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2026-01-26

anond:20260126123909

有頂天から

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2026-01-02

國府田マリ子のおっかけをやって10余年が経過した。当時大学3年生だったオレはGS美神のおキヌちゃんをやってたマリ姉出会い、即効でファンになった。

元々合コン女の子とは縁のない生活だったが、それからマリ姉の為だけに生きてきたようなモンだ。

毎日マリ姉の歌を聴き、毎週ラジオも聴き、もちろんハガキも出しまくって月3回必ず応援手紙と詩を送った。イベントも全部行った。

全国ツアーで一緒に全国制覇したのも二度や三度じゃない。ファンやって二年目、握手会で俺の名前を覚えてくれてた時には嬉しくて本気で涙が出た。

人生で最高の喜びだと有頂天になって、帰り道一人で吼えてた。地元役場事務就職した後も、それだけが楽しみで生きてきた。

他の事は考えようとしなかった。結婚も、彼女も、友達も、そんなのは関係ない、いらないと思ってた。

そして去年の9月。信じられないものを目にした。「國府田マリ子結婚!!」目を疑った。絶対ありえない、絶対ありえない。死んでもありえない。

・・・なんであんな男が。ふざけんな。どこがいいんだ。マリ姉釣り合わない、失礼だ。ふざけんな。ふざけんな。一週間仕事を休んだ。

失意の内に半年が経った。もうラジオも聴いてない。会員番号2ケタ前半のファンクラブも辞めた。最近になってようやく、俺も自分幸せを掴もう…そう思えるようになってきた。

だけど俺には何も残ってなかった。20代という多感な時期に何もしなかったんだ。当たり前だ。マトモに他人と喋ったのはいつだっただろう。

女の子とおしゃべりをしたのはいつだっただろう。恋について、結婚について、そして人生について最後に考えたのはいつだったんだろう。

趣味も、特技も、人間性も、協調性も。何もありゃしない。残ったのはブサイクで汚い30代の中身スッカラカンな男。それだけ。

こんなのが今更どうやって幸せ掴めってんだ。声優のおっかけは何も生み出さなかった。それに今まで気づかなかった俺は最高にバカだ。

そしてこんなグチをネットしかこぼせない俺は最高に惨めだ。是非俺を笑ってくれ。蔑んでくれ。そして自分人生をもう一度考えるキッカケにしてくれ…

Permalink |記事への反応(0) | 21:31

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インタビュールポ楠木ともりオタの末路

 楠木ともりのおっかけをやって10余年が経過した。当時大学3年生だったオレは、ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会で優木せつ菜を演じていたともりに出会い、即効でファンになった。

 元々合コン女の子とは縁のない生活だったが、それからはともりの為だけに生きてきたようなモンだ。

 毎日ともりの歌を聴き、毎週ラジオも聴き、もちろんメールも送りまくって月3回必ず応援手紙と詩を送った。イベントも全部行った。ライブツアーで一緒に全国を回ったのも一度や二度じゃない。

 ファンやって二年目、イベントトークでオレの名前を覚えてくれてた時には嬉しくて本気で涙が出た。人生で最高の喜びだと有頂天になって、帰り道一人で吼えてた。地元役場事務就職した後も、それだけが楽しみで生きてきた。他の事は考えようとしなかった。結婚も、彼女も、友達も、そんなのは関係ない、いらないと思ってた。

 そして去年の12月。信じられないものを目にした。

 「楠木ともり結婚!!」

 目を疑った。絶対ありえない、絶対ありえない。死んでもありえない。……なんであんな男が。ふざけんな。どこがいいんだ。ともりと釣り合わない、失礼だ。ふざけんな。ふざけんな。一週間仕事を休んだ。失意の内に半年が経った。もうラジオも聴いてない。会員番号2ケタ前半のファンクラブも辞めた。

 最近になってようやく、俺も自分幸せを掴もう……そう思えるようになってきた。

 だけど俺には何も残ってなかった。20代という多感な時期に何もしなかったんだ。当たり前だ。マトモに他人と喋ったのはいつだっただろう。女の子とおしゃべりをしたのはいつだっただろう。恋について、結婚について、そして人生について最後に考えたのはいつだったんだろう。

 趣味も、特技も、人間性も、協調性も。何もありゃしない。残ったのはブサイクで汚い30代の、中身スッカラカンな男。それだけ。こんなのが今更どうやって幸せ掴めってんだ。声優のおっかけは何も生み出さなかった。それに今まで気づかなかった俺は最高にバカだ。

 そしてこんなグチをネットしかこぼせない俺は最高に惨めだ。是非俺を笑ってくれ。蔑んでくれ。そして自分人生をもう一度考えるキッカケにしてくれ……。

Permalink |記事への反応(2) | 15:18

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2025-12-08

AI謹製技術者の俺が考えた最強の企画書

僕、めっちゃAI使う。文章はもちろん。

AIの導入で描けない絵が描けたり、以前なら大変苦労したであろうモチーフ簡単に作れたり

いいことしかないやんって有頂天だった。無敵だった。

映像業だからさ、あーでもないこーでもないってやってる深夜3時とかでもAIでさ

機嫌ひとつ変えずに「いい感じ」に作れちゃうわけよ。

「素材」が。そう。あくまで「素材」が。

まだ2025年末期、プロンプト一つ二つで「カンパケ」が出てくる時代じゃない。

やっぱり内容を汲み取る人の手が、経験が、「完成」をさせる。

近い未来はそうじゃないかもしれないけど、今はそうなんだ。

AIで無敵感を感じているのは僕だけじゃない。

結構な人がAIによって目覚めてしまった。

特に何もできなかった人たちが。

最近100%AI製の企画書がくる。

俺が考えた最強の企画書

一見整合性なりそうで全くない。やべー企画書

出し側はいいやんって感じで軽ーくこれ作って置いてよって感じで

本当に軽ーく送ってくるんだ。

人間は、技術者は、プロンプトで動くんだっけ?

