
はてなキーワード:書籍とは
個人的には、本を読むためにはある程度の文章量を1つの塊として理解する必要があり、
その作業量的なものを考えると、腰が重くなっちゃうみたいなのが要因だと思っていた。
つまり、本を読むためにはある程度時間を確保する必要があり、それを思うと億劫だなと。
ただ、
清繭子さんという早稲田大学政治経済学部卒で出版社勤務の経歴を持ち、WEB連載に加えて書籍も出版しているプロのエッセイストが発端です。
出版社での勤務によってマーケティングの手法は熟知しているかと思われます。
繰り返し小説家になりたいと言い続けているため、おそらく手段を選ばず名を売りたかったのでしょう。
左翼どころか、経歴及び文章の内容を見るに、当人は多分ネオリベ。比例区はチームみらいに入れてそう。
後ろめたく思う必要がないのはその通り。
責められるべきだとしたらあたかも市井の一主婦のような態度で振る舞った清繭子さんであり
騙された人達は悪くない。
@cobta
「#ママ戦争 を素朴な声だと感じて投稿したのは左翼に見えて失敗だった」と反省をお見かけたので。あれを失敗と呼ぶ人がいますが本当のところは不明です。たぶん結果に関係ない。あれはきっと憲法改正を止める上で必要なプリミティブさを持つ言葉です。後ろめたく思う必要はなく、大事にしたいです。
違う。
まさにその「決め付け」こそが主張の本丸なんだからそれは全然問題ない。
問題は反戦の主張を『ママ』の手柄にし、それ以外の属性の人間を排除している点。
ていうか発端の清繭子さんがとにかく致命的なまでに広告代理店的でステマめいているから、そのうち高市首相とも合流しそうだ。
mayukokiyoshi
パパも叔母も独身貴族もオタクも会社員も飼い主もA型も牡羊座もおっちゃんもラーメンマニアも、ひとりひとりの、みんなの、#戦争止めてくるわ です。
雪の中、戦争を止めてくれたみなさん、ありがとうございます。
戦争イヤなの、私だけじゃなかった!
https://note.com/mayuko_kiyoshi/n/n0178432b4ecb
22歳、新卒で入社した私は、気づいたら同じ会社で39歳になっていた。
むしろ上には可愛がられ、下には支えてもらい、同期には甘え、何もかもスムーズで快適だけど辞める。
こんな恵まれた人に、#ママ戦争止めてくるわとか言われてもなあ…
新卒で大企業の出版社に入って産休育休時短も取ったけれどフリーライターになるため会社をやめましたって、1982年生まれにしてはあまりにもイージーモードな人生で羨ましい。さすがは早稲田卒。
ていうか、結婚してるんだからフリーライターじゃなくて専業主婦では?
https://note.com/mayuko_kiyoshi/n/n0178432b4ecb
22歳、新卒で入社した私は、気づいたら同じ会社で39歳になっていた。
むしろ上には可愛がられ、下には支えてもらい、同期には甘え、何もかもスムーズで快適だけど辞める。
MITの講義、Stanfordの資料、YouTubeの解説、arXivの論文、GitHubの実装例、オンラインジャッジ、オープンソースの教科書。
極端に言えば、ノートPCとネット回線があれば、線形代数から圏論まで、アルゴリズムから分散システムまで、形式手法から機械学習まで掘れる。
しかも、大学の講義よりわかりやすく、大学の教授より説明が上手い人間が大量にいる。
つまり知識それ自体はすでに市場でコモディティ化しており、値段はゼロに近づいている。
にもかかわらず、大学に行くために何百万円も払い、四年間も時間を捨てるのは、どう考えても合理的ではない。
書籍も高価で、論文にアクセスするにも壁があり、専門家に会うことも難しかった。
しかし現代では、ゲートは崩壊している。知識は空気のように拡散し、検索エンジンとLLMが圧縮して配布する。
学問の入り口に門番はいない。にもかかわらず大学だけが学びの正規ルートであるかのように振る舞うのは、情報流通革命の現実を無視した時代錯誤だ。
しかも数学とコンピュータ・サイエンスは、特に大学不要度が高い分野である。
証明を書けばよい。実装を書けばよい。競技プログラミングでスコアを出せばよい。GitHubにコードを積めばよい。論文を読んで再現すればよい。
