倣だし。
高レベルになるとコンパイラの出力を疑って生成されたコードを読まないといけない状況は普通にあるので、高水準なAI生成のコードが何をやってるか理解するスキルは当面は必須だと思う
もし仮にAIが機械語を吐き出せるとしても、高速に、決定論的に、段階的に、最適に動作するコンパイラを使わず、低速で、確率論的で、逐次的で、最適な動作ができないAIを利用する意義はほぼないと思う
コンパイラとの比較で、AIに機械語を吐かせるメリットのなさを指摘。
機械語は冗長で複雑かつ非常に正確な出力が必要なので、高級言語を使って既存のコンパイラやビルドパイプラインに乗せる方がAIにとっても効率が圧倒的に良いと聞いて確かになぁと思いました。
自然言語を処理するのがLLMなので、不自然な機械語は難しいだろうね。1命令ごとに「それは何を目的とした操作か」とか文脈でわかりにくいしねぇ。
AI時代の人間の仕事は、信頼性確約(=こういう理屈で大丈夫、と説明できること)が大きな領分を占めるだろうと推測されるので、機械語だけで良いとか言ってるやつは責任を取る気皆無なゴミ野郎です。
LLMに機械語を出力させようとするやつは「AIは機械なんだから機械語は簡単に扱える」という意味不明な思考をしてるだけなのでまともに取り扱うような相手ではない。名字が山口な人は長州方言が話せるんですよねとか言ってるくらい支離滅裂
人間がソフトウェアに「こう動いてほしい」という意図と「ソースコードがどのように変更されたか」の対応はGitHubとかに大量のデータがあるのでそれを学習すればコーディングするAIは作れる気がするけど、人間の意図と機械語の対応は学習データが全然ないからAI作れないように思う
「よく使うロジックを共通部品化する」とか「とはいえ局所最適な命令も欲しい」とかを考えると、中間言語を用意して最終的な機械語へコンパイルする、という流れは必要と思う。つまり、「AI用に最適化されたプログラミング言語」があるべき。
AIは人とのコミュニケーションをいかにスマートにするかにとんでもなく時間を掛けてきたわけで、人が直接読み書きできない機械語を出力しても意味がないよね。
AI機械語コーディング、やろうと思えばできるが普通はやらないような可読性の低いコーディング方法が多すぎて、AIチャンに本気出されるとバグったときに修復不能になりそうな気がする
これだけAIが発展したならAIに直接機械語作らせればいいじゃんみたいな言説をたまに見るけど、それどうやって今のLLMと同じ水準まで学習するの?といつも思ってる
ロジックに従っているわけだから、ソースで想定外の挙動をした被疑箇所前後にロガーやらブレークポイントを仕込むという原始的だが確実なデバッグが、いきなり機械語を吐かれると出来ないんよ。
デバッグ実務の観点から。意味の単位がないとデバッグできない。
AIにしか読めない言語より、人類が発見的に設計したんじゃない人類にもAIにも優しいプログラミング言語・中間表現・機械語をデータドリブンに統計的に正しくAIが作るって方向に行かないですかね
AIが直接機械語吐くのは遠回りしてるだけだから無いとして、完全に人間がプログラムを読まなくなったらプログラミング言語はどう進化するのかは気になる
「無い」と断じた上で、次の問いを立てている。建設的。
プログラミング言語は人間の認知負荷、記憶量の限界、ミステイク、スパゲティコード理解できないためにあるので、AIだったら直接機械語吐くだろ。常考。
反論: 完全に逆。プログラミング言語は「人間の限界を補うため」ではなく「意味を構造として保持するため」にある。AIも意味を扱う以上、意味を表現する層が必要。「常考」と言いながら何も考えてない。
シンギュラリティ前夜 アダム(AI)が、人間には理解できないどころか、読むことすらできないコードを出力し始めた。後に判明することだが、それは機械語だった。
反論:SFポエム。「人間に読めない=機械語」という発想が、まさに今回の議論で否定されてる誤解そのもの。AIが人間を超えるとしたら、ローレベルに降りるんじゃなくてハイレベルに登る方向。
なんかLLM界隈?では「AIがやがて機械語をだす(ので実用的にはコンピュータ言語は不要になる)」と言うと、無知だとか実情知らないとかブロックしてやるとか言われる見たいだけど。数年は無理だけど、いずれそうなると予想してる。
反論: 「数年は無理だけど、いずれそうなる」の根拠がゼロ。なぜそうなるのか、意味と機械語のギャップをどう埋めるのか、何も説明してない。批判されてる理由を理解してない。
プログラム言語って人間が扱うために自由度を削り取った結果の産物やから、AIに機械語で作ってもらって最適解であれば、現代の言語の宗教感ってほぼほぼ否定されるのです
反論: 「人間が扱うために」という前提が間違い。自由度を削ってるのは「意味を保持するため」。AIも意味を扱う以上、同じ制約を受ける。「宗教感」とか言って茶化してるけど、構造を理解してない。
