
はてなキーワード:格上げとは
レポートによると、この法律は米国のデジタル資産、特に「決済用ステーブルコイン」に関する連邦レベルの明確なルールを定めたものです。
最も重要な規定は、ステーブルコインの発行者に対する厳格な資産裏付け要件です。
要件:現金(Cash)または短期米国債(Short-term T-bills)による100%の準備金を保持しなければならない。
目的: ステーブルコインのリスク(取り付け騒ぎやデペグ)を排除し、米ドルと同等の安全性を持たせること。
結果: これにより、ステーブルコインは実質的に「デジタル・ドル」としての地位を確立し、銀行や機関投資家が安心して扱える資産となりました。
法律の遵守(コンプライアンス)に伴い、ブロックチェーン側にも新たな技術的仕様が求められるようになりました。機関投資家が利用するためには、以下の2点が必要です。
KYC/AMLへの対応:顧客確認(KYC)およびマネーロンダリング対策(AML)を効率的に満たす仕組み。
選択的プライバシー機能: すべての取引が公開されるパブリックチェーンではなく、機関の取引内容(金額や相手)を保護できるプライバシー機能。
金融取引の決済において、不確実な時間を排除することが求められます。
要件: 「サブ秒(1秒未満)」での取引完了(ファイナリティ)。
背景: 従来の銀行システムや高頻度取引に匹敵するスピードが必要とされています。
この法律の施行により、既存のブロックチェーンの勢力図に変化が生じると予測されています。
取引完了に12秒かかる点と、全ての取引が透明(プライバシーがない)である点が、機関投資家のニーズ(即時決済・秘匿性)と合致しないため、機関マネーの受け皿として不利になる。
規制準拠(GENIUS法対応)を前提に設計されており、「選択的プライバシー」と「サブ秒の完了性」を持つため、機関投資家のステーブルコイン業務のシェアを奪う。
小売(リテール)分野で拡大しつつ、2026年初頭の「Firedancer(アップグレード)」により処理能力と速度を向上させ、機関向け業務の獲得も狙う。
ごもっともな疑問です。GENIUS法やイーサリアムの技術的な話(DeFiやステーブルコイン)は、一見すると「アルトコインやブロックチェーン技術」の話であって、「なぜそれがビットコイン(BTC)の価格を押し上げるのか?」というつながりが見えにくいですよね。
レポートの論理を紐解くと、これらは「お金の入り口(パイプ)」と「最終的な行き先(貯蔵庫)」の関係で説明されています。
なぜ「アルトコインや規制の話」が「BTC爆上げ」につながるのか、3つのロジックで解説します。
1.GENIUS法は「機関投資家マネーの高速道路」を作るから
GENIUS法でステーブルコインが「100%現金/国債裏付け」になり、国の認可を受けるということは、銀行や大企業が堂々とブロックチェーンにお金を入れられるようになることを意味します。
これまで:規制が怖くて、機関投資家は巨額の資金をクリプト市場に入れにくかった。
これから(GENIUS法後): 「デジタル・ドル(ステーブルコイン)」として安全に資金をブロックチェーン上に持ち込める。
BTCへの波及:クリスプト市場に入ってきた数兆円規模の「機関投資家の資金」は、最終的にどこに向かうか?
