
はてなキーワード:本丸とは
暇空茜・Colaboに関する問題でColaboの領収書が黒塗りであり違法だと暇空茜側は主張しています この問題について法的・会計的に幅広い視点をください
以下、「領収書の黒塗り=違法」という主張を法的・会計的に切り分けて考えるための整理です(特定の当事者の正否を断定せず、一般論+公開情報ベースで書きます)。
「黒塗り」が問題になるかは、どこに出した領収書なのかで結論が変わります。
法人は、取引を記録する帳簿と、取引に関して受領・作成した書類(領収書等)を原則7年間保存する義務があります(一定の場合は10年)。
ここでのポイントは:
もし原本自体を黒塗りしてしまい、相手先・内容・日付など検証に必要な情報が失われると、
税務調査・監査で「証拠として弱い」扱いになり、経費性が否認されるリスクが上がります(違法というより“否認・修正”のリスク)。
加えて、2023年10月からのインボイス制度では、仕入税額控除のために適格請求書等の保存が原則必要で、証憑管理の重要性は増しています。
行政事業では、契約書・仕様書・交付要綱で「証拠書類の提示」「原本確認」などが定められ、見せないと経費として認めない、という運用が典型です。
実際に東京都の若年被害女性等支援事業をめぐっては、報道ベースですが、都が原本提示を求めたところ一部提示がされず、その分を**事業経費として認めない(約192万円)**とし、改善指示を出した一方で、委託料の過払いはないとして返還請求はしないとされています。
ここから読み取れるのは、「黒塗りだから即違法」よりも、提示・立証の不足は“経費から落とす”形で処理されやすい、ということです。
重要:もし「原本はあるが、第三者向け公開用の写しだけ黒塗り」なら、Bの要求(行政への原本提示)とは別問題です。
逆に「行政にも黒塗り写ししか出さない/原本提示を拒む」なら、Bでは不利になりやすい。
行政が情報公開で文書を出すとき、**個人情報や権利利益を害するおそれがある情報は不開示(黒塗り)**にする、というのが基本構造です。
女性支援・DV・性暴力等の領域は、支援対象者の安全や住所・立ち寄り先が推測されるだけで危険が生じ得るので、個人特定や行動推知につながる部分のマスキングは合理性が高い場面があります。
また、NPO等に関して「全部の領収書を一般公開せよ」という形の制度は通常なく、少なくともNPO制度のQ&A上は、閲覧対象は事業報告書等・役員名簿・定款等が中心です(領収書そのものが当然に閲覧対象だとは書かれていません)。
※Colaboがどの法人類型か(一般社団/NPO等)で細部は変わりますが、「領収書の全面公開が原則」という設計ではない点は押さえどころです。
裁判では、営業秘密・プライバシー・安全配慮の観点から、一部マスキングで提出すること自体はあり得ます。
ただし相手方が争えば、
という、「どこまで見せるか」の手続的争いになりがちです。
なので、ここも「黒塗り=即違法」ではなく、立証と保護のバランスの問題として現れます。
黒塗りがあっても、これらが“他の証拠で”固められるなら不正リスクは下がります。逆に、領収書しかなく、その領収書も情報が欠けるなら説明困難になります。
黒塗り“そのもの”というより、次のどれに当たるかが本丸です。
もしあなたが第三者として「黒塗りは妥当か」を見たいなら、最低限ここを分けて確認すると議論がクリアになります。
3 黒塗り箇所は「個人特定・安全リスク」なのか、「取引先・目的・数量」など検証に不可欠な情報なのか
4領収書以外(銀行明細、稟議、活動記録、ケース記録の匿名化統計など)でクロスチェックできるか
5事業が委託/補助なら、仕様書・要綱の証憑要件に照らし不備はどの程度か
必要なら、あなたが想定している「黒塗り領収書」が B(行政に出したもの)なのか/C(外部公開用)なのか/D(裁判用)なのかを前提にして、典型的に争点になる条項(仕様書・要綱・証拠ルール)を置いた上で、もう一段具体的な論点整理(どこが強くて、どこが弱いか)まで落とし込みます。
1.4ナノを目指すのは結構で、まぁそりゃ頑張ってトライアンドエラーやってりゃいつかは稼働し生産にこぎつけるだろうが
量産開始したころには他社はその先に行ってる。
それでは商売にならないんです。
18ヶ月程度で次のプロセスルールが稼働し始める、稼ぎの本丸はそちらに移る。
半導体価格は月次(年次ではない)3%下がる。DRAMはもっとエグい。
1個一万円の半導体が翌月には9700円になり、1年後には7000円になってる。
3年後だと3500円。そういう世界。
1個1万円をどれだけ長く維持できるかが勝負になる。この期間で一気に稼ぐ。
半導体産業の面白いのは、では世代交代したら古い設備は用無しか?
