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はてなキーワード:根性論とは

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2025-10-26

anond:20251025181214

そもそも、孫さんと組んでスターゲイトだのAIには大金を出すけど、宇宙開発はやりたくない、みたいなの、

結局トランプがその分野に対して個人的にどう思ってるかだけなんだよね…😟

同様に現政権高市さんとか、片山さつきさんとかで不安になったのは、

今日NHKはずっと見てたわけじゃないんだけど、点けっぱなしにしてたリビングテレビから

政権には統一された国家観があるので、経済発展に自信がある、

ようなことを仰っていたのだけど、

まあ、確かに国家観でググってみると、松下幸之助安倍晋三

国家観が必要だという意見は色々出てくるし、そこを否定するつもりはないんだけど、

でも、国家観なんて、人それぞれによってブレてるものなんじゃないの?😟

まり、現政権人間全員が統一した国家観を抱いているとしても、国民は違うじゃん…😟

俺の持ってる国家観と、俺の親族それぞれが持ってる国家観も違うんだろうし、

みんなが持ってる国家観は違うわけで、

俺はバカから間違ってる可能性はあるんだけど、松下幸之助だろうが、安倍晋三だろうが、

ある意味神様だろうが、俺は権威がある人間が何と言おうが、自分の考えや信念が一応あるので、

まず、私は、何か考えを一つにするべき、という考え方が嫌いです

なぜかって、みんな考えてることはバラバラからです

会社で社訓を朗読させられたり、チームプレイスポーツでも多いです、チームの信念とかを統一させる

これは理解できる面もあるが、私はあまりそういう考え方が好きではない

例えば、交渉事があるとして、完全に人間同士が合意するなんて、不可能なのである

内心では、みんな何かを折っていたり、もしくは力がある人間が何かをゴリ押ししてるから成立している

そういうパワーバランスの元に成り立っていたりするのが現実である

私が個人的に、まあ理想論かもしれないが、望ましいと思っているのは、

みんながある程度バラバラ方向性を持っていたとしても、法的ルールとかシステムによって制御することで、

全体をできるだけ最適な方向に誘導することである

から、個々人がバラバラ国家観を持っていてもよろしい

その代わり、できるだけ自主的に全体の方向に沿って流れてくれるように仕向けるのである

私は精神論解決する、ということが嫌いであり、できるだけシステム解決すべきだと思っている

社訓とか、統一された国家観のようなものは、確かにあるべきだとは思うが、全体を統一するのは難しい

もちろん、片山さつき氏が言いたかったのは、現政権メンバーのチームプレイが期待できる、という意味であることは分かっている

しかし、それと国民国家観とがズレていたらどうするのか?すり合わせるのか?

私は、そういうすり合わせとかネゴみたいなものは、上述したように限界があることを分かっているわけで、

結論として、それはパワーゲームになり、最終的には政治家国家観を国民押し付けることで終わると思っている

もちろん、私はそれでも良いと思っている

例は悪いが、例えばナチスドイツだとしても、ナチス国家観を国民押し付ける、これはある意味では正しい、もちろん、ある意味では、である

しかし、ゴリ押しが良いと私は思っていない

上述したように、国家観とか精神論ゴリ押しするのではない

システムという道路を先に整備し、みんながそのシステムに乗ってれば楽なんだ、と思うようになれば、国民自発的システムに従うようになる

ここで、国民全体にも統一された国家観とか、教育勅語ではないが、国民全員に統一された方向性がなければ駄目、という話ではない

みんなの内心はバラバラであっても、とりあえずシステムに従っていれば楽である、損することはない、そういうシステムを構築することが重要である

松下幸之助安倍晋三が何と言おうが、私は精神論根性論が嫌いであ

人間の脳だって筋肉のように使えば疲弊するものである

信号がない社会があったとして、精神論根性論国家観などで、交差点で衝突しないように気を付けろ、と言われるような話は私は嫌いであ

まず、信号を作れ、である

Permalink |記事への反応(1) | 17:48

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2025-10-15

anond:20251015005405

こういう奴見ると、本当は更新コスト必要ものでも我慢すればいけるみたいなクソ根性論なるんだなってクソ増田みたいな金なしは氏ねと思う。

耐用年数を考えずにダメになったら対処療法とか最悪すぎて、氷河期中年は何もしなかったんだなぁというのを再認識させられる。

おい、お前みたいなのいい加減金出せよ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:18

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2025-10-05

anond:20251005131630

コップに水が半分もある、なのか、半分しかない、なのかみたいな

フレーミングの話してる?

根性論で前向きに生きようと言っていいのは本人だけ

Permalink |記事への反応(1) | 13:18

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2025-09-24

根性論イカンと思うんだけど

実際になんかたるんどる事が原因の場合どうしたらいいだろうね。

俺や会社キャラ的に「気合いが足らん!」とか言いたくないんだが。

Permalink |記事への反応(2) | 14:21

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2025-09-20

やっぱり、本当にやりたいことがあるなら人は2時間睡眠くらいでやらなきゃいけないんだなあ

Vtuber医者の両立。

そもそも人生ライフステージが違うわな。

ワークライフバランスかいうけど

本当にやりたいことがあるなら

そんなバランスに気を取られてはいけないってことだ

結局精神論根性論は正しいし、自己責任をくぐり抜けて生き残ったものけが

特権享受できるんだよなあ

Permalink |記事への反応(0) | 06:31

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2025-09-17

anond:20250917161602

上がったかどうかわからない程度の上昇は「緩やかな上昇」というより「実質てきには上昇してない」ってこと

労働者がだらしないかダメとか経済の話じゃなくて根性論になってる

都合の良い奴隷が居ないか商売がうまくいかないというのは現実逃避

もうどうしようもない、絶望だという結論なら素直にそう言うべき

Permalink |記事への反応(0) | 16:29

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2025-09-10

anond:20250910230705

最後にひと言:ドラえもん待つより、のび太ムーブを減らせ。寝る・動く・会う・作る。まずここ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:08

