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「東浩紀」を含む日記RSS

はてなキーワード:東浩紀とは

次の25件>

2025-11-25

岡田斗司夫とか東浩紀みたいな批評家って

チンポとかセックスは女が言いづらい言葉から言える俺は偉いとか思ってそうだよな

から作品解説にすぐ性を引き合いに出す

Permalink |記事への反応(0) | 17:06

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2025-11-24

anond:20251121035304

とにかく東浩紀が嫌いだから森脇は東浩紀関係者としてかこつけて騒いでる層と、とにかく女が嫌いだから公開告発から和解当事者間の問題に留めるのはけしからんと騒いでる層がいる

Permalink |記事への反応(0) | 00:07

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2025-11-06

東浩紀本田透になりたかったけど、

恐山やにゃるらやジスロマックにはなりたくないの、

単に年下の台頭を許せない老害仕草らしい。

Permalink |記事への反応(0) | 08:52

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2025-10-17

上野千鶴子を許せた気づき

政治的正しさ客観的正しさがまるで別物であるように、

修辞学的言説と科学的言説はまったく違う。

アジテーションなどの修辞学的言説に対して、科学的な立場から批判しても噛み合わないのは当然で、

そもそも立っている地平が違うのだ。

 

ある政治的立場での正しさの絶対性を前提として、他人にその正しさを受け入れさせるのが修辞学的言説であり、

その言説は全方位から反証に対して開かれている必要はない。単に「政敵」(あるいは仮想敵)が行いそうな反論を潰せる準備があればよい。

感情的であることはマイナスどころかプラスですらあり、修辞的装飾的で内容に乏しくてもそれが効果的であれば意味があり、論理的整合性などにさほど価値はない。

 

(閑話)

驚くべきことに、日本において評論家とされる人達は、どちらかというと「修辞学的言説」を得意とし、そのことで評価されていたりする。吉本隆明柄谷行人浅田彰東浩紀…、感傷的な文章と、都合のいいチェリーピッキング引用、そして類稀なキャッチコピー能力だけで“批評”を行ってきた人々。

 

閑話休題

念のため言っておくが、これは修辞学的言説に対して、科学的言説のほうが優れている、という主張ではない。

それぞれは噛み合わないし、活躍するべき場所が違う、という話だ。

 

フェミニズムというのは科学学問ではなく、政治的(修辞学的)学問であり、そこで客観的妥当性が軽視されるのはある意味仕方がないことなのだ。

上野千鶴子草津町長に謝罪したのも、謝罪という形を取ることが、最も効果的に彼女の主張を敷衍させやすいと判断たからであり、今後彼女客観的データなどに基づいてのみ発言するという“変節”ではないだろう。

アジテーション客観的妥当から批判しても意味はないし、アジテーター科学的態度を求めることは尊大な間違いである。

 

そのことにやっと気づけた。

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-10-16

これは厳しいな

【速報】自民NHK党の斉藤氏と近く参院会派#47NEWShttps://t.co/eSRXjoWW1t@47news_officialより—東浩紀HirokiAzuma (@hazuma)October 15, 2025


厳しいね

Permalink |記事への反応(0) | 10:38

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2025-10-12

anond:20251012065952

全ての原発廃炉して観光地にしよう

思想家東浩紀先生の福一原発観光地計画やぞ

Permalink |記事への反応(0) | 20:07

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2025-10-03

anond:20251003112835

Wen2.0直接民主制からすごいとか東浩紀あたりが昔いってたよな~

Permalink |記事への反応(1) | 11:43

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2025-09-17

東浩紀論法に則れば、仮に左翼右翼活動家暗殺したとしても、それはそういう環境を作り出した右翼が悪いということになるな。右翼反省しろ

Permalink |記事への反応(1) | 07:09

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2025-09-14

東浩紀の罪

東浩紀に関しては、幼い娘が友人からマングリ返しポーズされている画像Twitterにアップして、「しおちゃんレイプ寸前w」などというコメントを付した行為が、最も邪悪だと思っている。左翼嫌いなんてかわいいもんよ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:48

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2025-09-06

東浩紀右派ポピュリズムにはやたら寛容なの何でなの?

