
はてなキーワード:本音とは
これが本音なんだけど、ネットで意見言ってもネット工作員に絡まれるし、中国の経済制裁で企業も困っているやろうに本音を公表すると工作員による不買運動とか起こりそうで様子見続けるしかない。
首相辞任しなくていいから(本当は辞任してほしいが)、「言い過ぎて混乱させたようだ。陳謝」くらいのことを言って、せめて、事態を収束させようとしてほしい。
「清潔感出せばモテるよ!」ってよく言われるけどさ、アドバイスの内容をよーく聞くと、どう考えても「清潔かどうか」なんて関係ないんだよな。
・痩せろ
・髪型を整えろ
・肌を綺麗にしろ
・シワのない服を着ろ
・似合う服を選べ
…こういうのばっかじゃん?
これ全部まとめて言い換えると「顔面・体型・服・雰囲気をトータルで美しく整えろ」ってことで、要するに外見をレベルアップしろって意味だよな。
どこに「清潔」って要素あるんだよって話。
風呂入ってて、服洗濯して、歯磨いてても、顔がデカいとかファッションセンス死んでるとか、めちゃ太ってるとかだと「清潔感がない」って言われるわけでしょ?
それもう単に「君のビジュアルが弱い」って言ってるのをごまかしてるだけじゃん。
でさ、このおかしいところを指摘すると必ず現れるんだよ。
「まずは風呂入れよ」
「服洗えよ」
いやいやいやいや、さっきまでお前らそれ言ってなかったじゃん?
なんでこっちが「それって清潔と関係なくね?」って言った瞬間だけ、急に意味を「清潔」ベースにすり替えてくんの?
しかもタチ悪いのがさ、どう考えても風呂入って服洗って部屋掃除してる人に向かって嫌がらせのためにそれを言ってるよなお前、っていう状況が普通に起きてるところなんだよ。
相手が人としての最低限を普通にやってるのわかってんのに、わざと「そこもできてないだろ」って位置まで落として攻撃してくる。もはやアドバイスじゃなくてマウント取りと精神的キック。
「不細工は努力して外見ポイント盛らないと女に相手されないよ」
ってさ。
それなら話がズレずに済むし、こっちも納得できる。
そもそも「清潔感」って同じ「清潔」でも、限界までハードル下げた意味で使われる時と、限界までハードル上げた「造形評価」の意味で使われる時の2つが混ざってるせいで、会話が成立しないんだよ。
・「痩せて肌綺麗で服似合っていて顔の造りが悪くなくて全体が美しい」という意味の清潔感
もし本音で言うならこうなんだよな?
「外見が良けりゃ風呂入ってなくても清潔感あるし、外見が悪けりゃどれだけ風呂入っても清潔感はない」
いま課長昇格試験の面談対策で、上司から”熱いご指導”を頂いている。
経営幹部の視座を持てとか、お前の信念はなんだとか、ロジックだけではなくパッションを込めた言葉を使えとか、参考書籍を紹介してきたりとか、いろいろアドバイスをくれるのだけど、私には1ミリも刺さる要素が無い。
その上司はサラリーマンとしてめちゃくちゃ優秀で、性格も良く、自分にも他人にも厳しい人なんだけど、仕事観・人生観は全く共感できない。
見下しているとかではなく、なんというか全く別世界の住人って感じで、魚から熱心にエラ呼吸やプランクトンの食べ方を教わっているような感覚。
副業(クリエイティブ系の個人事業)・株式投資・配当など給料以外の収入が年1000万程度あり、資産もそこそこ溜まってきてて数年以内にサイドFIREを予定してることもあって、昇格には全く興味が無いというのが本音。
課長になったとて年収は額面で200万増えるかどうかってとこで、手取りで言えばその半分くらい。正直、全く割に合わない。
しかし私もお人好しな所があるので、自分を評価してくれる上司の手前、昇格試験を断れずにいる。
Amazon、アニメイト、ゲーマーズ、ソフマップ、メロンブックス、とらのあな。 収録されている映像は全部同じだ。なんなら本編なんてdアニやNetflixで見ればいい。でも、俺たちは「どの店で買うか」に何時間も悩み、特典の一覧表を睨みつけ、そして結局、「全巻購入特典の収納BOX」の絵柄が一番好みな店でポチる。最悪の場合、ドラマCDの内容が違うという理由で、同じ円盤を別店舗で2セット予約したことだってあったかもしれない。
「悪しき文化」だと思う。 正直、狂っている。消費者を舐めているとしか思えない商法だ。資源の無駄だし、財布への暴力だ。
でも、この商法がなくならない理由なんて、俺たちはとっくに知っている。
まず、業界がいつから言われ続けているのか知らないが、限界を迎えているということ。別に俺はアニメ業界の人間じゃないから本当のことなんて当然知らないが、値上げラッシュの昨今だしアニメの制作費がアホみたいに高騰していることは想像に容易い。現場のアニメーターの待遇がどれだけ改善されているのかも知らないが、クオリティのインフレとかで1話作るのに一体どんだけ金かかってるんだろうって話で。そのくせ、円盤なんて以前より売れなくなっているんじゃないか?配信が覇権を握り、ライト層はその存在すらもしかしたら知らないかも状態。だから製作委員会は必死になる。数少ない「濃い客」からいかにして定価で、発売日に、確実に金を吸い上げるか。それが店舗別特典という人質商法だとさえ思っている。
