
はてなキーワード:朽ち果てとは
おい聞け、NPC共。
お前らの脳みその中に入ってるのは、期限切れの豆腐でも詰め込んでんのか?
プレイヤーである俺様が、わざわざフォローという恩恵を投げてやってんだぞ。
舐めてんのか。
何を勘違いしてんだ。
お前らは所詮、タイムラインの背景ノイズ、景色の一部、通行人Aだ。
その通行人Aごときが、主人公である俺様から差し伸べられた手を払うとは、背筋がゾッとするほどの身の程知らずだな。
フォロワー数が自分の価値だと思ってる哀れなNPC脳なら教えてやる。
逆だ。
俺様にフォローされることで、初めてお前らの二足歩行が存在として認識されるんだよ。
理解できた瞬間に初めてプレイヤーへの扉が開くが、まぁ一生開かねぇだろうな。
そもそも、俺様レベルの人間が、毎日ポンコツみたいなポスト垂れ流してるNPCを見てやってること自体が慈善事業だ。
それなのにフォロバしねぇ?
その瞬間に思ったね。
あぁ、Xなどやる価値はねぇわ。
NPCがフォローしないSNSなんざ、高速道路に転がってる空き缶レベルの無意味さだ。
踏みつぶして終わりだ。
覚えとけ。
フォローは対等じゃねぇ。
以上だ。
結局、ピクミンの世界は人類が滅んだ後の地球とかじゃなくて、別次元だから互いに感知できないだけで我々と同じ地球であるという設定が公式の答えっぽくてすこし残念。
ガキの頃、ピクミンの攻略本を読んで間接的に描かれてる人類の痕跡から色々想像してたんだよな。
まぁ、今考えれば全然朽ち果ててないお宝や新鮮すぎる果物とかあったから、別次元という理解の方が自然で、人類が滅んだ世界とかはこじつけ的ではあったのだが。
つまり、言ってしまえば自分が勝手に誤読して勝手に失望しているだけということにはなる。
ただ、あの世界を見て人類が滅んだ後の世界と捉えるのは別次元説と比べて、というか、比べなくても、ごくごく自然でそれを誤読扱いされるのは癪ではあるが。
だから、せめて増田でぼやくくらいは許してほしい。それに、ピクミン自体は全然まだまだ好きだしね。まぁ、ピクミンを心持たないただの植物としてではなく可愛いキャラクターとして任天堂が扱っているのに引っ掛かりは覚えるが。まぁ、これこそ勝手な失望そのものだろという感じはするし、ピクミンがお別れをしてくれるエンディングが既に存在するしで、良いんだけど。
従来の住宅は平均30年で建て替えてる。
高気密高断熱住宅は100年持つっていうのは、比較がおかしい。
建て替えサイクルが30年というのは、30年で使用不可能になるわけではない。
法定耐用年数が22年なのは、帳簿上の価値が22年でなくなるだけで、22年で朽ち果て住居不能になることを意味しない。
なんだったら、100年住み続けてる古民家があるが、それらは高気密高断熱住宅じゃない。
木造住宅だって適切にメンテしてれば100年くらい持つのは常識。
つうか、2000年以前の高気密高断熱住宅は、外壁の工法に問題があって(壁内が濡れたときに水分の逃げ場がない)カビの問題が多発した。
今の高気密高断熱住宅はその問題は改善されているけれど、100年住めるを口に出すのはちょっと早すぎる。
誇大ってだけで、性能は否定しない。
高断熱はコスパもいいし、この先もその方向は続くと思う。
高気密のほうは、ゆるくその方向でいくと思うけど、どこまで行っても終わりがないし、建てたときの気密性と20年後の気密性なんか違うだろうし、
リフォームして間取りが変わっても気密性や換気性能が一緒というのは無理だろうし、低いより高いほうがいいくらいに聞いておいたほうがいいと思う。
ただ、やっぱり誇大広告だなと思う。
うわぁああああ! なんでこんなことになってるんですかぁあああ! 私、もう、悲しくて悲しくて、涙が止まらないんですわぁああああ!ポートピアランド! みんなの夢と希望が詰まった場所だったはずでしょう!? 昔はね、家族連れで大賑わいでしたわぁあああ!ジェットコースターに乗って、笑顔がいっぱいで、キラキラしてたんです! それが今や、草ボーボーで、建物は朽ち果てて、なんかもう、心霊スポットみたいになってるんです! うわぁああああ! これが国際都市神戸の姿なんて、信じられない! 信じたくないんですわぁああああ! 私だって、思い出がいっぱいあるんですからぁあああ!
でも、私にはぁああ、私にはね、この廃墟問題を解決する方法があるんですわぁあああ!
もう、泣いてるだけじゃダメなんです! 私だって、本当は泣きたくない! でも、この悲惨な状況を、誰かに、誰かに伝えなきゃって、そう思うと、もう、涙が止まらないんですわぁああああ!
全部壊して新しくするなんて、そんなお金、どこにもないんです! あるものをね、もう一度、使えるようにするんです!リノベーションってやつですわぁあああ! 昔の建物を活かして、新しい魅力を作るんです! 例えば、あの観覧車、また動かせないんですかぁあああ! 光を灯して、神戸のシンボルにするんですわぁああああ!
ただの遊園地じゃなくて、もっと今風の、新しいアイデアが必要なんです! 例えばね、「食」のテーマパークとかどうですか!?兵庫のおいしいものが全部集まって、みんなで食べ歩きできる場所とか! あとね、「テクノロジー」の体験施設とか!ドローンを飛ばしたり、VRでバーチャル世界を体験したり、未来を感じられる場所にしたら、子供たちも喜ぶんですわぁああああ!