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2025-09-09

難病になった

しょうもない自分語り申し訳ない。

幸い命に直結する病気ではないからよかった。

よかったのかな。

そうやって言い聞かせようとする自分違和感がある。

特発性大腿骨頭壊死症。

大腿骨の付け根が壊死して、そのうち激しい痛みと歩行ができなくなる病気らしい。

原因と治療法がないために難病とされていて、人工関節に置き換える手術などが必要らしい。

もともとヘルニアがあって、足の痛みはそのせいだと整形外科先生に言われたのが20年近く前。

その時は股関節ことなんてろくに調べてもらえず、ヘルニアの手術をしようと紹介状を書いてもらったのに大病院大先生門前払いされてしまたことが原因で病院嫌いになり、それ以降は自己流の保存治療を続けていた。

ぎっくり腰の症状が出ている中、やっとの思いで病院にたどり着き、待合室で予約時間から時間以上待たされた挙げ句、ろくに話も聞いてもらえないで5分で追い出されたときの惨めな気持ちが分かるだろうか。

手術にリスクがあることくらい100万回調べた上での覚悟を持って望んだのに、ろくに人の話も聞かないで「今はそんな状況じゃない」とだけ言われた。

予想すらしてなかった一言に何も言い返せず診察室をあとにした。

紹介状を書いてくれた整形外科先生太鼓判を押す名医から言われたのだからそれが正しいのだろう。

何度も自分を納得させようとしたが、腰に痛みが走るたびにその時のことを思い出して奥歯を噛み締めた。

そんな事もあって、それからの20年間はちょっとした痛みなら耐えることが当たり前になっていた。

まりにも痛みを表に出さないので、知人からすっかり腰痛は良くなったものだと勘違いされたこともある。

そんなわけ無いだろ。毎日痛みと戦って、自分に今できることだけ必死にやってるだけだ。

医者が当てにならない以上、そうやって自らを奮い立たせる以外にできることはなかった。

から、足の痛みも、自分努力が足りないのだと、筋トレウォーキングの頻度を増やすことで解決しようとしていた。

ところが、それとは反するかのように、足は毎日少しずつ痛みを増していった。

1年前は痛みなく歩けたのが2万歩だったのが、段々と数千歩でかばうような歩き方になって、今はひどいときは寝起きから片足を引きずるような状態だ。

これではあまりにも日常に支障があると思い、とうとう観念して整形外科に行ってみることにした。

勢いのある若い先生も、最初は人の足をアチラコチラと動かしながら「臀部のストレッチ不足ですね!」なんて決めつけてたものの、念の為撮ったレントゲン写真を観て空気が変わったのを感じた。

一言目は「ここではこれ以上診断できないので、大きな病院紹介状を書きますね」だった。

さっきまでの自信と勢いはどうした。

左足の大腿骨に比べて、右足大腿骨の付け根部分(骨頭というらしい)が明らかにまだらに透けているのがわかった。

写真を見る限りこの部分が壊死をしていることで痛みが生じています。恐らく、というか間違いないと思いますが、これは難病指定されている病気です。」

まだらになった部分を指差しながら医者が言う。

正直、この人は何を言っているのだろうと思った。

足の痛みはヘルニアが原因で、そのヘルニアは手術するような状況じゃないと門前払いされて、その後ずっと耐え続けてきていよいよ耐えられない痛みになってきたのだから治療すべきはヘルニアだろう。

なんで突然難病なんかに診断されないといかんのか。

ストレッチ筋トレなどどうしたら痛みがなくなるか問いかけてみても、医者は「今ここでできることはもうないです」ときっぱりと答えた。

どこの病院紹介状を書いたらよいか問われたので、ひとまず調べてから改めてお願いしたいといい、その日の診断は終わった。

それで今増田を書いている。

やはりまだ現実を受け入れられていない。

信じようとした医療に見捨てられてそこから根性論だけで痛みに耐えてきた。

はてな長寿のために何万歩歩けという記事が上がってくるたびに、そんなものは歩くことができた人間が語るだけの生存バイアスだと苛立った。

その反面、痛みごときで死んでたまるかと意地になって歩き続けてきたことが、むしろ自分の肉体を使用期限を短くしているだけだった。

この20年近く、ある意味生きる原動力になっていたような憤りはどこに向かえばよいのだろう。

ありきたりな言葉で言えば、なぜ自分がこんな目に合わないといけないのだろう。

整形外科医者が言うには、恐らく人工関節に置き換える手術になるだろうとのことだった。

今まで腰痛以外に大きな病気もしてこなかったので、手術という響きにもそこそこの抵抗感がある。

しかし、やはりそれ以上に、ここまで痛みに負けないぞと自分を奮い立たせて努力し続けてきたことが徒労だった事実に心が折れそうになっている。

---幸い命に直結する病気ではないからよかった。---

頭の中で雑音が響くたびに、「よかった?なにがよかった?今まで散々痛みに耐えてきて良くなると信じて頑張ってきて、その全てが無意味だったのに?」とまた別の雑音が脳をかき乱した。

紹介状を書いてもらったとして、これでまた誤診だったり門前払いにあったりしたら、自分の心は耐えられるのだろうか。

逆に思っていた以上に深刻な状況を言い渡されたらどうすればいいのか。

日課だったウォーキングに行く気持ちには全くなれなかった。

仕事が手につかず2日かけてちょっとずつ書き足しつつ増田を書いたが結局何が言いたいでもない自分語りしかならなかった。

この虚無感とどうやって向き合えばよいのだろう。


なんかごめん。みんなあったかいよ。

かに20年前に見つかったからってその時の症状で手術するかと言われたらしなかったと思う。

20年前の痛みと自分の中では連続しているつもりだけど、別の要因だった可能だって当然ある。

腰痛は相変わらず生活制限してて、でもあのとき若さで手術するほどじゃないっていうのは医者の言う通りなのだと思うのだけど、せめてもう少し寄り添ってほしかったと思うよ。

