
はてなキーワード:枝葉末節とは
「遠くに配置されていた推しカプをペイントの切り貼りでくっつける加工をして投稿」のどこがアウトすぎるのかわからん
アウトと言うなら加工の時点で法律上アウトであとの条件付けは全て枝葉末節に見えるのだが。
また因習村の話?
dorawiiより
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吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、
「原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである。
言葉の枝葉末節はあれど、吉田のスタンスは基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作・アニメとも未見のため、細かな表現そのものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう。
その上で言うのだが。
「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。
(ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作のノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)
「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、
穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまりに唐突だった。
父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。
その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、
スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、
贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下で穂高教授に激高するのである。
「なんだこれ?」と。
ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。
寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。
ところが、そんなエピソードは、ない。
(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)
公の場であんな事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。
これは自分だけではない。旧twitterのタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。
その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回の最後の最後は、「雨垂れの一雫を強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかしな言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。
で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。
吉田はこう書いている。ちょっと長いから、引用は飛ばしてもOK。
寅子「どうもできませんよ! 先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」
(略)
寅子の人生について、妊娠したとき、勝手に彼女の一人称を「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。
(略)
私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意で自分を排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。
(略)
寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。
(略)
寅子と穂高先生の関係については、自分を女性最初の弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。
それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中の女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。
(略)
本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性だから」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。
ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠し弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから、彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。
https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)
最大のポイントは、
式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。
史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である。
ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田の意図は何か。
それは、
吉田が穂高教授という“古い男性の象徴”を、「公衆の面前で」辱めたかったから
だと推察した。
そうでなければ、意図が取れないのだ。
(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性だから」花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)
ただ、吉田の意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか。
この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か
「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」
といったことを言っていたはずだ。
確かに、穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。
だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本で指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。
あえて吉田の意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。
名優の小林でさえ、吉田の意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田の意図を理解できていなかった傍証である。
NHK公式サイトの伊藤のコメントはすでに削除されているので、引用した記事からの孫引き。
演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ちを監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高に愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手や師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点で脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生のあいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生を尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html