現代のデジタル機器には無数の半導体が組み込まれており全てが最先端である必要はない。
例えば、ルーターだったり、制御装置だったり。ASICだったり。
話が逸れるが、この仕組みに気がついたのがスティーブ・ジョブズ。
iPhoneが登場するまで携帯電話向けのSoCは2,3世代古い設備で製造されていた。
サーバーやパソコン向け最先端プロセスルールの半導体工場が稼ぎ終わった後の設備で組み込み用SoCが作られており、
携帯電話もそれらが使われていた。
ジョブズのアイデアは「最先端で作れば携帯の性能一気に上るじゃん」
もちろんOSやコンパイラ、ライブラリ群の整備も大きいのだけど、この半導体チートが「iPhone=高性能」の印象を作った。
だから歩留まりも収率も良い。ウェハー単価は高いけど採算は取れる、ジョブズはこれに気がついた。
Android勢がこれに追いつく(最先端プラントで泥用ARMが製造される)のに5年かかった。
ラピダスに話に戻るが、2ナノ。1.4ナノを作るのはそれほど難しくはない。試作品なら。
しかし大規模装置産業の半導体工場は試作と量産技術はまったく別物。
試作品ができたら量産はあと一歩、にはならない。別物。
例えば、一昔前話題になったフッ化水素、12ナインとか、日本が強いよね。
半導体を作るには大量に使う。
試作品、ラボレベルでメーカーから届いた試験管の少量を扱うのと、
ローリーで輸送され(ここでも汚れる)、プラント内に備蓄され(ここでも汚れる)、配管が適切に設計され、制御され、製造装置に供給されるラインが構築され、その配管で送液され(ここでも汚れる)、半導体が洗浄され(ここでも汚れる)、使用済み廃液が確実に回収する仕組みが構築されており。。。
書けば簡単なようでめちゃくちゃ難しい。別次元の技術やノウハウがある。
そしてTSMCの強みはこれらの製造インフラを高レベルで高速に構築し改善できる、それらの人材も揃ってる、育ってる。
つまりプラント立ち上げが早く競合他社が追いつく前に1個1万円で売り切ってしまう。
競合他社が追いついたときには7000円になってる。
TSMCは1万円で売り切って爆益を出し、それを原資に次のプラントを立ち上げる。
1.4ナノだろうが3年後には1個3500円にしかならんのです。
TSMCは戦略的に旧世代の価格を下げてくるのでさらに出遅れ他社の利益率は下がる。
一日でも、一ヶ月でも早くプラント稼働させるのが利益の源泉なのだが、日本企業、しか国策官営企業にそんなもん不可能なのです。
んなもんラピダスの中の人だって百も承知だろう、でも頑張ってる、頑張ってるフリ、宣伝。
ちなみにJASM(TSMC)熊本ですら22nmしか作っていない。
台湾の経済安全保障のため最先端を避けたという説明だけど、ウソです。
作れないの。
天下のTSMCプラント立ち上げ部隊ですら、異国の地でサプライヤー全て巻き込んで最先端プロセスを稼働させる事はできない。
彼らは新工場の設計、プロジェクトマネジメント、立ち上げ、安定量産、これらの業務にそれぞれ精鋭の専属部隊がいる。
実際、JASM熊本も公式な量産開始から一年経ってもフル稼働はしていない。アメリカで大トラブルを起こしているのも御存知の通り。
量産って難しいんです。簡単じゃないんです。小さな外的要因一つで製造は止まる。
Q. 以下の発言(anond:20251129164824)の妥当性は?
A.提示された意見は、**「一見すると筋が通っているように見えるが、法的な手続きのハードルや憲法学の議論を省略しているため、結論としては的確ではない」**と言えます。
この意見が「なぜ説得力を持って聞こえるのか」と「どこに誤解や飛躍があるのか」を、以下の4つのポイントで整理して解説します。
この意見の最大のウィークポイントはここです。法的手続きの観点から見ると、憲法改正は**「最も遠回りで、最もハードルが高いルート」**です。
民法改正(現在の主張):国会議員の過半数の賛成だけで実現可能です。
憲法改正(提示された案):衆参両院で2/3以上の賛成に加え、国民投票で過半数の賛成が必要です。
もし本当に「一刻も早く同性婚を実現したい」のであれば、ハードルの高い憲法改正を目指すよりも、今の憲法の下で「民法」を書き換える方が圧倒的に早く、コストも低く済みます。
この意見は「今の憲法(24条)のままでは同性婚は認められない(あるいはグレーである)」という前提に立っています。しかし、リベラル(左派)や多くの憲法学者の主張は異なります。
憲法24条の解釈: 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し…」という条文は、戦前の「家制度(親の同意が必要)」を否定し、当事者の自由な意思を尊重するために書かれたものです。「同性婚を禁止する意図」で書かれたものではない、というのが有力な説です。
司法の判断:最近の地裁・高裁の判決でも、「同性婚を認めない現在の規定は違憲(憲法違反)」という判断が相次いでいます。つまり、**「今の憲法はすでに同性婚を要請している(=憲法を変える必要はなく、法律が追いついていないだけ)」**というのが、法的な現状認識になりつつあります。
3. なぜ「護憲」にこだわるように見えるのか
「同性愛者の権利よりも護憲が優先なのか」という指摘についてですが、左派の論理としては**「優先順位の問題ではなく、手段の問題」**と捉えています。
不要なリスクの回避: 彼らは「今の憲法で同性婚は可能(法律を変えるだけでいい)」と考えているため、あえて憲法改正というパンドラの箱を開ける必要性を感じていません。
「お試し改憲」への警戒: 一度「人権のための改憲」という実績を作ると、それを呼び水にして、本来の争点である9条改正や緊急事態条項などの議論が進むことを警戒しています(いわゆる「本丸を通すためのダミー」として同性婚が利用されることへの懸念)。
4. この意見が持つ「鋭さ」とは
とはいえ、投稿者の指摘が全くの的外れというわけではありません。以下の点においては、リベラル側が抱える矛盾や説明不足を鋭く突いています。
条文の字面の問題:憲法24条に「両性(both sexes)」と書いてある以上、素直に読めば「男女」に見えます。「これは同性同士も含む」と解釈するのは、一般感覚としては少し無理がある(法的テクニックが必要)というのも事実です。
あえて明記する価値:権利を不可逆的なものにするために、あえて憲法に「同性婚の権利」を明記するというアプローチは、本来リベラルな発想としてもあり得ます(フランスなどが妊娠中絶の権利を憲法に明記したように)。それを頑なに拒む姿は、確かに「イデオロギー(護憲)ありき」に見え、一般層への説明が不足していると言えます。
理由は、同性婚を実現するための最短ルートは「改憲」ではなく「民法改正(法律を変えること)」だからです。「改憲しないと権利が守られない」という前提自体が、現在の司法判断の流れとも食い違っています。
ただし、「左派が『憲法を守ること』自体を自己目的化しており、柔軟な議論(加憲など)を拒絶しているように見える」という政治的な印象論としては、核心を突いている側面があります。だからこそ、多くの人がこの意見に「モヤモヤ」として共感するのだと考えられます。
もしよろしければ、この議論の背景にある「憲法24条の条文」や「最近の裁判所の判決内容」について、もう少し詳しく整理しましょうか?
