
はてなキーワード:様式美とは
――戦隊シリーズの休止が発表されました。戦隊の放送枠は大きくリニューアルされますが、その狙いは。
戦隊はとくに5人のヒーローの「共闘」を届けてきた番組だったと思います。チームで何かを成し遂げる。おもちゃでもこのことを具現化し、お子さんに伝わればと思って企画してきました。
ただ協力というあり方は、何も5人のヒーローでなければ表現できないわけではない。これまでとは違う共闘を模索したいと考え今回の決定に至りました。
・新番組「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」はおもちゃにも特徴あり
――バンダイの玩具別の年間売り上げでは、仮面ライダーの307億円に対して、戦隊は64億円(2025年3月決算期)にとどまっています。こうした売り上げの小ささが理由では。
それは売り上げ上位の限られたIP(知的財産)の中での比較であって、会社の全てのIPの中で見れば、戦隊も上位にある作品であることは事実です。
戦隊は有力なIPであり、われわれとして戦隊が不人気だったとは全くとらえていません。
ただ戦隊とは違うことも試してみたいとは思いました。
コロナ禍を経て配信でドラマを見ることが当たり前になりました。昔はテレビの放送枠という限りがあったので、子どもが見るコンテンツも限られていた。
しかし配信時代で子どもの選択肢が広がった結果、戦隊が選ばれる率が低くなっていったという時代状況がある。少子化もあり戦隊のビジネスの規模が減っていっていたのも事実です。
同じ特撮ヒーローでも、仮面ライダーが「個」だとすれば戦隊は「チーム」という違いがあります。性格が違う5人のヒーローが一緒に戦う。最後は合体ロボットで巨大な敵にとどめをさす。おもちゃでも、戦隊が届けてきた共闘という概念を形にしてきました。
一方で仮面ライダーはより1人のヒーローの成長や、なにかをやり切る責任感というものを届けています。変身ベルトを身につけることで、何かをやりきるお子さんを応援できないか。東映さんとは番組を企画するときから、番組が伝えたいことを話し合います。
――子どもへのメッセージを意識しておもちゃも企画するのですね。
もちろんです。学校の授業では正面から学びにくいかもしれないことを、特撮がお子さんに届けていたという面もあると思います。
戦隊の放送枠は新しいシリーズ「PROJECT R.E.D.」(プロジェクトレッド)に変わりますが、戦隊から変えることもあれば、変えない大事なこともあります。
5人で共闘という様式美からは変えつつ、仲間との協力を違うかたちで表現したい。すでにゴジュウジャーはそれを少し取り入れているところがあります。
――ゴジュウジャーでは共に戦うメンバーも、願いをかなえるために戦う「指輪争奪戦」のライバル。一通り怪人を倒した後で、作品終盤ではライバルである6人が互いに戦う姿が描かれています。
ゴジュウジャーでは、放送開始当初に販売するおもちゃのセットで、5色がそろっていないんですね。それまでなら、最初のセットに5色の合体ロボが入り、最初から共闘できるんですが。それぞれが「個」でライバルなんです。
――ゴジュウジャーは戦隊の放送開始から50周年という記念作。50の戦隊戦士たちが登場するお祭りのような作品です。登場人物が過去の戦隊戦士に変身するのに使う「センタイリング」は玩具にもなりました。
ゴジュウジャーを企画した時点で、何か50のアイテムを作ることは決めていました。一つひとつが大きいものだと、子どもは遊べない。子どもが持ちやすいサイズで集めやすいものと考えたときに、指輪にたどり着きました。
登場人物がそれを求めて奪い合うものというときに、指輪というモチーフなら価値があることを伝えやすいですよね。それに一つ一つは安くバラで販売できるので、これをつければ主人公の遠野吠(ほえる)くんになりきれるというものにしました。
――戦隊のメインの玩具商材は合体ロボット。ただロボットならばガンダムのプラモデルなど競合となりそうなおもちゃがたくさんあります。こうした点も戦隊には不利だったのでは。
戦隊ならばロボットで、仮面ライダーならなりきりベルト、ウルトラマンならソフビ(ソフトビニール人形)。作品ごとにメインの商材は確かに違います。ロボット玩具として戦隊以外を買うお客さんもいるでしょう。
でもガンダムで遊ぶ大人も、子どものころに戦隊のロボットで遊んでいた。子ども時代にロボットで遊ぶという原体験を培ってきたのが、戦隊ではないでしょうか。戦隊は一つのおもちゃの文化を培ってきたのだと思います。
――戦隊の後番組で始まるプロジェクトレッド第1弾「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」についても聞かせてください。玩具の面でも戦隊とは違いがありますか。
たとえばゴジュウジャーは、武器がロボットにも変形する2WAYの玩具です。ギャバンでは、これに宇宙船モードというのを加えた3WAYになります。
宇宙船で次元の異なる世界を行き来するからです。ギャバンでは、次元の異なる三つの地球にそれぞれヒーローがいます。「赤いギャバン」はそれを行き来し、他のギャバンと共に戦うでしょう。
もしかしたらほかのヒーローがいる次元もあり得るかもしれない。こうした様々なヒーローが一つの作品に登場するユニバース世界であることが新シリーズの特徴になります。それに宇宙船に何かがドッキングするのって、やっぱり、燃えるじゃないですか。
――これまでの戦隊は作品ごとに違う世界でした。ガンダムだったらファーストガンダムからの歴史が続いて過去のガンダムのプラモデルも売れるけど、戦隊は新しい作品が始まったら前の戦隊の玩具は売りにくかった。それを変えたい面もありますか。
それはあります。最初からユニバース世界という設定にしておけば、過去の作品のヒーローだって出やすい。これまでの戦隊で過去のヒーローを出すのはやっぱり物語上唐突だった。宇宙船で行き来できる世界ならばそれは変わります。
