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2025-03-22

この連休乗り鉄日記

増田では、単なる旅日記需要はあるのだろうか。

自分場合乗り鉄旅に出るたびに個人的日記を残しているのだが、試しにそれを公開してみようと思う。

この4連休金曜日は休暇)は、1泊2日で浜名湖名古屋圏に出かけてきたので、まずは1日目の分を載せてみる。

反響があれば、2日目の分も載せるかもしれない。

______

2025/3/21(1日目)

寝るのは23時になり、実家に関する夢を見たりもして、あまりよく眠れないままの5時起床。

そう、孤独な今後を考えたら、ネットコミュニティ人間関係を積み上げた方がいいんじゃないかとも思いつつ、何の蓄積にもならない一人旅に。

5時半でも薄明るいんだなと思いながらの電車

平日なので通勤客は居て、地下鉄に乗ったりすると逆方向からこちらに通った時期を思い出したりする。

新横浜では初めての中央から乗り換える。

相鉄直通線やすっかりきれいに戻った環状2号を見る。

のぞみ」は本当に自由席が2両に減っている。

今回は「こだま」なのでしばらく待ち、乗っては三島まで寝ていく。

あとはゲームサントラ聴きつつ、車窓を流して掛川

改札出ては北口に回り、今日のメインだろう天竜浜名湖鉄道

途中降りると一日券と料金が変わらなくなるので、都度の現金精算が面倒で購入。

ゆるキャンコラボなのは嬉しい。

気動車1両には平日なので20名程度しか居ず、ボックス占有できる。

ヤマハ広告浜名湖の「アマモ」の減少を告げている。

広場病院など、スローにこまめに停まっていく印象。

特に、街場にある最初の3駅は入れ替わりが激しい。

山がちに新東名を越え、川を渡れば遠州森でも人は減る。

わずか5人でまた山あい

そんな場所でも茶畑が見えるのは静岡らしい。

有形文化財らしい駅と早咲きの桜がいくつか。

天竜二俣は車庫に寝台車も。

天竜川を越えて西鹿島は乗り換え。

天竜二俣ってエヴァモデル地だったのか。

一旦外に出て遠州鉄道の切符を買い、時間あるので車両写真も撮りたかったが、入線の珍しい2番ホームは本当に2両の車両ギリギリで前が写せない。

そして12分毎の頻度がわかる程度の混み具合。

街場では高架に載り、入口に入りづらいほど混む。

新浜松新幹線からも見た2面2線だが、改札は分離しており、片面が臨時ホームなのを初めて知った。

復路ではRewriteのやや薄暗い感動曲を聴いていたが、なぜか急に「もうどうしようもない」と一人で居ることの不安が襲う。

楽しいことをしているはずなのに、親への申し訳なさがたまらなく(だから、この連休も帰らなかった)、こんなふうに逃げ続けてどうするんだろうと思ってしまう。

占いは「周囲の人が同じように悩んでいることに気づければ、孤独感が薄れるかもしれません」とのことだが、それをどうやって知ればいいのか。

再びの西鹿島

今度はホンダラッピング車両

こちらは全線通し運転なので人は増え、15人程度。

今度は職場でのイライラを感じ始める。

これもどこかに吐き出したいもので。

金指ではゆるキャン車両とすれ違って一枚。

浜名湖新東名と同じく北側から

湖岸にはサイクリングロードあるんだとか、そんな明るい水面をしばらく感じては新所原

さら東海道線を少し行き、何回目かの豊橋

昼飯をスルーしての路面電車は、井原カーブのためなので運動公園行に乗る。

昔はカーブが曲がれなかったとかい旧名鉄モ780系が来た。

その対策のせいなのか、かなり床が高い。

競輪場前では単線なので、入線待ちもあった。

井原カーブは尻が振られる軽いドリフト感。

運動公園行きのホーム交差点先にある。

運動公園車両写真を撮っては、全線制覇のために赤岩口へ歩く。

細道抜けては車庫が見える。

レールを辿るに、車庫には一旦引き上げて入る形のようだ。

バス乗り場も豊橋駅前行きとなっていた。

と15分待ったが、乗るべき車両は来ない。

車両故障で遅れとのこと。