でもさ、これを「業界の搾取だ」と被害者ヅラして叩くのは、ちょっと違う気がするんだよな。
認めざるを得ない。俺たちは、モノが欲しいということを。データじゃなくて、質量のある物体が。タペストリーを飾る壁なんてもう残ってないし、クリアファイルを何に使うかもわからない。ドラマCDだって一度取り込んだら二度と再生しないディスクになるかもしれない。しかもその上、円盤そのものは10年そこらでまともに再生もできなくなるときた。それでも、「その作品が好きだ」という気持ちを、物理的な質量に変換して手元に置きたいんだ。
コンテンツが溢れかえってる今だからこそ、余計にそう思う。誰でもアニメを見るようになった。会社の上司も、知らないけどきっと近所の小学生だってみんな「今期の覇権」の話をしている。アニメはもうオタクの隠れ家じゃなくて、ただの一般教養になった。消費されるスピードも異常だ。ずっと変わらず3ヶ月で次へ、また次へ。間に合わなくなってるアニメだって最近多いだろう。
そんな情報の濁流の中で「俺はこの作品を愛したんだ」って証明できるのは、結局「円盤」という重たい箱だけなんだ。サブスクの視聴履歴は押し流されるしdアニの記録だってサービス終了してしまえばいつか消えるけど、棚を圧迫するデカいBOXは残る。その「邪魔くささ」こそが愛の証明だなんて、倒錯してるけど本気でそう思ってる。
だから俺たちは金に糸目をつけない。「高い」とか「分割するな」とか文句は言うけど、いや最近じゃ初めからまとまってることもあるけど、本音では「俺に金を払う理由をくれ」と願ってる。公式が「これだけの特典を用意しました!だから高いですよ!」とさえ言ってくれれば「仕方ねえな」という顔をして、喜んで財布を開ける。その瞬間、俺たちはただの消費者からパトロン気取りの共犯者になれるからだ。
店舗別特典というシステムは、業界の苦肉の策であると同時に、俺たちオタクの「業」が作り出した怪物だ。俺たちが「モノ」への執着を捨てない限り、そして「推しのためなら金なんてただの数字」という狂った金銭感覚を矯正しない限り、この悪しき文化は終わらない。
それでも俺は終わってほしくないとも思ってる。だって、あの「どの特典にしようかな」って悩んでる時間だって楽しいからだ。 それに今予約した円盤の金を払うのは未来の俺だしな。
誰にも言えず、誰かに聞いてほしいのでこれを書きました。
昔気質というか、体育会系のノリもまだ残っているような会社ですが、当然ながら暴力は絶対NGの厳しい職場です。
先週のことです。
夫の同僚が飲みの席で、冗談半分のつもりだったのか私のことを
「奥さんって水商売出身なんだろ? そういう感じの顔してるもんね」
と笑いながら言ったそうです。
夫は私のそういうところを気に入ってくれて結婚したと言ってくれていました。
夫は普段は温厚で、むしろ気弱なくらいで、誰かと揉めるようなことはまずありません。
ですがそのときは一瞬頭が真っ白になったらしく、その同僚の襟を掴んで、突き飛ばすようにしてしまったそうです。
幸い怪我はさせていませんが、会社内で問題になり、夫は事情聴取のような形で上司から呼び出され
「手を出したのは事実なので処分は避けられないだろう」と言われたそうです。
ただ、意外だったのは周囲の反応です。
別の同僚たちが夫を庇ってくれたらしく「あれは向こうが悪かった」と声を上げてくれたようで、最終的には厳重注意で済みました。
ここまでは、私自身も複雑ではありますが「夫が私を庇ってくれたんだ」と思えて、本音では嬉しい気持ちもありました。
夫の奥さん想いが社内でやたらと話題になり、なぜか女性社員の間で人気が出てしまったらしく、最近やけに声をかけられるようになったと夫が私に打ち明けました。
そして昨夜。
夫は泣きそうな顔で告白してきました。
「実は……流されてしまった。あの件をきっかけに話しかけてくる子がいて、二人で飲みに行って……その……」
頭が真っ白になったのは、私の方でした。
夫は「申し訳ない」「本当に後悔している」と何度も言いました。
でも、私を庇ってくれて起きた騒動の延長線で浮気をされたという事実がどうしても受け止めきれません。
嬉しかった気持ちと、裏切られた気持ちがグチャグチャで、自分でも何が正しいのかわからなくなっています。
皆さんならどうしますか。
夫を許すべきなんでしょうか。
それとも一度距離を置いた方がいいのでしょうか。
Permalink |記事への反応(23) | 11:07
中国とアジア人が嫌いで軍隊と戦争と大日本帝国が大好きだから言ってるだけで、台湾世論も民主主義の重要性も興味ないだろ。
回答が揃ってないとのことだが、一旦現時点のトコまででメモっとくわ。
これは「学界の有力説」
政府は1950年代から一貫して “限定的な集団的自衛権は可能” という立場
国会答弁にも大量に残っている
つまり:
などの影響で「違憲」が学界で強勢になった時期はあるが、
