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2025-10-14

親の喪主になったんだけど

親の略歴も、惜しまれるべき理由も、すべて頭に入っていたのに、全く弔辞を述べることができなかった。

というのも、それ(「以下省略します」)が許される小さな葬式(いわゆる密葬)だったこともある。

○長までつとめたのに小さかったのはなぜかというと、長患いで退職から20年ほど療養していたからだ。

そして、その長い間介護をしていてつかれきったもう一人の親がそこにいて、喪主をしていなかったからだ。

亡くなった方の親は、本当につかれきっていて、人格豹変していた。

生前の病親の前で、葬式が苦労だから相続財産は全部リストアップしておいて、とか

あなたが死んだら○○するつもりとか、

介護しなくていい自分の目からみると少々残酷なことを、

構えることもなく日常の延長で計画していた。

そのくらいに疲れた関係であった親の前で、

病親の在職中や若い時の業績をおもいきり褒め称えることが、どうしても残酷に思えて、できなかった。

 

それで、20年ほどまえの祖父葬式で、何も言えなくなった叔父のことを思い出したのだ。

叔父はただ涙をながしてしばらくして降壇した。

介護をしていた祖母をささえつつ自分医療職として最後までつきあった。

長い長いマラソンのすえ喪主をした末っ子長男

士官学校で~とか、言うはずだったことはたくさんあっただろうに、

母親とともに舌に尽くせない苦労をしたため

そんな弔辞すら言えなかったにちがいない。

  

残った親は、だいぶ人格が柔らかくもどってきたよ。

なんとか弔辞をくれた親友さんはまだ元気にしているよ。

今なら自分ももっとちゃんとした弔辞をいえそうだよ。

(あのときは悔しくて増田に長文をかいたけど)

亡き親に報告したい。

https://anond.hatelabo.jp/20241227030640

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2025-10-08

anond:20251008105954

ホモサピとか進化上の末っ子みたいなもんなのに霊長類とか名乗ってくそイキっててごめんねごめんね

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2025-09-30

2025年9月21日&9月23日GRAPEVINE TOUR 2025 extra show@Niterra日本特殊興業市民会館ビレッジホール大阪城音楽堂

2025年9月21日&9月23日GRAPEVINE TOUR2025 extra show@Niterra日本特殊興業市民会館ビレッジホール大阪城音楽堂

名古屋大阪、日取りが近いのでまとめて感想と言うか健忘録。

7月横浜は公演の数日前にイレウスになってしまい緊急入院した事により行けなかった(後で調べたらエブエブやっててマジで発狂した…どうなってんだ!!)ので本公演は1回しか行けなかった為、追加本当に楽しみにしてた。名古屋大阪友達とそれぞれお互いにチケット取ったんだけど、両日共2列目のアニキ側と言う奇跡…!!ありがとう!!バインに関してはファンクラブ入ってる意味があると言うか恩恵がめちゃくちゃ大きい。まあまあな確率良席がまわってくるので本当に有難い限り…。

以下、印象に残った曲の感想など。

·Suffer The Child、本公演でもめちゃくちゃカッコ良かったけど、進化がすごい。アニキギターミッションインポッシブルビバリーヒルズ·コップのテーマ曲の所カッコ良すぎる…。アニキギターの音の良さと上手さがはっきりと分かって聴いてて気持ちいい。そして田中さんうめぇ〜!!この曲2003年に発売した曲なのに今が演奏も歌もが一番カッコイイのGRAPEVINE最高過ぎるな…。

·なしくずしの愛、田中さんの歌い方が昔より感情込めた感じになっててカッコイイ。田中さんの出すロングトーンって何であんなに気持ちいいんだろう…。アニキギターから演奏部分と田中さんロングトーンが交わる所、頭振り乱すしかないぐらい気持ちいい〜!!

·Silverado、野外に合うな〜。アニキギターソロ、いつ聴いてもリズム崩さずに弾けるのすごいなぁと思う。

·1977、音源聴くのは好きなんだけどライブ聴くのはイマイチなので名古屋ではちょっと虚無の顔になってしまったけど笑大阪アニキギターアレンジしてあって私がイマイチと感じてる部分が薄れていたのがすごく良かった。曲自体は好きなんだけどなぁ…。

·KINGDOM COME、すごい久しぶりにライブで聴いた!!カッコ良すぎる…。田中さんアコギの音が美しい。サビの部分、大好き。あと田中さんロングトーン最後ハモリの部分をメンバー全員で歌ってるのも良い。アニキはめちゃくちゃ歌いにくそうだったけど笑

·ドスとF、カッコ良すぎませんか!?!?演奏がキマり過ぎている。こう言う演奏が聴けるからバインライブってたまりません…。田中さん歌詞に合わせた身振り手振りが何と言うかフロントマンとしてカッコ良すぎる。この曲のアニキギターソロが大好きなのでそこが一番テンション上がった。本当カッコイイ…!この曲でアニキリズム取ってちょっと踊ってたの可愛かった。

·こぼれる、アニキがしゃがんで足元にあるつまみをいじって音出しててギタリストも忙しいな…と思いつつ見ていた。多分ここギター弾く所ないから色々やってみようって感じだと思うけど。田中さんも曲中にアコギからエレキへの持ち変えしたり曲への工夫を感じる。

·天使ちゃん演奏前にタキシード(蝶ネクタイ付き笑名古屋では黒、大阪では赤を付けてた)を着た若ローディー君がブルースハープが入ったケースを持ってきて、フタを開けて田中さんが中に入ったブルースハープを受け取るって言う茶番笑 があったんだけど、名古屋では若ローディー君が鍵を片方しか開けてなくて中々開かなくて田中さんが「詰めが甘い!」って言いながら開けてあげてて照れて笑ってたの可愛かった笑名古屋では普通に聴き流してたけど、この曲をパフォーマンスしながら楽しそうに歌い上げる田中さん歌唱力すごい…と大阪で改めて感じた。ブルースハープもめちゃくちゃ上手いし…。追加公演は鳴子の人数がめちゃくちゃ増えていて最終日はアニキについてるローディーの方も鳴子鳴らしてたしタキシード着た若ローディー君は両手に持ってめちゃくちゃニコニコで鳴らしてた。賛否両論ある演出だけど私は割と肯定派です。