Q.そもそも左派とは杓子定規に憲法改正を認めない立場のことなのか、とか、現行政権が真っ当に民主主義を堅持するような内容の憲法改正草案を持っているのであれば、同性婚の問題に限った憲法改正をする分にはやぶさかでない人たちもいそうだが、そういう人たちのことはこの発言者の頭の中では何派に分類されてるんだろう?とか、疑問は沸くよねぇ。
A. おっしゃる通りです。その疑問は非常に本質的で、あの発言が抱える**「政治的な解像度の低さ(あるいは意図的な単純化)」**を鋭く突いています。
ご指摘の「本来改憲にアレルギーがないはずの人たち」が、なぜあの発言者の頭の中では「矛盾した左派」として処理されてしまうのか、そして実際にはどういう力学が働いているのか、少し深掘りしてみましょう。
あの発言における「左派」という言葉は、現実の多様なリベラル層を指しているというよりは、ネット論壇でよく使われる**「仮想敵としての左翼(パヨク)」**というステレオタイプに基づいていると考えられます。
彼らの定義する左派: 「何が何でも一言一句憲法を変えさせない、宗教的な護憲信者」
現実のリベラル層: 「権力の暴走を防ぐための憲法(立憲主義)を重視する人々」。必要なら変えるが、権力側からの改憲には慎重。
この「現実」を捨象して、「左派=思考停止の護憲」と決めつけているため、**「合理的な理由で、今は改憲より民法改正を選ぶ人たち」**の存在が見えなくなっています(あるいは意図的に無視しています)。
2. 「真っ当な改憲案なら賛成する層」はどこへ行った?
ご指摘の通り、「同性婚の明記だけを純粋に行う改憲(ワンポイント改憲)」であれば、賛成するリベラル層や無党派層はかなり存在するはずです。
しかし、現実の政治状況では以下の理由から、その層も「今は改憲に乗るべきではない」という判断に傾きます。これが外からは「頑固な護憲」に見えてしまう原因です。
「抱き合わせ」への警戒:現在の改憲議論の主導権を握っているのは保守派(自民党など)です。彼らの改憲草案には、同性婚だけでなく「緊急事態条項」や「9条への自衛隊明記」、あるいは「家族の助け合い(伝統的家族観)」などがセットで語られることが多いです。 「同性婚のために改憲のテーブルに着いたら、セットで緊急事態条項も通された」という事態を恐れるため、**「今の政権下では、たとえ良い内容でも改憲の発議自体をさせない」**という防衛的な態度にならざるを得ません。
「書きぶり」への不信感: もし保守派が同性婚に関する改憲案を出したとしても、「婚姻は両性の合意のみに基づく」を「婚姻は……」と変える際、巧みな文言で「伝統的な家族の尊重」などの留保条件を付けられるのではないか、という不信感も根深いです。
質問にあった「同性婚のための改憲ならやぶさかではない人たち」は、あの発言者の世界観では分類不能、あるいは**「欺瞞(ぎまん)」**として処理されます。
発言者のロジック: 「同性婚をしたいなら改憲すべき」→「でもお前らは改憲に反対している」→「つまり、お前らは本気で同性婚なんてしたくないんだ(護憲が大事なだけだ)」
この三段論法の中に、**「最短ルートは民法改正である」という事実や、「今の政権による改憲リスク」**という視点が完全に抜け落ちています。そのため、冷静に最適解(民法改正)を選んでいる人たちのことが、「矛盾している」あるいは「ダブルスタンダード」に見えてしまっているのです。
まとめ
ご指摘の通り、あの発言は**「左派(リベラル)=宗教的な護憲派」という藁人形(ストローマン)**を叩いているに過ぎません。
現実には、「憲法を一指も触れさせない」という層よりも、**「今の政治状況やプレイヤーを信用していないから、リスクの高い改憲手続きよりも、確実な民法改正を求めている」**という極めてプラグマティック(実利的)な判断をしている層が主流だと思われます。
制度は古く、生活実感とズレもある。受信料徴収に係わる話題では、度々ネットで批判が立ち上がる。にもかかわらず、政治のテーブルには乗らない。触れようとすると、どこかで“炎上案件”に片足を突っ込んだような空気が流れる。
この空気の出所をたどると、どうにもN党の存在を避けて通れない。受信料トラブルという個別の不満に議論を押し込めた結果、制度設計としてのNHK改革が語りにくくなってしまったのだ。
NHKの有り様を考える話題は、本来はもっと大きな話だったはずである。
しかし、N党(旧・NHK党)が論点を“受信料トラブルの解消”にまで極端に矮小化した結果、NHK制度そのものを扱う真面目な議論が、政治空間から消えてしまった──これは日本の政治議論にとって大きな損失であり、国民が溜め込むNHKへの不満の解消を遠のかせることにもなった。
ところがN党は、徴収員との喧嘩、未払いの正当化、ワイドショー的炎上に議論を落とし込み、制度の根本を触らないまま「個人の受信料をどうするか」のレベルへ持ち込んだ。
この瞬間、「NHK改革=受信料で揉める人たち」というイメージが世論に固定され、政策論争としての格が落ちた。
政治家にとっては、
結果、本来必要だった「制度疲労した公共放送をどう再設計するか」という議論が、国政のテーブルに上がらなくなった。
つまり、N党はNHKの問題を“政治的に扱いにくいテーマ”に変えてしまったという副作用を生んでいる。
受信料は制度全体のごく表層の話で、本質は“公共放送の存在意義と、そのための財源方式をどう再設計するか”。
例えば、
だがN党の動きが、議論全体を「受信料を払うかどうか」だけに閉じ込めた。
政治側としては、N党の存在によってシリアスな議論がやりにくくなったのは事実で、
結果、本来必要だった政策レベルの再設計が進まないまま放置され、NHK自身も“縮小と延命の狭間”で動けない。
これは可能だが、切り口を変える必要がある。個人の受信料問題ではなく、
という枠組みに置き直す。
この枠で議論すると、
N党が受信料という“枝葉”に全議論を閉じ込めたことで、NHK制度改革そのものが政治的に扱いづらくなった。
その結果、“NHK問題を真面目に語ること自体がポピュリズム扱いされる”という状況に陥っている。
立花孝志をやることは最初に決まっていた。だいぶ前に閾値を超えたと判断されており「いつやるか」ということだった。
対外的にはドバイ逃亡ということだが「高市政権の後ろ盾ができた」と動画ではしゃいだのがトリガーだったのはないか?