個人の能力を示す客観的アウトプットが作れる以上、大学の単位や学位は本質的ではない。
学位は能力証明の一形態にすぎないが、その証明が過剰に高コストで、かつノイズが多い。
四年間を耐えたというだけで、思考力や創造性が保証されるわけでもない。
コンピュータ・サイエンスの実務世界は、ライブラリも設計思想もインフラも数年単位で変化する。
だが大学は制度として硬直しており、講義内容は更新されにくい。
学生が学ぶのは、現代の戦場で使える武器ではなく、過去の博物館ツアーになりがちだ。
もちろん基礎は重要だ。しかし基礎は無料で学べる。基礎を学ぶために大学という巨大な行政機構に参加する必要はない。
そして最大の問題は、大学が学びたい人間のための場所ではなく、学びたくない人間を四年間拘束する場所になっていることだ。
多くの学生は学問に興味がなく、就職のために在籍し、単位のために暗記し、卒業のためにレポートを書く。
その結果、講義は知的探究ではなく、脱落しないための事務処理へと変質する。
優秀で意欲ある少数の学生は、その空気の中でむしろ学びを阻害される。
学問とは本来、興奮と執念の領域であるはずなのに、大学はそれを出席管理と成績管理で薄める。
さらに残酷な話をすれば、大学に行く最大の理由は「自分が大学に行った方が安全だと思い込んでいる社会構造」そのものだ。
皆が行くから行く。行かないと不安だから行く。つまり大学は教育機関ではなく、集団心理によって維持される保険商品に近い。
これは合理性の皮を被った同調圧力であり、個人の学習とは無関係だ。
数学やコンピュータ・サイエンスのような分野で、真に強い人間は、学位ではなく成果物で語る。
証明、コード、論文、プロダクト、貢献履歴。そこには逃げ道がない。
大学の単位は「できるかもしれない」という曖昧なラベルだが、GitHubのコミットや実装は「できた」という事実だ。学問の世界では、事実だけが通貨である。
学位という紙切れに依存する必要はない。しかしもう半分の真実として、大学は知識ではなく、社会の信用システムとして機能している。
だから人々は大学へ行く。学びのためではなく、社会を攻略するために。
だがそれは同時に、現代の大学が知識の殿堂ではなく信号の発行所になってしまったことを意味する。
もし数学やコンピュータ・サイエンスを学びたいなら、大学の門をくぐる必要はない。必要なのは、静かな時間と、強烈な好奇心と、圧倒的な継続だけだ。
残忍な殺戮シーンや過激に猥褻な表現が含まれるDVDやゲーム、書籍についても、子ども達が容易に入手できる現状に危機感を抱いておられる保護者が多いのではないでしょうか。
都道府県条例で有害図書等の指定や青少年への販売制限を行っているものの、都道府県ごとに指定対象や罰則にばらつきがある上、条例そのものが無い県も残っています。
店舗販売ならば店側のご協力で改善もできますが、ネット販売・通信販売による入手には対応が困難です。
児童買春や児童ポルノの製造・提供・輸出入を禁止する法律はできましたが、単純所持を禁ずる法律が無く、お客がいる限り違法業者は無くならないと思われます。
また、子どもに対する性行為を描いたコミックは法規制の対象外になっています。
違法・有害情報や、犯罪に巻き込まれたり犯罪を誘発したりする可能性のある情報から子どもたちを守ることについて、反対する保護者は殆ど居られないと思います。
過去に政治の場で法規制が模索された折には、業界からの反対が非常に強く、「言論・出版・表現の自由を制限することは憲法違反ではないか」、「有害情報の範囲と定義を明確にできるのか」といったご批判も寄せられ、頓挫したままになっていました。
確かに日本国憲法21条は「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定していますが、同時に憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、(中略)国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」としています。
