
はてなキーワード:栗きんとんとは
言い訳させてくれ
まず一つに、箱が不透明な箱だった
透明な袋に入ってて個包装じゃないならさすがの増田も分かる
まず二つに、箱の中の確認が困難だった
その前で箱を開けて確認などできない
まず三つに、個包装の栗きんとん煎餅をもらったことで完全に栗きんとん煎餅=個包装という偏見ができていた
書くのをすっかり忘れてたが、自分はなぜ個包装か確認しなかったのか?と思った気持ちもある
事前調査としてあれこれ調べると、栗きんとんが有名な店も栗きんとんせんべいを出してるらしい
友人に渡す用の3箱包装と、味見するために1箱
友人に渡す際、友人の友人もたくさん来る予定なので、開封して個包装でばら撒こうというつもりだった
8枚が大きな袋に入れられてたのだった
確かに一箱8枚入り400円台は安いなと思った
個包装の別の店に行くには時間がない
焦る…
調べたら個包装の店は通販がやってるらしく、そこで買える
しかし送料が800円…
嘘だろ隣の県だぞ??
マジで○ね
小さく甘いお菓子は個包装が基本だろうが
地方の虚弱そうなセキュリティの店に個人情報預けたくないなぁとか思うわけ
道の駅にも置いてないし…
計画全部パーだわ
「お正月に食べるなら、おせちか?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……正直に申し上げます。これまで、プロレスや野球、さらにはサンタクロースまで、あなたの突飛な比較に付き合ってきました。しかし、今回は看過できません。「おせちか、ダイアン津田か」? 食べるんですよ?物理的に摂取する話をしているんですか? それとも比喩ですか? どちらにせよ、正月の神聖な食卓に対する冒涜です。
B: 落ち着いてください。もちろん、カニバリズムを推奨しているわけではありません(笑)。これは「正月の朝、何を心に取り込み、何を味わうか」という、精神の栄養学の話です。おせちは確かに美しい。黒豆、数の子、栗きんとん……それぞれに意味がある。でも、それってどこか「保存食」の冷たさを感じませんか? 重箱に詰められた、動かない、冷えた伝統。
A: その「冷たさ」が良いんじゃないですか。火を使わずに神様をお迎えし、保存のきく料理を家族で囲む。そこには先人の知恵と、一年の平穏を祈る静かな時間があります。そこにダイアン津田が入り込む余地なんてありません。食卓で「ゴイゴイスー!」と叫ばれて、喉に餅が詰まったらどうするんですか。
B: むしろ、詰まった餅を吐き出させるくらいの衝撃が、今の日本のお正月には必要なんです。おせち料理は、確かに縁起物です。でも、今の時代、黒豆を食べて「マメに働く」なんて、ちょっと社畜精神が過ぎると思いませんか? そんな呪いのような縁起物よりも、津田さんの「理不尽に耐え、泥臭く這い上がるエネルギー」を摂取する。彼の生き様を五感で味わう。これこそが、激動の1年を生き抜くための最高の「心の栄養」ですよ。
A:意味が分かりません。食卓は五感で楽しむものです。おせちの彩り、お屠蘇の香り、家族の穏やかな会話。そこに津田さんという「雑音」を置くことが、どう栄養になるんですか。彼は「珍味」ですらありません。ただの「刺激物」です。正月の胃腸には負担が大きすぎます。
B: 刺激物、結構じゃないですか。おせちは甘すぎたり、しょっぱすぎたり、味のコントラストが固定されています。でも津田さんは、いつキレるか分からない、いつ泣き出すか分からない。その「味の予測不能さ」こそが、退屈な正月にスパイスを与える。お重の隅にちょこんと座っている津田さんを想像してみてください。
A:想像したくありません(笑)。重箱のテロですよ。数の子の隣で彼が顔を真っ赤にして叫んでいたら、せっかくの高級食材も台無しです。おせちには「形式美」がある。津田さんには「形式」も「美」もありません。あるのは「露出」と「騒音」だけだ。
