
はてなキーワード:東武日光線とは
私は栃木市に住んで十数年。
通勤・通学、買い物、遊び、何をするにも東武日光線は生活の一部だった。
だからこそ、ここ数年の“改悪ダイヤ”の連続には、怒りと落胆しかない。
■2013年:減車の衝撃「なんで4両に減らすんだ」
朝の通勤通学時間帯はただでさえ混むのに、車両が減ったらどうなるかは誰でも分かる話だ。
なのに、実際にやってしまった。
座れないどころか、身動きできないことも増えた。
「何のためのダイヤ改正なんだ」と市民の間で話題になったのを覚えている。
そして2017年。
乗り換え必須
一夜にして数十年前レベルまで後退した。
昔、職場の後輩が「日光線は便利で羨ましい」と言ってくれたことがある。
■2018年~:20400型導入「新車なのにローカル線扱い」
20400型が入ると聞いたとき、
「ようやく快適な車両になるのかな」と少しだけ期待した。
と痛感した瞬間だった。
快速が廃止されても、まだ“何かしらの代替”が来ると期待していた。
だが実際は、
「代わりは特急です。料金払ってください」
市民の生活をまったく理解していないと言われても仕方がないだろう。
「便利だった路線」が完全に「お金を払わないと速く移動できない路線」になってしまった。
その質の低下は、街の価値にも直結する。
直通性低下で東京が遠くなった
「使いにくい路線」という印象の定着
「住みやすい街」と胸を張って言えるだろうか。
かつて栃木市は、
“都心にも出やすく、落ち着いて暮らせる町”と評価されていた。
だが今は、
「なんでこんなに不便になったの?」
私たちは贅沢を言っているわけではない。
昔のように直通を増やしてほしい
追加料金を払わなくても便利に移動できる路線であってほしい
ただそれだけだ。
それなのに、返ってきたのは
減便・減車・分断・値上げ。
これでは、「栃木市の生活水準を下げたいのか」と言われても仕方がない。
利便性を下げ続けた結果ではないのか?
鉄道が不便になれば、みんな車に乗る。
それを「やっぱり利用者が減った」と言うのは、
■ 結び:栃木市民の願いはただ一つ
かつて東武日光線の快速が北関東と東京を一直線に結んでいた時代を覚えているだろうか。南栗橋を越え、板倉東洋大前を経て、学生や通勤客を運んだ列車たちは、今や歴史の中に葬られた。廃止・減便・分断——それがこの十年、東武鉄道の選んだ道だった。
2013年、南栗橋以北のローカル列車は6両から4両に減車された。輸送需要の減退を理由に挙げたが、実際には「コスト削減」の名のもとに地域の足を削いだに過ぎない。2017年には快速が全廃。南栗橋で完全に系統が分断され、浅草から一本で行けた板倉東洋大前も、今や乗り継ぎ必須の「半島」と化した。
東洋大学板倉キャンパスが撤退を決めたのも、この“鉄道の断絶”が大きな要因とされる。通学の利便性を信じて作られた長大なホームは、地下鉄直通延伸という幻の夢とともに放置されている。延伸どころか、線路は今や孤立した「ローカル支線」のような扱いだ。
それでも東武は、リストラ路線を止めなかった。2018年以降、20400型という省エネ車両を投入し、効率化をアピール。しかしそれは「利益を削らず、地域を切る」ための手段でしかなかった。
そして2023年。快速の代替を掲げた特急「リバティ」は、追加料金という形で再び庶民の足を奪った。安価な快速を廃止し、値上げされた特急に乗れと迫る――これを“顧客サービス”と呼ぶのなら、鉄道会社の社会的使命とは一体何なのか。
かつて東京から日光までを走り抜けた東武の快速は、北関東の象徴だった。だが今や、その鉄路は企業の合理化と怠慢の象徴である。ホームだけが未来を信じて伸びたまま、列車は来ない。
地方の衰退は、いつも交通の衰退から始まる。南栗橋の分断は、単なる運行上の判断ではない。それは、東武鉄道が「地域と共に生きる」姿勢を捨てた瞬間の記録なのだ。