うん。そうだね。動くかもしれない。

でも人の血が通ってないでたらめな指示書で僕は動きたくない。

みんな気づいてしまった

これからは絵が描けなくても好みっぽい絵を描いてくれる。

映像が作れなくてもそれっぽいものを何十時間やす人間より早めに出してくれる。

我々から見たらまだ至らないものを悪気もなく出す。

俺、できるっしょ、わかりやすいでしょ。的確でしょ、これ通り作ってよって。

ああこういうことがもっと当たり前になっていくんだな。

そんなものが来るたびに僕は心の濁すんだろうな。

僕が作ってきた「素材」もそんなもんだったかもな。

繊細すぎるかな。そんなに濁りやわだかまりAIに投げて綺麗にオブラートに包んでしまおうか。

でも今日はここに投下して見たいと思った。

Permalink |記事への反応(0) | 16:28

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小学生の時に新興宗教を作った話

毎年クリスマス正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。

とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。

はいくらでもあるが、当時小学生お子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。

まり

増田が6年生だった頃のことである

当時通っていた小学校お受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強関係ない授業が多い日は学校休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である

そんな雰囲気学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配から大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。

当然、遊びたい盛りの子供は不満である

から晩まで勉強で楽しくないし、学校教師子供達に学校勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。

小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。

そうだ、宗教を作ろう。


友人について

当時の増田立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。

とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強スポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。

入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャ性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである

表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。

友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。

友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。

増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。

ズブズブに共依存している闇のズッコケ三人組である

そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。

宗教を作ろうと思う」と増田は言った。

いいね、やろう」と友人Aは言った。

信者100人くらい欲しいね」と友人Bは言った。

増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。

そうして、宗教を作ることになった。

宗教を作ろう

増田キリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。

そこで「神」不在の「思想」の宗教を作ることにした。

思想宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田信仰は深くなかった。ただ、人間熱狂宗教になりうる、と子供心に感じていた。

小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。

発端

どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。

その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである

これは単純だが、小学生承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票シールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。

増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。

それと同時に、「これは使えるな」と思った。

まり、「人の善意は操れる」と知ってしまったのだ。

増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。

どうせ宗教を作るなら、ハッピーな方がいい。

3人の意見はまとまった。

その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校コンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。

日中調べて回って、以下のことを決めた。

小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。

そしてそれを実行に移した。これが6月の頃である

〇〇〇〇教の立ち上げ

結論から言うと、〇〇〇〇教はバカウケした。

結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。

友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。

3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生拡散力を舐めていたのである

拡散組織化

夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。

だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である匿名投票匿名性は失われ、よく知らない人間善悪判断しなければならない。

3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである

それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営テコ入れをすることにした。

まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者シールとお札のデザイン一新させた。毎月シール図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。

また、情報屋も雇った。告解で得た情報さら価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。

支部長の下に秘密内部監査官も置いた。これは支部長の不正信者との癒着告発させるためである

組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田

夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。

そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである

お叱り

〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。

当然である人間の口に戸は立てられない。小学生なら尚更だ。

つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。

夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。

説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたかである

そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ

教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的要求押し付けてお開きになった。

応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。

馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。

子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!

受験用に詰め込まれ知識であるキリシタン気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである

〇〇〇〇教は密教と化し、いよいよ肥大化していた。

隠語で呼ばれ、ミサと称した会合秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。

教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校掲示板mixi日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。

知らないデザインシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。

秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。

祭りの後

冬季講習の最終日、いつもの公園ジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュース乾杯をした。

「そろそろやめよっか」と増田は言った。

教祖しかったなぁ」と友人Aは言った。

卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。

正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である

教祖司祭裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。

でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手物事は進んでいくし、勝手教祖を名乗るものも出てくるし、勝手布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。

だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。

色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。

あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。

教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。

こうして、我々の宗教活動は終わった。

最後

友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。

友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。

増田中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。

それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近オンライン飲み会なるものを開催している。

この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。

最近子供ランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」

友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。

この歳になると涙腺が緩くなって困る。

キリシタン、まだいるのかぁ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:40

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2025-11-26

たぬかなが高身長旦那を得て有頂天失言炎上したんだとしたら可愛すぎるだろ

ていうか顔が可愛いんだけどさ

本人が150センチチビだったのもいいよな

ただやり口は水商売の女そのものだったなって結論

Permalink |記事への反応(0) | 01:11

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2025-10-15

何億といふ償金が日本に来た時は、軽薄な日本人の事、必ずや有頂天になつて、いたづらに奢侈に耽り、国が弱くなるばかりだよ。戦争に勝つても、国内の驕りが今日のごとくでは、輸入超過で二、三年の内には元の木阿弥さ。ソレで国人は驕り、外国からは憎まれ経済戦では敗北し、八方塞りだよ。


すげえな勝海舟

明治田舎成り上がり江戸の知性である元老を失って負け確定の戦争に突っ込んでったのよくわかるわ

Permalink |記事への反応(0) | 21:58

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2025-08-18

anond:20250818092830

最近不思議が酷く多くて

カノジョはアチラとコチラの話題でいっぱい!

オカルトだらけ、おまけに

セックスだらけで有頂天

世界の端から端まで、

いっぱいエクスタシーゴーストだらけで

悦び・哀しみ・速度を超えて

方程式はお払い箱っ

Permalink |記事への反応(0) | 09:33

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2025-07-29

人を好きになったことがない

たぶん恋愛体質の人とかの対極にいる感じ

彼氏は今までできたことあるけど全部自分から好きになったわけではなく

向こうから告白してくれて、付き合うようになった、て感じ

生理的に無理な人は断るけど、普通に素敵だなと思っていたり、嫌いじゃなければOKする

はじめは有頂天になった気持ち相手も大切にしてくれるし楽しいけど、やがて私が向こうに合わせすぎて、「嫌われないこと」が第一目的コミュニケーションとなり、嫌われないように顔色を伺い、少し返信がないだけで嫌われたかもと不安になり、そうでないことがわかって安堵すを繰り返し、見返りを求めてメンヘラ化し、だんだん向こうも疲れてきて、

関係破綻して終わるというパターンを繰り返している

たぶんこれは小さい頃から母親の機嫌に振り回され顔色を伺い自分気持ちより母親気持ちを常に優先してきた後遺症だと思われる

自分が良いと思ったものでも母が良くないと言えばこれは良くないものだと自分に言い聞かせ

だんだんナンセンスに思えたものである

家庭科のお裁縫セットもほんとはこれが良い、と思っても母はこのデザインさないだろうなと思えば母の好きそうなものを選ぶ、といった調子

いつも母がたてる物音すべてに神経を集中させていたし顔色を伺っていたし母が良いと思うなら自分も良いと思えた

母が笑えば自分も心から笑うことができたし母が笑わなければ自分も笑えなかった

年下の彼と付き合ってたとある冬、私はいもの調子精神的に不安定になりメヘラ化して些細なことで喧嘩して、電話で彼に泣きついたりしていた

それでも同棲はしていたしお付き合いは続けていたけどそんなある日彼が逮捕された

まあ法に触れるような悪いことをやってしまったんだけどいろいろ聞いたら彼も彼で仕事上の悩みとかいろんなことが重なって精神的に追い詰められたタイミングだった

私はそれに全く気づくことができなかったしむしろ彼に依存ぎみで寄りかかっていたため彼を支えることができなかった

どんなことがあっても一線を超えてはいけなかったし悪いのは彼自身だと自信をもって言えるけどあーあ、私がもっと強かったらなと思わずはいられない

私がもっと自立してたらな、彼に依存することなく彼の不安の受け皿になれていたらなって

それでも彼が私を頼ったかどうかはわからない

彼はもともと少し幼稚で不安や嫌なことや心のモヤモヤの処理が苦手だったり、どう処理したら良いかからないようなところがあった(その場で暴言はいたり、態度にそのまま出したりしていた)

