
はてなキーワード:未来予想図とは
日本初の女性総理大臣が誕生する、その歴史的な前夜。社会学者の東山教授は、自室の書斎で苦虫を噛み潰したような顔をしていた。テレビ画面の中では、次期総理の座を確実にした、天城(あまぎ)るり代表が、勝利宣言で満面の笑みを浮かべている。
「天城さん、初の女性総理として、長年この国を覆ってきた『ガラスの天井』をどう打ち破りますか?」
記者の紋切り型の質問に、天城はマイクの前で小首を傾げ、悪戯っぽく笑った。
「天井?申し訳ありませんが、わたくし、上ばかり見て走ってきたので、道中に天井があったことには気づきませんでしたわ。そもそも、存在しない壁や天井の話をするのは、もうやめにしませんこと?」
その瞬間、スタジオは凍りつき、SNSは沸騰した。そして、東山教授の堪忍袋の緒は、見事に切れた。
「愚か者めが…!」
東山教授は、長年にわたり「日本社会に蔓延る、見えない構造的差別」としての『ガラスの天井』を研究し、その存在を説いてきた第一人者である。彼女にとって『ガラスの天井』は、単なる比喩ではない。それは彼女の学問のすべてであり、彼女自身が丹精込めて織り上げた、知的で高尚な、しかし目には見えない「至高の御衣(ぎょい)」だったのだ。
この御衣の存在を理解できる者こそが、現代社会の知的エリートであり、ジェンダー意識の高い「わかっている人間」。逆に、これが見えない者は、時代遅れで、差別的で、救いようのない「馬鹿」なのである。
それなのに、天城るりという女は、その御衣の存在そのものを、国民の前で一笑に付したのだ。まるで、裸の王様を指さす無邪気な子供のように。いや、子供より性質が悪い。彼女は、圧倒的な実力と国民の支持という「権力」を持って、それをやってのけたのだから。
「彼女は家父長制に取り込まれた『名誉男性』に過ぎない。天井が見えないのではない、見る能力と思想がないのだ」。
東山教授はすぐさまメディアにコメントを発表し、取り巻きの学者やコメンテーターたちも一斉に同調した。彼らは、来る日も来る日も、テレビや新聞、ネット上で「ガラスの天井」という御衣の素晴らしさを語り続けた。
「この緻密で複雑な構造が見えないとは、なんと浅はかなことか!」
「天城総理の成功は、天井に偶然空いた小さな穴をすり抜けただけの例外だ!」
「我々『賢い人間』には、その透明な天井がはっきりと見えているのだ!」
彼らは、自分たちだけが見える高尚な天井画を、互いに褒めそやし続けた。
天城るりが総理大臣に就任し、組閣は驚くべきスピードで進んだ。能力主義を徹底し、性別や年齢、派閥など一切関係なく、適材適所の人材を抜擢していく。彼女の政策は明快で、実行力に満ちていた。国民の支持率は、うなぎのぼりだった。
そんな中、東山教授とその一派は、国会議事堂の前で奇妙なデモを計画した。プラカードにはこう書かれている。
『天井はここにある!』
『見えないからって、無いわけじゃない!』
『我々の知性を無視するな!』
彼らは空に向かって指をさし、「見よ、この分厚く、冷たいガラスの天井を!天城総理、あなたにもこれが見えないのか!」と代わる代わるシュプレヒコールを上げた。しかし、道行く人々は、何もない空を指さして熱弁をふるう一団を、ただ不思議そうに眺めるだけだった。中には、不審者を見るような目で、足早に通り過ぎていく者もいた。
「どうして見えないのだ、この愚民どもには!」
東山教授は苛立った。彼女が何十年もかけて織り上げてきた、世界で最も高尚で、最も知的な「見えない御衣」が、誰にも理解されない。それどころか、天城総リは、そんな騒動を意にも介さず、外交に、経済政策に、次々と目に見える成果を上げていく。
国民は、もはや空虚な天井画には興味がなかった。彼らが見たいのは、自分たちの生活が良くなるという、具体的な未来予想図だった。
就任後、初の所信表明演説の日が来た。国民の注目が、官邸から国会へと注がれる。東山教授も、テレビの前で腕を組み、天城がいつ「天井」の存在に言及し、自分たち知識人に謝罪するかと待ち構えていた。
壇上に立った天城るりは、朗々と、しかし力強く語り始めた。経済、外交、社会保障。具体的な数値と計画を伴った演説に、野党からさえも感嘆の声が漏れた。そして、演説の最後に、彼女はふと笑みを浮かべ、こう言った。
「さて、一部の賢明な方々が、わたくしが打ち破るべき『天井』の存在について、大変ご心配くださっているようです」
「その方々が仰るには、わたくしには見えていないだけで、この国の空には、それはそれは分厚いガラスの天井が広がっているのだとか。そして、それが見えない者は、愚か者なのだそうです」
天城はそこで言葉を切り、満場の国会議員と、その先にいる全国民に向かって、堂々と宣言した。
