
はてなキーワード:業務とは
5人ぐらい…😟
年齢不問、学歴不問、職歴は…、ちょっと怖いから気になるかも…
交通費は出ません
中期的には工事に入ってもらう必要があるらしいので、片付けないとなあ…😟
今日の昼は、レトルトのアラビアータと豆腐とほうれん草の味噌汁でした
まあ、ひとりの方が気楽か…😟
イカレは離婚してるが、何人かいる息子とは全員と連絡がつかないらしい
イカレはベテランなので業務について熟知しており、新人の指導ができることになっている。
そして上司もイカレには逆らわない(逆らえない、立場はともかくイカレの方が社歴も年齢も上なので)
イカレはネトフェミ並みの知性しかないので、飲み込みが早い人をとにかく可愛がるが
しんどい作業をすべて飲み込みが遅い人に押し付けるし、ロクに教えず出来ないと嫌味を吐き散らす
そうなると、飲み込みが遅い人は2ヶ月くらいで辞めるし、飲み込みが早い人も簡単な業務しか覚える事が出来ない
実は教育もできないんだよね
皆気づいてるし恐らく上司も気がついているけどイカレを否定するとイカレた様に発狂するから何も言えない
イカレから可愛がられる人は表面上はイカレと上手くやっている様だけど
彼ら彼女らに(人手不足なので)「友達や知人を紹介出来ないか?」ってお願いしても
「イカレさんの対応が難しいので…」と心底しんどそうな顔で断られる
この事はイカレは当然知らない
一度、(イカレによると)イカレの友達って人がたまたま取引先にいて
一緒にご飯を食べに行った事があるけど、ひたすらイカレがどんなに困ったやつかを聞かされた挙げ句に
「彼女みたいな人を雇っている御社は凄い」と慰め半分呆れ半分で言われた事がある
正直、ここまで周りからの扱われ方がひどいと、イカレかわいそうだなぁと思ってしまった
行動力も頭もあるのに、人当たりが腐った生ゴミ以下なだけで、人がどんどん周りからいなくなるし
知人がいても「困った知人」扱いで、イカレは親しいとか友人とか思ってるけど、相手からは全くそう思われていない
恐らく本人もその事に薄々勘付いてるから、能力を誇示して「私はすごいのよー!!!」ってアピールするが
その方法が「イカレ」てるとしか思えない言動ばかりだから、完全に悪循環の逆効果
人手不足のこのご時世にやっと入った新人をいびり倒して退職代行使わせるまで追い詰めておいて、何が有能アピールなのか
結局この手のイカレみたいな困った人は、ブクマカと同様、人間扱いしたら負けで、人としての正しい道を説くのも無駄なんだよね
よく手に取るけど好きか嫌いかは誰も考えない
便利なアイテムとしての価値はあるだけ、不快な粗大ゴミであるブクマカより幾分はマシだが
人と一緒にいられる人になれなかったんだろうね
ああいうのってどこでどうすれば治るんだろうか?
