
はてなキーワード:桜木町駅とは
半年前、anond:20250512191333 を書いたけど、きょうはもっととんでもない例をみてしまった...。
田園都市線が脱線のため一部運転見合わせ → 直通している大井町線や半蔵門線が遅延 + 本数大幅減 (大井町線と半蔵門線の車庫も田園都市線内にあるため) ・東急バス (二子玉川〜駒沢大学・駒沢大学〜渋谷) にも混雑が集中して遅延 →半蔵門線と並走している銀座線も遅延・半蔵門線に直通している東武スカイツリーラインも一部運転見合わせ →田園都市線の代替ルートとなる東横線 (*) に混雑が集中して遅延 + Qシート (指定席車両) 中止 → 並走している目黒線や直通している東急新横浜線や副都心線も遅延 →東急新横浜線に直通している相鉄線や目黒線に直通している南北線や三田線も遅延 → ...。
池尻大橋駅と中目黒駅は東急バスで10分、徒歩で30分くらい。このルートは花見の時期になると毎回混雑する。
二子玉川駅と自由が丘駅は大井町線の急行で1駅 (5分) 、各停で5駅 (10分) 。この区間は急行でもゆっくりなうえ駅間も短いのでおもったほどの時間差はない。
溝の口駅と武蔵小杉駅は南武線で3駅 (10分)東急バスや川崎市バスで30分くらい。東急バスは国道409号線をずっととおっていくのに対して、川崎市バスは溝の口駅と武蔵新城駅のあいだは南武線を並走する。東急バスだと高津駅も利用可能。なお、朝ラッシュ時の国道409号線は混雑するので、とくに東急バスの場合、時間どおりの到着は期待しないほうがいい。
溝の口駅は新横浜駅にもいけるが、時間がかかるうえ振替輸送対象外のため料金もかかる。ただしシートベルト必須である高速道路を走行するため、絶対に着席したいならひとつの選択ではある。
鷺沼駅と武蔵小杉駅は東急バスと川崎市バスで40分〜50分くらい。こちらは東急バスと川崎市バスでルートが共通だが、途中駅止まりやルート分岐がおおいので間違えて「小杉駅」と書いているもの以外に乗車しないように注意 (なお南武線利用なら「中原駅」でも可 /小杉駅前ゆきでも「中原」で途中下車して武蔵中原駅まで (3分ほど) 歩くことも可能10分ほどの短縮になる / 久末と野川は中原よりさらに手前なので乗らないように /営業所ゆきはルート分岐になるので絶対乗るな) 。
あざみ野駅と日吉駅はブルーラインでセンター北までいって、グリーンラインで日吉まで。どちらも (2025年10月現在)あざみ野と日吉はどちらも線路の終わり (必ず終点) なので、センター北で「日吉」以外に乗車しないかぎり間違えることはない。
長津田駅と横浜駅は横浜線1本でいけるかと思いきや、半数の電車は横浜駅の1駅手前である東神奈川駅でとめられてしまい、のりかえが必要。正直なところ、横浜駅のつぎの桜木町駅は3線あるのだから、その間の横浜駅も3線いれて桜木町ゆきをふやしてほしいところ...。
その他、田園都市線は1駅だけすすめるバスも多数あるが、田園都市線の二子玉川駅から中央林間駅は駅間が短く、ちょうど中央に住んでいる人がどちらの駅にもいきやすいようにという目的であるバスのため、駅と駅の移動のためならバスよりも徒歩のほうがはやく到着する。
なのよ。
https://anond.hatelabo.jp/20241018154926
今の横浜駅の場所も関内駅の場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島で突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。
みなとみらいや高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。
というか、東京湾内の神奈川県は多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。
さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄の元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。
これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。
この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。
さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜が入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?
って事で江戸幕府は江戸の商人の吉田さんにここの干拓事業の承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。
https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html
リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近が馬車道駅の辺りだ。
ペリーの黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲とデカい動力軍艦で脅かされては何も言えない。
そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。
今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。
横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅と横浜村が大きくずれてる説明が必要だ。だからもうちょい書く。
幕府は倒れ明治政府は汐留と横浜の間に鉄道を敷くことになった。
さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。
話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側は幕末にすでに干拓されていた。
https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA
平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田、岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。
すると陸地を通ると神奈川宿(京急神奈川駅付近)→浅間神社→高島町という迂回ルートになってしまう。
そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。
こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街、官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。
さて官製鉄道は神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区の丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。
だから本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅は盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。
クソめんどくせえ。
客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅に貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物や郵便の汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。
これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。
なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島→横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。
鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初の線路の東側に線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅を移転、元の横浜駅は桜木町と改称した。
しかし見れば判るが港にも繁華街、ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。
そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所に横浜駅を移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。
https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5
3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都の震災復興と開発計画が付随していた事だ。
市電が来て新しく開通する東横線、京浜急行と東海道線が立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地は戦後米軍に摂取されてしまった。
しかし高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近と認識されるようになったのであった。
因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。
と、こういう経緯。
横向きの砂州の横浜→埋立てで砂州は消滅→横浜開港→鉄道→横浜駅の場所が邪魔→素寒貧な海辺に移転→駅前が米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。
はぁお前さぁ
あー場所は忘れたな
んでもよーほらあれ
なんか大自然がどうのってシアターあって花澤香菜がナレーションやってたの
そっから動くといっぱいあるだろ
ランドマークタワーとクイーンズスクエアとコレットマーレとワールドポーターズと赤レンガ
赤レンガでなんかすげーーー並んでるところあっていくの諦めたわ
そこで前に料理やってみろって言われて肉まんかなんか作ろうとして
フライパンに中華の丸いあれ使って火事おこしそうになった女いただろ?