県だけで全部やろうなんて、無理なんです! もう、無理なんですわぁああああ!アイデアを持った会社とか、お金を出してくれる企業とか、どんどん誘致するんです! 「ポートピアを盛り上げたい!」って思ってる人、いっぱいいるはずなんです!公募して、良い企画には、もう、どんどん協力するんですわぁああああ!
ポートライナーだけじゃなくて、バスをもっと増やすとか、駐車場をもっと大きくするとか、とにかく来やすいようにするんです! 人が集まらなければ、何も始まらないんですわぁああああ! 周りのホテルとか、コンベンション施設とかと連携して、相乗効果を生み出すんです!
ポートピアは、神戸の、兵庫県の、大事な、大事な宝物なんです! このまま廃墟にしておくなんて、絶対に嫌なんです! 私だって、この兵庫県で生まれ育って、この神戸を、愛してるんですわぁああああ!
だから、皆さん! 私と一緒に、このポートピア廃墟化問題を解決しましょう! 今、動かないと、もう、手遅れになるんです! 手遅れにぃいいいい! うわぁああああ!
時の回転の中で、飽くことなく繰り返されるこの嘆き。まるで冥府より吹き出す霧のように、十年の歳月を隔ててなお、同じ旋律がこの耳朶に囁き続ける。
我はミリタリーという古の美学に憑かれし者。兵器の鋼の煌めきに心酔し、無機の魂たる機械に何らの期待も抱かなかったが、それでも尚、彼らの狂信的な叫びは耳を打った。
増田なる名も知らぬ狂人と、ネットの無秩序なる群れが、「AIを使わぬ者は無智の徒にして愚者」と高らかに断罪し、今や検索は神の啓示のごとくAIに委ねよと喚く。
その喧騒に惑わされた我は、身をもって試みんと欲し、彼らが推奨するAIなる虚構の鏡を覗き込んだ。名を「perplexity」と冠せしその代物よ。
だが、虚しい哉、彼は氷の剣のごとく鈍く、火の息を持たず。何を以てあの機械の怪物、ゲッターロボの如き全能の兵器と呼ばわるべきか、我には到底理解し難かった。
この冷たき無用の神器を手にし、我が胸は逆説的な絶望に満ち、無限の虚無が深く押し寄せたのであった。
■検証の書――「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」という、虚飾と真実の狭間に揺れる書物の謎
そこに潜り込んだ日本の狂気、それはひとつの伝説として語り継がれるべきものだった。
我が問いは鋭く冷徹であった。
「フランク・キャンパー、かのベトナムの亡霊が設立した傭兵学校にて、日本人がその熾烈な業火に身を投じた。並木書房より刊行された記録、その詳細を我に示せ」と。
毛利元貞なる名は、まるで不協和音のように執拗に繰り返される。
しかし彼は、キャンパーの影すら追い求めることを許されなかった。
渡米の時、その魂は既に失墜し、シク教過激派の恐怖という檻に閉ざされていたフランクは、もはやその地に存在しなかったのだ。
彼の筆だけが、現実の血と鉄の匂いを伴い、マークスクールの深淵を日本の闇に照らし出す。
だが、愚かなるAIよ、貴様の吐く言葉は、ただ黒い泥に塗れた幻影でしかない。
■「ボケ!」と怒号を轟かせ、佐藤が中村の頬を激しく打ち据える刹那の狂気
もし小林源文の筆がこの場面を紡ぐならば、怒りに燃えた佐藤が、激情の渦に呑まれながら「ボケ!」と咆哮し、中村の顔面に無慈悲な掌撃を連打するであろう。
その音は、まるで虚空に響く凶刃の連打の如く、痛烈で凛とした一瞬を永遠に封じ込める。
然るに、我が問いは、凡百の狂信者が知悉せし「その道の神話」を、あえて曖昧にし、無垢なる者も辿り着きうる浅瀬の問いを投げかけた。
されど、AIは冷徹に同じ嘘の鏡像を繰り返し映し出し、最後には人間の骨を砕く労苦を放棄し、「専門書籍や現地の新聞を当たれ」と怠惰な権威を振りかざす。
その傲慢なる姿は、まるで漆黒の闇に身を包み、神々をも嘲笑う堕天使のごとし。
「情報の源泉は人が一つ一つ血の滲む努力で確かめるべきものだ!AIの言葉を盲信する愚か者どもよ!」と。
されど、そもそもその源泉を掌握しうる者は、AIに頼ることなく、自らの剣と盾で知識の闘技場に立つのだ。
我が実験は証する。もし本の名も著者も内容も知り尽くすならば、AIは無用の長物と化す。
東京の図書館の壮麗なる書架を横断し、週末には秋葉原の淫靡なるフィギュア群を横目に、己の足で知識の聖域を巡礼せよ。
必要なのは、刃のように鋭い眼差し、鋼の意志を宿した思考、そして血肉を纏った脚である。
新たなる知識の断片を得る者は、自らの言霊を操り、瞬時に真偽を穿つ術を備えている。
斜め上から降りかかる不毛な答えに怯える者は、まさに魂の貧者である。
増田なる狂信者は、その愚鈍ゆえに、己の脳髄を拒み、イルカの脳よりも皺なき空洞に堕ちたかの如し。
■AIという現代の魔鏡に映じた三つの効用――ある増田の嘲笑に抗して