私が責任を感じるのは違うかもしれないし悪いのは彼自身だとわかっているけど物事ってのは時に単純な構造をしていなくて私はやっぱり後悔した

彼をここまで追い詰めた責任の一端は私にもあるなって思った

から自分を変えなくちゃ駄目だなって思った

私が一生このままだと相手の首がすげ替わるだけでまた同じことが起きてしまうかもしれない

相手犯罪を犯すまではいかなくともこのままだと誰と付き合ってもやがて関係破綻するなって思った

たぶん彼は誰のことも傷つけたくなかったんだろう

幼稚なとこもあるけどほんとうはすごく優しい人だったか自分の大切な人を誰一人傷つけたくなかったんだろう

家族も、友達も、彼女

全部大事からこそ自分モヤモヤを処理するために彼らのことを使いたくなくて犯罪行為に走り自らが悪者になるという形をとってしまったんだろう

(注;このとき彼が大事にしたいのは彼自身の大切な人なので、犯罪被害者のことはなにも考えていない

あとその行為が彼の大切な人たちへの裏切りになるとは思っていない)

別れてからはずっと自分を変えて彼ともう一度付き合いたいと思っていたし、もし彼が自分以外の誰かと付き合ったら嫌だなと思っていたけれど、

最近だんだん自分がどうしたいのかよくわからなくなってきた

彼がしあわせなら、それでいいかなという気持ち

自分はまた彼と付き合いたいのか、よくわからない

ただもう家族以上に、彼の幸せを願っているという感じ

その横に誰かがいても、そうかあ、よかったねえ、彼がしあわせならいいよね、おめでとうという気持ち

でもやっぱりつらいか

でもそれ以上に、もう彼であろうと誰であろうと誰かを追い詰めるようなことはしたくないから、私はこのいつもメンヘラ化してしま自分性格を断ち切って、過去自分に向き合って、何が嫌だったのかちゃんと声を聞いてあげて、彼氏依存しがちな自分を変えたい

自分の喜ぶようなことをたくさんやって、生きていきたい

自分の喜ぶことってなんだろうと最近思うけど、私はやっぱり働いて稼いだお金で、好きなものを買ったり美味しいものを食べたりするのが好きだ

元彼と付き合っていたとき彼は倹約家だったので貯金が苦手な私のお金管理してくれてひとりだったときには全く貯まらなかったお金をある程度貯めることができた

たぶん彼のおかげで節約も苦にならなかったしいろんなことを一緒に楽しめたからだと思う

そうやって自分一人じゃできないことも誰かと一緒なら達成できる、というのも誰かと生きる喜びだろうし

かといって自由気ままに自分をひたすら喜ばせるために生きるのも一人で生きる醍醐味だろう

どっちもいいから、どっちも選べるように、私は自分性格を変えたいなと思う

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2025-07-23

anond:20250722063108

かに誤解されているとは思う

コミュニストというと共産主義を目指している集団みたいに思われがちだが、彼らの行動原理というのは実はただの嫉妬他責である

俺が不幸なのは搾取されているからだ!俺にはもっと価値があるはずだ!俺以外の奴らが権力を持っているのが不快だ!俺にももと金権力を寄こせ!

これはマルクス共産党宣言を見れば分かるが、要はこういったルサンチマンが彼らの原動力になっているのである

無論、マルクス時代封建制であり領主資本家が結びついて絶対権力の元民衆から搾取していた時代

この体制を覆すのは難しいので、マルクス共産党宣言で「権力を倒すには暴力革命しか無い」と書いた。それはまあ正しい

マルクス自体が裕福な貴族で、仕事もせずに遊びまくって借金しまくって追放され、それでも遊ぶのをやめずに得意の口先で金持ちに近づいては借金踏み倒しをしていた糞みたいな人物という事に目を瞑れば)

こういったマルクスに感銘を受けた革命家の多くが、革命成就後に封建主義領主以上の圧政を敷く独裁者となったのは貴重な教訓で

こうしたことから人間社会は誰も絶対権力を持ち得ない民主主義を少しずつ改良して今に至る。

ただ毛沢東が大失敗し、ポルポト悪事が世に広まってソ連崩壊しても尚亡霊のように彷徨コミュニスト残滓

民主主義へのの世の中になっても尚権力との戦いを止めない。民主主義社会権力というのは大衆の集合意思であり、その為のシステムとして選挙があるのだが

選挙で勝てないとなると大衆を敵に回しても革命を目指すがこういったコミュニスト残党である。それは則ちテロリスト同義なのだが彼らは21世紀先進国に生きながら尚自分が封建領主から搾取されていると思い込んでいる。

彼らの行動の原動力他責思考と原動力なので、いざ自分権力を握ると有頂天になって独裁圧政を始めるのは多くの歴史証明されているところである

一方日本共産党だが、彼らは世界共産党(多くが非合法反政府組織)とはちょっと違う特異な組織

日本だと共産主義者が最も隆盛を極めたのが1970年代で、連合赤軍警察の追跡の中あれだけ逃げられたのも、住民の中で赤軍左翼学生に同情的な一般人が多く、彼らを匿ったり支援したりしたからだと言われている。

こういった多数の一般人を票田とすることで日本共産党勢力を伸ばした。

宮本顕治の作った日本共産党の当初の理念がどうだったのかは分からないが、民主主義下では国会自治体議席を持てば一定権力を手に入れる事が出来、そこには利権が発生する

いつしか日本共産党はその利権を独占する幹部と、幹部に仕える多くの使用人+利益(票)を生み出す領民という構図の組織になった。領民収入1%年貢と数年に一度の票を捧げる義務がある。

これは株主の為に社長以下強固なピラミッド組織利益を追求する会社組織と同じだ。会社と違うのは利益の源泉が商取引では無く税金からもたらされるという部分。

日本共産党はその集票力を使って国政や地方自治体議員を送り出し、議員から利益収入の一部、政務活動費のバック、秘書給与など全て税金から)を吸い上げる

こういった税金ビジネスをしてるのが日本共産党

共産党議員医者弁護士が多いのも、共産党寄付をして貢献すれば議員になれるから共産党支持層というのは日本全体では2%ぐらいだろうが2%あれば比例や多くの自治体議員を送り込めるのだ。

で、誰を誰を送り込むかは共産党幹部が決める。自己肯定感の強い医者弁護士は金を手に入れただけでは満足せず、次は地位権力を欲しがる。それを金で売る。

ボランティアという名目で長年共産党無償奉仕した党員にも政治家になるチャンスが与えられる。

これが日本共産党ビジネス

Permalink |記事への反応(0) | 09:54

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2025-07-01

日本西洋の反リベラルの違い

西洋場合、例えば(お前らは多分知りもしないだろうけど)デンマークなんかは、超エコエネルギー政策で有名。

ということを言われると、デンマークの反リベラルは「あんなの嘘だ。ガスを隣の国から買ってるんだ。リベラル政府の嘘に騙されるな」と自分の国の恥を認めたがる。

 

