
はてなキーワード:板前とは
暑さ寒さもガンズアンドローゼズとはよく言ったものよね。
そんで朝晩は冷えるから
今日は予定がないからダラダラ過ごし勝ち大勝利になりそうなので、
夜に無理やり予定を入れてみたわ。
夜に映画を観に行くのよ。
無理やり予定を入れたら、
それに合わせて夜にシャキッとしてないといけないので、
今日はシャキッと過ごせそうかしら?
1日でも貴重な日々をすごさなくちゃいけないのよ。
ブンブン腕を回して張り切っているわりには、
記録が伸び悩んでるわ。
「火を見るより明らか」ってのは、
おそらく
以前までは
どういうふうに当たり前のことを明らかだね!って言っていたのかしら?
そもそもとして、
火を使い始めたきっかけってなに?
偶然に雷のスマップさんバージョンじゃない方の林田健司さんバージョンの青いイナズマが木に落雷して火がついたところを発見したのかしら?
だから、
いきなりその当時の人が、
即座に雷の稲妻の落雷でおきた火にいきなり骨付き肉を焚べて焼くかのように、
それだと
まあ、
火が偶然にも発見したのは良いとして、
火なんて見たこともないのに、
いきなり肉を焼く発想でてくるのかしらってのも思うわ。
つーかさ、
雷は偶然の落雷の発火で火がついたとして、
たまたま通りがかった原始人的な人が通りすがりに大将やってる?的に暖簾に腕押しでお店に入店した勢いだったと思うの。
てなると、
ご機嫌にやっている大将の横にいる女将がいるいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋が、
それら、
うーん、
悩むわよね。
そんでさ、
うわ!いい美味しそうなニオイじゃん!ってそこまでは分かりそうなものじゃない?
で、
次は味付けなのよ!
火が発見されて肉を焼いたら美味しいかもって発見するより前に精錬された食卓塩はなかったかもしれないし、
丸焦げになるのを待ち構えている原始人は食卓塩を持ち合わせていなかった可能性大だし、
それよりも、
そのご機嫌で大将が板前でいてその横に女将がいるいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋はノー調味料で料理提供していたってこと?
胡椒や食卓塩ができる発見発明される前の小料理屋は味付けはシンプル、
いやノー味付けだったかもしれない素材のうまさを十分に活かすスタイルの粋ないちいち小鉢料理が美味しい小料理屋さんだったのかも!
採れたての野菜を生で齧らせがちだし、
変に味付けしたがらないじゃない。
あ!そういうことかー!って
すでにいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋さんは素材の味で勝負していたのよ!
うわ!
文化の日先取り!って感じがよくない?
でも、
お肉は何分ぐらい焼いたらいいの?って口伝えで伝承するにはあまりにも曖昧すぎるかもしれないので、
お肉は何分焼く!って具体的に書き記すことができた、
文字の発見もきっと美味しいレシィピをのこすためには重要だったかも!
その大将曰く「味の決め手は昆布出汁や!」ってそれだけ素材一択だったら分かりやすい文字も必要のない伝承の仕方かもしれないけれど。
火が発見される前に、
すでに
食卓塩も胡椒もあってレシィピも書き残せる紙とペンと文字も発明開発されていて、
あとは肉が木に落雷で発火したのを偶然通りかかった動物が美味しく焼けるのをメモを握りしめて鉛筆の芯をペロペロ舐めて構えて待ち構えている目前だったかもしれないわ。
で、
人類がまだ見ぬ知らぬ火に焼かれた肉が美味しそうなのかも!って知らない季節に
デスク編集長に編集者が今日の巻頭カラーはこれで決まりですね!って言いそうな勢い!
落雷焼肉爆誕!って見出しで落雷で発火し動物の肉が美味しく焼ける人類初の出来事!って、
正にバクザン先生も爆誕!ってうっかり言いそうなぐらい1面大見出しになっていたかもしれないわ!
言ったらそれはアンガス牛定食を求めている証拠ですとAI言うじゃない。
ああ、
食いしん坊が爆発する秋のシーズンの脳内のそういった潜在的な意識をイメージ化したのかもしれない。
サンマ定食秋刀魚ホームランの連続打席ホームランも疲れちゃうので
中日にカッツアンガス牛定食も挟んでみるのもいいかもしれないわね。
ちょっと涼しくなると、
なんか変に食欲も爆増しない?
私だけかしら?
秋刀魚ホームラン試合のないときの移動日とかはカッツアンガス牛定食でもいいかもしれないわ!って
うふふ。
朝ご飯とお昼ご飯を一緒におうちゃくにも済ませてしまいそうだわ。
香ばしくて出来立て瞬間は美味しいわ!