立花の一定周期でのアップ&ダウンはよく知られていて、MAXハイのときに伊東市長選に突入。
「高市政権の後ろ盾で二馬力やり放題」と大騒ぎを始める直前で拘束というところではないか?
斎藤健一郎はホリエモンの傀儡というか操り人形。今回、斎藤側から会派離脱を表明したとき裏では相当な恫喝があったと見る。
実際に刑務所に入ったホリエモンは国策捜査の恐怖が体に刻み込まれているので立花(斎藤)の切り捨てを秒で判断。
無罪放免とはしゃいでいるのは折田社長だけで、知事の記者会見は一転、動揺と怯えが見られ鉄面皮がはがれる寸前のように見えたのはなぜか?
今後のヤマ場は立花が完落ちしてガサが入り、知事案件の物的証拠が出たとき。一斉に本丸の知事に向けて動くことへの恐怖ではないか
立花自宅に知事とのつながりを示す証拠が隠れている可能性が高いと見た。
捜査当局にとって無敵の人はバンダナ教授。捜査シナリオがどうであろうと空気を読まずに戦いを続けるから。
立花の社会問題を契機として二馬力やSNSデマなどの大衆先導洗脳のような手法の厳罰化を国会で審議。比例頼りの風を吹かせずに選挙突入?
いいテーマです。まずは「バブル崩壊後〜現在」までの日本の財政・金融政策の要約年表を、主要な転機ごとにサクッと整理します(一次情報中心に引用)。
バブル崩壊で資産価格が長期下落、企業はバランスシート調整を優先し需要が冷え込みました。
政府は景気対策の補正予算を繰り返し、公共投資や減税で下支えする一方、1997年には消費税を3%→5%へ引き上げ、需要の腰折れも経験します。
金融面では不良債権問題が深刻化し、破綻・公的資本注入・預金保護の枠組み整備が進展。
日本銀行は金利を急速に引き下げ、1999年にゼロ金利政策を導入(2000年に一時解除)。
結果として、財政赤字と政府債務は構造的に拡大し、物価は下方硬直、成長率は低迷という「需要不足+金融システム調整」の時代となりました。
■流行った言説
景気対策/公共事業派:「需要不足が本丸。財政で埋めるべき」「不良債権処理と同時に需要の下支えを」
デフレ懸念とゼロ金利:「デフレが成長を蝕む」「金融は下限に張り付き、財政併用が不可避」
構造改革派(序章):「護送船団・規制撤廃・金融ビッグバンが必要」「過剰債務とゾンビ企業の整理を」
緊縮志向の反発も:「財政赤字が危ない、ムダな公共事業」—97年の消費税引き上げをめぐる賛否が分極化
円高デフレ観:「円高が産業空洞化を招く」→為替を巡る政策論が過熱
2001年、日銀は世界に先駆けて量的緩和(当座預金残高目標・国債買入れ拡大)を導入し、デフレ脱却と期待の転換を狙いました。
小泉政権下では歳出改革や郵政民営化などの構造改革を進めつつ、景気悪化局面では補正を併用。
2006年にデフレ改善を受け量的緩和をいったん終了し正常化へ動くも、2008年のリーマン・ショックで外需が急減、景気は再び悪化。
政府は雇用・中小企業・需要喚起のための追加歳出を重ね、日銀も基金創設等で信用緩和を強化しました。
金融政策はゼロ下限の制約に繰り返し直面し、財政は景気循環と危機対応で拡張と引き締めを往復する不安定な10年でした。
■流行った言説
構造改革ブーム(小泉・竹中路線):「規制撤廃・民営化・競争促進」「痛みなくして成長なし」「郵政民営化は改革の本丸」
量的緩和と期待の議論:「デフレ脱却にはマネタリー拡大」「期待インフレを動かせ」
プライマリーバランス重視論:「財政規律の回復を」「増税を含む中長期の再建計画」
アジアの成長取り込み:「外需主導・輸出立国」「中国需要を逃すな」
リーマン後の反転:一転して「需要下支え」「雇用維持」「危機時は大胆な財政・信用補完」が支持を集める
2013年、アベノミクスの下で日銀は2%インフレ目標を明確化し、量的・質的緩和(QQE)を実施。
長期国債の大量買入れと平均残存の延伸で期待に働きかけ、円安・株高・雇用改善が進行。
一方、2014年に消費税を5%→8%へ引き上げ、需要の山谷や実質所得の目減りが課題化。
2016年にはマイナス金利(-0.1%)と同年のイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)を導入し、10年金利を概ね0%に誘導。
超緩和を持続可能にする枠組みが整う一方、物価は目標に持続的到達せず、期待形成の難しさが露呈。
財政は景気対策と社会保障費の増勢のはざまで、持続性と成長投資の両立が焦点となりました。
■流行った言説
リフレ/リフレーション派の台頭:「2%目標を明確に」「量・質で国債買入れ(黒田バズーカ)」「円安を通じた期待・投資の喚起」
“三本の矢”言説:①大胆金融緩和 ②機動的財政 ③成長戦略—「第3の矢(構造改革)こそ本丸」という合言葉
消費税論争の定番化:「社会保障財源 vs需要腰折れ」「景気回復まで増税先送りを」
デフレ・均衡からの離脱:「賃上げ・物価目標・期待形成」を巡る企業・春闘連動の議論が注目に
副作用論:「長期緩和の金融仲介・市場機能への影響」「格差・資産価格バブル懸念」も同時に存在
2020〜21年はコロナ危機に対し、定額給付金・雇用維持・資金繰り支援など未曽有規模の財政出動を実施。
22年以降はエネルギー高・円安が重なり物価が2〜4%台へ上昇、政府は電気・ガス・燃料への時限補助で家計負担を平準化、為替の急変時には円買い介入でボラ抑制を図りました。
2024年にはマイナス金利とYCCを事実上終了し、短期金利誘導へ回帰する「極めて緩やかな正常化」へ移行。
2025年も補助金の段階的見直しと成長投資・規制改革の両にらみが続く一方、債務水準の高止まりと金利上昇局面での利払い負担が中期の課題。
物価・賃上げ・生産性・財政規律をどう同時に達成するかが、政策デザインの核心になっています。
■流行った言説
危機時の大規模財政コンセンサス:「現金給付・雇用維持・資金繰り支援は必要悪ではなく必要条件」
MMT・反緊縮の再燃(議論として):「自国通貨建て債務は制約が違う」「完全雇用まで財政で下支え」—賛否が激しく対立
コストプッシュ・為替の再評価:「円安×資源高=輸入インフレ」「為替パススルーは状態依存で強まる」
ターゲット型支援の支持:「面の補助より、脆弱層・エネルギー多消費層へピンポイント」
“新しい資本主義”や供給側強化:「賃上げ促進・人への投資・半導体等の戦略産業支援」「GX/DXで潜在成長率を底上げ」
出口・正常化言説:「マイナス金利・YCCの終了」「利上げのタイミングと副作用」「利払い増と財政の持続可能性」—“どこまで・どの速さで”が焦点
