
はてなキーワード:月ノ美兎とは
これはそれが正しいかどうかというより自分の感性とAIの出力との差異を測るテストであった。
自分の感覚とは適合してるのではえーってなったし、何らかの啓示を与えてくれるものかもしれない。
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すなわち「JK組(静凛・月ノ美兎・樋口楓)」+「エルフのえる」。
この四人の間には、単なる設定上の年齢差ではなく、“魂の生年”とでも呼ぶべき文化的時差が存在している。
1.文化的生年とは何か
ここでいう「文化的生年」とは、
発話・参照文化・言語感覚・社会経験の描写から導かれる「世代的意識の生まれ年」を意味する。
たとえば、
ガラケーを使っていた時代を“学生期”と語るなら、文化的生年は90年代前半。
Twitterの普及を“青春期の象徴”と語るなら、文化的生年は90年代後半。
といった具合である。
2. 四人の文化的生年
設定
主な参照年代
発話傾向
エルフのえる
森のエルフ
社会人語・安定語彙
1990±2
静凛
落ち着いたトーン
1991±2
1996±2
樋口楓
JK(行動型)
感情・即時反応型
1999±2
1988 ──────┐
│ 上層:成熟した語り手層
│ エルフのえる(1990±2)
│ 静凛(1991±2)
1994 ──────┤
│ 中層:知的観察層
│ 月ノ美兎(1996±2)
1998 ──────┤
│ 下層:感性主導・Z初期層
│ 樋口楓(1999±2)
2002 ──────┘
これにより、
JK組+えるは「1990年代を中心に上下10年の振れ幅をもつ四層構造」として可視化される。
構造全体は「内界(学校)と外界(社会)」の接続を象徴するようになる。
この四人の“文化的生年”は、いずれも1990年代に集中している。
だが、その内部差――前期(90–92)と後期(96–99)――が、
言語の速度・語彙の層・ユーモアの方向性に微妙な差異をもたらしている。
JK組+えるという初期にじさんじの会話的多層性を支えたといえる。
6.結論
JK組の三人とエルフのえるは、設定上の同級生ではなく、異なる文化的生年層の集合体である。
彼女たちの“魂”は1990年代に根ざしており、前半層と後半層の世代差が構造を形成する。
えるは「外部社会の語り手」として上層に位置し、JK組三人の物語を包摂する。
はじめに
2024年6月、VTuber・月ノ美兎による「秘宝館」を訪れた動画が公開され、話題を呼びました。しかしその後、訪問先である八潮秘宝館の館主が抗議のブログを投稿し、両者の間に大きなすれ違いがあったことが明らかになります。
この件についてはすでに多くのファンや観測者が「どちらが悪いのか」を語っていますが、本記事ではその問いを超えて、「文化と文化の衝突」という構図から捉え直します。
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動画は「秘宝館→秘宝館→ネモフィラ→秘宝館」という流れで構成され、月ノ美兎がいくつかの秘宝館を巡る内容でした。その中で八潮秘宝館の館主にインタビューを行い、来場者の様子も撮影されています。
しかし、6月20日、館主がブログで問題を指摘しました。主な主張は以下の通りです:
• 来場者に無断で撮影を行った
•メールでのやりとりや態度に誠実さが感じられなかった
これに対して、月ノ美兎側はX(旧Twitter)で謝罪文を掲載。動画は非公開となり、編集を加えたうえで再公開する旨が伝えられました。
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このやりとりの多くは「誤解」「不手際」「コミュニケーション不足」として消化されがちです。しかし本質的には、**まったく異なる文化コードを持つ二者が、同じ空間に立ったことによる“文化的摩擦”**に他なりません。
VTuber(特ににじさんじ)は、以下のような構造で成り立っています:
このように、VTuber文化は匿名性を前提とし、秘宝館文化は“生身”を前提とするという、根本的に非対称な文化構造にあります。