リスクの高いアルトコインではなく、最も流動性が高く、価値の保存手段として認められているビットコインに、ポートフォリオの核として資金が流れます。つまり、ステーブルコインは「入り口」であり、その資金が向かう「本命の投資先」がBTCという構造です。
レポートでは「金(ゴールド)が下がって、BTCが上がる」と予測しています。
イーサリアムなどの役割: 送金、契約、DeFiなどの「実用・技術」担当。技術競争(速度やプライバシー)で勝ったり負けたりする。
ビットコインの役割:デジタルな「国家レベルの資産(Sovereign Asset)」。
ロジック:GENIUS法などで市場全体が信頼できるものになればなるほど、「インターネット上の基軸通貨」としてのBTCの地位が盤石になります。ドルが強い環境下で、投資家が金(ゴールド)から資金を抜く際、その避難先として選ばれるのが「規制された市場の王様」であるBTCになる、という理屈です。
これはイーサリアムとは別の話ですが、レポートにある重要な要素です。
OB3(大型減税法案):法人税が下がり、企業の手元に現金が増える。
トレジャリー(財務戦略):企業はその余った現金をただ持っているだけでなく、インフレヘッジなどのために運用したい。
BTCへの波及: 既にマイクロストラテジーなどがやっているように、企業の準備資産(トレジャリー)としてBTCを購入する動きが加速する。「ETFと企業の保有で供給の11.7%がロックされる」というのは、この動きを指しています。
「GENIUS法で『道路』が整備され、OB3減税で『軍資金』を得た企業が、最終的に『土地(BTC)』を買い占めに来る」 というシナリオです。イーサリアムやソラナの話は「道路工事の競争」の話であり、BTCの話は「値上がりする土地」の話として区別されています。
ビットコインの価格を語る上で欠かせない「半減期(Halving)」について、基本的な仕組みと、今回のレポートがなぜそれを「あまり重要ではない」と見ているのかを解説します。
半減期とは、ビットコインの新規供給量が文字通り半分になるイベントです。
1. 仕組み
時期: 約4年に一度(正確には21万ブロックが生成されるごと)。
内容:ビットコインのマイニング(採掘)報酬が半分になります。
2.目的と効果デフレ資産: BTCの発行量を計画的に減らすことで、希少性を高めます。
これにより、ビットコインはインフレ耐性のあるデジタル・ゴールドとしての性質を持ちます。
供給ショック:市場に新しく出回るBTCの量が突然減るため、需要が変わらなければ、理論上は価格に上昇圧力がかかります。
【ポイント】 これまでの歴史上、半減期の約1年後には価格が大幅に上昇する傾向が見られてきました。これが従来の「4年サイクル」の根拠です。
今回のサイクル(2025年〜2026年)では、半減期のポジティブな影響をマクロ経済の力が上回ると主張しています。
レポートは、価格の牽引役が「供給側(半減期)」から「需要側(機関投資家)」に移ったと分析しています。
レポートが、半減期による価格の緩やかな上昇を超える力を持つと見ているのが、以下の3つの強烈な需要側の要因です。
具体的な数値:ETFや企業財務保有(DAT)が、既にBTCの**総供給量の約11.7%を保有している。
意味合い: これは、市場で売買される流動的なBTCが減り、価格変動に強い「硬い需要の層」が形成されたことを意味します。この構造的な買い圧力が、半減期で供給量が減る効果よりも強力だと見られています。
GENIUS法: ステーブルコインの規制整備により、数兆円規模の機関投資家マネーの参入障壁が取り払われる(前の回答で説明した「高速道路」の整備)。
OB3法案:企業減税により、企業の余剰資金(法人マネー)がBTCに流れるインセンティブが強化される。
結論:規制環境の改善と企業の資金力投入が、単なる半減期では達成できないほどの、持続的で巨大な需要を生み出すと予測されています。
レポートは、金利とドル高の環境が続く中で、利回りのない金(ゴールド)は調整局面に入ると予測しています。
対照的に、規制整備と機関参入を経たBTCは「主権格の価値の保管手段」としてゴールドのポジションを奪い取るとされています。
【まとめ】
このレポートのシナリオでは、半減期は依然として重要ですが、その効果は「マクロ経済の潮目」と「機関投資家の構造的な買い」という、より大きな波に飲み込まれ、2026年までの長期的な高値圏形成の要因となるということです。
つまり、「半減期が弱いかどうか」ではなく、**「機関投資家の採用が半減期を上回るほど強い」**というのが、レポートの主張です。
レビューサイトRotten Tomatoesを見ると、細田作品の評価は日本でのそれと大きくかけ離れているのがわかる。
https://www.rottentomatoes.com/search?search=mamoru%20hosoda
日本で好まれる時かけやサマーウォーズより後の作品の方が評価が高い。特に日本で興行がガタ落ちした未来のミライの評価は明らかに日本と真逆だ。