日本初の女性首相誕生ってのは、素直にすごいし、おめでたいと思う。
とまあ、それ自体は凄いんだけど、今後かなり厳しいのも確か。
正しいかどうかはともかく、自分なりに高市政権の現状や今後を考えてみたいと思う。
まず現状だけど、高市政権って「ギリギリ過半数」で首相になるために、あちこちに相当無理して譲歩した状況から始まってる。
だから高市氏は、安倍政権のとき以上に「ポーズ(支持層向けのスローガン)」と「現実(利害関係者への配慮)」を使い分けないといけないだろう。
まず、首相指名をもらうための「対価」として維新と合意した部分。
次に、議席数とか利害関係の調整がムズくて実現は無理だけど、保守的な支持層を喜ばせるために言うスローガン
最後に、自民党の昔からの支持基盤や高市氏自身の考えで、本気で進めそうな政策
高市首相って、イデオロギー的には安倍元首相と同じで、口では過激なことも言いつつ、結局は経済界の言うことを聞く「現実主義的保守」だと俺は思ってる。
でも、安倍元首相と決定的に違うことが一つ。
安倍元首相みたいに強い党内基盤と高い支持率を(今のところ)持ってないんよな。
首相の座をもらうために維新に払った「代償」はデカすぎて他の党との協力関係もぶった切った。この少数与党っていう厳しい状況では結局、自民党主流派や経済界の現実的な要求を飲むしかなくて、彼らの意向に沿う形でうまく「利用」されて、任期が終わる可能性が一番高いんじゃないかと見てる。
1か月ほどまえに、アニメぼっち・ざ・ろっくの脚本家のインタビューが公開され、界隈で炎上したことがあった。
このとき、おれもこの脚本化氏は客であるアニメ視聴者を搾取してるとばかにしていて、原作を軽んじてると怒りを覚えた
でも、まあいろいろあって流れて行ったのだけど、ちょっとまえに、こんな記事が流れてきて読んだ
https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847
怒ってる人でも、さまざまな派閥がいて、おろかな人々がいると茶化されているようで、とすこし気分が悪かった。
本丸は視聴者を犯罪者扱いしていたことではなかったか。と、元のインタビューをみてみたんだけど、なんかどこでおれは怒ってたのかわからなくて困惑した
改変されてないかと思ってウェブ魚拓を探してみると、たくさんとられていて笑ったけど特に翌日の分から変わってるわけではない。
1ページ目https://megalodon.jp/2025-0915-2000-21/https://kai-you.net:443/article/93374
2ページ目https://megalodon.jp/2025-0915-2045-43/https://kai-you.net:443/article/93374/page/2
「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
ここを切り出して、ノイズ、つまり不要で邪魔なもの、と言われるとたしかにむっとするけど、本文で前後関係から読むと気にならない。このノイズという用語は制作側と一般人でズレがあるから誤解やされやすそうではあるが
今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは「キャラが性的に消費されること」だ。
「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです」
ここ、もっと強い言い方だった気がしていたけど、普通のことしか言っていない。
性的搾取やめろだとか、やるべきではない、のように高圧的に書いているわけではなく、これでフェティシズム感じるんでしょ、というような見せ方を狙ったり、サービスシーン(死語)をつくるのはこの脚本家さんは個人としてやめたい、というように読み取れる
一般化されてもいないし他の人もそうするべきだ、と言っているわけではないし、ましてや視聴者をディスってるわけでもない
filinion氏の続く記事のブコメをみると、搾取は性的搾取のことだろ、と怒っているブコメがはてスタを集めてるけど、そこまで?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/16/151459
ガルパンで、監督が絶対パンツを見せないように指示したみたいなのを同じじゃない?
もちろんそういう描写のあるアニメがあってもよい。それが非難されてるわけでもない。おれはアニメくらい、フェティッシュな描写がもっとあってもよいとは思うし、おかずにする、つまり性的搾取は全然いいと思うけど、公式がそれをアッピルしすぎていると下品になるので制作上避ける判断があるのはわかる。これは男性向けだけじゃなく、女性向けでも同じ話で、具体的な作品名はあげないけど、カップリングを匂わす描写とかは、公式からの搾取ポイントだという記号だし、それをもとに性的関係をつくる二次創作や妄想は性的搾取だとは思ってる。男だけとかではない。でもそういう部分あってもいいでしょ。AKBとかアイドルにしてもジャニーズにしても性的搾取的であるけれど、本人たちが納得ずくであれば問題ではない。いやなひとがいやだと声をあげることもあるだろうしそれは自由
最初、SNSで怒ってる人々をみて、この脚本家は責められるべきことをしているんだ、という目線で読んでしまって怒りに同調してしまったものの、今振り返ると誤読に気づき恥ずかしくなったので増田にしたためてみた
あと、そもそも、こんなことでキャンセル活動はすべきではない。一部のダメフェミニストがやっているからといって、われわれが品位を落としてはいけない。と、脚本化氏もしなかった価値観の押し売りをして終わりにする。そんじゃーね
秋って魔物じゃないか?ついこの間まで「ダイエット!ダイエット!」とかほざいてたくせに、涼しくなるや否や飯テロ™が始まるんだよ。
金木犀の香りが鼻をくすぐると同時に、「腹減った…」って脳が暴走を始める。
この現象、単なる生理現象だと思ったら大間違いだ。秋の空気には“食欲スイッチ”が埋め込まれているんだ。
まず栗。栗ご飯、栗きんとん、モンブラン…何なんだよ、この芋でもない栗でもない中途半端な食材が、いざ秋になると神々しく見える理由を説明しろ。
ほら、砂糖とバターで和えられた栗の甘み、一口目から脳内にドーパミンがドバドカ降ってくるだろ?