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今回、ファンの中には「月ノ美兎は謝罪したのだから、これは単なるすれ違い」「館主が過敏すぎる」といった声も多く見られました。
しかしそれは、文化の違いを“善悪”で断じることで、相手の文化を理解しようとしない姿勢を助長してしまいます。
• 「文化的非対称性」を自覚せず、取材される側にすべての配慮を押し付ける傲慢さ
• 「触れていない場所には理由がある」という直感を軽視する態度
「誰もやってない=おいしいネタ」ではなく、「誰もやらない=文化的理由がある」という視点を、ファン自身も持たねばなりません。
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特に月ノ美兎のように「誰も触れない領域」にあえて切り込むスタイルの演者は、次のような構造的リスクを抱えます。
•取材される側にだけ情報の提供や慎重な配慮を求め、自らの情報は守るという一方的な構図
• 「中の人を明かしたくないから、その点は配慮して」というお願いが、取材相手の文脈では“信頼を拒否する態度”に映る
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今回の件を経て、月ノ美兎という存在が“アングラ文化の語り部”として活動を続けるには、以下のいずれかの方向が必要になるでしょう。
• 本人はナレーションや企画監修に専念し、実地取材はプロスタッフに委ねる
→仮面を維持したまま、文化との距離を保ちつつ取り上げる構成が可能
•レイヤーを脱ぎ捨て、文筆家・ライター・批評家として生身の表現に移行
•Quick Japanやオモコロ的な土俵で、取材・編集・文章でアングラ文化を扱う
→自由度と信頼の対価として、キャラクターの保護を手放す必要あり
• 今後も類似の演者が現れるなら、「VTuberが文化を扱う場合のレギュレーション」を明文化する
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月ノ美兎が得意としてきた「アングラ×VTuber」の表現スタイルは、にじさんじが黎明期であったからこそ成立していました。しかし今や、にじさんじはポップな大衆文化の一角。“アングラに切り込む”こと自体が文化的矛盾を伴うようになってしまったのです。
その行為がどんな文化を踏みにじり、どんな信頼を危険にさらしているかを自覚する必要があります。
そして演者自身も、「表現したいこと」と「所属する構造」のズレを直視し、
次のステップを考える時期に来ているのではないでしょうか。
趣味での訪問がメイン、その場で取材許可が取れれば動画化する予定だった
一般客対応と取材対応を同時に行うことで不都合が生じる以上、取材はあらかじめ伝えてくれと周知している
美兎の言い分はわかるが、社会的には館長の要請に従うべきで、美兎の落ち度
それはしていない、その場に居合わせた方が許可したのちに目の前で撮影、録音をした
そしてそもそも館長が気にしたのも、その居合わせた方への配慮の有無が無断取材、隠し撮り、隠し録音の問題点だったわけだから、その居合わせた方が美兎認識を支持するならこの件は不問だろう。
美兎の個人の特定に繋がりかねないブログの表現を訂正するように依頼
諸々不問にしようとしてたのにマネージャーから勝手な論理の胸くそ悪いメールがきた
社会的に問題があった文面だったのか、一般に何も問題ない文面だったかは一旦置いとくとしても、取材対象を怒らせてしまったことは事実。
一般的な方よりも少し気難しめの方であることは明らかなので、いつもの定例対応ではなく、その人に特化した誠意を尽くした対応をすべきだった
ただ、落ち度、という意味ではどちらかにあったのかなかったのかは判断不能
月ノ美兎と館長の話読んでて
館長の言い分を言葉のまま素直に信じる無邪気な人たちがたくさんいて、にっこりしてしまった
館長さん、それなりにご高齢で、ああいう秘宝館を一人で運営するぐらいには癖強な方なんだよね
インターネットのお子ちゃまたちは、身近にそういう人いないのかな?