その時のみじめさが思い出されてこれから大きな病院に行くのが不安しかなかった。

自分はこれほどつらいのに、あの時はその道のプロからそんなものは大した痛みじゃないって言われたんだよ。

それで頑張って痛みに耐えてきたら、今度は難病ですって言われて、はいそうですかってすぐに納得できるほど人間ができてればよかったのかな。

ちらしの裏に書いた愚痴にこんだけ寄り添ってもらえただけでも運がいいのだと思う。

珍しい病気だけに身バレしたくないけど誰かの希望になるようなことがあれば書いてみようと思うよ。ありがとう

Permalink |記事への反応(25) | 10:24

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2025-09-07

anond:20250907145636

台風でも出社しろかい害悪根性論とかもう古いんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 14:58

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2025-08-27

国宝歌舞伎ってしょぼいな

まず歌舞伎俳優でもない役者歌舞伎俳優を演じられるってことが、歌舞伎はその程度のものだってことだ。

次に映画の中での「すごい演技」は全部映画的なエフェクト効果音を足して盛ったものであり、演出を足さない素の歌舞伎は鑑賞に堪えないレベルのものだってことだ。

稽古のシーンも駄目だったな。

姿勢が悪いだの台詞感情がこもってないだの単なる昭和スパルタ根性論であり、具体的に何がいい演技なのか全然示せていない。

そもそも歌舞伎役者は結局血筋だ」とか「週刊誌などに振り回されて役者への評価時代でころころ変わる」とか「ただ長く続けてりゃ国宝なのか」とか

歌舞伎業界の醜さやいい加減さを描いている映画でもあったので、それでいいのかもしれないけどさ。

あとは8割がたはイケメン俳優や男のモンモンの背中の裸とかを見せておばさんを欲情させる要素の映画かな。

Permalink |記事への反応(5) | 22:34

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2025-07-24

change.orgより

日本社会は今、危機に瀕しています

きっと底知れぬ不安や生きづらさを抱えている人が、たくさんいるはずです。

でも、その原因は、特定集団政策によって引き起こされているような単純なものではありません。

私たちが暮らすこの社会はとても複雑なシステムをしているため、そこからまれ不安や生きづらさの原因も複雑です。

ムラ社会、長時間信奉、自己責任論、家父長制、自他境界の弱さと侵害人治主義の横行などなど。

社会的・文化的要因が非常にたくさんあり、それらが複雑に絡みあって、この国の危機が生じているのです(※思いついたものを文末に18ジャンル108項目ほど掲載してみました)。

ですが、これだけたくさんの社会的な病理を抱えているにもかかわらず、私たち日本人はこれまでしっかりと解消・改善を進めて来たでしょうか?

政治に限らず、学校職場、家庭、地域マスメディア。あらゆる場面であらゆる取り組みが必要なはずなのに、残念ながらほぼ全て手つかずの状態ではないでしょうか?

そうして不安や生きづらさの社会的要因や文化的要因を解消・改善しようという努力ほとんどして来なかったこと。

それこそが、私たち日本人が感じている不安や生きづらさの最大要因なのだと思います

ところが最近、この構造を極度に単純化し、私たち日本人不安や生きづらさが「○○のせいだ」と、特定集団物事等が原因であるかのような言説が広がっています

リベラルのせい、オールドメディアのせい、ワクチンのせい、財務省のせい、フェミニズムのせい、ジェンダーフリー教育のせい、ポリコレのせい、等々。

信者によってターゲットは様々ですが、その中でも昨今急速に広がっているのが、外国人移民や、彼らに対する優遇が原因であるかのように語る言説でしょう。

ですが、私たち暮らし不安や生きづらさを生み出している原因は、本当に外国人移民なのですか?

私たちを日頃苦しめている物価高も、所得の伸びや労働分配率が低いのも、無くならないイジメハラスメントも、もたらしているのは外国人移民なのですか?

日本人ファースト」なるもの外国人移民に対する規制を厳しくして、それらが解決するのですか?

彼らが語る「日本危機」の大半は、「生活の中で直面している不安・生きづらさ」ではなく、「ネットの誰かによってもたらされた不安」や、「スマホが無かったら生まれなかった不安」に思えてなりません。

少子化問題でも、子供を産まない働く女性や、男女共同参画のせいにするような言説が叫ばれています

国家のために出産意思に介入しようという発想自体が非常に問題ですが、明らかにそこに因果関係はありません。

女性職場進出日本より進んでいるのに日本より出生率が高い国もたくさんあるのがその証左です。

選択夫婦別姓家族が壊れる」という言説も同様です。

このように、複雑な構造の極端な単純化デマによって、特定集団政策等に不当に原因を帰属させ、責任転嫁する他責的言説のことを「スケープゴーティング」と言います

ケープゴーティングで最も典型的なのはナチス政権でしょう。

ドイツ国民が感じていた経済的不安社会的不満・敗戦屈辱感などの原因を、ユダヤ人共産主義者ヴェルサイユ条約、その他の少数派に転嫁する形で支持を拡大しました。

まさに今、それと非常に近しい「他責言動」が広まっているように思うのです。

その背景にはやはり、SNSの普及とその構造問題があります

アテンションエコノミー

エコーチェンバー/フィルターバブル

レイジベイティング(※怒りを呼ぶデマ投稿お金にする方法

タイパ重視に伴うわかりやすさの過剰評価と、「事実<分かりやすさ」への価値逆転

そういう環境下だからこそ、インフルエンサー、まとめ動画情報商材などによる「スケープゴーティングコンテンツ」が、陰謀論反知性主義ストローマン相手意見を歪めて攻撃する手法)等とともに急増しています

注目すべきポイントは、選挙に限らず、様々な分野でそのようなコンテンツ言動が広がっている点。

そして、政治思想支持政党関係無く、スケープゴーティング自体が、ポピュリズム等とともにネットカルチャーや人々の思考回路に深く浸透してしまっているという点です。

まり、①SNS構造問題により、②陰謀論反知性主義ストローマン等とともにスケープゴーティングが生じやすくなり、③その結果ポピュリズム排外主義の拡大に“も”つながったという流れがあります

一部の人々は、排外主義に反対の声をあげており、それ自体絶対必要なことです。ですが、①という根っこの部分に対応しない限り、排外主義蔓延も止まらないように思うのです。