んでみなとみらいせんで馬車馬通りとか行くだろ?
そこからなんかあのあたり
の高速道路の近くになんかあったじゃんあれ
商店街的な
一度も乗ったことねーけどあれ乗ったらどうなんだろうな
まぁ外交官の家とかそっちあったよな
確かうみねこのなく頃にがパクったあれ
もうこうやってくだけで実質ゲーセンだろ
あんな坂滅ぼせよ
12年前、
借りていた奨学金の募金活動で桜木町駅に日がな一日立っていた。
この活動に前向きで意欲的な奨学生もいるだろうけど、私はそうではなかった。
なぜ週末の駅中で、私は親を亡くしました。でも勉強がしたいのです。だからご協力をお願いします。と、楽しそうで幸せそうな人たちに向けて声を張り上げ続けなければならないのか。
多くの人は一瞥するも通り過ぎ、
あるいはこちらを見もしない。
俺だって大学に行っていない、甘えるな。とおじさんに言われたり、
ここの団体の資金のやりくりは不明瞭で、とそんなことをおばさんに言われたりした。(そんなことを私に言ってどうする?と思いつつ、聞かないわけにもいかなくてしんどかった)
募金と見せかけて
好き好んで親を亡くしたわけでもないし、
好き好んで看板を吊り下げて立っているわけではない。
あえてこちらを見ようとせずに通り過ぎる赤ちゃん連れの若夫婦などを見ていて、
足もしんどくなってきた夕方、
癖っ毛で眼鏡をかけた小柄なスーツ姿のおじさんが寄付をしてくれた。
ありがとうございます。とお礼を言うと、おじさんは何も言わずに去っていった。
しばらくして、さっきのおじさんが戻ってきた。
それを差し入れにくれるという。
募金活動の差し入れに甘栗。しかも殻付き。と思ったけれどありがたく受け取った。
おじさんはこう言った。
君らがここでこんなことをせなあかんのは間違ってるんや。僕ら大人が悪いんや。ほんまごめんな。ほんまごめんな。
おじさんは最後、少し涙声になっていた。
なぜこの人が謝らなければならないのだろうか(しかも偶然出張で桜木町駅にいるだけなのに)、と思ったけれど
私はずいぶんとこのおじさんの言葉に救われた。
1日立ち続けて
私たちはちゃんと存在して、見えていたのだな。ということがわかったことと、
なにより、おじさんのその気持ちに。
もう12年経ったけれど、
おじさんのことを忘れたことがない。
名前も聞かなかったし、もう会うこともないだろうし、
お年としては、定年を迎えられているのかもしれない。
どうか元気でいてくださいとおじさんを思い出すたび、祈っている。
人は人の心を挫くこともできれば、
反対に守ることもできるのだと
おじさんが身を持って教えてくれた。
おいしかった。
見ず知らずの学生の姿を認めて
耳を傾けて、言葉をかけてくれた。
あのおじさんのような大人になりたいと思ったし、
べこべこに凹んだ自尊心を守ってくれた。
おじさん、元気ですか。
あなたはもう忘れたと思うのですが、
あの時はものすごく嬉しくて
12年経った今でも
賛成の市民もいるんだから、市民全員が反対みたいな偏向報道しないでほしいなぁ。市長は英断だと思うよ。山下ふ頭の港湾業者なんて、どう考えたって利権守りたいだけでしょ。
今、みなとみらいの玄関口になっている桜木町駅は、陸側の方は数百メートル以内にJRAの場外馬券売り場や大型パチンコ店があって、遠くから電車で来てくれる馬券客やパチンコ客で集客している街なんだし、今更、カジノ反対って言ったってねぇ。そりゃ、山下町にはパチンコ屋はないかもしれんが、近隣の長者町とか伊勢佐木町とか関外に行けばパチンコもスロットもゴロゴロあるわけで。あっちの方がよほど品が悪いのでは。
カジノなんて品格のないものをうんたら、とか、歴史的経緯が云々いう人は、もともと、横浜スタジアムのある横浜公園に何があったか知ってて言ってるんでしょうね…あそこは、開港当時の外国人向けの遊郭(港崎遊郭)の跡地ですよ。ちょっと調べればわかるけど、尊王攘夷運動のあった幕末には、外国人にできる限り居留地に閉じこもってもらって街の外でトラブル起こさないように、遊郭とか競馬場とか、エンターテイメント施設を、全部日本側が作ってあげたり大きく支援したりして作ってたんですよ。
山手に洋館ありますよね?あれ、全部、関東大震災で外国人居留地が壊滅して、逃げちゃった外国人になるべく横浜にいてもらうために作ったモデルハウスみたいなものですよ。
そうやって、外国人にできるだけいてもらうために街を作ってきた経緯を考えれば、むしろ、山下町にカジノがあってしかるべきなんじゃないですかねぇ。