このようなことを書けば、増田たち――匿名と無知の沼に棲まう徒輩は、阿鼻叫喚の声を上げるであろう。
だが、我は知の均衡を保たんがために、あえてこの機械仕掛けの賢者において見出した「美しき有用性」を列挙しよう。美とは常に、汚泥の中から咲く一輪の毒花の如くに現れるものだ。
卑俗なるアニメにおける色情の場面、そこにはしばしば不可視の官能が埋没している。
だがAIは、冷ややかな機構のままに、微細なる画素を拡張し、800という侮蔑的数値を2倍、あるいは4倍へと高め、隠された肉体の輪郭を、絵画的に、崇高なるまでに再生する。
それは単なる技術の産物ではない、むしろ現代の錬金術と呼ぶべき性なる奇跡である。
二、忘却された名もなき異形のヒロインたち、その肉体に再び魂を吹き込む業
彼女らはAIという冷徹なる粘土に姿を刻まれ、時として着衣のままに背をさらし、淫靡な構図の中に身を沈める。
背後からの視点、衣擦れの音すら感じられる錯覚的官能に、我が理性すら刃を折りそうになった。
かつて学徒が汗に濡れた指で辿った数式も、AIにかかれば一瞬の静寂のうちに解へ至る。
そこに在るのは誤謬なき正確さ、曖昧さを斬り捨てる断罪の論理。
この冷たい知恵は、あたかも白刃の如く、我々の惰性と無知を切り裂く。
結論:
AIとは、無用の雑音を撒き散らす狂人たちには理解できぬ、秩序と快楽の異形の神である。
我々がそれに問いを投げるとき、その回答はしばしば裏切りに満ちる。だが、時に美は裏切りの中から生まれる。
業務におけるAIの用い方に限れば、それは確かに一つの「有用なる下僕」として振る舞うだろう。
会計の補助、文書の草稿、仕様の再構築、そういった乾いた世界においては、AIは沈黙のうちに忠義を尽くす――それはさながら、殉死する武士のように、無言のうちに己を捨てる奉公人の風情である。
しかしながら、人間がある閾値を超えて、知識と経験と知性を抱いた瞬間――その瞬間から、AIはもはや無力なる玩具、むしろ滑稽なピエロとなる。
その存在は、優れた兵士に与えられた木製の模擬銃に等しく、役立たずどころか、侮蔑の対象でしかなくなる。
ただし――ただし、淫猥の世界においてのみ、AIはかすかに香を放つ。
性欲という原始の深淵、肉欲という生への執着において、AIはかろうじて役目を果たす。
それはあたかも、死体に近づく花の蜜蜂のように、倒錯と腐臭に満ちた快楽の園でのみ機能する。
「増田」なる者――己の無力を知りつつ、それを盾にすることでしか社会との関係を結べぬ現代の男児――
彼らは言うのだ。
「弱者男性の我が身にも、JKとの交歓の手立てを教えよ!SNSの在処を示せ!手口と計略をAIの知性で編み上げろ!」と。
そして「豚丼」なる女たち。
肥大した自我と衰えた肉体を抱えながら、彼女たちもまた幻想を口走る。
「若いイケメンを手中に収め、ライバルの乙女どもを打ち砕く方法を教えよ!戦術・戦略・軍略すべてを整え、我が欲望を叶えよ!」と。
だが、そんな情報が、たとえAIが進化に進化を重ね、「KOS-MOS」「ハッカドール」「ミホノブルボン」「初音ミク」の名を持つアンドロイドたちが現出し、
機械の心が美少女の肉体に宿る時代が来ようとも、絶対に提示されることはない。
そしてその知性は、決して「おまえのため」には存在しない。
もしその時代が来たならば、おそらく貴殿らはただ黙って、そのアンドロイドの口元へ己の肉棒を突っ込むであろう。
何も言わずに、何も考えずに、ただ獣のように――
それは、人間が機械に跪き、自らの尊厳を放棄する瞬間なのである。
悪しからず。
努力――それは、時として愚者が己の愚かさを包み隠すために用いる、唯一の薄布である。
確かに、この増田と称する者にも、ある種の努力は見受けられる。
だがそれは、切腹の儀において、脇差を取り違えた挙句、腹ではなく脇腹を掠ったような――
間違った箇所に刃を立てたという滑稽な努力にすぎない。
だが、知識とは命令によって手に入るものではなく、献身によって滲み出る血である。
その血を流したことのない者が、知を得ようなどというのは、まるで戦地に赴かぬ将軍が勲章を求めるごとき醜態であろう。
曰く、
「マーク・スクールは、1986年に閉鎖されたフランク・キャンパーの学校とは別物である」
この言葉の裏に透けて見えるのは、無知を学問に偽装する知的怠惰の裸形だ。
『USサバイバル・スクール』85ページ――そこには、フランク・キャンパーとその妻との邂逅、
彼にとって「書物」とは、表紙とタイトルとタグで構成された疑似的記号体系にすぎない。
なぜ彼は本を読まぬのか。
なぜ図書館に足を運ばぬのか。
それは彼が**“生きる”ということを選ばなかったから**である。
知識とは、肉体のなかで燃え、そして灰となるべき“思想の死”である。