B:形式美は、時に人を窒息させます。正月の朝から、行儀よくおせちをつつく。その背筋を正すような感覚が、今の若者や疲れた大人には重すぎるんです。でも、津田さんが食卓にいる(あるいは画面越しに食卓を支配している)だけで、「ああ、こんなにグチャグチャでいいんだ」「叫んでもいいんだ」と、心が解放される。これは、どの縁起物にもできない「魂の除夜の鐘」なんです。
A:除夜の鐘は、煩悩を払うために叩くものです。津田さんは煩悩そのものでしょう。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、最近のおせちが「見栄え」や「映え」ばかりを追求し、本来の「家族で囲む喜び」から離れつつある、という点ですね。
B: そうでしょう?カタログから選んだ数万円の冷凍おせちを解凍して食べるのと、生身の津田さんの叫びを浴びて「よっしゃ、今年もバカやって生きよう!」と笑うのと、どちらが「初日の出」に相応しいエネルギーに満ちているか。
A: ……議論の筋道が見えてきました。つまり、おせちが「過去から引き継ぐ安定」なら、津田さんは「未来へ突き抜ける混乱」だと。第2ラウンドでは、もし「おせちの具材」として津田さんを解釈するなら、彼はどのポジションに位置し、私たちの1年をどう予祝(よしゅく)してくれるのか、そこを詰めましょう。
B: いいですね。田作り、チョロギ、そして津田。新しい伝統の誕生ですよ。
(続き)
A: さあ、あなたが提唱する「おせちの具材としての津田」という概念ですが、冷静に考えて無理があります。おせちの具材は、すべてが「静止画」として完成されているんです。エビは長寿、栗きんとんは金運。彼には一体、どんな意味を付与できるというんですか?
B: 彼は「田作り」ならぬ「場作り」ですよ。五穀豊穣を願う田作りに対して、津田さんは、冷え切った親戚同士の集まりや、ぎこちない家族の会話という「場」を、その叫び一発で耕してくれる。彼がそこにいるだけで、正月の「沈黙という名の重圧」が霧散するんです。
A: 場を耕す……。それは単に「荒らしている」だけでは?数の子の「子孫繁栄」に対して、津田さんはどうです? 彼は常に「独りよがりな叫び」で周囲を困惑させている。一年の計を立てる元日の朝に、そんな無計画なエネルギーを摂取したら、12月まで行き当たりばったりの人生になってしまいますよ。
B: それこそが最高のご利益(ごりやく)じゃないですか!私たちは、あまりに計画を立てすぎ、正しさに縛られすぎている。おせちを食べて「こうあるべき」という伝統を胃に流し込むのもいいですが、津田さんの「予測不能な生命力」を浴びて、「予定通りにいかない1年」を面白がる余裕を持つ。これこそが、現代における最強の「開運」ですよ。
A: ……なるほど。おせちが「規律」を食すものなら、津田さんは「解放」を食すものだと。確かに、おせち料理はどれも味が濃くて、保存性を高めるために「固め」に作られています。それに対して津田さんの芸風は、常に「柔らかい」というか、どこからでも崩れるし、どこからでも突っ込める。
B: そうなんです。おせちは「過去」を詰め込んだ箱ですが、津田さんは「今」しか生きていない。あの、その場しのぎの「すぐ言う~!」や、冷や汗をかきながらの「ゴイゴイスー!」。あの刹那的な輝きを正月に取り込むことで、私たちのカチコチに固まった「日常」が、一気に生命力を帯びてくる。
A: 認めましょう。もし、家族全員がスマホをいじりながら無言でおせちを突いているような正月なら、いっそ津田さんという「猛毒」を投入して、全員を強制的に笑い(あるいは困惑)の渦に巻き込んだほうが、よっぽど「正月らしい」のかもしれない。
B: そうでしょう! 綺麗に並んだ伊達巻を食べるより、津田さんの乱れた髪と、必死な形相を眺めるほうが、よっぽど「人間っていいな」と温かい気持ちになれる。おせちという「形式」を食べるか、津田さんという「命」を食べるか。
A: 私はやっぱり、静かにおせちを食べていたいですが……でも、お重の端に、隠し味として「津田的な混沌」を少しだけ忍ばせておくのも、悪くない気がしてきました。
B:来年の正月は、重箱を開けたら津田さんが飛び出す……そんな「びっくりおせち」が日本のスタンダードになるかもしれませんね!