翌明けて2日目となると
とはいえ、
これでも十分美味しい初のコーン茶ウォーラー茶は満喫できそうよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
付き合いでいっても
不満そうな顔した板前とか
(ちなみに大人しそうにしててもダメらしい、店に舐められる、入社試験かよ)
「お前にサービスする筋合いないんですけど」
おとなしい客パターンも
陽気な客パターンもいくつかやってみたけど
一万出そうが二万出そうが
まあとにかく客が不満なんだな
頼む料理で「味がわかってない」だの服装で「うちにはあわない」だのそういうので、こっちの客は格下、こっちは上客って決めて対応変える
外国人にはどんな格好してようが何注文しようがビビってペコペコ
とにかく常識が古い
こんな連中のところいっても楽しくねえ〜
飲食店っていかに不満そうな店員を楽しませるかっていうキャバクラっぽいんだよな
店側が「お前はどう俺を接待するんだ」って感じ
俺が思う良い店ってのは板前、店主、店員との会話ややり取りが心地よいかも含めて考えるんだよ
スマホで調べてるだけじゃ、「この酒にはこのメニューが合いますよ」とか「メニューに載ってないけどこの酒の大吟醸があるんですけどいかがですか」
みたいなやり取りが生まれないんだよ
客単価は7,000円程度のそこそこのお店
米どころのため、地物の日本酒を注文しようと思い日本酒のメニューを見る
産地と銘柄と純米・吟醸などの記載はあるが、甘口・辛口・端麗などの味わいについての記載がないため、
好みに合ったお酒を注文しようと店員に「地物で甘口のやつと端麗・すっきりなやつおススメないですか」と聞く
店員は10代~20前半のバイトで分からなくて、板前さんに聞きに行ったが、客席にも聞こえるように「飲み比べおすすめしておけ」と塩対応
商売として日本酒をそれなりに推してる店(日本酒メニュー30種類ぐらいを別で用意するぐらいだしね)ならもうちょっとこっちに寄り添ってくれよと思ったわ
カウンターで食べるちょっとお高い江戸前寿司屋に行くのが最近の趣味。主に東京都内でいくつかのお店を訪れてきた。
お店によって雰囲気も違うし、おまかせコースのメニュー構成も、味の方向性も違う。とはいえどれも各店の良さがあるなぁという感じで満足してきた。
しかし直近に訪れた店は・・・悪いがちょっと失敗だったと思った。
最初に断っておくが、あのお店は Not for me. だったのだろうということは理解している。以下はただの愚痴なのだ。
都内某所に用事があって行くことになりその地域でお寿司屋さんが無いか調べてみたところ、その地域ではナンバーワンだというお店を見つけた。ネット上の評価は上々だ。
値段も予算範囲内という感じで、しかもちょうどその用事がある日のちょうど用事が終わった直後の時間に最後の1人分の予約枠が余っていたのでこれはラッキーだと思って予約し訪れた。
店構えは昔ながらの歴史ある寿司屋とは全く違い凄く現代的な感じで、店名を表す小さな看板が無ければ寿司屋だとは気が付かないだろう。
最近はこういうおしゃれ感のあるお寿司屋さんが増えているらしく、今までも何度かそういうお店に訪れたことがある。個人的にも昔ながらのお寿司屋さんに入るのは緊張するので良いと思う。
内装も寿司屋という感じはあまりせず、洋食というかダイニングバーみたいな感じだなと思った。清潔感があるし良い意味でカジュアル感を出したいのだろうと思った。
それでいてカウンターは立派な一枚板で、そこだけは良いお寿司屋さんの雰囲気を出していた。
ただまずここでちょっと違和感を覚えた。なんか、妙に店内が明るすぎるのだ。
真っ白な照明で、光度が凄く高い。オフィスですらあんなに明るいことは中々無い。
今までの寿司屋でこれはまず無かった。色温度低めの柔らかい光で、適度に光度を抑えたものが当たり前だった。
要は真っ白で明るすぎる光では全然落ち着かないのだ。お高いお寿司屋さんで2時間のコースでこの雰囲気はちょっと辛いなと思ってしまった。
別に私は普段から照明の明るさなんて気にしてないのだが、それでも異様に感じたほどだから相当に明るかったというのが伝わるだろうか。
まぁ照明なんて些細な事さと気を取り直してコースが始まるのを待つ。が、ここでまたもう一つ残念な事があった。
こういうお高いお寿司屋さんあるあるではあるのだが、水商売の若いネーチャンを連れたおっさんがよく同伴で来ている。