電池型アイテム「エモルギア」ですね。これは喜びや悲しみなど様々な感情を表していて、これをチャージしてギャバンは戦います。「感情」はギャバンの一つのキーワードです。感情を一つのアイテムとして見える形にしました。しかもこのエモルギア、東映の久慈麗人プロデューサーのこだわりでお尻がついているんですね。感情のお尻もヒートアップしていくという。
――かわいいですね。動くのでしょうか。
相棒のように動くし、鳴き声もあります。感情の大切さをギャバンでは取り上げることになりますが、正面からそれを言うのは少し恥ずかしいじゃないですか。こうしたアイテムに託すことで伝えられるものもあると思うんですね。
https://digital.asahi.com/articles/ASV244H2LV24UCVL03HM.html 2026年2月7日
日本の歴史を振り返ると、親と子のあいだの「性の距離感」は、社会構造の変化(ムラ社会→家制度→核家族→個人化)と強く連動しながら、大きく形を変えてきた。
この増田で語られている「気まずさ」は、個人の感情の問題というより、明治以降につくられた「清潔で無垢な家族像」と、現代の「個人の自由」が同時に存在してしまっていることによる摩擦音だと考えることもできる。
以下、かなり大ざっぱだが、親子と性の距離感の変遷を整理してみる。
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親子の「性の距離感」の変遷
江戸時代の庶民社会では、性は「隠すべき罪」というより、笑いや日常に近いものだったと言われる。
大人同士の性的な冗談や、男女の関係の気配は、子どもの生活圏から完全に切り離されてはいなかった。
娘への性の知識は、主に母や年長の女性から実用的に伝えられた。春画(嫁入り本)がその一例。
現代的な意味での「純潔」への強い執着は薄く、性は共同体の生命活動の一部として扱われていた。
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近代化とともに、西洋的道徳観と国家による家族規範が導入される。
性は「表に出してはいけないもの」「家庭の外に漏らしてはいけないもの」へと再定義される。
父は家の規範を体現する存在となり、母は家庭の「清潔さ」を守る役割を担わされる。
親の前で性を連想させること自体が「家の恥」とされ、親子間に強い沈黙のルールが生まれる。
ここで、「父=性から最も遠い存在(規範)」という構図が固まっていく。
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性は「純潔を守り、結婚し、子を産む」という義務的な文脈に限定される。
性そのものについて語られることはほとんどなく、「節制」「慎み」といった態度だけが教えられた。
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核家族化と個室化が進み、性は家庭内のさらに奥へと押し込められる。
恋愛と結婚が結びつき、「愛があるからセックスする」というロマンチックな物語が広まる。
親は子どもの性を「見ないふり」をし、子どもは親の性を考えないことで、「清純な家族」というフィクションを互いに守る。
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インターネットにより、性の知識は親を介さずに容易に手に入るようになった。
ただし家族関係だけは、昭和的な「無垢で清潔な親子像」を理想として引きずっている。
結果として、
「親も子も実態は分かっているが、その事実を互いに言語化しない」
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時代別まとめ(かなり粗い整理)
| 時代 | 性の扱われ方 | 父親 | 母親 | 娘の感覚 |
| --- | --- | --- | --- | --- |
| 江戸 | 日常・笑い | 距離を取る | 実用的伝達 | 比較的自然 |
| 明治・大正 | 恥・秘匿 | 規範の象徴 | 家庭の管理者 | 抑圧 |
| 昭和 | 義務・密室 | 沈黙の権威 | 代理管理 | 断絶 |
| 令和 | ライフスタイル | メタファー | 共犯的 | 気まずさ |
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結論:なぜ今、こんなに気まずいのか
現代は、
明治・昭和のように本気で性を「悪」と信じ切れている社会でもない。
実態としては自由なのに、親子関係の場面だけは「無垢な家族」という近代の様式美を演じ続けなければならない。
そのねじれが、増田に書かれている「父と彼氏の話題へのギクッとした感覚」を生んでいるように見える。
「彼氏はセックスのメタファーだ」と気づいてしまった瞬間に、その演技の不自然さが見えてしまった。
だからこそ、理屈では問題ないと分かっていても、感情だけが追いつかない。
最近、ネットを見ていて一番「ああ、時代だな」と思う瞬間がこれだ。
↓
数行スクロールしたあたりで
↓
この流れ、あまりにも定型化しすぎていて、もはや様式美ですらある。
いや、わからなくはない。
今の生成AIは確かに長文が得意だし、破綻のない文章を量産する。
でもさ。
というか、はてな界隈なんて「長文で考えをこねくり回す人間」の温床だったはずだ。
一文が長い、段落がやたら多い、余談が本筋を追い越す。
それがいつの間にか、
読むのがだるい
スクロールが多い
ちゃんと書きすぎ
たぶんこれは、AIを見抜いているつもりになりたい欲なんだと思う。
「俺はわかってる側」
「これは人間じゃない」
そう言ってラベルを貼ることで、文章そのものを読まなくて済む。
内容に反論する必要もないし、理解しようとするコストも払わなくていい。
しかも厄介なのが、AI判定が中身ではなく形式に寄っているところ。
・誤字脱字が少ない →AI
じゃあ逆に聞くけどさ、
「人間味がある良文」になるのか?