·追憶ビュイック、最終日だけどアニキギターが更にアレンジしてあってカッコ良かった。

·実はもう熟れ、名古屋ではアニキエフェクターが全く機能してなくて出したい音が出せてなくて、大阪では音は出てたけどブヨブヨ〜って感じの多分狙ってた音じゃない音が出てて、途中でいつものやつにしてたのちょっと勿体なかったな〜。やろうとしてた感じで聴いてみたかった。

·カラヴィンカ最初田中さんが前に出てきて変顔ギター鳴らすのは全然良いけど(名古屋ではアニキ田中さんの後ろで両手上げてポーズとっててめちゃくちゃ可愛かった…!!その時友達が私の方みたらニヤニヤしてたって言ってて笑った。我ながらキモ過ぎる笑)めちゃくちゃカッコ良い演奏なのに田中さんスタイロフォンの下りが長くてちょっと微妙空気になってたのあれ田中さん的にはどう思ってるのかな?名古屋佐野元春さん(上のホールライブしてた)のSOMEDAYを鳴らしてて、アニキが「早くせぇ😡」的な感じでギター途中で入れてたけど全く意に介さずやり続けててアニキが虚無顔してたの笑う。大阪は全く何の曲か分からなかった…笑(円広志の曲だったらしい) でもアニキが笑ってたから良かった(?)この下り大阪では名古屋より若干短くなってた気がする…笑

·猫行灯ライブ聴くの楽し過ぎる。この曲作った亀ちゃんの才能…素晴らしい。特にアニキギターから入る落ちサビの辺りが大好きでめちゃくちゃ頭振り乱している…笑最後演奏部分で金やんの見せ場もあり、楽しさもあり演奏で見せつける場面もありのお得感ある曲。

·猫行灯からの会いにいく、バイン楽曲の振り幅の多さが分かる。美しさもありながらその中に滲む切なさが大好きな曲。アニキギターも美しくてすごく良い。アニキギターって曲に感情付ける感じのメロが多くて本当に大好き。

·lamb、ライブ聴くの大好き!!気持ち良すぎる!!ラストのサビでちょっと転調する所から田中さんロングトーン気持ち良すぎて田中さんになりきっている…笑

·mylove,my guys、アニキギターめちゃくちゃカッコイイけどそれに合わせて田中さんが拳を突き上げてるの個人的にダサ…って思っててライブ後、友達普通にダサいって悪口言ってしまった…。この曲本当大好き!アニキに曲を書くように仕向けてくれた勲さんには本当〜に感謝しかない。そんな事でもなければアニキ作曲の新しい曲は聴けなかったでしょう…。

·ENC、名古屋は遠くの君へ、疾走Arma大阪は風待ち、疾走、真昼の子供たち。大阪での疾走アニキギターアレンジしてあって最終日まで工夫してるの素敵だ〜。個人的Arma締め結構好きなので(多幸感がすごい)嬉しい。大阪のENCは来るかな〜と予想はしてたけど…贅沢言えばGlareとか聴きたかったな〜。エブエブは望み過ぎだと思ったけど、もしかしたらって頭の片隅にあったのでちょっと残念でもあったり…。野外でエブエブ聴きたいよね〜!!

以下、曲以外の感想

·名古屋では割とご機嫌な感じ&演奏も決まってたアニキだけど大阪ではギタートラブル?とか結構あった感じでちょっと残念な場面が多々あったかも…。野外ってチューニング狂いやすいって言うし(めちゃくちゃチューニングしてた)こんな事言うのあれだけど、野外でバイン観る時まあまあな確率アニキ調子イマイチな気がしている…。

·名古屋ピック投げ失敗した後、アニキが後ろ向いて恥ずかしそうにしてたの可愛かった…笑

·名古屋で着てた田中さんシャツ、めちゃくちゃオーバーサイズじゃなかった??

·「名古屋はどうなんやろ?もう一回来たり出来るのかな…」みたいな事を田中さんが言ったのでにわかにおおっ!?ってなってるお客さんに慌てて「何も決まってないし決まりそうみたいな事も何もないです」って言ってて笑った。もう一回ぐらい名古屋で観れたら嬉しいけど難しいだろうなぁ(今決まってないってなると確率かなり低そう…)

·田中さんスタイロフォン、名古屋アニキの怒りギターが入った時皆笑ってて、お客さんと長いよって思ってたんだなと思ってたら田中さんがお構いなしで続けてて呆れ顔してたアニキ本当面白かった笑亀ちゃんドラムスティック握りしめてずっとタイミング見計らってるし(私は全然気付かなかったけど大阪では金やんがブチ切れ顔?してたらしい笑)田中さんってバンドの外だと先輩風吹かしてるのにバインの中だと急に末っ子感出すの何かあざとい…笑

·勲さんのテルミン大阪ではしっかり見れたけど職人技だな〜としみじみ感じた。

·大阪で次回ライブの告知した後ポスターを若ローディー君が貼るのを田中さんが「(貼り終わるの)待ってるわ」って言って見守ってて、勲さんもポスター貼るの手伝っててあげてて暖かいなと思ってたら亀ちゃんニコニコしてて可愛かった。

今回のツアーは小さいライブハウス公演も多くてライブハウスに合わせた演奏にどんどんなっていってたのもあって割と演奏も歌も熱い感じに仕上がってるのとても良かった。悔しくて何度も書いちゃうけど惜しくも横浜公演に行けなかったのだけが心残り。まぁこの時期シロップツアーとも重なってて、仕事ライブスケジュールパンパンになっててかなり無理してたからなるようになってしまった感はあったけど…。皆同じ時期にツアーとかライブ決めるの本当に辞めて欲しい…笑 このアルバムの曲がもう頻繁には聴けなくなるかもと思うと惜しいなぁ…。ドスとFとmylove〜は定期的に聴ける感じたと嬉しい。友達とも話してたけど、デビュー28周年にしてここまでバンドが良い状態田中さんの声も今が一番なんじゃ?と思わせる程のボーカル力、こんなすごいバンドライブもっと沢山の人に観て欲しいと心の底から思う。本当に勿体ないよ〜!!

