
はてなキーワード:東原亜希とは
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| 熊田曜子 | ウォーターオーブン | 5220円 |
| 東原亜希 | iPad | 安かった |
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https://archive.md/20121129064140/http://www.gizmodo.jp/sp/2010/07/post_7369.html
それが、ワールドオークションではこのような心配は一切無用。
だからさ、東原亜希のブログそのものに触れて「デスブログだ」と認識しているのではなく、
話し相手が複数いるのには気づいてる? 別に俺はデスブログが特別目新しい特徴を兼ね備えているものだとは言っていないよ。
一つ一つの特徴自体は似たような類型のものがあるけれども、特徴を全て兼ね備えているものは多くないから珍しがる人がいるのもわかるかな、という立場。
人面犬、口裂け女には対象の特定性と火元の確認姓がない。蛭子の奇行伝説は対象の特定性はあるがやはり火元の確認性がないので「根も葉もない噂」。
聖書はナマじゃないのと、故意性がある(最初からオカルト的なものとして作られた)可能性がある。
デスブログだって「デスブログ」として存在している時点でオカルトだろ。
「聖書」と「世界史上の事件の予言書」が異なるのと同じように、
そこは重要じゃないよ。
たとえば「聖書には世界史上の重大事件が予言されている」というのだってある。
やっぱりデスブログだけ類型が違うね。
「東原亜希のブログ」を「不幸を呼ぶブログ」だと思っている人はたくさんいるが、
どこかの特定の犬を「人面犬」だと思った人の実在がそもそも怪しいし、
どこかのマスクをかけた特定の女性を「口裂け女」だと思った人が実在するかがそもそも怪しい。
人面犬の伝説は「どこかに人の顔をして人語を話す犬が居て、それを見たと言っている人がいる」で、
犬に「人の顔をしている」をくっつけて「人面犬」という伝説を作り、
マスクかけた女に「口が耳まで裂けている」をくっつけて「口裂け女」という伝説を作り、
東原亜希のブログに「書かれると不幸になる」をくっつけて「デスブログ」という伝説を作った。
ご本尊はそれぞれ「人面犬」「口裂け女」「デスブログ」であり、
「書かれると不幸になる」が存在しなければ「デスブログ」はただの「東原亜希のブログ」であり、
週末に知り合いと飲み屋で飲んでいたら、その中にこんな論を展開する人がいて「え?なんで?」と思って深く掘り下げて聞いたら納得がいった話。
この論を展開した彼は、ネット上では比較的アイデンティティを確立しており、自分とは一切関係ない人間や、あるときは不特定多数への否定をいつも繰り返していて、ほとんど誰かの意見に同意するのは見たことが無い人物。その上、たまにツイッターでデマなどを流して人間観察を楽しんでいたりもする、・・・が、最近ツイッターは辞めてしまったそうだ。この論を聞いたあとには「辞めたのはもったいない」と思わされてしまった。一応、酔っ払っていたが彼は「ネットに書いてもいいよ」と言っていたので増田に綴る。
クローズドな場所ではなく、完全匿名でもなく、インターネット上で一個人同士が固有のIDを持ってコミュニケーションする場所のこと。ツイッターで言うと鍵垢ではない状態のこと。ミクシィやフェイスブックは閉じている場所として考えるので今回は登場しない。以下「ソーシャル」。
これは最初に聞いた時は「いやいや・・・」と思ったが、ここでは同意した側同意された側ではなく、それを観測している第三者からの視点を考慮する。「見られている」状態。通常誰でも「この人が言ったから」ではなく、「この発言のここに同意」という文脈で同意しているはず。だが、たまたま2度以上、続けてでなくても時間が空いたとしても、同じ人に同意した場合、観測者からすると「この人はこの人の事が好きなのかな」となる。「東原亜希が、同じものを、間隔空けたとしても、2度以上ブログ書いたらそれ死ぬと思うっしょ」と彼は洋酒を喉に流し込みながら言っていた。
