
はてなキーワード:標準語とは
「標準語」は規範的な、国家が定めた言葉を指し、日本ではまだ存在しないとされています。一方、「共通語」は、全国どこでも通じることを目指し、東京の言葉に近いが必ずしも一致しない言葉のことです。
"国立国語研究所が一九四九年に福島県白河市で行なった言語生活の実態調査の報告書「言語生活の実態」(一九五一)で「標準語」を「なんらかの方法で国として制定された規範的な言語」と定義し、それは「日本ではまだ存在しない」という立場から「共通語」という語を用いた"
煩く思われるかもしれないんですけどね、
都民でもイントネーションとか語尾とか思いっきり方言使ってるよな?
標準語ってアナウンサーが使っている言葉なんだけどプライベートで標準語使ってる人なんていなくね?
みんな何かしらのどこかしらの方言とイントネーション使って喋ってると思うんだけど間違ってる?
柴田淳🍚6年ぶりバンド編成3都市BillboardLive Tour❣
@shibatajun
たぶん、これが理由。
柴田淳🍚6年ぶりバンド編成3都市BillboardLive Tour❣
@shibatajun
本人が一度も見ていないと言っているのに、
違うと反論出来るのが凄いですね。
世の中には見る前に確認できる、予告という宣伝が存在することをご存知でない?
こんな小さなことすら許せないんでしょうか。
大変だなぁ。
(略)
2時間
返信先: @shibatajunさん
嫌になってしまうまでは
見ていたのでしょうから
「一回も見たことがない」は
違うと思いますが?
まず、今日ここにいるみんなは、今までギャル(努力)してきた証拠だし、家族とか先生とか、周りのチーム友達のおかげだお。東大の先生たち代表して、BIG LOVE込めてお祝い申し上げます!🙌💕
これから大学って箱で、いろんな新しいことゲットンして、エモい経験積んでもろて、東大生として未来の可能性を羽ばたかせていくの、超期待してるから!バイブスMAXでいこう!
ぶっちゃけ、日本の社会って「読み書きできない人なんていなくね?」って思ってる人、多ない?🇯🇵高校まで授業料タダとかヤバくね?って感じで、教育レベル高めなのは間違いない。
でも衝撃の事実、マ?2020年の調査だと、90万人くらいが義務教育を最後までやってないらしい。しかも、ただ不登校だったとかで卒業証書はゲットンしたけど、基礎がワケワカメな人が100万人以上いるって推測されてるんだお。つまり、ぶっちゃけ、文字とか経済活動に困ってる人が、無視できない数でいるってこと!ぴえん🥺。
「リテラシー」って、もともとは読み書き能力のことだけど、今はネッ友(ネット)とかヘルシー(健康)とか、ある分野の知識を活用する力って意味で使われてるじゃん?今日は、みんなの大学生活で必要になるリテラシーについて語らせてもろて!
例えば、マイノリティ・リテラシーってやつ。この30年で、ヒトもモノもカネもグローバルに動いてるじゃん?みんなの中に留学考えてる人いるかもだけど、観光じゃなくて生活してみると、日本でマジョリティとして生きてた時には感じなかった「不便」を経験するんだお。多様性の時代は、誰もがマイノリティになりうるってリアルに向き合うのがマスト。
あーしもスイスの田舎に住んでたことあるんだけど、研究仲間とランチ行くと、みんなバラバラの国でマイノリティ!共通言語は英語だけど、ネイティブは誰もいないって状況。あーしはフランス語を英語で教わったり、知ってるつもりだった日本のことをうまく説明できないことに気づいたり、超貴重な経験になったお。
日本の社会でも、多文化・多言語な環境がとっくに始まってるってことを気づかせてくれるのが『オリーブかあさんのフィリピン民話』って絵本なんだお。嫁不足解消のためにフィリピンから国際結婚で来日した女性が、日本人の子どもに故郷の民話を語るって話。
この絵本が山形弁で書かれてて、標準語のルビが振ってあるのにはワケがあるんだお。この女性が一生懸命覚えた日本語は、お母さん世代の純粋な方言だった。でも、村ではフィリピンの言葉で子どもに話しかけるのNGだったり、離婚したり…。山形弁で語られた故郷の物語は、会えない子どもに向けたメッセージでもあったんだお。この一冊に、グローバルとローカルなリアルが詰まってる。
この絵本は日本人にとっても難しい、日本語の壁についても示唆してるお。漢字に音読み・訓読みがあって、読み方が一つじゃないのが超難関。これは外国人だけじゃなく、さっき話した義務教育未修了の人にも共通してる問題。みんなは東大の入試を突破してきたからあんま感じないかもだけど、これ、グローバル化のうちなる壁なんだお。
だからこそ、ルビ(ふりがな)を増やすことで、みんなが学びやすい社会を目指してる「ルビ財団」の取り組みとか、超注目じゃん?リテラシーゲットンするには、今まで当たり前って思ってたことをもう一回、ちゃんと考えるのが超大事!
