
はてなキーワード:更衣とは
当然そのアニメはとうに終わっていて今は放送されてないが、ビッグIPのシリーズもの且つ久々のヒット作ということもあり、ファン層は国内外と非常に多くその時は繋がりを作るのが楽しくて仕方なかった。
自分は絵は描けないので、ちょっとした小説や考察やファンツイートを投下していた。そこから片思い的にお気に入りしていた絵師さんにフォロバしてもらえた時などは嬉しさは頂点だった。
オフで会った人も居るし、作品の話から雑談までいろんな人とリプのやり取りをした。
人間なのでプライベートな日記や愚痴のような内容もつぶやかれるが、それにもいいねを送り合い案じるリプなんかもしたりして、お互いにかなりパーソナルな情報を開示しあっていた。
◯◯さんは関西を拠点にしてるんだ。◎◎さんはエンジニアなんだなすごいな。△△さん、夜勤いつもお疲れ様です。なんて。共通の作品ファンを超えた友人のようにも感じられていた。
そこまでは幸せだった。
だが、いくら大好きで大好きで仕方ない作品とキャラクターと言えど、3年以上経てばさすがに当該作品の話題もつきかける。たまには出来るが毎日は苦しい。でもフォロワーは毎日毎日そのキャラ愛で盛り上がれる。尊敬する。
それでも3年間の絡みを通じてお互いの好きなものとか考え方とかオススメアニメ等に多少なりとも関心は持ってもらえているはずで。そこも含めてお互い受け入れ合ってるものと思っていたけど。
今のアニメ映画の感想や近況日記つぶやきをしても、今は誰も反応してくれなくなった。まるで自分がフォロワーほぼ全員からミュートされてるようにだ。
ガチめに深刻な病気の快癒を報告しても交流があると思ってた人のほとんど反応してくれない。
でも同じタイミングで他のフォロワーが「今から夜勤です」と言えば、自分にレスをくれなかった共通のフォロワーが5分以内に「いってらっしゃい」レスを複数してるのを目の当たりにしてしまってつらい。
自分から声をかけても、リプにいいねされるだけで言葉で返信が来ない。そのいいねは「既読したよ」の印でしかなく、状況的には完全に「既読スルー」ってやつだ。
またTL上で某ソシャゲ(非共闘)のフレンドを募集したけれど、その互いにリプを送っていた相手の1人からTwitterでリムーブされていたことを最近知って追い打ちのように凹んだ。ソシャゲで繋がってる相手をリムるって中々やりづらくないか?もう惰性や適当ではなく明確な意思力を持って私を切断していたことになる。
一体どうしてこうなってしまったのか。ゆるいけれど共通のネット友人のような繋がりがあったはずなのに。
自省して考えたら、いくつかの心当たりが浮上した。
作品の性質上、リベラルも高齢保守も集まりやすくTLにも散見されたけれど、その両方から嫌われるツイートをどこかでしていたのかも知れない。
例えば今の自分の立場は高市政権に批判的だが、TLにはそこそこ高市ファンや小野田ファンがいた気がする。居住地に外国人が急増したことから排外主義に賛成の構えを示す人もいたけど、私自身はそれで付き合いを止める気にはなれなかった。
かと言って自分はリベラルなのかというとそうでもないと思う。例えばトランス女性なる概念にはずっと懐疑的だ。オリンピックの格闘技や筋肉競技で割り込んでくるのは普通に不正だと思うし、
知人にも1人居たがどうも女風呂・女性更衣室・女子校・女子トイレといったプライバシー空間に未手術の男体を割り込ませることが至上目的化している気がしてならず、私は女性であるが一言も発さず説明もなく人の背後に張り付いて公共女子トイレに潜入しようとしていた様は異様で怖かった。
言い出しにくかったがそれを指摘したら「我々トランス女性に対する理解が足りないので勉強する必要がある」などと悪びれずに放言された時は(どこにでもいる女への共感性がしんでる典型的マウント中年男性やんけ)としか思えなかった。
しかし、TLにいるリベラルアカウントは男性が多いせいかトランスヘイターを蛇蝎の如く憎悪軽蔑している。こんな体験談を吐こうものなら即ブロされて人格否定の呪詛吐かれまくるのは目に見えている。
そんな感じで居心地悪くしていたけれど、向こうにもなんかそれが伝わってお互い気まずくなってた気がする。