可能なら渥美線も乗ろうと飯も食わずに急いだのだが、その意味は無くなった。

しかし、車庫からの仕立て直しが見れたのは珍しいので、先の引き上げ線に撮影

10分遅れで発車。

行きは気づかなかったが、線路上の路面は見てもわかるレベルボコボコで、車内はかなり跳ねる。

競輪場前では、引き上げ車両が出ていったようだ。

後発との間隔調整で待ちを食らうが、最前列で車窓とともに聞く車両運転手替えに慌てる無線も珍しく。

東田電停って路上待ちなのね。

東八町で客がカラの新しい車両を見て、これが当該車両なのかと思う。

後ろは詰まるように続々来る。

携帯の充電も怪しくなってくる。

そして豊橋には快速が居るが、これに乗っても想定よりは早まらない(蒲郡線は30分毎だ)。

しか快速だけあって、名鉄快特とはり合うスタート

こうなったら豊橋に戻らず、近い名鉄線を埋めていくことにしようと、豊川線渥美線の組み合わせを、三河線(海)に変更すると決める。

蒲郡駅名鉄も同じ高架ホームになっているが、ここもSuica使えないのか。

なのに券売機ひとつ新札も使えず。

20分待ちなので、温かいものを食べる。

名古屋圏なので、うどん屋にはきしめんがあり食べようとするが、こちらも新札不可。

というか、自分以外誰も居ないし店内は薄暗い(そういや、路面電車内も暗かったな)。

これでよく営業できてるなと思って入口見たら、月曜から木曜まで休みらしく、こうして食えたのはかなりの偶然なのね。

ホームにはワンマン専用車が居て、車内には蒲郡線広見線運賃表がある。

道中は開かない後ろ車両に陣取り、しばし東海道線と並走。

そのうち複雑な湾口が見えてくる。

あいを抜けての吉良吉田中間改札に曲がったホーム

そして西尾線に入るが、高架だったりするけど特筆すべきはあまりいかも。

そのままの急行で、知立要塞の高さを見る。

それを下からかに抜けていく三河線

こちらは乗る人がそれなりに多いものの、刈谷JRに絡むくらいでこちらも特筆無し。

そうして碧南到着となり、今日新規体験分はここで終了。

あとは車窓が暗くなってもよいので、ずっと座りっぱなしでもあったし、動画で見た「碧南レールパーク」なる廃線跡を2.3km歩く。

碧南の新しい駅前広場を左に曲がり、駅に停まる車両を撮っては、道路越えて最初の大浜口広場

大人けが多い感じの公園遊具ポイント器具車輪が置いてあり、レールを模した白線が引かれる。

以降、キロ表示を伴う遊歩道となり、玉津浦広場ではホームの高さが残る。

また、臨港線が伊勢湾台風廃止されたことも知る。

さらに円弧を描くような道のりで、棚尾広場の後は三河広場

そのホーム跡は両側で挟まれ、すれ違いできたんだろう広さには、子供たちの考えた見慣れない形の遊具が多数。

その先は、矢作川堤防に上がろうとするレールがぷっつりと切られて終わりとなる物語性。

長かったけど面白い道だった。

帰りは駅に向かって真っすぐ帰る。

あとは復路で、ここまでの日記スマホにまとめて刈谷で降り、遅れていた特別快速宿泊地の岡崎には18時半前。

ここで急に花粉を感じだして、感覚がいっぱいとなりつらくなってくる。

一刻も早く顔を洗いたいが、イヤホンの充電を忘れていてケーブルを買わないといけない。

岡崎駅前から住宅でそういう店が無く、大通りまでけっこう歩く羽目に。

ケーブル無駄な出費でもあるが、隣のスーパーで値下げの惣菜弁当と水が買えたのでトントンか。

街灯がなんか少なく駐車場だらけの中を戻って、ようやくホテル

フロントでは名前書いてアメニティもここでもらうタイプだが、花粉でそれどころでなくスルー

部屋は薄暗いタイプだが、古さは特に感じず良い。

さっそく部屋着になると、先の通り感覚がいっぱいで面倒になり弁当は冷たいまま、花粉対策としてのヨーグルトとまとめて食ってしまう。

大浴場も20時半からだが、待てずに部屋風呂花粉落とし。

そして日記や充電を済まして、改めての大浴場は3人入ればいっぱいなほどの小ささだったが、サウナはあるし、誰も入りに来ないのは逆に都合よかった。