「ならば、わたくしは、喜んで愚か者でありましょう。わたくしには、見えない天井を見上げて嘆いている時間はありません。わたくしが見ているのは、天井の先にある、この国の未来です。国民一人ひとりの、笑顔です」
彼女は両腕を広げた。
「皆様。存在するかどうかもわからない天井の話は、もう終わりにいたしましょう。それよりも、わたくしが仕立てた『繁栄』という名の新しい服を、共にご覧いただきたい!」
その瞬間、割れんばかりの拍手が議場を包んだ。それは、もはや誰にも止めることのできない、新しい時代のファンファーレだった。
テレビの前で、東山教授は呆然と立ち尽くしていた。彼女が心血を注いで織り上げたはずの「至高の御衣」は、いつの間にか、誰の目にも見えないどころか、誰の記憶にも残らない、ただの空気に成り果てていた。
「王様は裸だ…」と叫んだのは誰だったか。いや、そもそも王様などいなかったのだ。いたのは、自分の仕立てた服こそが最高だと信じて疑わなかった、時代遅れの仕立て屋だけだったのである。
かつての高度な交通網・通信網が十分に保守できず、地方では故障した基地局や新幹線車両を“掘り起こして”部材を転売する個人業者が台頭。半導体を取り出す「都市鉱山」ビジネスがスラムの定番職業に。
百歳人口密度世界一となり、海外の医療・老年学スタートアップがフィールドワーク目的で村ごと受託運営。老人ホームが“生きた博物館”として見学料を取る逆輸入モデル。
電力・通信を自前でまかなうオタク技術者がクラウドファンディングで“町内向けミニ発電所”を量産。コミケのノウハウをインフラ構築に転用し、自治体より早くサービスを復旧。政府が後追いで許認可を出す「公→私」逆転現象。
光熱費高騰で煮炊きが贅沢に。魚粉を超圧縮した“出汁キューブ”が主食扱いになり、食卓は湯に溶かすだけの流動食化。結果として味覚の微差を競うオタク層がガストロノミーを牽引し、“お湯割り職人”が登場。
ネット速度が不安定になる中、テキストベース+8bit音声のみの軽量メタバースが復権。昭和レトロなドット世界が若者の主ステージとなり、「現実はハードだがオンラインは8kbpsで優しい」という逆転。
輸入労働者と高齢日本人が意思疎通するため、ひらがな+簡体字+絵文字を混ぜた即席言語が広がる。やがてインドネシアやフィリピンに伝播し“コンビニピジン”として逆輸出。
中央税収が細り、巨大企業が道路補修や水道維持を肩代わり。結果としてトヨタ藩・ソニー藩・楽天藩など“企業領国”が自治権を持つ。住民は「どの藩に所属するか」を就職ではなく“帰属”として選択。
正規軍維持が難しくなり、個人オーナーのドローンをスマートコントラクトで束ねたバーチャル傭兵団が離島防衛を請け負う。トークン配当で機体を共有保有する“戦争版NFT”が出現。
高層マンション維持費が出せず、上層階が無人化。1–10階は低所得者が占拠、20階以上はクリエイターが格安アトリエとして使用。エレベーター運賃が電動キックボード並みに課金制に。
公教育が縮み塾も淘汰される一方、オープンソースLLMを使った“寺子屋AI”を町内で共同運営。江戸時代さながらの私設学習所にハイテクが融合し、学習の地域格差がむしろ縮小。
海外スタジオが費用を持ち、日本で食えなくなったマンガ家を国外アトリエに“流刑”する制度を創設。現地産業振興と日本マンガ存続を同時に図る“負けて勝つ”クールジャパン2.0。
国家保険崩壊後、外国製新薬のフェーズⅢ治験が日本全土で実施。高齢者が参加して医療費を浮かせる“治験ツアー”が一般化し、治験成績優秀者には「ゴールド被験者カード」が発行。
鎌倉大仏の譲渡担保で港湾を改修、浮世絵一括担保で衛星を打ち上げるなど、美術品がデジタル資産化され国際市場を回遊。やがてDAOが国宝を分割所有する“分散保護”へ。
災害多発と公的補償低下を受け、自宅をリビングシェルター化した住民が“被災シェアリング”の株式を発行。豪雨で止まった地域に対し、家ごと貸し出し配当を得る“寡占シェルター市場”が発展。
「町が無人になる瞬間」をYouTuberが24時間中継し、スーパーチャットで遺跡保存費を賄う。人口ゼロ記念セレモニーが国際的イベントに──“負の達成感”をコンテンツ化する逆転思考。
最近流行ってる、あの「ふたりの顔写真をアップすると未来の赤ちゃんの顔が見れる」みたいなやつ。
SNSにもわんさか流れてくるし、みんな可愛い可愛い言ってるから、何気なくやってみたんだけど、正直「えっ、これだけ?」って拍子抜けした。
なんか勝手に、そこから「AI赤ちゃん育成モード」みたいなのに突入するのかと思ってたんだよね。
顔が生成された瞬間に、もう赤ちゃんの個性とか性格とかがデータとして生成されて、成長シミュレーションまでいけると思い込んでた。
でも実際は、ただの一枚絵。赤ちゃんの未来予想図、以上終わり。
いや、かわいいんだけど、これならプリクラの赤ちゃんモードと何が違うんだ?