公共の福祉の観点から、国として「次代を担う子どもを有害情報から守る」という強い姿勢を示し、有害情報を子どもの目に触れさせないように社会全体として取り組むことは、決して憲法違反にはあたらないと思います。もちろん、有害情報の定義や範囲を明確にすることが前提ですが。
いまの考えは違うかも知れないけど、高市政権の元で表現の自由のあり方が不変と考えるのは過剰な期待だと思う。
「あ!こんなサービスやアプリ作ってみよう!」って定期的になるんだけどさ
その度にプログラミング入門とかデータ入門とかフレームワークの書籍やサイトに齧り付く
そしてフレームワークに手をつけたあたりで気がつく
「あれ?これ俺が作りたいサービスを作れるようになった時にはパソコンはおろか最早スマートフォンも無くなって脳に埋め込んだチップからインターネットにアクセスできるようになってね?」って
それほどまでにサービス完成までの道が遠い
堀江貴文やひろゆきが名を轟かせ始めた時はよかったかもしれない
2ちゃんねるも初期のAmazonも本当にはてな匿名ダイアリーより下か同程度くらいのシンプルな見た目してる
でも今はあまりにサービスの機能やデザインが洗練されすぎている
だから追いつこうにも追いつけない
受託開発してる会社に外注して作って貰えばいいのだろうが、そんな金ないし、そんな金があったらそもそも仕事終わりや休日の貴重な時間使ってサービス作ろうと思わない
作る必要もないし
だからいつまで経っても作ろうと思ったサービスやアプリを作れない
まあそりゃそうか
大企業がヒトモノカネの力を注ぎ込んだサービスに囲まれてるんだもんな
はーくだらね
明日も明後日も明々後日も来週も来月も来年も再来年もこりゃ週5日毎朝通勤して仕事してブルシットジョブやって夜も残業だなこりゃ
SNSで何回も見てきた「氷河期世代は甘え。選ばなきゃ仕事あった。努力不足。自己責任」って話題。また衆議院選挙に合わせて再燃した
個人の努力より環境要因が結果に対しての影響は大きいってのはデータの裏付けもあるし、書籍にもなっているのに彼らの主張の裏付けは何もなく、自分の観測範囲でしか語ってない。
なにより下の世代で氷河期世代を叩く人の目には自分の同世代や下の世代の落ちこぼれは存在しないことになっているのが一番怖い。
自分で調べるということは、調べる過程で得られる知識も含めて記憶に残りやすいので価値がある
人に訊いて答えだけ得るとそもそも記憶として定着しにくいので、ここに大きな差がある
人に訊くと言うことは、その答えが間違っていた場合にその人に責任を求めることができる
それゆえに教える側だって安易にへたなことを言うわけにいかないので、相互の信頼関係が成立する
さらには教える側にもセンスが問われる。答えを教えるだけなのか、考え方を教えて応用力をつけるのかで大きく違う
AIで調べるというのは、でたらめを教えられるリスクについて理解しているかどうかによる
出典を明記させてすら実在しない書籍を提示してくるのがAI、という認識ができていないならば、
数式は合っているのに答えを間違ってることがあるのがAI、という認識ができていないならば、
そしてAIは成長するものなので、訊くタイミングによって答えが違い、そしてその発言の責任は取らない
それぞれにメリットとデメリットがあるのだから、使い分けると言うことは大事
今回の事例としては、「AIが誤答を返すデメリットを加味してすら、さらに底辺の成績だっただけ」である
成績が上がっているというのはただの相対的なものであって、AIを利用した自主的な勉強という話でならいずれは高くないところで頭打ちになる
とりあえず思ったことを書いていく。
正直、開始一秒で「しゃらくせえ」と思った。
立ち回りがやたら小狡い。
そんな捜査官Aに呼び出され、単身Aの車に乗り込む詩織さん。そのまま連れ去られてもおかしくないような状況に見えたのでハラハラした。
というのもこの捜査官A、公の場で証言して欲しいと頼まれるたびに「そんなことをしたら失職してしまう。責任とって結婚してくれるんですか?」「私が無職になって、生活の面倒を見てくれるなら考えますけど」と、2人の共同生活にやたら前向きなことを言ってくる。冗談めかしてはいるものの、声だけ聞くに、圧倒的中年男性のそれである。キモすぎやしないか? お上に不利な証言をしたとて、クビになる前に自分で辞めればいくらでも潰しがききそうなものだが、自分の証言と引き換えに全力で縋ろうとしてくる姿には違和感がある。とても信用できない人物に見えるが、この人間臭さ(=小物臭)がスパイ疑惑を打ち消す効果として作用しているようにも見える。