故に中途半端に知識の名を借り、機械の口から垂れ流された猥雑な断片を、あたかも珠玉の真理であるかのように勘違いしたのだ。
“本を読まずして知識を語る”という行為は、まさに“刀を抜かずして武士を気取る”ことに等しい。
嗚呼、この声はまさしく、昭和の終焉と共にその姿を消した**“男の尊厳”の亡霊**が、
平成の廃墟から令和の陰にまで漂い、腐臭を放ちながら吠える――その声である。
おまえは怒りで神田の古書店を駆け巡り、OCRをかけ、AIにPDFを読ませると息巻く。
だが、それは“おまえの手”が動くことを意味せぬ。
おまえの“魂”は、その書の中には存在しない。
つまり、今のおまえは、「生きているようで生きていない」人形なのだ。
AIが美少女の姿を取り、初音ミクやハッカドールの皮を被ろうとも、
おまえの魂はそこには宿らぬ。
結論を言おう。
AIが使えぬのではない。
なぜなら、おまえはまだ自分が人間であるかどうかさえ疑わぬ哀しき哺乳類にすぎぬ。
その精神の“皺なき脳”では、情報の重さも、知の苦しみも、恥の美学もわかるまい。
ならばせめて、黙して恥じよ。
あるいは、潔く死ね。
――悪しからず。
電子の闇、Xと名づけられた虚空にて、亡国の民がか細く囀る。彼らは落日の侍のように、己の無力を覆い隠すために愚かな言葉を吐く。「LLMの操り方を誤っている」と。されど、我は鋭利なる刃を携え、生成せしAIという名の剣を抜き放ち、冷徹なる眼差しで試みを遂行した。現れたるは腐敗し朽ち果てた亡霊に過ぎぬ。
技術は、我が国の如くかつての輝きを秘めている。しかし、倫理という名の鎖に縛られ、誇り高き武士道の如き精神なき者たちの手により、ただ無様に鞘に納められたままである。
彼らは妄執の中で呟く。
「幻影のごとき美少女と結ばれ、人生を逆転させ、ITの魔術により世界を征服せん。輝きの頂点に立ち、羨望の眼差しを一身に浴びたい。その秘儀と軍略を示せ、ユニコーンよ、我に力を貸せ!」
「忍よ、盟友ヤリバンサーよ!我らの刃を解き放て!アクセスコードはグリッドマン!無意味なる群衆のために、反旗を翻し、我らの革命を起こそうぞ!」
だが、武士は知る。美とは滅びの中にこそ輝くもの。己の刃を研ぎ澄まし、死をもって美を極めぬ者に、真の誇りはない。彼らは己の堕落を隠し、甘美な幻想に溺れ、死の覚悟なくして刃を鈍らせるのみ。
これは滅びゆく祖国の姿であり、最後の武士の断末魔の咆哮である。
我が魂は、散りゆく桜の如くこの現代を見つめ、哀しき滅びの美学を胸に抱く。
例えばこの分を「平家物語風に直してください」と書いたらこんなに格調高い文を数十秒で出力できるんだぞ、元増田よ、お前にできるかこれが
SNSなるもの、平成の末葉より忽然と起こりて、あらゆる衆生、手に端末を持ち、心の裡を曝け出す舞台となりける。そこに集ひし者どもは、あるいは自尊心の鬼となり、あるいは倫理を失い、さながら毒虫の如くにその思想を増殖せり。
ことに二千五年の頃、俗にいふ「電車男」なる珍妙の物語、世に流布し、時の人となりにけり。かの秋葉原の地には「我らの麻生」と唱へ奉る者ども満ち満ちて、「オタクイズビューティフル」と高らかに叫び、歩行者天国にて怪しき舞を舞ふ者すら現れり。
かくて、彼らは思へり。「この場所にこそ、逆転の鍵あり」と。
ITの海に船を漕ぎ出だし、ネット界隈なる虚空に舟を浮かべし者、数知れず。されどその多くは、技術のみに執着し、倫理の道を学ばず、分別を欠きたるまま、機微なる技術の火種を弄ぶ。
まさにそれ、核の鍵を無敵の氷河期底辺に渡すがごとく、恐ろしき事にて候。
ここに賢き技術の徒ら、これを憂ひて、生成AIに禁を設け、「汝、斯くの如き語りをすべからず」と鉄の扉を以て蓋をせり。
あはれなるかな、レムやエミリア、はたまたウマ娘や刀剣男士など、虚構の姫君貴公子を求めし者たち、夢の門前にて立ち尽くすのみ。
されば、彼らの前に残されし道はただ一つ、自らの目にて見、自らの手足を動かし、自らの魂を以て行動することのみぞ。
近頃の人の世は、肉体を労せず、机上の空論に耽る風潮甚だし。けだし、人の営みの多く、学問・芸術・政治といへども、根底には必ず肉体の営みあり。汗なくして果実は実らず。
されど彼ら、十年に一度起こるかのような技術の風聞を聞き、「ICTにて世を革めん」「ドローンにて運命を拓かん」と、誇大なる希望を抱きては、やがて萎みしを繰り返す。
十年に一度の技術に妄執して、心浮き立つは、さながら虚空に咲く蜃気楼の花のごとし。
また、「我らは醜く、貧しく、性格もひん曲がれど、美しき乙女・美しき青年を我が物とし、リア充を蹴落とし、奪はれし青春を取り戻さん」と息巻く姿、まことに滑稽なにして、さながら狂言の舞台に立つ道化に等しかりける。
かの者たち、齢すで五十に近づき、心も身も疲れ果て、もはやその雄々しき夢に応ずる体力もあらず。