前述の通り、吉田が意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。
結論を言うと、
「自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場も視聴者も混乱させた吉田が『ノイズを排除』なんて言うな」
である。
最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメントを引用したい。
穂高先生と寅子のわだかまりは最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
「母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。
あと、
台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
吉田の意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。
「男性(性)を公衆の面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実をねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。
yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死に否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。
あのさあ。
その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者のほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回に言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。
盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。
そもそも、引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。
dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。
言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。
なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの。
また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。
いずれにしても、ないものを証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。
当然、史実も創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実の面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。
ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。
むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さだから。
で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所で穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソードを創作する必要があったのか。
それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。
segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実とフィクションの区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない
せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。
todomadrid 脚色加えるのはノイズ、ベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作や歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーターが自分の思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ
最初に書いているだろ。
「原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。
脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。
ブックマークしたのはかなり後だから、追記を読んでいるはずだけど、
「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さ」と書いているだろ。
花束贈呈拒否事件は、あまりに唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたからノイズだと言っているの。
kura-2原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田が結論ありきで書いてるだけ。
いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。
いやまあお前のブックマークだから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。
「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手(ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。
ええーっ…。何これ…。
いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。
でも、これは誤読以前じゃん。
煽りにしてもひどすぎる。
冒頭に書いてるだろ。
見たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだって。マジで。
あと、「吉田のスタンスは基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。
自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。
このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、
覇権を取るために風呂場の裸というノイズを排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。
なあ、id:hate_flag。
あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。
書いていないこと、しかもこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。
ー
魚拓をと思ったらすでに取られてた。取ったのは増田じゃないよ。マジで。
Permalink |記事への反応(31) | 07:34
士業の世界はサラリーマンとしてやっている限りは同じ職位の男女の給与差が出にくいので、
私のような大して賢くない女でも大して賢くない男と同等の給与が貰えてありがたい。
私のいるチームに配属され、慣れないなか一生懸命仕事に取組み、分からないことは周囲にたずね、環境に慣れようとし、良い採用だったと思う。
ところで私は職場の中では中堅で、他の中堅男性と同じように担当件数を持ち、専門性を高める努力も日々行っているのだが、
この中途男性は顧客へアドバイスする上でとても重要で専門性の高い内容や慎重に議論や検討すべき内容は男性スタッフにたずねる。