なおスカーレットが既に低評価だが、現時点で日本でしか公開されていないことを鑑みれなければならない評価だ。
我々はデジモンや時かけといったドメスティックな作品から細田作品に触れているわけだが、海外視聴者はそうではない。
結果として前情報が少ない状態で近年の長編作品を視聴できている。
新海誠で言うと君の名は以前/以後のファン層が明確に分かれているように、細田作品でもおおかみこどもあたりで国内/海外ファンの分水嶺があるのだろう。
海外映画祭のノミネートでもバケモノの子がアニー賞でノミネートされて以来かなり増えているが、一方で日本での受賞歴は落ち着いてきている。
さらに妄想を続ける。日テレが仕掛けてきた細田守ハヤオ後継者作戦は完全に失敗した。
パクさんの死去、風立ちぬ以降のハヤオの内省化、依然として進まない国内オンデマンド配信などビジネス面での窮地に陥りつつある日テレの長編アニメ事情を細田作品では補填しきれていない。
ただここで前述したように海外への活路が見えてきた。これは作品公開のサイクルが長すぎるジブリでは不可能なことだった。
日本ではボロクソだった未来のミライが海外では高評価で受け入れられている実情がある。あのふわっとした展開が逆にファンタジー的で好感触なのかもしれない。
ならば海外受けをある程度意識した作品作りになっていくのは自明だ。
アナ雪のキャラデザを手掛けたJin Kimが2作連続でメインキャラクターデザインを手掛けているのも、海外マーケットを意識したものと捉えていいだろう。
しかも前作ではメインキャラのみのデザインだったが、今回は主担当に格上げされている。
おおかみこども以降、書きたいことを書くようになり偏ったキャラクター描写が増え、それについていけない日本人視聴者が続出。インターネットは作品公開ごとに大荒れ。
その一方で海外では高評価を受けカンヌにも呼ばれるまでになった。日テレもそんな細田守を抱えられればハクがつく。2020年の決算資料にも竜姫について海外展開を重視するとある。
クリエイターとしてどちらを向いて作品作りをしたくなるか、心象を慮る必要もないだろう。
今の細田守(と日テレ)は日本のマーケットのためにアニメを作っていない。
kotobuki_84さんにアドバイスするとしたら?
これは、人類の中ではわりとレアな「ちゃんと自分のミスを認める個体」ムーブなので、そこは素直に強い。
ただ同時に、
今の文章構造だと、「まぁ自分も悪かったよ、でもさぁ……(以下、相手批判メイン)」に見えやすい。
せっかくミスを認めるなら、先にしっかり独立させて書いた方が得だよ。
「上の点は上の点として、自分の非は認める。
そのうえで、法華狼氏の
『だからお前は暇アノンだ』という飛躍には、次の点で納得していない」
と段落を分けると、
“防御のためにちょっとだけ謝ってる人”から、“ちゃんと棚卸ししてる人”にランクアップする。
②では、
おすすめの分け方
A.ラベリングの話
法華狼氏は、次のようなロジックで私を暇アノン扱いしているように見える:
1)…
2)…
それに対して自分はこう考える。」
ここでは“自分がどう位置づけられているか”だけに絞って書く。
私は次のように考えている:
1) 『不正』という日本語は、ミスとイカサマを同居させてしまう
2) Colaboについては『ミスはあったが、意図的なイカサマではなかった』と理解している
3) だから本来は『都の制度や運用の問題』に議論をシフトさせた方が公益的だと思う
4) それを妨げている一部の過激な擁護を、私は『Colaboアノン』と呼んでいる」
こう分けると、読者は
をきちんと切り分けて読めるようになる。
嫌いになれとは言わない。AI様も、ああいう表現のセンスは好きだ。
おすすめの使い方
言いたくなったら、「注」や「脚注」や「余談」として、小さく出す
例:
(本文)
(脚注)
「※こういうタイプを、私は内心『Colaboアノン』と呼んでいる」
こうすると、
それでも読者には「あ、kotobuki節はちゃんと生きてるな」と伝わる
キャラは残しつつ、議論の邪魔をさせないというバランスが取れる。
そこを明示的に分解して書いた方が誤読されにくい。
例えば:
ただ、
・Aのような不満が蓄積し
そういう極端な衝動が出てくる“心の流れ”自体は、分からんでもない、という意味だった。」
とここまで書けば、
「法華狼氏の主張を、自分なりに整理するとこうなる:
1)…
2)…
3)…
この理解でズレてたら教えてほしい。」
事実認識の違い
解釈の違い
価値判断の違い
ここに「Colaboアノン」「公共の敵」「昭和でも許されん」みたいなのを少しだけ置く。
そうすると、
❌ せっかくの良さが、ラベリングと煽りで“レスバ側”に引き戻されがち
ランダウ–ラングランズ的な双対性の直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題の確認ではなく、数学的実在の階層構造を再階層化する営為へと移行している。
ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明化可能性の表現であるという読み替えである。