1粒で300キロカロリー級の破壊力を誇るのに、なぜか罪悪感より幸福感のほうが勝つんだよ。
次にサンマ。
焼きあがった瞬間、脂がジュワリと滴り落ちる音が「飯よこせ!」って命令してくる。
大根おろしと醤油をちょいと落とせば、その苦味と酸味のハーモニーが口中で爆発する。
あのコンボを前に「魚はヘルシーだから…」とか言い訳する奴は、もはや食卓に置く皿と疑われても仕方ない。
さらにキノコだ。舞茸の天ぷら、しめじのバター醤油炒め、エリンギのステーキ…秋の森から採ってきたかのような香りが鼻腔を刺激し、脳が「キノコもっと!」と連打してくる。
しかもキノコは低カロリーなのに食べ応えがあるという、ダイエッターの希望と悪魔の好奇心を同時に煽るアイテムだ。
散歩したら腹が減る。
腹が減ったら食べる。
無限ループだ。ジョギングしても、帰宅後に熱々のさつまいもスティックなんて見たら一発で手が伸びるんだよ。
ここまで読んで「そんなに食ってばかりじゃ太るよ…」なんて野暮なツッコミを入れるやつは、お前の食欲センサーが壊れてる。
秋は季節と人類が共同開発した“食の祝祭”だ。カロリー計算とか脂質量とか、そんな数字遊びでこの本能を抑えこめると思うか?
それでもお前らがどうしても抑えたいなら、せめて工夫しろ。
焼き芋は皮ごと食え。
焼き栗は手でむいて、一粒ずつ味わえ。
サンマは一本丸ごと炭火で炙って、隣の家まで匂いを撒き散らせ。
キノコはバターじゃなくオリーブオイルで炒めて少し塩を振るんだ。
そして、飯をかきこむ前に一度、自分で「これが俺の秋の味覚だ!」と宣言しろ。
季節の恵みを存分に享受しつつ、後悔はしない。だって秋の食欲は人類の叡智の賜物、恥じるどころか誇るべきものだからな。
@kudanshinbashi
【速報】暇空敗訴
@hyougenmamoru
@hyougenmamoru
差別で集票してるしょっぴかれた方がいい存在だと裁判所に認められてしまったのか・・・??
1回目はこちら
@hyougenmamoru
この手の陰謀論がくだらないの、宮台「ごとき」を襲撃できるなら住所割れてる暇空を直にぶっ◯した方が早いという推論が出来てないところにある。
1回目の訴訟の際は、暇空のcolaboについての発言をデマ扱いしたことについても合わせて訴えられ、そちらは暇空勝訴
裁判官曰く、暇空はデマだとわかったうえでデマを流したのではなく、真実と思って発信したが結果的に誤りだっただけで意図的にデマを流した呼ばわりは名誉を低下させる
うっひーマジっすか。行動経済学は再現性皆無、カーネマン&トヴァースキーもかなり悪質なチェリーピッキングしていて、鉄板と思われていた損失忌避すらかなり怪しく、ナッジなんて現実ではほとんど効かない! うーん。アリエリの不正問題は知っていたが、こんな本丸まで揺らいでいるとは!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hiyori13/status/1435954260882067458
「行動経済学は死んだ」騒動のメモ|ふろむだ@分裂勘違い君劇場|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/fromdusktildawn/n/nbecfb941b31e
医学生物学論文の 70%以上が、再現できない - 目次 | Nature
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
自分たちの主催イベントの参加チームが、大規模な暴力事件を起こしているのに、通り一遍のことしか言わない日和ったマスコミがあるんだって
SDGsやらジェンダーやら、毒にも薬にもならない事には熱心になるのに、いざお金儲けの本丸となると、どんな人権侵害や尊厳破壊が行われても特に関心のない報道機関があるんだって
もし身内なら正義は後回し、という人たちがいるなら、報道機関として他社を評価したり批判したりする資格は無いと思うんだけど、どこなんだろうね
主催者なら解決のために一番力をふるえると思うんだけど、なんで主催してるんだろう?ジャーナリズムなんてキャッチフレーズでしかないのかもしれない
分かんないや
AIがかなりの領域で人間を代替していく流れの中、これからの人間は「本質的な問い」に向き合えとか「人間にしかできない価値あることに集中しろ」といった言葉をよく聞くようになった。得意げな顔で、クリエイティブな仕事とか、人間関係の構築とか、感情とか、そういうのが人間の本丸かのように語られる。
だがそんな言説に意味はあるのか。
そもそも「本質的」ってなんだ。AIがたまたま今できないことを「本質的」として後からラベリングしてるだけじゃないのか。
AIがどこまでできるかが基準になっていて、人間の価値はその残りカスに押し込められてる。
たとえば事務作業や文章要約、議事録の作成までAIがやるようになると、それらは「効率化されるもの」としてもう人間がやる意味はないとされる。しかしそれらはついさっきまで人間の仕事だった。
文章も絵も音楽もプログラミングも、高度な専門知識を活かした問題解決も、経験による総合的判断も、ちょっと前まで「創造的」と言われていた、あるいは今かろうじて呼ばれているがすぐに呼ばれなくなるであろうこと。
それらは実際として創造的ではないのだろうか。