最後セットリスト

1.わすれもの

2.どあほ

3.Suffer The Child

4.NINJAPOPCITY

5.なしくずしの愛

6.Silverado

7.指先

8.1977

9.KINGDAM COME

10.はれのひ

11.ドスとF

12.こぼれる

13.天使ちゃん

14.追憶ビュイック

15.実はもう熟れ

16.カラヴィンカ

17.猫行灯

18.会いにいく

19.lamb

20.mylove,my guys

ENC.

(名古屋)

1.遠くの君へ

2.疾走

3.Arma

(大阪)

1.風待ち

2.疾走

3.真昼の子供たち

Permalink |記事への反応(1) | 18:30

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姉の立場から、思うことを書く

https://anond.hatelabo.jp/20250928215209

まずはじめに、私の個人的な一例なので増田姉にピッタリ当てはまらないと思う。妄想だと思う。だから「こんな人もいる」ってことにしてくれ。

吐き出したくなっただけだから

母親が「あんたたちきょうだいなんだから仲良くしなさい」ときょうだいに責任投げしているあたり、なんとなく察する。

そして父親の「そんな話今更されても」という理解の無さ。

子どもに対して理想はあるくせに、責任は持ちたくない感じ。

この二つだけでも「あ~もうダメだ~」って感じ。

何で『普通に幸せそうな家族』を築いた姉さんがグチグチ言うのか。そりゃ自分家族を見て、実家いか自分を苦しめていたかわかったんじゃない?

それに夫や子どもという精神的味方が増えたからじゃないかな。

実家の中では「お姉ちゃんから」と言われ続けていたんだろう。まぁ弟さんは記憶がないかもしれない。0歳~小学生くらいまでの記憶あんまりないだろうし。

でも弟さんが自覚できる程度には「「お姉ちゃんなんだから」的な育て方」をしていたんでしょう?

当方も姉ポジだったからわかるんだよね。

親に「お姉ちゃんから」と言われたら反論できない。弟は自分より年下だから、親の手伝いが必要だし、自分大人にならないといけない。

お姉ちゃんから全部我慢しないといけないわけ!?

「そうだよ!弟はまだ子供なんだから!」

って言われたら何もできない。私の経験から増田姉さんがそうかわわからん


そして親の中ではずっと弟が年下だから、弟はずっと子どもと思っている。大人になってもやっぱり末っ子子どもしか長男。「お姉ちゃんに比べて面倒見ないと…」と無意識に思う。

しょうがないんだよ。しょうがないことだが、姉からすれば「私の面倒を親がみなくて済んでいるのは、あんたらが放置たからなんだよ」と怒りになる。自活したのは私の努力!だから褒めてほしいのに、「お姉ちゃんなんだから当然」なんて言われる。


6歳差だと弟さんが一番大変な2~5歳(幼稚園児くらい)の時、姉さんは8~11歳だよね。思春期に入る女子が親からお姉ちゃんから我慢しなさい・やりなさい)」って言われるの苦痛しかないんだよね。

だって自分の好きなことを自分意思でようやくできそうな時期なのに、家では弟が~弟に~と親は言い、「私だって親に頼りたい・甘えたい」なんて言えば「お姉ちゃんなのに」「お姉ちゃんでしょ」と言われる。私の経験から増田の姉が実際そうなのかはわからない。でもこういうパターンもある。


大学受験なら17歳、で弟さんは11歳。まぁ親は弟さんの面倒を見るよね。むしろ姉さんには「あいつは大人から自分でやるだろう」と放置されてたんじゃないの?

それか今まで弟ファーストだったのに急に大学進路に口出してきたとか。

部屋に納得いかない事を今言うのもわかる。だって当時言ったところで「お姉ちゃんなのに文句言うなんて…」とか言うんだろう。

父親喧嘩していたってことだから、きっとお姉さんは昔から文句は言っていたんだと思うよ。

でも全部、親は心の中で「お姉ちゃんなのくせに」って思っていた。それを姉さんは感じていた。

から自分が姉と言うポジション決めをした弟である増田も憎いわけ。


20年前に母がガンになったとき」の話も恐らくわかる。

「弟に来させる」って言ったら「お姉ちゃんなんだから」とか言われる。だから我慢したのでは?

私の母もガンで入院していた時、「他のきょうだいに来させていい?」と言ったら「あんお姉ちゃんなんだから」とか「女同士仲良く…」とかぬかす。いまさら病人喧嘩なんてしたくないし、親だから少なからず情があるのでその時は何も言えない。どうせ反論しても「お姉ちゃんなのにきょうだい悪口を!!」って言われるから

(というか増田は見舞いの頻度は姉と比較してどんなもんだったんだ…?)