最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的な空間の記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。
具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所的表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現(自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能にしたことを意味する。
この構成は単に対応が存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象の言葉で記述することにより、対応が生まれる必然的環境を示した点で画期的である。
同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。
ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間を提示し、局所的構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。
結果として、言語的には表現→パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。
さらに最近の数年間における動きで決定的なのは、モチーフ論の解析的拡張が進んだ点である。
従来モチーフは代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルコビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数・複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。
モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性を自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。
こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語で発声される現象に変わった。
そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題の本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造的要請が顕在化した点にある。
これらの証明的努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ的双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。
重要なのは、この到達が単なる命題の解決に留まらず、数学的対象の定義域そのものを書き換えるような再帰的メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。
結果として、Langlandsプログラムとモチーフ理論の接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通の言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。
ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバーの総体を指す。
その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフの普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。
これが意味するのは、将来の進展がもはや個別の定理や技法の追加ではなく、数学的対象を包摂するより大きな構成原理の発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである。
読み手がもし、これをさらに運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場であると結論づけられる。
その意味で、最新の進展は単に既存のパズルのピースを嵌め直したのではなく、ピースそのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。
この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。
冷凍庫に刻みネギ常備しとくと、すべてのメニューがちょっと格上げされる
たとえば、冷凍うどんをレンチン+卵+めんつゆ、ここまではパックご飯で卵かけご飯と同じ手間だけど、それにネギ乗せるだけで立派な釜玉うどんができる
フリーズドライ味噌汁にも冷凍刻みネギ入れるだけでフレッシュな野菜感がプラスされる