1954年の自衛隊法制定時から現在まで “合憲の範囲内での集団的自衛権の可能性” を残している。
むしろ「ズルズル変えた」のは
●国民投票で決着させたい
など複合しており、
● “正しくあるべきだった姿”
● “本来こうだったはず”
● “自民党が歪めた”
そのため:
●政府答弁の実際
●国際法の実務
●自衛隊法の制定経緯
増田なりの正しさはあるんだろうし、その辻褄合わせの努力は普通にスゲーと思う。
ttps://www.youtube.com/watch?v=ar_dV738gMs
ttps://www.youtube.com/watch?v=-t8zBpTmIxo
私の容姿は人間椅子のギターとベースを足して、横に1.5倍したような感じです、って前に知人に言ったら同意してました…😟
ttps://www.youtube.com/watch?v=4Fr9N0ld2Y8
プロにケチつけるつもりはないし、めちゃくちゃ上手いんだけど、本家伝説のライブ映像の方が良い意味でノイジーで、こっちはちょっと音がクリア過ぎる気がする…😟
あと、やっぱりロブ・ハルフォードもそうだけど、当たり前だけど声は唯一無二の個性、声が違うだけで、全然違う曲にさえ思えてくる
人間の声より楽器の音の方が個性ない、個体差がないというか…😟
ボーカルは人間の身体という楽器を弾く演奏者であって、人間の身体は普通の楽器より個体差があるわけで…
同じ型番のギターだって、性格には一本一本木が異なるわけで、つまり同じ型番のギターでも正確には一本一本音が異なる
三味線だったか、尺八だったか、個体差が大きいから、プロは購入するとき楽器店で複数試して、その中から納得できたのを買うみたいなことを言ってた気がする
普通だったら、楽器店でギターとか試奏して、店員さんに、これください、って言ったら、
試奏したギターと同じ型番だけど、別の新品のギターを調整して送ってきたりするわけだけど、プロはこだわりが違うというか…
まあ、自分はそこまでこだわってないし、ギターの音の違いなんて全然分からない…😟
よく、プロの人が、この木の材質は~で、柔らかい音が、とか、全然俺には分からん、ウソ言ってない?とさえ思ってる
それこそ、オーディオマニアのこだわりなんて、オカルトとかスピリチュアルなんじゃないの?ってのもあるし…
でも、自分が持ってる、例えばヤマハのギターとIbanezのギターは、フレット幅とかネック断面形状が違うので、
手に持った感じ、弾く感じは大きく異なる、それは流石に分かる、それぞれに利点欠点がある
ギター本体の音の違いなんかより、どちらかというと、まずアンプで大きく異なる、それからエフェクター構成で当然大きく異なる
自分は音に関しては、このギターが良いとか全然思わない、そんなに違いは分からない、上述のように弾きごたえが違うのは分かるけど、
音の違いはアンプ、エフェクター、最近はもうその辺は完全にデジタルでシミュレーションできるし、
逆に世の中に存在しないアンプ、エフェクターもシミュレーター内で作れてしまう
そういったデータはネット上で公開して、みんなに配布できるので、プロが作って配布した設定を自分のパソコンのシミュレーターとかに取り込むだけで、
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
「格下扱いしてる女にアルファオスかっさらわれて殊更イラつく」っていうのは基本的に女さん特有の発想だと思うよ
インカレテニサーに文句言ってる東大女子の本音が結局それだったりする
言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。
3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズでもっとも人気のあった作品のスピリットを継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクション」である。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。
散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬マシマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写を二郎系の野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。
「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界に告発したいという強い意志を感じた。
最後の戦いのランボーが機関銃を掃射してミャンマー軍兵士の身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。
あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。