にじさんじも過去にそういうちゃぶ台返しを何度も喰らってるからこそ、記録に残るメールで許諾確認を執拗に求めたんだろうな
まあたぶんそれが原因で機嫌悪くしちゃったんだろうけど
実際はどうだったかなんて興味なくて
お互いが出した資料見比べて
ってやりたいだけなのかな
これ、Vtuberの月ノ美兎や、秘宝館の館長より、はてブの人たちが怖い。
X(旧ツイッター)を見ると、月ノ美兎側は館長に勧められて、ちゃんと許可を得たうえで撮影したと主張している。
一方、館長側は「無断で録音された」と主張している。
どちらかが嘘をついているか、記憶違いがあるのか、双方のあいだで認識の齟齬が起こっているようだ。
それなのに、はてブは「隠し撮り」が事実であるかのように捉えているコメントばっかりだった。正直怖いね。
音声については、館長様との会話の中で「Youtuberなら今カメラを回すべきではないか」といったご発言を受けたのちに録音を開始いたしました。録音前の音声については、記録も使用もしておりません。
・増田(『はてな匿名ダイアリー』の投稿者)
例の秘宝館に出てた稲葉さんって人、隠し撮りされたって感じじゃなさそうだよね。委員長についてもすごく褒めてるし。
https://x.com/inabawataru/status/1935139158164680820
稲葉渉@inabawataru
わたくしVTuberさんにはとんと疎いんですが、月ノ美兎さんと言う方とこないだ遭遇しまして、ちょっとお話したんですが、なんかそんときの動画があがっておりました。ちょこっとだけオフ声で出演しております。
まだにじさんじ側の声明がないので、一方からの声になってしまうけど、それを信じるなら、起きたことは簡単に言えばこう
月ノ美兎が無断取材→月ノ美兎の人柄のおかげで、取材対象はいったん飲み込むと決める→マネージャーが取材対象になんらかのメールを送る→取材対象ブチギレ
月ノ美兎はふだんちゃんと取材許可取っていると言っているし、にじさんじも権利関係きっちりしているので、どういう経緯でそうなったかは正直わからない
「許可取ってます」が事前申し込みではなくいつもその場で「撮影していいですか?」って口頭で聞いてるだけ、とかなのかもしれないし、きちんと申請したものの手違いで相手に伝わってなかったとかもあるかもしれない
また、一部撮影は許可したが、一部の隠し撮り音声は許可してなかったのかもしれない
その辺の経緯は、事態がこじれれば公表されるだろうし、謝って許してもらえるなら経緯発表なくトラブル解決の報告が出て終わりかもしれない
今回気になった内容はむしろこっち
おそらくマネージャーが送ったメールというのは「秘密保持」に関する契約だと思われる
月ノ美兎は、本名で個人で来館の予約を取ったそうだし、対面で取材をしているわけだから、顔も名も割れている
Vtuber企業としてはそれを表立って人に言われると困るから、当然秘密保持契約の打診、なんなら脅すような失礼な内容を伝えたのだと思う
Vtuberという業態は、中の人を秘密にすることが業態の信頼であり技術でもある
よって中の人がばれないように細心の注意を払っているわけだが、そこに「無断取材からの事後許可取り」をしたがるインセンティブがある
だって、「Vtuberの誰誰ですけど取材させてください」と事前に言うとカメラを仕込まれたりなんらかの身バレにつながる不利益があるかもしれない
だから不意打ちで撮ってから後々に権利関係をはっきりさせる動きをしたくなるのもわかる
そして事後の交渉は相手に付け込まれる可能性を考えると、ある程度毅然と、高圧的にする必要があるんだろう
しかし、その態度を気に入らない人は当然出てくる
気分を害して怒る人が出てくる
そしてその場合、非があるのはもちろん、筋を通さなかった取材者側、V側だ
V企業がまだ小さかったときはそれほど大事にはならなかったのだろうが、もはやにじさんじもホロライブも上場企業で、大企業なわけだ
企業コンプラとしてだまし討ちなんて許されないんだから、秘密を守ってもらうことが大事なら、事前の秘密保持契約と事前許可取りを厳守しなければならない
この方向性はほどなく徹底が行われるようになるだろう
しかし、そうなればVtuberさん自身の自由度、機動力が失われる
もちろん、コンプラを無視しての自由なんてクソくらえなわけだけど、でも、Vtuberさんって、独特な個性があり、やりたいことがやれなくなるなら辞めますわ、って人も多いと想像される
月ノ美兎も、にじさんじを辞めるときは、「やりたいことをやれなくなったとき、ここじゃできないことをやりたくなった時」と言っている
もしそういう流れに向かっていくなら、最悪、いまのVtuber時代の先駆者たちが、Vtuberを辞める流れになりかねないと思っている
じゃあさ
そうまでして、Vtuberの中の人を秘密にするべきか?って思えてくる
筋を通せなくなったり、やりたいことをやれなくなったりしてまで、中の人ってバレちゃいけないものか?