一方日本のそれは、外人がお世辞で「日本エコ(っぽい)国だよね」というと100%鵜呑み有頂天になるし、外人ちょっと日本欠点を振られると「うるさい日本は凄いんだお前の国の方があそこがここが足りないくせに」と必死に噛みつく。

 

似てるようで本質的に違うんだよね。

西洋人の反リベラルは、自己矛盾を孕むリベラルな国への不信感が高じたもの

一方の日本は、ただのやっかみ、夜郎自大、すっぱいぶどうで遅れた社会正当化してるだけ。

Permalink |記事への反応(1) | 00:49

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2025-06-14

ChatGPTに自分IQ推定させる遊びが流行ってるらしい

ほとんどの人がIQ130〜140と言われて有頂天になっているようで他人事ながら心が痛む。残念ながら推定値-30程度がいいところだろう。

ChatGPTでIQ130以上だと言われた人はぜひWAISを受けてみてほしい。

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2025-05-01

それゆけ、害悪タイミー♪

このまえ初めてタイミーさんになってイベントスタッフバイトをした。業務内容はコンパニオンとしてビラ配り。企業が集まって自社製品を紹介する展示会の一つの企業ブース派遣された。

期間は二日間。結果としてこの二日、私は害悪タイミーさんと成り果て、イベント会社社員さんに多大な迷惑をかけた。そこには私の人生が上手くいかない原因が克明に浮かび上がっていると思う。今回は、どういうふうに迷惑かけたのか、その行動に至るまでの思考なんかを書くからぜひ読んで私の人生どうすればいいのか教えてほしい。

まず、バイト会場となる展示会に着いた時点では、私はやる気に満ち溢れてた。タイミーで来てはいるけど私は他のタイミーとは違うんだぞ!という謎の自信で背筋を伸ばし闘志を燃やしていた。業務開始前、実際ビラ渡す練習なんかもしたのだけれどその時は社員の人に「愛嬌あるね〜期待してるよ!」みたいに褒められて有頂天だった。確実にここが私の好感度ピークだっただろう。

まぁ、そのやる気も展示会が始まってすぐ鎮火した。なぜならお客さんは簡単にビラをもらってはくれないからだ。こっちが声かけてるのに目も合わせない、存在否定されているようで私は三十分くらいで心が折れた。周りのコンパニオンさんは断られてもいちいち気にしていないし、1メートルくらい並走して無理やり渡していたけど私にはそこまでのガッツがなかった。そのうち無視されるのが嫌でほとんど声をかけなくなった私に社員の方は辛いと思うけど頑張って、みたいな優しい激励を送ってくれた。それを聞いたら、ちゃんとやらなきゃと顔を上げて再び声をかけるも断られまくってまたやめる。社員の人に心配される。これを5セットくらい繰り返して三時間が経った頃に私の中で突如怒りが芽生え始めた。

「てか、もっと楽な仕事だと思ってたのに。」そう、実はタイミーで提示されていた仕事内容は誘導QRコードの読み込みというものでそれを見た私は、よく受付で電子チケットQRコード読み込む人か!立ってるだけじゃん楽そう!と勝手仕事内容を予想しそれと違ったので勝手に裏切られたと思ったのだ。業務説明時点ではアドレナインに隠れて気が付かなかった怒りが今になって湧いてきたのである

ここから、鬼の他責思考が始まった。先に嘘(?)を吐いたのはそっちなのだから、私が従う必要はない。そもそも無理やりパンフレット渡しても逆に印象悪くない?傷つくのが嫌だからビラを渡さないという行為正当化するために、自分の中で無理やりやらない理由を見つけ出したのだ。この時点でやる気はゼロになり棒立ち状態となった。

そんな風に不貞腐れていたら、あっという間に休憩時間となった。休憩明け、足腰の疲れが取れたことで簡単に私の機嫌も上昇した。試しに一人声をかけると笑顔で受け取ってくれたのが嬉しくて、私はここから急にビラ配りマシーンと化した。誇張でもなく自分の3個隣のブースまでお客さんを追いかけてチラシを押し売りしたりしていた。この瞬間を私が将来何らかの形で有名人になった時のドキュメンタリー差し込んでほしいくらいだ。

だが、もちろんこれも長くは続かない。私はあるチラシを渡した小太りのいかにも会社でのポジションが中の上くらいのおじさんに出展企業製品について質問されたのだ。もちろん、答えられるはずがない。ここでの正解は中にいる出展企業社員の方につなぐことなのだろうが私はフリーズしてしまった。そうするとおじさんは笑いながら、答えられないの?と言ってきた。私はこの程度の微弱な風で神経を逆撫でされ「そうです、タイミーなんで!」と逆ギレ

実は、事前にイベント会社から自身タイミーから派遣されていることは絶対秘密だと釘を刺されていた。衝動的に契約違反したことに対して失言直後は「まぁ、タイミーだから私みたいな人が来るリスクもあるよね」とお得意の他責思考で心を落ち着けていたが、私は時間が経つにつれ罪悪感と不安で気が気でなかった。

チラシを渡して何か質問されても答えられない、また同じようになるならもうチラシは配らないでおこう。基本が白黒思考の私はここからチラシを配らないという暴挙に出た。休憩前同様、ただ立ち尽くす私にイベント会社社員の人も流石にイラついていた。笑顔は保ったままの確実に怒りを孕んだ声でちゃんとやってねーと10分に一回の頻度で注意されるようになった。

そしてここら辺で、外を歩く人にチラシを渡してブースに人を入れるだけではなく、自主的ブース内に入ってきたお客さんに対しても声をかけてチラシを渡して出展企業社員の人に繋げてくださいという指示が入る。

私は物理的に不可能だと思った。だって通路側に顔を向けビラ配りしている限り後ろは見えないのだからブースの中にいる人がチラシを持っているかどうかなんて確認のしようがない。私の視野360℃ではないため、社員の言うことは無視して引き続き通路だけを見てビラを配った。

何か質問された場合すぐ僕にヘルプを出してくれればいいと社員の方に言われたので、この時私は先ほどまでの心配がなくなりビラ配りを再開することができていた。しかし、今度はブースの中にいるお客さんを指して、あの人にビラ渡した?声かけた?と社員にしきりに確認されるようになった。もちろん、中は見ていないので毎回ノーと答えていたらちゃんと中にいる人も見てと注意された。どうしようもないから私は通路に背を向け、ブースの中を見つめるようになった。すると、「ブースの中と通路、どっちにも気を配って。臨機応変にやってって言ったの。わかる?」と社員に注意された。もう作り笑いすら浮かべず、本気で怒っているようだった。