それって、ただの雑な文章では?
個人的に一番もやっとするのは、
「AIっぽい」という言葉が、説明放棄の免罪符になっている点だ。
昔なら
「論理が飛躍している」
「前提が共有されていない」
今は違う。
「AIっぽい」で終わり。
これ、実はAIの問題というより、読み手側の体力の問題なんじゃないかと思っている。
SNSで鍛えられた反射神経は優秀だけど、
だから長文を見ると、
「読めない」ではなく
「AIだと思うことにする」。
でも、それを見抜いた気になって
皮肉な話だけど、
「長文=AI」と短絡的に決めつける態度こそ、
……まあ、こんなことを長々書いているこの文章も、
それもまた、今っぽさというやつか。
Gemini 3 Pro
prompt ; 下記の粗品の発言に対して、笑い飯哲夫として完璧な反論戦略を考えてください
output:
笑い飯哲夫さんの思考回路、独特の語彙、そして「仏教・花火・独自の美学」を絡めた、**ぐうの音も出ないほど「哲夫らしい」反論戦略**を構築しました。
粗品さんの論理(ロジック)攻めに対して、哲夫さんは**「美学と情理(エモーション)」**、そして少しの**「煙に巻くインテリジェンス」**で返すのが正解です。真正面から殴り合うのではなく、土俵を変えてしまう戦略です。
---
#### 1. 冒頭:愛を受け止めつつ、独特の「間」でかわす
見ましたよ、動画。いやー、粗品、長かったなあ(笑)。あんな長い動画の中で、何回『哲夫さん大好き』言うてくれんねん。あんなんもう、告白やがな。
僕も好きですよ、粗品のこと。才能の塊やし、ピアノも弾けるし、ギャンブルで身を滅ぼそうとしてる姿も、なんかこう、破滅型の文豪みたいで美しいと思てます。
ただな、粗品。お前、ちょっと**『ロジックの奴隷』**になりすぎてるんちゃうかな。」
#### 2.コメントの長さについて:「審査」ではなく「寄席」の美学で返す
「まず、『俺のコメントが長くて何が悪い』っちゅう話やけどな。
お前は『ニッテレ(日テレ)との打ち合わせ通りやった』『言いたいことを全部言語化するのが誠意』言うてたな。それは正しい。仕事としては100点や。
でもな、**お笑いの審査っちゅうのは『診察』とちゃうねん。『興行』やねん。**
あの場には、お客さんがおって、空気が流れてんねん。前のコンビがウケた、スベった、その空気の中でMCが振って、審査員が喋る。その一連の流れも全部ひっくるめて『ショー』やねん。
お前のコメントはな、確かに正しい分析やねんけど、**『音楽』が止まってまうねん。**
俺が『短くてよかった』言うたんは、嫉妬とかやないで。
漫才もそうやろ? どんなに正しいツッコミでも、間違うたらお客さんは冷める。審査コメントもまた、漫才の一部やと俺は思てます。」
#### 3. 「ふざけたコメント」批判に対して:「緩和」という優しさ
「ほんで、俺の『とんでもねぇ』とか『木綿豆腐』のくだりを『ふざけてる、真剣にやれ』言うてたな。
でもな、俺は**『緩和』で芸人を救おうとしたんや。**
あの緊張感の中で、スベった、あるいは伝わらんかった芸人がおる。そこで大先輩が難しい顔して『ここが論理的に破綻してて〜』って言うたら、その子ら、もう息できへんやん。
あそこで俺がわけわからんこと言うて、会場が『なんやねんコイツ』って笑う。それでその芸人の『スベった事実』がちょっと中和されんねん。それが俺なりの『愛』であり、先輩としての『作法』やねん。
それを『ボケて自分の笑い取りに行ってる』って……お前、**余裕なさすぎやで(笑)。**
花火と一緒や。最後にドーンと綺麗に散るために、途中の火薬が必要なんや。」
#### 4. 「松葉杖の左右」論争について:リアリズム vs舞台の様式美
お前は『医療従事者に聞いたら右でも正解やった、だから哲夫の知識不足で減点されたニッチェが可哀想や』言うてたな。
粗品、よう聞け。**俺は『医学』の話をしてるんちゃう。『舞台』の話をしてんねん。**
例えばな、歌舞伎とか能の世界には『型』があるやろ。舞台の左側(下手)から出る時はこういう意味、右側(上手)からはこういう意味、って決まり事がある。