秋って魔物じゃないか?ついこの間まで「ダイエット!ダイエット!」とかほざいてたくせに、涼しくなるや否や飯テロ™が始まるんだよ。
金木犀の香りが鼻をくすぐると同時に、「腹減った…」って脳が暴走を始める。
この現象、単なる生理現象だと思ったら大間違いだ。秋の空気には“食欲スイッチ”が埋め込まれているんだ。
まず栗。栗ご飯、栗きんとん、モンブラン…何なんだよ、この芋でもない栗でもない中途半端な食材が、いざ秋になると神々しく見える理由を説明しろ。
ほら、砂糖とバターで和えられた栗の甘み、一口目から脳内にドーパミンがドバドカ降ってくるだろ?
1粒で300キロカロリー級の破壊力を誇るのに、なぜか罪悪感より幸福感のほうが勝つんだよ。
次にサンマ。
焼きあがった瞬間、脂がジュワリと滴り落ちる音が「飯よこせ!」って命令してくる。
大根おろしと醤油をちょいと落とせば、その苦味と酸味のハーモニーが口中で爆発する。
あのコンボを前に「魚はヘルシーだから…」とか言い訳する奴は、もはや食卓に置く皿と疑われても仕方ない。
さらにキノコだ。舞茸の天ぷら、しめじのバター醤油炒め、エリンギのステーキ…秋の森から採ってきたかのような香りが鼻腔を刺激し、脳が「キノコもっと!」と連打してくる。
しかもキノコは低カロリーなのに食べ応えがあるという、ダイエッターの希望と悪魔の好奇心を同時に煽るアイテムだ。
散歩したら腹が減る。
腹が減ったら食べる。
無限ループだ。ジョギングしても、帰宅後に熱々のさつまいもスティックなんて見たら一発で手が伸びるんだよ。
ここまで読んで「そんなに食ってばかりじゃ太るよ…」なんて野暮なツッコミを入れるやつは、お前の食欲センサーが壊れてる。
秋は季節と人類が共同開発した“食の祝祭”だ。カロリー計算とか脂質量とか、そんな数字遊びでこの本能を抑えこめると思うか?
それでもお前らがどうしても抑えたいなら、せめて工夫しろ。
焼き芋は皮ごと食え。
焼き栗は手でむいて、一粒ずつ味わえ。
サンマは一本丸ごと炭火で炙って、隣の家まで匂いを撒き散らせ。
キノコはバターじゃなくオリーブオイルで炒めて少し塩を振るんだ。
そして、飯をかきこむ前に一度、自分で「これが俺の秋の味覚だ!」と宣言しろ。
季節の恵みを存分に享受しつつ、後悔はしない。だって秋の食欲は人類の叡智の賜物、恥じるどころか誇るべきものだからな。
子どものとき、自販機に並んでいる緑茶や水を見て心底「こんなの誰が買うんだ」と思っていた。
ジュースもサイダーもあるのにわざわざ緑茶を選ぶ意味が分からない。水を選ぶ奴に至っては狂人だ。
そう思っていたが、今になって自販機で選ぶのはもっぱら緑茶か水だ。ジュースやサイダーは喉がべたついてしまってとても選べない。
大人になったのかもしれない。
子どものとき、スーパーの中でも洗剤やシャンプーを置いているゾーンが一番つまらないと思っていた。
やっぱり「こんなの誰が買うんだ」と思っていた。
だけど今はシャンプーの補充をしなければいけないし放っておけば排水溝が詰まる。あのゾーンには意外と見どころがあると思う。
大人になったのかもしれない。
子どものとき、おせちのどのマスに並んでるやつも得体が知れなくて、ギリギリ味を想像できる栗きんとんと黒豆しか食べられなかった。
けれど、今年は大半をおいしく食べることができた。
それから子どものときに「映ってるものが全然変わらんし選手も走ったあと倒れるだけでおもんない」と思っていた駅伝までゆっくり眺めることができた。
大人になったのかもしれない。