なんでさ、そのままアプリ内で「今日のAI赤ちゃんの様子です」とか「離乳食を食べました」とか、そういう育成ログ見れたりしないんだろう。
せっかく生成したなら、一緒に育てたいじゃん。
朝起きたら通知が来て、「AI赤ちゃんが初めて寝返りしました!」みたいな感じで、カップルふたりで親バカになれる仕組みがあってもいいのに。
それで月額980円くらい払うと、AI赤ちゃんが3歳まで育てられるプレミアムコースとかあるわけ。
もっと課金すると中学卒業まで見届けられて、進路相談もできたりして。
AI赤ちゃんが反抗期になって「うぜぇんだよマジで」とか言ってくるイベントまで完備されてたら、もはや人生シミュレーターとして無敵でしょ。
カップルだけじゃなくて、不妊治療で辛い思いしてる人とか、子供欲しいけど経済的に無理って人にも刺さると思うんだよね。
結婚はするかもしれないけど、経済的に考えると現実的じゃない。
ふたりとも普通の会社員だし、育休どころか産むための貯金すら怪しいし、子供を育てるとなったら、親世代みたいな「とりあえず何とかなる」感覚では無理だなって。
もちろん「子供欲しいな」と思うことがゼロなわけじゃないけど、欲しいだけじゃやっていけないのが現実
それなら、せめてAI赤ちゃんくらいは夢見させてくれてもよくない?って思う。
リアルな育児は多分できなくても、ふたりの子供のデータみたいなものを、アプリの中で育てるくらいはやりたいんだよね。
で、たまに彼氏と「うちのAI赤ちゃんマジ可愛いな〜」とか言って、スマホの画面見ながらニヤニヤしたい。
ペット飼うお金も余裕もない人が、スマホの中で柴犬育てたり、観葉植物枯らしがちな私が水やりアプリで満足したりするのと同じで。
デジタルな存在でも、「私たちの子供」って思える何かがあるだけで、結構幸せになれる気がする。
でも、リアルじゃないと愛せないってわけでもないと思う。
実際、ペットロス並みに「スマホ育成ゲームのキャラロス」で泣き崩れてるオタクもいるし、たまごっち世代はもっと知ってるはず。
デジタルな存在でも、「育てた」っていう記憶があれば、人はちゃんと愛せる。
むしろデジタルだからこそ、いいとこ取りできる部分もあるわけで。
例えば夜泣きしないとか、オムツ代かからないとか、保育園の空き枠問題とか全スルーできる。
しかも育成終了後も、クラウド保存でいつでも会いに行ける。デジタル墓参りだって余裕。
「でもAI赤ちゃんなんて偽物でしょ」って言う人、絶対いると思う。
でもさ、人間の赤ちゃんだって、実際生まれてみないとどんな子かわからないわけで、ある意味ランダムガチャだよね。
だったら最初からカスタマイズ可能なAI赤ちゃんの方が、親にとって優しい世界かもしれない。
正直、リアルな子供がいなくても、自分とパートナーのDNAが織り交ぜられた存在が、どこかのサーバーに生き続けてるってだけで、ちょっと救われる気がするんだよな。
まぁ、そこまで考えてAI赤ちゃんの顔生成したわけじゃないけどwww
せめてもうちょい遊べるようにしてくれよ。
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
アイデア部分は一部で賞賛されてるけどあんまり面白くなくて、どっちかというと提示されるシチュエーションや展開が楽しい小説です
で、その提示されるシチュエーションですが、未来社会は富裕層の疑似人格AIの計算のために計算リソースの大半を食われており、そのため技術発展のための計算リソース割当が十分に供給されてないという、ちょっとひねくれた設定のプチディストピアの話でした(はず。20年前に読んだっきりなので)
で、ここんとこのAI社会到来で、この未来予想図が当たってるではないけど、似た構図になりそうだなあと
この話は、AI自体が実際にどこまで使い物になるかはあまり関係ないです
「AIは使える、人間より使い物になる、人間をもう超えてる」という社会認識が共有されてるか否かが重要です
なんなら宣伝しまくって「AIは素晴らしい、AIは使い物になる」と情報操作した結果、実態以上に社会に認められるのでもOK
AIが准人権的な権利を法的に認められるかどうかだけが問題になります
現状は、既に細かいレベルで権利を容認する方向に動いてますよね。AIを使って製作した製作物をAI使用者が権利を所有する、といった形で、AIをかませることで権利を得ることを認めるよう働きかける人は非常に多い
実際にAIを使って利益を得るのは人間なのは、この先も変わりませんが
つまり、既存の個人の諸権利の枠組み、鋳型が、技術発展という名目(実際に発展するかどうかは関係ない)で、AI使用者側に細かく細かく食い荒らされてく構図というのが、現状としてある
いや、発展段階だから、この先に法整備されてく、という説明をする人が多いと思いますが、この先の世界経済は法整備は暴力としての実力と金がものをいう世界でしょうから、基本的には大規模資本の要望に基づいた法整備で人間の諸権利の再設定が行われると仮定するのが妥当です