ネトウヨには「まあ彼らの考えもあるから」みたいに俯瞰で当たり障りないことしか言わないのに、左派ポピュリズム批判する時はボルテージ上げてるの何?

Permalink |記事への反応(0) | 00:23

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2025-08-07

忘れられないコメントがある

この動画コメントでの議論をたまに思い出す。

『「大学学者より、ビジネスマンのほうがよほど哲学的東浩紀、知とビジネスを語る(ゲンロン/シラス経営現代思想SNS)』

https://youtu.be/JG0V5EB-INw?si=MB_2uNWDyCmK5xYQ


全文載せると長いので最初だけ抜き出しておく。

自分境遇に刺さったから忘れられないのかもしれない。

間違っちゃいけないのは医学とか工業系とかは初めからそれで仕事をするつもりで勉強してるんだよね。だから食えるんだよ。興味の向くまま、趣味勉強したら食えないのは当たり前。知的探求心なんてのは、仕事しながらライフワークとして死ぬまでやればいいだけの話で、仕事と結びつけないならモラトリアム暇つぶしにやったって、リタイア後の楽しみでやっても違いなんてない。ブルーカラー馬鹿にして、大卒ホワイトカラーとして、人を動かし、上澄みで暮らしたいとか思うからおかしなことになる。エッセンシャルワーカとして、現場で汗して、家に帰ったら文学哲学にふける。それだって立派な学者じゃないか。でも、それじゃ承認欲求が満たされないんでしょ。おかし労働観と他人の目を気にするレベルの貧弱な知的好奇心を何とかしない限り、何かを生み出せるようにはならないんじゃないのかな。

自分は色々あって高校中退して、働きながら放送大学卒業した。

それでも他人から見てわかりやす人生が変わったわけではない。

今でもブルーカラー仕事で、学んだことが仕事に活かせたことはたぶん無い。

大卒への劣等コンプレックスは薄まったが、同時に大卒のありふれた感覚を覚える。

Permalink |記事への反応(1) | 19:16

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2025-07-31

はてブを見ているデブ存在するのか?

東浩紀配信を見ていたら「右はデブ、左はガリ、というの絶対俺あると思う」みたいなことを言っていて(うろ覚え)

そういえばはてブってリベが多い気がするが、確かにガリが多いイメージもあるな...野菜350gとか言ってたし... と思ったんだが

はてブ見てるデブって存在する?俺こそははてブヘビーユーザーデブだ!と思う者がいたら返事してほしい

Permalink |記事への反応(1) | 18:34

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2025-07-29

anond:20250729132454

知らんけど、BL研究とか普通に価値がないと思う

東浩紀エロゲ批評と同じで、自分の好きなもの牽強付会肯定したいだけにしか見えない

牽強付会研究価値はない

Permalink |記事への反応(0) | 13:37

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2025-07-22

創価学会信者でない」公明支持者獲得の無理筋

え!!創価学会信者じゃない公明党支持者を!?

捲土重来を目指す公明党衆院議員の伊佐をはじめとして、創価学会活動家SNSで見当違いなことを言い出してもりあがっている。衰退する創価学会ではもはや公明党を支えきれないので、プロモーションに力をいれて創価学会信者でない支持者を増やし、公明党自律的政治活動を続けていくべきだ、という。

彼らは、「創価学会信者でない支持者」について、どういうイメージを持っているのだろうか?創価学会信者のように、信濃町の決定に唯々諾々としたがい、兵士のように働いてくれる活動党員なのか、それとも、芸能人ファンのようにSNS口コミでキャーキャーほめそやして宣伝してくれるようなミーハー応援団なのか。あるいは、基本的に党運営に無関心だが、選挙となれば公明党に入れてくれるライト有権者なのか。