明日もあるので、22時半には寝る。

2日目 →anond:20250323185640

Permalink |記事への反応(7) | 20:04

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2022-01-02

anond:20220102164357

北海道中国の32番目の省になる日

李克強王岐山に続き習近平も「来道」か。中国資本国土買収の水面下で何が起こっているのか。

2019年12月LIFE

by宮本雅史産経新聞社編集委員

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北海道訪問した王岐山国家副主席(右)。10月25日鈴木道知事

Photo:新華社/Aflo

どうしてこうもスルーするのだろうか? 日常化してしまたかなのだろうか? だとすると、慣れというのは怖い。尖閣諸島近海への中国公船の侵犯も、ひところはメディアも大きく取り上げたが、ほぼ日常化した今日、騒がれることはない。

外国資本による不動産買収問題も同じだ。国家国民国土領土)、主権の三要素で構成されているが、その中の国土周辺国によって脅かされるようになって久しい。外国資本の「経済侵攻」はとどまることを知らないが、我が国では社会問題化することはない。

例えば、北海道は、外国資本、とりわけ、中国資本中国の影が見え隠れする資本森林観光地農地ゴルフ場太陽光発電所用地などが手当たり次第に買収されている。

北海道定点観測を始めて4年。これまで、幾度となく、北海道を訪ね、中国資本の動向を注視してきた。外国資本による不動産買収が規制されていない我が国では、買収された地域のその後について詳細に追跡調査されていないばかりか、買収の実態のものも正確に把握されていない。外国資本農地観光地などが買収されること自体問題だが、買収後も使途不明のまま放置されており、主権国家の体をなしていない。買収する側からすると、これほど都合のいい買い物はない。

村ごと買収「平取町豊糠」

有形文化財中国資本に買収される(夕張市で)

実際、どのくらい買われているのか。北海道場合北海道庁によると、2018年外国資本海外所在する企業個人)に買収された森林は計21件、108ha。東京ドーム23個分で、1位は中国香港マカオを含む)で13件、約91ha(東京ドーム20個分)。日本国内にある企業で、外国法人の子会社など資本の50パーセント以上を外国資本が占める企業外資系企業)による買収は計7件、58ha。東京ドーム約13個分で、1位はやはり中国の2件、3.5ha(同1個分)。外国資本による森林買収は合計すると、28件、166haにのぼる。東京ドーム約36個分にあたり、中国資本関係は15件、94.64ha(同約21個分)で、シンガポール資本の2件、49ha(同約11個分)を合わせると全買収面積の9割近くを占める。買収目的は「太陽光発電所建設」「資産保有」などだが、中国資本中国資本場合、4件が「不明」「未定」。一体、何のために北海道森林を買うのか。疑問が湧いてくる。

広大な土地を買収したものの開発は一進一退。一体、何ができるのか?(洞爺湖町で)

我が国では、一度、売買契約が成立し所有権が移動すると、どのような開発が行われ、どのように利用されても、異議を唱えることはできない。外国資本目的を問わず自由不動産を買収でき、自由に利用できる法制度になっているからだ。

こうした無防備制度下で、海外からの買収は増え続け、北海道庁が統計を取り始めた01年から18年までに38市町村で累計2725ha(同約580個分)に膨れ上がった。だが、この数字は水源地にから森林に限られるため、実際に買収された広さは分からない。

中国資本の買収方法を見ると、国際的リゾート地ニセコとその周辺から放射線状に広がっている。しかも、買収規模が100ha単位と大きくなってきているところもあり、全道を視野に入れて買い進んでいるように感じられる。

中国資本に買収されたテーマパーク「天華園」は大規模な太陽光発電所に(登別市で)