身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。
今作のストーリーとしては
タイで雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡の仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。
まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボーはタイを隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争のPTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。
俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴに移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。
今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会系ボランティア団体の扱いにある。
彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボーを人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボーを空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆を投影しているのは明らかだと思う。
それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローンの本音だろう。しかし特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。
言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療や教育で少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。
誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想になっちゃったら世界めちゃくちゃになっちゃうよ。
よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲとブロンド美女がいるんだけど、ランボーはハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。
ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険だから帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。
お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理だからね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナム系アジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!
最終的に大惨劇の後に美女はハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲと美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーがガチで美女に惚れちゃってただけかもしれない。
この作品の最後にランボーは実家に帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボーがタイに隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争の英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。
2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!
あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争のPTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲも美女もあんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。
でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。
ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品の対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法もちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。
寝てて静かな時は、助かった、このまま朝まで静かに頼む、となるべく触れないようにする。
”大変な毎日だが寝顔を見ると癒される”というよその人の子育てをネットで目にすると、精神構造が別物だなと思う。
高熱時や危険な行動でヒヤッとするシーンでは息子を心配一方で、心の奥底の実際の本音では「もしものことがあったら私の責任になるからやめてくれ」と思ってしまう。
逆に、私に全く非がない状態で、もしもものことがあったとしたら、きっと私は、しばらく静かにひとりの時間をすごしたのち、やっと解放されたと安堵するだろう。
昔のドラマでイグアナの娘というのがあったが、あの母親の気持ちがよくわかる。
子の異様さ。親の愛情を求める子が気持ち悪くて仕方がない。近づくな。私を求めるな。
息子が触れ合いを求めてくる時は「愛情に溢れた正しい親の振る舞いとは」を頭の中でいったん検索し、それらしくできるだけ演じる。でも息子はきっともう勘づいている。
寝かしつけの際、息子に触れてしまう側の半身は蕁麻疹が出るので、長年ビラノアを服用している。
「この子は何かおかしい」と思うし、離婚したこの子の父親は確かに精神異常だったし、私自身にも問題があるのはわかっているが、なるべく「正常に育てたい」と10年間頑張ってきた。
関わりたくない関わりたくない関わりたくない関わりたくない。
汚い汚い触らないで。
でも、まともに育ってくれないと困る。
怒られる怒られる私が怒られる。
触らないで。かわいいね。
汚い。えらいね。
ちゃんとしなさい。がんばったね。
マシになるか?マシにならない。
気持ち悪さは消えない。
息子はもうおしっこを漏らすことも、離乳食をひっくりかえして撒き散らすこともなくなったけど
文字がまともに書けない。服の裏表がわからない。筆箱もお道具箱もぐちゃぐちゃ。
まともになってほしい。どう教えてたら良いのか通院・療育・服薬、できることはなんでもやった。
うまくいかない。まともにならない。可愛くない。可愛いと思えない私が歪んでいるのだろうな。
私の親もおかしかった。親の親もおかしかった。父方の家系もおかしいようだ。
こんな気持ち悪い生き物にもう関わりたくない。私の知らないところでまともになって生きて欲しい。
消えてくれ。私の目の前から消えて、2度と関わらないで欲しい。そうして、息子の記憶から私も消えてなくなってほしい。
あらゆる犯罪のニュースを見ると、あと数年経ったら息子が加害者になる可能性がある、と思う。
そうならないために、どうしたらいいのだろう?
頑張っている、努力している、少なくとも装ってる。
衣食住には困らせない、過度にならないしつけ、コミュニケーション、周囲と同程度の娯楽や習い事、お友達との交友関係、学校行事への参加、なにをどう工夫しても、息子は気持ちの悪い、犯罪予備軍のまま
「あなたは母親としてもう十分にやっているよ」という気休めではなく、息子を遠くへやって誰かが真っ当な人間にして欲しい。
私のことは完全に忘れて、母に捨てられたとは傷にならず、社会に溶け込み、迷惑をかけず、標準で、うまいことやってもらいたい。
「岡田が質問しなきゃ良かった話」と「高市が言わなきゃ良かったこと」を混同するなよ。
「高市が言わなきゃ良かったこと」を責めたいなら「岡田が質問しなきゃ良かったこと」ではない前提が必要なんだよ。
つまり岡田の質問が適切であったことを立証するために、「一言一句そのまま、そう言えば納得されたであろう正答例」が必須ってこと。
それをせずに、なんで岡田の質問をまるっと無視して結果を全部「高市が言わなきゃ良かったこと」に押し付けてんだ?
はてサは「高市が言わなきゃ良かったこと」を追求する前に、岡田の質問の責任を取って岡田の質問の正答例を出さなきゃダメだろ。
こう聞けば色々答えは返ってきたが、その内容は「従来の話を踏襲しろ」って話でしたね。
しかし岡田は今まで通りって回答に納得せずになお追求して来たわけだから、それは「岡田質問の正答例」としては成立していない。
だから明確な正答例を出せよって言われるの。
そしてそのコンセンサスをとれよとも言われるの。
その場で岡田に納得されたであろうと、皆が納得するようにね。
そのコンセンサスを取れないなら、答えなんかどこにもない仮定をこねくり回してずーっと逃げ続けるだろうが、お前らはよ。
だいたい、正答例を挙げて、そこで言った事そのままの納得できる回答が政府見解として得られるんであれば、それは本来であれば嬉しいことでしょう?
だったら伏せる必要なんか欠片もあるワケが無いんですよねー?
なぜ言えないんですかー?
……てか、言えない理由は知ってるよ。
これは失言を拾うまでずーっと却下する嫌がらせでしか無いんだろ?