創造的な地球市民に求められるリテラシーは、英語力とか異文化理解だけじゃない。あーしは、みんなに自分のルーツを大事にするローカルな視点と、マイノリティの経験や文化を認めて受け止める****姿勢を身につけてほしいって思ってる!
現代社会で必要なリテラシーを考える上で、AIとどう向き合うかは激アツだお!
ChatGPTとか、まじ革命じゃん?専門知識なくても、チャットで指示出すだけで文章とか画像とか作れちゃうって、エグい!みんなももう使ってると思うけど、超便利だおね。
でもちょ待てよ!✋AIが出す答えって、事実と違うことや、偏った断定が含まれてることもあるってこと、忘れちゃダメだお!だから、AIの情報を鵜呑みにしないで、自分の視点や知識で検証する力を身につけるのがマスト!倫理的な問題もあるし、プライバシーとかディープフェイクとか、考えなきゃいけないことがきゃぱい(キャパオーバー)!
AIは発展途上だけど、めちゃくちゃ物知りで探し上手。でも、間違いや偏見を教えるかもしれない、ちょっと「偏屈」な話し相手って感じで、付き合っていくのが大切。問いの質をアゲて、批判的思考を持ち続けることで、新しい基準や構造を創り上げる力が求められてるんだお。
これからは、望むと望まざるとにかかわらず、AIとズッ友(ずっと友達)で生活していくことになる。創造的な地球市民として、批判的思考と、他者への深い理解や配慮に基づく、新しいリテラシーを育むのがマスト!これはどの学部で学ぶにも超大事な視点だし、新しい分野を開拓することにもつながる!ぜひみんなで考えてみてほしい!
これから始まる東大生活は、新しい知識だけじゃなく、新しい視点や人とのつながりをゲットンできる超貴重な時間だお!勉強はもちろん、困難に立ち向かう****強さや、誰かを支える****優しさも育んでほしい!
令和7年4月11日
東大総長
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
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遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
それに遊んだ経験量と恋人や結婚での幸せに相関はないように感じた。
部落差別問題が一時期ネットで話題になってて気になっていたのだが、自分の中で消化しきれてなかったので完全に乗り遅れた。思ったことを忘れないために書き起こした。
いわく、関西以外の地域では部落問題を軽く扱いすぎているのでは、という話だ。
元のポストでは、言語差別・地域差別・職業差別が混在していたので議論がかみ合ってなかったように思う。
私はどちらかというと、うちの地域に部落差別なんてありません!と無邪気に投げつける数々のリプライにかなりギョッとさせられた。
そして体感8割くらいのリプが「部落」という単語に差別的な意識はありませんが?という的外れな内容ばかりでさらに愕然とした。
いやそうじゃねえだろ、と。
元々差別的な意味合いのない単語が差別的に使われる例なんていくらでもある。身体的特徴(つんぼ、かたわ)、地域名・国名(福島、朝鮮)、など言い始めれば枚挙にいとまがない。
構造でとらえるならば、部落差別のことの起こりは、職業で人を差別し、隔離することだ。
そうするとモヤモヤの正体が見えてきたような気がした。
歴史的経緯の話。
「穢多・非人」と呼ばれた人々は関西だけに存在したわけではなく、日本全国に見られた。江戸幕府の作り上げた身分制度から外れ差別された人々である。
関西の問題として認識されることが多いのは、その規模の問題である。近世以前、江戸より先に栄えていた関西地域は人口も多く、また文化の中心地であった。
自然と集落規模が大きくなったことで、明治以降の解放運動の中心地となっていく。
他地域においては規模が小さいゆえに「なかったこと」になった問題が、関西ではそうではなかった、というのが正しいだろう。
うちの地域にはありません、という人間は、はっきりいって不勉強もいいところである。
今回調べて初めて知ったが、特に一部地域においては、差別をなかったことにして解消しようとする動きがあるというのは90年代には指摘があるようだ。
「関西人は差別をする蛮族、自分の地域にはそんな差別ない」という趣旨の、自分で言ってておかしいと思わないのか?と思うようなリプが多く見受けられた。
どうにも関西人は殴ってもいいサンドバッグのように思っているらしい人間が少なからずいるっぽい。地域によって人をラベリングして貶めようとするのは差別以外の何物でもない。