それ自体は否定する気は全くない。どんな人たちであろうが美味しい寿司を食べる喜びを共有するのは悪いことではない。
ただ、中にはやっぱりいるのだ。品が無い連中が。
今回がそうだった。おっさんが若い女二人を連れて来ていたが、まぁデカい声で喋る笑う。カウンターの端と端にいるはずなのに、私に全て聞き取れる声量で話し続ける。
その水商売の店の話、店員の話、こんな変な客がいたという話、どれもこれも品のないことをしゃべっては盛り上がっている。
こういう寿司屋って良いものを食べてゆっくりと大人の落ち着いた時間を過ごす場を期待しているのに、完全に台無しである。
いやそれは店は悪くないだろうと思うかもしれないが、板前さんが一緒になって盛り上がって喋ってるのだ。寿司を握る間もずっと喋ってる。
どうやら客の方は常連で、同じ店の別の嬢とか黒服も来ていてその界隈の知り合いが多いらしいが、ちょっとぐらい調理に集中してくれよと思った。
実はこれに関しては地域差もあると思っている。
私以外が全て同伴客みたいな状態でも凄く落ち着きがあって、何度行っても品が高い空間が保たれているという地域もある。
そういう街は夜の遊びもお高いお店が多い地域だったりする。やっぱり高い店で遊ぶ人やそこの嬢というのは品格があるのだろう。まぁそういうお店行かないから知らないけども。
残念ながら今回行った地域というのは、夜のお店も程度が知れるのだろうなと思わざるを得なかった。どうせ行かないけども。
ここまでまだ寿司の話をしていない。
どんな雰囲気だろうが寿司が美味ければまぁ許せるかと思ったが、残念ながらこれまた全然満足いくものではなかった。
色々な寿司屋にそれなりの頻度で行ってきて多少は魚の良し悪しが分かるようになってきたと思うのだが、魚の質がどうも低いのだ。
元の魚自体が悪いのか、それとも処理が悪いのかまでは分からない。だが全然旨みが出ていなかったり、ものによっては臭みが出ていたりした。
今まで高級な寿司屋で臭みのあるヅケなんて食べたことなかった。寿司屋の仕事は徹底的に臭みを抜くことなんて聞いた事があるが、ここではそれが出来ていないのだ。
何でこんなに質が低い魚ばかりなんだ・・・と思いながら食べていたが、コースの途中で理解した。
板前さんがわざわざ長々と講釈を垂れるように説明してこれ見よがしに見せてくる高級食材がいくつか登場したのだ。それも魚介に限らず、トリュフとかである。
コースの料金を考えれば、それらの食材を使えば他の食材のコストは抑えざるを得ない。そういう一部の食材にお金をかけて、その他大多数の魚にはコストがかかってないなというのがよく分かった。
そして別にそのトリュフなんかが全然美味しくないのだ。寿司に全く合っていない。ありゃ完全に「映え」とか珍しさ目的で、水商売の女性を喜ばせるための物なんだろう。
さらに言えば、板前さんの技術自体もつたないものだったんだろうと思わざるを得なかった。
まず握り方がどうもぎこちない。あんなに何度も何度もグルグルとこねくり回しているのは見たことが無い。それでいて握りの形が美しいわけでもない。
細巻を切っても一つ一つ長さがバラバラだ。スッと切れていないから断面は潰れて、端の部分などは具材が半分押し出されてしまっている。
その上、キンキンに冷えた状態のネタまであった。冷たすぎて味なんて全然分からないのだ。何を考えてこんなものを出すんだ?とかなりがっかりした。
コースも半分ぐらい過ぎたあたりでもう期待するのはやめて、早くこの時間が過ぎればいいのにとさえ思っていた。
場所は都内である。決してド田舎なわけではなく、むしろ利用者数が多く発展している街の駅に程近いお店である。
その地域には美味しいお店はいっぱいある。イタリアンやカジュアルフレンチ、ちょっとした居酒屋など良いお店が多かった。だからきっとそのお店もと期待していたのだが・・・
ネットの評判が良かったのは、要は他にその地域に価格帯的に競合する寿司屋が無かったからだろう。もしくはああいう雰囲気と映えを求める人ばかりだったのか。
今まで寿司を食べてがっかりした経験は10年以上前の学生の頃に池袋の100円均一の某回転寿司があまりに不味くて2皿だけ食べて出てきた時ぐらいで、まさかこういうお店で美味しくないということがあるとは思わなかった。
今回の失敗はもうちょっとちゃんとどういう店なのかを調査していれば防げたかもしれない。逆に言えば今までは運が良かったのだろう。