というより、AIという題目は、その実力よりも、20世紀までに積み上げてきた生身の身体をもった人権をいかに再定義し解体していくかのためのツールとして活用されるためにこそ最大限に使用されるのが、今後の見通しでしょう
順列都市では大規模資本家の死後も資本家の疑似人格AI(を運用する団体)が資産の所有権を承継し、その承継の正当性を主張するために人格模倣の計算リソースが膨大に使われてる、みたいな状況でした
これ、経済面で言うとかなり詰んでそうです。資本家AI(団体)は、消費もせず、死んで相続税を払うでもなく、ただ運用して富を増やすためだけに資本を投じ続ける
そういう資本家AIさんが資本の投資効率を最大限に高めましょうとか投資先に提案し続けるわけですよね、自分自身は一切、生身の人間としての消費をせずに
実際のAIの運用は生きてる人間がスタッフとして管理するんでしょうけど、彼らはまあ、自分らの報酬をサラリーマン的に毎月受けとるだけみたいに行動するのが最適解でしょうし
法人という枠組みが今までもそういう仕組みとしてあったわけですが、ここでいよいよ、法人と個人の境目が消えて一体化していく
投資最大効率以外に特に何の目的も持ち合わせてない資本家AI(団体)を中心とした社会構造に再編されてく、現状の資本主義の運用状況が先鋭化してく形ですね
国家がそうした資本の論理に対して抑止できるのかというと、現状で既に国家は負けつつあるので期待できない
そうなると、AIは実用(物理世界での消費や生産)の用途より、名目の用途に合致したほうがいいわけで、AIの未来はますます実用用途から遠ざかりそう
曲目
Google翻訳のアプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名、歌手名が正しく表記されていない場合があります。
蒼い星くず 加山 雄三
青葉城恋唄 さとう 宗幸
アケミという名で十八で 千 昌夫
あざみの歌 伊藤 久男
あじさいの雨 渡 哲也
あの鐘を鳴らすのはあなた 286和田 アキ子
雨 1256 三善 英史
雨の御堂筋 欧陽 菲菲
逢わずに愛して内山田洋とクール・ファイブ 13
22小柳ルミ子 漁火恋唄
射手座の女敏いとうとハッピー&ブルー232 愛しき日々堀内孝雄 40
命の花大月みやこ 383
祝い酒坂本冬美 26
455門脇 陸男 祝い船
松原のぶえ 461 男なら
おもいで酒小林幸子 195
想い出の渚ザ・ワイルド・ワンズ 199
お嫁においで加山雄三
松原のぶえ 305 おんなの出船
悲しい色やね 34上田正樹
がまん坂 18北島三郎
北の漁場 41北島三郎
京都の恋 196 渚 ゆう子
くちなしの花 462渡哲也
圭子の夢は夜ひらく
369藤圭子 恋あざみ
高山厳 152 心凍らせて
343森山良子 この広い野原いっぱい
伊東ゆかり 197 小指の思い出
酒よ 36 ジジサン
さざんかの宿大川栄策 88
サチコ ニック・ニューサー 481
里がえり 嶋三喜夫1278
435河島英五
田端義夫 483 十九の春
大橋 純子 155シルエット・ロマンス
ジジサン 90 酔った歌
杉良太郎 47 すきま風
60谷村新司 1森田公一とトップギャラン若者小林幸子1280 雪泣夜(せつないよ)小柳ルミ子 48瀬戸の花嫁森進一1281 セビアの雨ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち平和勝次とダークホース360宗右衛門町ブルース北海道民謡1561年ソーラン節内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49五木ひろし そして・・・めぐり逢い布施明 50 そっとおやすみにしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志郎283 そんな女のひとりごと 増位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました上田正樹 301たかこ 真木 柚布子1282黄昏のルンバ
トワ・エ・モア 480誰もいない海
三船和子 198 だんな様
五木ひろし 442 契り
敵は幾万 1570年軍歌
時の流れに身をまかせテレサ・テン 63
和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで
内山田洋とクール・ファイブ 191長崎は今日も雨だった
ザ・タイガース 164 花の首飾り
167 佳山 明生 氷の雨
釜山港へ帰れ 67 渥美次郎
ブルー・シャトウ 169ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
箱崎晋一郎 抱擁 142
北海道民謡 北帰行 365
骨まで愛して大泉逸郎 96 孫