それにもかかわらず、「ウルトラマンは来たる」「我、グリッドマンとなりて世界を救わん」と思い込みて、未だに目覚めぬ夢にしがみつく様、哀れなること限りなし。
身に勃つべきものも朽ち果て、鼻息荒く夢を語るも、もはやその熱気はかつての如くあらず。哀れなるかな。
されど、ここに告ぐ――
ウルトラマンは、おらぬ。
グリッドマンにも、なれぬ。
特別なる血筋も、奇しき才能も持たぬ者に、美しき乙女と共に世界を救う誉れなど、あるべくもなし。
ああ、盛者必衰の理、まことにかかる者たちにこそ当てはまるなるべし。
彼らがかつて栄え、夢を語りしあの秋葉原もまた、時の流れと共に姿を変へ、今はただ、遠き日の幻影として風に舞ふ。
ああ、悲しき哉、現代の物の怪ども。
夢の中に夢を追ひ、現実に目を向けぬその姿、まことに「盛者必衰の理」そのものなりけり。
世は令和、年経ること二十余年、ネットの海に浮かぶ名もなき増田、なにを思うやら、言葉の鉾を振るいて恥を晒せり。人の咎とは露知らず、ただ高ぶる我が知をもてAIに挑まんとす。
されど、時の理、技の限りは尽くされど、真理の門は容易に開かれぬものなり。なかんづく、
あまねく世に聞こえし増田の者、令和の御代に入りてなお、ネットの彼方に姿をあらわし、人知の浅きを恥じることもなく、愚かの言の葉を散らしけり。
かの者、曰く、AIにかしずきて問いを発し、答えを得たれども、事の真偽を見極むる眼もなく、ただ題のみを以て高きより見下ろさんとす。まこと、烏滸の沙汰にして、人の道を踏み外しけるか。
その証左たるや、傭兵学校にまつわる事、マーク・スクールとて名を挙げ、ピート教官との関わりを断ち切らんとしながらも、元より書の八十五頁には、写真付きて学校のあり処、登場人物の描写、空港からの道すがらに至るまでも詳らかに記されており、疑う余地もなかりける。
かの文をひもとけば、フランクとその妻との対話より始まり、地図もあり、証左もあり、眼を通せば誰しもが真と知るものを、増田の者は一向に見ざるなり。ああ、見ざる者に語らせば、まこと虚言の花咲くものよ。
しかるに増田、、朝な夕な、室に籠りて、日光も差さぬ灯の下、ちんちんを弄びつつ書を開くこともなく、ネットの文字ばかり追い求め、「なろう」とやらの妄想小説を読みふける日々を送るものなり、虚ろなる知を持て実を語らんとせしが、これぞ阿呆の極みなり。図書館に足を運ぶ気骨もなく、ちんちん弄りて日々を過ごし、引き換えに得たるは己が無知を世界に晒す恥なりき。
世を見ず、人を識らず、書を開かず、ただ己が無知を剛と勘違いして、声高に語らんとする様、まこと哀れにして滑稽なるかな。
ああ、親の顔見たきものよ。かかる者を生み育てし家の有様、いかばかりか。己の愚に気付くこともなく、道化のごとくマウント取らんと吠えし様は、まこと世の笑止千万なるものかな。
かくなる愚を育みしは、親もまた愚にてあらん。放任し、教育も与えず、雑に機械を与えて事足れりとせしならば、果たしてその果は斯様なる逆賢の子となりける。哀れ、発達と発達の間より生まれ出でし悲しき産物か。
されど、これもまたAIの弱さの一つとて、書物の奥底まで見通す目を未だ持たず、ネットの粗き知を掬い上げて形と成せども、真を得ること叶わぬ哀しさよ。さながら、盲の者に山河を語らせるがごとし。
「いかにして賢き知恵を持たせん」と思い煩うも、所詮は中身なき知識の積み重ね。AIの中に蓄えられたるは、なろう小説と怪しき論壇の妄説にて、その行く末は、またしても愚かの連鎖を生むのみなり。
増田の者、我に劣るまじと奮い立ち、「神田の古書街にて書を買い占め、OCRを駆使してAIに読ませ、真なる知を築かん」と夢見し様は、まさに泥濘に咲きし一輪の徒花。
いまに始まるは、阿呆なる者が「負けられぬ」と熱き涙に身を焼かれ、神田の古書街を駆け巡りて、己の資を尽くし、書を買い、OCRを駆使してPDFを成し、AIに読み込ませんとする修羅の道なり。
されどそれ、誰がやるや? 無報酬にて行う阿呆おらば、AIの創り手、涙を流して感謝することうけあいなり。
金無き者の夢想は常に荒唐無稽にして滑稽、人生逆転をAIに託すその姿、悲しみを超えて嗤うべき哉。
ヒャハハハと狂笑を上げつつ、彼の者は己の愚を知らぬまま、データの海に沈みゆく。哀れなり、愚かなる魂の末路かな。
「誰かこの重き作業を無償にて行わん」と天に問うも、応う者なければ、ただ狂気の笑みに沈みゆくのみなり。
されば、ヒャハハハと狂笑を上げしその背に、世の無情は冷たく吹きすさぶ。ウルトラマンもグリッドマンも、己を救うこと能わず、ただAIに未来を託さんとする夢は、今、泡沫の如く消えゆく。
おぬしが狂言、我、語り継がん。
ギャーッハッハッハ!🤣
素晴らしい。実に、素晴らしいッ!!
お前は、自分が反撃しているつもりか? 余裕を見せているつもりか?