それを見て私は、当初演じていた仕事のできる自分、やる気ある自分というメッキが完全に剥がれ、使えないタイミーさんという自分プライドに耐えられない肩書が載っていることに気がついた。その時私はその場にいるのが猛烈に恥ずかしくなった。社員の人も、他のバイトの人も仕事のできない自分を笑っているという妄想に囚われてしまったのだ。そして、周りの人は自分の敵となる。敵ならば、協力などしない。なるべく何もしないで、突っ立てるだけでお金を取る迷惑存在になって仕返ししてやろうというありもしない勝負が始まった。社員の人は、呆れたように何も言わなくなった。1日目はこれで終了となった。

二日目、遅刻した。寝坊などではない、乗っている電車が止まったのだ。もちろんバイト先へ連絡しなければと思ったが電車内で電話をしていいのかわからず、結局迷っているうちに到着してしまった。私は過去給食が食べ終わらずにそれでも給食当番として片付けを始めなければならない時刻となってしまい、どうすればいいのか分からなくて泣いたことがある。あの時は担任先生にどっちが大事かわかるかと問われたが未だその答えはわからない。

現場到着後、もちろん怒られた。なぜ連絡しなかったのかと問われ、しました!と咄嗟の嘘をつく。もちろんしていない。どこにしたのか問い詰められて、タイミーの緊急連絡先に…と嘘をついたが多分ばれているであろう。このように正直に謝ればいいのをプライドが許さずくだらない嘘をつくこともよくある。それでいて、就職活動においてはこのような絶対会社に入れない方がいいであろう自分を嘘をついて飾り立て売り込むのは抵抗があり、いつも自信なさげに自己prをして落ちている。

そして、運のないことに昨日お客さんにタイミーを名乗ったことがバレていた。あの日私が逆ギレしたおじさんは、その後企業ブースを訪れ私とのやりとりを出店企業社員の方に話したらしく、イベント会社の方にもバレたらしい。もう一度、タイミーだとバレないようにしろと釘を刺されたと同時に、お客さん対応についても注意を受ける結果となった。

このように二日目、業務開始前からやらかし連続なのでまた不貞腐れたのかというと存外そうでもなかった。今日で終わりかと思うと、なぜだかやる気が出た。私はシャトルランみたいな終わりが見えないものは嫌いだが、長距離走のように終わりが決まっているものは得意だった。どっちも体力が大事競技だが、シャトルランはすぐ諦めクラスでも下の方だったのに、長距離走クラスでもトップクラスに速かった。

そんなわけで、この日は始まりから終わりまで暴走列車のように元気よくビラを配っていた。途中社員の人に、「いいね頑張ってるじゃんその調子」などと声をかけられるも、昨日の自分のガキみたいな態度を思い出すと恥ずかしく「…っす」みたいなスカした返事しかできなかった。昨日はすみません今日は頑張ります!とか言っておけばまだ可愛げがあるのも自分ではわかっているが、私は一度固定した無愛想を覆すことがなかなかできないのである

二日間の様子はこんな感じである。多分ここまで読んでくれた人はみんな私と一緒に働きたくないと思う。自分でも、自分と働きたくない。

私は自分の悪いところがわかっている。見栄っ張りで、プライドが高く、融通が効かない。仕事ができない、能力がないのだから有能な自分に見られたいなんて欲は捨てるべきなのだサボるにしたって、完全にビラ配りをやめて棒立ちするのではなく配っているふりでもして効率よくやればいい。社員の人の言うことに心の中で思うことがあろうと表面上従っておく方が楽だし、周りの人は私に対して嫌いだとか使えないだとかそもそもさほど強い感情は持っていないのだろう。全ては私の妄想なのだ

それでも、いざ働くとなるとこれらが抑えられない。今回久しぶりに働いてみて、やっぱりこういう自分おかしさ見たいのが前面に出てしまった。

これは治るのだろうか。病院に行って治るのなら是非お願いしたい。自分と同じような人がどうやって定職について仕事しているのか気になる。誰か教えてください。

Permalink |記事への反応(3) | 23:31

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2025-04-19

オンラインデートアプリの思い出

齢50にしてオンラインデートアプリを使った話。離婚して1年以上経ったしねって思ってちょっと楽な気分で始めた。嬉しい事も悲しい事もあった。何処かに吐き出したくなったので書き殴っておく。オンラインデートアプリ射幸性がある。お金を払ってちょいちょいとカードを引いて、取捨選択するわけだ。自分の年齢の5歳前後で引いてみる。軽い気分だった。

その人Rさんは写真を見るに50代半ばとは見えない美貌の方だった。お互いLikeマッチした。チャットウィンドウが開き、互いにあいさつをする。

1日目

プロフィール確認する。先方、Rさんは私の住んでいる所より車で一時間距離、お子さん男の子X人既に成人済み。など。お互い、子供構成がよく似ていた。そういう共通した話はIcebreaker になりやすい。独立して暮らしている子供を気に掛ける気持ちはお互い同じだなぁとおもう。私は末っ子と二人暮らしだけど、Rさんはお一人なんだとか。子育てが落ち着いた方が閑散期に安く子供に会いに旅行が出来るのは前から羨ましい。お子さんが一人、大変なお仕事をされている、出身地やお互い若い頃住んでいた東京の話など。

2日目、3日目

晩ご飯の話で盛り上がる。この日は私は時間がある。お互いの子供が普段何を食べているのかと案じるとか、末っ子は甘え上手だよねって話から始まって、私の末っ子と作ったオムライス写真で「末っ子世にはばかる」とは良く言ったものだと納得し合ったり。

邦楽音楽の話で盛り上がった事もあった。Rさんは尾崎豊、私はブルーハーツ。80,90年代邦楽黄金期だったと思うのはその頃多感な青春を過ごした記憶がそうさせるのか。

お互いの子供のうち、一人が同じ大学に通っていた事が分かる。私の住む街から車で、三時間ほどの所にあるすこし小さい大学町。

私のsoftware engineer という職業もRさんには好ましいようだ。エンジニアリングは誇り。ファインマン教授は私の憧れ。そういった気持ちを共有した事のない、むしろ蔑むけらいのあった元妻とあまりにも違う。

なんなんだ。ワシはテキストチャットしているだけの人にどうして惹かれるんだ??