ググれば中の人がすでにバレてるVtuberだっている中で、面白さを失い敵を作ってまで、中の人を秘密にしなきゃいけないんだろうか
月ノ美兎なんて、あの絵のキャラを捨てたって面白い人は面白いままなんだからさ
バーチャルにこだわり、秘密を守ろうとするあまり、エンターテイメントや社会人としての大事なものを見落とすことがないように願うばかりだよ
自分の中にレガシーオタクの部分とV豚の部分があって、Xのアカウントもそれぞれある
俺はレガシーオタクとしてはバーチャルを嫌っていて、V豚としては月ノ美兎からかれこれ7年ほどやっている。
V豚として配信追ってて今100人以上多頭推しをしていて、案件とあらば商品は買うし零細の参加型ソシャゲとみればアカウント作って駆け付けている
一方レガシーオタクとしてはVコラボは鬼の形相で批判しSNSでも5chでも叩きまくる。
それが、俺だ。
俺はV豚として思考停止しているときは配信みてワーワーやっていられるが、
なんだかんだ言っても、エンタメでは金を出した側が「主」で、金を受け取って何かを見せる側が「従」だ。
やっぱり金を出すほうが偉いんだよ。
金をもらう「推し」のほうが立場が上、金を払うファンのほうが立場が下。
「推し」が金を受け取るのは自己実現をするため、ファンが金を払うのは「推し」が自己実現をするため。
「推しの幸せがファンの幸せ」なので、「推し」が幸せになってくれれば、それ以上の見返りがなくてもいい。
でもパトロンと芸術家ならパトロンのほうが立場が上なんじゃないかね(知らんけど)。
「芸術家のファンだから何でも面倒みるし見返りに作品を求めたりもしないよ」みたいなパトロンがいるならそれに近い。
Vtuber界隈で指示厨的なファンが嫌われてるのもそうじゃん。
スパチャを投げて見返りを求める奴。
「こうしたほうが売れるよ」ってアドバイスする奴。
自分を殺しきれてないんだな。
いかなる場面でも「推しがやりたいようにやればいいよ」というのが模範的なファンだ。
たとえばこういう記事を見かけたんだけどさ。
Vtuberの曲は僕達の人生を応援してくれない ーー月ノ美兎、星街すいせい、花譜のアルバムをレビューして得た音楽考察|ReiRain
動画勢で一本当たりの時間も短いし、企画もわかりやすくて面白いし
わかんだけど、それって今のVtuberの主流とは違いすぎないか?
面白いは面白いけどそのへんって今となってははっきりと界隈では異端じゃん
ハンバーグ寿司とかマグロユッケ軍艦とかを進めてる感覚っていうか
いやうまいはうまいし海外の人にはわかりやすくウケがいいかもしれないけど
寿司聞かれてそっち行くのってホンマに正解か?みたいな
1年の試用期間からアイドルとして本採用されたのはよかったけど、
プロジェクトとして継続した理由が試用期間の最終ライブ前のコミュニティによるお涙頂戴宣伝がキモだったと思っており
「このままだと推してるこの子達がアイドルになれません!投票お願いします!」
みたいな感じがずっと続いててつい投票した口ではあるのだけど
そのおかげで本採用されたしアイドル用の衣装とか曲とかライブとか表題のMVももらってたし順風満帆なのかなと思いきや
蓋を開けたらやっと1万越えかぁ、といった感じ
学マスや著名なアーティストのPVMV請負人が携わってるにもかかわらずでこれなのでまだまだ知名度足りないのか
もしくはファンの熱量とライバーアイドルの周知度に齟齬がありすぎるのか
まぁなんというか月ノ美兎がこの前出したMVみたいに一晩で10万20万再生とはいかずともせめて1週間で5万くらいは行ってほしかったなとは思った