捜査官Aのことはどうにもずっと怪しいと思って見てしまっていたが、詩織さんは普通に信頼できる相談者として、常に気遣う言葉もかけてくれるので涙を浮かべたりする。私の心が汚れているだけだった。
この人に比べると、ドアマンはもう少し人が良さそうに見える。
映画の始まりで詩織さんは「証拠がないんです」と警察からはっきり言われている。山口のDNAが付着したという下着くらいしかなく、それだけではレイプの証拠にはならないのだ。
正直、ここでもう勝敗は決していると思った。過去の強姦、強制わいせつに関する刑事事件においても「被害者の申告」だけではなかなか起訴まで持っていくことは難しいのはわかっている。
この薄い証拠で山口が逮捕されていたら、それこそ人権派の弁護士が不当逮捕と噴き上がっていただろうし、即不起訴になる。安倍と友達であろうともなかろうともだ。そのくらい、証拠が弱い。
しかしドアマンがいくら証言しようとも、密室で行われたことであり、和姦か強姦かを証明することはもっとハッキリした証拠がなければ難しい。世の中では、市長の女性が部下の男性とラブホテルに行って業務に関する入念な打ち合わせが行われることもあるのだ。
捜査官Aが語るところによると、山口の逮捕を中止するよう指示を出したのは中村格という現・警察庁長官で、当時は警視庁の偉い人だった。真意を問いただすため、詩織さんは仲間たちと共に彼の出勤前を狙って自宅付近に張り込む。
小学生の通学路にもなっている、見通しの良い閑静な住宅街。そこに車で乗り付けて仲間たちと張り込む詩織さん、明らかに不審車両である。
案の定、登校中の小学生が車を怪しみ、何度も振り返って確認する様子を見て、彼らはくすくすと笑う。昔のこととはいえ、2人の小学生の顔はバッチリ映っている。もう彼らも成長して顔も変わっているだろうが、親がこれを見たら憤死するのではないだろうか。プライバシーの侵害についてよく語られる本作だが、登校中の子供の顔を無断で晒すのはさすがにあらゆる権利を侵害しすぎである。
表向きは防犯カメラの映像の無断使用と言っているが、彼らが本当に見られて困るのは終盤に出てくる国会議事堂前で抗議活動を行っている高齢の女性たちの明らかにアウトな言動の方じゃないだろうか。
普段は韓国の従軍慰安婦から辺野古基地の返還まで幅広く抗議活動を行っている活動家の皆さんである。詩織さんの告発は、山口が安倍晋三と親密な関係であることも含めて国会で取り上げられる問題になったので、彼女たちはそこに乗じてさっそく詩織さんの名前も挙げてアジりだす。
そこへ詩織さんが通りがかり、声をかけた。
最初は不審そうな顔をしていた2人の女性は、「伊藤詩織です」と詩織さんが名乗った途端、態度を一変させた。顔も知らずにアジテーションのネタにしていたとわかる、インパクトのあるシーンだ。詩織さんが去った後、2人はテレビで見るのと印象が違ってすぐに気づけなかった、とカメラの前でしどろもどろになる。
だがまだこの2人はマシである。問題はその後、2人と詩織さんのやり取りを近くにいながら関わろうとしなかった女性である。詩織さんが立ち去った後、さっきこちらにきたのはあの伊藤詩織さんだよと伝えられた彼女は驚いてこう言った。
「強姦された伊藤詩織さん? さっきの、強姦された伊藤詩織さんだったの? もう行っちゃったの、だったら話せばよかった!」
映画では、ここで画面が切り替わる。
映画が公開されるや否や批判的な立場を表明した北原みのり氏によると、彼女らのやりとりには続きがあり、ここで切るのは悪意ある切り取りだという。ここから入れる保険があるって本当ですか?
その後のやりとりとやらを確認したところ、やはりとても入れるような保険ではなかった。「みんなで民事訴訟の傍聴に行って応援しましょう」という意思確認をしただけだった。アジテーションのネタにしたのに本人が来なければ傍聴すら行く気がなかったのか?