75北島三郎 まつり
坂本九 83見上げてごらん夜の星を
伍代夏子 441 水なし川
渡哲也 51 みちづれ
シャオ・リンシュウ 419昔の名前で出ています
香西かおり 260 静けさ
藤あや子 377 むらさき雨情
やっぱすきやねんやしきたかじん 84
山北島三郎 378
雪の進軍 1575軍歌
夢追い酒 76 渥美次郎
夢の夜 181南こうせつ
しかし一向にできない。おかしいなとも思いつつどこかで機会や出会いがあるのだろうと思っていた。
そんなこんなでもう四年目。就活もそろそろあり、このまま社会人になったら自分は一生童貞でしかも孤独に死ぬ未来予想図がありありと見える。
夏休みになってマッチングアプリというものを始めてみた。結果的に現在はマッチングアプリを9個やっている。
自分は身長165cm、顔は下の下でないことを祈りたいくらいの塩顔。髪型は短髪で体型はいわゆる普通体型。大学もまあまあ名前が知れてるし、自己評価としては好物件ではないが悪くはないだろうくらいに思っていた。
男はマッチングアプリで課金をしないとメッセージもできないということを知り、4000円近くの金を突っ込んで始めた。
そしてマッチングアプリを始めて1ヶ月、誰一人としてマッチしない。世界から否定され、自分の無価値を世界が認めたような気分だ。最悪だ。
マッチングアプリには足跡という機能がある。これは誰が自分のプロフィールまできたかわかる機能だ。1ヶ月で100人くらいはプロフィールを見に来ているようだ。
つまりケーキ屋で言えば店内入ってきてショーケースまで見てそこで帰ってる客が100人いる。自分がパティシエだったらコック帽をおいているだろう。
何が辛いかというと足跡があってマッチしないことが辛い。つまりわざわざ中を見るまでされ、精査された上で「お前には価値がない。魅力がない」と突きつけられているのだ。
そしてまず考えたのはアプリが悪いのではないかということ。今振り返ると別にそんなことはなかった。ただそのときは自分の価値が自分の想定より断然低く見えており現実を見えていなかった。
ということで次のアプリを始めた。結論からいうと全くもって同じ結果であった。
つまりどういうことかというと自分は完全にこのマッチングアプリという市場において無価値であるというがサンプル数2で太鼓判を押されたのである。
しかし2個ではたまたま偶然同じようなアプリを選出した可能性があると自分を鼓舞した。なので3個目のアプリに手を出したのだが結果は裏付けるサンプルが増えただけなんだ。笑えるよな。
弱者男性というものに自分が属すのではないかと不安になり、そしてそれを受け入れ始めた。
自分が使ったアプリはいわゆる恋活アプリというものであり、恋愛を目的としてアピールされているマッチングアプリである。これに対し結婚をアピールする婚活のアプリも存在する。
そして傾向としてかわいい(一般的な美的感性の美人)は恋活の方が多い。考えれば当たり前で可愛い子は別に結婚など若いうちにする必要はなく、遊びでマッチングアプリでいい男を探せばいいのだ。
これに対し婚活アプリになった場合はかわいいの平均が著しく下がる。実際の顔の美醜ではなく、写真写りが露骨に悪い。自己プロデュースが下手な女性が多いのだ。
また婚活アプリのプロフィールは20~25歳くらいだと極端に精神疾患や障害などなんらかの追加情報を持っていることが書いてあることが多い。また必ずと言っていいほど「それを理解してくれる優しい男性」を希望しているのだ。
そして自分は恋活アプリでは全くもって箸にも棒にもかからないくらい相手にされなかったのだが、婚活アプリに関して言えばまあまあ健闘できた。
理由としては写真だろう。自分はオシャレなどとは程遠い人生を送り、理系の大学でびんぞこメガネをかけた陰キャを地で行く人間だ。悪くいうのなら垢抜けず、野暮ったく、ダサいのだ。
しかし婚活アプリの市場においては相手側はいわゆる恋愛強者が少なくなるので、それらの女性の非恋愛強者(恋愛強者と恋愛弱者が排反ではない)がオシャレな男とマッチするという自己評価をしておらず、一見誠実で遊んでなさそうに見える男性を同程度またはそれ以下の相手だと考えてマッチするのだと予想した。
マッチングアプリの難しさというものは自己改善の難しさである。
当然なのだが男性は女性のプロフィールしか見えない。もちろん女性であれば男性のプロフィールしか見えない。
マッチングアプリの基本的な形式だが、男は女に選ばれる側という明らかな上下関係にある。女は選り好みしなければ男なんて掃いて捨てるほどアプローチがくるが、男は1ヶ月しても1回もアプローチも来なければ自分のアプローチが実らないこともザラなのだ。
つまり男はマッチングアプリにおいて競争環境に置かれているのだが、レースで言えば横を走っている相手を知ることができないのだ。
受験だって普通は他の人の成績を見て自分は日本で何位で他の人より英文読解が弱いとか分析することができるのだが、マッチングアプリではそれができないのだ。