こんな中身の無い嫌がらせとか、質問通告も遅らすわな、そりゃ。
そんな答案の無い質問を出す奴が悪いし、その対応を責めるのはただのイジメだよ。
そもそも質問される側にハッキリしろと言うのなら、質問する側にだってハッキリした答案がなきゃオカシイんだよ。
そこらにはてサの「世間に知られてはいけない本音」がありますよね。
逆なんよ。
立憲の岡田は「存立危機事態についていたずらに言及するべきじゃない。危険を煽るだけだ」と言ってるのに、
高市はなぜか「中国が台湾に武力で攻撃したら存立危機事態になり得る」って言っちゃったんだよ
岡田は、存立危機事態の範囲をぼやかして恣意的に運用されることを懸念してたんだけど、高市はそれを台湾有事は存立危機事態になり得るって明言しちゃったんだよ
岡田としては「いや、ボヤかすなとは言ったけど、明言することを求めてるんじゃないよ」って感じだよ
たとえ台湾が中国に攻撃されても存立危機事態にはならないことだってあるんじゃないの?というのが岡田の立場
岡田としては「それが良くないんだよ」って感じだよ
このまま黙って中国に従うのは嫌なの、分かるよ
でもさ、国力で完全に負けてる中国に、勝てるわけないんよ
けれど高市はそこまで考えてないと思う
本題の前にお互いのスペックを。身バレ防止のため、大雑把にしか書いてません。
■ 自分(男)
■ お相手
今年某日に会社からアメリカ駐在に打診を受けて、会社の歯車でしかない自分は「はい/Yes」の返事しかできず、そのまま駐在が決まった。ただ、彼女がいなかったので、単身で駐在するのは嫌だし、任期を終えて帰国するころには30代半ばなので、出来れば結婚相手を見つけて一緒に駐在したいと考え婚活を決意。
IBJ系列の結婚相談所に入会し、活動をスタート。スペックとしてはアメリカ駐在を除けばよい条件であるためか、入会バブル等もあり順調にお見合いをこなしていった。ただ、正直どれもが「悪くはないけど、結婚をイメージするほどじゃないなぁ」という感想だった。結婚をイメージできそうだなって人は1,2回目のデートで断られたりして、なかなかうまく活動が進んでいなかった。
会った回数はお見合いも含めてたったの5回。電話を入れても総会話時間は30時間もないと思う。数字だけ見れば、「そんなもんか」と思うかもしれない。でもその密度は、とんでもなく濃かった。
婚活という場だからこそ、最初からお互いに結婚や駐在というリアルな話ができた。
自分の仕事のこと、駐在のこと、尊敬している上司のこと、本当につらく逃げ出したかった時のこと、、、
彼女の仕事の向き合い方、尊敬している先輩たちのこと、何よりも大事にしている価値観、、、
普通の恋愛なら、半年とかかけて話すようなことを短い期間で本音をぶつけ合ってきた。
彼女の好きだったところは、いくつもある。
仮に長く付き合えたとしたら、当然マイナスな面も見えてきただろう。それでも、それ以上の「好き」を積み重ねることができて、彼女を女性として、人として好きでいられたんだろうと思う。
自分には"駐在"という大きな要素があって、近々アメリカに駐在する予定だ。
お見合い段階で駐在の話は触れていたし、もちろんプロフィールにも書いている。でも、「帯同してほしい」とはっきり伝えたのは3回目のデートだった。
1,2回目ではあえて触れなかった。仮に相手から帯同可能と返事があったとしても、「帯同できるから、あなたと関係を続けている」と思われたくなかったから。まずは一人の人として、お互いを知る時間が欲しかった。
身勝手な理由だったなとは思う。彼女も、なかなか切り出されない駐在に不安を感じていたと言っていた。それでも自分は「帯同できるからあなたがいい」ではなく「あなたがいいから駐在に帯同してほしい」と伝えたかった。相手を"条件付きの相手"ではなく、"一人の人"として見たかった。
さらに、この過程で自分の配慮が足りなかったせいで、彼女を不快にさせてしまい、デートをリスケされたこともあった。この時は本当に反省した。でも、しっかりと向き合って、自分の至らなかったところを言葉にして伝えて謝罪をした。この時、ようやく本音でぶつかることができたと思う。
彼女は言っていた。
「駐在に帯同するかどうかを決めることは、婚活を超えた決断になる」