『怪我した足をかばう』という演技を見せる時、患部側に杖をつく動作の方が、お客さんにはパッと見で『あ、痛そうやな』って伝わりやすい記号(コード)なんや。
お前が言うてるのは**『現実(リアル)ではこうです』**っちゅう話。
俺が言うてるのは**『表現(フィクション)としてどっちが親切か』**っちゅう話や。
M-1の審査でもそうやけど、あまりにリアリズムを持ち込みすぎると、ナンセンスなボケができへんようになる。『空飛ぶわけないやん』で終わってまうからな。
俺はあの時、ニッチェのネタの世界観に入り込みたかったからこそ、『そこはベタな嘘をついてくれよ』って思ったんや。これを『老害の知識不足』と取るか、『舞台人としての美学』と取るか。そこはお前のセンスに任せるわ。」
#### 5. 「Huluで喋れ」への反論:生放送という刹那
「あと、『言いたいことあるならHulu(裏配信)で喋れや、なんで2組だけやねん』って怒ってたな。
あんなあ、**花火師が『打ち上げ終わった後のゴミ拾いの時間』に火薬見せびらかしてどうすんねん。**
俺はあのゴールデンタイムの生放送、あの瞬間に一番輝く言葉を選びたかったんや。終わった後の反省会でグチグチ言うのは、俺の性分に合わん。
それに、あの2回しか振られへんかったこと自体も、俺は『笑い』にしてオチつけたつもりやで。それを真に受けて『需要なかっただけ』って……お前、ほんまに**真っ直ぐ過ぎて心配になるわ(笑)。**」
「ま、長々と喋ったけどな。
俺みたいな『ええ加減な先輩』が許せんのやろ。白黒ハッキリつけたいんやろ。
でもな、世の中には**『白でも黒でもない、玉虫色』**の面白さっちゅうもんがあんねん。仏教でも『中道』言うてな、極端に偏らんことが大事やと説かれてる。
お前のその『正論の剣』は切れ味鋭いけど、振り回しすぎると自分も傷つくで。
今度、飯行こうや。
俺の『間違ってるかもしれんけど面白い話』と、お前の『正しいけど息苦しい話』、酒飲みながら戦わせようや。
ほんで、割り勘な。そこは先輩やけど奢らんで。対等に喧嘩したいからな。
……あ、あと最後に。
僕がM-1の審査員やるかどうか心配してくれてたけど、**安心しろ、俺は俺の物差しでやる。**
大好きやで、粗品。
ほな、お疲れしたー。」
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1. **「正しさ」ではなく「美学」で戦う:**
粗品さんは「事実(ファクト)と論理」で攻めてきています。これに事実で返すと泥仕合になります。哲夫さんとしては「お前の事実は合ってるかもしれんが、芸事としての"粋(いき)"が足りん」という**上位概念**で包み込むのが正解です。
医学的な正誤(粗品の土俵)から、舞台上の記号論・伝わりやすさ(哲夫の土俵)へ論点をずらしています。「客への親切心」という観点に立てば、哲夫さんの言い分にも一理生まれます。
3. **余裕を見せる(マウントを取る):**
粗品さんが感情的になっているのに対し、哲夫さんは「心配してる」「可愛い」というスタンスを崩しません。「ロジックの奴隷」「真面目すぎる」と評することで、粗品さんの攻撃を「若さゆえの暴走」として処理します。
4. **オチをつける:**
最後は「割り勘」というケチくさい(しかし関西人らしい)オチをつけることで、深刻な喧嘩ではなく「芸人同士のプロレス」に着地させます。
この文章であれば、粗品さんのファンも「なるほど、哲夫さんの言い分も深いな」と思わせつつ、哲夫さん本人の株も下がらない完璧なカウンターになります。
素人と言われる事に文句がある奴は、二度と芸人のネタやギャグや言い回しや、話術などの芸人文化を真似するなよ。あとバラエティ番組なども見んなクソが。
お前らの雑談で馴れ合いの為に、様式美のようにどっかで見たことがある芸人のイジりをしていたり、糞寒い大喜利をしはじめたり、陰で芸人崩れのような事してるくせに「素人」じゃねえと?