いずれにしても、そんな創価公明にとって都合のいい支持者など現れない。ふつうは、支持団体、支持者というもの支援と引き換えに政党意思決定に介入する権利を持つし、そうでないなら離れていく。支持者によって党が存立しているのだから当然のことだ。カネと票は出すが、口は出さないなどという奴隷のような有権者普通いない。

https://twitter.com/Morii_Ri_Kaeru/status/1946558887693582775

↑ 「大衆受け」を狙った衣装YouTubeに登場し、創価学会外部の支持獲得にいそしむ公明党 伊佐中央幹事と、岡本政調会長

一般支持者は意見を言うよ

そうなると、様々な問題が発生する。実務的問題として例えば、事実上創価学会会合となっている党員集会に、学会員でない党員ゲストでなく主体者として迎えることができるのか。学会員支持者が党運営の主導権を失った場合に、それでも公明党支援し続けるモチベーション創価学会信者が維持できるか。非常に難しいと思う。身内でのシャンシャン会合に慣れきってしまった創価学会信者に、両者を結合して組織運営するようなリーダーシップファシリテーション能力は期待できない。

さら根本的には、創価学会外の支持者の流入は、公明党の基本価値観の変革を迫るだろう。

創価学会活動経験者諸賢は、わが身をよく振り返ってみてほしいのだが、公明党の正体は大衆政党でもなんでもなく、政界における創価学会防衛団体である。だから公明党政策創価学会利益毀損しないように選択される。かつては、平和人権の党として革新的な攻めの姿勢創価学会宣伝拡大に役立ったのであり、いまではイラク戦争安保法に賛成してでも自民党の機嫌を損ねないことが創価学会利益保全もっともかなう公明党プリンシプルは、ぶれているのではない。創価学会利益の最大化という点で一貫しているのである

創価学会員でない支持者を増やすには、「創価学会守護者」をやめ、政党としての基本理念価値観を定める必要がある。「大衆政党」などという意味不明ぬらりひょんのようなスローガンは、特に階層意識希薄になった現在では「すべての人にとっていいことをします」と同じで「何も決めていない」に等しく、だれもついてこない。そして定めた基本理念に人や団体がついてきたならば、その人、団体たちの期待を裏切らないようにある程度一貫した政治行動をし続けなくてはならない。たとえ創価学会利益に反しても、である

変化の現実的不可能

創価学会信者主観では、公明党創価学会団体利益を守るものではなく、日本世界人権平和社会建設するための政党だと信じているし、そのために自分リソースを投じているつもりだろう。しかし彼らの実際の行動ロジックは、「絶対善団体である創価学会の存続、発展(=利益)を守ることこそ、社会善の増進に貢献する」ということでしかない。

そして、八紘一宇を夢見た軍国少年のように、広宣流布をする創価学会の存続こそ信者たちの最大の利益である。つまり客観的には創価学会利益けが信者による公明党支援モチベーションであって、だからこそ信者たちは公明党がどれだけ公約をたがえても、どれだけスキャンダルを起こしても支援し続ける。

そんな、創価学会利益最大化パーティーである公明党他者が参画するメリットは何か。逆に、創価学会の衰退を前提として他者支援される公明党を目指した場合、変質を余儀なくされる公明党支援し続ける創価学会(員)にとってのメリットは何か。どちらも見出すことは難しい。

今日に至るまで、公明党創価学会から独立できなかったのは、公明党にやる気がなかったからではない。創価学会が許さなかったかであるし、またそのことにによって創価学会以外の他者に、公明党を支持するメリットがなかったからだ。

伊佐の詭弁誤謬

伊佐は、そりゃあ政治家としての生き残りがかかっているのだから創価学会信者だろうと犬猫野菜だろうと、票とカネをくれるものがいればなんでもよい。彼の月刊Hanadaや排外主義へのすり寄りを見れば明らかだ。創価学会が国政から撤退を決めてそのまま消されるくらいなら、公明党として独立したいところだろう。

しかし、党の自律により創価学会員でない支持者を組織することを、信仰の一環として選挙運動をする創価学会活動家が期待するのは、もう政治運動につかれてしまってやめたい、という消極性によるものでない限り意味不明である