激しい不動産買収のなかで、私が最初に注目したのは11年に中国関係があるとされる農業生産法人に、村がほぼ丸ごと買収されただ。買収から5年経った16年3月上旬から19年夏までに数回訪ねたが、雑草が伸び手入れをした形跡がない。農作物も牧草も作っていない非耕作地がどこまでも続いている。買収から5年も経っているのに、である

中国の動向を長年注視している評論家に豊糠のケースを尋ねると、彼は「中国20年前から北海道を狙ってきた。移民のためにこれからもどんどん北海道土地を買っていくでしょう。水源地や農地では農作物を作れるから独自集落自治区をつくり、病院軍隊用の事務所も設置する可能性がある。豊糠はそのテストケースと考えられる。一部メディアでは、北海道10年後には中国の32番目の省になるとも言われている」と話した。彼の分析を聞いたのは2年前だから10年後とは27年である

日本2035年に消滅

1995年中国李鵬首相(当時)がオーストラリアキーティング首相(当時)に「日本という国は40年後にはなくなってしまうかもわからぬ」と述べたとされる「李鵬発言」が日本国会で報告されている。もし李鵬氏の洞察が正しければ、日本2035年にはなくなることになる。

昨年5月中国ナンバー2の李克強首相来日、過密なスケジュールを縫うように北海道訪問した。李首相はなぜ、そうまでして北海道固執したのか。

日本帰化した中国共産党の動向に詳しい中国ウォッチャーは、中国資本積極的北海道農地森林などの買収に動いていることなどを挙げ、「李首相北海道に行ったということは、中国北海道進出が本格的に動き出したことを示し、滞在中、各方面に今後の方針を指示したはずだ。日本政府が北海道訪問を歓迎したことで、道進出について日本政府のお墨付きを得たと受け止められても仕方がない。今のままで行くと日本10から15年後に侵食されてしまう恐れがある。カナダオーストラリアマレーシア中国戦略を分かっている。気づいていないのは日本だけ」と強い口調で警告した。

この中国注視者の分析の当否は、時の経過を待たねばならないが、李首相来日後の北海道中国との関係を見ると、「異変」が起きつつあることに気づく。李首相の来道直後、「日中与党交流協議会」や日本中国鉄鋼業関係者が集う「日中鉄鋼業保全省エネ先進技術専門家交流会」、それに日本中国行政企業関係者が経済交流の在り方を話し合う「日中経済協力会議」が、北海道で初めて開催されている。不動産買収にも拍車がかかっている。

そして今年10月、王岐山国家副主席北海道を初めて公式訪問北海道新聞は、副主席は「(北海道と)ぜひ交流を続けたい」「(習近平国家主席が)私を日本に送ったのは日中関係大事にしている表れ」と鈴木道知事に語りかけたと報じた。道側も中国指導者道内への関心は高いとし、来春、習氏が国賓として来日することに触れ、「道は習氏の訪問にも期待する」と、前向きに伝えている。

中国資本による国土買収と並行した中国要人の相次ぐ「来道」は、何を意味するのか。不気味である

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anond:20220102164353

北海道中国の32番目の省になる日

李克強王岐山に続き習近平も「来道」か。中国資本国土買収の水面下で何が起こっているのか。

2019年12月LIFE

by宮本雅史産経新聞社編集委員

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北海道訪問した王岐山国家副主席(右)。10月25日鈴木道知事

Photo:新華社/Aflo

どうしてこうもスルーするのだろうか? 日常化してしまたかなのだろうか? だとすると、慣れというのは怖い。尖閣諸島近海への中国公船の侵犯も、ひところはメディアも大きく取り上げたが、ほぼ日常化した今日、騒がれることはない。

外国資本による不動産買収問題も同じだ。国家国民国土領土)、主権の三要素で構成されているが、その中の国土周辺国によって脅かされるようになって久しい。外国資本の「経済侵攻」はとどまることを知らないが、我が国では社会問題化することはない。