これが非常に辛かった。これでも理系のはしくれなので論理的に改善をできるなら前向きに生きることができるのだが、そのための比較ができず改善もできない中で完全な暗中模索。しかも結果は出ないのだから辛かった。
写真写りなのだが正直ここがよくないとマッチもしないので交際のスタートラインにも立てないのだということが分かった。
新宿のホストっぽい写真(なんかいかついスーツ)・スーツのビジネスマンみたいな写真・TDL背景のただの笑顔で服を女性に選んでもらったカジュアル3割フォーマル7割みたいな格好の写真・自分の普段のオタクみたいな写真の3つをそれぞれ1週間ごとで写真を変えた。
他人の写真を使うのは倫理的に憚られるのでPhotoShopで気合いでアイコラしてゴリゴリのフィルターで1枚目の写真を作成した。2枚目は大学の入学式あたりの写真を使った。
3番目はカメラマンの友達に金を払って「マジで仕事と思って頼む」といって相手が断る中で半ば無理やり金を握らせて撮ってもらった。
結果はとして受け取ったいいね(自分からいいねしていいねが返ってきてマッチしたいいねも加算してる)
0/1/2/1
1/0/4/0
これだけを見れば女性に服を選んで貰ってカメラマンに撮って貰えば改善するように見える。
ここで比較としてホストをやったこともあるイケメンの友人にお願いして同じアプリで同じようなことをしてもらった。(この友人の彼女には自分の方から謝罪と事情説明をしてOKをもらった)
ホスト風の写真/普段の写真(ファッションがわからない自分には女性に選んでもらったやつくらいオシャレ)/自分がチョイスしたださ目オタクファッション(自分の普段着)
98/238/134
ここでわかるのだが結局顔なのである。身も蓋もなさすぎる気付きなのだが大きな気づきだった。
マッチングアプリは顔がよければどうにでもなる。
この結果は救われたような気すらした。所詮顔の差でしかなく、逆に言えばここがよければ改善も可能なのだ。自分は人間としてオワリなのではなく、ただ顔が良くないだけで人間的にオワリとは言い切れないということが収穫だった。
※上記実験は全て同じプロフィール、同じステータス(毎日ログイン)、同じ会員ステータス(課金)、同じ開始時期なので差は完全に写真だけなのである。またマッチングアプリには新規登録ユーザーの優遇が存在するため、自分と友人のアカウントはアカウント作成後1ヶ月放置し、そのあとに課金を始めている。
写真を以下の条件のもと、プロフの文章を長め(趣味嗜好・休日の過ごし方・恋愛遍歴などの長文)と基本的な自己紹介と挨拶だけの短めの文章(写真の実験で使用した文章)を用意した。
それぞれ1週間の実験期間であるが、この実験は写真の実験のあとに行っている。
長文 5 短文 2
長文 5 短文 4
長文 57 短文 43
長文 290 短文 238
ということで気持ち長文の方が増加傾向なのだが、写真以上のインパクトはない。しっかり書けばだいたい1.1~1.2倍程度いいねの向上が見られた。
記載の通り、この5週間で以下の成果を得られた。これはおおきな進歩だ。正直最初にいいねをもらった時は嘘じゃなく飛び上がるほど喜んだ。生きていていいんだと感じた。
驚くべき成果だ。自分は無価値だと思っていたが見せ方次第ではある程度改善が見込めるのだ。
しかも努力が反映され、これが即結果につながることが分かった。この時点で自分は完全にマッチングアプリを数値的なゲームの感覚で触れるようになった。
与えられた環境で最大点を出す努力をするのが快感になり始めた。自分はもともと資格勉強とかの結果が明白にすぐ出る努力が好きなのでこの環境で頑張ってみようと思った。
でも、ほんとの恋愛強者ってのは高校とかの時点で彼女を作って、別にマッチングアプリなんか始めずに大学生活を周囲の女子とかとディズニーとか行って惰性で付き合ったりしてるんだろうな。まあもう自分にはなれないからただただそんな人は羨むしかない。
ここから先はメッセージしてから実際に会える確率についての実験と9個のアプリに手を出す話が続くのだがこれはまた今度書きたい。
大家増田でございます。1つ前のエントリを読んでくれた人ありがとう。色々お騒がせしております。
皆さんがコメントやトラバで色々情報を寄せてくれたおかげで、俺の方でも色々調べ、ある程度自己解決しました。俺の描く未来予想図はこんな感じ。
警備会社がやってる。万が一亡くなってしまっても速攻で見つかるようにしたい。特殊清掃が必要なレベルまで腐敗しないように。
色々調べたが、入居者に入ってもらうタイプの保険より大家が入るタイプの商品の方が使い勝手が良さそう。
見守りサービスがきちんと機能すれば特殊清掃が必要になることはまずないと思う。保険でカバーしてもらいたいのは残置物の片付け費用くらいじゃないかな。
もうさ、高齢化社会だし、これからは腐敗してなければ別に言わなくても良くね?ダメ?