私のところへ聞きに来るときはソフトの操作(マニュアルを熟読すればわかるような事柄)や、他業界のちょっとした知識(つまり、この業界ではちょっと齧ってりゃ上等程度の分野)の質問を
「あの~もしご存じだったら教えていただきたいんですけど~」という雰囲気で寄ってくる。
なぜだろうな。あなたが普段頼りにしている男性スタッフに負けない専門性を有しているのだが。
いくつか理由を考えてみた。ひねくれたことばかり考えてしまって自分が嫌なんだけど。
「男は同性の前で弱さを出せない。女の管理職の前では弱音を吐き出せるので女の管理職は俺には必要」
つまり、議論を交わして見識の広さ深さををうかがわせるような質問などは男にしたいけど、能力を低く見積もられる恐れのある質問は女で片づけたいってことかしら。
②ナチュラルに能力が低いと思われている。つまり、高度な論点は私では対処できないと思われている。
まあそう思われてるならそれでいいけど。給料を払うはあなたじゃねーからな。
③ そういう枝葉末節の不明点を「世話」するのは私が適任と思われている。
本来は「古代から中世、現代と維持されてきた、男子相続父権型社会においては男性の権利が優遇されてきた(=強者男性)。しかしその優遇の対価として男性は社会的義務も慣習によってセットで請求されてきた(男性が金銭的に負担すべきという文化や家の存続の文化など)。これらの優遇と義務はセットだったのだが、現代的な価値観の発達で男性に対する優遇措置はなくなりつつある(財産相続など)、にもかかわらず義務だけは相変わらず男性長子に偏在して求められた結果(介護など)、権利なくして※義務ばかり要求される男性(=弱者男性)がうまれた」っていうのが本来の文脈だぞ。
恋愛云々ってのは「恋愛でも結婚でも男性優遇の文化なくなったのになんでデート代だけは男性って文化残ってんの?」ってあたりから始まった議論ででてきた枝葉末節だよ。
※そもそもの話として権利以前に相続するような大した地位も資産もない一般家庭のそこらの男性にまで、封建社会的な男性の甲斐性やリーダーシップを求める恋愛脳ヤメレって話でもある。
https://news.yahoo.co.jp/profile/news/comments/eda648e9-a3d0-472e-9994-1a5107195320
伊東市民の方のインタビューも見ましたが、かなりのやり手で市民に必要なこと、必要でないことを決断できる貴重な人材の方のようでした。
そこに東洋大卒の要素ってどれだけ大切でしょうか?
幼稚園からずっと繰り返しそのように我々は教わりますし、それを体得して誠実に生きることは大切です。
一方で、今回この市長が不要と判断した巨大なソーラーパネルビジネスなど、その利権絡みの側の人たちが面白く思わず市長おろしに躍起になっているとも聞きます。だからこそ、市民の方から学歴にそんなこだわって辞職など必要ないという意見もあがっているのではと思います。
最近の日本が作るのは既存アニメカルチャーを担う有名人(老齢)に既存の有名IPを乗っけて手堅く成功するようなやつだけ。いや爆死も多いが。
でも、中国や韓国はゲームの分野で完全新規IPに果敢に挑戦して、予算も熱意もかけてグローバルでヒットさせるようなものを頻繁に生み出している。
miHoYoとかSHIFT UPとかね。映像表現では、KURO GAMESなんかも特筆すべき芸術的創作性を備えてきてる。
そういうものは、怠惰で忍耐力のないアニメ視聴者に媚びた、「行間を読ませない」ような作品づくりとは対極の、作り手と同じくらいの熱意を持って自発的に散らばった行間(伏線)を探してくれるようなユーザーを喜ばせる、濃度の高い複雑怪奇な創作スタンスを持っている。高IQ者でないと理解するのが難しい表現や高度に文化的な表現も多用する。置いてけぼりにされたことすら気づかないくらいのミーム圧だ。リスペクトにあふれているとも言える。
それから、ヘイトコントロールというより、ラブアンプリファイとでも言うような、ゲームだからこそできるキャラ一人ひとりの背景をじっくり、場合によっては数年かけて掘り下げるアプローチで、どのキャラも自然と好きになれるので、オタクからの信頼を新規IPというビハインドを感じさせない勢いで獲得してる。
アニメ調ゲームは作り手も消費者も若く「ガチ」なものに溢れるホットなオタク領域だが、日本のTVアニメという創作分野はくたびれた中年~初老のかつてオタクだった人向けにお決まりのものを提供する場になりつつあるのではないか。
それこそテレビバラエティが老人向けのものになっていったように。これらは老人向けなりに若めのカルチャーに目を向けて、登場させるタレントや美術センスこそ若さを感じさせるようにすることで、しょぼしょぼ感が画面から滲み出ないように作られているが、実態として消費者は老人ばかりなのだ。
そういう創作スタンスの欺瞞性を、一世代、二世代若い人たちは容易に見抜いては呆れることを繰り返してきた。作り手の古臭い価値観が滲み出ているからね。TVアニメはその流れとは関係ないと思っている人もいるようだが、まったくそんなことはない。
有名IPアニメを見て「勉強」してる場合なのか?と思う。創作というのは、小手先の技法のモダン表現へのキャッチアップは枝葉末節であり、本質的なのは、創作の源泉となる思想のアップデートだ。新しい時代の価値観を内包した思想性へのアップデート。それが伴わない限り、キャラが操り人形に見えてしまい、すべてがニセモノじみた茶番になる。それが分からない人が創作の小手先を学んでも、世の中に残るものは残せないよ。
ピンと来ないなら、宗教団体が今風のアニメ表現でショート動画を作ったのを見るときの「なんか浮いてる気色悪さ」を想像してもらえばいい。年寄りたちが今風の表現を借りて作るTVアニメ作品には、それと同種の気色悪さがあるが、作り手と同じくらいの感性で止まっている人にとってはそうは感じない、という話。
それがまさに若者がバラエティを見たときに感じる気持ち悪さと同じ。
もちろん、これらは所詮娯楽だから、一消費者としてならそこで止まり続けて、死ぬまで慣れ親しんだものを消費していくのでも構わない。それを揶揄されようと気にしないでいればいい。なんなら逆に、こういう指摘をしてくる自分のような人間を小馬鹿にしつづけたらいい。
喘息薬の件ね。
まあ批判の主旨はわかるんだけど、別に大統領になるわけでもなし、チームみらいが全員当選したところで少数政党、一介の議員でしかないんだからそんなに目くじら立てて潰すほどかな?とも思う。
だってこれを批判してる連中だって、上がり続ける社会保険料、下がり続ける手取りに対しては文句タラタラなんでしょ?
そういう問題に対しての解の一つを提示できる存在が国政に参加するのはプラスになることはあってもマイナスになることはないんじゃないの?
国会での質疑とか議員立法とか、少数政党にできるのはせいぜいそこまででしかないわけで。大統領みたいに一夜にして絶大な権力を握れるわけではないんだよ。
ヤバい案を出してきても審議の中で潰されるんだからいいじゃん。そのために他の政党がいるんだろ。もっと民主主義を信じろよ。
それともあれかね、枝葉末節に拘って、新たな才能を潰して、70代、80代のIT音痴のじいちゃんが支配する既成政党に全任せしてたほうがマシだと思ってるのかね?
しーかーしー。
そこでなぜディレクトリ構成とかいう、枝葉末節から話が始まるか理解できん。
というか、そういう具象しか理解できない頭しか持ち合わせてないのか?
中身を理解しないで、表面的HowToだけなぞったところで、手間が増えるだけ、不具合が増えるだけの、典型的炎上系カーゴカルトの教祖にしかなれんぞ。
で、そういうクズを作っておきながら、手に負えなくなったら「××社でアーキテクトをして云々」って転職して逃げ出すんだからなぁ……。
てめぇのケツくらい拭けねぇのかよ?
なんかあの同心円図を神聖なものみたいに崇めてるっぽいのを見ると、本当に哀れに思える。
あんなもん、書籍を出すときに見た目を整えるためにでっち上げた図以外の何物でもねーだろ w
よくある4象限とかのマトリクス図とか、意識高い系の本には大量に載ってるあれだよ。
そういう意味のない図に「雰囲気で当てはめる」から、そこで真に求められていることが実現できないんだよ。
クリーンアーキテクチャ採用していて、がっつりしたE2Eテストを予定している時点で矛盾だって理解しろ。
ただなぁ、こういう技術()話するのが好きなエンジニアは多い。
呆れるほど多い。
多いんだが、残念すぎることに内容が、
「知ってるか?東京都立呪術高等専門学校って奥多摩にあるんだぜ」
「生徒に知り合いがいる」
今時の厨二だってそんなアホみたいな話してマウント取り合いなんてしねぇぞ……。
そんな集団に「ただの漫画の創作だぞ」って言い放つより、静かに距離を置くことを選ぶよ。