今後は値段だけ見るのではなく、これを教訓としてもっときちんと調べた上で Not for me. な店は避けるようにしようと思う。
最近になってからカウンターで食べる寿司屋にデビューした。最初に銀座のお店に行ってみたら凄く感銘を受けて、その後いくつかの違う地域の評判が良いお寿司屋さんにも行ってみた。
行ったところはどこも大体同じ価格帯なんだけど、結果的に一番、というか圧倒的に満足できたのは銀座のお店だった。
そしてその理由は味ではなさそうだなと思った。味は正直どこも甲乙つけがたく美味しい。各お店で個性がありつつ、個々のメニュー単位で見れば銀座のお店より明らかに美味しかったお店もあった。
しかし、銀座のお店にだけは店内の雰囲気も接客もどれも「特別感」がある。照明、かすかに流れているBGM、板前さんの仕事の見せ方、女将さんの接客、どれをとっても惚れ惚れとする。
結局銀座のお店が気に入ってそこだけ何度かリピートしている。やっぱり銀座という地がそういう雰囲気を求めていて、それにお店が応えているという面があるんだろうなと思う。
こういうのって、本当に寿司屋に行くようになる前は全く気にしたことが無かった。お店の雰囲気なんて、まぁ学生が騒いでたりしなければ何でもいいと思っていた。
余計なことより料理一本勝負で、リーズナブルながら美味しいものを出してくれる店こそが一番だと思っていた。
でも銀座の寿司屋を知ってしまって完全に価値観が変わった。趣味としての食にはこういう面での楽しみ方もあるのかと今更になって知ることになった。銀座の寿司屋、最初は緊張したけど思い切って飛び込んでみて本当に良かった。
自分じゃ絶対に行けないような高級な寿司に、偶然と偶然と偶然が重なって呼ばれることになった。
親が旅行好きだったこともあって、北陸も北海道も何なら愛媛も博多も長崎も連れて行ってもらって、そこでうまい刺身はいくらでも食べてきたつもりだった。
結局は現地で食べる新鮮な魚に勝るものを都内なんかで食べられるわけがないっていうのがそれまでの自分の常識。
でも、それは間違い。本当にうまい寿司を食べたことのないただの独りよがりだと知った。
まず、鮮度は美味しさの一つでしかないということ。
その寿司屋はまるでライブパフォーマンスのように板前さんが寿司の説明を添えて提供してくれる店で、どこのどんな魚か、どんな調理をしたものかを毎回、それでいてしつこくないように教えてくれる店だった。
寿司というと何故か新鮮さが正義みたいな風潮があるが、当たり前だけど、新鮮よりも寝かしたり熟成したほうがうまい魚もあるわけで、そういった魚が寿司に適さないわけがなかった。
つぎに驚いたのは、そこの寿司には温度管理という概念あったということ。
よく、高い寿司は眼の前に置かれた瞬間にすぐ食べろと言われる。
ネタが乾いたりのりが水分を吸ったりその程度の話だろうと思っていたけど、その店は違った。
すっきり冷えたシャリ、ほのかに温かいシャリ、ホクホクに感じられる温かさのシャリ。
ネタも同じように、調理方法によって全ての提供温度がしっかりと管理されていた。
写真なんかとってる時間すらもったいないくらい、でてきた瞬間が最高にうまいに違いないと思えるほど繊細な温度管理だった。
一番に驚いたのは、使っていたのが全部同じシャリだったということだった。
何を当たり前のことをと思われるかもしれないけど、食べている間はそれら全部が同じシャリだとは到底思えなかった。
一貫一貫全部の酢の強さ、甘みの強さ、香りの強さが、まるでそのネタにあわせてシャリを変えてるんじゃないかと思えるくらいに違ってたからだ。
高級寿司なのでそれくらいやりかねないと、帰り際に板前さんにそれとなく聞いてみることにした。
すると一切けれんのない様子で「いえ、全て同じシャリですね。温度を変えてお出ししているのでそれで風味が変わって感じられたのかと思います。」と、さらりと答えた。
違うだろ。
それを計算しているのはあんたであって、全部あんたの腕前じゃないか。
2時間のコース料理だったけど、最初の一口で魅了されてからは、最後の最後までまるでジェットコースターに乗っているかのようなエキサイティングな時間だった。
今まではてなでもうまい寿司の話を聞いてきたけど、悪いけどその日からは全員が本当にうまいすしを知らない可愛そうな人にしか思えなくなってしまったよ。
本当にうまい寿司は海の近くでしか食べられないって?きっとそうなんでしょうね。あなたにとってはね!