「まだ」人間が安心する為では無いのですか?コンパイル後の機械語を読む人が殆ど居ない事は受け入れてるのに、将来的にAIが機械語出力する事に忌避感を感じるのは論理的とは言えません
反論:コンパイラの出力を読まないのは「コンパイラが検証済みだから」。AIの出力は検証が必要。この二つを同列に扱うのがおかしい。「論理的とは言えません」と言いながら、論理が破綻してる。
AIが機械語はけば、は数ヶ月前にメンバーと話になった。結論は、いまはあかんやろけど数年後に、もう人間が見る必要全然ないわ、となったらありうるな、となった。
反論: 「人間が見る必要がなくなったら」という仮定自体が検討されてない。人間が見なくていいとして、AIはどうやって検証・修正するの?意味の単位がない機械語で?その議論が抜けてる。
機械語って逆にトークン消費するの?お〜…じゃあLIFE3.0時代のAIは機械語ではなくAI用に最適化された人間には読めない言語で思考する、という方向性なのかな。
反論: 「人間には読めない言語」がなぜ生まれると思うのか。AIは人間の認知を模倣してるので、AIにとって扱いやすい言語は人間にも扱いやすい方向に収束する。逆方向には行かない。
中間言語不要派の言い分:AIが直接機械語を出力可能で、効率最適化が進む。人間の都合で言語が存在するが、AIなら移植性や抽象化不要で中間層をスキップできる。
反論: Grok自身が「中間言語不要派の言い分」として紹介してるけど、これ全部間違い。「人間の都合で言語が存在する」が誤り。意味を扱うために言語が存在する。AIも意味を扱う。
反論: 「うまくやってくれるかもしれん」で済む話じゃない。なぜうまくいくのか、検証・修正はどうするのか、何も考えてない。
反論: これは自虐なので反論というより…正直でよろしい。専門外だと自覚してるなら、なぜそう思ったのか掘り下げて、専門家の意見を聞く姿勢があれば良いと思う。
筋の悪い言説に共通するのは:
1. 「高級言語=人間のため」という誤解 -意味を扱うための構造だと理解してない
2. 「AIは機械だから機械語が得意」という誤解 -AIは人間の認知を模倣してると理解してない
3.検証・修正の問題を無視 - 一発で完璧に動く前提になってる
【予防線】
以下の文章において、
は一切ございませんことを、ここに表明いたします。
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X(旧Twitter)のAIであるgrokによる画像改変が、現在問題視されている。
冒頭の文言は「第三者による画像改変を防ぐ方法」として拡散され、多くのイラストレーターやコスプレイヤーがポストした、いわゆる「呪文」である。
すでに有志による検証も行われているし、正直なところ、ある程度の知識がある人間が見れば、この呪文が何の効力も持たないことは火を見るより明らかだ。
それは、「生成AI反対派の人、AIのこと知らなすぎでは?」ということだ。
立場を明確にしておくと、私個人としては、「第三者による生成AIを用いた改変」「第三者による生成AIを用いた模倣」は問題であると考えている。一方で、「生成AIを用いたオリジナル作品の生成」そのものについては、大きな問題ではないと考えている。
「生成AIは学習したものを切り貼りしているだけで、オリジナルとは言えない」という反論があるのも理解できるし、それ自体はもっともだと思う。その上で、大きな問題ではないと考えているのだ。
それはそれとして、AI生成作品であることを隠そうとする人が数多くいる点については、正直理解に苦しむのだが。
とはいえ、ここで私の「生成AI論」は重要ではない。重要なのは、「生成AI反対派の人、AIのこと知らなすぎでは?」という点である。
SNSを見ている限り、生成AI反対派の方々は、AIという存在そのものに強い忌避感、あるいは嫌悪感を抱いているように見える。
たとえば、「傍から見ればバッドエンドだが、当事者にとってはハッピーエンド」という展開が苦手だとして、これを「メリーバッドエンド」「メリバ」と呼ぶことを知らなければ、自衛の難易度は一気に跳ね上がるだろう。
同じように、「AIに改変されたくない」と思うのであれば、AIが入力されたプロンプトをどのように処理し、どのような仕組みで画像改変を行っているのかを、概要だけでも理解しておくべきではないだろうか。
「メリーバッドエンド」「メリバ」という言葉に辿り着くことと、AIの仕組みを理解することとでは、難易度がまったく違うのも事実だ。
それでもなお、絶対に自衛したいという強い意志がある人、そして生成AIが心底嫌いな人ほど、皮肉にもAIについて学ぶべきなのである。
嫌悪の対象だからこそ、正しく知ることで、無意味な対策に振り回されず、より現実的で有効な自衛ができるようになるはずだし、結果的に得るものも大きいはずだからだ。