まあ、ちゃんと決まってないのはよくない。このへんは宅建業法を変えて、ちゃんと告知ルールを決めようぜ。
●ここが未解決
今、国の方では高齢者が民間の賃貸住宅に入居しやすくなるように何か話し合ってるんだろ?
現実的に考えて、縮小傾向にある公営住宅で全てをまかなうのは無理だもんな。今の建築費の高騰を見てれば新築なんてとてもできないし。
そこで、俺から頼みがある!
賃貸住宅の場合は、死亡がわかった日の翌日から室内に残された残置物を大家が勝手に処分できるとか、そんな感じに法改正してくれえええええええ!
相続人を探して話し合ってからとか、そういうクッソ面倒なルールじゃ全然ダメだぜ!
残置物処分を勝手にできるなら、俺は既存の民間サービスを活用しまくって老人の入居審査は余裕で通す。
後は俺が全部やってやるぜ!
話し合い頑張れ、国!
●補足
勝手に残置物処分をするのは、入居者との間で生前に合意があってもおそらく現行では法律違反になってしまう。
例えが悪いが、嘱託殺人は法律違反じゃん。それと同じようなもんで、生前に合意があっても合意内容がそもそも法律違反だからダメ、っていうことなんだと思う。
ただ、俺は法律の専門家じゃないので、あんまり鵜呑みにしないでほしい。
とにかく今の法律だと勝手に捨てたらダメで、そのせいで現場はめちゃくちゃ困ってるつーことだけは確か。
●cha16さんより鋭いご指摘
「高専賃以外の住宅で死亡を原因として賃貸借契約を終了させるのは無理なんじゃないかな。それができるように高専賃は借地借家法と別の法律作ったんだから。賃借権自体が相続の対象なんですよ。」
確かにその通りですね。普通借家権も定期借家権も相続の対象だわ…。
問題は残置物だけではなかった…。
終身建物賃貸借ができるようになるには知事認可必要だし、建物に要件もあるみたいで、うちの物件は全然要件満たしてなかったです。
基本的にはサ高住を運営する事業者向けの契約形態っぽいですね。
全然解決してないじゃん!タイトルに偽りありになってしまった…。
く、国~!
現状に合わせて法律を整備してくれ~!
●補足2
なんか勘違いしてる人いて悲しい気持ちになってるけど残置物処分したいのは残置物が欲しいわけじゃないからね…。
残置物は業者入れちゃえば、1日もあれば全部捨てられるわけよ。そしたらすぐ次のお客さんに部屋を貸せるじゃん。要は空室期間を減らしたいのよ。
(別に捨てなくても、遺品を保管するための公的な施設があればそこに移動させるとかでもいい)
今の法律だと勝手に捨てらんないから身寄りのない人に死なれると我々大家はガチで詰んでしまう。この法的な問題を解決できれば、俺含めた世間の大家さんも身寄りのない高齢者に安心して部屋を貸せるよね、っていう話ね。
ほとんどの人は遺品欲しさに言ってるわけではないと理解してくれてると思うけど、大丈夫だよね?
●補足3
「部屋借りづらい人の支援、国が議論 家主の「拒否感」どう取り除く?」
https://www.asahi.com/sp/articles/ASR736FB5R73ULFA007.html
Permalink |記事への反応(13) | 12:07
スキップとローファーという作品。これ、自分はアニメしか見てなくて原作は読んでないからもしかしたら原作では描かれてたらごめんだけど。
主人公の女の子が東大を主席で卒業し官僚になり地元に帰って市長になるとかいう立派な人生設計を思い描いてるのに、
そこに結婚や出産の予定が一切出てこないのに物凄い違和感あるんだよね。
壮大な人生設計をしっかり考えているキャラなら結婚出産子育ての計画は欠かせないだろう
東大に進学しゼミで出会った同級生と交際開始、25歳で結婚、27歳で第一子、30歳で第二子、33歳で第三子を出産、産んだら子供をすぐに認可保育園に預けて仕事に復帰……みたいな未来予想図を思い描いてる方がリアルじゃない?