例えば、北海道は、外国資本、とりわけ、中国資本中国の影が見え隠れする資本森林観光地農地ゴルフ場太陽光発電所用地などが手当たり次第に買収されている。

北海道定点観測を始めて4年。これまで、幾度となく、北海道を訪ね、中国資本の動向を注視してきた。外国資本による不動産買収が規制されていない我が国では、買収された地域のその後について詳細に追跡調査されていないばかりか、買収の実態のものも正確に把握されていない。外国資本農地観光地などが買収されること自体問題だが、買収後も使途不明のまま放置されており、主権国家の体をなしていない。買収する側からすると、これほど都合のいい買い物はない。

村ごと買収「平取町豊糠」

有形文化財中国資本に買収される(夕張市で)

実際、どのくらい買われているのか。北海道場合北海道庁によると、2018年外国資本海外所在する企業個人)に買収された森林は計21件、108ha。東京ドーム23個分で、1位は中国香港マカオを含む)で13件、約91ha(東京ドーム20個分)。日本国内にある企業で、外国法人の子会社など資本の50パーセント以上を外国資本が占める企業外資系企業)による買収は計7件、58ha。東京ドーム約13個分で、1位はやはり中国の2件、3.5ha(同1個分)。外国資本による森林買収は合計すると、28件、166haにのぼる。東京ドーム約36個分にあたり、中国資本関係は15件、94.64ha(同約21個分)で、シンガポール資本の2件、49ha(同約11個分)を合わせると全買収面積の9割近くを占める。買収目的は「太陽光発電所建設」「資産保有」などだが、中国資本中国資本場合、4件が「不明」「未定」。一体、何のために北海道森林を買うのか。疑問が湧いてくる。

広大な土地を買収したものの開発は一進一退。一体、何ができるのか?(洞爺湖町で)

我が国では、一度、売買契約が成立し所有権が移動すると、どのような開発が行われ、どのように利用されても、異議を唱えることはできない。外国資本目的を問わず自由不動産を買収でき、自由に利用できる法制度になっているからだ。

こうした無防備制度下で、海外からの買収は増え続け、北海道庁が統計を取り始めた01年から18年までに38市町村で累計2725ha(同約580個分)に膨れ上がった。だが、この数字は水源地にから森林に限られるため、実際に買収された広さは分からない。

中国資本の買収方法を見ると、国際的リゾート地ニセコとその周辺から放射線状に広がっている。しかも、買収規模が100ha単位と大きくなってきているところもあり、全道を視野に入れて買い進んでいるように感じられる。

中国資本に買収されたテーマパーク「天華園」は大規模な太陽光発電所に(登別市で)

激しい不動産買収のなかで、私が最初に注目したのは11年に中国関係があるとされる農業生産法人に、村がほぼ丸ごと買収されただ。買収から5年経った16年3月上旬から19年夏までに数回訪ねたが、雑草が伸び手入れをした形跡がない。農作物も牧草も作っていない非耕作地がどこまでも続いている。買収から5年も経っているのに、である

中国の動向を長年注視している評論家に豊糠のケースを尋ねると、彼は「中国20年前から北海道を狙ってきた。移民のためにこれからもどんどん北海道土地を買っていくでしょう。水源地や農地では農作物を作れるから独自集落自治区をつくり、病院軍隊用の事務所も設置する可能性がある。豊糠はそのテストケースと考えられる。一部メディアでは、北海道10年後には中国の32番目の省になるとも言われている」と話した。彼の分析を聞いたのは2年前だから10年後とは27年である

日本2035年に消滅

1995年中国李鵬首相(当時)がオーストラリアキーティング首相(当時)に「日本という国は40年後にはなくなってしまうかもわからぬ」と述べたとされる「李鵬発言」が日本国会で報告されている。もし李鵬氏の洞察が正しければ、日本2035年にはなくなることになる。

昨年5月中国ナンバー2の李克強首相来日、過密なスケジュールを縫うように北海道訪問した。李首相はなぜ、そうまでして北海道固執したのか。

日本帰化した中国共産党の動向に詳しい中国ウォッチャーは、中国資本積極的北海道農地森林などの買収に動いていることなどを挙げ、「李首相北海道に行ったということは、中国北海道進出が本格的に動き出したことを示し、滞在中、各方面に今後の方針を指示したはずだ。日本政府が北海道訪問を歓迎したことで、道進出について日本政府のお墨付きを得たと受け止められても仕方がない。今のままで行くと日本10から15年後に侵食されてしまう恐れがある。カナダオーストラリアマレーシア中国戦略を分かっている。気づいていないのは日本だけ」と強い口調で警告した。