なお、さらなる彼女らの擁護者によると「強姦された○○さん」という呼び方は、従軍慰安婦界隈では「売春していた人」と区別するために使う言葉なので、特別に性被害者を貶める言葉ではないらしい。つまり、売春していた人は区別してもいいようである。それはそれでものすごい職業蔑視をしているように見えるが、自覚は薄そうだ。
しかし、元草津町長(先日の選挙で負けた)には絶対に謝らない北原みのりが、「昔から知っている間柄だから」と無神経な高齢女性たちを庇う姿は、長年親密な間柄故に山口を守ったとされる安倍晋三にそっくりである。
最高裁まで進んだ山口との訴訟の一つは、安倍晋三が撃たれ、その死が公表された日に判決が出た。ただの偶然なのだが、二つのニュースをタクシーの中で聞いた詩織さんはある時代の終わりを感じ取り、音楽をかけて友人と小躍りして映画は終わる。この安倍晋三の死によって、もっととんでもない箱が開いてものすごい化け物が飛び出してきたことなど、当時の彼女には知る由もない。監督の意図しないところではあるのだが、物語の終わりは、奇しくも新しい物語の始まりを思わせる。
2017年に出版された著作「BlackBox」を読んでいなければわからないことが多すぎる。
エンドロールも全部英語、しかも文字が小さく読みづらい。たぶん読ませる気がない。
つまり、一つのストーリー性を持つドキュメンタリーとしてBBDだけを見たらちょっとわかりにくい。原作(本「BlackBox」)、映画、そして映画パンフレットの3点セットをもって、全ての情報が補完できるメディアミックス作品なのである。チェンソーマンでいうといきなりレゼ篇を見せられているようなものだ。
ドキュメンタリー映画としては、やはりそれ一本だけで完結させて欲しかった。ふらりと映画館に立ち寄って見られるのが映画の良さでもあるのだから。
ちなみに強姦した人こと山口が現在どうしているのかと思って調べてみたら、元気に参政党の連中と共に陰謀論界隈に出入りしていた。
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/forest.watch.impress.co.jp/docs/news/2079681.html
こういうのは定期的に誰かが発信していかないと、いとも簡単に失われてしまうんだなあ
紙媒体(書籍かどうかは問わない)をスキャナで取り込み電子媒体化する行為を「自炊」と呼ぶ由来は、古くはアーケードゲームの基盤から中のゲームデータをパソコンで「吸い出す」行為に由来する
俺の分かる範囲では2000年代初頭時点で既に定着していた用語だが、アーケードゲームをPCのエミュレータで遊ぶアングラ文化は90年代の終わり頃には既に存在していたので、もしかしたらその頃から使われていた可能性もある
それから少し遅れて、音楽や映画、アプリケーションなどが記録されたディスク全般(CD-ROMやDVD-ROM)をパソコンに取り込む行為も連動して「自炊」となり、やがて元の媒体がデジタル・アナログ問わず「パソコンにデータとして取り込む行為全般」が「自炊」として認知されるようになっていった
いや精神病院に入院して総合IQ出してもらったんだけど、大学生の時やった時と比べて20も上がってたのよ。あ、その時も精神病院で測らされたんだけど。
発達とかの検査ではないやつね。ワイスだかワイズだかいうやつ?しらんけど。
当時102だったのが今122。別人じゃん。
これって誤差とかたまたま出たとかたまたま正解を引いた結果なんすかね、って聞いたら、いや、正確、というようなことを言われた。
俺のAIの使い方としては知らない分野、例えば経済学とか心理学、医学、アウトサイダー・アート、哲学、奴隷制・身分制のこと、国内外の売春の歴史やシステム、各国の障害福祉政策、宗教や歴史、憲法、外国の生活保護制度の比較、戦争や紛争、ジェノサイドの例とパターン、日本文化、奇形の種類とか、挙げればキリないけどヒマさえあればありとあらゆる知的好奇心を満たすためだけに幅広く聞きまくったり調べまくったりして、それぞれ延々壁打ちしまくってディープリサーチもさせまくって深化させたものをタイピングしまくって、noteにまとめるっていうそういう趣味で使ってたのね。
文章はAIに書かせてない。文章とか音楽とか画像とか今なんでもAIが高品質なものを作れるって知ってるし見抜けないようなものもあるって知ってるけど、俺は文章を書くのが好きだからそこは俺がやってるわけ。で、どれもこれもつまみ食いなわけだけど例えば経済学だとケインズのことだけめちゃくちゃ詳しく語れるけどハイエクっていう真反対のことを主張した人のこととかはからっきし知らないしもちろんマルクスもちょっとは常識程度で知ってるけど全然知らないわけ。憲法に関しても権利関係はほぼ網羅してそれらがどれだけ国家権力から国民を守っているかとかは詳しくなったけど憲法9条とかは別にあんま興味ねーしなって感じであんま深くも語れるだけのインプットはなかったりするのよ。
けど、書籍を読むよりも簡単に教養(といっていいのか)が深まりまくった1年だったなーとAIがガンガン進歩する昨年末感慨深く思ってたわけ。
で色々あって措置入院?強制入院?になってあーまたかってなって、2ヶ月閉鎖、スマホ取り上げ、あースマホでAI壁打ちできねー、ヒマー。アー。って感じだったんだけど。
そこでヒマしてたらついでにIQ検査もしときますかってなって。ヒマだったんでじゃあやりますかってなって。
そしたら題名の通り。あとでChatGPTにそんなことが起こり得るのか、と早速聞いてみたいところだが先に増田のお前らにも聞いてみたいなってここに今書いてるわけ。