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「松尾芭蕉」を含む日記RSS

はてなキーワード:松尾芭蕉とは

次の25件>

2025-10-11

車で岡山に入って独自文化を目撃した関西弁松尾芭蕉

岡山

ああ岡山

岡山

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-09-14

クソデカ松尾芭蕉

ユーラシア ああユーラシア ユーラシア

Permalink |記事への反応(0) | 01:18

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クソデカ松尾芭蕉

ユーラシア ああユーラシア ユーラシア

Permalink |記事への反応(0) | 01:18

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2025-05-16

伊能忠敬は調べたけど松尾芭蕉あんまり興味が湧かない

Permalink |記事への反応(0) | 09:57

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2025-05-14

ユニクロ当て擦り男

久しぶりに遊ぼうよって言われて待ち合わせしてたら、会っていきなり私の服来てたジャケットをそれユニクロフリースかと思った。って言われて

毛足太めのファージャケットからそうみえたのかな?とか思ったけど珍しいデザインで割と気に入ってるやつだし割と値段したのでなんとなくそんなことあってすぐ言わなくてもいいのに…ってなって…ってなった。

その後今日全身ユニクロなんだよねって言われてなんでそんなこといきなり言ってくるの?全身ユニクロでもいいけどなんで伝えてくるの?って思ってそういえばこの人ハイブラ志向だったなって思い出して

なんとなくお前に会うのはユニクロで充分って言いたいためにわざわざユニクロ縛りで服固めてきてそれを挨拶より先に伝えた上で相手の服もユニクロ?って聞くことで小馬鹿にするまでワンセットで考えてきて何着ててもそれユニクロ?って聞くつもりだったんだろうなって思った

さら挨拶より先に今日全身ユニクロなんだよねとか言われたらユニクロに見えなかった!何着てもかっこいいね!とか褒めろみたいな圧も感じるし

そういえば忘れてたけどそういうやつだったなとかわざわざ見下してる相手に会おうとか呼び出す意味もわからなくなってあったのすごく後悔した。

今日全身ユニクロなんだよね→それユニクロ?って一見すごく普通言葉の中に

ものすごく大量の見下し感とマウント感と人の上に立ちたい必死さとわざわざ見下すためによくある安物って思ってるユニクロで服買ってユニクロで縛ってコーデ組む必死さとかやることのダサさとか相手バカにする言葉会う前からわざわざ考えてきたから真っ先に言うんだなみたいな会わなきゃよかった感とこう褒めろよ?みたいな圧と自意識過剰さと俺はユニクロで充分かっこいいけど、お前は何着ても逆にユニクロみえるよ?多分それユニクロじゃないだろうけど笑とか、見下しにかける必死さとかそれくらい見下す気でいるくらいの相手にわざわざ会おうとか提案する友達いない感とか服でしかイキれなそうな中身のなさとか要は俺は嫌なやつです!がすごい情報量で詰まっててこんな短い言葉で秒で嫌われるとか嫌われワード界の松尾芭蕉かと思った。

Permalink |記事への反応(2) | 23:09

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ユニクロ当て擦り男

久しぶりに遊ぼうよって言われて待ち合わせしてたら、会っていきなり私の服来てたジャケットをそれユニクロフリースかと思った。って言われて

毛足太めのファージャケットからそうみえたのかな?とか思ったけど珍しいデザインで割と気に入ってるやつだし割と値段したのでなんとなくそんなことあってすぐ言わなくてもいいのに…ってなって…ってなった。

その後今日全身ユニクロなんだよねって言われてなんでそんなこといきなり言ってくるの?全身ユニクロでもいいけどなんで伝えてくるの?って思ってそういえばこの人ハイブラ志向だったなって思い出して

なんとなくお前に会うのはユニクロで充分って言いたいためにわざわざユニクロ縛りで服固めてきてそれを挨拶より先に伝えた上で相手の服もユニクロ?って聞くことで小馬鹿にするまでワンセットで考えてきて何着ててもそれユニクロ?って聞くつもりだったんだろうなって思った