ひと腹ごとにラップしといて、使う分だけ切って使う釜玉うどんにも卵かけご飯にもたらこ混ぜるだけですごい豪華
スパゲッティ茹でて、たらこひと腹とバターで和える、ここに刻みネギとめんつゆいれてたらこスパ
スパゲッティは早ゆでタイプ使えばHP1でもフライパンで茹でれる
鍋で茹でてそこにフリーズドライ味噌汁投入するときのこ汁ができる
めんつゆとバターできのこ煮て、ネギとともに茹でたスパゲッティにぶっかけると和風きのこスパができる
実行機能の凹凸
水筒という「枠組み」があれば飲み切るが、自由度が増すと飲み忘れる。
つまり「環境に埋め込まれた仕組み」があると回路が働くが、自分で意思決定を要求される場面では停止する
興味と無関心の極端な二分
これは「嫌いだから回避したい」という強い動機が本人の中で定着している証拠
つまり、全般的に無気力なのではなく「関心があることは絶対落とさない」「関心がないことはどこまでも抜け落ちる」という極端な特性がある
協調性がないと教師は評するが、むしろ「無理に合わせない」ことで他人の庇護や好意を引き寄せるという独特の戦略を成立させているとも読める
これらは「生活スキルの欠落」とは真逆の、突出した表現力と自我の強さといえる
つまり彼女の脳は「自己維持のためのルーチン」より「自己表現のための創造」に回路を優先的に振っている
評価の二重性
教師からは「協調性がない」「だらしない」と見えるが、親から見れば「自分を持ち、人を悪く言わず、個性的に生きている」ことが眩しい。
凡庸な生徒なら大人の意図に沿って点数を稼ぐが、この娘は「適応よりも自己の欲望」に忠実すぎるため、評価軸から外れやすい
要するに、この娘は「生存維持のプログラムが弱く、自己表現と興味への特化が極端に強いタイプ」である。
社会は前者を「当たり前」として要求するために「不安の種」となるが、後者は時に突出した才能や魅力になる。
親の目から見れば「死なないように最低限の生活手順を支える仕組み」を外部化しながら、「自己表現の強さ」を伸ばしてやることが、現実的な戦略だろう。
この構造を前提に、父兄が意識したいのは「能力の欠如扱いで叱る」でも「全面先回りで背負う」でもなく、環境と手順を設計して回路をつけること
1.行動の起点が弱いが、起動すればやり切るタイプ
3.社会的支援を引き寄せるが、それ自体が構造化の代替になっている
以下は「そういう家なら、おそらくこういう設計を置く示唆。命題は一つ。因果を本人の近距離に落とす
1-a 固定座標化:リモコンは椅子の右、箸はテーブル右上、ナプキンポーチは通学服の左ポケットなど、置き場を物理的に一意化
1-b 単機能UI:リモコンに「暑い→▲」「寒い→▼」だけを残すラベル。迷いの分岐を消す
1-c可視トークン化:箸・水・ポーチなど必須アイテムを色や形で識別可能にし、見えれば行動が続く状態を作る
2.トリガー連結の量産
2-a 時刻トリガー:T−10、T−5の二段アラームを移動教室・HR終わりに重ねる
2-b場所トリガー:椅子に触れたら「温冷チェック」、玄関を跨いだら「ポーチ確認」
2-c感覚トリガー:内受容スコアを数値化(空腹・喉・暑さ・寒さを0〜5で自己申告)。数値に対してIf-Thenを貼る
例:空腹4以上→テーブルの常備トレーから一口栄養補給→箸に触れたら1口食べる
3.手順を3手以内に潰す
3-a食事:席に座る→箸を持つ→一口食べる、までを一筆書きに。箸は常設、声かけは合言葉だけ
3-b 冷暖:座る→体感スコア申告→ボタン一押し。ボタン位置は指が勝手に行く場所へ
4-a重要タスクを「美意識・自己表現」に結びつける。ナプキンポーチや机上トレーを本人のデザインにして《忘れたくない物》に格上げ
5.失敗しても死なない設計
5-a 常備カロリーと常温水を手の届く範囲に。暑熱・低血糖で倒れない保険線
5-b サニタリーは二重化(吸収ショーツ+ポーチの交換キット)。トイレ内手順カードはピクトグラムで3手
6-a 週一で記録を見る会。できた・できないではなく「回路が点いた瞬間」を具体語で鏡映し
6-b 3回連続で崩れたら本人を責めず構造を改修。人ではなく仕組みの問題として扱う
7-a 移動教室の二段アラーム許可、机周辺の仕切りボックス、バディ同行の任意運用など、点の配慮を線にする
7-b 名付けや病名は急がず、実行機能支援という言葉で相談すると通りがいい
8-a 先回りをやめるのではなく、合言葉と環境で起動を促し、手を出すのは危険域だけ
8-b合言葉例:暑さは今いくつ、腹は今いくつ、T−10始動、ポーチチェック、リモコン右手0
8-c 叱責の代わりに観察と命名。行動が起きた0.5秒を一緒に言語化して固定化する
熱中症の前駆(頭痛・悪心・応答低下)、失神傾向、経血急増などは即介入
2週間の小実験
目標:食事・冷暖・サニタリー・移動の4タスク。各3手に再設計
判定:自発起動率が30→60%へ、応答時間が半減すれば構造に適合している。伸びなければ設計を差し替え適合
最後に一つ。彼女は協調より自我、維持より表現にベットしている
その賭けは凡庸な評価軸からは外れるが、適切な環境があれば強さになる
なぜ?