普通に考えて、二、三日で提案するのは拙速すぎる、でもどうしても会って喋りたいと思った。Rさんがボットや他意があってオンラインデートアプリを使っている業者とは思えない。

18日に会うことになった。二週間ほど先のGoodFriday。フワフワとした心地はとても懐かしくもあり、嬉しくて。

4日目以降

毎晩、チャットをして過ごすのが楽しい。いろんな事をテキストした。Rさんの作った料理写真も見せて頂いた。お子さんが帰省されているRさんに邪魔にならないよう、でも何をされているかなとやっぱり気になる。Does theOne exist?Yes, \(^^)/ってね…有頂天だった。

10日目

一日の終わりにチャットウィンドウを開けた。もうそろそろ18日に会う際の段取り相談しようとか思って。何かもっさりとした動作のあとRさんがチャットから退出されたログが表示された。前日のおやすみなさいの挨拶とRさんとのチャット楽しいですとの書き込みの次の行、Rさんからの私も楽しいですとおやすみなさいのメッセージ、その次にログとinactive なRさんのアイコンが残っている。

チャットからの退出はいわゆるterminalstate だ。もう何も起こらない。

18日

で、今日が18日なんだよね。世間的には平和金曜日末っ子高校とその後は元妻と過ごす予定。私にとってはGoodFriday 。こんなはずじゃなかったのに、青空気持ち良い春の日、キッチンで一人、コーヒーを飲んでいる。

末っ子にはオンラインデートアプリってそんなもんだと言われ、「お父さんがそうやって引きずるって珍しい」とも言われ。

かにこれまでオンラインデートアプリでいい出会いもあり、楽しい時を過ごす事もあった。ワシは引きずらない、そんな思いは二度とごめんだと思ってきた。ましてや会ったことも無い、もしかしたら本人ではないかもしれないRさんの写真テキストメッセージ。だけど、どうしても整理が付けられない。けりをつけなければ。成仏させねば。

人生二周目。とはいえ、強くてニューゲームとは行かない。

20日、追記

まず、読んでくれた方に、おしなべてお礼を。

  • 文体を褒めて頂いた方、励ましをいただいた方。ありがとう。でも続編なんてないよ。昇華させるために書いたんだからSさんという方とチャットしてるけど、身が入らない。何やってんだろワシ...て思っている。せいぜい友人と釣りにでも行こうかって話くらいだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 04:03

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2025-03-22

anond:20250322023041

裁判は手間暇かかるから、いろいろ考える

発信者情報開示が認められた時には有頂天でも、裁判に勝ってもアイツが凶器持って殺しに来たら何にもならないじゃないかって我に返る瞬間が来る

そうなると失うものがある人間はやっぱり腰が引ける

弁護士とばっちりに遭いたくはないかちゃんと釘刺してくる

Permalink |記事への反応(0) | 02:56

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2025-02-03

やっとみつけた

ここ数週間ほど職場の有線でかかっててヘンな歌詞だけど気になってうろ覚えの断片で検索したけどちっとも引っ掛からなかった曲

こないだ休みの日にふとおもいだしてまたググったらやっと出てきた!

HirotokiMusic『男と女』

https://youtu.be/UTYh63SYZJg

幸か不幸かぁ、二人は~

オトコとオンナに生まれて~

愛し合ってるはずだけど~

なにがホントだかワカリマセンッ!

在りし日のパール兄弟有頂天中間ぐらいの皮肉歌詞東京スカパラダイスオーケストラが悪ふざけで鳴らしたような曲、

声も若いからてっきり最近若いモンが昨今のポリコレ嵐の中で男女の出逢いなんかできるわけねーだろって自棄っぱちでガナッてるのかとおもいきや、

…それこそ何週間まえかに二十代女性コラムニストから四、五十代はフード付きパーカー着るな!って狙い撃ちされたドストライクなオッサン(MVで着てるけどたぶんわかってやってそう)で、ええーっ😫だった

またその映像表現もぜんぜんわかってないのな!

からそのはっちゃけた()曲調に合わせてノーネクタイ襟立てスーツスカパラスタイルビッグバンド引き連れてガチャガチャ演奏ってるように撮れば絶対もっとウケるのに~

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2025-01-16

という訳で

トリコちゃんが珍しく気乗りしないことをがんばってやっていたから、こっちも久しぶりに思い出したし、いっちょ15年ぶりだかで文章でも書いてみようかと思ったら、ブック―マークコメント欄は短すぎるし、じゃあとんでもなく久々にはてなダイアリーだかグループかに記事として書いてやろうかと思ったら、なんだかサービス終了してるし、じゃあ匿名ダイアリーならまだやってるようだからってことで、こっちで書いてみるか。そういえば以前なんかやたら長い講談速記本的なのを読まされた気がするし、まあ今回は改行しないで書いてみるか。関係ないけど講談速記本なのは、何がそんなに面白いのか何とか見出そうと多少はがんばってみたけど、全然だめだった。多分だけどあれ、一般受けしないんじゃないかな。そんなこんなで気をとりなおして、彼とは昔一度だけ会った事がある。とはいえ向こうはこちらを知らないのだからこちらが一方的認知しただけであるので、正しくは会ったとは言わないのかもしれない。ともかく、よく晴れた秋の日、人通りの多い場所で、向こうからにぎやかなグループが歩いてくるのが目についた。そしてその中心には、体格も良く、声も(態度もやや)大きな男がいて、数十メートル離れた場所からでも、初見であるにもかかわらず、あれが今界隈で話題のIか、と一目で分かった。どのような人物か興味があったので、こちらが相手意識していることを気取られぬよう、しかし確実に最接近できるよう、注意深く歩を進めた。私が彼を知るためには、彼の目を見なければならぬ。しかし彼は、目が合ったというだけで因縁をつけてくることが無いとも限らない風貌をしていた。彼の人柄についてある程度読んでいた私は、そのようなことをする人物ではないと知っていた。しかしその時の彼は、友人に囲まれて行楽中であり、有頂天であった。少なくともそのように振る舞う必要性があると思っていても不自然ではない状況であった。そのためより慎重に、彼のグループの先あるもの視線を注ぎつつ、彼の目に意識を向けて彼とすれ違った。彼は私を見た。目が合った。そして当然ながら私を知らないため、雑踏の一人として、認識すらされず視線は通りすぎた。私は彼の目に、現状に対する純粋な喜びは見なかった。彼は時に笑い、元気良く振る舞っていた。しかし私は彼の目に、充足は見なかった。私の彼に対する第一印象は、思ったよりも周囲に人がいて、楽しそうにやっているのだな、であった。しかし私が彼の目に見たものを、強いて今言語化するのなら、不安であった。

前言撤回して改行するが、その後彼とまた関わることがあったが、今は述べないでおく。

それから15年ほど、私は彼について何も知らなかった。活動も生死も知らなかった。そして最近、死亡したという話を読んだ。さすがに遠い人の話だったが、関連して本人の書いた山の文章を読んで、とんでもなく名文じゃないか、こんなのもしコトリコちゃんが読んだら大喜びしちまうぞ、と思った。そしてさっきコトリコちゃん記事を読んだら、大喜びを通り越して迷惑がっていた。実に愉快である。愉快ついでにこんなものを書いてしまったが、まあひとりくらいしか読まないだろうし、投稿してもさして弊害はなかろう。彼は彼なりに弱くて貧しい人を助けようとしていた、というのは嬉しいニュースだった。