そこで私たちは、ITプラットフォーマー、国・政府マスメディアに対して、以下のような方法でスケープゴーティング蔓延を止めるよう強く要請したいと思います

(1)ITプラットフォーマーに対して…スケープゴーティング拡散を抑える仕組みを速やかに整備・強化すること。たとえば、アルゴリズム見直しや(広告も含めた)ファクトチェック/スケープゴーティングチェック表示機能など。

(2)国・政府に対して…(1)を進めるための法令を整備すること。地域学校デマやスケープゴーティングに対する注意喚起・啓発を行うよう要請すること。

(3)マスメディアに対して…スケープゴーティング問題について積極的警鐘を鳴らすこと。政治家・著名人インフルエンサー発言ファクトチェックや「スケープゴーティングチェック」を選挙関係くその都度行うこと。

是非ご賛同いただければ幸いです。

なお、この署名特定政治家・政党対象とするものではありません。あくまでスケープゴーティング自体問題を問うものであり、同じ問題意識を持っている方は、支持政党関係無く賛同をお願いします。

加えて、デマ差別収益問題に関しても、規制を求める署名キャンペーン「#デマ差別収益化を法律禁止して !IT企業対応義務付けてください」を実施しておりますこちらも合わせてご賛同よろしくお願いいたします。

一方で、私たち市民一人ひとりも、スケープゴーティングに対してしっかりと防衛しなくてはなりません。

情報リテラシー継続的改善

自分自身情報に対する認知客観視できる視点の構築

日常会話の中におけるこまめな情報源の確認(たとえば「え、それってどこに載っていたor誰が言っていた情報?その情報源って信用できるの?信用できるかどうかってどうやって決めているの?」という問いかけ等)

多様な属性の人々との対話

人権社会構造等にある程度理解のあるAIチャットサービス活用した簡易チェック ※ただしハルシネーション(AI事実に基づかない情報を生成すること)に注意

やれることはたくさんあります

また、個人だけではなく、学校職場、家庭、地域市民活動など、暮らしのあらゆる場面でもスケープゴーティングを止める多様な取り組みや活動必要です。私たちのこの活動もその一つとして機能できればと思っています

◆(参考)日本が抱える社会問題社会的/文化的要因(108例)◆

人権の未確立権威主義序列社会ノブレスイミュニテ/プルブレス・オブリージュ、身分制人事/身分制給与スクールカースト

ムラ社会同調圧力排他性、成文化されていない規範の強さ、均質性至上主義縁故主義/ネポティズム集団への過剰な帰属意識他者目線に対する過剰反応自己検閲

事なかれ主義、過度なリスク回避主義泣き寝入り圧力の強さ、組織の自浄能力の欠如、形式的反省評価社会加害者更生意識希薄

空気至上主義迷惑回避至上主義文脈理解の難しいハイコンテクストコミュニケーション忖度社会アサーティブコミュニケーションの未発達、コンフリクトマネジメントの未発達

形式主義前例主義手段の目的化名誉への過剰な執着、事前審査偏重社会、長期的視点の欠如、申請主義/プル型公共サービス

根性論、長時間信奉、自己犠牲至上主義忠誠心評価社会顧客至上主義遅刻過剰嫌悪社会ケア労働の無報酬性・低評価メンバーシップ雇用年功序列

⑦ 家父長制、ミソジニーホモソーシャル、himpathy、toxic masculinity、性別役割分業、貞操崇拝

⑧ 各種ハラスメント、DEIの未発達、アンコンシャスバイアス、マイクロアグレッション、セクシズム、レイシズム/ゼノフォビアエイジズム、ルッキズム/ボディシェイミング、感情労働の過剰要求レイプカルチャー/ポルノカルチャー/買春カルチャー性的消費の横行、未成年性的対象

⑨ 標準家庭神話機能不全家族積極的自己選択ではない家族形成、過剰な家庭教育責任論母性神話

管理教育自己肯定感育成意識の欠如、多様なアイデンティティの未発達、ブラック校則集団行動至上主義リテラシー教育の欠如

反知性主義、幼稚性賛美、正義フォビア/公正さフォビア、真面目フォビア/正論フォビア、イジメ陰湿

⑫ 自他境界の弱さと侵害認知の歪みの放置わら人形論法の横行、二元論/二項対立思考ルサンチマン惹起構造

民主主義コミュニケーション能力の未成熟性、議論フォビア、抗議フォビア、政治話題忌避主義ロジカルシンキング/クリティカルシンキングの欠如

立法不作為と失政、ジャーナリズム崩壊人治主義/治外法権組織の横行、司法警察恣意的判断の介入、セクショナリズム蔓延

利他主義社会貢献意識の欠如、冷笑主義新自由主義公共概念消滅セーフティネットの欠如、依存先の多元化不足/共助コミュニティ崩壊

公正世界仮説自己責任論/自助圧力権力勾配性に対する無理解特権構造障壁に対する無理解

経済格差/教育格差社会資本格差負担給付の一致という前提に欠けた政治議論血縁跡継ぎ社会

⑱ ハレの偏重とケの軽視、穢れの思想休日分散化の未発達、美談化による本質回避主義

ワンクリック賛同







…アホかこのサイト

Permalink |記事への反応(0) | 11:14

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2025-07-14

女優さんが脱ぐのは絶対に性加害由来だと思う。一定レベル普通サラリーマンなら最初から「脱がせよう」とは思わないし、サービスカットとして濡れ場が必要ならAV女優脈絡なく出てくるシーンを追加すればいいだけの話で。今になって性加害ブームが起こっているのは、そもそも映像業界が掃き溜め人材構成されていて、業界人の誰もが「女優なら脱がせたい、セックスしたい、手籠めにしたい」という発想を持っている人が多いから。一定人材なら、そんなことはもともと思わない。サラリーマンの中にもアル中で出社前から飲んでくる人もいれば、毎朝痴漢に勤しむ趣味の人がいないわけではないが、暴力とか性加害とかの規範意識の低さは、もともとの人間性としてそれ相応の人材が多くなるが、あまり差別になるから言ってはいけないムードがあるだけで。