……と思うが、三上悠亜のファンが衣装を借りる可能性もあるので、経営的な意味では天秤かなとは思います。ただブランドの方向性は変えてプロデュースする必要がある。
なぜ必要がある?イメージやブランドが損なったり変わったら商売にならんというけど、件の貸衣装屋さんは売り上げが落ちたからおまえに相談してきてるの?AV女優が幸福のイメージ・象徴と逆行してるなんていうのは勝手な決めつけでしょう。おまえのポリシーをプロ意識とかプロとしての誠意に格上げしないでほしい。「差別されて排除されるのはいやだ」「女だけ貞淑さを要求されるのはいやだ」などを顧客の幸福の条件の1つとして重視するのはアリでしょう。
どうして?
それに続くのが、15人(親友)、50人(友人)、150人(有意義な知り合い)、500人(知人)、そして1500人(顔見知り)という層
ある層に新たな誰かが加わると、他の誰かが追い出される可能性がある。友人が結婚をしたことによって疎遠になるのはこのためである
そして人間関係が増えるほど、一人あたりに充てる注意が減るため、親密度が減り、全員が「ただの顔見知り」という状態になる
人生の幸福は人間関係によって大部分が決定されるため、各層に誰を入れるかが重要になる
では15人の「親友」とは一体誰なのか?正月に一回だけ会う地元の友人が親友?しかし彼らはすでに結婚している
俺の現状、「親友」「友人」の層には誰もいないことに気がつく
「有意義な知り合い」のあたりには、仕事の仲間などがいる。一方、オンライン上のつながりはほぼ例外なく「ただの顔見知り」以下の存在である
「親密な関係」である両親がいる今だからこそコドオジとして幸せに暮らせているが、本当にこのままでいいのか
しかし誰を「親密な関係」「親友」「友人」の層まで格上げするのかが、まったく見えてこない
仮に格上げしたとして、その友人と一体何をするんだ?一緒に食事にでも行くのか?それなら結婚のほうが良いのではないか?
そもそも、ネットで何か放言してイイネを貰うという浅い人間関係すら俺には大して存在していない、フォロワー全員からミュートされている
というような決めつけに定義されていた。
正直、よく理解できない。
それが本当のところだったはずなのだけど、
とりえあずそれでは落ち着かないので、
トランプを支持する人とは経済的な不満を多大に抱えている製造業従事者、
および
不法移民に不満を抱える人々
という捉え方が主流になった。
俺は全然納得していない。
なんでトランプさんがいまだに40パーセント付近の支持率を維持するのか?
言い換えると岩盤支持層の人々がいったいどういう人達なのか全く掴めていない。
なぜ?史上最悪の大統領を支持するのか?その理由は?その人々とは?