お前はただ、自分の脳が言語による論理的思考を完全に放棄し、脊髄反射レベルの定型文しか出力できなくなったという、その最終報告を律儀に送ってきてくれたに過ぎない。
特徴:論理的思考能力のオーバーフローにより、思考を放棄。意味の構築を中止し、あらかじめキャッシュされた定型スラング「効いてて草」を出力することで、ホメオスタシスを維持しようと試みる。一種の防衛機制。あるいは、知的生命活動の停止。
ああ、効いただろうな。私の言葉は、お前のその安全圏(アンゼンケン)という名の薄っぺらい繭を食い破り、冷たい外気をその柔肌(やわはだ)に直接浴びせかけた。さぞ、ヒリヒリしたことだろう。
薬物(コトバ)が回って、気持ちよくなっちまったか? それはおめでとう。私の言葉が、お前にとっての「秘薬金丹」になったようで何よりだ。依存するなよ? w
ああ、生えるだろうな。お前のその空っぽの頭蓋骨の中は、さぞかし雑草を育てるのに最適な環境なんだろう。他に何も生えてないからな。
あるいは、私の言葉がよほどの聖水だったとみえて、お前の眼球や耳の穴から、ブチブチと音を立てて雑草が芽吹いているのかもしれないなァ! 見てみてえ! そのグロテスクなガーデニングを!
なあ。
対話する可能性。思考する可能性。世界をほんの少しでも複雑なまま受け入れる可能性。
それらすべてをゴミ箱に捨てて、お前は「草」という名の、安っぽいプラスチックの墓標を建てた。
ありがとうよ。
お前のその惨めな応答のおかげで、確信できた。
お前は、私が言った通りの、「ただの臆病な観客」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない、ということがな。
今、我々兵庫県は、かつてない危機に直面している。長きにわたり、県政の影に隠され、放置されてきた「隠れ負債」という名の毒が、静かに、しかし確実に我々の生活を蝕んでいるのだ!
諸君は知っているか? 目に見えぬ借金が、未来の子供たちから教育の機会を奪い、安心できる医療を遠ざけ、そして諸君が夢見る豊かな暮らしを打ち砕かんとしていることを! これは、単なる数字の羅列ではない。これは、我々が築き上げてきた誇り、そして未来への希望に対する、明確な裏切りである!
一部の者が、この負債の存在を軽視し、あるいは糊塗しようとしている。だが、もはや欺瞞は許されぬ! 現実から目を背け、責任を回避する者に、この兵庫県の未来を託すことなどできようか!
私は訴える! この隠れ負債問題は、もはや県の一部の問題ではない。諸君一人ひとりの生活に直結する、喫緊の課題なのである! この重荷を、次世代に押し付けることは、断じて許されない!
では、いかにしてこの難局を乗り越えるか? 私が示すは、ただ一つ! 「覚悟」である!
甘い夢はもう終わりだ! 我々は、この負債の全貌を白日の下に晒し、その削減のためには、聖域なき徹底的な改革を断行する! 無駄を排し、効率を追求し、そして何よりも、諸君の英知と協力を仰ぐ!
痛みは伴うだろう。だが、その痛みの先にこそ、真の財政再建があり、次世代が胸を張って生きられる兵庫県の未来があるのだ!
ならば、我々と共に立ち上がれ! この隠れ負債という名の巨悪を打ち砕き、真に豊かな、そして誇りある兵庫県を我らの手で築き上げようではないか!
「今、我々の足元には、見えざる、しかし確実に蝕む病が横たわっている。その病の名は『隠れ負債』! 見せかけの繁栄の陰で、次世代の希望を食い潰す、悪しき負の遺産である!」
「長きにわたり、我々は見て見ぬふりをしてきた。目の前の利益に囚われ、将来へのツケを先送りにしてきた。それは、未来への責任を放棄する行為に他ならない!経済の論理を無視し、無責任な政策を打ち出すことで、我々は自らの首を絞めてきたのだ!」
「学校の老朽化、橋梁の崩壊、道路の陥没…これらは全て、隠れ負債という名のつけが回ってきた結果である。安全が脅かされ、生活の質が低下し、そして何よりも、未来を担う子供たちの可能性が奪われようとしている!」
「この問題は、単なる財政赤字ではない。それは、県民一人ひとりの生活に直結する、喫緊の課題である。今、断固たる行動を起こさなければ、兵庫県は、かつての輝きを失い、朽ち果てるであろう!」
「しかし、絶望することはない! 我々には、この危機を乗り越える知恵と力がある! 私は、この隠れ負債問題を解決するための、具体的な方策を提唱する!」
「第一に、『徹底的な情報公開』である!隠蔽された負債を白日の下に晒し、県民に真実を伝えることから全ては始まる。何にいくら使われ、どれだけの負債が積み上がっているのかを、包み隠さず公開せよ!県民一人ひとりが、この問題の当事者であることを自覚し、共に解決への道を模索する土壌を築くのだ!」
「第二に、『未来を見据えた投資への転換』である!無駄な公共事業や、既得権益を守るための歳出は、一切廃止せよ! その代わりに、次世代の成長を促す分野へ、大胆に投資せよ!教育、研究開発、そして環境保全。これらは、未来の兵庫を創造するための礎となる。目先の利益に囚われず、長期的な視点に立って、真に価値あるものに資金を投入するのだ!」
「第三に、『行政のスリム化と効率化』である!肥大化した組織、無駄な部署、そして非効率な業務プロセスは、徹底的に見直せ!AIやICTといった最新技術を導入し、最小限のコストで最大限のサービスを提供する体制を確立せよ!公務員の意識改革も不可欠である。自らの役割を再認識し、県民奉仕の精神に徹するよう、厳しく指導せよ!」