でも一番の誤算は多分私の勘違いだ。インターネット老人会に片足突っ込むTwitter黎明期世代なので、Twitterにまだ「ネットの自由な言論空間」が生きていると思い込んでたのだ。
元々考察や考えることが好きだから、アニメに対してもオタクに対しても、批判や憤りも含めて言語化しまくっていた。批判やディスは多かったけど、決して個人の私怨ではなく独立した読み物として堪えるような普遍的な着眼点や面白さがあったと思う(自画自賛)。
そして批判であっても賞賛であってもそれだけで人格をジャッジされることなく、スタンスが違っても傾聴しあう空気が黎明期のユーザー間にはあったような気がして、なんとなくそれがずっと続くと思ってたのだ。
でも今のTwitterは一般化しすぎて世間の延長になった。テキストサイトでは許されるネガ長文評論もリアルで言えば白い目で見られるように、評論や考察自体が受け入れられなくなってきた。全肯定しか許さぬ圧を感じる。
一昔前のオタク像は正でも負でも考察ごとが大好きだったと認識していたのだが、反知性主義が猛烈な勢いで蔓延していて今や考察というだけで嘲笑や揶揄の対象にされるレベル。
ファンコミュニティの間でもそれは例外でなくなってきたというか、頭を使わず金だけ使う『推し活』が一番の愛だという風潮は自分にとっては居場所を失ったようで生きづらい。
さりとて一見話の合いそうな言論発信系クラスタと相互フォロワーになってみても、かの人達は自分の放つ政治的トークをRTしたりするだけで、私個人の日常事には一切関心を持ってくれない。
私がSNSで一番欲する友達みたいな互いのパーソナリティに関心を持って仲良く絡む性質はゆるいファン界隈の中しか確認できなかった。しかしその界隈から見た自分は、多分お硬くて目障りな人格で同調圧力から外れた自分達とは違うノイズのような存在なのだ。
はっきり言ってSNSで幸せな繋がりを持っていたい。都合の良いことを願うなら、個の人格と作品トークをある程度別個に切り離してくれて、人格を認めてくれる気軽に絡み合える相手と。
でも今はネットSNSの性質や空気感が変わってきていてそれは難しい。でも小難しいことは捨てて推し活だけして作品評とかもみんなが言うことをみんなが言うままに言う同調第一の振る舞いをしろというのも息苦しい。
願いは全て叶えられないなら、割り切って同じ人間にならなきゃいけないんだろうか。でもそれはリアルでずっと感じていた生きづらさであり、ネットでさえもそれに縛られるというのもディストピアだなぁ。
昨日も感じたし、その前も感じた。今日の少しだけ濃い気がした。
朝礼で名前を呼ばれても返事をする者は少なく、俺もその一人だった。
ライン作業は単純だ。金属片をレーンに乗せて傷がないか確認し箱に入れる。
単純だから、そのぶん考え事が増える。
前に勝った日のこと。風俗嬢の刺青のこと。帰省したときの姉の表情。
広告ばかりが溢れる画面を眺めながら。思う。
仕事帰り。駅前のパチンコ店の光が目に入り、誘われるように入る。
負けるだろうと分かっていながら足は止まらない。
椅子に座り玉が流れる音に包まれると世界の輪郭がいつも曖昧になる。
喧噪の中に居ると落ち着く。そう思うようになるのはいつ頃からだろうか。
その日は−42kでやめた。
医者はこの痛みを知らない。
勝ったわけではないが、行かなければならない気がしたのだ。
受付を抜ける。黒革のソファ。
待っている間、ふいに姉の姿が頭をよぎった。
どうしてこんなときに、と思う。
嬢が現れた。
新しい子ではない。
俺のことを覚えてもいないだろうし、覚えている必要もない。
部屋に入る。服を脱ぐ。嬢の刺青が視界に入った。
「お仕事、何してるの?」
「営業です」
いつもの嘘だった。
すると嬢は少し笑って「そうなんですね~」と返す。
俺はその軽さに救われたような、見放されたような気持ちになった。
嬢の動きが止まっても気づけないほど、意識が浮いていた。
「大丈夫?」
嬢が不安そうに聞く。「うん」と答えた。嘘でも本当でもない返事だった。
ベッドに入ると天井が白く滲んだ。
今日が何日だったか思い出せないまま。俺は詩集を枕元に置いた。
目を閉じる。
祈ることをやめた人間は、どこへ行くのだろう。
俺はそのまま眠った。
明日もまた朝は来るだろう。
祈りの届かない部屋で。
昭和には今考えるとあり得ないようなクレイジーな教師が居たんだよ、ということを備忘録として記しておく。