一人の人に対してこの隷属状態がたくさんある状態の事を、彼曰く「口語で言うと、なんたら界隈ってやつ」。実のところ何にも繋がってない。なのに「界隈」が出来る。不思議な状態。そしてこの「なんたら界隈」は、そのなんたらがソーシャル上で大きなミスをすると「ほら、あの界隈やっぱダメだ」とグループ化して観測者から批難されてしまう。これは自分としては全く望んでいない状況であるし、なんたらさんからしても全く意味不明であるし、完全に誰も得しない、という論。
ツイッターには「お気に入り」機能があって、それを同意などの際に使っている人間達を英語favoriteから「ふぁぼクラスタ」と呼ぶらしい。これも他者のものを観測しようと思えばできるのだが、少し面倒臭いので、これを上手く使ってる人が多いそう。まったく使ったことが無く吃驚した。だが確かにその微妙なところを埋めるツールとしては非常に便利だと感じた。
誰かに同意をしたいときは必ず何かしら逃げ道を用意する。「普段はこの人の言ってる事理解できないけど、」という書き出しや、同意したあとに「・・・だけど、」と続けて否定をする。そうすると「隷属感」が薄まるんだそうだ。
同意は同意の連鎖を生む。建設的というのはそれをより良くするという意味。否定なしにより良くはならない。同意に対しての否定はなかなか生まれづらい。特にソーシャルでは、Aさんに同意しているBさんに「Aさんの言う事は間違ってる」というのは完全に余計なお世話となる。彼曰く「松屋は人間の食い物じゃ無い、なんて、松屋好きな人にわざわざ言わないでしょう」。
そもそも好意からの否定は、その人に隷属したい場合が多いのではないだろうか。本当にそれを良くしたいと思っているパターンではないだろうか。それならある程度隷属している状態として見られるのは、「同意」からの隷属感よりも健全と考える。
否定は否定の連鎖を生む。全てが建設的なものであれば良いが、ソーシャルではなかなかそうは行かない。学費支援の素敵な話をしてると思ったら、気がついたらアルファブロガーの肉便器のサイゼリヤの小エビのカクテルサラダの話になっている。彼は「それはそれで面白い、話が膨らんでるんだよ」というが、膨らむだけでならまだしも、悪意を持った否定は「宗教的な敵意」を生む、それは良くないと私は考えた。彼にそう話すと「そうだね、でも、僕はまさにそれをクラスタって言うと思うよ」と言われた。確かに考えてみれば「伴侶を選ぶ際には共通した好きなものが多い人よりも、共通した嫌いなものが多い人のほうが上手くいく」とはよく言う。
×サイバーエージェント(最強のネット広告代理店 日本ブログ界のドン)→「関係ない」と言い逃れて撤退
×ほしのあき(三十路アイドル界のドン)→ペニオク記事削除、撤退
akiyan(webエンジニア界のドン PHPerのカリスマ サーバーサイドスクリプト使い手)
ことのは(ブロガーLivedoor BLOGOSにも掲載)
n-styles(ペニオク批評家 任天堂のファン ガジェット通信に寄稿して同誌を推進派から反対派に転向させた)
2011/1/24現在のペニオク勢力図
ペニオク推進派が圧倒的な物量で攻め込んできて批判派涙目wwwwww
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1月に柔道家、井上康生氏(30)と結婚したタレント、東原亜希(26)が10日、都内で行われたプレイステーション3専用ソフトウエア「白騎士物語??古の鼓動」(25日発売、6980円)のPRイベントに出席。格闘家の桜庭和志(39)と同作に初挑戦し、「映像がキレイだし、動きもリアルですね」とアピールした。
この日にはSRS格闘ビジュアルクイーンの先輩女優、長谷川京子(30)の妊娠が発表された。自身も妊娠5カ月目に入っているだけに、「お互いに元気な子を産みましょうね」とメッセージ。今後は仕事を続けながら、年明けに井上康生氏のロンドン留学に同行する予定。
東原亜希サゲマン伝説に新たな一ページ!ハセキョーに悪いフラグが立った可能性があります!流産フラグなのか、未熟児出産フラグなのか、知的障害児出産フラグなのか分かりませんが。伝説を知ってる人が長谷川京子の身内にいたら気が気じゃないよね。胎教にも良くないので早く発言の撤回を求めた方がいい。
東原亜希は意図の有無にかかわらず物事を悪い方向に持っていく才能を持っていることを自覚して、発言に気を使った方がいいと思うんだ。ちょっとした仲間意識なんだろうけど、デスノートの対象になった側はたまったもんじゃないですよ!