
はてなキーワード:暴力装置とは
中国人民解放軍は、形式上は中華人民共和国の国軍ですが、その実質は中国共産党の指揮下にあり、「党の軍隊」「私兵」とも形容されます。これは、一般的な「国軍は国家に忠誠を誓う」という原則とは異なる、共産主義国家特有の体制です。
この体制が維持される主な理由と背景には、以下のような歴史的・政治的な経緯があります。
中国共産党は、国民党との内戦(国共内戦)を経て政権を奪取しました。この過程で、軍隊(人民解放軍の前身)は党が組織し、革命の勝利のために戦った党の武装力でした。国家の樹立よりも先に、党の軍事力が存在していたのです。
党は軍隊を通じて農民に土地改革などの利益を約束し、支持を得てきました。軍は単なる戦闘部隊ではなく、党の政策を実行し、政治的な影響力を拡大する手段でもありました()。
共産党にとって、軍隊は自らの権力基盤そのものです。軍を国家の統制下に置いてしまうと、党が支配権を失った場合に政権を維持できなくなるリスクがあります。
中国には、「中国共産党中央軍事委員会」と「国家中央軍事委員会」がありますが、その構成員は同一です。これにより、軍は事実上、党の最高指導機関である中央軍事委員会の一元的な指導を受けます。この構造こそが、「党の軍隊」と呼ばれるゆえんです。
マルクス主義やレーニン主義の思想において、革命政党は階級闘争を勝ち抜き、プロレタリアート(労働者階級)の独裁を確立するために、武装力(軍隊)を保持することが不可欠とされてきました。党の軍隊は、この「プロレタリア独裁」を支える暴力装置としての役割を担います。
そりゃ悪でしょ。
まず、「単なるダブスタ」ではなく「差別加害をした上でのダブスタ」なので。差別主義者であり加害者である前提は同じで、そこにダブスタが乗るかどうかの違い。少なくとも後者がマシは絶対に無い。
そして、差別反対の声に助けられている被害者の側からしても後者の方が嫌でしょ。ただ怪人に襲われるより、頼りにしていた仮面ライダーに襲われる方が絶望が深い。仮面ライダーは裏切り者だって風評は、仮面ライダー2号の活動や名誉にもマイナスになる。
その程度の事がなぜ分からんの? 分かった上でレスバに全てを賭けて、差別主義者こそどーなんだ!?って頑張ってるのか? 「リベラルは、保守未満の差別主義者どもと同格、同レベルです。なので団栗の背比べをやっています」という宣伝にしかなっていないのに。
で、そもそも、なんでこんなトンチキなコメントが出せるのかというと、冒頭の「差別加害をした上でのダブスタ」という発想が無いからなんだよね。
仮にリベラルがダブスタだったとして、差別主義者よりはマシだろうが! ダブスタ罪は差別よりも軽いぞ!
そこがおもしろい。
(仮面ライダーという例え話には、ライダーも所詮はショッカーに抵抗してくれる点が短期的に好都合なだけで本質的には得体の知れない暴力装置であり、本郷猛や一文字隼人といった個々人の高潔さとそれへの信頼によってのみ成立しているという含意があります)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20250916/1758034707#bbutton
法華狼の作文の価値って?
出したり引っ込めたりではあるまいね
それにつけても
オマイウノキワミラーテストドウナテンダチラホラチャメシインシデント
https://b.hatena.ne.jp/entry/4776202835993722977/comment/Gl17
◎記事で最初触れるのが「恋愛至上主義の当然視は加害になりかねない」と、
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
傾向に沿った話ダルォとのたまわれましてもェビデンス…?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4776202835993722977/comment/el-condor
視聴者の間口を広く取ることを目的とした商業的理由で、脚本家批判の9割は主張自体失当
おのれらのジャパンの蔑称啼き喚きに同意と称賛あるのはずだって?
ロンクハラライスミエナイキコエナイでなにをぬかしても主張自体失当乙
https://b.hatena.ne.jp/entry/4776202835993722977/comment/zyzy
◎「のいずということばづかいがぁぁぁかがいっていうなぁぁ」が湧いてる辺り、
マジで天皇機関説への噛みつきや自衛隊が暴力装置である指摘へ噛みついてた層と同類なんよね。
男オタはかなり知性に問題があると思われる
寧ろzyzyこそが「価値大暴落やらせはせんぞおおお」であるか!