ここで「気にせず弟にやらせればいいじゃん」とも思うんだけど、やっぱり親に怒られるって嫌なんだよね。だから我慢する。せめて愛情を貰おうとする、でも辛いから憎い。


増田、弟さんよ。これはもう積み重ねが爆発したんだ。噴火したものから、もう収まるのを待つしかない。更年期だねはいはいで終わらんよ。

姉さんは新たな家庭という味方を得たから、実家家族ますます許せないんだ。

新しい家族で過ごしているうちに「なんで私は過去あん我慢させられたんだ!?」ってなったんだよ。

増田は「一番困りそうなのは今は元気な親に何かあったとき…」「うっすらしか覚えてねーよ」と思い、

父親は「そんな話今更されてもなんなんだよ今更…」と姉を避け、

母親は「あなたが謝ればいいのよ」と弟に投げる。

3人とも「なんだこいつ」って目で姉さんを見ている。それが更にムカついているんだと思う。

いじめっ子に「過去に私をいじめていた!」って言ったら「はぁ?そんな過去の事」「と言うか覚えてねぇし」「私じゃないし、あいつが謝ればいい」って言われているようなもん。現に「更年期障害か、はいはい」となっている。


家族の中で姉なんていなくてもいいと言う感情が見え透けている。

から姉さんは腹が立つ。そして新しい家族と言う味方ができた今!お前らに強く出れる!私は自分の子どもにはできた!できなくて私の人生を苦労させたお前らが憎い!せめて言わせろ!は?知らないわけないだろ!こんな苦労したのにまだ私を認めないか!となるわけ。

もう言わせておくしかないんだ。「受け入れろ」っていうコメもあるけど、そんなのはいらない。ただ増田や両親が自分言葉しゅんとして、ちょっぴり自分より不幸であればいいだけ。もうそしか思っていない。

はいえるもんなら家族に言いたい気もある。でも過去のことだから言っても無駄だと思って言っていない。(怒るのも面倒だし、今は仲良くやってるし)

でも増田の姉さんの気持ちはすごくわかる。姉さんの味方にはならんが、原因が全て姉さんにあるとは思えん。

カウンセラーなんて勧めたらもっと怒ると思うよ。「お前らのせいでこうなったのに、私が頭おかし認定かよ!!誰のせいだよ!!!!!」って。


放置かもう会わない事だ。

別の解決方法なんて介護・親の面倒は全て愛情を貰った増田がやるしかない。ちゃん相続は姉さんにもしたうえでな。子どもってのはいつまでも親の愛情が欲しいんだ。でも姉さんに愛情をあげるにはもう遅い。手遅れ。この年だと愛情=金でしかないんだ。

大体きょうだい間のいざこざは親起因が多いけど、増田を見ただけでも親から姉へ対する無関心さがそれを表しているよ。増田も両親に文句を言うんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:57

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2025-09-29

兄妹って難しい

3人兄姉。

8歳上の姉と6歳上の兄がいる。

二人とも結婚はしているが、子供はいない。

自分28)には妻と二人の子供がいる。兄弟の中で最初結婚したのも自分だった。

なぜ自分が早く結婚たかというと、早く親に孫を見せたかたからだ。

親はもう70代。自分大学生のころ、実家に集まると「高齢の両親+大人になった姉兄+まだ学生自分」という構成で、家族が増える気配がなく、このまま縮小していくような感覚違和感を覚えていた。

両親はしっかりしていて老後も安心、姉は外資系キャリア志向、兄は獣医自分旧帝大学生と、世間からは「安定した家庭」に見えるかもしれない。

でも、集まったときの会話はどこか物足りなく感じた。親は良い人たちなので頑張って話題についてこようとするが、どうしても世代の差は埋まらない。親戚や友人からは「孫自慢」も聞こえてきて、親もどこか寂しそうに見えた。

そんなこともあって、自分院生のうちに結婚した。

振り返ると「結婚のものをしたい」という気持ちがまずあって、その上で妻と出会い結婚を決めたのだと思う。もちろん妻のことは大切に思っているが、動機としては「親に孫を見せたい」という気持ちも大きかった。

さて、本題。

自分は今、二人の子供に恵まれ、両親は孫に夢中だ。姉兄も子供好きで、自分の子をすごく可愛がってくれる。

ただ、姉兄にはまだ子供がいない。

自分の一人目の子供が生まれる頃に兄が結婚し、その半年後に姉も結婚した。それなのに、二人目が生まれた今でも姉兄には子供がいない。

二人とも子供が好きなのに、なぜだろう?と考えてしまう。

結婚出産の順番」を大事にする雰囲気が、家族社会の中に少しはあるのかもしれない。実際、弟である自分が先に子供を持ったことで、姉兄としては何とも言えない気持ちになるのではないか……と思ったりもする。

もっとも、姉兄は大人なので一切そんな素振りは見せないし、自分の子が生まれるたびに一緒に喜んでくれる。そのおかげで、家族が集まる機会も増え、にぎやかになったのは事実だ。

ただ、自分は完全に末っ子気質なので、姉兄の心情が本当のところどうなのかは分からない。

年下の弟だけに子供がいる状況を、姉兄はどう感じているのだろうか。

結局のところ、家庭によって受け止め方は違うんだろうな……と思っている。

Permalink |記事への反応(2) | 15:03

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2025-09-25

クモハ、モハ、クハ←好き

クモハ、モハ、クハ。これ好き。クモハが、ちょっとだけ他の2つより頑張ってる感じがする。

クハ、モハ、モハ、クハ。平等な感じでこれもいい。

クハ、モハ、モハ、サハ、クハ。サハの末っ子感。

クハ、モハ、モハ、サロ、クハ。これはこれで平等か。

Permalink |記事への反応(2) | 08:16

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2025-09-22

子供にとっての「家族が増える」という体験

わたし末っ子なので赤ちゃんがお家に来るといった経験がない。

親戚含めても一番下なので、赤ちゃんが増える感覚が無かった。

去年娘に弟が出来て、それはそれは可愛がっている。

弟が来たことで、さみしい思いもさせているけど、それ以上に意味があるといいなと思う。

家族が増えるってどんな感じなんだろう?

転校生が来た感じ?

犬を飼い始めたときみたい?

新しいおもちゃを買ってもらったときとどっちがうれしい?

娘がもう少し大きくなったら聞いてみたい。

弟とずっと仲良く、なんてできないのは身を以て知っているけど、それでもずっと仲良くしてほしい。

お互いがなくてはならない、頼りにしている、尊重し合える2人になってほしいな。

Permalink |記事への反応(0) | 01:04

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2025-09-04

苗字を変えたくないってダメなこと?