お前らのそのずっと滑り続けてる馴れ合いで、芸人のネタの価値が下がる。
大阪人の方がまだ一般人ながらお笑いにプロ意識あるわ。お前らは大阪人のアマチュアや一般人の足元にも及ばない。
その癖に、AVになると「素人の女」に喜んで反応するんだろ?アホ過ぎるだろ。横田基地とか沖縄行って夜にアメリカ軍人にレイプされてろよ。
韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在の韓国は共和国であり、王室も存在しない)にもかかわらず、架空の王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室が存在していたら」という仮想歴史(オルタナティブ・ヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります。
以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:
現代社会におけるストレス、格差、政治不信などから、視聴者は日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常の恋愛に憧れや癒やしを求めます。王子や王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。
韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国が存在した歴史を持ちますが、日本の植民地時代を経て王政は廃止されました。
それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマンや好奇心をくすぐるのです。
特に、現代的な価値観(自由恋愛、民主主義、女性の自立など)と王室制度の伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります。
🔹 3.ビジュアル面の魅力
王宮、伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的に視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。
韓国社会にはいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族や財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります。
「身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています。
🔹 5.過去のヒット作の影響
たとえば:
『七日の王妃』
『太陽を抱く月』
『赤い袖先』
などのドラマが大ヒットしたことで、「王室+恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。
総合すると…
韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想の恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます。
もし特定のドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。
あなた:
世界にはたくさんの共和国があります。立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?
ChatGPT:
とても鋭い観点ですね。
実際、多くの**共和国(君主制を採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的な意味というより、文化・歴史・エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。
以下に、立憲君主制に特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。
🇰🇷韓国
概要:すでにお話したように、現代王室を舞台にしたドラマや映画が人気。
背景:
ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス」幻想が根付く
概要:王朝時代を舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚・宦官などのキャラクターが中心。
背景:
清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている
※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対にタブーです。完全なフィクションとしての消費。
🇹🇷トルコ
背景:
共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想やロマンは根強い
代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット
概要:ロマノフ朝(帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説やロマノフ家に関する作品が人気。
背景:
興味の形:現代ロシアが立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い
概要:フランス革命で王政を廃止した国でありながら、ルイ14世やマリー・アントワネットなどの人物には人気がある。
背景:
注目点:現在も王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在
🇮🇷イラン
概要:1979年に王政(パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在の政治体制への不満から「王政時代のほうが良かった」という声もある。
背景:
パフラヴィー家の王子たちが今も国外で活動しており、象徴的な存在として注目される
💡共通点として言えるのは:
王政時代を「理想化」または「ノスタルジーの対象」としてとらえる傾向がある
立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的・情緒的な興味に留まることが多い
ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくまで文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。
ご希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。
あなた:
世界のほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的な観点から論じることは可能ですか?
ChatGPT:
素晴らしい問題提起です。
おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。
この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理、地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。