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1018830
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1020865
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728596812178257764/comment/zyzy
つか知らんかったけどモーニングショーもABCは休止してたんだな、ホントクッソ。
いやおかしいと思ったのよ、放送再開後は夏休み休暇取るつってたパネリストが普通に出てたのよ
じゃあその間何してたんか?ってなる訳で番組表を「東京」にして検索し直したらやってるのよ、ずっとね
ABC許せねえ
ただでさえ平日の朝はモーニングショーって決めてたのに高校野球なんて暴力装置を延々中継するんだもの
マジで停波して欲しい
何で関西だけなんだ
以前慶應が優勝した時も1試合目から放送して欲しかったと苦情が入ったというのに今回もABC独占なんですか?ひっで。
以下ティーバーで見ろ禁止。リアルタイム(実況)で見たいんだよ、何のための地上波なんだ・・・。朝9時から配信デース!じゃねえよ、プリオケやアイプリ見るからな。だから朝8時半からしかありえん
ゴールデンタイムだけリアルタイム出来るのに何で頑なにやらないんだよ、やれよ。毎年関西だけ見たくもない理不尽な暴力装置中継を強いられてる事理解しろ
現代の政治的対立の根源を探ると、「Woke」「アイデンティティ・ポリティクス」といった左派ポピュリズムが社会の分断を深刻化させた側面が浮かび上がります。
一般的にポピュリズムは弱い立場の人々の味方としてエリートや既得権益層に対抗する運動として現れますが、近年注目される「Woke(ウォーク)」に代表される動きは、その人種・性別・性的志向によって既得権益層を一方的に認定し徹底批判する急進性から新たな対立軸を生み出しました。
この動きは、人種やジェンダーなどの問題に対する正義を追求する一方で、その基準に合わない意見を「キャンセルカルチャー」のように排除する傾向を見せました。こうした排他的な姿勢は、自らの正義を絶対視する一種の「集団的利己主義」と見なされ、多くの人々の間に強い反発や嫌悪感を引き起こしました。結果として社会は対話や妥協の余地を失い、感情的な亀裂が深まることになりました。
このような左派の先鋭化に対するカウンターとして、日本では参政党のような右派ポピュリズムが勢力を拡大しました。参政党の躍進は単なる政治不信だけでなく、「左翼ヘゲモニー」とも表現される既存の言論空間やメディア、エリート層への強い反発をエネルギー源にしています。
参政党の思想的特徴は、「反知性主義」あるいは「エリート嫌悪」と評されます。彼らは既存のエリートに代わり「子育て中の母親」や「現場の農家」といった“当事者”の感覚こそ真実であると訴え、多くの共感を呼びました。
この「既存エリート層への不満と憎悪」が過激な変革を求めるエネルギーとなる構図は、ポル・ポト政権を誕生させたカンボジアの状況と不気味なほど酷似しています。
1975年、プノンペン市民は腐敗した旧体制への不満から、解放軍として現れたクメール・ルージュを大いに歓迎しました。しかし、その先に待っていたのは、ポル・ポトという高学歴のエリートが主導する、人類史上最も極端な反知性主義政策でした。通貨や学校、病院は廃止され、「組織(オンカー)」の決定が絶対とされました。これは、民衆が自らの思考や自由を権力者に明け渡した結果であり、その代償はあまりにも大きなものでした。クメール・ルージュの政策は、外国の干渉を排した純粋な農業国家の建設という、一見すると民衆のためであるかのような理想を掲げていました。しかしその実態は、権力者の利己的な支配欲を満たすための暴力装置でした。国民は強制労働、飢餓、虐殺によって、1975年から1979年のわずか4年間で、当時の人口の約4分の1にあたる150万~200万人が命を落としたとされています。
カンボジアの悲劇は、民衆の素朴な不満や正義感が、利己的な指導者によって利用された時、国全体を破滅に導きかねないという歴史的教訓を示しています。
この負の連鎖を断ち切るためには、まず、左派側に内省と自浄作用が求められます。排他的で独善的になりがちな急進的な動きと一線を画し、より幅広い人々との対話を可能にする穏健な路線への自己改革が必要です。
その上で、台頭する右派ポピュリズムや反知性主義に対しては、「参政党の支持者は境界知能」などの差別的で感情的なレッテル貼りで応酬するのではなく、データやファクトに基づいた冷静なアプローチが不可欠です。しかし、現代はAIによって精巧なフェイク情報が容易に生成され、陰謀論が拡散しやすい「ポスト・トゥルース時代」でもあります。そのため、単にデータを提示するだけでなく、そのデータが信頼できるものであることを示し、対立する相手とも共有できる客観的な土台を粘り強く構築していく努力が求められます。
