
はてなキーワード:柚子胡椒とは
無理だろうね。
例えば、九州の田舎には「唐辛子」を「こしょう」と呼ぶ地域が多い。
わかりやすい例だと、柚子胡椒は、柚子と青唐辛子から作るから柚子胡椒なんだけど、いわゆる胡椒は入っていない。
これは「こしょう」は古い言葉では唐辛子を意味していて、その後日本に胡椒が持ち込まれたあとに「こしょう」が「胡椒」に変わったことが原因。
「辛い」も元々は塩味を意味していたんだけど、その後唐辛子などが日本に持ち込まれて、いつの間にか「からい」!=「塩辛い」に変わった経緯が有る。
つまり、1000年以上の歴史が日本語にはあって、その過程で「からい」と「塩辛い」が誕生し定着していることになる。
ふむ……至高の湯豆腐か。愚問よな。湯豆腐とは、何かを足して工夫する料理ではない。むしろ、いかに余計なものを削ぎ落とし、素材の本質を引き出せるか にかかっている。多くの者は、調味料や出汁にこだわるが、それらはすべて「豆腐」「水」「火加減」の前には些事に過ぎぬ。
まず豆腐。湯豆腐において最も大事なのは、豆腐の輪郭を崩さず、なおかつ繊細な口当たりを生かすこと だ。寄せ豆腐はふわりと溶けるが、崩れやすい。木綿はしっかり形を保つが、食感が硬い。では、どう選ぶべきか。
答えは水との相性で決まる。あるとき、京都の老舗で湯豆腐を食した際、店の親父が「今日は木綿や」と言った。私は絹ごし派だったが、「今日の水なら、絹ごしやと輪郭がぼやける」と言われ、試してみるほかなかった。結果、その判断に納得せざるを得なかった。水の違いが、豆腐の食感までも左右するのだ。
水は、料理の形を決める。湯豆腐の水に求められるものは、ただの「名水」ではない。軟水であること、雑味がないこと、そして火を入れたときに澄んだままであること。ある旅館で、名水を使った湯豆腐を食したことがある。豆腐の甘みが際立っていたが、それ以上に印象に残ったのは、供された湯飲みの湯の旨さだった。あのとき初めて、湯豆腐とは「温める」料理ではなく、「湯の力を借りて豆腐の本質を引き出す」料理なのだと気づいた。
出汁は、主張すべきではない。昆布の種類を論じる者は多いが、それ以前に重要なのは「煮立たせないこと」だ。強火にかければ、えぐみが出てすべてを台無しにする。これを軽視する者は多いが、湯豆腐とは「湯の力を借りて豆腐の本質を引き出す」料理であり、出汁が前に出すぎてはならない。
薬味もまた、慎重に選ぶべきものだ。ぽん酢、生姜、七味、柚子胡椒——確かに、それぞれに良さはある。だが、最もシンプルな答えを挙げるならば、「塩」だ。試しに藻塩をひとつまみだけ豆腐にのせ、箸でそっと割る。口に入れると、大豆の甘みがふわっと広がる。そのとき、「なるほどな」と思った。薬味とは「味を足す」ものではなく、「豆腐の輪郭を引き立てる」ものなのだと。
結局のところ、至高の湯豆腐とは、特別な食材を揃えることではない。己の舌を研ぎ澄まし、豆腐の声を聞くこと。そこに至ったとき、初めて「本当の湯豆腐」が見えてくるのだ。
明太子を使わずに絹ごし豆腐とシラチャーソースだけでも、美味しいスパゲティを作ることができます。明太子なしでも、絹ごし豆腐のクリーミーさとシラチャーソースのピリ辛さが絶妙にマッチし、満足感のある一品になります。
スパゲティ: 200g
絹ごし豆腐: 150g
シラチャーソース: 大さじ1~2(お好みで調整)
塩: 少々
こしょう: 少々
刻みのり: 適量
絹ごし豆腐はしっかりと水切りをすることで、ソースが水っぽくなるのを防ぎます。
シラチャーソースの量はお好みで調整してください。
牛乳または豆乳の代わりに、生クリームを使うと、より濃厚な味わいになります。
明太子がない代わりに、たらこやツナなどを加えると魚介の旨味が加わり美味しくなります。