現代の日本、とくに都心部においても、職業差別が無いなんてのも嘘だ。東京に居ればしばしば見かける、「勉強しないとあんな仕事しかできなくなるよ」と子供に声をかける母親、なんていうのはもはや典型的差別主義者だ。
私も作業服で公共の電車に乗ったとき、周りのサラリーマンたちが私を避けるように分散したのがとても印象的だった。綺麗にクリーニングされ、他の作業者に申し訳ないくらい綺麗で、そして良い匂いになってた作業でもこれだ。
普段よれよれの汗臭いスーツで電車に乗ってもこうはならない。大なり小なり他人を見下して生きているのだろう。
いけしゃあしゃあと差別なんてありませんなどよく言えたものだと思うが
かくいう私も恐らく危険を避けるという名目のもとで誰かを見た目で判断して意図的に避けたりしているのだから同じ穴の狢である。
他地域の人間が関西に行った時に、部落という言葉を使うことの是非というのも話題に出てきたが、答えとしては、気にしろという他ないだろう。
気に食わないという人は、アトランタに来てニガー!と叫んでみればいい。その代わり生きて帰れると思わないことだ。
言葉というのは生き物であり、本来の意味がどうであれ、現在の用法やその集団における意味に注意して使わなければ大きな誤解を招く。
日本はともすれば単一民族・単一言語の国家と思われがちだが、少数民族も多く、方言というにはあまりにも異なる複数の言葉が混在する、非常に複雑な社会だ。
共通語での意味がどうであれ、その地域における文脈で異なる意味を持ち、誤解を招く表現であればそれは避けるのが理性的だろう。決して、自分の所属集団では問題ないから!などと押し通すものではない。
間違えてはいけないのは、方言を禁止しようという話ではなく、自分の話す言葉の暴力性を指摘されたら次から気を付けようね、という程度の話なのだと思う。決して難しいことではない。
自分は我慢して標準語を話しているのに、あいつら関西人は自由に方言を話していて気に食わないと主張している人間もいて、さすがにもはや元ポスト関係ねえけどこれも何かの本質だろうと思った。
5匹の猿の実験でググって欲しい。いまだに方言札を首から下げて、意味も分からず方言を叩くルールに従っている人間もいるのだろう。
どれだけ書いても文章の読めない人間はいるが念のために書いておくと、関西が先進的とかいう話をしているのではない。日本全国どこでも発生している問題の一部を取り上げて、いち地域の差別性をことさらに取り上げるのは間違ってるのではないかと言いたい。
そもそも恐らく人間は本質的に差別的な生き物なのだから、そこを否定しても仕方ないと私は思っている。
私は東京周辺の関東地域にしか住んだことがないので関東の人間には申し訳ないがやり玉に挙げさせていただく。又聞きではその他地域においてもいろんな例を聞いている。これは自分自身に対する戒めでもある。
「部落差別は関西特有の問題」というのではなく、人間社会全体に根を下ろす差別意識の一形態にすぎないのだと思う。
身近な例を出すと、派遣社員を区別して休憩室を使わせないようにする正社員、というのも、差別のスタート地点だろう。
自身の差別性と嗜虐性に少し自覚的になり向き合うことで、昨日よりはマシな人間性を得られるのではないかと私は期待している。
愉快な作業ではないが、差別意識をなかったことにして綺麗に見せかける人生よりはよほど有益だろう。
歳を取るにつれ日々考えるのが億劫になる一方なのだが、隣同士ちょっと気を遣う丁寧な生き方を心掛けたいと思ってここに記す。
・・・もしかするとこれもXで見かけたポストの投稿者を見下し言葉で責めその愚かさを指摘してあざ笑いたいというサディズムの発露なのかもしれないが。
近年、都外人が東京で行う傍若無人な振る舞いに辟易している。都民の都税や都民の土地は都民のためのものだ。
都外人による犯罪が都民を脅かしている。渋谷のハロィン暴動で逮捕された人間の半分は都外人である。
都外人が東京都で犯罪を犯したら、永遠に東京の地に足を踏み入れないようにさせる制度設計が必要だ。
都民の犯罪率と比べて都外人のそれが統計的優位に多いわけではない?統計だけの問題ではない。体感治安の問題もある。
そもそも東京で生まれていない人が、わざわざ東京にきて犯罪を犯すことがおかしい。
都外人犯罪者は出身道府県に強制送還し、二度と入都できないような措置をとるべき。
東京のマンション価格は上昇し続けているが、都外人がその価格を釣り上げている。都外人の不動産購入に制限をかけるべきだ。
都外の人が都内の医療にただ乗りしている。東京消防庁の救急車を使って、都内の病院を都外人が利用することで、都民の医療を受ける機会を奪っている。