結局、旧外国人居留地だった山下町・山下ふ頭近辺に対する変な幻想が市民の中にあって、それを利用して港湾業者が利権を守るために騒いでいるだけにしか見えないんですよねぇ。ギャンブルは全部、横浜っぽくない近隣の地区に押し付ければいいっていうのが透けて見えて、いけ好かないんですよねぇ。
いや、探せば一人くらいいるだろうし多分私が知らないだけなんだろうけど、ともかく私は知らない。それだけが今、私の眼前に漫然と横たわる事実である。
このことが浮かんだのは風呂場でシャワーを浴びている時だった。着衣の間もずっとモヤモヤしていた。
多くの人が知っているであろう通り、スポーツ観戦に観客の「歌」はつきものである。
有名なところだとマンUのリパブリック賛歌だろうか、サッカーなら日本の浦和レッズだって試合に勝つと合唱タイムがあったりする。
当然応援中にも応援歌が歌われるし、ファンが手っ取り早く一体感を得るにはそこに混じって歌を覚えればいいのである。
多くは自チームの攻撃中に歌われるもので、その選手固有のテーマが宛がわれたり、新人には右打者左打者ごとに汎用テーマが用意されていたりする。
私も贔屓のチームはもちろん、同一リーグの球団歌は一通り歌えたりする。
さて、選手個人に宛がわれる応援歌は、ほとんどの場合その球団で伝統的に使われてきたものであり、ある選手が引退したり移籍したりすれば、その選手のテーマは他の選手に流用されたりする。
しかしその選手が問題を起こしたり、逆にレジェンド級の活躍をするなどした場合、その歌はその選手の記憶と共に葬り去られる。
つまり、世代が進めば進むほど、応援歌の絶対数が少なくなっていくのだ。
その為どの球団でも、毎年1,2曲が「補充」される。
大体半分くらいの新曲は、勝手にそのへんの曲をパクってきたものだ。
横浜ではチャンスになるとパチスロ「獣王」の「サバンナチャンス」が流れ、
かつてロッテに在籍していた神戸が打席に立つと東方の「U.N.オーエンは彼女なのか?」が替え歌で歌われたり
といった具合だ。
もうすこし逸れる。
近年、多くの球団で、球場の最寄り駅の発車メロディーに球団歌を流すという試みがなされることが多い。
関内駅や日本大通駅ではベイスターズの「熱き星たちよ」が流れる。
海浜幕張駅ではロッテの「We Love Marines」が流れる。
つまり駅メロは、その球団をアピールするひとつの商材として考えられていることがわかる。
そこが贔屓のファンが行き帰りに球団歌を聴けるのはうれしいだろうし、考えても見れば、その駅を職場の最寄として使っているサラリーマンは、球団にとってこの上ない格好のターゲットなのだから、アピールするのは当然である。
日常の何気ない音楽で、ふとした拍子に野球をうまく意識させ、精神の根底に根付かせる。駅メロにはそういう効能があるのだろう。
さて。
それは「数小節で簡潔していて、ループさせても違和感がない」ことだ。
しかし前述の、球団歌を駅で流すというのは、それに使われる球団歌はどれも数小節でループしないし、試合中に連呼されるものでもない。
これはとても勿体無いと思う。
最寄り駅で週代わりで、上下線別々に特定の選手の応援歌をシンセにアレンジしたものを流せば、絶対にしっくりくる。
だが、逆にこう考えてみよう。
やっと本題に入る。
これをするためにはもうひとつ条件がある。
そしてこれは、つまり最初から歌詞がついている曲が駅メロとして採用されているものなら何の問題も無いということだ。
私が推したい駅メロが二曲ある。
品川駅の「鉄道唱歌」と、桜木町駅の「線路は続くよどこまでも」だ。
どちらもループがほどよい長さで、既に歌詞がついている。このまま球場で歌ってもなんの問題も無いし、替え歌しても誰も怒らない。
そしてこれらの曲を応援歌として用いるとなれば、品川と桜木町を訪れるたびに、プロ野球ファンは「あっ、あの選手の応援歌が流れてる」となる。
広告効果はそれなりにあるだろうし、何よりこの二曲は大昔のものだから著作権はない。
作曲する手間もパクるリスクもいらないし、どちらも日本人に馴染みのあるメロディーだからすぐに覚えられるだろう。
まだ応援歌のない野球選手がひとり、鉄ヲタを公言するだけでいい。それだけで、私のこのしょうもない妄想は実現させられるかもしれない。
・・・さて。
品川駅と桜木町駅は、どちらも京浜東北根岸線が縦に走っていて、関内駅まで直通している。
この私の案が一番「効く」のは、横浜DeNAベイスターズだろう、と勝手に思っている。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】