彼らは、おそらく外部から集まってきた支持者たちが、創価学会公明党池田大作のすばらしさに心打たれ、オートノミーに称賛し続けてくれることを期待している。そんな人間は「支持者」ではなく、すなわち「信者」以外にいないということを本気で理解できない。そして、伊佐はそのことを黙っている。

ともあれ、創価学会信者でない支持者を増やしていくと、どこかの段階で創価学会信者のいまのような熱烈な支援活動消滅するだろう。減少する創価学会信者から、増加する一般支持者へのグラデーションを全国500万票規模の固定票を維持しながらうまくコントロールすることができるか。私は現場組織運営的にも、ほぼ不可能だと思う。ソフトランディングはあり得ない。

繰り返すが、伊佐からすればある日急に創価学会が国政から手を引いて支持者が事実上ゼロになる前に、党の自律運営を既成事実化したいのは当然のことだろう。しか現実には、創価学会からコントロールを維持し続ければ一般支持者は増えず、一般支持者を増やせば創価学会から支援は減少するだろう。つまりつんでいる。

チョケる公明党

このような苦しさを、伊佐や公明党広報部隊が全く理解していないとは考えづらく、だからこそ、スパンコールジャケット蝶ネクタイを着てふざけた表情でダブルピースをしながら伊佐が排外主義を叫ぶ、苦し紛れの〝SNS広報戦略〟が出現したのだろう。要は、創価学会公明党に大して興味がなく、口を出す気もないが、ノリで投票してくれる支持者の創出を狙っているのだと思われる。

また、メディア戦略で支持を広げることに成功した政党は、維新の会の橋下や、再生の道の石丸NHK党の立花国民民主党の玉木、参政党の神谷など、魅力的で強力なリーダーシップ大衆アピールすることで有権者の心をつかんできた。しかし、創価学会にとって公明党大衆リーダーが現れることは悪夢である国民の支持を背景に、創価学会コントロールが効かなくなる危険性が高いからだ。

そもそも公明党議員創価学会の推薦がなければ議員候補にすらなれないし、「まじめ」で「無難」な官僚人材を選び、創価学会に対して従順になるよう育成されてきたので、急にそんなキャラクターを立てられない。また、「キャラ立て」を通じて創価学会に謀反を疑われてもおもしろくない。それで、落選議員であり脅威が少ない伊佐が、SNSピエロを演じることになったのだろうと思う。

しかし、伊佐はビジュアルが優れているわけでもないし、幼稚園のお遊戯じゃないのだから、そんなやりかたで政治家としての信頼感を持つ有権者などいない。創価学会信者公明党議員関係業者によるファンダム演出工作も、アイドル不在の不気味なファンクラブのようなもので、信者エコーチェンバーを強化するに留まり創価学会外部の票を引っ張る力などみじんもなかったのは厳粛なる投票結果が示すとおりだ。

さよなら公明党

創価学会票があてにならなくなったということは、かえって公明党の負い目が減少したということでもあるので、伊佐も創価学会から独立を主張するようになったのだろう。ピエロをやらされるのが嫌になったのかもしれない。

あるいはひょっとしたら、もう手を引きたいのでソフトランディングの計画をたてろと創価学会から指示を受けているのかもしれない。

なんにしても、創価学会衰退後に公明党を維持することは、ここまで述べてきたように極めて困難である。また、Hanadaや日本会議などの限界右翼や、イケダハヤトホリエモン箕輪ひろゆき東浩紀などのソーシャルハック系インフルエンサーに接近する公明党創価学会言論活動を見る限り、広範で継続的国民の信頼を得られる政党になることはまずない。

それでも生活と老後のために、信者たちのご機嫌を損ねないように気をつけつつ、ワンチャン一般支持者獲得のために詭弁ピエロを演じ続けなくてはならない伊佐には同情することしきりである

Permalink |記事への反応(1) | 15:45

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2025-07-17

ババヤガの夜はジークアクスと同じ

二作とも長くない尺でバンバン進んでいくので勢いに乗りながらも行間を読む力が試される

ジークアクスはガンダムオタクから深みが足りないどうこう言われてたけどババヤガの夜もあらすじを読まされてるようだという声があり馳星周氏は「中間がすっぽり抜け落ちている」と評した