この中国注視者の分析の当否は、時の経過を待たねばならないが、李首相来日後の北海道中国との関係を見ると、「異変」が起きつつあることに気づく。李首相の来道直後、「日中与党交流協議会」や日本中国鉄鋼業関係者が集う「日中鉄鋼業保全省エネ先進技術専門家交流会」、それに日本中国行政企業関係者が経済交流の在り方を話し合う「日中経済協力会議」が、北海道で初めて開催されている。不動産買収にも拍車がかかっている。

そして今年10月、王岐山国家副主席北海道を初めて公式訪問北海道新聞は、副主席は「(北海道と)ぜひ交流を続けたい」「(習近平国家主席が)私を日本に送ったのは日中関係大事にしている表れ」と鈴木道知事に語りかけたと報じた。道側も中国指導者道内への関心は高いとし、来春、習氏が国賓として来日することに触れ、「道は習氏の訪問にも期待する」と、前向きに伝えている。

中国資本による国土買収と並行した中国要人の相次ぐ「来道」は、何を意味するのか。不気味である

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2021-09-14

見て閘門

石井閘門 -宮城県石巻市北上川にある閘門1880年(明治13年)に完成した、日本初の西洋式の本格的な閘門現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、国の重要文化財指定されている。

脇谷閘門 -宮城県石巻市1931年12月竣工北上川本川旧北上川間の船の通行のために、脇谷洗堰に併設された。

見沼通船堀 -埼玉県さいたま市。見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門運河である昭和初期以降から使用されておらず、現在さいたま市緑区にその復元された遺構が残る。1982年(昭和57年)、国の史跡指定された。

荒川ロックゲート -東京都江戸川区小松川東京都流れる荒川旧中川を結ぶ。大震災時などの災害時に水上交通有効であることから改めて水路が見直されることになり、2005年10月に供用開始された比較的新しい閘門

扇橋閘門 -東京都江東区猿江一丁目。1976年(昭和51年)完成。小名木川に設置されている。

中島閘門 -富山県富山市1934年(昭和9年)8月完成。富山駅北側付近から富山湾の河口まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流にあるパナマ運河閘門現在運用されており、観光船が運行し往来できる(冬季運休)。国の重要文化財指定されている。

牛島閘門 -富山県富山市中島閘門と同時着工し1934年(昭和9年)8月に同時完成。富岩運河最上流部(南端)の富岩運河環水公園(旧 船溜まり)内にあり、並行するいたち川とを結ぶ現在運用可能パナマ運河閘門。国の登録有形文化財登録されている。

松重閘門 -愛知県名古屋市中川区堀川中川運河とを結んでいた。1968年に閉鎖され、現在閘門としては使用されていない。名古屋市有形文化財1993年(平成5年)には名古屋市都市景観重要建築物等に指定されている。

船頭平閘門 -愛知県愛西市立田町福原木曽川長良川の間をつなぐ。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。1994年(平成6年)にはそれまでの手動から電動への近代化改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には明治期に建設されて現在でも使用されている貴重な閘門であるということで重要文化財指定された。冬季を除き、木曽川上流の葛木港より観光船が運航。一般には無料での往来解放がされている。

三栖閘門 -京都府京都市伏見区宇治川と濠川を結ぶ伏見港に1929年(昭和4年)に建設された。いまは遺構が三栖閘門資料館として開放されている。

毛馬閘門 -大阪府大阪市北区淀川旧淀川(大川)を隔てる閘門明治40年(1907年)8月に完成した旧第一閘門1976年(昭和51年)まで使用され、現在重要文化財指定されている。

尼崎閘門(尼ロック) -兵庫県尼崎西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。物流機能としての運河を今なお支える船舶重要玄関口となっている。