そういえば今日銭湯に行き、体を洗い終えてそろそろ湯船に向かおうかというタイミングで、後ろからシャワーでお湯がかけられた。まあこれはよくあることで、その店では通路の両側にシャワーがあるので、洗っている際に少し手元がくるえば後ろの人に多少の湯がかかるのはいものことである。そのため気にもしなかったが、今日はなにやらずっと背中シャワーがかけつづけられ、まったくうかつな人もいるものだと思っていると、今度は頭から湯をかけ続けてくる。子供がいたずらでもしてるのかと思って気にせずいると、後ろから「にいちゃんにいちゃん」と大声で何度も呼ぶ老人の声がする。振り向いてみるとなにやらもごもご言っているので、よく聞いてみると私に湯をかけられたと言っている。私は自分が体を洗ったあと、立ち上がって使い終わった桶などを一通りシャワーで流すので、その際に少し後ろにも飛び散ってしまったのだろう。その文句を言うために、私の頭に湯をかけ続けていたのだ。この店ではよくあるお互い様のはずだが、まあこの人は気にするのだろうと、私は素直に頭を下げてすみません、と謝った。すると彼は表情を崩し顔を歪めたので、ああ彼はいたずらっぽい冗談をして互いに笑い合いたかったのだなと理解し、私は笑顔を向けた。すると彼はまた何か言ってきたが、もごもごしているので聞き取れない。顔を近づけて、何ですかと尋ねると、「立ってシャワーを使うなんて、お前は風呂の入り方も知らないガキなんだな!」と言ってきた。よく見ると彼は笑っていたのではない。目を剥いて怒っていたのだ。そして彼は、ガキなんだな、という発言相手侮辱して不快感を与えることができると考えていたのだ。私は、後ろの人のシャワーが少しかかっただけで目を剥いて怒り心頭でお前は未熟だと必死文句を言う人物大人っぷりが面白過ぎて笑い出してしまった。しかし彼は、ガキであると思われるのが何より嫌いなのだ。彼は大声で言った。「笑うナ!!!」 侮られる訳にはいかぬ。彼は真剣であったのだ。「笑うナ!!!

Permalink |記事への反応(0) | 02:09

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2024-12-17

記憶に残った昔の炎上を振り返る

ネカマ戦記

2001年ぐらい、発達障害知的グレーっぽいおっさんネカマたちが釣っておもちゃにする計画が発生した

実際にそのおっさんがあちこちで女っぽいユーザーに粉かけて害悪だったのではあるが

昨今だとおっさん共感しておっさん庇護する者が多そうだ

しかし当時はターゲットになったこおっさん憐憫を示す者はいなかった

おっさんオフ会に招かれ釣り美少女接待され有頂天になり顔も名前も裏で晒された上で

ネカマチャットHしてその内容を晒され、それらを全て暴露されてネットから消え去った

金魚ミキサー騒動

2002年芸術家桑島秀樹の展示会がネット炎上した

美術館にて、金魚をいれたミキサーを展示し、客が自由スイッチを入れてもいいという企画が行われた

桑島はその展示会以前にも、金魚が泳いでいる姿、スイッチを入れられた瞬間の姿、その後の姿などを撮影した写真集

金魚を凍らせた写真などを販売しており大いに物議を醸した

しかしまあ、ああい世界は叩かれてなんぼ、叩かれることも含めて芸術なので、ネットは大騒ぎだったがそれで展示がなくなったりということはなかった

金魚ミキサー自体デンマークの有名な芸術家も先にやってるらしい

JOY騒動

2003年JOYと名乗る主婦ブロガーファミレス店員と揉め、店員謝罪させたったと自慢した騒動

その際にJOYの夫が店員を殴ったということまでわざわざ自分で書いていた

当時はまだSNSがなく、2ちゃんねるネットウォッチ板や生活板で話題になっていたように思う

当時JOYは27歳、個人情報も色々と書いていたためにすぐに顔や名前特定された

騒動から2週間ほどでJOY全面謝罪の上でブログを削除

週刊誌SPA!炎上が取り上げられ、ネット出来事がすぐニュースになる最近とは違いかなり珍しい事態だった

春名ひとみ騒動

2004年ぐらい、春名ひとみというネットアイドルがテレビ出演した結果、過去に別名義でAV出演していたことがバレた騒動

彼女ネットアイドル活動しつつ子供子役にしており、子供を売り込むための露骨自作自演書き込み2ちゃんねるでよくやり、

批判されると本人降臨自分ファンにも反論書き込みするよう促すなどし、モデル板や育児板に隔離スレが立っていた

主に女性から叩かれている存在だったようだが、「潔癖症すぎるママ」としてテレビ出演したこと女性外にも知れ渡りAV出演が特定された

掲示板が荒らされまくり彼女ブログを消して失踪した

ゴキブリ素材サイト騒動

2005年ぐらい、素材サイトから画像直リンクする厨房を苦しめるため素材画像ゴキブリ画像すり替えるのが流行

当時はまだSNSが芽吹き出したぐらいで、個人サイトをつくっている小中学生が多くいた

現代よりも画像アップロードハードルがあったため、多くのガキは素材サイト画像直リンクして使用し、素材サイトサーバー負担をかけていた

そこでネットwatch板の有志が協力し、クソガキをしばきたおすことを目的とした素材サイトを開設

一定期間が断つと素材画像ゴキブリ画像すり替え直リンクしていたガキのサイトゴキブリまみれになるという嫌がらせが行われた

ケツ毛バーガー騒動

2006年女性警察官のハメ撮り画像など数千枚がネット流出した

当時はwinny経由でウイルス感染PC内のデータ流出してしまう「キンタマウイルス騒動が多発しており、

義父が娘の着替えを盗撮しまくったデータが全流出するという悲劇もあった

原発自衛隊の内部データ流出もあったが、今でも画像が出回るのはやはりエロ系ばかりだ

多種多様盗撮やハメ撮りが流れた中でケツ毛バーガー記憶に残るのは、斜めに横たわった女性の尻からケツ毛がはみ出てる画像ケツ毛バーガーと名付けられたせいだろう

有名な画像週刊誌にも乗せられたM字開脚画像だが、ケツ毛バーガーと名付けられたのはあれとは違う画像

その女性彼氏にハメ撮りの撮影を許し、彼氏違法データ取引をやっていたがために全てが流出してしまった

彼氏はその後別れ、別の女性結婚した

流出前には二人は都道府県コンプリートしていそうなほどに各地に赴き健全観光スポット記念撮影も大量にしていた

ちゃんねるでどこかの地域話題になると、すっとその地で微笑むカップル写真を貼っていく者、「この画像は初めて見た」「脱いでる姿しかたことなかった」と驚く者がいまでもいる

Permalink |記事への反応(0) | 00:06

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2024-12-05

初めての美容院ではどう言ってる?