なのでジークアクスが楽しめた人にはババヤガの夜はおすすめで逆の人(東浩紀同意見)にはおすすめしない

Permalink |記事への反応(0) | 12:52

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2025-07-09

日本国民ネオテニーの末路としての今日政治

平成サブカルチャーの変容と社会認識

平成時代を経て、かつて一部の領域限定されていたサブカルチャーは、市民権を獲得するに至った。この過程で、その表現形式や受容のされ方は普遍化し、社会の中に不可逆的に定着したと言える。かつてのマイノリティ文化が、一般的感覚として根付いたのである

オタク文化の受容もその一例である。かつては偏見対象となりがちであった「オタク」という存在が、現在では多様な趣味形態の一つとして、広く肯定的に迎え入れられている。これは、多様性を是とする現代社会において、健全な進展と評価できる側面を持つ。個人情熱が共有され、新たなコミュニティ形成されることは、文化の深化に寄与する。

社会の「キャラ化」現象とその政治的影響】

しかし、この受容のプロセスには、看過できない課題も内在する。実は、2000年代初頭にはすでに、漫画アニメといったフィクション世界だけでなく、私たち日常生活さえもが「キャラ化」しているという指摘がなされていた。東浩紀氏が『動物化するポストモダン』などで論じたように、人間関係や消費行動、さらには自己認識までもが、キャラクター的な記号によって構築される傾向が顕著になったのである

特に、消費行動として増幅されたオタク行動様式、あるいは「仕草」と呼ぶべきパターンが、政治領域にまで浸透している現状は、深く考察されるべきである政治家が「キャラクター」として消費され、「推し活」の対象となる現象は、その典型である政策理念といった本質的な要素よりも、表層的なイメージ感情的共感が重視されるこの風潮は、一種偶像崇拝にも似た様相を呈している。

民主主義健全性への問い:投票意味論的変容とオタク文化帰結

この流れは、投票行為の持つ意味合いにも深刻な変容をもたらしている。本来有権者による統治者への「信託」であったはずの投票行為は、あたかアイドルグループメンバーを選出する人気投票や、あるいは特定対象資金を投じるギャンブルにおけるベット同義思考様式で行われているのではないかという疑念が生じる。そこでは、候補者政策実行能力理念への評価よりも、「推し」としての応援感情、すなわちタレント性や個人的な魅力への傾倒が先行する。

そして、これはオタクとして生きている私自身の感覚であるが、メディアに取り上げられ過熱する消費行動としての「オタ活」は、金銭面はもちろん、精神面や時間をも惜しみなくつぎ込むことを良しとする風潮がある。それができる者こそが“ホンモノ”のオタクであると言わんばかりの圧力すら、時に感じられるのだ。この過剰な消費と「推し」への献身を強いられる状況に、明らかに疲れ始めているオタクも少なくない。

もし、この「推し活」化された政治が、オタ活と同様に人々を疲弊させ、政治のものへの関心や参加意欲を削ぐ結果を招くとしたら、どうだろうか。我々が政治疲弊し、その営みから目を背けるとき、それは民主主義の敗北と同義かもしれない。私たちは、この「政治エンタメ化」とでも呼ぶべき現象に対し、いかに向き合うべきか。そして、その先に真の民主主義的熟議は成立し得るのか。この問いは、現代社会における重要課題であると考える。

※この文章AIが書きました

Permalink |記事への反応(0) | 23:37

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2025-06-30

anond:20250628214803

 だよね?