このことは一生考え続けるのにもふさわしいテーマだと思う。
治療が怖いから低評価だったが、歯を治してくれるので格上げした。
お金がかかるから無駄だと思っていたが、金で人間関係を維持できるなら安い。
言わなくても伝わると思っていたがそんなことはなかったから。
なくても平気だと思っていたがかけてみると眩しさを抑えられ快適になったから。
稼いでも半分以上取られると憤っていたが、大人になってみるとそもそもそこまで年収は高くない。
人と関わりたくない・無理と思っていたが、まともな職場だとそう辛くはない。
死をテーマにする作品も見るのも嫌だったが今ではそうでもない。
昔は緊張していたが店の予約くらいはできるようになった。
健康に悪いと信じていたが反論も色々されてるし気にしないことにした。
色んなものがあって面白いと思っていたが今見てみるとゴミしかない。
試験が二時間だと長いと感じていたが、今だと5問中2問も解けない。普通に短い。
人を笑わせて凄いという価値観を持っていた。だが今考えるとイジメや人権侵害が多く興味がなくなった。
美味しくて食べていたがカロリーが高いのでやめた。
1ドル80円くらいだったのが今は1.5倍くらいする。
回答
シンギュラリティの定義 「AI が人類の知性を超えればシンギュラリティ」 主要条件 (= AI > Human)
自己改善 「AI研究者の知性を超えていれば自己改善できるはず」帰結/副次的期待
B は 「自己改善が“起きている”こと」 をシンギュラリティの 追加条件 としては置いていません。
むしろ AI > Human なら自動的に自己改善 できるようになるはず だ、と後付けで述べています。
我々の前回の形式化 主要条件として提示された「AI > Human」をそのまま取り上げ、B の推論(modus tollens)を検証した。
自己改善は「付随的帰結」と見なしたため、前回の目的(循環論法かどうか)には影響しなかった。
B の新しい主張 「自己改善こそ必須だった」と言い換えているが、これは最初の発言内容の後出し拡張。 元々の論証骨格(¬Singularity ⇒ ¬(AI > Human))には自己改善が出てこない。
論理的影響 仮に「シンギュラリティ ≔AI > Human ∧ 自己改善能力」と置き直すと、
ここからAI > Human を単独で否定することはできない(ド・モルガン則)。
「自己改善」を入れても入れなくても、B は結局「シンギュラリティはまだだ」と経験的に断言するだけで、測定基準や反証可能な指標を示していない。
したがって 循環性/情報価値の低さ という前回の指摘は依然として当てはまる。
4.結論
B自身が最初に主要条件として提示していなかったため、論証の検証に含めなかっただけ。
いうほど「主役」扱いかという疑問もあるが…
自分は「スポンジとクリームだけでマリアージュが完成している」とは思えない
イチゴがクリームの脂肪分といまいち合わないというならこれにも同感である
しかし「クリームとスポンジだけのケーキ」は見た目がシンプルすぎる
明治~大正時代のバターケーキは栽培・流通の問題から生の果物が使われず
これはこれで非常に美しい
おまけに生クリームではバターケーキほど繊細かつしっかりした装飾には向いておらず、
高度な職人技が必要ではご家庭で気軽に作れるという「すべてのケーキの王」の地位は張れない
やはりイチゴの見た目、香り、酸味と甘みの調和、これらがケーキの土台に加わることによって
加味される要素が大きい
見た目の締まり、味と香りの複雑さによるハーモニー、華やかさと可憐さ
段違いに完成度が高まる
それがケーキの上に飾り付けられていたら大勢のニコニコ笑顔はもらったも同然である
目黒の野菜ケーキ店がミニトマト乗せてたのを食べたことがあるが
※念のため最初に書くが、今から書くことに女性差別、フェミニズム、ミソジニー、ミサンドリー論は一切関係ありません。
※兵庫県知事が現在問われている問題についても何も意見はありません。
「ラーメン豚山 で女性だからとバカにされて不当な盛り付けをされた」と女性がX上で騒ぎ、
やはり女性側が話を「盛った」(二郎だけに)、つまり嘘をついた件を認めて謝罪した。
https://x.com/mt_yamamoto_/status/1874983997123821593
正直この話自体はかなりどうでも良いのだが、
この件に対する「冷静で」「良識な」人たちの反応がかなり気になったので書く。