きのこ(しめじ、えのきなど)や野菜(ほうれん草、小松菜など)を加えても美味しくいただけます。
レモン汁や柚子胡椒を加えると、さっぱりとした味わいになります。
最近名古屋めしの話を見かけるから、名古屋の隣町で生まれ育った人間の感想でも書いてみる。親はどちらも別地方出身。
メジャーなチェーン店はコメダだけど、ローカルチェーン店から個人経営のカフェや喫茶店にもモーニングはある。ドリンク代のみ〜追加料金で豪華になるものまで色々。週末はどのタイプの店もモーニングで混んでる。なんなら一日中モーニング出す店もある(モーニングとは?)。
きしめん、味噌煮込みはその辺のうどん屋とかでも普通にメニューにある。山本屋とかの有名どころでもいいけど、そういう町中のうどん屋の方がリーズナブルで美味しい。
あんかけスパは過去に一度だけ食べたことあるけど塩辛くて好きじゃなかったからよく知らない。名古屋だとオフィス街でビジネスマンが食べてるイメージ。
有名なのは矢場とん。でも和食チェーン店とか町中のうどん屋や蕎麦屋の丼物メニューあたりにもある。あとスーパーのお惣菜コーナーに行くと串カツの味噌カツバージョンが置いてあったりする。晩ご飯を手抜きしたい時に買ったりする。
エビフリャーとか言ってる人はいない。いるかもしれないけど増田は会ったことがない。
子供の時、近所のとんかつ屋さんが出す大きなエビフライの定食が好きだったけど今はアパートになってしまった。大人になってからはわざわざエビフライ食べたいって思うことがないからずっと食べてない。
蓬莱軒はなんか特別感ある。けど鰻あんまり好きじゃないから特に書けることがない。土用の丑の日とかでも食べないし。
ちゃんとしたのは和菓子屋のだけどコンビニの片隅に製パン会社が作った安いやつが売ってたりする。増田が小中学生の頃は学校給食で年一回くらい出てた(今は知らない)。
書いてて思ったけど、名古屋めしって観光ガイドなんかには出てくるけど地元で暮らしててわざわざ食べに行こう!とはならない。ご飯作るのめんどいからちょっと近所に食べに行こうかな〜とか手抜きしたいからお惣菜買おうかな〜とかいう時の選択肢になる程度というか。
最後に思い出したけど、コンビニでおでん買う時に辛子とか柚子胡椒に並んで味噌ダレの小袋があったりする。うちは辛子で食べる人ばかりだから貰ったことないけど。
一時期減ってた気がするんですけど最近また増えてきましたね。
批評家気取りのド素人がブログで調子こいたレビューかましてる光景。
的外れの駄文を書くにしたってキャラクターに対しての勝手なラブレターならまだしも、なんも分かってないままに創作論を振りかざすのは見てられないから辞めてくれよ。
「俺には合わなかった」は全然いいんだけど、「俺の考える創作論においてこれは悪手」ってなんの技術も経験もない奴がよーほざけるもんやな。
こういう輩の跋扈はほんま目に余るわ。
感想文でチヤホヤされたいならAIで絵でも描いてればいいものを、なんでか自分の審美眼を披露したがるんですよね。
誰だって気づいてるようなことに対して「これ気づきました?凄くないですか?」みたいに言ってるのほんま恥ずかしい。
ラーメン屋でオッサンが連れの若い子に「これ柚子胡椒効かせてるよね。でも俺苦手なんだよな~~」みたいにイキってて、そんでその人達出ていってから「あれ?店長、これほんとうに柚子胡椒」 「全然違うよ。まあわざわざ指摘するようなことじゃなかったし」みたいな事になっちゃってるときの共感性羞恥だよね。
いやマジでさ、「俺の解釈ではこういう風に映ったんだ!」で二次創作イラストTwitterに載せるんだったら「こう見えた人もいるのか~~~。ズレってけど面白いかもね」って思えたりもするが、全然物が見えてない癖に「俺は真実を見てしまいましたよ」みたいに言葉で語られてもそれはマジで痛々しいだけなのでいい加減辞めてくれ~~~