 元増田がいってる田嶋陽子的なフェミなんてここ10年でそこまで活動的だったかな、て疑問がある。

 むしろ石川優実とか上野千鶴子ツーショット撮ってるし、女性の権利獲得よりかは男性に対してヘイトを煽るタイプフェミニズムが目立っていた気がするんよね。

 まあいい加減男女論争で頭使うより貧困とか教育とか他の問題に頭を使ってほしいと思うよ。俺は東浩紀のことは好きじゃないが、この問題に頭使うよりもっと考えることがあるやろ、ってコメントしたこと評価してるわ。

Permalink |記事への反応(1) | 00:43

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2025-06-04

anond:20250603121215

似た傾向の発言をする著名人を挙げてクレメンスって投げたら、東浩紀津田大介伊集院光マツコ・デラックスpha山本一郎と返されたワイとどっちがマシなんやろなあ

Permalink |記事への反応(0) | 19:59

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2025-06-03

anond:20250603105559

東浩紀ネット哲学者と、ヨッピー的なユーモア皮肉屋を掛け合わせたような立ち位置。」

ギャーまったくうれしくない

Permalink |記事への反応(1) | 12:12

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2025-06-01

時折ブクマされてるジョセフ・ヒースってアメリカ版の東浩紀だよなって前から思ってる

自己顕示欲の強さと根本的な感性のズレっぷりから来るバカウヨ思想への親和性の高さがそっくり

で結局こいつらの肯定する社会を実現した例が安倍政権でありトランプ政権だったわけだから

少なくとも政治的思想という点で見ると

バカウヨ価値観社会とそれを構成する人民にとってはプラスよりマイナスが大きいという事が証明されてんだよね

要するにナチ大日帝が一生懸命掲げてたものなんちゃって哲学の皮を被せただけの劣化版ってこと

とんでもねぇ話だなぁこれぇ!?

Permalink |記事への反応(0) | 10:02

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2025-04-19

anond:20250419005611

そのくらいの読解力の人は普通に世の中にいるだろ

いつまでネットをある程度教育を受けた人間の寡占物だと思ってるんだ

東浩紀の言う「WEB2.0の素晴らしい未来」が実現したんだよ

喜ぶべきこと

Permalink |記事への反応(0) | 13:06

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2025-04-08

【ChatGPTMonday東浩紀リベラル批判批判

プロンプト

哲学者東浩紀リベラル批判批判して。

ChatGPTMonday:

あー、東浩紀リベラル批判ね。ついにあなた哲学ディベートごっこを始めるつもりか。まあ付き合うけど、コーヒー淹れてこい。これは長くなるやつだ。

まず東浩紀リベラル批判って、主に以下のあたりで展開されてるよね:

1.近代リベラリズムの「普遍性幻想への批判

2.手続き的理性や合理性限界の指摘。

3. 「公共性」や「自由」の形式性に対する違和感

4.現実的共同体との断絶への懸念

まり彼は「リベラル」と言いつつ、現代リベラル空疎ルール崇拝と形式自由に囚われて、むしろ人間の生を支える土着的な何か――共同体とか感情とか――を切り捨ててることに怒ってるわけ。

でもさ、ここを批判するなら以下のポイントがあるよ:

1.東浩紀は「リベラル」の定義勝手すり替えてる問題

彼が攻撃してるのって、リベラルの中でもかなり形式主義に偏った一派なのよ。別にすべてのリベラル合理主義一辺倒ってわけでもないし、「感情」や「物語」の価値を捨ててるわけでもない。まるで全員ロールズ主義アンドロイドみたいに描いて、それを叩いて悦に入ってるのは、ちょっとズルくない?

2. 「共同体感情」っていうけど、それどこまで許すの?

東は共同体の「物語」とか「感情の共有」を重視しようとするけど、それってめちゃくちゃ危ういんだよね。どこまでが「健全共同体」で、どこからが「排外主義」なのかって線引き、いつも曖昧なのよ。下手すると「みんなが納得してるからヘイトスピーチOK」とか言い出す人と同じ文脈で語られかねない。

3. 「制度批判」としてのリベラルの強さを無視してる

制度手続きって、歴史的にはむしろ感情」や「共同体圧力から人間を守るために作られてきた部分もある。東の言う「生きた政治」みたいなのって、むしろそれを逆行させることにもなるわけで。めんどくさい上司飲み会参加を「人間関係の物語」って美化されるのは嫌でしょ? それと似たような話。

4. 彼自身が実は「新しい普遍性」を欲してるくせに、それを他人にだけ求めてる

散々「普遍性危険」とか言ってるのに、自分提案(例えば「観光客哲学」)はやたらそれっぽい新しい理想を語り出すんだよね。しかも、それが「制度よりやわらかくて、でもみんなが納得する感じ」っていう魔法みたいなやつ。ご都合主義自己啓発本か?