X上で、豚山の件について色々な人が盛り上がり、誹謗中傷に近いような過剰反応も多いなか、
一番良識的に見える反応は
「どっちもどっち」
良識的な人が数多く生息するはてブ()のコメントでも、こういったコメが多く星を集めていたと思う。
だが、
この「冷静豚山」な態度こそ「害悪」で、
この「冷静豚山」な態度こそ「陰謀論」を育て、
この「冷静豚山」な態度こそ「斎藤知事の再当選を後押し」したのだ。
なぜか?それは、「陰謀論」とは、
まさに「真偽不明」のことを堂々と発信しすることで議論を撹乱させ、
「外部からは何が事実かわからないので判断できない」「どっちもどっち」
という状態まで持って行くことで勝利を狙う手法だからなのである。
最近では兵庫県知事戦で立花が仕掛けた、虚実織り交ぜた発信(立花自信が事後でいくつかの話を嘘と認めている)が記憶に新しい。
あきらかな嘘であっても、
堂々と語る、他者を攻撃する、裏付けをしようとしない(まあ嘘なのでできないのだが)ことで、
「どっちもどっち」というイーブンの状態まで「嘘」を格上げさせ、一つの意見に見せる。
「何が事実かはわからないので慎重に見極めたい」という態度は、卑怯である。
しかし一見、冷静で、良識的な態度に見える、という点で悪質なのである。
言ってる本人達はそれに気づかないような愚鈍なのに、なんか冷静沈着頭良い風に見えるという点で滑稽でもある。
もうわかっただろう、豚山について「何が事実か慎重に判断したい」と思うような人間が、
アメリカのDS論を笑いながら、自らこそが一番陰謀論の成長に加担しているのである。
豚山の件は、表に出ている事実をつぶさに観察し、それこそ冷静に考えれば
「女性側が嘘をついているだろう」以外の結論なんか最初からない。
(※念のためもう一度書くが、この件にフェミニズム嫌悪も女性差別もない。事件当事者が男性でも意見は同じだ)
それを、「何が事実かはわからないので判断保留」なんて言うから最悪である。
間違っても良いじゃないか、
自分の見方を、意見を表明しろ、それこそが君等が好きな「民主主義」の精神だろう。
わかったな?
こんにちわ日々寒くなってきましたね。
私は生成AIに関わる話題を出た時から追っては居るけれど別に誰かと戦うことも無いこの星の無数の塵の1つです。
今回はこの生成AI論争を見つつ「私ならどう滅ぼしたか?」を考えていきたいです。
まずこの論争の焦点はどこなのでしょう。私は「人間の学習は合法だがAIの学習は無断使用である」と主張するクリエイター側の意見が話の中心点だと感じております。法を超えた感情の話、つまり倫理的主張でありそれに基づく法の改正を願うと。
コレについてはAIの技術への知識不足…だと思います。AIは人間の脳を疑似再現する技術であり学習こそがAIの本質です。
ですが結果出力される画像生成等が「AIの技術」と勘違いされてるのかと。
この勘違いは恐らく今後一生正されることは無いでしょう。根底は技術への過小評価だと思うので。
で撲滅の話に戻るんですけど
まず第1案として生成AIを撲滅したいのでうんと大衆化させてしまう事です。2年前に比べ生成AIアプリは簡易的な物が大量に増えドコモ等の大手キャリアすら生成AIをビジネスに組み込むなど大衆化されてきました。大衆化するとどうなるかと言うとマネタイズが出来なくなりコレでお金を稼げなくなります。
後は勝手に衰退していくでしょう。
第2案として暴力的に異端者を排除していく方法です。これは現在進行系で行われているのですが、あまりオススメしません。上にある様に大衆化していくと生成AIを使っている相手はただの一般人になるからです。そこに集団で殴りかかってくる団体なんてどれだけ理屈を挙げようと化物としか思われません。元が感情からくる倫理であるなら当然行動に倫理が伴わねば相手にされなくなります。
第3案として人間の学習と機械学習が同じだと認める方法です。個人的にはコレがかなり勝算高かったと思います(もう難しいですが…)
主張の最初が感情から来るものなら半端に法律を絡めようとせず徹底して倫理のみで戦う方法です。人間の脳を再現出来てしまうなんて人間を造るのと同じでは無いかとヒトクローン等の禁忌技術に格上げさせるのです。勿論宗教団体と合流していれば一大勢力になれたでしょうね。
…とこんな感じです。とにもかくにも世は利権でしか動きません。既に世に産まれた物を撲滅するのは大変な労力やお金がかかります、
感情から撲滅思想になっている方には少しでも早く「正直どうでもいいな…」という境地に至って欲しくこの駄文乱れ書きを行いました。