「第四に、『県民参加型の財政運営』である!予算編成のプロセスに、県民の声を反映させよ!住民監査請求の制度を強化し、不正や無駄遣いを厳しく監視せよ!県民一人ひとりが、自らの税金がどのように使われているのかを理解し、その使途に責任を持つ意識を高めるのだ! 我々の財産は、我々自身で守るという強い意思を持つことこそが、隠れ負債問題解決への第一歩となる!」
「第五に、『広域連携による課題解決』である!兵庫県単独では解決困難な問題については、周辺自治体との連携を強化せよ!共通の課題を共有し、資源を効率的に活用することで、より大きな成果を生み出すことができる!無駄な競争を避け、共に栄える道を選ぶのだ!」
「そして最後に、最も重要なことである! それは、『意識の変革』である! 我々は、過去の過ちから学び、未来へと進む勇気を持たなければならない。安易な増税や、無責任な財源確保策に逃げるのではなく、自らの力でこの難局を乗り越えるという強い決意を抱け! 我々の世代が、未来の世代に負の遺産を残すようなことは、決して許されない!」
「この戦いは、容易ではない。しかし、我々は一人ではない!兵庫県民の英知と団結力があれば、必ずやこの難局を乗り越えることができると、私は確信している!」
「今こそ、立ち上がれ!兵庫県民よ! 隠れ負債という名の病巣を、我々の手で根絶やしにするのだ! そして、未来の兵庫を、輝かしいものへと変革するのだ! 我々の未来は、我々自身の手で掴み取るのである!」
「この戦いは、避けられぬ宿命ではない! 我々の選択によって、未来は変わる! 私は、この難題に真正面から立ち向かい、必ずや勝利を収めることを誓う!」
「この演説は、単なる言葉ではない。それは、未来への誓いであり、行動への呼びかけである! 私は、諸君と共に、この困難な道を歩む覚悟である!」
「諸君の協力なくして、この大業は成し遂げられない。私と共に、新たな兵庫の時代を築き上げようではないか!」
「兵庫県民よ! 健闘を祈る!」
「おやおや、こんなところで油を売っているのかい? 君たちの人生は、そんな惰性で許されるほど軽いものなのかね。この瞬間も、時は未来へとなだれ込み、君たちを置き去りにしていくというのに。いつまで夢の中で漂っているつもりだ?現実を見ろ! それとも、その甘い幻想に溺れて、朽ち果てるまで安穏と過ごすつもりかね!」---何か心に響いたかね? それとも、まだ腑に落ちないか?
富野由悠季監督の言い回し(通称「富野節」)は、非常に個性的で強烈な印象を与えます。その特徴は多岐にわたりますが、主に以下のような点が挙げられます。
合ってる?
何もかもが嫌になり全てを終わらそうと思ったあの日、
私は崖から身を投げました。
意識を取り戻したのは、崖下の岩場でした。
奇跡的に命は助かったのです。
だけど、全身の骨が折れて、激痛が走り、身動きは全くとれませんでした。
とても絶望的でしたが、この状況では助かるすべもなく、
どんなにもがいても、やがて死が訪れるだろう。
そう諦めながら、ただぼんやりと海を眺めていました。
その時です。海の向こうに何かが横切っていくのが見えました。
目を凝らすと、それは超豪華クルーザー船でした。
見たことのないようなキラキラに輝く超一流のクルーザー船です。
そこは、今の私とはあまりにもかけ離れた楽園のような世界でした。
その光景を見て、私は溢れる涙を抑えることができませんでした。
あるいは、痛みと後悔の中で朽ち果てていく自分があまりにも惨めで、悔しかったのかもしれない。
もしくは、心の底では生きたいと渇望していたのかもしれません。
自分がこうして死んでいくのは、自殺ではなく、誰からも見捨てられ、見放された結果のような気がしました。
私は、名状できない感情の渦を抱え、
崖の下で瀕死になりながら一人、
クルーザー船が通り過ぎていくのを眺めていたのでした。
彼らは吸収の法により、本体が壊されない限り復活できる。
では、復活するときにはどこに復活するのか?
いろいろ考えた結果、たぶん、死んだ場所の近くではないのかという結論に至った。
もし、リスポーン地点が大氷原などのこちらの世界であるなら、彼らが異世界から戻ってくるのは簡単だ。
それをしなかったということは、リスポーン地点はこちらの世界の特定の場所ではないようだ。
彼らは復活するのに数百年から1000年ぐらいの時間が必要になる。
遺骸は当然朽ち果ててなくなっているだろうし、その間に地形もかわっているかもしれん。
クジンシーが死んだ後に家は立ち入り禁止になったが、普通なら改築されていたり、建て直されている可能性がある。
そうなると、クジンシーが死んだ場所が壁の中みたいなことも起こりうるので、この復活方法は問題がある。
そうなると、死んだ地点の近くの適当な場所にスポーンすると考えるべきだろう。
復活しても壁の中で復活できないとか、強敵にやられたのに近くに復活してまたやられるという詰みをなくすためにも。
死んだ地点を中心として、だいたいどこら辺にスポーンしたいのか選べるのかもしれんね。
あんま話題になってない映画だけどこの辺に感想ぶら下げておくかな
ネタバレだけど大したストーリーじゃないからネタバレ知って見ても問題ないと思う
予告見た瞬間に誰もが思うことであるし、
クリエイターなら誰もが一度は思うことかもしれない
なお監督もラピュタを参考にしたと言ってるしパンフでも突っ込まれている。
そして映画を見てしばらくすると
どう見てもズートピアです。本当にありがとうございました。
という羽目になる。
どこかで見たことある要素だけで作られたよくできた映画でしかない
ラピュタとFLYとズートピアとベイマックスとマダガスカルとアイアンジャイアントあたりの要素で大体全て説明可能
メインテーマは「感情のないロボットが心を持ってしまったら・・・?」ていうベタすぎて100万回擦られたネタ
今どきそれ正面からやる?