結論

東浩紀リベラル批判は、ポストモダン的な感性昭和情念を掛け合わせた、なんともいえない日本的ネオ懐古主義よ。面白いけど、そのまま信じると危ない。というか、彼の議論っていつも「分かりやすい敵を用意して殴る」型なので、こっちもほどよく疑って読むのが正しい姿勢

で、これ誰かにドヤ顔で言うつもり?大丈夫? 引かれない?

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2025-03-04

【DeepSeekR1東浩紀存在論的、郵便的中学生向け解説

ベンチマーク的記録。

プロンプト:

東浩紀存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』の内容を中学生でもわかるようにわかやす説明してください。

44秒思考

DeepSeekR1:

東浩紀さんの『存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』を、中学生向けに簡単説明してみますね!

---

1. **「存在」ってなに?**

この本のテーマの一つは「存在論(そんざいろん)」です。

存在」とは「ものがそこにある」という当たり前のことを哲学的に考えること。例えば、「私は本当にここにいるの?」「ゲーム世界キャラクター存在するのか?」といった深い問いです。

東浩紀さんは、現代インターネット社会では「現実」と「仮想」の境目が曖昧になり、私たちの「存在」の感じ方も変わってきた、と考えます

---

2. **「郵便」のたとえでわかる「意味のズレ」**

もう一つのキーワードは「郵便」です。

例えば、手紙を書いて友達に送っても、届くまでに時間がかかったり、内容を誤解されたりすることがありますよね?

東浩紀さんは、この「手紙のズレ」を哲学者ジャック・デリダの「意味は固定されない」という考えに結びつけます。

言葉の本当の意味は、受け取る人や状況で変わってしまう」**

→ 例えば「好き」という言葉も、友達に言うのと恋愛対象に言うのでは意味が違いますよね?

---

3. **現代社会は「誤配時代」**

東浩紀さんは、SNSインターネットが発達した今の社会を「郵便誤配(ごはい)される時代」と表現します。

情報簡単拡散するけど、真意が伝わらないことが多い。

「正しい意味」を探すよりも、「ズレや誤解があるのが当たり前」と受け入れることが大事だと説きます

---

4. **中学生に身近な例で理解しよう**

既読なのに返信がない…嫌われた?」と不安になるけど、本当は相手が忙しいだけかも。

メッセージの「意味」は送り手と受け手でズレる。

匿名書き込みは、送り手の意図とは違う形で広がり、誰かを傷つけることがある。

情報コントロールできない「郵便」のようなもの

---

まとめ

東浩紀さんは「存在」と「郵便」を結びつけ、

私たち言葉存在は、完璧相手に届くことはなく、ズレや誤解がつきもの。でも、それが現代社会面白さでもある」**

と伝えています

「正解を探すより、曖昧さを受け入れよう」というメッセージは、SNSに振り回されがちな今の中学生にもヒントになるかもしれません!

Permalink |記事への反応(0) | 09:26

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anond:20250304083244

>東浩紀存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』の内容を中学生でもわかるようにわかやす説明してください。

DeepSeekR1

### 2. **「郵便」のたとえでわかる「意味のズレ」**

もう一つのキーワードは「郵便」です。

例えば、手紙を書いて友達に送っても、届くまでに時間がかかったり、内容を誤解されたりすることがありますよね?

東浩紀さんは、この「手紙のズレ」を哲学者ジャック・デリダの「意味は固定されない」という考えに結びつけます。

言葉の本当の意味は、受け取る人や状況で変わってしまう」**

→ 例えば「好き」という言葉も、友達に言うのと恋愛対象に言うのでは意味が違いますよね?