結婚したくないわけじゃない。

苗字を変えたくない。

ずっとこの名前で生きてきたのに、なんで私が変えるのが当たり前なの。

既婚者の先輩たちはみんな大変だよーって笑うだけで、私が変えることを当たり前みたいに話してくる。

あなた長男で、私が兄が2人もいる末っ子から私が変えるのが当たり前なの?

長男から俺が変えるのは無理だよ、って継ぐ家があるわけじゃないのに。あなたあなた父親サラリーマンじゃん。

いや、違う。別に向こうに変わって欲しいわけでもない。結婚したくないわけじゃない。でも苗字を変えたくない。あなたも同じなんだから尊重したい。

だって言う私の気持ちわがままなの。

なんで。いやだよ。事実婚でも良いって私は思うけど田舎でそんなこと許されない。

同棲すら今時多いよね、って理解あるふりしてさっさと結婚すればいいのに、って圧を感じる。

初めて会う彼氏親族に私の親の仕事まで伝わっている。そんな昔ながらのこの場所で、私の言うことは全部全部わがままなのかな。

Permalink |記事への反応(8) | 08:23

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2025-09-01

3人兄弟の真ん中は屈折している

友人と兄弟の話になって

彼は3人兄弟末っ子で姉と兄がいてる

彼が言うには真ん中の兄が屈折していると。

それを聞いて確かにと思った。

どうしても第一子は親から大事にされ期待されて育ち、末っ子はかわいがられる。

うちの子を見ても真ん中は屈折している。

実母も三人兄弟で真ん中のおじさんは屈折してる

義理母親兄弟の真ん中で屈折してる。

高校時代の友人は3姉妹の真ん中で屈折してる

会社の後輩(女)も兄弟の真ん中で屈折してる

一人っ子性格とかはよく言われるけど

真ん中は研究されてるんだろうか?

まあ少子化で3人子供の家も減ってるだろうし

真ん中っ子も減ってるだろう

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2025-08-12

anond:20250812165608

まれてくる子供末っ子なのは当たり前では?

Permalink |記事への反応(0) | 17:00

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辻ちゃん末っ子まれましたね〜」

おめでたいですねえ、きっと日本中の人が親戚みたいな気持ちですよ」

「ね〜本当に〜」

とかってさっき同僚と話してたんだけどさ

きっと神田沙也加も同じようにみんなに見守られて幸せを祈られてたんだろうなって急に思い出して悲しくなった

すっごい神田沙也加好きだったんだ

夏になると蚊取り線香CMで歌ってるのも好きだった

声が涼やかでさ、流れるちょっと嬉しくなった

なんか悲しくて夏はテレビつけないようにしてる

はあ

Permalink |記事への反応(3) | 16:56

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2025-08-09

anond:20250808235812

自分高齢出産で生まれ末っ子なだけですね…

Permalink |記事への反応(0) | 00:08

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2025-07-27

わがまま末っ子イメージだな。一人っ子は『絶対に曲げない、説得無理』ってイメージ

両親が一人っ子末っ子なので、たまにくそめんどくせえなと思う

Permalink |記事への反応(0) | 22:42

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2025-06-23

人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

[#改頁]

第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-06-15

フードコートランチしていて、末っ子授乳タイムになり椅子から下ろして授乳していたら、

椅子借りてもいいですか?

と聞いてきたお母さん…

授乳中に聞く?

で、は、はい、今は使わないとは思いますけど。…と言ったらどうもと急足で持って行かれてしまった…。

無かったらしいが、、私に聞くか?!

もう少し候補いただろう…。たくさん子供椅子がある大型のフードコートですよ。

しかも、ベビーカー持ってるじゃん。なければベビーカーで食べさせても良くない?

育児無関心のうちの夫でさえビビってたぞ。笑

Permalink |記事への反応(0) | 02:53

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2025-06-06

お前ら嫁に何でもやってもらわんの?

ワイが結婚相手に求める条件は、とにかく身の回りのこと全部やってくれることだった

それじゃないと一緒にいてしんどいでしょ

些細なことで喧嘩になるのって裁量の部分が被るからなんだよ

それを経験で思い知らされてたから、ワイはとにかく何でもやってくれる嫁を探して結婚したんよ

その代わり嫁のやることに一切口出ししないで?

給料も全部渡してるお小遣いとかもゼロ

だって必要ないじゃん

嫁に全部任してるし

嫁もワイに家事しろとか子供の面倒見ろとか一切言わない

ワイは嫁家の永遠末っ子みたいなもんや

金稼いでくるんだしいい末っ子やろ

どや

Permalink |記事への反応(1) | 22:22

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2025-06-01

生き急いだ感あったけど結果よかった

24歳で結婚出産した。

当時は親からも友人からも「早すぎ」と言われたし、自分でもやっちまったなと思ってた。ひと通り独身謳歌してから結婚するのが理想みたいな世の中だったし。

まわりが独身謳歌するなか、夫の転勤に帯同するため離職。子供も3人となり、ほぼ1人での子育てだったからばちくそキツかったけどなんやかんやで時は流れて長子は大学生末っ子は中3。

自分に使える時間が増えたのでダメ元でパートから正社員を目指したら正社員になれた。こんな職歴ないオバン絶対無理だと思ったのに。

私が出産した頃に「早すぎる」「もったいない」と言っていた友人たちは今まさに子育て真っ最中で、アンタみたいに早く産めば良かったと言っている。

私も案外これで良かったなと思う。生き急ぐの、悪くないよ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:02

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2025-05-30

学園アイドルマスターってよく考えたらゲーム性に「アイドル」も「学園」も関係なくない?クリア後に対人戦が出来るアーケードローグライクカードゲームでは?