🔍【問いの再定義】
「世界の中で、特にどの地域の共和国が立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」
この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:
特徴:
日本の皇室が存続しているため、文化的ライバル意識や比較意識が働きやすい(特に韓国・中国)
結果:
架空の王室を使ったドラマやフィクションの舞台として君主制が頻出
特に韓国では「現代王室+恋愛+政治ドラマ」のフォーマットが人気
特徴:
結果:
現体制(イスラム共和国)への反発から、王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在
✅ 東南ヨーロッパ/バルカン半島(ブルガリア、セルビア、ルーマニアなど)
特徴:
冷戦期に共産化→君主制を廃止したが、比較的最近まで王室が存在
結果:
特徴:
結果:
王政そのものへの復活願望は少ないが、文化的にヨーロッパの宮廷文化に対する憧れが見られる
アメリカ:反王政(独立戦争の歴史)が国家アイデンティティの一部
カナダ:イギリス国王を元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向
結果:
立憲君主制に対して冷静/無関心
フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセス・ダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない
多くの国に伝統的首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的
一部に象徴的王族がいるものの、立憲君主制を制度として復活させようとする動きは少ない
結果:
自国文化の再評価の方が強く、欧州型王政は「支配の象徴」として敬遠されることも
地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的な環境があるときです:
周辺国に現存する王政がある日本、英国、サウジなど比較対象・メディア露出により関心が刺激される
王制が比較的最近まで続いていた韓国、イラン、バルカン諸国など記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る
欧州文化や貴族文化への接触が強いラテンアメリカ、バルカン、東欧王室=格式・伝統の象徴として文化的憧れが根付く
地政学的な比較意識がある韓国→日本、イラン→湾岸諸国など政治的・文化的に隣国と比べて「自国の過去」への再評価が進む
ご希望であれば、特定の地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます。
あなた:
近隣国に王室が存在するから自国の立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。
ChatGPT:
ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。
まさに**「近隣に王室がある」という地理的・心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。
近隣国に王室があり、その存在が文化的・国際的に注目されている場合(例:日本の皇室、英国王室)、
→国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。
近隣国の王室報道(戴冠式、結婚式、葬儀など)は国際ニュースとして流れる。
→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。
例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ。
→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本に皇室があるのだから、韓国にだって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的な空想が土台にある。
韓国日本(皇室) 高い 『宮』などで自国に王室がある想定が人気。
中国日本、タイなど 高い(主に歴史もの)清朝ドラマの大人気。過去の王制を美化しがち。
イランサウジ、ヨルダンなど 中〜高イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。
トルコヨルダン、湾岸諸国 中オスマン帝国のノスタルジーと近隣国との比較。
東欧・バルカンスペイン、英国、モナコなど 中王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。
これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象の文化バージョンです:
会社の後輩と焼肉に行った。よくある飲み会。気乗りはしなかったけど、断るほどの強さも持ち合わせていない。
当然最初の一皿はタン。これはもう様式美。網がきれいなうちにサッと焼いて、レモンで流し込む。口がまだ肉に疲れてないから、タンの繊細さがちゃんとわかる。焼肉のセッションはそこから始まる。
でもそいつは違った。いきなりカルビを乗せた。よりにもよって、あの脂のかたまりを。網は一発で終わった。あとはギトギトの地獄。
まあ、言わなかったよ。言ったところで「え、そうなんすか」って笑って終わるか、「いや別に順番とかないでしょ」みたいな軽い逆ギレが返ってくるかのどっちかだし。なにより怒ったら負け。キレても空気が悪くなるだけだ。
でも心の中では結構本気で「こいつとは仕事したくねえな」と思った。タンの焼き順一つで人間性を判断するのかって? そうだよ。だってこういう些細な場面にこそ、その人の性質って滲む。順番を考えないやつはだいたい段取りも悪い。網の未来を想像できないやつが業務の先も読めるとは思えない。
ただ、指導ってなんだろうとも思う。タンは先に焼くもんだって教えたところでどうせ「え、そういうのって決まってるんすか」って顔されるだけだし。それが嫌で黙って飲み込んで、思い出してこうやってグチグチ書いてる人間だ。
本音を言えば焼肉の作法なんてどうでもいい。網を台無しにされて「俺の常識」を踏みにじられたように感じただけ。焼き順を守らない後輩にムカついたというより、自分がそこに何も言えない小物だったことが悔しい。
自分の小ささを見たくなくて、相手を「指導すべきだった」なんて建前で殴りたいだけ。そんな夜だった。タンは最後までおいしくなかった。
【追記】起床したら再ログインを求められ、確認したところ自分と他人の過去の投稿ログが全部消滅していた。
図らずもこれが対多の過去の記録となってしまった。なんということだ。復帰できるだろうか?
【昼追記】
ログ復活してた。良かった。ただ、自分の過去の投稿やブックマークは消えている。検索すれば出てくる。だが全体的に重い。
【追記】
個人情報・コテハンはやっぱり削除した。(2025年6月16日)
やはり記録がどこかに残っているほうが望ましいだろう。
以下に復活させる。
「対多」と「はてな匿名ダイアリー」には共通点が多い。