生徒に「便所」「うんち」といったあだ名を付けて自分だけでなく生徒間でも呼ばせていた。
あだ名を付けられたのがひょうきん男子たちだったから事なきを得ていたけれど、あれはどう考えてもイジメだった。
体育は2クラス合同で、更衣室がない代わりに男女別の教室で着替えるんだけど、Hは堂々と女子生徒が着替え中の教室に入ってじっくりと女子生徒の着替えを観賞。
女子生徒に苦情を言われても「ここは俺が担任の教室だ!」と開き直り居座った。
男子生徒がつけたあだ名はジャイアン。もしくはバーコードハゲ。容赦ないよね…
今思うとそれほど悪い先生ではなかったとは思うんだけど、
女子体育教師がいる中で、女子生徒の体育担当になったのは悲鳴が上がるのも仕方ないとは思った。
今考えると気持ち悪い。
でも当時は他にも何人かそういった教師は居た。
熱血漢ではあるのだが、できない生徒に約束という名の押し付けを迫り、それが破られるとキレるというマッチポンプ熱血漢でうざかった。
予習をしてきた生徒が次々と課題をこなすのを叱ってたのは意味がわからなかった。
生徒を完全に自分のコントロール下に置くのが至上命題だったっぽい?
自分が務めてる高校ではなく、母校であるもう一つの進学校を賞賛し、勤務先の高校をけなしてばかりの人だった。
予習をしっかりして、授業中に眠るべきという、訳のわからない主張をしていた。
英文を読んで即座に和訳して問題を解け、という当時でも前時代的としか言い様がないやり方を押し付けてうざかった。
ちなみに生徒間で呼ばれていたあだ名はアイババ。
本名もじり+ババア+サイババみたいな髪型だったからそう呼ばれていた。
歴史的に見て本当に女になったら相続もできない、財産権もなくなるのだから女になりたい男はいなかったと思う。
1970年代までヨーロッパでは女性は銀行口座を持てなかったんですよ。それで女になりたい男はいません。女装をしたい男はいたでしょうけど。日本だって相続権が女性に与えられたのは戦後です。
所有権や財産権が男女平等になったから発生したのがトランスジェンダーでしょう。法的にも女として扱えと言って、女性のための安全圏を侵略するようになったのも男女平等の段階的達成と関係がありますよ。
女性の社会進出(労働市場への参加)前は女子トイレや女子更衣室など女性スペースはなかった。女性の要求により作られた。例、森山眞弓が東大に女子トイレを作らせた。
今だって女性は所有権を行使していても、子どもの時から「あなたが持っているものを他者に渡せ」とやられることは日常茶飯事ですよ。それの社会生活全体に適用してるのが女性スペースの破壊でしょう。
トランス自称してなくたって異性のトイレや更衣室や風呂場に侵入して盗撮して揉めて逮捕されるのって男ばっかだしな
トランスジェンダーの人たちは、自分の性別に対して違和感があるとどうやって自覚するのかずっと気になってる。
同性を好きになることを自覚して、自分は同性愛者なのか?→自分の性別が違うのでは、というプロセスはまだしも、トランス女性の女性愛者とかだとなかなか自覚しにくいのではと思う。
例えば女性の人で、スカート履きたくない人も、女性更衣室で着替えたくない人も、青色が好きな人も、美少女アニメが好きな人もいると思うが、まあこれも自分の個性かと思って大体は終わる気がする。動きにくいから、とかではなくて「女」を押し付けられるのが嫌という理由でスカートを拒否したとしても、女性性を押し付けられるのを好む女性の方が少ないはず。女性更衣室で着替えたくないといっても、自分は男性更衣室で着替えたいんだ!という発想ではなくて、性別にかかわらず他人に自分の裸を見られるのが嫌だという認識になるのでは。色や趣味に至っては本当に人によるし。
周りの同性の人たちと自分がなんか違うなと思って、自分の性別を異性としてみたらしっかりくるとかそういうこと?でもそうすると結局ステレオタイプに囚われちゃうし、時代や地域ごとに男女観も違うだろうし、もっと絶対的な気づきがあるんだろうと思うんだけど、当事者に面と向かってはセンシティブすぎて聞きにくいし、調べ方が悪いのかネットでもうまく情報を得られない。
性分化疾患で女性ホルモン優位、自認は女性見た目も女性、手術もして女性器形成してる
これでも女性トイレや女性更衣室、女性風呂は使えないってするのが正しいか?