健全な民主主義は、多様な意見の衝突の中から、熟議を通じて合意を見出すプロセスそのものです。左派ポピュリズムの独善性を乗り越え、データという共通言語を用いて反知性主義と向き合うこと。それこそが、分断の連鎖を断ち切り、社会を破滅的な結末から守るための唯一の道筋ではないでしょうか。
「民主主義は多数決である。よって、少数民族を皆殺しにして財産を没収する法案は多数民族が多数を占める議会で、賛成多数で可決されました」
……のようなことはあってはならない。だが、残念ながらこのような政治が行われた例は多数ある。
(暴力装置をもった政権が実際にこのようなことをした時に現実的にどこまで阻止できるか、というのは難しい問題である。
だがそれとは別に、『少なくとも理念としては、あってはならないことだ』という点は強調しておく)
そのような事態を防ぐために憲法が制定され(厳密な成文憲法を持たない英国のような国もあるが)、
『犯罪に対する刑罰を含め、法律によって国民の権利を制限する際はこのような手続きを踏まなければならない。
また、このようなことをしてはならない』ということが定められているわけである。
1つは、『多数決民主主義』と呼ばれるもので、『手続きに沿って皆が意見を出し合った上で(ここ重要)、最も良い意見を選ぶためにある』というものだ。
民主主義は多数決ではないとは書いたが、実際には多数決を行わざるを得ない状況があることは否定できない。
ただし、『何でもかんでも多数決で決める、それ“だけ”が民主主義』ではない、というのが表題の意味だ。
もう1つは、『熟議民主主義(または討議民主主義)』と呼ばれるもので、
『世の中にA,B,C,Dの意見を持つ人がいるとき、その代表者たちが議会で熟議を重ね、皆が納得するEという結論を出すために議会はある』というものだ。
この2つの考えはどちらが正しいというものではない。議題によって多数決よりになることもあれば熟議よりになることもあるが、2つともが議会の役割である。
多少の誇張を含めて言うのであれば。杉田水脈は『ホモフォビアの人の代表』である。
現在の世の中には、ホモフォビアが存在する。それは自明の事実だ。
そのような『ホモフォビアの人の意見を、メディアでは取り上げません』というのはできるかもしれないし、
『ホモフォビア的な内容を掲示板やSNSに書き込むことを禁止し、削除させます』というのも、もしかしたら将来は何とか可能になるかもしれない。
だが、『選挙の立候補者が政見放送や選挙公報でホモフォビア的な主張をすることを禁止します』というのは政治的に困難だ。
それを可能にすると、次は反安倍政権的な内容が規制されるかもしれないし、逆に反移民の主張が禁止されるかもしれない。
ましてや、『あなたはレイシストだから選挙権も剥奪します。投票できません』などということは二重の意味で絶対にするべきではない
─1つには人の内面を、言動に現れていない部分まで正確に読み取る技術は存在していないし、2つ目にはアウシュビッツ博物館の”差別心を持たない人の扉”が示すように、差別心の無い人はおそらく存在しないからだ─。
だからこそ、ホモフォビアの人の代表として『俺たちの杉田水脈』が議席を持っている。
同時に、杉田水脈が議席を持って活動しているにも関わらず『俺たちの杉田水脈の主張するホモフォビア政策は議会で通らなかった』という事実こそが、
『我が国にもホモフォビアはいますが、そのような政策は実現されません』という何よりの証明になる。
『そうではない。市民の代表がホモフォビア的な主張をすること自体が、同性愛者に対する圧力になるからそのような主張をさせるべきではないし、そのような人を議会に送るべきではない』
という考えの人もいるかもしれない。だが、そのような“政治的に正しくない”意見を遠ざけていった結果がトランプ現象を生んだという事実を我々、特に“リベラル”な人たちはきちんと受け止めなければならないのではないか。
なるほど。以下ChatGPT`にお伺い立ててみた。はてな記法もある程度習得してるんだね。
はじめに
民主主義の崩壊は「外部からの破壊」ではなく「内部からの劣化」が主流
フォーマルな制度が維持されつつも、実質が失われる「偽装民主主義」も増加
国名 特徴
国名 原因
国名 背景
政治的混乱が長引くと「安定」や「秩序」の名の下で軍が介入
民主制度は表面的に存在しているが、実質的な権力分立や市民参加が機能不全
分極化意見の違いが「敵」と見なされる
民主主義の崩壊は「選挙」や「法」によって合法的に進むこともある
対抗するには:
法の支配の徹底