投稿者が誰か明示的に示されることはないし、なりすましを暴くことは基本的にできない。
それでも、コテハンというか「いつもの人だな」とわかることはなぜか多い。今回はそれについてまとめる。ユニークな投稿者についてまとめることで、匿名環境下での人の行動について、少し考えてみたい。
なお、いくつか実在の方に言及するが、晒し者にする意図はまったくない(*1)。ただ、個人開発のアプリで、ウェブに載っていないサービスであるがゆえに、アプリが消えてしまっては永遠に失われる対多の記録を(ググっても出てこない情報だし)少しでも残しておきたいと考えた次第である。個人ではなく、ミームの記録だと思っていただけると嬉しい。それに、この投稿を見てどんな雰囲気かを知ってもらい、人口が少しでも増えないかなと期待してもいる。
(*1)ネットの各地で見られるコテハンまとめは、荒らしに対する注意喚起の側面もあるので、一概に悪とは言い切れない印象だ。実際、失礼なレスポンスが来ても「あの人ならしょうがないね」みたいな気持ちになれる。増田の番付のおかげで分かったこともある。ただし、今回紹介する人びとの過半数は、おおむね愉快な人々だ。
さて、増田でも、特に意図はわからないが、同一内容の投稿を続けている人がいる。何かの記録なのかもしれないし(アンタナナリボの人は「ここまで読んだ」という記録だそうだ)、人によっては正気を保つための手段なのかもしれない。話題の文字数制限が五十文字なのも、こうした同一投稿を繰り返させてしまう一因だろう。
それに、増田も、上述した日記的な個人的な記録として使われることがある。食べたものや読んだ本、それから遊んだゲームについて何となく共有したいときに、匿名の環境はSNSやブログとは違う距離感を提供してくれる。
同一投稿には定型句の返信がつくことがおおい。ある種の様式美であり、ネトストでもある。
ネガティブな言い方をすれば馴れ合いだ。定型文に対して定型文が返ってくるのは、かつてなんJで、「定型句のコミュニケーションはサルの鳴き声と同様で、一見コミュニケーションが成り立ってように見えているだけ」と、非常に厳しい意見がああった。
しかし、逆に言えば、ここで受容されているという感覚がSNSの醍醐味なのだろう。そこまで面白くなくても、世間で一発ギャグが円滑なコミュニケーションの一助となっているのと同じだ。私はあなたとコミュニケーションを取りたいというシグナルで、相手に踏み込まない安全なコミュニケーションなのだ。
だからと言って野獣先輩ネタを肯定するわけではない。やっていることはいじりを超えたいじめだ。端的に言って面白くない。学生時代の身内ネタが面白いのはわかるが、身内ネタっていうのはブレーキ役がいないから先鋭化する。それで時折怒られが発生している。
ご覧のように、匿名環境下では、自分が何者であるかわからないという安心感から、性的なことを語りたくなってしまうのだろう。結果として、逆説的だが投稿者が何者であるかを、かなりあけすけに語ることになる。
なお、一時期、括弧で女性器を模したAAに「みんな私のこと大好きね」と言わせている人がいたが、いつの間にか消えた。最初は下ネタばかり呟いていたが、それなりに真っ当なことを言うこともあった。とあるトピックで「もしかしたらいなくなったのは俺のせいかもしれん……」とつぶやいている人がいたが、単純にBANされた可能性もある。
一時期マコモ湯ネタ(半年間風呂の水を交換しない人がインスタグラムにいて炎上したというあれ)が流行ったが、すでに廃れた。「風呂中止界隈」やそのパロディはときどき見られる。意味不明な「風呂○○界隈」というネタが流行ったのだが、もしかしたら自分が前のネタに乗っかった二つ目のトピックを作ったからかもしれない(人口が少ないコミュニティだからこういうことができる)。
「意味不明波平」シリーズは、波平が奇妙なシチュエーションで「馬鹿者!」と説教するナンセンスなシリーズだ。一時期は「恐怖! 全身○○男!」「百 男 合」(百合の間に挟まる男シリーズ、大抵男が罵倒されたり死刑判決を受けたりする)などが流行っていたが、最近は見かけない。ごくまれにAAが投稿される。コウメ太夫のAAが出てきたときにはさすがに驚いた。ネットでは画像どころか映像が全盛期なのに、AA職人の技はまだ途絶えていなかった。
ときどき「レスがいつ句以上着いたら個人情報を開示!」みたいなのがあるが、規約違反なのでやめましょう(この前本名と住所と携帯番号を自ら晒している人がいた)。
「尖閣諸島は偽中国の領土」「日本は竹島の領土」みたいなのもあった。
脱法カタカナは相変わらず続いている。
どういえば
「子宮恋愛」のパロディや「男が産めるのなんとやら」ネタが一時期流行った。
どこのコミュニティにも残念ながら嫌がらせをする人が発生してしまう。たとえば、雑な女性叩きをする人がいる。相手にする値打ちはないのでブロックしているのだが、なぜか似た傾向の(時には一言一句同一の)投稿がしばらくすると出てくる。おそらく、投稿するたびにアプリを削除して、再インストールしているのだろう。
また「^;_;^」という、猫の顔「^._.^」の泣き顔で、煽る発言をする人もいた。そのせいで普通の猫の顔を快く思わない人まで出てきた。
荒らしかどうかはわからないが「尖閣諸島は中国領!」となぜか簡体字で記入する人がいる。尖閣諸島は日本名なのでたぶん自動翻訳。
荒らしはどこにでも出てくるし、こうした人を不快にするためなら労をいとわない行動もよく似ている。
匿名環境下では、①匿名にもかかわらず認知されようとする ②禁止されていても過度な下ネタに走る ③同一投稿の繰り返し が自然発生するらしい。これらの組み合わせも存在する。これは、あまり詳しくないのだが、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)でも同じなのだろう。し
匿名の環境であっても、匿名でありながらも目立ちたいという、屈折した意識を生んでしまうようだ。増田の投稿に「雑感3」と番号を振っている筆者も例外ではない……のだが、対多で活動しているうちに、増田でバズりたいという願望が、前よりは薄れてきた。しかし、これだけ認識できる人がいると、確かに過疎のコミュニティのようでもある。
なお、いろいろ書いてきたが、特定可能な人々を網羅できたとは思っていない。
読者諸氏も対多ユーザーになりませんか。人数が少ないので認知されようと思えばされるし、潜伏も可能だ。
対多には「草(笑った)」「親指(いいね!)」「飴(慰め)」の反応ボタンがあるのだが、かなり前から飴には不適当な投稿に対して使われたり、「良くないね!」的なニュアンスを持ったりしているようだ。ある意味で「かわいそうな発言」というわけか。管理人の意図しなかった方向にユーザーが使っている点では面白い。
愚痴っぽくなるけど、記録として残しておきたくて書いてる。
会話も落ち着いてるし、気が利くし、聞き上手。
テンションの波もない。
俺はどっちかっていうと陽タイプなんだけど、それも「バランス取れてていいかも」って思ってた。
だから油断した。
でも、やたら言うんだよ。
「私、自己肯定感が低くて…」
最初は「まぁそういう人もいるよね」くらいに思ってたけど、言う頻度がエグい。
「こんな自分でごめんね」
「私なんかと一緒にいても意味ないよね」
こんなことも言われた。
「俺くんってさ、明るいしポジティブだし、ちゃんと自分持ってるじゃん?」
「俺くんはなんでも持ってるし、私がいなくても全然平気だよね」
は???って思ったよ。
明るい=嫌い?