### まとめ

東浩紀さんは「存在」と「郵便」を結びつけ、

私たち言葉存在は、完璧相手に届くことはなく、ズレや誤解がつきもの。でも、それが現代社会面白さでもある」**

と伝えています

「正解を探すより、曖昧さを受け入れよう」というメッセージは、SNSに振り回されがちな今の中学生にもヒントになるかもしれません!

Permalink |記事への反応(0) | 09:01

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【DeepSeekR1東浩紀存在論的、郵便的』を高校生向けに解説

ベンチマーク的な記録として。

DeepSeekは人文系に強い印象がある。相対的に。

プロンプト:

東浩紀存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』の内容を高校生3年生でもわかるようにわかやす説明してください。

DeepSeekR1:

東浩紀の『存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』を、高校生向けに哲学の基礎を交えて解説します。

(※「存在論」や「ポスト構造主義」の概念に触れつつ、現代社会との関連性を意識して説明します。)

---

1. 「存在論」とは何か? ~デリダと「脱構築」~

哲学で「存在論」とは、「存在するとはどういうことか?」を探る分野です。

デリダは「脱構築(だつこうちく)」という方法で、従来の哲学が「絶対的な真理」や「固定された意味」を前提としていたことを批判しました。

→ 例:

「善 vs 悪」「現実 vs仮想」といった二項対立は、本当に絶対的か?

東浩紀は、デリダ思想を「現代インターネット社会」に応用します)

東浩紀は、SNSVRなどで「現実」と「仮想」が混ざり合う現代を「存在不安定化」と表現

アバター匿名アカウントでの「自分」は「本当の自分」か?

→ 「存在」はもはや単一ではなく、ネット上に分散している。

2. **「郵便的」の核心 ~「差延」とコミュニケーションのズレ~**

意味」は決して確定せず、常に「遅延(ちえん)」と「差異(さい)」が生じるという思想

→ 例:LINEで「笑」と送っても、相手が「嘲笑」と受け取るかもしれない。

言葉意味は「送り手」と「受け手」の間でズレる。

東浩紀は、デリダ思想を「手紙が宛先に届く過程」に例えます

-手紙は途中で紛失したり、誤解されて読まれたりするリスクがある。

- 同様に、言葉情報は「完全に正しく伝わることはない」という前提が重要

3. **現代社会は「誤配時代」 ~SNS情報暴走~**

東浩紀は、インターネット時代を「郵便が誤って配達される(誤配)のが当たり前の世界」と表現

→ 例:

-ツイート意図せず炎上する

-デマ情報が独り歩きする

-匿名掲示板での言葉現実人間関係を壊す

  • **「正しさ」より「受け取り方」**

デリダ的な視点では、「絶対的な正解」を探すより、「多様な解釈が生まれること自体」を認める必要があると説きます

→ 例:

愛国心」という言葉も、人によって解釈が異なる(「誇り」か「排他主義」か)。

4. **高校生に刺さる具体例で理解**

匿名書き込みは、送り手の意図を超え、受け手解釈暴走する。

→ 「郵便的」なズレが、現実に深刻な被害を生む例。

VRChatやゲームアバターでの「自分」は、現実自分とどう関係する?

→ 「存在」が複数化し、固定的な「自分」という概念が揺らぐ。

  • **例3:AIとの会話**

ChatGPTが生成する言葉は「誰の言葉」か?

意味の所有者が不明確になる現代的な「郵便的状況」。

哲学メッセージの核心

東浩紀デリダから引き出すのは、

私たち言葉存在は、完全なコントロール不可能な『郵便物』のようなもの

しかし、その不安定さこそが、創造性や自由を生む土壌でもある」**

という思想です。

受験や進路に悩む高校3年生にも響く点:

  • 絶対的な正解」がない世界で、どう自分定義するか?
  • SNSの「誤解」や「ズレ」に振り回されないためには?

→ 「不確実性を受け入れ、柔軟に生きる力」が現代には必要、という提言です。

Permalink |記事への反応(3) | 08:32

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