判決日:2025年4月16日、英国最高裁は全会一致(5‑0)で判決を下しました
争点:「For WomenScotland 対スコットランド政府」訴訟において、公共機関の女性割合にトランス女性(性別認識証明書を持つ者)を含めることがEqualityAct 2010に反すると判断。
→最高裁は、「法律上の『woman』は生物学的に女性と認定された人物に限られる」と明言し、性認識証明書は法的性別の分類には影響しないと決定しました
トランス女性は法的に女性とは扱われず、特に女性専用スペース(病棟、トイレ、更衣室など)へのアクセスが制限される可能性があります
NHS等の公共施設でも法的な男女区分が強化され、性別認識証明書を持つトランス女性が女性として扱われない例がニュースでも報道されています
労働党のキア・スターマー首相は「女性とは生物学的な成人女性であり、今回の判決が法的にそれを明確にした」として、判決を歓迎しました。また、同様に平等担当大臣ブリジット・フィリップソンも「判決は明確性と自信をもたらす」と評価し、女性専用スペースの法的保護を支持しました
訴訟を主導したFor WomenScotlandや支援団体Sex Mattersは、「EqualityActにおける“sex”は生物学的現実を反映する」として判決を受け入れています。Sex Mattersの代表であるマヤ・フォースタター氏は、「性別という保護された属性は書類ではなく現実に基づく」と述べました。また、彼らが実施したYouGov調査では国民の多数が判決に賛意を示しており、社会的支持も示されています
Equality andHuman Rights Commission(EHRC) や司法専門家は、本判決がEqualityActの解釈上のあいまいさを解消し、サービス提供者や企業に対して明確な基準を示したとして、有用であると評価されています
◎世論の支持
国民意識調査によれば、59%が「トランス女性は法律上女性ではない」と同意しており、多くが公共施設やスポーツにおいて区別を支持していると回答しています。
作家J.K.ローリング氏はSNSで「TERFVEデー」などと表現し、本判決を「女性の権利を守る勝利」と称賛しました。彼女もFor WomenScotlandを支援しており、今回の判決には強く共感を示しています
上流階級はLGBT平等〜手術してなくても女トイレ、更衣室、浴場もカモン〜
下層はそれでどんだけ犯罪増えると思ってんねん、と。
いっそのこと上流階級と下層で法律分けたらええんとちゃうかと思ったけど
https://x.com/ueyamakzk/status/1972732081894731817
J.K.ローリング氏がエマ・ワトソンについて、絶縁宣言ととれる長文を投稿。「さすがは人気作家」と言いたくなる、落ち着いて説得力のある筆致…。
裕福さや名声というクッションなしに大人としての生活を経験したことのない人々と同じように、エマは本当の生活経験がほとんどなく、自分がどれほど無知であるかにも気づいていない。彼女がホームレスシェルターを必要とすることは決してないだろう。男女混合の公立病院病棟に入れられることもないだろう。子どもの頃以来、商店街の試着室に入ったことがあるとは到底思えない。彼女の「公共トイレ」は一人用で、ドアの外には警備員が立っている。市営プールの男女混合に変わった更衣室で服を脱がなければならない経験をしたことがあるだろうか? 女性専用サービスを保証しない国営のレイプ危機センターを利用する可能性があるだろうか? 女性刑務所に「自己認識」で入ってきた男性のレイプ犯と同じ房に入れられることがあるだろうか?
私は14歳で億万長者ではなかった。エマを有名にした本を書いている間、私は貧困の中で暮らしていた。だからこそ、エマが熱心に加担してきた女性の権利の破壊が、彼女のような特権を持たない女性や少女たちにとって何を意味するのか、私自身の人生経験から理解している。
まあ貧困の中で生活保護で執筆してたローリングと、ガキの時点で億万長者になったエマとじゃ見えてる世界が違い過ぎるよね
トランス問題は結局はフェミニストの中での階級問題ってことやね
Permalink |記事への反応(44) | 09:34
最初は、手術して女性化して外観も女性そっくりなのに、戸籍やパスポートの性別が男性であるせいで、
外見が女性そっくりなら、戸籍を女性に変えてもいいんじゃない?むしろ、そのほうが自然でしょ。って話だった。
特定条件を満たせば、戸籍上の性別を変えられる法制度に決まってしばらくすると・・・
性別を変えるのに手術しないといけないのは、肉体の損壊を伴う行為だから人権侵害ですよね?