さら挨拶より先に今日全身ユニクロなんだよねとか言われたらユニクロに見えなかった!何着てもかっこいいね!とか褒めろみたいな圧も感じるし

そういえば忘れてたけどそういうやつだったなとかわざわざ見下してる相手に会おうとか呼び出す意味もわからなくなってあったのすごく後悔した。

今日全身ユニクロなんだよね→それユニクロ?って一見すごく普通言葉の中に

ものすごく大量の見下し感とマウント感と人の上に立ちたい必死さとわざわざ見下すためによくある安物って思ってるユニクロで服買ってユニクロで縛ってコーデ組む必死さとかやることのダサさとか相手バカにする言葉会う前からわざわざ考えてきたから真っ先に言うんだなみたいな会わなきゃよかった感とこう褒めろよ?みたいな圧と自意識過剰さと俺はユニクロで充分かっこいいけど、お前は何着ても逆にユニクロみえるよ?多分それユニクロじゃないだろうけど笑とか、見下しにかける必死さとかそれくらい見下す気でいるくらいの相手にわざわざ会おうとか提案する友達いない感とか服でしかイキれなそうな中身のなさとか要は俺は嫌なやつです!がすごい情報量で詰まっててこんな短い言葉で秒で嫌われるとか嫌われワード界の松尾芭蕉かと思った。

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2025-05-06

俳人イメージ

松尾芭蕉ネームブランドがあるだけ

正岡子規:柿が好き

尾崎放哉ぼっち

種田山頭火ラーメン屋さん

夏井いつき歴代最強

Permalink |記事への反応(0) | 19:18

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2025-04-21

殺戮の」で始まる松尾芭蕉の名句

Permalink |記事への反応(0) | 21:43

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2025-03-16

anond:20250316214641

MBだと松尾芭蕉しか思い浮かばない

Permalink |記事への反応(0) | 22:03

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2025-02-22

もし、千利休松尾芭蕉ストリートファイトしたら。

俳聖VS茶聖!侘び寂び頂上決戦 飛び交う名言!飛び散る茶筅! 勝つのはどっちだ!?

奥の細道」を歩き続けた俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)と、「侘び寂び」を極めた茶聖・千利休(せんのりきゅう)が、京都鴨川(かもがわ)の河原まさかストリートファイトだ!

事件の発端

発端は些細(ささい)なことだった。芭蕉が詠んだ一句「古池や蛙飛び込む水の音」に対し、利休が「その句には侘び寂びが足りぬ」とダメ出し。これに芭蕉激怒(げきど)、「おのれの茶など、ただの苦い湯ではないか!」と応戦。

いざ、尋常勝負

「ならば貴様(きさま)に侘び寂びを教えてくれるわ!」と、利休は愛用の茶筅(ちゃせん)を構え、芭蕉も旅の杖(つえ)を握りしめ、戦闘開始だ!

一進一退の攻防

「閑(しず)さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声!」芭蕉叫びながら杖で攻撃すれば、「一期一会(いちごいちえ)とは、まさにこのこと!」利休茶筅で華麗(かれい)に防御(ぼうぎょ)。

飛び出す名言

「三尺(さんじゃく)の庵(いおり)に宇宙を見る!」利休が叫べば、「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年も又旅人也!」芭蕉も負けじと叫ぶ。

勝負行方

勝負は一進一退(いっしんいったい)、まさに互角(ごかく)。しかし、最後は両者(りょうしゃ)とも疲れ果て、鴨川ほとりに座り込んだ。

ノーサイド

「やはり、おぬしは只者(ただもの)ではない」利休が言えば、「そなたこそ、茶の道(みち)を極めた男よ」芭蕉相手を称(たた)えた。

そして二人は…

そして二人は、互(たが)いの健闘(けんとう)を称えあい、仲良く抹茶(まっちゃ)を点(た)てて飲んだという。

大円団

俳聖と茶聖のストリートファイトは、まさかノーサイドしかし、この戦いは、後世(こうせい)に語り継(つ)がれる伝説(でんせつ)となったに違(ちが)いない。

Permalink |記事への反応(0) | 12:44

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2025-02-10

暇空茜の「認知プロファイリング」とは?