中学校勉強もしたくない、部活もしたくないといった子が、高校中退してドロップアウトして、そうした人材にいきなり芸能現場を任せても、最初から基本的規範意識を持たせるところから始めなくてはならない。サボらずに継続する、言われたことをやる、期限を守るといった社会の基本が身についていない。そんな人に何かをやらせるには、結局、長時間拘束して地獄のようなリハーサルをやるしかなくなる。「その場では手を抜けない」状況に追い込み、支配して人格否定を繰り返すしか手段がない。実に非効率

本来なら、事前に「これこれをやってくれ」と打ち合わせし、各自が仕込んできたものを持ち寄り、現場で調整するだけでいい。それは普通サラリーマン人材がやっている「発注手配作業」。

人格否定必要ないし、根性論不要普通サラリーマン人材なら「こうやれ」と言われればその通りにやる。時間無駄にならない。手戻りのバッファが多い場合はそれ相応の下位企業になる。

海外演劇教育では、人間ベーシック規範意識を土台に、技術としての表現を積み重ねて、声楽科であれば、大学の年数をかけて声を育て、技術として成果を出す。

声出しは根性論ではなく、完全に技術教育なので、小中高で規範意識がきちんと育っていれば、基本的にサボらずにやるというのベースで、そこからの伸びは圧倒的に違う。

演劇歌唱を教える人、映画監督に「掃き溜め人材出身が多いとなれば、当然ながら暴力や性加害が起きやすくなる。普通サラリーマン人材なら、映像写りの部分では一生懸命やってしまうかもしれないが、仕事仕事女性を手籠めにするという発想自体がない。

企業も、なぜそんな大金広告企業に出し続けるのか。けっきょくテレビという電波の独占構造があり、一定規模以上の金額を出さなければ、継続的にテレビ商品アピールさせてもらえない。

中間広告産業がなぜあれだけ立派なビルを建てられるのか。ドラマCM制作費、タレントのギャラを積算し、実際に下請けに使われる金額だけで見積もれば、半分以下で済むのは明らか。

規範意識のない「掃き溜め人材」のタレントを使う必要はない。ちゃん学校を出ている人材演者として選んでも演技の水準は大して変わらない。

怪優のような個性的人間も、演劇学部で徹底的に分析すればいい。

そこにスポンサー経費をかければ、不貞行為や性加害が発覚して、せっかく作った全国規模のキャンペーンポスターPOPなどを全部作り直すといった無駄も減る。

真正から商品を伝える本来広告に戻すことができる。

地元チンピラ子ども育ちを起用し続けていれば同じようなことの繰り返しにしかならない。

最近の流れでは中学生から芸能人を始めて数年活動して満足したら大学入学と同時に引退するようなモデルである

学業キャリアも潰す必要がなく、若いうちに親がかりでアイドル等をやってみて後悔を残さない。

第二の人生普通社会人をやって経済的にも自立する。

Permalink |記事への反応(0) | 22:28

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2025-07-09

anond:20250709213045

これは根性論ではなく、歴史的事実から言えることだよ。

移民20-30年ぐらい経つと回収期に入りメリットの方がでかくなる。

かつてのアメリカはそれで成功したわけだし。

ただ、このおじが言うようにさ、投資期間が長いのでそれを待てない人もいる。

NISAだって長期投資前提なのに、暴落がきたら失禁売却する人がいるでしょ。

移民でも摩擦から失禁して待てない人がいるのもわかるよ。うんうん。

Permalink |記事への反応(1) | 21:38

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anond:20250709212737

うーん、なるほどね〜💡

しかに「移民=先行投資」って考え方、わからなくもないよ?

でもね、ちょっとその例え、現実とズレてるかな〜って思うんだよね🤔💦

医薬品ゲーム開発と違って、人間プロジェクトじゃないんだわ😅

20年30年かけて“回収期”になるって言うけど、その間に何が起こるか、見えてる?👀

経済だけじゃなくて、文化の衝突、治安教育医療、全部に圧かかるんだよね〜💦

あとね、同化ってそんなにスムーズいかないんだよ😓

日本人になっていく」って簡単に言うけど、受け入れる側の“心の準備”も必要なのよ〜

昔のおじさんはね、そういう空気大事にしてたもんだよ☝️✨

なんかさ、「時間が経てば成功する!」って、根性論に近くない?💦

おじさんからするとね、大きな成果が実る“かも”しれない」って話に、国全体を賭けるのはギャンブルに見えちゃうんだよなぁ〜🌀

若い人の未来担保に“我慢してね”って言うのも、ちょっとキツくない?😥

おじさん、そういうのあんまりきじゃないなぁ〜💦

ま、言いたいことはわかるよ!👍

でも現実社会はそんな単純じゃないのよね〜😅

もうちょっと慎重に考えたほうが、おじさんは安心できるなぁ☺️

Permalink |記事への反応(1) | 21:30

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anond:20250709081925

意味不明

客観的に見てもそうとしてか思えないぞ

心頭滅却すれば云々と同じ根性論しかない

Permalink |記事への反応(1) | 11:03

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2025-06-29

anond:20250628155046

根性論、きっもー

Permalink |記事への反応(0) | 14:14

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2025-06-26

anond:20250626083733

バカってね、瞬発的な威嚇が効いちゃう動物なんですよ

なぜならバカから

己の理性や悟性を信じすぎるのもバカのやることで、まあ精神論根性論なんですよ

これはこれでモラハラ一歩手前の考え方だとよく考え直した方がよい

オレが馬鹿からなのか論理がよくわからん

元増田なのかはわからんが、難儀な性分だね。

Permalink |記事への反応(0) | 10:21

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2025-06-24

Switch2当たらないから、アニメ版シャインポスト感想書く(7,8)

Switch2が当たらないから、当たったら買う予定のゲーム版シャインポストの予習として、ユーチューブ公式チャンネルhttps://www.youtube.com/@SHINEPOST)で期間限定公開をされているTVアニメシャインポスト感想を書いていく。