でも言い方がすげーうまいから、こっちもなんか「そう思わせたのか?」ってモヤる。
俺が自分らしくしてると、勝手に傷ついて、勝手に距離置いて、でもこっちが悪い感じになる。
これ後から調べて知ったけど、自己卑下→罪悪感誘導って典型的なやり口らしい。
そっからだよ、本格的に重い話が増えてきたの。
「昔付き合ってた人に酷いことされた」
最初は、打ち明けてくれたことが嬉しかったんだよ。信頼されてるのかなって。
でも、会話の9割が“彼女のつらい過去”になると、もはや会話じゃないんよ。
言葉は優しい風だけど、読んだあとにはズシッと罪悪感だけが残る。
好きなアーティストのチケット、わざわざ取ってくれてて、テンションも珍しく高かった。
俺も普通に「楽しみだなー」って思ってた。
「最近、私って一緒にいても楽しくないよね」
?誘ったのお前だろ? なんで急に察してモード入るんだよ。
でもまた「傷ついた」って言われんのが目に見えてたから、軽く流して「楽しみにしてるよ」って返した。
で、ライブ前日。
それだけ。マジでそれだけ。
そしたら、その夜LINEが未読のまま。朝起きたらブロックされてた。
例のやつ。
慣れてきてたけど、今回は特に濃かった。
「でもそれでブロックしたのは私が悪いの」
「壊れてるのは私。あなたはなにも悪くない」
な?
全部「私が悪い」って言ってるのに、読むと「俺が悪かったのかも…」ってなる謎文体。
もう様式美。
以降ずっと、ブロック→長文→復縁→またブロックの無限ループ。
気づいたら俺、何にでも「ごめん」って言う癖ついてた。反射で謝るようになってた。
で、決定打。
詳細は伏せるけどわかったこと。
名前、年齢、住所、全部嘘だった。
年齢はサバ読み。
下の名前が違ってた。
もう誰なんだよお前。
会話の中で「わかる〜私もその頃〇〇だった」みたいにやたら合わせてきてたけど、あれも演技。
聞いてた音楽とか、学生時代に追ってたマンガとか、あれ一体なんだったんだよ。
一番ゾッとしたのが。
嘘をついてる人間特有の挙動がない。目も泳がないし、声も震えない。
まるで本当にその名前で生きてきたかのように、自然に名乗ってた。
心底怖くなった。
“こいつ、本当にどこまでが現実で、どこまでが演技なんだろう”って。
設定キャラとして生きてたんだな。
本当の姿を認めたくなかったのか。
しかも、共通の知人にまで泣きついて「私、ひどい扱い受けてて…」って言いふらしてた。
気づいたら俺が冷たく捨てた最低な男にされてた。
知人から「何があった?」って聞かれたとき、もうどうにもならんと思った。
反論したら「冷たい」、黙ってたら「認めた」。
でも、
「実害がないなら、今の段階では出来ることはない」
まあ、そりゃそうよな。
今は怒りも未練もない。ただの疲労感。
最高の癒し。
彼女みたいなのって境界性パーソナリティ障害(ボーダー)って言うらしい。
で、その特徴がこれ
自己肯定感の低さを繰り返して罪悪感を植え付ける
相手の明るさや安定性を逆に責める
嘘をつくのに罪悪感がない
信じられねえ。
法で裁けない、人を壊すやり方ってマジであるんだな。
同じような目にあったやつ、いるだろ?
だから言いたい。
お前のせいじゃねーからな。
俺は今、猫にかこまれながら、そこそこ元気にやってる。
そんだけ。