ファン数を稼いだりはするんですが、これってあくまステータスアップでしかなくて「アイドルゲームしか存在しないもの」ではないと思うんですよ。

あと「学園」モノの特徴としてよくあるのが「受ける授業による方向性分岐」と「学友とのイベントによる方向性分岐」だと思います

でも学マスって授業もイベントもあるけどひたすら一本道で、変化は起きないんですよね。

サポカで育成の仕方が大きく代わることはありますが、目指すべきデッキステータスの形に大きな変化はないわけで。

これって言うなればアイドル」と「学園」が相互個性を打ち消しあった結果、それ以外のゲームシステム部分がありありと残る形になった感じかなと。

アイドルゲーム」って本質的には「突発的な不調による影響を極言しつつ足切り回避しし続けて山の天辺を目指すゲーム」な訳じゃないですか?

対して「学園ゲーム」っていうのは「能動的な選択による分岐を繰り返しつつ異なった結末にたどり着くゲーム」だと思うんですよ。

この2つが混ざりあった結果「能動的に選択する機会が多いことで状況をコントロールやすいなかで天辺を目指すゲーム」になってしまっているんですよね。

しかもこれにローグライクが混ざったことが状況をかき乱すのではなく、結果的に更に安定を産んでいるという感じなんですよ。

学マスってローグライクカードとして立ち上がりが不安定デッキもいくつかある中で、最終的にはなんかやたらと安定して「最終形」にたどり着けてしまうんですよね。

表向きは異なる3つが混ざりあった化学反応って感じを出してますけど、実際には三本足で立ってるおかげで一本足や二本足よりよっぽど安定したバランスになっているわけです。

そこが学マスの強みではあるんですが、重心となるポイント結果的にそのどれからも等間隔気味に離れているわけで「アイドルとしても、学園としても、ローグライクとしても、なんか半端だよね」となってるのが否めないんですよね。

とはいえ、他のアイマスシリーズアイドルという立脚点固執しまくってシリーズ毎の個性を出しきれずに共食い状態になってるのを考えれば、シリーズ末っ子が取る生存政略として大正解だとは思いますが。

Permalink |記事への反応(0) | 22:20

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2025-05-28

40超えWebエンジニア収入貯金とか(子どもいる場合

https://anond.hatelabo.jp/20250522100954

https://anond.hatelabo.jp/20250521002326

なんか幸せそうじゃないなぁ。

プロフィール

40台中盤、既婚、子ども4人。WEB制作会社PM業務を主に担当

年収家族構成

給料:1700万くらい。額面。手取りになると引かれすぎて日本死ねと思う。

・5割マネジメント、3割営業(?)、2割経営企画

妻は専業主婦、30代後半

子どもは小6、小3、年長、2歳

母は介護の末死亡、父はどこかで生きてる

義母は健在、義父は介護の末死亡

貯金と金融資

現金:50万円くらい?

株・投信:300万円くらい?

家:都心近く、渋谷まで10分の場所に持ち家戸建て35年ローンの14年目。震災後のだいぶ安いタイミングで買ったのでローンはかなり安い。

車:2台もち(みんな大好き残価設定ローンと普通銀行ローン)

趣味筋トレBIG3 450kg超え)

言及もととの違い

もうね、子ども4人とかいたら金なんかたまらんよ。まだお金そこまでかからない時期なのに。

ついこの前まで児童手当もなく、医療補助もなく、全部実費。それに母や義父の介護ゴリゴリ金がなくなる。

児童手当ほんとありがたい。非課税だし。やっと習い事好きなだけさせられる。

みんな自分学習自分磨きや投資に回せて正直羨ましい。

さすがに手取り1000万こえてたら楽そうに思われるが、子育て介護だでお金はどんどんなくなって貯金なんか出来なかった。

40台中盤にもなって、AIも出来ず、新しい言語を学ぶ日まもなく、経営スキルなども得意なく、人脈もなく必死子育て仕事をしている。

逃げ切り資産家になれて引退して死にたいとか思えるだけいいよな。

私は末っ子が成人すぎるまであと20年は絶対死ねないし、子供らのためにどれだけお金残せるかも心配レベルでヒーヒー生きてるけど子どもたちの笑顔は最高。

妻と子供たちと義母とかなり賑やかで大変ではあるが、毎日が驚きと楽しみの連続で、金が追いつかなくても楽しい

Permalink |記事への反応(7) | 21:42

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2025-05-23

末っ子自己中だと理解して甘える

一人っ子→甘えてることに気付かない幼稚

性格悪いのは末っ子でタチが悪いのが一人っ子かと。

Permalink |記事への反応(2) | 22:01

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anond:20250523132545

そうかな?

一人っ子末っ子自己中心我儘率は異常。気が利く一人っ子末っ子もいるにはいるけど五分五分。長子・真ん中っ子と比べて性格悪い比率マジで高い。私はよく振り回される側だったので、本当にいい迷惑だった。振り回してる側や無関係な人たちにこの苦悩はわからないでしょう。だからこんな事言える

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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2025-05-19

内気な元音ゲーマーがピアノ教室ピアノを習っていた黒歴史

自分小学2年生~小学5年生の時に、ピアノ教室で通ってピアノを習っていた。

ピアノ教室は、週1で水曜日の30分のレッスンだったはずで、月に何回か忘れたが毎週か隔週に通っていたと思う。

個人宅の一戸建ての1部屋をピアノ教室にしたような所で、自分と歳が近そうな息子がいる主婦女性先生だった。

ピアノ教室に通って1~2年間は、1回のレッスンで1曲をクリアしていくペースだった。教材がまだ簡単だったせいか、家であんまり練習しなくても6割程度を通しで弾けたと思う。

しかし、通って3年目頃から弾く曲がちょっとずつ難しくなるとつまづく事が多くなり、達成感も無くなり、モチベーションが下がっていった。なんで弾きたいかもよく分からなくなっていたと思う。