手術無しでも変えられないとあかん。となった。
戸籍上の性別が女なのに、女子スポーツに出られないのは人権侵害ですよね?
となって、トランスジェンダー女性が、女子スポーツでガンガン、優勝するようになった。
戸籍上の性別が女なのに、女子トイレに入れないのは人権侵害ですよね?
戸籍上の性別が女なのに、女子風呂に入れないのは人権侵害ですよね?
戸籍上の性別が女なのに、女子更衣室に入れないのは人権侵害ですよね?
ねえ、本当に「社会インフラが悪い」なんて言い訳で逃げてるだけじゃない?経済的負担とか難しい言葉並べてるけど、結局は自己管理サボってるだけ。電車やオフィスで「くさい」って周りに鼻をつまませるなんて、人としてどうなの?
まず、汗腺とかホルモンのせいにしないで。確かに体質はあるかもしれないけど、それを公共の場で撒き散らしていい理由にはならないよね。暑い夏なら汗は仕方ないけど、だからこそこまめにケアしようと思わない?リュックやバッグに替えのTシャツ一枚くらい入れとけば、荷物が増えすぎるわけじゃないし。トイレの個室でサッと着替えたって、ほんの1分もかからないでしょ。
「ボディシートも一時的」って言うけど、その間だけでも周りはずいぶん楽になるんだよ。30分おきに拭けば、少なくとも臭いで他人を不快にさせずに済むじゃない。自分の汗を放置して「お前の問題じゃない」って態度は、ちょっと失礼すぎない?
それに、社会インフラの整備を待つより、まずは自分ができることをやるのがマナーってもの。オフィスに更衣室がないなら、みんながトイレで着替えてるんだから恥ずかしがることはないよ。むしろ「ごめんね、ちょっとだけ拝借するね」くらいの一言があれば、周りも協力的になるはず。
公共の場でのマナーって、他人への思いやりの表れだよ。自分の不快感を人に押し付けるのではなく、ちょっとした手間でみんなが気持ちよく過ごせるように配慮する。それができないなら、大人としてちょっとどうかと思うな。
だからお願い、自分の臭いと向き合って。男性も女性も関係なく、体臭ケアは誰にとっても基本のマナーだよ。乗り物でもオフィスでも、一緒に快適な空間を作っていこうね。
お前の「男は着替えを持ち歩け」論、聞いてて腹が立つ。どんだけ世間知らずなんだよ。
まず基本的なことから教えてやる。男の体臭が女より強いのは生物学的事実だ。テストステロンの分泌量、皮脂腺の活動レベル、汗腺の密度。全部男の方が上だ。これは進化の過程で獲得した特徴で、お前がいくら文句言っても変わらない。
そして現実を見ろ。満員電車で替えの服を持ち歩けって、どこに収納するんだ。朝のラッシュ時、カバンひとつ持つのも大変な状況で、着替え一式持参しろって正気か。お前は毎朝ボストンバッグでも背負って通勤してるのか。
さらに着替える場所の問題もある。オフィスに更衣室があるとでも思ってるのか。多くの会社は狭いワンフロアに机が並んでるだけだ。トイレで着替えろって言うのか。不衛生だし、そもそも狭すぎて無理だ。
ボディシートで体を拭けって言うが、あれで根本的解決になると思ってるなら甘い。汗は止まらないし、拭いても30分後にはまた同じ状態だ。化学的な消臭効果も一時的でしかない。
お前が本当に臭いを解決したいなら、社会システムの改善を訴えろ。
企業に更衣室とシャワー設備の設置を義務付けろ。電車の冷房をもっと強くしろ。フレックス制を普及させて、真夏の昼間の移動を避けられるようにしろ。根本的な解決策はそっちの方向だ。
それから、お前の嗅覚が過敏すぎる可能性も考えろ。他人の体臭に「うっ!」とか大げさに反応してる時点で、社会適応能力に問題がある。満員電車は公共交通機関だ。多様な人間が利用する場所で、完璧な無臭状態を期待する方が間違ってる。
最後に言っておくが、お前の提案は経済的負担も無視してる。毎日着替えを持参すれば、洗濯物は倍になる。ボディシートも毎日使えば月数千円かかる。低収入のサラリーマンや学生にとって、これは軽視できない出費だ。