独身の女性政治家が市民権を得ていたの遥か昔のは土井たか子の時代であって、今の世の中は女が出馬するなら母親アピールが欠かせない
結婚していない、子供のいない女が市長として選ばれる事なんてない
そして主人公の子は三白眼で露骨に容姿を不細工に描いている訳で、普通だったら結婚出来ない事に焦ったり絶望している方が自然なのに。
Permalink |記事への反応(10) | 22:12
婚姻とは何であろうか。民法を見ても、婚姻の制度については事細かに書いてあるが、婚姻の実態については何も説明されていない。
婚姻関係を結んだ人々には、制度面で種々の優遇が与えられる。加えて、世間様からの信用も付与される。
いつぞやお隣のご婦人が、「薬指に指環あるだけで安心できるわよね」と話していた。明け透けさに苦笑するとともに、なるほど世の中そういうことなのかと腑に落ちた。
しかし、婚姻制度と、憲法が謳うところの平等主義とは、両立しうるのだろうか?平等主義を留保する程度に、婚姻には「公共の福祉」に資するところがあるということなのか?
婚姻制度が多くの社会で採用されていることからすると、おそらく社会制度の維持に寄与するところが多いとされているのだろう。
現行の婚姻制度は、情愛関係で結ばれ、その関係を維持することを公示した男女にお墨付きを与えている。
(形式的ではあっても)情愛関係及び一対の異性であることを条件とする理由は、いったい何であろうか。
生活の相互扶助がメリットであるならば、情愛関係で結ばれた同性カップル、あるいは性別を問わず友情で結ばれたマブダチが、婚姻制度から排除されるのは、なぜだろうか?
「情愛関係で結ばれ、その関係を維持することを公示した男女」にしかできないことは何かと考えると、一つの解にしかたどり着けない。
すなわち、「生殖」だ。確かに、人口が生産されないことには、社会は維持できない。
暫定的に、異性夫婦の優位性を生殖可能性に認めると仮定した場合、ここでも疑問が生じる。
世の中には、身体的に生殖が不可能だったり、生殖の意思を全く有しない夫婦もゴマンといる。
婚姻の優位性を生殖に求めるのであれば、そのような夫婦にも優遇を与えることの理由が見つからないことになる。
ゆえに、身体的あるいは心情的に生殖の見込みがない夫婦は、婚姻関係から排除すべきということにならないか?
加えて、生殖可能性がほぼ0%である同性婚を認めるなど、もっての外という結論が導かれる。
ここまでは、「生殖可能性によって現行の異性婚が担保される」という、かなり乱暴な仮定を前提としてきた。
それでは、婚姻のメリットとして挙げられる「生活の相互扶助」という観点から考察したい。
この目的を達するためであれば、先に挙げた情愛関係と生殖可能性は、婚姻制度維持の必要条件とは成り得ないだろう。
それであれば、同性婚はもちろんのこと、友情などのライトな関係を基礎として生活扶助を扶助する者同士も、婚姻の枠組みに包括すべきではないだろうか。
さらに言うと、関係者を2人に限定することの意義も瓦解するかもしれない。
結論としては、生殖に重きを置くなら現行の異性婚制度を維持し、生殖不可能な男女は除外するのが、婚姻制度の本旨に沿うことになる。
一方、もう一つのメリットである生活の相互扶助を第一義とするなら、同性婚はもちろんのこと、情愛関係に基づかない2人以上の関係性にも、婚姻関係を認めるべきである。
もちろんこれは机上の空論に過ぎず、運用は現実的に不可能だろう。とりわけ、生活を相互扶助するという意思の真偽を公的に確認する術がない。
しかし、同性婚の導入がこれほど喧伝されてる割に、婚姻の実態に関する議論はあまりにお粗末ではなかろうか。
日本でも同性婚が認められるのは時間の問題という気がしている。
晴れて同性婚が認められたら、次は「ポリアモリーの権利を守れ!」という主張が徐々に市民権を得始めるのだろう。
いまLGBTの権利擁護の意識を持っている人でも、ポリアモリーの運動には顔を顰める。そんな未来予想図が、容易に想像できる。
かように不可解な婚姻という制度に嬉々として乗っかって、また乗っかることを切望する人々で溢れかえるこの世界は、本当に不可解で不気味だ。
※これ以外にも婚姻の社会的利点があれば教えてください。当事者間の安寧とかいうのより、社会とか国家とかマクロスケールでのメリットを知りたいです。