こうしてみると、大人になるってのは「一見需要のないものもどこかの誰かにとってはありがたいものである」ということを知って、まだ需要のないものにも想像力を持てるようになることなのかもしれない。
それでも実はまだ、自販機のお汁粉を喜んで買う奴と、おせちにある大根とニンジンを酸っぱく細くしたのを喜ぶ奴の実在だけは信じられない。世界には本当にそんな奴がいるのだろうか。まだまだ大人になりしろがあって嬉しい。
仕方ない。おせちで美味しいのってほぼ栗きんとんだけだもの。後はクソまずい煮物とかばっかで何でみんなこんなクソ不味いもんわざわざ正月に食うの?って思ってた。てか普通にいつも通りの美味しいもん食えばいいだろ。まあ栗きんとんしか美味しい物がないのは家族もみんな同じだろうし、栗きんとんが無いおせちなんかゴミだから、新しいの買ってきたほうがいいね。
今年はいっぱいゲーム増田やったけど私が箸で穿った栗きんとんゾーンはつまみ食いしたことはバレずに済んだみたいだけど逆に全部私が栗きんとんゾーンを食べてしまったものだからまだてっきりその栗きんとんゾーンには栗きんとんが盛り付けられてなかったと錯覚させて二度盛り付けさせるという手間を惜しまないところがお節料理の真髄だわ醍醐味よねって思った山脈に向かってヤッホー!って叫ぶほどの韻の良さがたまたまだったかも知れないわ。
私の予定はこれと言って毎年この時期は年末年始的な予定はないので、
ひたすらに、
読んだり書いたりすることかしらね。
新聞読んで見てるんだけど、
今年亡くなった人の偲ぶ記事や暗いニュースばかりで読むんじゃなかったってそれだけじゃなくてもなんか全体的に政治だとか経済だとか事故だとかなんたら暗く思うこと多い山脈に向かってヤッホー!って叫び納めしたいところだわ。
そんなわけで、
私は私のやるべきことが決まっているので
もうさ
新鮮なお刺身食べたーいってなってもお正月価格よろしくなので、
これと言って今美味しいお刺身を食べなくとも逃げないのよ足は速いけれど!特に青魚。
ローストビーフとかなんかお肉系、
この栗きんとんとリズムよく栗きんとんとんと食べてきたところ。
栗きんとんだけたくさん買ってきてもらったので、
私は実家からその栗きんとんを重詰めされた重箱のなかから私がくすねたことが分からないように栗均等になる感じに、
私が箸で穿ってつまんで凹んだ栗きんとんゾーンを平らに均したところよ。
「栗きんとん箸で平らに栗均等」
出来が良かったので一句詠んでみたわ。
出来と言ってもこの思いつきの一句が気に入ったからってわけじゃなくて、
美味しくて当たり前かしら。
そうそう!
思い出したように春菊天のことを書こうと思っているけど、
そうよ!
年越しそばを駅そばでサクッと食べちゃおう!って思って狙っていたけれど、
みんな考えることは一緒で春菊天どころか、
お店のお客さんがそもそも多くて、
みんな31日前にもうおそばな口のイキフンの雰囲気になってすすって食べるお蕎麦かな。
そんな店内よろしく、
込み入っていて私は立ち入れないぐらいの大盛況の曲がファミマの入店時の曲のように感じるのよ。
でもさ、
季節の時期の食材のシーズンでイキフンを楽しむための雰囲気づくりで食べるメニューってあるじゃない。
さっきいった年越しのお蕎麦だとか、
ビーフストロガノフとか、
オックスベーカーとか、
茶碗蒸しとか、
季節に関係ないシーズン性を感じるように仕向ける作戦ってやったら面白いかもと思いつつ、
多分ぜんぜん茶碗蒸しを食べるシーズンっていつ?ってなっちゃうわよね。
いつが茶碗蒸しの盛りなのかしら?