彼女にとって、見知らぬ土地で親しい人がいない環境に飛び込むことは大きな不安があったと思う。
僕は、駐在先の情報をいろいろな伝手から収集して、生活環境や治安、現地コミュニティの情報を集め、彼女に提示した。
「聞きにくいことを聞いてくれてありがとう」、彼女はそう言ってくれた。
駐在は確かに大きなマイナス要素だったかもしれないが、それと同時に、お互いの価値観や人生観を本音でぶつけ合うことができた要素でもあった。
少し、自分の過去の話をさせてほしい。これまで何人かとお付き合いをさせていただいたが、そのいずれも"相手が確実に自分のことが好きだ"とわかってから告白していた。断られるのが怖かった。ただのチキンで、石橋を叩きすぎるタイプだった。
しかし、今回はそうもいっていられなかった。彼女は素敵な人だったから、確実にライバルはいると思ったし、自分が選ばれる保証はどこにもなかった。だから、相手がどう思っていようと自分の気持ちは素直に伝えたいと思った。
4回目のデートで、告白をした。30代前半で情けない限りだが、声も、手も震えていた。言葉も取っ散らかっていたと思う。それでも、剝き出しの感情を相手に精一杯伝えた。
【そして届いたライン:「あなたにもっと素敵でぴったりなご縁がありますように」】
結果として、僕は選ばれなかった。
4回目のデートから1週間後くらい、急にラインがピタッと止まったと思ったら丁寧なラインがきた。
これまでのお礼と、別のご縁の方と向き合うことを決めたこと、そして今後のエール。
貴方以上にこのセリフにぴったりな人はいないと思ってしまう。世の中を見渡せば、確かにもっと自分に合う人はいるかもしれない。それでも、僕はあなたがよかった、そう思わずにはいられない。
【30代前半でくらった、失恋】
今回の恋は、僕にとって、初めて剥き出しの感情が成就しなかった経験になった。
本当は、学生時代にこういった失恋をしておくべきだったかもしれない。そういう意味で、「遅すぎた」と言える。
少しでも脈がないと思ったら逃げて、傷つかないことだけを優先してきた。
でも今回は逃げなかった。
そのうえで、ちゃんと振られた。
結果だけ見れば、確かに「選ばれなかった」で終わりだ。でも、その過程で、「ちゃんと誰かを本気で愛せる。誰かと結婚を現実的に考えられる」
ということを、知ることができた。
たった3か月の関係だったけど、彼女と過ごした時間は間違いなく自分の人生の中で特別な時間だった。
正直、先のことまで考えてしまっていたから、お恥ずかしい話だが、彼女に手紙を書くならどんな内容だろうって考えたことがある。ほとんど内容は決まらなかったが、それでも最後に一文絶対に入れたいと思っていた文言がある。
これを直接言う未来は叶わなかったから、ここではこう書き換えて彼女への感謝とともに、最後の言葉として刻みたい。
「愛していました、心から」
夏目漱石の「こころ」読むたびに思うんだけど、あの先生、ガチでメンタルクリニック行ってたら100%死なずに済んだよな。
Kの自殺=自分が原因って思い込んで、自分で自分を追い詰めてるじゃん
あれ完全に認知の歪みだよ
現代の精神科医が見たら、強迫観念+抑うつ状態+自責思考って即診断して、SSRI出して診断書書いて認知行動療法始めるレベル。
まず初診で「Kさんの死はあなたのせいだけじゃないですよ」って言われたら、先生泣いてるだろ。
「あなたは裏切ったんじゃなくて、ただ恋してしまっただけなんです」とか言われたら、心がちょっと揺らいだはずなんだよ。
それかグループ療法とかに通って、同じように過去に誰かを死なせてしまった罪悪感で苦しんでる人と話せば、苦しんでるのは俺だけじゃないんだって気づけたかもしれない。
先生って結局、誰とも本音で話せてなかったのが最大の問題なんだよな。
遺書でようやく全部吐き出すとか遅すぎる。
明治時代だから仕方ないって言われるけどさ、今だったら普通に生きてられたのにって思うと切なすぎる。
奥さんにすら話せなかったことを、カウンセリングで少しずつ言語化できてたら絶対違ったよ
俺もさ、ちょっとしんどいときにこの話思い出すと、思い詰めるくらいならメンクリ行こって思えるんだよな
みんなもヤバくなったらメンクリ行ってくれよな