暇空茜は「認知プロファイリング」なる能力を持っていると主張している。

これは本人の主張によると「相手文章から読み取れる相手認知から相手の背景や情報を読み取る」技能。なる曰く「推測の域を出ないが合理的判断するとその可能性が最も高いと感じる行動背景を予測するので全く合理的判断して動いてない相手にはけっこう弱い」らしい。

しか熟練ウォッチャー達の間ではある仮説が立てられている。それは「暇空は認知プロファイリングを“現実改変能力”だと思っている」というものである

より詳しく言うと、暇空は自身の認プロに合わせて現実の方が変化すると思っている…とされている。

例えば、暇空が今熱心に唱えている「堀口死亡説」も、

「死んだ」と言葉にすれば現実が暇空に合わせて変化し、本当に堀口氏が亡くなる、と思っているのである

ではその根拠は何か?

例えば、認プロされた相手が「認プロが間違っている証拠」を出すと、暇空は頑なにそれを認めたがらない。

これは逆説的に“認プロされた相手は認プロが正しい証拠を出すべきだ”と暇空が考えていると見ていいだろう。

そしてその“認プロされた相手は認プロが正しい証拠を出すべきだ”という、認知プロファイリングの核心にあたる設定は何が元ネタなのだろうか?

その答えは、暇空茜にとっての聖典ハンターハンター」にある。

ハンターハンターにはバショウというキャラクターがおり、流離の大俳人グレイハイカー)という、自分が詠み記した俳句の内容を現実にする能力を持っている。

作中では「オレ様が 殴ったモノは みな燃える」で炎を発生させたり、「清光や 氷道により 輝けり」で俳句を御守りにしたりなど、応用性が高い。

特に侵入者を炙り出す為に「我が問いに 空言人が 焼かれ死ぬ」という句を使用し、相手を嘘がつけない状態にしたエピソードは“認プロされた相手は認プロが正しい証拠を出すべきだ”、という暇空の認知にも“認プロされた相手は嘘をついてはいけない”という形で影響していると見てもいいだろう。

実際、暇空茜がカクヨムで連載している小説主人公のネーミングは、松尾芭蕉からの影響が強い。

だがしかしここはヒマソランドではなく、現実日本

ペルソナ使いがシャドウ存在する空間の外ではただの人間であるように、認知プロファイリングは我々の世界になんの影響も与えない。

きっと暇空は、「シュナムルとの戦いの時は認プロが絶好調だったのに、Colaboや堀口と戦い始めてからプロが上手く発動しない。何度唱えてもお膳立てされた真実がお出しされない。なんで!?

と思っている事だろう。

…という、俺の認プロでした(´・ω・`)

Permalink |記事への反応(2) | 20:23

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2025-02-03

anond:20250203181957

古池や蛙飛び込む水の音

解説

松尾芭蕉晩年に読んだ句

長く共にした愛人に挿入した際に、若い頃は聴いたこともないデュポという音がして驚いた時の情景を読んだ

古池という言葉女性と長く共にした年月が表れている

Permalink |記事への反応(0) | 18:28

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松尾芭蕉って下ネタ俳句残してないの?

ちんちん

ああ気持ちいいな

ちんちん

とか、ないの?

Permalink |記事への反応(4) | 18:13

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2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る④

【前】anond:20250202175752

11:好色一代男 島田雅彦 訳[新訳] 雨月物語 円城塔 訳[新訳] 通言総籬 いとうせいこう 訳[新訳] 春色梅児誉美 島本理生 訳[新訳]

この中では雨月物語しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。

村上春樹海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタお化け屋敷的なジャンプケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ

これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話説教臭い割に好きだ。

ところで、東京創元社編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化け妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。

ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。

菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。

ところで小泉八雲朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないかなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたかなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。

というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。

12:松尾芭蕉 おくのほそ道 松浦寿輝 選・訳[新訳]与謝蕪村 辻原登 選[新釈] 小林一茶 長谷川櫂 選[新釈] とくとく歌仙 丸谷才一 他

これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズクラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。

そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界圧縮できるかだ。しかしながら、短歌枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。

短歌与謝野晶子俵万智穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。

俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的ものが好きらしい。

俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。

こうしてみればわかると思うが、平安時代文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。

古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。

ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダル裏切られるかわからいからだ。それこそ明治文豪クズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴イケメン歌手実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。

やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップマインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。

   古典

 古典の作者の幸福なる所以兎に角彼等の死んでいることである

   又

 我我の――或は諸君幸福なる所以兎に角彼等の死んでいることである

侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。

とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間身分上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。

こういうことを考えている時は大抵は体調不良ときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこから入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。

さて、池澤夏樹全集では、これ以降の巻では明治作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。

ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキー中島敦ポーラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。

なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。

INTERMISSION④

さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品自分に刺さるかを整理すると、知識豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情論理的言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥共喰い」とか、時代は下るが西村賢太苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。

芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初から意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹作品結構な頻度で、的外れ批判をしてくる劇団員女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香コンビニ人間」については前回のエントリ名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。

理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分属性性格が近い人の文章面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのとき自分に刺さって面白いのと、今の社会必要としているのとは、まったく違うので、話題小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。

脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品しかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編からしか得られない栄養素があるのと同じだ。

なお、僕は大体漫画を買うとき短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン出身漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。

というか、みんなあれだけ長編少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。

なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代経験相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエファイナルファンタジーなどの多くの作品プレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。

とはいえ少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである

こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親見出しいるからだ」とか、古い時代フェミニストの「私に反論するとしたら、あなた女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。

自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチ自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。

意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:12

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2024-11-25

anond:20241125151425

秋の風情を感じて、周りの人に感心されるような上品表現を使うには、季語文学的言い回しを取り入れると効果的です。以下にいくつかの例を挙げます


自然風景に対する表現


紅葉

木々が錦に染まり、秋の深まりをしみじみと感じますね。」

もみじの赤が一段と鮮やかで、まるで自然が描く絵画のようです。」


夕暮れ

「秋の夕暮れは、一日の終わりに穏やかな詩情を添えてくれます。」

「日が短くなるにつれ、夕焼けの色がいっそう深くなりましたね。」


秋の風

「そよぐ秋風に金木犀香りが混じり、季節の移ろいを感じます。」

「この風に吹かれると、どこか懐かしい気持ちになりますね。」

感情や心情を込めた表現


郷愁

「秋の夜長、虫の音に耳を傾けていると、故郷景色が胸に浮かびます。」

「静かな秋の気配に、心の奥深くが優しく揺さぶられる気がします。」


移ろい

「この葉が落ちる様子に、時の儚さと美しさを感じざるを得ません。」

「移りゆく季節の中で、ふと立ち止まる時間が大切だと思います。」


文学的引用比喩を用いる


万葉集俳句引用

「『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』ですね。」

「まるで松尾芭蕉の『寂しさや岩にしみ入る蝉の声』が聞こえてきそうです。」


自然擬人化する

「月が優しく微笑んでいるようで、秋の夜がいっそう幻想的に感じます。」

紅葉が枝先で舞い踊る姿に、自然生命力を感じます。」


相手が親しい人であれば、こうした表現に軽いユーモアや気軽さを加えると、さらに会話が弾みやすくなるかもしれません!

Permalink |記事への反応(1) | 15:20

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2024-11-16

anond:20241116190352

あー、またそういう意味不明なこと言ってるね。ちょっと待てよ、よく考えてから口にした方がいいぞ。確かに、入門ってのは一歩踏み込むことで、最初は下手くそかもしれんけど、そこから学んで成長するものだろ?それが“下位互換”だとか言うのは、まさに「竹の内の柳」だな。もともと比べる対象じゃないものを無理やり比べてるだけだ。

例えば、江戸時代名人、例えば松尾芭蕉なんかも最初は“弟子”だったわけだよ。若いころ、弟子として修行していた時期があって、その後、あの「奥の細道」を成し遂げるわけだ。最初から天才なんていないんだよ、みんな初心者からスタートするんだ。