惰性でピアノ教室を通うようになっていって、ちょっとずつピアノ教室が楽しくなくなっていった。



小2からピアノ教室を始めたが、自宅にピアノとかまともな楽器が無かったので(お下がり鍵盤ハーモニカリコーダーや、あっても父親が昔の若い頃に使っていた置物状態の錆びかけたクラシックギターしかない)、小3の頃に父親からもらったお年玉で1~2万円程度のCASIO電子キーボードを買ってもらった。(関係ない余談だが、ゲーム音楽を弾いてる芸人の「こまつ」が2000年代頃に所持していた電子キーボードとほぼ同じ種類の電子キーボードだった。)

しかしその電子キーボードは、5オクターブ(61鍵とか)程度しかないキーボードで、それでピアノ練習をするという、何だか今思うとおかしいというかケチった初期投資環境だった。

電子キーボード購入当時はお金を気にしてか、なぜか電子ピアノを購入する発想にならなかった。自分も親も電子キーボードピアノ代用ができると薄っすら思っていたようだった。

近場の家電量販店電子キーボードを選んで購入時には気付かなかったが、使っていく内に弾き押した感覚ピアノと全く違う事に気付いた(鍵盤を押した重さやピアノ音色や響きや音質など、電子キーボードでは差がありすぎた)。とにかく漠然と「コレジャナイ」というのが頭のどこかの隅にありながら練習をしていた。「ピアノ感覚で弾きたいのに…」と地味に不満に思ってて、モチベーションが下がっていった地味に要因の一つだったと思う。

しか自分が知らない間に、父親何となくリビング電子キーボードを設置してくれたが、自分リビングで弾くのが恥ずかしかった(自分が弾いてる姿も)。どちらかというと自室とかにこもって独りで弾きたかった。恥ずかしさや迷惑さで親にも相談できなかった。そんな事もあってリビングに誰もいない時を狙って隠れて弾くため練習頻度が下がった。

友達にも「ピアノ教室に通ってるけど、何の曲を弾いてるの?」と聞かれたが、弾いてる曲も子供向けの曲(曲名無名な曲)で恥ずかしくて、濁すしかなかった。



小5の頃には、練習をかなりサボるようになったりして先生の前で弾けなかったり、ピアノ教室に行く事をグズったり遅刻したりしていて、次男から「辞めろよピアノ教室」と軽蔑気味に言われて(※自分末っ子)、ピアノ教室の日が来る度に内心苦しく困ったままで通って、妥協しながらやり過ごしていた。

先生から特にサボってる程の練習量について何も言われなかった。自分動機とか音楽の好みとか自宅の練習環境とか理解されてなかったと思う。先生とも音楽の好みが合わなかったと思う。

小5の頃には、先生も教え方が余所余所しくなり、「躓いてるけど、自分で反復練習するものから」と素っ気なくなっていた。

(自分は人見知りな事もあって、先生と打ち解けた事はほぼ無くて、レッスン中に「先生トイレに行ってるから何か弾いててもいい」と言われたが、恥ずかしくて自分は何も弾けずに無音状態で待っていたら、トイレから戻った先生から「また静かだった」と言われて戸惑った程に人見知り。)



小5の頃からなぜか自分は勘繰りが起こるようになり「先生の教え方が手抜きになってないか?」「手抜きなのに親に月謝を払ってもらっている、つまり自分は鴨になっているのではないか?」と疑心が生まれて「どうせ自分へのレッスンは金蔓なんだろうな」という偏見感情が芽生えていた。

元々自分幼稚園生の頃からゲーム音楽が好きでDDRとかbeatmania(5鍵)やギタドラ初期などの音ゲーかにも興味があって「楽譜を読めるようになりたい」とかで漠然なまま「音楽を習ってみるか」となってたが、レッスンを受けると訳分からない童謡みたいな子供向けの曲を弾かされて、演奏する曲の殆どそもそも自分の好みの曲ではなかったし、好みでない曲はフラストレーションの要因でしかなかった。

当時は自覚していなかったが、どちらかというと自分は座学がやりたかった。座学はあったが30分のレッスン時間の内の10分間程度の座学で、座学だけをやるような選択はなく、座学には重点が置かれていなかった(「座学と実践」の割合は、3:7ぐらいだったと思う)。今ならコード進行とか学びたかった。

(一応、学習指導向けのピアノテキスト教本で、それに沿って演奏して実技が身に付くような教え方はされた。他には「バーナムピアノテクニック」の教本に沿って実技をしていた記憶がある。)



レッスンを受ける意義も分からなくなり、自分が好きな曲を弾きたいという動機は薄っすら残っていて、小5の時に「ゲーム音楽を弾きたい」とようやく相談して、自分が小4の頃に器楽クラブ顧問から運良く頂けた「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を、ピアノ教室先生に見せたら何故かスルーされて、先生が所持してる楽譜の中から弾けるゲーム音楽を選ぶ事になった。

しかし今よりゲーム音楽は有名でないせいか、選べるゲーム音楽楽譜が少なく、ドラクエ序曲のマーチアレンジ(子供向けな編曲)やFF10の「ザナルカンドにて (終末的な悲しい曲)」のピアノ楽譜があって自分としてはどちらかというと本望ではないが、それらをレッスンで弾く曲に選ばせてもらって弾いたが、なぜか楽しくなかった。どちらかというと恥ずかしさとか気まずさが強く、弾いてて感情移入してる感じがしなかった。



小5の時に同級生が、近所におじさんが教えてるパソコン教室があって、そこに通っている事を知った、それを母親相談して自分パソコン教室にも通わせてくれる頃に、自分ピアノ教室を辞めたいような意思になって辞める方向になった。

これまで送り迎えだけだった母と一緒にピアノ教室の部屋に入り、母親先生に受講を辞める相談をしていってる最中自分は、なぜか目から涙が流れてしまい止まらず、かなり気まずい雰囲気になってしまった。惨めや悔しさの涙だったと思う。