下関漁港閘門 -山口県下関市本土彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にあるパナマ運河水門1936年の設置以来、現在も稼動中。

三池港閘門 -福岡県大牟田市1908年(明治41年) 完成。2008年機械遺産指定2015年世界文化遺産認定された明治日本産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業構成資産の1つ。

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2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つありだんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

Permalink |記事への反応(7) | 19:25

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2019-01-26

anond:20190125054430

元ネタ知らないけどググった範囲では有形文化財までは行けそう

Permalink |記事への反応(0) | 02:07

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2018-05-14

先週の金曜日、家に帰った時にGoogle Homeに「近所の観光地は?」と聞いたところ普段利用しているところに有形文化財として登録している施設を紹介された。

そういう物があるのは全く知らなかったので行ってみたら、新たな体験があった。

ここに住んで10年になるがまだまだ知らないことだらけだとわかった瞬間でした。

Permalink |記事への反応(0) | 21:20

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2015-09-09

[増田アナル普及協会]アナル保管計画

昨日も書いたが可愛い女の子アナル女の子本体ではなく、アナル界と呼ばれる異世界にまとめて保管されている。

アナル界にアナルを保管するためには、アナル鑑定審査会の厳正な審査必要であり、相当可愛くないと通らないそうだ。

無事審査に通過しアナルを保管できている子は、アイドルになったり、モデルになったりすることが多い。

そして、審査に通るとうんこ免除許可証が与えられる。

うんこ免除許可証アイドルなどのオーディションでは最強のカードとなる。

しかし、特に問題はないだろうが、トイレを使うことは法律で固く禁じられてしまう(中に入ってうんこするフリをするのは許される)。

可愛いのにあえてアナルを保管しなかったり、そもそも審査を受けなかったりする女の子たちもいる。

アナル審査法律義務づけられており、可愛い女の子20歳になるまでに受けなければならないのだが…)

そういう女の子たちは、特殊性癖(いや、むしろ正常か)があったりすることが多く、アナルを保管したがらない。

また、職業柄、アナルを保管されては困る子たちもいる。

AV女優だ。

アナルAV女優商売道具であり、もちろん、穴からブツがでないといけない場合もある。

おいそれと保管されるわけにはいかないし、うんこ免除許可証なんて営業妨害もいいところだ。

この問題めぐりAV業界アナル鑑定審査会では連日激しい議論が交わされている。


アナル審査員「これからアナル捜索を行う!」

AV監督「おーっ!令状はあるんかい!」

アナル審査員「これがアナル鑑定審査会の令状だ!観念して尻を見せろ!」

AV監督「くっ!おい、お前らケツを突き出してやれ」

AV女優はい…」

アナル審査員「うむ、なかなかに素晴らしいアナルだ。有形文化財として丁重に保管せねば。」

AV監督「なんだとー!うちの商売道具に何しやがんでぃ!」

アナル審査員「あと、これはうんこ免除許可証だ。今日からの子たちはうんこをしなくていい。」

AV監督スカトロ女優うんこ免除許可証だとー!こちとら商売あがったりでぃっ!」


アナル増田

Permalink |記事への反応(0) | 02:23

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2012-10-30

[はてなキーワード][spam]nigga関連

編集時刻:    2012/10/30 05:12:27編集者:    nigga編集内容:    7d611d912a11,14    -その凄まじいまでの快感危険性は数多の麻薬のなかでも最高峰に位置するものと語られ、しばしば<b>薬物の王者</b>(<b>Theking of drug</b>)とたたえられる。    +その凄まじいまでの快感危険性は数ある麻薬のなかでも最高峰に位置し、しばしば<b>薬物の王者</b>(<b>Theking of drug</b>)とたたえられる。    +-<ahref="http://mimizun.com/log/2ch/ihou/1071563246/">『コ-ルドタ-キ-』</a>...“SICK”氏談(レス12以降)    +-<ahref="http://wiki.nsview.net/What_does_it_feel_like_to_inject_heroin%3F">『ヘロイン打ったらどんな感じがするんですか? |YA庫』</a>