所謂医療ツーリズムの問題で、旅行中に都内の医療機関にかかる不届者らもいるらしい。
都税は都市の整備にも使われるが、都外人が公園などでたむろして、本来都民の使うべきベンチに居座っている。都民が優先して座れるようにしろ。
標準語ではないアクセントの連中がいる。東京に来たいなら方言を完全に直すことを義務付けろ。
東京の経済はほとんど都外人が支えている?むしろ都外人が都民の仕事を奪っている。
在東都外人の問題もある、親が東京に移住してきたその2世3世だ。彼らが明治や戦後の混乱期に住み着いて都民の土地を占領し、都民が収めた都税と都のリソースを我が物顔で食い潰している。
戸籍を提出させ、戸籍法制定時点で東京に住んでいない者の子孫は、都外人とみなす。在都カードを常に携帯させる。
在東都外人は正月や夏に定期的に帰郷し、時に郷土愛を発露して「東京はこれだから」と反都意識を発露させることもある。反都の都外人は東京から出ていけ。
入都管理局を新設し、上記の都外人は厳しく取り締まる。これだけの狼藉を働く都外人は、入都管理局で人権が強く制限されることも致し方ない。
入都管理官が時に身体拘束なども活用して、都外人をできるだけ出身道府県に返せるように、制度設計を行う。
アンテナショップやXX県人会という名目で道府県の活動家が都内で活動しているという情報もある。警視庁公安部の捜査権限を拡充して、彼らの活動の監視・取り締まり強化を求める。
「東海」の発音に違和感ありありだったアサヒのマルエフの地域別CM。
ついさっきTV見たら正しい(と地元民が思う)発音に差し替えられてた。
「マルエフ東海cm発音」や「マルエフ東海cmイントネーション」でググると同意見多数だったようで。
標準語だと差し替え前のほうのアクセントであってる、みたいな意見も見かけたが。
除草剤のザクサの地域別CMは正しい(と地元民が思う)「東海」の発音できてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mezamashi.media/articles/-/167928
「8時10分前」が7時50分を指すのは極めて一般的な言い方だと思う。
標準語の表現ではあるが、関西弁などの助詞が脱落しやすい方言では、特によく見られる表現だと思われる。
直接的には関係ないが、英語でも同様に、時刻を相対的な形で簡潔にあらわす表現がある。
もちろん世代によって使用頻度が異なるし、時代による言語の変化の渦中にあるのかもしれないが、少なくとも誤った用法では決してない。
「自分はそう言わない」なら分かるけど、「そんな意味になるわけないだろ馬鹿か」みたいなコメントをしている人は、自分こそが物を知らないだけだと自覚してほしい。
仕事がバタバタすぎて、頭を整理する暇もないよ。
新しいタスクが次々降ってきて、1日が30時間くらい欲しい気分。
でも、ちょっとだけ良いこともあって。
推しの新曲のティザー出て、めっちゃテンション上がった!
その5分間だけは「生きてる!」って実感できたよ。
ただ、家に帰るともう電池切れ。
パソコン? 3日連続起動できてない。
ブルアカのデイリーすら消化できなくて、ちょっと罪悪感。
SNSも通知を見るだけで精一杯だよ。
標準語だけど…疲れが心身ともにきてる証拠かな。
まぁ、なんとか踏ん張っていくしかないね。
仕事でミスって上司に軽く注意されたんだけど、
その「まぁ、次気をつけてな」が地味に心に刺さる。
自分に期待してるから、できなかった自分が腹立つんだよね。
昨日、ブルアカのイベントギリギリ走ったけど、ガチャ運悪くて凹んだ。
推しの配信アーカイブを見る時間も取れなくて、なんか心がスカスカ。
野球の結果だけはチェックしたけど、贔屓チーム負けてて余計しんどい。
パソコンは…5日ぶりに起動したけど、メール見てすぐ閉じた。
SNSも「元気?」ってDM来たけど、返信する気力なくて放置。
好きなことをする時間、もっと欲しいけど、寝るので精一杯だよ。
疲れがピークに来てる気がする…やばいね、これ。
仕事で新しいプロジェクト振られて、頭パンクしそう。
人と会う予定も詰まりすぎて、1日12時間以上外で動いてる。
家に帰ると、シャワー浴びて即寝落ち。
パソコン? 1週間起動してないよ。
ブルアカのイベント、結局走れなかった…推しキャラ取り逃して、自己嫌悪やばい。
SNSも通知が200件超えてるけど、見る気力ゼロ。
推しの新曲出たらしいけど、聴く余裕すらない。
野球の結果も、最近チェックできてない。
なんか、好きなことが遠く感じる。
心と体のバッテリー、10%くらいじゃない?