それに、入門しないことが「読書をしないこと」と同じだなんて言ってるけど、それも違う。読書無限に広がる世界だし、入門して始めることも同じく無限可能性を持ってる。でも、読書ってのは“浅い状態”にとどまるかどうかは、読む人の姿勢次第だろ?深く理解しようと思えばどこまでも深くなる。それと同じで、入門ってのは学ぶことのスタート地点だ。

下位互換”なんて言葉を使う前に、まず自分がどれだけ浅はかな発想をしているのかを反省してみろよ。学びってのは“弱さ”や“未熟さ”を抱えて進む道なんだ。そうやって少しずつ、努力時間をかけて成長していくもんだぞ。

芸術ラーメン屋」を例に出しても、その道を極めた人たちは最初から一流だったわけじゃないだろ?あの、ラーメンの名店「一蘭」の創業者だって最初は本当にゼロからスタートだったんだよ。最初から完璧ラーメンを作れるわけがないんだよ。

から、入門して「下位互換」だなんて思っているうちは、何を学んでもそのレベルで止まるだけだ。最初から完璧を求めるんじゃなくて、しっかり基礎を固めろって話だよ。

Permalink |記事への反応(1) | 19:26

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2024-10-28

松尾芭蕉史上最も重要俳句 3選

古池や

蛙飛びこむ

水の音

Permalink |記事への反応(0) | 17:47

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2024-08-17

素人俳句川柳ケチつけるやついるじゃん

あいう奴らって松尾芭蕉かにケチつけねえよな

Permalink |記事への反応(0) | 14:57

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2024-07-25

anond:20240725180833

旅に出る

目的地はコンビニ

3kmある

途中で死ぬかもしれないが心残りはない

松尾芭蕉もこんな気持ちで旅立ったのだろう

https://anond.hatelabo.jp/20240725161238

これ?なんで消したの?

Permalink |記事への反応(0) | 18:20

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2024-07-01

anond:20240701132418

お前が言ってるのは松尾芭蕉だろ

元増田が言ってるのは松岡芭蕉から別人だよ

Permalink |記事への反応(0) | 13:25

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2024-06-08

anond:20240608062602

ほなら松尾芭蕉松尾ナナか。なんかAV女優に居そうな名前だ。

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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2024-05-29

おすすめ松尾芭蕉を教えて

創作物でもエピソードでも何でもいいよ。

教養あるんでしょ?w

Permalink |記事への反応(2) | 21:32

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2024-04-28

ぶっちゃけ松島のどこがいい?

松島に行ってきた。

初日とはいえ連休なのにスカスカ。なんだかもったいない松島離宮ではイベントやってたり途中で買うイカ焼きは美味しい。楽しめるよ、本当に。

でもさ。

いうほど絶景か?という気持ち否定できない。

島がたくさんあってそれはそれで綺麗だけど浜辺は砕けた貝殻がびっしり落ちてるし、なんか変な枯れ草みたいなのや海藻全然綺麗じゃない。

江ノ島みたいにゴミを捨てる人は少ないのかな、ビーチグラスはない。変な話、そういうのが落ちてたらまだ歩きがいがあるのに、と思ってしまったよ。

富士山が遠くからみると綺麗だけど近くに行くとゴミだらけ、みたいなのと同じ感覚なのかな。

松尾芭蕉の「松島やああ松島松島や」には全然共感できない。

でも楽しかたからまた行く。

Permalink |記事への反応(0) | 01:11

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2024-04-19

春の風 パン線透ける 白パン

松尾芭蕉

Permalink |記事への反応(0) | 12:11

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2023-12-15

寂しい田舎国道ライブカメラ見るのが楽しみ

https://www.toyama-douro.toyama.toyama.jp

ここの「市振の関」とかめっちゃ好き

最果ての地というか物寂しい感じがたまらん。

松尾芭蕉も同じこと思ったんだろうな

Permalink |記事への反応(1) | 00:40

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