俺の散髪は、いつも初めて行く美容院と決めていた。

それも可愛い女性が居るお店限定

初めてのお店だから当然最初に「どんな感じにしますか?」って聞かれるんだよ。

そこでいつも冗談っぽく「君が好きだと思えるような感じに切って」と言ってた。

大抵は「え?」って目を丸くして、次の瞬間には冗談だと分かって「ふふっ」って笑ってくれる。

で、髪を切り終わった後、決まって告白する。好きです。ってストレートに。実際かわいい子を選んできているので、この告白結構マジなんだよ。

それと「この髪型、君が好きな髪型なんだよね?」って付け加えながら。

成功率ゼロ。まぁそりゃそうだよね。大抵は「ありがとうございました!」って笑顔で流されるだけ。

たま~に「ごめんなさい」って冗談っぽく笑って言ってくれる人も居たけど、結局は駄目だった。

でも、諦めなかった。

そして今年の2月、いつも通り「君が好きだと思えるような感じに切って」って言ったら、その美容師さん、可愛い笑顔で「面白いですね」って言いながら髪を切り始めたんだよ。

話してみたらすごく明るい子で、いろいろ趣味も合う感じだった。

こんなに話が合う子は初めてで、だからいつも以上に緊張しながら髪を切り終わった後、告白した。

そしたら彼女、少し照れたように笑って「私も、ちょっと好きかも」って言ったんだ。

正直…マジでビックリしたよ!!!

今度は俺の方がえ…てなったし、心臓まりそうだった。

これまで全敗。期待薄なんてことは分かってたから。

それからその美容院に通うようになり、少しずつ仲良くなって春にはデートに誘ってみたんだ。

彼女OKしてくれた…!!

それからさ、おしゃれなカフェに行ったり、映画を観たり、二人で楽しい時間を過ごして、ああ、やっべ…二人で居ると二倍楽しいじゃん!!!って初めて知って人生有頂天

今では正式に付き合ってて、今年のクリスマスは一人じゃないことが確定。

彼女クリスマスはどこか特別場所に行きたいって言ってたから、今いろいろ計画中なんだ。

今これを書いているこの瞬間にも彼女と一緒にいるクリスマスのことを考えるとニヤニヤしてしまうw

から見れば相当気持ち悪いだろうな。だから家じゃないと書けんわww

でもさ、今だからこう言えるんだけど、人生ってマジ分からんね。

冗談みたいな一言が、人生変えるなんて思ってもみなかったから。

からさ、みんなも初めての美容院で困ったら、試しに言ってみるといいかもよ。

「君が好きだと思えるような感じに切って」

まぁ、試して全敗しても責任は一切取らん!けどねw

でもそれぐらいやる気があるなら、きっといつかは成功するはずだ。

Permalink |記事への反応(12) | 21:41

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2024-11-07

日本の敵勢力が望むのは左傾化でも右傾化でもなく白痴

共産主義国から左傾化望んでるとか単純ではない

日本人バカになるのなら右でも左でもどっちでも良い

俺だったらそう考えて実行するね

たとえばネット簡単論破できるトンデモな主張をばらまく

するとそれに釣られて論破して勝った気になって有頂天になる

それ繰り返してるうちに自分は賢いと思い込んで

複雑で難解な問題への関心が薄れて考えることもしなくなる

割りと簡単バカ大量生産ができる

Permalink |記事への反応(0) | 07:15

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2024-10-31

anond:20241031213302

石破さんはついに権力得てもう満足してる

知性と振る舞いが安倍化するぐらい有頂天やで

Permalink |記事への反応(1) | 21:36

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2024-10-29

anond:20241028213533

性欲があるのはいいことだよ、そのおかげで人類繁栄してるんだから

問題は何の努力もせず受け身でもセックスできるからって有頂天になってる女共

こいつらが選り好みするせいでキミのようにやる気がある人がセックスできない、これは不公平ではないだろうか

Permalink |記事への反応(2) | 09:17

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2024-10-22

男の人って服装確認しないの?

会社に気になる人が居て、その人は先輩で、仕事ができる人で、身長が高く、スーツがとてもよく似合っていてかっこいい。

一目惚れだったと思う。

から思い切って、休日一緒にお出掛けしませんか?と誘ってみた。

先輩はえ?って驚いた表情を見せたものの、いいよと言ってくれた。

本気で嬉しかったし、こんなにドキドキしたのは学生とき以来だったと思う。

有頂天になって、翌日。待ち合わせ場所に行くと唖然とした。

先輩の私服は白と赤のストライプシャツに藍のジーパン

もうね、完全にウォーリーだった。

まごうことなきウォーリーで、じゃあ行こうかと先輩が言って歩き始めるも一緒に歩くのが恥ずかしくて、俯いて歩いていると照れているのと勘違いしたのか「大丈夫?」って優しく声をかけてくれたんだけど、そうじゃない。

それウォーリーですよね?と喉元まで出掛けるものの口には出せず、ていうか自分服装とか確認しないん?

でもせっかく来てくれたので予定通りアウトレットに行くと週末だけあって混んでいて、ちょっと気になる小物を見ているとはぐれてしまった。

やばっ!?っと思って先輩の姿を人混みから探すと、白と赤のストライプ姿を発見

ウォーリーかよ。

Permalink |記事への反応(17) | 14:54

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2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 1

____________________

※この物語フィクションです

登場人物団体名は(一部を除いて)架空のものです

実在人物団体とは一切関係ありません

____________________



増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦も個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

Permalink |記事への反応(8) | 19:28

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2024-09-14

anond:20240914091056

人生に大切なのは、心の余裕だ。

心に余裕がないと、損してたまるかという意識が勝ってしまう。

例えば、株式投資なんかは、株で増やそうと考えてると、少し上がって有頂天になって買い増して、少し下がったら弱気になって売り払ってを繰り返し、結局増えない。

金なんて失ってもいいと思ってるときに買うと、右往左往しないので結局増える。これは本当に調査されてて、一番リターンが高い人の共通項は、買ったことを忘れてただそうだ。

恋愛も同じだ。心に余裕がないと、恋愛に臆病になる。拒絶されることを恐れて、最初から行動しない。勝ち負けじゃないし、拒絶されたからといってなにがあるでもないのに。

心の余裕は、自己肯定感からくる。

もし自己肯定感がないなら、キャバクラでも風俗でもいいから、金で買ってでも自己肯定感チャージするべきだ。自分の機嫌を自分で取れないなら、金で買うしかない。モテないのは社会が悪いと憎むよりずっとマシである

たまに匿名ダイアリーにでる、国立大学出なのにモテないとか、院卒なのにモテないとか、年収600万なのにモテないとか、そもそもそういう発想が病んでるし、犯罪者予備軍だと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 21:48

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