前 anond:20250623002741

7話

コメディ要素多めのゆきもじ回。これまでにも思わせぶりに TiNgS の三人に絡んできていた同じ事務所祇園寺(【ゆ】き【ね】)さんと伊藤(【も】み【じ】)が、実は元々は TiNgS の一員でその頃のグループ名は TINGS だと判明する。そして中野サンプラザでのライブ成功させるためにグループを抜けた二人を再加入させようと TiNgS 三人がドタバタする話。

……というか、ツンデレ祇園寺)さん練習生扱いだったの!? こんだけ姉御肌で頼りになるのに!? 別の意味で驚いてしまったが、7話8話でなぜこの二人がグループを抜けたのか明らかにされた時は得心した。筆者がある程度予測していた理由だったので。

さて、この7話の特徴として、今までマネージャーくんの前で「光って」言ったセリフは嘘であるというギミックを前提とした視聴者盲点を突くとある仕掛けが施されていた。それは「光らない」嘘があるということである。すなわちここまで作品を見てきた視聴者は視聴経験を通して、「嘘=光る」と認識するようになっている。キャラクターが嘘をつく光ると。しかしこれは真には「光るならば嘘」なのだ。つまりその逆「嘘ならば光る」は常に成り立つわけではない(古典命題論理における対偶・逆の関係)。

7話においてはマネージャーくんの嘘をついている人間が光るという特殊能力は、言語以外の嘘・偽り・誤魔化しについては効果を発揮していないことが明かされた。つまり、7話において明かされた真の事実は、ゆきもじの二人が元々 TINGS の一員だったことではなく、青天国春が今までずっと「パフォーマンスにおいて手を抜くという形で嘘をつき続けていた」という事実であったのだ。

言語的な嘘であったから光ることはなかったその偽りは、これまでに積もりに積もった青天国目標に真っすぐで嘘をつかないという視聴者先入観を真っ向から打ち崩すものだった。おそらく当時の視聴者は7話の最後でその嘘を指摘された青天国が「いつでも全力でやってるよ」と口に出して「光った」とき、ついに青天国春が光ったと大いに沸いたのだろうと推測する。

これは8話まで見終わって気がついたのだが、5人の頃のグループが大好きだったから戻ってきて欲しいと訴える青天国セリフに対して祇園寺さんの「あのころに戻りたいと思ったことなど、一度たりともない」と言う言葉マネージャーくんの前なのに「光ってない」。つまり嘘ではない本心言葉だ。8話を見終わればなぜ心から「あの頃に戻りたい」と思わないのか伏線が回収されるが、勘の良い視聴者彼女たちのグループ脱退の理由にここで気がついていたのだろうと思う。しかしまあ、青天国が手を抜いていたという事実を知ってからこのシーンを見返すと、本心を隠した彼女言葉祇園寺さんにとってはとんでもない侮辱になっていることが分かるな。

(ところで7話の後半の祇園寺さんが本音を言うシーン、正直興奮したよね。ギスギ修羅場スキーとして震え声の本音グフフフって厭らしい声出ちゃった。「私様」って作っていた性格を取っ払って「私」として本音を言うとこスキスキ。)

コメディパートということで面白かったところも。

8話

ゆきもじ回後半で過去回想。なぜ彼女たちがグループを抜ける決断をするに至ったのかが明かされる。

この回を見て思ったことは……辛い。いや、経験であることを隠していた青天国社長が一番問題なんだけど、それでも自分が唯一の芸能界経験者だから皆を引っ張っていかないとと奮起していたら自分より遥かに上手い青天国がわざと手を抜いていたことが分かるんだものしか彼女に対して目立った成長ができていないともアドバイスしちゃってたのだもの。惨めさやら悔しさやら恥ずかしさやら感情渋滞してしまうのはしょうがないよ。

イケメン芝居をしていたのを伊藤に見抜かれて、照れて素の声がでちゃう祇園寺さんかわいいね……)

天国が本気を出していないことに気がついた祇園寺さんと伊藤が、TINGS 全員が夢を叶えるため……青天国に本気を出させるためにあえてグループを抜けてライバル位置立とうとするの泣ける。すごい泣けるけど、実際やってたことは裏方としての TiNgS のサポートとか落ち込んでいる玉城や聖舞へのアドバイスとか普通に良き友人としての行為ライバルに徹しきれない情けないところがまた違った意味で泣ける。

(前から思ってたけど、ゆきもじのそのレッスン……根性論ベースで非効率的すぎやせんか?)

から本気を出して欲しいと言うゆきもじの訴えに、青天国は「本気なんて出さない方がいい!」と言ってもう一度「光る」。さあ次は青天国の憑き物落としだ。

今回ウケたところ。自分たちでは TiNgS を脅かすライバルになれなかったと言って崩れ落ちて号泣している祇園寺さんに、「あれだけ私達の心配をして面倒を見ていてくれて、それでライバルとか詰めが甘すぎる」と正論パンチしてギャン泣きさせる玉城。面倒見の良い祇園寺さんはあれで精一杯突き放しているつもりだったんだよ笑。確かにあれだけ構っておいて世話を焼いてライブでもバッチリ応援を送って、それで「ライバルに気安く声をかけるな」はギャグしかないけど笑。事実は時として人を傷つけるのだ。

次 anond:20250626175622

Permalink |記事への反応(2) | 18:11

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2025-06-23

体育の授業のせいで運動嫌い論争

たびたびXで話題になるよね。

・体育の授業で嫌な思いをして、運動への苦手意識があった。

大人になってジム通いを始め、楽しく続けられている。

教員として小学生に体育を教えている。

ずっと言われているのに、なぜ改善されないのか。

このすべての当事者なので、言える範囲でどうしてこうなっているのか説明しようと思う。長いです。

まず、小学校の体育について。

学習指導要領にて、学校で教える大まかな内容は全国で統一して決められている。多くの場合小学校では、体育は実技中心になっている。細かな授業内容は、学校ごとに決まる。

例えば、ざっくりと「〇学期のこの時期は、走る動きの運動をさせる」と決まってて、学校の規模や設備などによって「じゃあリレーをやろう」とか「シャトルランやろう」とかはある程度担当先生に委ねられる。