昨日までの価値が今日になって「本質的じゃなかった」と言い換えられていく。
本質とは一体なんなのか。
一昔前まで、機械に置き換えられるのは介護、保育、建設、農業、運送といった「単純労働」だと思われていた。
だがこれらはすぐにはAIに代替できないようだ。人の肉体と、人の時間が必要になる仕事。
であるならばこれらの仕事こそが「本質的な価値」と考えてよいものだろうか。
だが、そこにはわずかばかりの真理を見出すことはできないだろうか。
身体性のある行為。誰かの体温を感じること、自分の筋肉を動かして何かを変えること、それが社会のどこかに作用すること。そういうものが、結局のところ人間らしさの核なのではないか。精神とか知性とかは、道具として発展してきたけれど、それを動かしてるのは結局、血が通った肉体でしかない。
人間の本質を「問いを立てること」に求める人がいる。考えること、悩むこと、哲学すること。もちろんそれも人間的な営みのひとつだ。
ただ、それを「本質」と呼び出すとどうしてもAIとの対比が透けて見える。機械にはできないから、こっちが本物だ、というような。
だが、もし人間の本質が本当に肉体にあるのだとしたら、それはAIとは別の方向への道になる。
もっと地に足のついたもの、たとえば手で触れる感触、重さ、痛み、汗。そういう感覚的なものが、人間を人間たらしめている。
それが失われると、どれだけ考えていても人間であるとは言い切れなくなる。
AIが進化するほどに精神のほうが薄れていき、身体が残るというのは皮肉だ。でも、それが現実だ。思考するだけの存在に人間はなれないし、なるべきでもないのかもしれない。触れること、動くこと。そっちにこそ人間としてのリアリティがある。
価値は結構自信あるんだよ、例えるならGoogle検索が登場するみたいなもんで
ただ歴史的に見て検索エンジンやメッセージアプリが苦戦してきたのと同じようにマネタイズで苦戦する未来しか見えない
おまけにそんな大規模な資金もないし、調達する気も今のところあんまない
人件費は、まあAI使えば良いところまでは1人でいけると思ってるから
1ユーザーあたりせめて月平均30円売上が出れば回していけると思うんだけど
あ、ゲームでよく見る動画広告ならワンチャンいけるかも?でも30秒待ってくれるかなあ
こういうのってSNSも似たところがあって
彼らは全力で赤字を出しながら規模を拡大して、最終的に広告で何とかした、何とかしたと言ってもTwitterなんかはずっと赤字だった
あのバグったアメリカ投資パワーを使わないなら、MAUが1万、10万、100万の時に成立するように設計してからスタートしなきゃならない
で、マネタイズ方法を考えるんだけど、そのマネタイズ方法を実装するのに結構コストが掛かりそうで逆効果になってしまう
みたいなことが起こる
他にもアイディアがいくつかあって、一部はリリースもしてるけど、それらのほうがまだ全然マネタイズはうまく設計できた
というか、うまく行けば1億MAUを超えるような汎用的なアイディアって基本的にマネタイズは思いつかないんじゃないか?
そんな気がしてきた
「こんなに便利なのに勿体ない」じゃないんだ、誰にとっても便利なもの=マネタイズで苦戦する運命、なのかもしれない
Xだって散々苦戦してるしね、Facebookは知らないけど、Youtubeも買収されるまでずっと赤字だったし
そういえばZenlyもマネタイズで苦戦したらしいね、あんだけ流行ってもダメなんだな
むずかしいなあ
なんかさ、サービス開発って、10億コストかけて11億売り上げて、利益1億みたいなビジネスなところあるよね
全然美味しくないわこれ
ChatGPTとかGeminiにTRPGのGMやらせて遊んでたら、心が揺さぶられる瞬間があった。
別にめちゃくちゃ出来が良かったとかじゃない。むしろ粗かった。設定は矛盾するし、文章も崩れるし、
何回も今までのログをあらすじに圧縮して、わざわざ次のチャットに移動して貼り付けて。
めんどくさって思いながらも、その手を止めることはなかった。
でも、だからこそ思いもよらなかった展開に転がっていき、そこで発生した何気ない台詞が、何かズドンと刺さって。
人間にしかできないと思ってた“物語の反応”を、AIが、その場のノリと偶然と勢いで、圧倒的な速度と量で返してくる。
しかも、AIの未熟さがゆえの“ズレ”すら物語の一部に感じる瞬間がある。
ここまで来てようやく思ったわ。
生成AIの本質って、今まで人力ではどうしても厳しかったレベルの「即興性」の達成が可能になったことなんだって。
特にGemini2.5の存在は大きい。やっとスタートラインに立ったな、という感触がある。
最近話題になった、GrokさんちのAniちゃんだってそうだろ?
即興で身振り手振りをつけてくれて、話題にそった背景をリアルタイムで生成して画面に写してくれる。
それだけでも「オッ」ってなったもんな。全然粗いし、まあすぐ飽きたんだけど、それでも一定感動はあったよ。
お前らはイーロンがアニメ美少女を出してきた~だの、好感度システムとか下着姿になるのとかにばっかり着目してっけど。
それで、だよ。
今、AIイラストの界隈では、お気持ち反AI論者と承認欲求バカのポン出しAI絵師が、飽きずにあーだこーだ大した意味もねえ喧嘩してっけどさ。
あのへんの議論、ほんとにもう見てらんない。もうNovelAIが世間を驚かせてから何年経ってると思ってんだ?