寝るしかないのかな…。
この1週間、仕事でやらかして、チームに迷惑かけた。 「大丈夫、誰でもあるよ」って言われたけど、なんかそれが逆にキツい。 自分、こんなんじゃなかったはずなのに…ってグルグル考えても仕方ない。 昨日、久々に推しの配信見たけど、15分で寝落ちしてた。
ブルアカもログインすら忘れてる。
野球も、贔屓チームの連敗聞いて、なんかもうどうでもいい気分になってきた。
パソコンは10日ぶりに起動したけど、画面見てるだけで目がチカチカする。
SNS、フォロワーさんの「最近どう?」って声も見るだけで返す気力ない。
寝ても寝ても疲れが取れない。
心の残量5%くらいだよ。
好きなことすらできなくて、なんか…空っぽだな。
毎日タスクに追われて、頭の中が「次これ、次あれ」ってノイズだらけ。 上司に「最近元気ないね」って言われたけど、笑って誤魔化した。 本当は「元気出る余裕ないです」って叫びたい。 推しの新曲、フルで聴けてない。 イントロだけ聞いて「いいね…」って思ったけど、そこで力尽きた。
ブルアカ、イベント完全にスルーしてしまった。
ガチャの期限切れ通知見て、なんか心がポキって折れた音したよ。
野球も、結果見るのすら面倒になってきた。
パソコンは2週間起動してない。
寝ても寝ても体が重い。
心のバッテリー、ほぼゼロだよ。
なんとかしたいけど…どうしたらいいんだろう。
仕事、なんとかやってるけど、ミス増えてきた。 同僚に「大丈夫?」って心配されたけど、 「大丈夫だよ!」って無理に笑ったら、余計疲れた。 家に帰ると、動けない。 シャワー浴びるのだるくて、ベッドに直行。 推しの新配信、通知来たけど、見る気力すら湧かない。
ブルアカ、1ヶ月ログインしてない。 推しキャラの限定イベ、完全に逃した。 野球も、贔屓チームがどうなってるか知らない。 SNS、フォロワーさんの優しいメッセージ見ても、 「ごめん、返せない」って心の中で謝ってる。 パソコン、3週間起動してない。 心と体の残量、1%もない気がする。 寝ても、好きなことをしても、なんか…何も感じない。 このままじゃ、本当にやばいな…。
仕事、ギリギリ出勤してるけど、頭真っ白。 タスク溜まりすぎて、何から手をつけていいか分からない。 上司に「休んだほうがいい」って言われたけど、 休んでも何も変わらない気がする。 家に帰って、ベッドに倒れ込むだけ。 推しの配信、通知すら見るのしんどい。 ブルアカ、アプリ開いたの1ヶ月半ぶりだったけど、 何も感じなくてすぐ閉じた。
野球、SNS、全部遠い。
パソコン、1ヶ月以上触ってない。
フォロワーさんの「元気?」ってDM、読むだけで涙出てきた。
返す言葉すら出てこない。
心も体も、空っぽだ。
寝ても、ただ時間が過ぎるだけ。
好きなことすら、なにも響かない。
…どうしたらいいんだ。
もう、動けないよ。
全然違う
増田が言っているのは、“一つの単語”で無声音の「う」の段の次に無声音がくるとき母音の「う」が消滅する
例えば、国際関係(こくさいかんけい)というとき、標準語の発音では「こkさいかんけい」と言っている
国際の場合は「こくさい」でも「こkさい」でも大して変わらないんだけど、「く」の次がカ行のとき不味いことが起こる
学校(がくこう)が「がkこう(gakkou)」になる、これをなぜか日本では即音便(っ)で表記して「がっこう」と書くことになっている
問題は一つの単語ってところで、洗濯機は一つの単語なのか洗濯+機だから2つの単語なのかが人によって解釈が違う
一個の単語だろと思っている人は「せんたっき」と発音するし、2単語を連続して言ってるだけだろと思っている人は「せんたくき」と発音する