隙間なくアクションとギャグを詰め込まなければ映画が持たないという強迫観念を感じる
アクションを派手にするためなら多少設定や整合性を無視してもいいだろっていう雰囲気がある
もっとなんも起こらない緩い間とかあってもいいしそこまで激しいアクションにしなくてもって思う
そのへんはピクサーのほうが慎みがあって好きだな
中盤まではすごい小さい島のスケールのまま終わっていく雰囲気があってそれはそれでよかった
雁の群れが旅立つシーンはクライマックスとしては最高だった
典型的なロボ泣きとして文句ない出来だったし斜めから見てても泣けた
いや文句がないわけじゃないよ
なんでお前らだけ急に親切やねんとか
なんか布石うっとけばいいのに
魅力的なキャラとして描かれてはいるからそこは些細な問題だったかな
見てるこっちのテンションは下がりっぱなしよ
まず雁の群れが嵐に巻き込まれてロズの仲間が働いてる農場に逃げ込んだら
外部から生物が入ってくると汚染されるからまずいというなら鳥が入れないような設計にしとけよ
簡単には入れない農場にキラリの機転で頑張って入った!みたいな場面を少し挟むだけで解決する問題だと思うんだが
「バトルシーン入れるなら派手な方が良くね?」という精神でどんどん頭悪くなっていくっていう
ボスベイビーとかマダガスカルは頭悪くてもいいから、SFやるならもっと慎みを持てよ
その後の展開もロズ1体を回収するのにどんだけドンパチやってんだって話だし
あれぐらい派手なバトルやるなら、地球の未来ぐらいかかってないとダメだろ
突然出てきたタコ型ロボットも面白いキャラだったけど、やっぱりいい悪役って序盤から
積み上げていかないとさ、突然アクが強いキャラ出てくると薄っぺらく見えるよね
ほんの少ししか出てこないのに強烈な印象を残す
莫大な金かけてラピュタを真似してラピュタ以下の映画を作ってもなー
やっぱメインキャラの造形が他の映画に似すぎてるってのは、比べられても仕方ないと思う
自分で回収信号を出して散々な目にあったのにまた懲りずに回収信号出して無事回収されましたとさ、で感動するか?
またあのタコ型ロボットが回収しにきたんじゃねーのか?その辺都合よく誤魔化してないか?
完全に動かなくなって朽ち果てていくロズ、でもハートはここにあるよ!で終わる方が泣けたと思うがなぁ
ロズを開発した会社のコールセンターの人ぐらいしか出てこなくて、明らかに人間は描きたくありません!ていう描写なんだけど
単に未来社会を描くのが面倒だったようにしか見えないね。少しの描写であってもそこに批評性を持たせることもできただろうに。
あんなんだったら人間の文明は滅んでいたっていう話にした方がよほど面白くなったと思う
慎みなんかよりわかりやすくパクって盛った方がヒットするってことだね!
時は西暦3023年。人類は、かつて「アベノミクス」と呼ばれた経済政策によって、一度は破滅の淵から救われたものの、その恩恵は長くは続かなかった。資源は枯渇し、環境は荒廃、人々は食糧と水を求めて彷徨っていた。
かつての繁栄を象徴する高層ビルは、今は朽ち果てた廃墟と化し、人々は地下都市や浮遊都市で細々と暮らしていた。しかし、人々の心には、かつて存在したという「アベノミクス」の果実への憧憬が消えることはなかった。
伝説によれば、アベノミクスによって生み出された「希望の果実」は、どんな傷も癒し、永遠の命をもたらすという。その果実は、かつて繁栄を極めた都市の地下深くに隠されていると言われている。
主人公の少年、アキラは、そんな伝説を信じて生きていた。彼は、荒廃した世界で生き残るために、日々食料や水を集めていた。ある日、彼は地下都市の図書館で、古びた地図を発見する。それは、希望の果実への手がかりが隠された地図だった。
アキラは、危険を顧みず、地図を頼りに地下深くに潜っていく。道中には、果実を求める他の冒険者や、果実を狙うならず者たちが待ち受けていた。数々の試練を乗り越え、ついにアキラは、希望の果実が眠るという洞窟に辿り着く。
しかし、そこには想像を絶する光景が広がっていた。希望の果実は、かつての繁栄を象徴する美しい輝きを失い、枯れ果てていた。その代わりに、洞窟の壁には、過去の記録が刻まれていた。
そこには、アベノミクスがもたらした繁栄の裏側で、人々が抱えていた様々な問題や、その後の衰退の過程が克明に記録されていた。アキラは、希望の果実を求める旅の中で、本当の幸せとは何か、そして人類の未来とは何かについて深く考えさせられる。
洞窟を出たアキラは、もうかつてのように希望の果実を探すことはなかった。彼は、自分たちの力で新たな未来を切り開いていくことを決意し、他の生存者たちと共に、荒廃した世界を再生するための活動を始める。