司法上違法な業務であるデリバリーヘルスの従業員が、注文の電話を突然打ち切った行為に対して民事裁判が起こされた場合、裁判所は、従業員の気分次第に見えるその対応について**「法的に評価する対象ではない」または「違法行為の過程における、法的に保護されないトラブル」**と評価します。
まず、裁判所は、裁判の前提となる「デリバリーヘルスのサービス提供契約」が民法第90条の公序良俗(公の秩序及び善良の風俗)に反するとして、契約自体を無効と判断します[2, 3]。
訴えの却下または請求棄却:裁判所は、そもそも法的に保護されるべき権利や利益が存在しないとして、原告(客)の訴えそのものを門前払いするか(却下)、原告の請求を認めない(棄却)判決を下します[2]。
契約自体が無効であるため、従業員が「気分次第で電話を切った」という行為は、法的には以下のように扱われます。
司法審査の対象外:裁判所は、その電話対応がサービス業として適切であったかどうか、あるいは従業員の気分によるものだったかといった点について、積極的に評価や判断を行いません。なぜなら、その電話対応は「公序良俗に反する違法な取引」の一環として行われた行為だからです[2]。
「本件電話対応は、上記公序良俗に反する契約の締結に向けた過程における行為に過ぎず、その対応の当否について司法審査の対象とはならない。」
「たとえ原告の主張するような不審な対応があったとしても、法的に保護されるべき権利侵害は認められない。」
正規の司法運用では、裁判所は、違法な営業に関連するトラブルには介入しません。従業員がいかに不誠実に見える対応をしたとしても、その営業自体が法的に保護されないものであるため、裁判所は従業員の行為を評価せず、原告の訴えを退けます。
だけど、14時で退勤しようとすると「これ今日中にやって」と言われて19時まで勤務。
14時で終わっても連絡来るし。
翌日も朝7時に仕事の連絡。
なんなんだこの会社。
それ正社員がやれよ。
現時点で42歳の男性(事件当時41歳)に関する偽計業務妨害事件で、もし「警察の業務に間違いがあった可能性」が浮上せず、当初から「被告人にアスペルガー障害、統合失調症残遺症状、感情平板化、思考吹入様の妄想の可能性」があることを主張していた場合、裁判のスケジュールと量刑の見通しは以下のようになります。
1.判決時期の見通し(当初)
精神障害が主張された場合、必ず精神鑑定が行われるため、裁判期間は大幅に長くなります。
鑑定期間: 通常、精神鑑定には2〜3ヶ月程度かかります(簡易鑑定の場合は1ヶ月程度)。
公判のスケジュール: 鑑定結果を待ってから公判が再開されるため、公判期日数は増えます。
判決時期: 当初の予定(逮捕から約4ヶ月後の8月14日に第1回公判)から大幅に遅れ、**事件発生から約8ヶ月〜1年後(例:令和8年1月〜5月頃)**に判決が言い渡される可能性が高かったと考えられます。
2.量刑の見通し(当初)
精神障害の主張は、量刑に直接影響します。当初の見通しは、精神鑑定の結果次第で大きく異なりました。
可能性:統合失調症の妄想症状が強く、犯行時に善悪の判断能力や行動制御能力が全くなかったと判断された場合。
結果:刑罰が必ず減軽されます(法定刑の下限が引き下げられます)。窃盗の前科を考慮しても、執行猶予付きの判決や、より短い実刑判決(数ヶ月程度)になる可能性がありました。
可能性:精神障害はあっても、犯行時の判断能力には影響がなかったと判断された場合。
結果: 当初の想定通り、前科があるため懲役6ヶ月〜1年程度の実刑判決となる可能性が高いです。
もし当初から精神障害を主張していれば、裁判は長期化しましたが、鑑定結果次第では無罪や減刑となる可能性が十分にあり、当初の「実刑確実」という見通しは大きく覆っていたと考えられます。
当初の量刑見通し
当初の予定量刑は、懲役6ヶ月から1年程度の実刑判決になる可能性が高かったと考えられます。
その理由
犯罪の性質(偽計業務妨害罪):偽計業務妨害罪は比較的軽い犯罪ではありませんが、殺人などと比較すると軽いです。
被害の程度:警察業務を妨害したことによる具体的な被害(業務の停止時間や人員の動員規模など)によりますが、通常は数ヶ月から1年程度の量刑が一般的です。
前科の有無(窃盗の前科):窃盗の前科があるため、執行猶予は付きにくい状況です。前科は、被告人の再犯傾向を示すものとして、刑務所に入れる(実刑)かどうかの判断に大きく影響します。
動機と反省の有無: 当初は、被告人が自身の行為の違法性を認識し、深く反省していると見られていた可能性もあります。
もし「警察の業務に間違いがあった可能性」が浮上せず、そのまま裁判が進行していた場合、前科があるため実刑は確実と見られていたでしょう。
ただし、懲役1年を超えるような重い刑ではなく、懲役6ヶ月から1年程度の実刑判決が、検察官の当初の想定であったと考えられます。検察官が勾留継続が相当ではないと判断したこと自体が、事件の根幹に関わる問題が生じたことを示しており、それだけこの事件は当初の想定から大きく外れていると言えます。
42歳男性が41歳の時に犯した偽計業務妨害罪について130日拘禁されたあとに検察官の意向で勾留取り消し請求があり釈放され裁判官忌避の申し立てが却下され被告人からの公判期日変更請求も11月13日に却下されているような状況であると12月16日に次回期日が決まった場合次回期日では何をする可能性があるか
ご質問の状況は、非常に複雑かつ異例な経緯をたどっているため、12月16日の次回公判期日では、通常の公判とは異なる様々な展開が予想されます。
現時点での状況(42歳男性、41歳時の事件、130日勾留後に釈放、忌避申立て却下、被告人からの期日変更請求却下、次回期日12月16日)を踏まえた上で、次回期日で「何をする可能性があるか」を以下に示します。
この期日は、再調査のために釈放されている状況下で開かれるため、いくつかの手続きが想定されます。
もし8月14日の公判が延期されており、12月16日が実質的な第1回公判であれば、以下の冒頭手続きが行われます。
起訴状朗読:検察官が起訴状を読み上げ、訴因(公訴事実)を明らかにします。
罪状認否:被告人または弁護人が、起訴状の内容を認めるか否か(有罪か無罪か)を表明します。
2. 弁論準備手続きの進展
すでに第1回公判が8月14日に開かれている場合、12月16日は第2回以降の公判期日となります。この場合、以下の可能性があります。
争点及び証拠の整理: 弁護側(被告人側)と検察側が、事件のどの点を争うのか(特に、再調査中の「警察の業務」に関する点や「故意」の有無)、どのような証拠を提出するのかについて意見を交換し、整理します。