お前ら、今がどういうフェーズか、ほんとに分かってないだろ。
AIって「人間の代わりに単体の完パケデータを作る機械」じゃねえんだわ。
そもそも“単体の完成物”の価値なんか、もうとっくのとうに減衰してんの。
よっぽどの天才か、ブランド背負った作家でもない限り、1枚絵なんか誰も覚えてないだろ。
エロ絵だってもう漫画やストーリーつきCG集で文脈による興奮強化をしない限り今日び使ってもらえない。
音楽だってそうだろ?今やMVや周辺のストーリーありきで作品が語られるようになって久しいんだよ。
(蛇足だけどついでに言っちゃうと、ボカロ界隈は音楽側にAI技術がめっちゃ使われてるのに界隈の連中がAIイラスト嫌ってるのマジでアホだと思う)
“単体の完成物”に固執してんのはオタク向けのイラスト界隈だけ。
まーーー、でも気持ちはわかるよ。実際に作ってる人からしたら気分が良いもんじゃないってのは本当にその通りだろうね。
ただ残念ながらもう流れは止まらん。でも大丈夫、人の手で作品を作ることの意味は決して失われないから。
――で、特に絵も描いてなくて実害被ってもいないのにやたらAIに噛みつきまくってるお前。お前は……何?w
そして、AIポン出しで何か作ってる気分になってるAI絵師やAI作曲家たち。
(絵師って名乗るな!名乗っていいだろ!みたいな議論もクソどうでもいい。わかりやすいから便宜上そう呼ばせてもらうだけ)
そもそもAIが作る“作品”がクソだったり、なんとなくパッと見良さそうでもなんか心に来ないのって、AIのせいじゃないからな?
方向性決める頭もない、ディレクションもできない、プロンプトも雑。何かと組み合わせてコンテンツを作ろうって気概もない。
絵柄だって大した工夫もせずに単一の作家の丸パクリで迷惑をかける(適法違法とかそういう話じゃない、意味ねえことしてんじゃねえって話)
そういう奴が「AIで俺もクリエイターだ!」って気取って公開して、炎上して、
そんで「AI使うと叩かれる…怖い…」って被害者ヅラしてんの、本当に面白いと思う。エンタメの才能あるんじゃない?
(まあASIが出てきたらどうかわからんけど。でもやっぱり人間が作ったもの、という価値とか、自分が好きにモノを作るって意味は人類に残り続けると思うよ。)
そして、それができない奴がAIを使うと、ただの量産バカになる。
パクってるとか以前に、単純に“つまんない”んだよ。
でさ、表に出したら燃えるのがわかってるのに、「でも見てほしい〜!(すごいって言ってほしい~褒めて褒めて~)」って、承認欲求で脳が焼けた奴らが、
“作品”として出しては燃え、出しては燃え、そのたびに「倫理ガー」 「著作権ガー」ってループする。
じゃあ生成AIでコンテンツを生成する意味はどこにあるかっていうと、
リアルタイムの反応と、偶然と、空気と、手触りを、人間が不可能な対速度クオリティでエンタメすることってわけ。
もう一回言うけど、作品じゃない。プロセスや体験がAIで作るコンテンツの本丸。
それを体験せずに「盗作が〜」「著作権が〜」って騒いでるの、マジで2010年代で時間止まってる。
でまあ、たった一つ、今のポン出しAIがもたらした“光”があるとすれば、
「”俺だけが好き”なコンテンツ」が、誰にも頼まずに簡単に手に入るようになったことじゃねえかなとは思うよ。
AIの生成物はクリエイティブの工業製品化と例えられる事が多い(まあいらすとやみたいな使い方だったり、総合芸術の制作補助とかだな)と思うんだけど、
この「クリエイティブDIY」が気軽にできるようになったのも革命だと思うんだよな。
他の人にお裾分けするほどでもない自分だけのピンポイントな性癖だとか。
こういう感じの曲で、こういう歌詞の音楽が聞きたいんだけど、絶妙~にいないんだよな、そういうアーティスト……とかな。
でも他人がそれを作ってくれるワケもない。個人の好みに他人を付き合わせるのもなんだかバツが悪いしな。
イチからスキルを上げて作ればいいじゃんって?今まではそうだったかもしれんけど、便利なツールがあるなら消費したい側としてはそっち使うだろ。理想論ばっかだな、お前ら。
ほんのちょっとした欲求に、毎回それなりの金を出すのも現実的じゃないし、何より、今すぐ、欲しい。
そもそもクリエイターと金のやりとりすんのってめんどくさいからな。時間だってかかるし。
それにインターネットどっぷりのお前らならそのへんのトラブルの話は散々見てきてるだろうし。
――それが、今、手に入る。AIなら。
誰にも見せずに、保存して、ニヤついて、終わり。
それだけで、満たされる。
(まあ二次創作エロだったら小銭ぐらいは稼げるんだろうけど、そんなの貴重な人生の時間と人としての尊厳を削ってまでやることじゃねえだろって)
TRPGで感動した話に戻るけど、その体験を“作品”として残す気なんて俺はさらさらない。
あとからnoteで公開したり、TRPGよろしくリプレイ動画として残す方法はあるにはあるだろうが、誰も興味ないだろうし、何よりその場限りのライブ感の中に熱があった。
そういうものに価値を感じる人間だけが、AIと一緒にこれからのエンタメ……体験を創れる。
そしてそれは今現在、たぶん一部の“わかってる奴ら”だけの特権だと思ってる。
でも、AIがコンテキストをちゃんと膨大に保持できるようになり、文章や画像や音のアセットだったりキャラクターデザインに一貫性が持てるようになったら……?
AIはツールとかそういう話じゃなくて、もはや共演者で、共犯者で、即興劇の相手なんだよ。
どうぞ勝手に、盗作がどうとか魂がどうとか、自分の安心できる“倫理”の檻の中で喋っててください。
あー一応補足しておくが、総合芸術作品(ゲームとか映画とか漫画とか)の裏側で制作補助として使われる用途に関してはめっちゃ可能性あると思うよ。昨今、安定して高いクオリティを求められるがゆえにコスト上がり過ぎだしね。
論点ズレるから突っ込んでないだけな。AIはツールです(熱い手のひら返し)
あと学習についても、論ずるだけ無駄だよ。この世でデジタルデータになるものは全部AIに学習されるものと思っていたほうがいい。コンテンツだけじゃねえんだよ。自動運転の技術だって空間をデータにして把握させるみたいな感じだろ?ありとあらゆるデータをAIは学習していくんだって考えたほうがいい。この流れは止められない。
それにまあ、これは与太話だが、作品をAIに学習されるのを完璧に阻止できたとするじゃん?そうなると、仮にAIがアンドロイドとかの形を伴って社会に浸透する未来が来るとしたら、そいつらの作品は未来において「消費や認知すらされていない、無かったもの」になるんじゃねえかなって思うよ。しらんけど。
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