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1398050

編集時刻:    2008/03/0711:27:02編集者:    nigga編集内容:    1,2c1,7    -グレープフルーツを食べてダイエットをしようするダイエット方法    +グレープフルーツを食べてダイエットをしようするダイエット方法ゆで卵グレープフルーツを組み合わせたダイエット方法が有名。    -ゆで卵グレープフルーツを組み合わせたダイエット方法が有名    +アメリカ合衆国場合は、1930年代ハリウッド起源を持つとの伝えからハリウッドダイエット』とも呼ばれ、食事の量を極端に制限するというその様相と、18日間という期間をあらかじめ設定することなどからクラッシュ・ダイエットの一種であるとも言える。    +日本では『国立病院ダイエット』との異称がある。偏った食事メニューを基本にすることから、あまり推奨はされないようである。    + 参考資料:<ahref="http://wiki.nsview.net/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88">グレープフルーツダイエット</a>

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=960972

編集時刻:    2007/11/1510:53:15編集者:    nigga編集内容:    8,12c8,13    --[http://w.nsview.net/v/00080/:title=摂取寺] -光明山と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区立花寺というところにある。    --[http://w.nsview.net/v/00088/:title=西専寺] - [[紫雲山]]と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区諸岡というところにある。古くは岡山[[西専寺]]または諸岡山西専寺と号した。永正三年(西暦[[1506年]])の銘のある梵字板碑を寺宝として有す(1989年から県の有形文化財)。諸岡川御笠川との合流地点に近い。    --[http://w.nsview.net/p/IMGP0752.html:title=無量寺] - 智願山と号する浄土宗の寺で、福岡県春日市の須玖というところにある。智願山、深広院、無量寺。    --専修寺 - 一向山と号する浄土宗の寺で、福岡県久留米市の藤山町というところにある。元々は行基菩薩の開基で天台宗であったが、兵火で失したことから行明の手により浄土宗寺としての復興を受けた。    --浄土院 - 安楽山と号する浄土宗の寺で、福岡県古賀市の新原というところにある。    +-[http://w.nsview.net/v/00080/:title=摂取寺] -光明山と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区立花寺という町にある。    +-[http://w.nsview.net/v/00088/:title=西専寺] - [[紫雲山]]と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区諸岡という町にある。古くは岡山[[西専寺]]または諸岡山西専寺と号した。永正三年(西暦[[1506年]])の銘のある梵字板碑を寺宝として有す(1989年から県の有形文化財)。諸岡川御笠川との合流地点に近い。    +-[http://w.nsview.net/p/IMGP0752.html:title=無量寺] - 智願山と号する浄土宗の寺で、福岡県春日市の須玖という町にある。智願山、深広院、無量寺。    +-[http://wiki.nsview.net/%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA_%E3%80%94%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E5%B1%B1%E3%80%95:title=正法寺] -天龍山、八部院と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市南区横手という町にある。境内に行明の『假墓』なるものがあるという。常に山門を閉ざしている。門を閉ざすというその時点でそもそも仏教根本理念を全く理解していないという信仰上のことはとりあえず置いておくとしても、寺がなぜ法人税を免除されているのかを全く理解していない点は笑止に尽きよう。    +-専修寺 - 一向山と号する浄土宗の寺で、福岡県久留米市の藤山町という町にある。元々は行基菩薩の開基で天台宗であったが、兵火で失したことから行明の手により浄土宗寺としての復興を受けた。    +-浄土院 - 安楽山と号する浄土宗の寺で、福岡県古賀市の新原という町にある。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=924231

wiki.nsview.netってid:nigga氏のウィキ? nsview.netへのリンクを張ってSEOしたいわけですね。

Permalink |記事への反応(0) | 10:51

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2012-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20120321001059

むしろこのあたりは純粋経済的に考えても、大阪という土地価値を高める上で絶対に

絶やしてはいけない分野だとおもうんだけれどな。

余り歴史が深くない割に自然災害に見舞われやすくて有形文化財が残りにくい(天王寺ぐらい?)

大阪という土地柄(日本全体がかなりそういう傾向あるけど)を考えると無形文化財にはかなり

強引に梃子入れした方がいいと思うよ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:22

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