最初に言った通り、自分では絶対に行けないような店であって、今回は急遽呼び出されてその店のことも知らないままに入店したという経緯だった。
それで家に帰ってからお店を調べてみたら、自分では本当に払えないほどの金額の店だった。
本当にうまい寿司を食べてしまうと、自分の中にうまい寿司という選択肢ができてしまって元の生活には戻れなくなってしまうというのはよく言ったもので、その日からというもの、冷たいだけの寿司はもちろん、寿司以外の料理についても何の工夫もなく熱々がうまいと信じて疑わずただ熱々のまま出される料理さえもつまらなく感じるようになってしまった。
かといって自分の稼ぎではもう二度とその味を楽しむことはできないし、それ以前に1年先まで予約は全て埋まっているらしい。
なんてことをしてくれたんだ寿司屋。まだ一週間も経ってないのに、思い出しては食べたくて仕方がなくなっているこんな自分をどうしてくれるんだ。
本当にうまい寿司を知らなかった頃に戻してくれよ。できることなら一生知らないまま、寿司は鮮度!ってイキり続けていたかった。
Permalink |記事への反応(15) | 09:06
考えを整理がてら書き殴ったものなので読みづらいのはすみません。
父は日本料理の板前でしたがなぜか喫茶店の雇われ店長をしていた時期もありました。あまり長続きはしませんでしたが。
小学生の頃に仕事場の喫茶店に招待してもらい、甘いカフェオレを飲ませてもらったことを覚えています。
また休日に色々なパスタを食べたいとお願いするといつも作ってくれました。
父のパスタは格別おいしくて、いまでもこれを超えるものを食べたことはありません。もちろん思い出補正込みです。
酒好きだった父は、いつ頃からか、休日の朝から晩まで飲むようになっていました。
そのうち仕事に行かなくなり、職場も転々と変えるようになりました。
最終的に平日の昼間から居間で酒タバコテレビという状態で、反抗期に入った私は父と何度も喧嘩をしました。
喧嘩直後はしばらく真面目になるのですが半年も経つと元通りになり、それが数回続くことで家族も諦めの境地になりました。
当時、病院のアルコール依存症外来の存在を知っていたら何か変わっていたのでしょうか。
母との喧嘩も増えたある日、父は家からいなくなりました。心配しつつも、家の雰囲気を悪くしている存在がいないことにホッとしている自分もいました。
音信不通になってから半年もすると、父と母の共通の友人経由で、実は○○県の日本料理店で板前をしているみたいな情報が入ってきました。
しかしそれも長続きせず、1年も経つとなぜか悪びれもせず家に戻ってきていたりして、父のことがますます理解できなくなりました。
母が勧めたこともあり、私は遠く県外の大学に進学しました。母方の実家が関西ということもあり大阪の大学を選びました。
なお私が大学寮に入る時も、父はN回目の県外逃亡中でした。
しばらくして大学3年ごろ、母から突然「離婚した」という連絡がきました。
「こちら(父方親戚)とは縁を切って住居も大阪に移すから」と言われた時には驚きはしましたがさもありなんと納得もしていました。
でもさすがに「あなた(私)の住民票と本籍も大阪に移しておいたから」の一言には物言いをつけたくなりました。相談もせずに勝手に何してくれてんのと。
実際これで故郷から完全に離れることになり、父方の実家とも完全に疎遠になってかなりの年月となります。
月日は経って、私も30代後半になりました。
一昨年前に全然知らない市から父の生活保護の扶養照会がありましたが、20年近く会ってもいないので今更無理だと断りの返事を出しました。
そして先々月、親戚経由で、父が肺がんで死亡したとの連絡が来ました。
父の最後の知り合い(おそらく仕事の上司)が火葬や身の回り品の処分などを終わらせてくれたそうで、遺灰だけでも受け取るかという問い合わせです。
なぜでしょうね。断ればいいのになぜかYESと答えてしまいました。
先日、母と一緒にその方を訪ね、お礼を伝えて、遺灰壺を受け取ってきました。
ただ、父の最後については詳しく聞きませんでした。先方も無理に話そうとはしなかったので、薄々事情を理解していたのだと思います。
母は嫌がったので、今は私が小さな遺灰壺を預かっています。父の写真はないので壺だけが本棚の上に鎮座しています。
墓は、父が信仰していた宗教団体の永代供養納骨堂を利用するつもりで、手続き方法だけは調べました。