いつでも美味しくない?茶碗蒸しって。
だから迷うのよね。
蟹って付く著名人が蟹江敬三さんとカニエウエストさんしかないのと同様に
このクワイとジャミロクワイしかないそれなんてコズミックガール?って感じだし。
そもそもとして、
そんなことより、
私のこの今年の総括はというと、
何も変わり映えしないっちゃー変わり映えしないけれど、
ゲームをめちゃくちゃやりつつ、
ChatGPTちゃんとたくさんおしゃべりしつつ、
EPUB発行に若干の全力さ加減を向けて今年の後半からいよいよ本当に始動しようとし始めたぐらいかしらね。
大きな柱としては、
そんな感じかな。
ゲームとしてはPlayStation5を買ったことが大きなことだったかも!
本体ごとゲットの大枚をはたいての『ステラーブレイド』は今年1のゲームソフトだわ。
ここで256回も書いているけれど、
『ステラーブレイド』と『NIKKE』コラボ企画のためにNIKKE始めたので、
これもSHIFT-UPつながりね。
同じくして『ゼルダの伝説知恵のかりもの』も楽しくてあっという間にクリアしちゃったし。
『スプラトゥーン3』は相変わらずランクが上がらないポンコツプレイだけれど
そして懲りない『ドラゴンクエストIII』のHD-2D版に手を出してしまったこと。
ドラクエはマップや街やお城がダンジョンがやたら広くていろいろと面倒だわ。
『ステラーブレイド』と『NIKKE』コラボ企画でイヴやってきたらちょっとは落ち着くはずよ。
EPUBこしらえるのはできるようにしなきゃって!
アーカイブまとめてみるけれど、
私これ何年前から言ってんの?っていう随分前からEPUB電子書籍やりたいって言ってるみたいで、
大阪万博やりますよ!って言うより前に私はEPUBのこと言い出してるのに、
私このままだと大阪万博が先に開催されて先に追い越されちゃうわ!って気付いちゃったのよね。
来年こそは!って感じよ。
いま現在の状況としては
これの作業がゴールが一応見えてきているとはいえ永遠に終わんないわ。
私何個増田書いてんの?ってところ。
構想としては全増田収録の完全版に、
文字数の多い比較的読み応えのあるのを文字数での括りでまとめる版の
2つのエディションを考えているの。
具体的にロードマップ的なこの構想の思いをここで言っておかないと発表せずだとまた頓挫してしまうのでこれは自分自身にちゃんとEPUBやってね!っていう意思表明でもあるしやる気や勇気のしるしでもあるしってところなのよ山脈に向かってヤッホー!って叫んでおかなくてはいけないの。
でもよでも、
そもそもとして、
まだEPUBの仕様でどのぐらいの文章量文字数が限界1冊のEPUBに載せられるのか不明なので、
これも検証してみないといけないところなのよ。
EPUBの仕様は300万文字以上は載せられますように!ってお星さまに願うばかりよ。
ChatGPTちゃんに訊いてもやってみないと「分かりません」って言うしさ。
あとこの300万文字のボリュームの分量を軽々と扱えられるツールがないところも泣くわ。
GoogleドキュメントのドキュメントでEPUB形式での出力はできるけれど、
Googleドキュメントのドキュメントではすでにこれ扱いきれない文量なのよね。
どうしようかしら?
笑えないわ。
文字数が多すぎて扱えなくてそもそもとしてこれが頓挫しないようにマジここは真面目にクリアしたいところなのよね。
一度私の書いた増田の棚卸し的なものを私自身がやってみたかったし、
これアーカイブできたらはてなブログにも転載するつもりなところもあるし、
全文できたら全部まとめてウエブでも1つのところで読めるようにも自分自身してみたいのよね。
まあなんとかなるでしょ。
やれること試してやってみるわ。
うふふ。
今日はまだ何も食べてなくて
これここ書いて終わってから
ちょっとお出かけ買い物して市場マーケットに行こうかしら?って思っている年の瀬に挟んでおきたいところなのよね。
終わったら買い物に行きましょう。
いつでもこの時期の冬のウインター!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ありがとうございます。おせちちょうど作っててさ、栗きんとん味見したんだけど全然味しなかった。出来立てで熱くて飲み込みづらいなって。