証拠の開示:再調査の結果得られた新たな証拠が、検察官から提出される可能性があります。
証拠意見: 弁護側がその証拠について、証拠とすることに同意するか反対するかを表明します。
証人尋問:場合によっては、証人(警察官など)の尋問が行われる可能性もあります。
証拠が揃っており、争点がない場合(可能性は低いです)、最終弁論を経て、判決が言い渡される可能性もゼロではありません。
想定されるシナリオ
最も可能性が高いシナリオは、検察官が再調査報告書を受け取っているかどうかで変わります。
報告書が届いている場合: 争点整理や証拠調べ手続きに進みます。
報告書がまだの場合:検察官から再度、期日変更請求や公判停止の申し出がある可能性もあります。
弁護人や被告人からの忌避申し立てや期日変更請求が却下されていることから、裁判所は迅速な審理を望んでおり、12月16日には何らかの実質的な手続き(特に証拠調べ)を進めたい意向が強いと予想されます。
45 :可愛い奥様 : 2024/07/05(金) 14:09:26.24ID:kpP8fdMq0.net
事務系なんだけど、ゴミ捨てとか掃除とか雑用ばかりさせられてるパートさんがいるんだけど、
これってパワハラでは??
清掃員じゃないのに…
パートさんご本人は、ラクでちょうどいい、こんなんでお金もらえて1日が終わるなら楽勝、
とか言ってて、たくましいのか、、強がりなのか、
このやり方は一般的には【過小な要求】とかでパワハラ(または職場いじめか)に該当する。議論の余地は無いと思う。
本来の業務がどの程度圧迫されているかどうかなども考慮されるとは思うが。
今回の例では雑用で一日が終わるということなので、「必要な業務を合理的に割り当てただけ」という言い訳にはならないだろう。
雑用専門の業務で雇用されているわけではないのならその業務は皆で分担すべき。
まあ訴訟にまでなるような追い出し部屋とかが性に合っている人も中にはいるので、
気にしないという人も個人差なんだろうな。稀な例だとは思うが。
だがそれは「サービス残業は気にならない」「育休が取れなくても構わない」「ブラック企業でも良い」と言っているようなものであり、
それと、その人は清掃の職種を選ぶべきだったのでは。
その人は今の状態で良くても人事異動で他の部署に行ったり退職したら、後任者がどうなるかは気になる。
後任者が同じように雑用ばかり押し付けられたら・・・次こそはパワハラ問題が出てくる可能性は高いと思う。
職場のハラスメント対策やコンプラ意識が変わらないと根本的には解決しない。
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「雑用ばかりさせるのはパワハラ」 裁判所の“意外”な判断、その理由とはhttps://www.itmedia.co.jp/business/articles/2205/31/news038.html
名もなき雑用ばかりの仕事で退屈。もっと活躍して評価されるには? |女性の転職・求人情報ウーマン・キャリアhttps://doda.jp/woman/guide/100moya/067.html
例えば、「女性は結婚や妊娠で辞めてしまうことが多いから、という理由で雑用ばかり命じられる」「明らかに自分だけが、長期にわたって雑用を押し付けられている」という場合は、ジェンダーハラスメントやパワーハラスメントに該当すると考えられます。
https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/kento185_08_shiryo5-2.pdf
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002qx6t-att/2r9852000002qx9f.pdf
あなたの論なら明確な業務内容を書いてないならありとあらゆる職種でも雑用だけもありじゃんってことになるけど。雑用だけが事務系っておかしいし、その従業員だけがその業務をしていることは説明がつかない。さらに投稿者とその労働者の反応も説明がつかない。どんな業務だって
珍しくふと、映画館で映画を観たいと思った。最後に映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力で映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。
細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ローで放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。
結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。
(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)
【以下、ネタバレ】
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まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女・スカーレットは、父親を殺した叔父・クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ます。スカーレットは死者の国で、現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。
本作が題材にするのは報復の連鎖。細田守監督自身がインタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐の連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。
正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝。こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。
一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明的であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。
もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である「進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。
しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである。
物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐のモチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的なスカーレットと対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。
敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的なキャラクターに見える。しかし、「自分の立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである。
スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレットの内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情を否定しないことは、本作の美点の一つである。
一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐に燃えている」という内面が理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレットが死ぬ前に、クローディアスの暗殺を民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。
クライマックス。スカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレットは民衆に、「民を救うこと」「子供は絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである。
そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女が自分の生き方を決める物語なのだと個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 orバケモノの世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督の過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。
本作は他の細田作品と同じく、演出、特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠の風景を延々と見せておいて、最後にスカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠の風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。
カラスのモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。
しかし最後の最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラスがスカーレットの内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。
その他、聖のキャラクターに人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすいカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。
唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれて現代の日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館の座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。
「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督の演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物の些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。
個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマの理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?
それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージを細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性(大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか。
奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品は脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。
しかし、本当にそれでいいんですか?
「あなたの脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。
しかし、莫大なマネーとステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分のメッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。
ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。
PS:
TOHOシネマズのBGMってあるじゃん。ピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。
仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズのBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGMや効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神のCM、デデドン(絶望)もこの会社の作品らしい。"NashMusic Library"で調べればストリーミングで聴ける。
与えられた仕事を放棄して指示や改善要求を無視し労働者の保護を盾に
明らかに増えている。
主に
・職場で喋り続けて何もしない
・指示されたことをやらない
などである
一つの物事に対してみんなで取り組む会社の場合「職場ネグレクト」が湧き出てくる
働く能力がないわけではなく
「自分は被害者だ」と先に言うことで議論を封じ、自分自身の問題(業務放棄)が見えにくくする
組織側が指導しにくくなることを狙った戦略で自分の仕事を放棄する
いや、違う
Z世代ではなく
「パワハラ」「ブラック」という言葉が注目を集め、部分的な情報でも同情が集まりやすい
なので
と言う図式を作れば
「指摘されたらパワハラと言えばいい」
制度は正しい方向に進んでいても、
その裏で責任放棄の口実にする人が一定数現れるというのが現実なのである
それをそれぞれ10ずつ処理すればよかったのだが
それを先輩Aが指摘すると「私は先輩Aイジメられてる!」と喚き立て
一生懸命働いたとしても新人の群に冷笑され「向こうがいじめてきた」という無い理由で
その先輩Aの仕事量はもともと多かったので
それが再分配され仕事量増大
無敵の新人が喋って遊ぶのを見ていると私も転職すべきな気がする
職場ネグレクト達は「賃金が低いせいだ!俺らは悪くない!」とぼやくが
まともな知能を持った大人なら、しようと思えばできるし控えようと思えば控えられるのが政治の話題。
問題は、オタクにはその「しようと思えばできる」の回路がないってことなんだよ。
オタクには「自分にとって大事なものは世界にとって大事なもので、四六時中そのことでメディアを埋め尽くさなければ発狂してしまう」
あるいは「自分が嫌悪感(劣等感)を抱くものは世界を堕落させる悪であり、ほんの少しでも自分の見ていないところでもその存在を根絶しなければ発狂してしまう」
俺は精神医療従事者ではないので、これをなんと呼ぶのかは知らないが、明らかに日本のネットとリアルをダメにしてるのはすべてこういう病人。
基本的には真面目な話ばかりして、誰も見ない。たまに息抜きに目先を変える害のない娯楽をやる。
それで何が不満なんだ。メディアに依存してないで、自分の人生を楽しめよ。
政治や経済の議論はお前の執着のためにすることじゃなくて、日常の合理的な環境整備のためにすることなんだよ。
意味のわからない反社会性の塊みたいな奴らの自己実現のために、ただの業務処理で良い事柄がどんどん非現実的なファンタジーにされてしまう。
会社の後輩(アラフォー)は大企業からの転職で、大企業にありがちな分業かつ同じ事務の業務しかやってこなかったらしく、基本的に「すべてにマニュアルは存在すべきで、手取り足取り教えてもらわないと気が済まない」という甘え状態。マルチタスクも苦手。
休みの時に業務代行を頼もうとするとブチキレるのに、その直後にしれっと「私が休む日はこれお願いします」と言ってくるし、自分のミスしまくりは棚に上げて「先輩はミスばっかりで困りますよね!」と言ってくるし…。(正直彼女のミスのほうがでかい。100万円以上の請求書を放置したまま忘れてるとかあった)
なんかもういちいち反応するのも疲れるし、指導しても成長できなさそうな年齢だし、最近は文句を言われても無視して過ごすようになった。
はーい嘘松😝
小金井でシンガーソングライターの女性がめった刺しにされた事件のブコメを見てみましょう
https://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20160521/k10010530181000.html
aji_kazu これは酷い。アイドルとファンの距離が近すぎるんじゃないの?
mogmognya 「会えるアイドル」になるということが、こういうリスク込みの覚悟をもたなくてはならないものだったら、プロデューサーや事務所側はどのようや覚悟を持って対策をしているのだろう。
kaz_hiramatsuスタッフは何をしてたのか。AKBと同じような体制は無理だろうけど20箇所はない
whkrアイドル業は、未成年にやらせてはいけない有害業務だという説の傍証がまた一つ。
zZwIwl 怖すぎ。アイドルって恋愛弱者から搾取している側面もあるんだろうけど、刺されるほど悪い事してるとは思えない。刺したやつのTwitter見るに、これ何もしてないんじゃないか?
yakudatsujoho 昔はアイドルっていうと手の届かない存在だったけど、今は「会いに行ける」が当然になってるからなぁ…。現代のアイドルは命懸けの覚悟が必要。
atringo3アイドルになるって事はそ~ゆ~コトだよ。
akatibaratiモテない男に何十万・何百万と貢がせるのが最近のアイドル商法。本当に刺されるべきなのはプロデューサーとその取り巻き達なのだろうが。
usutaru あえて言うなら、近寄らなければどうでもいい世界。こういう事態になるまでビジネスしなければいけなかったのか。んで、そういうビジネスが日本的ってことでよろしいのか?
hhasegawa 疑似恋愛商売で刃傷沙汰が起こると、いつも『籠釣瓶花街酔醒』の偉大さについて考える。以前にも書いた通り
hiroyuki1983 色恋を売り物にしてりゃこうなるに決まってる。これでアイドルとかいうメンタル売春婦制度がなくなることを切に願う
ganbarezinruiアイドル、要は非モテの気持ち悪い男相手に恋愛幻想を売り込む仕事なので、こういう事件は当然起こる。アイドルという仕事の卑しさ、そのビジネスモデルの虚構性にみなさんもうちょっと自覚的になってほしい。
人口がダブついてて、これから高齢化してお荷物になるけど、まだ現役世代として動ける氷河期世代から動員されていく可能性は考えている。
それも正規兵では無い(ゆえに戦死や負傷をしても国家の補償を受けられない)形で。
具体的には、どっかの人材派遣会社に「客先での軽作業です」みたいな形で募集されて、でも業務内容は前線で兵器に関わる仕事、みたいな感じ。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。