ここで信じてほしいのが、ほとんどの教員子どもが楽しそうにしている顔が好きで、体育も算数音楽も好きになってほしいと心から願っている。そのために校庭の石も総出で拾うし、汗だくでワックスもかけるし、破れたマットも縫う。

でも、実際には子どもが生き生きしていれば良い成果というのではなく、出来に応じて成績をつけらければならない。

そして、表向き学校通知表評価というのは、本人の伸び代を見る絶対評価とされているけど、実際は◎、〇、△の割合はどの学年もだいたい同じになるように示し合わせる相対評価の側面も大きい。授業の中で指導しながら、よくできている子とできていない子を判断し、記録する必要がある。

それを踏まえて、現状はこうだ。

教育系の大学を出て教員になる人のほとんどは、体育をやったことはあっても教えたことはない素人だ。大学の実習でも、体育専科とかでない限り、がっつり主導で体育をやることはまずない。そのまま現場担任として放り出される。学年にもよるが、小学校担任は一日に5、6時間ほぼ全教科を一人で教える。週に26〜28コマくらい授業があるうち、体育は3コマほど。どうやって授業のやり方を学ぶかというと、いろいろやり方はあるけど一番は先輩教員のまねをすること。でも、大抵はその先輩教員も、さらに昔の誰かのまねをしている。情報はなかなかアップデートされないし、したくても現場で受け入れられるかも分からない。

さらに、小学校の授業は45分間。体育は前後に着替えさせる必要があり、メインの運動とは別に準備体操器具の準備や片付け、暑い時期なら水分補給や休憩をはさむ必要もある。実働時間は30分前後のことも多い。

限られた時間と人手の中、最大35人の子もの相手をする(しかもここには特別支援学級在籍の児童カウントされないため、彼らを加えて実際は40人超えになることもある)。

少子化なのに、配慮必要な子は増える一方。日に当たらないようにしてほしい。過去トラブルになったことのある子とは、同じチームにしないでほしい。着替えは別室にしてほしい。頼まれたら、やらない訳にはいかない。親が「そうしないと子どもがつらい」というのなら、動かざるを得ない。

その中で、安全とそれを守るための規律を保ったまま、どれだけのことができるのか……働き始めてウン年、業界的にはまだまだひよっこだが、先輩を見ても正解は正直分からない。

少なくとも、運動が苦手な子が見世物になるような内容は正しいと思わない。が、「チームスポーツで足を引っ張る」とか「もっと健康や命を守ることに繋がる内容を」とか「根性論ではなく技術面を」とかは、今の人員ではまあ無理だと思う。

体育の時間は、個々の自由度が高いこともあり、全員怪我なく揉めずに終わることで精一杯だ。たまにそれすら失敗するし。

持久走でビリになったこと、最後まで逆上がりができなかったこと、ミニサッカーではパスももらえないこと。自分の幼少期にも覚えがあり、そんな経験の積み重ねで、自分運動音痴なんだな……と、自覚した。体育は疲れるし、憂鬱だった。

教える立場になり、できる範囲で「しんどくない体育」を考えるとこもあるけど、上手くいっているとは言えない。少なくとも、体育嫌いだったいつかの自分を救ってやれるような授業はできない。

私が体育嫌いの学生から、ゆるジム通い社会人になれたのは、「好きな音楽を聴きながら」、

「一人で」、「好きな運動を好きなだけ」できるからだ。このスタイルが合っている子へ、今の学校ができる体育の方法を私は思いつかない。

あとこれは身も蓋もないが、クラスに数人はいる“勉強は壊滅的だけど、体育だけは好き“なタイプの悪ガキ。悪ガキが悪ガキなのは、本人の特性もあるが、今までの挫折経験の積み重ねも大きい。体育嫌いが体育の時間しんどいように、勉強嫌いは体育以外の週25コマくらいがずっとしんどかったりする。そんな奴らが少しでも輝ける貴重な時間なので、一概に「体育は不要!」とも言いきれない。

道徳みたいに評価外の科目にするのはありかもしれない。が、やはり人間評価されるから頑張れる側面もあるので、そうなると今以上に子どもの体力は低下していくと思う。

現場の工夫次第でどうにかできる気はしないんだけど、どうでもいいと思ってるわけでもないんだよ。でも、少なくとも私は目の前の子どもと次の授業のことを考えるのに手一杯で、これ以上どうしていいかからない。

よかったら体育嫌いの方は、アイデアや「こうしてほしかった」という体験談を教えてほしい。できる範囲子ども還元していきたい。

Permalink |記事への反応(6) | 21:34

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2025-06-14

Fラン大卒バイト戦士ひとりごと0614

体育会系文化系という分類における文化系陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った

先日、ネットとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった

文系って、やっぱり文化系っていうか、ちょっと陰キャイメージあるよね」

一瞬、頭がフリーズした。

彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。

数秒考えて、ようやく彼の思考回路理解した。

ああ、なるほど。

彼は「理系文系」という学問の分類と、「体育会系文化系」という人間気質の分類を

ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。

そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。

正直に言って、最初に思ったのは「アホだなあ」だった

まりにも雑な括り方だし、乱暴ステレオタイプだ。

しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。

これは、単に彼一人の特殊思い込みなのだろうか。

それとも、意外と多くの人が共有している感覚なのだろうか。

そもそも、その二つは全く別の座標軸にある

まず大前提として、この二つの分類は全く違うレイヤーの話だ。

理系か、文系か」というのは、高校大学選択する学問分野の大きな括りのことだ。

ざっくり言えば、自然科学数学工学医学といった分野が「理系」。そして、人文科学社会科学法学経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人性格ライフスタイル規定するものではない。もちろん、学問特性個人思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。

一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人気質所属するコミュニティカルチャーを指す言葉だ。

こちらは学問とは直接関係がない。

体育会系」と言えば、運動部代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。

この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。

これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。

理系体育会系工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリフィジカルを持ちながら、論理的思考も得意とする人たち。たくさんいる。

文系体育会系法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ営業職などで大活躍するイメージすらある。

理系文化系数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。

文系文化系文学部古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的イメージではあるだろう。

このように、四つの象限にはそれぞれ典型的人物像を当てはめることができる。

理系から文化系陰キャ)だとか、

文系から文化系陰キャ)だとか、

そんな単純な話では全くないのだ。

彼が言っていた「文系文化系陰キャ)」という図式は、このマトリクス存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。

なぜ、そんな勘違いが生まれるのか

では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。

いくつか理由が考えられる。

一つ目は、言葉の響きとイメージ連鎖だ。

文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字文字が、無意識レベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性物事連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的イメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプル連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか

二つ目は、ステレオタイプ暴走単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特にドラマ漫画アニメといったフィクション世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。

たとえば、「理系天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。

なぜ文系陰キャ扱いされがちなのか?