そもそもピアノ教室に通うようになった経緯は、「楽譜の読み方が知りたかった」とか「ピアノのドの鍵盤ってどこ?」というような素朴な疑問が動機で、それを母親に話したら適当ピアノ教室を勧められて、どういうピアノ教室か分から吟味せずに何となくピアノ教室を選んでしまっていた。

(ピアノ教室受講した後に知ったが、近所にも似たようなピアノ教室があったのに、なぜか近所から少し離れた町のそのピアノ教室が選ばれてしまって、親による送迎の負担が増えただけだった。まだ機会費用的に近所のピアノ教室の方が良かったのになんで?と思う。)



今思うと「インターネット楽譜の読み方を知る」というのが「顧客が本当に必要だったもの」だったように思えた。(当時、親はIT関連に疎くPC購入やネット開通もかなり消極的だった。)

実は「ドラムがやりたかった」「まだピアノよりドラムの方がまだ才能が伸びていたのではないか?」という懐疑がある。

あとは「もしピアノ教室先生ゲーム音楽電子音楽に興味があったらまだ変わっていたのではないか?」と思う。もし当時の小学時代KraftwerkとかYMOとか勧められて知っていたら多分今より音楽知識が身に付いていたと思う。(YMO自分に刺さったきっかけは中2の頃に見たYouTubeMV動画だったと思う。ちなみにJ-POPとか邦楽流行歌には興味がない。)

(ちなみに器楽クラブ顧問女性教師で、たまたまスーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜教師が偶然に持っていただけで、ゲーム音楽電子音楽には興味無いようだった。)

当時から言語化できないような無自覚的なフラストレーションや水面下な問題が溜まってたばかりで、今でも地続きで機会損失が大きくなってると思うと、今は後悔でしかない。黒歴史



小4の時に小学校のクラブ活動で、グループに分かれて合奏をするような器楽クラブに入ったが、自分けが落ちこぼれクラブ女子しかいなくて女子と打ち解けれないし助けを求められず割と浮いてて孤独で、上級生だけでなく同学年の女子普通に楽譜通りスラスラ楽器が弾ける人ばかりだった。

自分ピアノを習っていて楽譜が読めていたと思っていたはずが、弾きながらも楽譜が読めない・まず大体を暗譜しないと読めない状況で(オーケストラ用の楽譜で見慣れない程に楽譜も小さくどこのパート楽譜迷子になったり、ヘ音記号楽譜なのにト音記号楽譜であると思い違いして読み間違えにしばらく気付かなかったり)、

その弱点に気付かず能力の無さに内心焦りながら、自分雰囲気だけは皆と演奏してやってるという感じを醸したクラブ活動をしていて、クラブ活動も尻込みになった。

学校でそういうさり気ない悩みがあっても、器楽クラブに入ってる事をピアノ教室先生に言えてない、親も自分器楽クラブに入ってる事を知っていないと思う。

(ちなみに小5から科学部(科学クラブ)に入った。ほぼ遊びみたいで楽しかった。小6になって別のクラブに入ったけど。あと、その頃に受講を始めたパソコン教室は最終的には円満的に通い切った。) (中学生時代部活はほぼ3年間は帰宅部器楽クラブの影響で、地味に部活動というのがトラウマ無力感になってると思う。)



「才能が無い自分のせい」と言われればそれまでだが、マッチング的に「自分の嗜好や動機などを理解されず能力のようなものを引き出せられなかった周囲も残念な環境だったのでは」と思う。巡り合わせの問題とか。

自分は歳を重ねるに連れて自分が好きだった音楽を耳にする度に「絶対音感能力があれば…」ぐらいの無念さ劣等感が大きくなってくる。「絶対音感があれば、好きな音楽耳コピとか分析が高精度で確実にできて、人生が変わっていただろうな」と。好きなはずなのに馬の耳に念仏で溜息しか出ない。山月記みたいになりそう。

自分は本当に音楽が好きなんだろうか…。単純接触効果的な大きな勘違いでなければいいが…。



余談だが、音ゲーについての自分の腕前は、家庭用IIDXHAPPY SKYの段位認定10段をアナコンでクリアしたのが限界で、高1がピークだったと思う。高2の頃からほとんど音ゲーには触ってない。自分音ゲーゲームも才能が無いと強く気付き始めていったのはその頃だった。

自分音ゲー楽曲についての話をピアノ教室クラブ活動などでも話す機会は一切無く、幼小から自分が好きだった音楽は誰にも繋がらず糧にもならなかったのであった。



Permalink |記事への反応(3) | 14:30

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2025-05-17

anond:20250517100933

だって医者になるなら大学いかせるけど、それ以外なら行かせる理由がないのでいかせねえよ?

 

地元にある仕事で女ができる一番上の仕事銀行員から商業高校いってくれた方が親としては安心

というか、それ以外のなんの仕事したいの?は?都会で仕事したい?ダメに決まってんじゃん、お前は長男(長女)でしょ

は?芸大音大?うちは農家だぞ、どこのお大臣に育てられてるつもりだ、あ、末っ子ちゃんならおkよ、かーーぅわぃぃから、それに引き換えほんとお前は口答えばかりだ、誰に似たんだか(ぺっ

Permalink |記事への反応(1) | 10:15

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2025-04-26

anond:20250426102411

そもそも、女は長女だろうが末っ子だろうが下方婚してないからね。

Permalink |記事への反応(1) | 13:00

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2025-04-24

わが子とはいえ他人人生

眺めてると面白い

うちは三姉妹なんだけど、長女はやっぱりそうだよなあとか、中間子あるあるとか、末っ子はどうしてもねえとか、色々あって面白い

ほかの三姉妹で育った人たちと、なんとなく似たような役割分担になってる

わたし一人っ子だったか経験ないけど、姉妹関係ってすでに社会で、それぞれの役割果たしてるんだよね

意識してるのかしてないのかはしらないけど

なんか、面白いなあ

きっとこのまま大人になって、それぞれあんな感じの大人になるんだろうなあ

Permalink |記事への反応(2) | 21:25

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