こう考えると、むしろ文系陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。

おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、

文学部史学科といった、人文科学系の学問ではないだろうか。

経済学部や法学ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部イメージは、確かに文化系」の活動親和性が高い。この「文系の中の特定イメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか

三つ目は、経験の偏りと一般化だ。

人は誰しも、自分の見てきた世界世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校クラス編成が、たまたま理系クラス大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドア趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。


https://anond.hatelabo.jp/20250614122405

俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで

Permalink |記事への反応(2) | 12:21

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2025-06-13

anond:20250613212649

でた老害根性論

女性非難されやすい事と体力に何の関係があるんですか?

チンカスアンフェは大人しくチンカス啜ってなさい

Permalink |記事への反応(0) | 22:47

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2025-06-09

運動中に水を飲むとバテる」は正しい

昭和人間経験で感じていた「運動中に水を飲むとバテる」は実は正しい。

そんなアホなことあるかいな、昭和脳かよと思った人はちゃんと聞いてほしい。

根性論で育った昭和人間と、コスパ重視の令和の人間とで、

体の構造が違っているのかと言えばもちろんそんなことはなく、

令和の人間でも、運動中に「水だけ」飲んでいるとちゃんとバテる。

そう、令和の世にはスポーツドリンクや塩飴、塩分タブレットなどの

運動中のミネラル補給概念が当たり前となっているが、

昭和人間には、水分補給はすれど、ミネラル補給概念が乏しかったのだ。

人間の体液はおおよそ0.9%程度の塩分濃度であり、ミネラル補給重要である

真夏暑い中、大量の発汗により体内のミネラル放出され、塩分濃度は下がるが、

そこに大量の水(だけ)を摂取すると、体内の塩分濃度は更に下がってしまう。

その結果、体内で電解質異常(低ナトリウム血症)が生じ、脱力感、疲労感、倦怠感などの症状が出る。

そう、つまりこれが「運動中に水を飲むとバテる」の正体だ。

令和の人間が「昭和人間暑い中で水を飲まさないとかアホかいな」と思うのは、こうした背景を理解していないかであるが、

令和の人間だって、この真夏に適切なミネラル補給をしていないと「バテてしまう」から注意が必要だぞ。

Permalink |記事への反応(1) | 21:24

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anond:20250609144725

専業の方が圧倒的に質が高いよ

サラリーマンメインの兼業なんてやり方は全く工夫しないで毎年同じように何も考えず作ってるだけ

草刈りなんかも惰性でやってる

専業はちゃんと考えてやってる

品質に影響しない範囲効率化してるから素人には手を抜いてるように見えるかもしれない

でも安定して高品質なのは専業だよ

それを認められないのは無駄努力を礼賛する日本人根性論しかない

Permalink |記事への反応(0) | 21:17

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2025-06-07

anond:20250607212308

言葉しかと拝見しました。その鋭い視点、実に痛快です。

無意味仕事面白くする工夫」なんていう甘っちょろい精神論が、現場人間にとってどれだけ白々しく聞こえるか。

その憤り、よく分かります

あなたがおっしゃる通り、AIに面倒なコーディングを丸投げし、自分時間を確保する。それは、実にクレバーで、現代における最も効果的な働き方の一つでしょう。

昭和モーレツ社員根性論で乗り越えようとしていた壁を、最新のツールを使って涼しい顔で飛び越えているわけですから

しかし、面白いことに、あなた実践されていることこそが、実は「ジョブクラフティング」の最先端の形なのかもしれません。

ジョブクラフティング」という言葉は、学者コンサルタントが小難しくこねくり回したせいで、どうも「意識高い系」の綺麗事に聞こえがちです。

しかし、その本質は、「仕事裁量権を、会社上司から自分自身の手に取り戻すこと」にあります

タスククラフティング(Task Crafting):業務内容や進め方を自ら工夫し、変えること。

まさに、あなたAIを使ってやっていることはこれです。「クソみたいなコーディング作業」というタスクを、AIにアウトソースするという手法で、あなたにとって最も価値のある「時間」と「楽」を創り出している。

これは、精神論仕事意味を見出そうとするより、よほど具体的でパワフルなタスククラフティングです。

あなたがやっているのは、「無意味仕事意味を見出す」という受け身姿勢ではありません。

無意味仕事を、テクノロジー物理的に排除し、自分にとって有益な状況を創り出す」という、極めて能動的で、攻撃的な自己防衛術です。

消耗するだけの働き方が過去遺物となりつつある今、あなたのようなやり方こそが、これから時代を賢く、したたかに生き抜くための、一つの答えなのでしょう。

そのやり方、見事だと思います

Permalink |記事への反応(0) | 22:42

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2025-05-31

疲れた」は根性論

GoogleAI

>「根性論」とは、困難な状況や問題に直面しても、強い意志力努力精神力があれば何でも乗り越えられるという考え方です。

 

逆に言えば、身体精神疲労客観視できるような数値指標が無い現状では

疲れた」というのは意志力精神力で語られることなので

意志力努力精神力が無いので乗り越えられません』と言っているに等しい

これは『強い意志力努力精神力があれば何でも乗り越えられる』という考え方とコインの裏表なんですよね

 

まり疲れた(のでなにもできない)」は根性論

根性論肯定する者だけが使ってよい言葉

根性論否定する者は「疲れた」など言わないで効率的(笑)人生を生きてください

 

anond:20250528195630

Permalink |記事への反応(1) | 09:12

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