
はてなキーワード:暴力的とは
「令和ナイズされたプロゴルファー猿」と言えばそれまでだけど、王道で面白いわ。
絵柄が綺麗で見やすいのが嬉しい。
話作りやゴルフ要素も土台がしっかりしている。
「骨が太い」というのは本来こういう時に使う言葉なんじゃないだろうか。
あとキャラ造形もいいよね。
オッサンが鼻の下伸ばしながら応援したくなるいいキャラ作りだと思う。
昭和の漫画にあるような汚らしい野生児キャラよりもこういったキャラの方が読んでいて疲れないね。
言葉遣いも丁寧というか、全体に余計な悪意ややっかみがないのもいい。
ゴルフ漫画なんかは作者の薄汚れた品性から滲み出る下劣な嫉妬や蔑みが飛び交うものだがそれが嘘のようにない。
離島が舞台の作品にありがちな暴力的な言葉遣いなんかもなくて非常に穏やかだ。
凄く読みやすい。
洗練されている。
父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。
私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。
父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたことを武勇伝としてずっと話していた。
小中学生のスポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベルの体罰の話も自慢げにしていた。
父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。
私は幼少期から父から殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手をねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。
それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんのドラマも流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。
漫画やドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子に暴力をふるおうとは思わず、男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。
取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。
父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。
休み時間や放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚でケンカして遊んでいた。
ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構なクリーンヒットだった気がする。
特に気にせず他の男子とさらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。
いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。
担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると
「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。
それから校長室に呼ばれ校長に事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。
翌日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。
私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、
大けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、
担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。
手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。
怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。
数日後、男女数人で公園で鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。
1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。
危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなたの暴力性は信じられない!あなたはおかしい!女の子にも乱暴する気!?
みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。
私は知らない人だったけどたぶん同級生の母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。
取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。
危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。
今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。
どう考えてもあの頃の私はおかしかった。
それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段の生活では大人しくなった)
腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。
子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。
小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。
制服のスカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガの世界にしかいなかった。
中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。
穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部や帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。
父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。
「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」
「1人だけグラウンドを20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブの練習に行きたくないと言っている」
知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。
父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。
鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。
偶然小学校の同級生の男子と会社で同期となったので、2人で飲みに行った。
当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。
私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。
それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。
何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。
「俺も暴れる問題児だったからお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。
同期は父の教えていたスポーツチームにも所属しシバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもだから……」と言われた。
私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。
父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。
誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。
でも改めて考えると相手が自分より弱いとこんなに態度が分かる自分に気が付いて、ちょっと恐ろしくなった。
大人と子供のように力の差がある相手に対して、生殺与奪の権を自分が握れると思うと、人間はかなり暴力的になるし、感情が高ぶれば実行に移してもおかしくない。
世の中の衝動的な暴力事件の中には自分が相手より圧倒的に優位な立場にあるゆえの傲慢さがアクセルになってしまったことが沢山あるんだろうな
https://cara.app/zootopia2es/all
https://cara.app/verzootopia2/all
https://cara.app/nurembergespana/all
https://cara.app/verjujutsu/all
https://cara.app/fivenights2/all
腕力では絶対に負けないし、非も完全に向こうにある。しょっちゅう鉢合わせしそうな最寄り駅で自分よりはるかに強そうな存在に喧嘩を売るなんて「いい度胸だな」と。
私が恨みを抱いて後日何かいやがらせをするかもしれないし、短気な人なら今この場で怒りだしてもおかしくない。実はこの日以外にも彼女が他の人に同じような場面で暴言を吐くのを何回か見かけたことがあるので、前から危ないなとは思っていた。
彼女に対するいら立ちはもちろんあるのだが、基本的には喧嘩したら圧倒的に不利な体形である小柄な女として生きてきたので、自分が絶対に負けない相手からの暴言というのは新鮮だった。
これが男相手なら多少小柄な男だとしても、怒りより先に恐怖を覚えただろう。こんな理不尽なことを言ってくる暴力的なバカに目を付けられたくない、という気持ちになっただろう。でも彼女に恨まれたとしても脅威は何もない。
大半の男性は女性に対してこんな気持ちなのだろうかと想像したりもした。
https://pont.co/u/adilefilmizle
https://artistlinkplus.com/listing/adile-izle-2025-turkce-dublaj-altyazili-tek-parca-full-hd-izle/
https://superprofile.bio/adilefilmizle
https://avatar3atesvekulfilminiturke.readme.io/reference/new-endpoint
今朝、電車に乗ろうとしたら改札のところでお見合い状態になってしまい、一瞬戸惑う場面があった。先を譲ってすぐ通れたのだが、その時に相手の人から「どけよグズ」と小声で罵られた。
誓って私に非がある状況ではない。完全にお互い様のよくあることだ。単に自分が不快だったからこちらに暴言を吐いたのだろう。
私は155㎝の女で相手は130㎝くらいの女で多分外見的にはなんらかの障害があるようだった。知的にも低そうだし力も弱そうだった。
そんな彼女に完全に理不尽な暴言を吐かれた私は「いい度胸だな」と思った。
腕力では絶対に負けないし、非も完全に向こうにある。しょっちゅう鉢合わせしそうな最寄り駅で自分よりはるかに強そうな存在に喧嘩を売るなんて「いい度胸だな」と。
私が恨みを抱いて後日何かいやがらせをするかもしれないし、短気な人なら今この場で怒りだしてもおかしくない。実はこの日以外にも彼女が他の人に同じような場面で暴言を吐くのを何回か見かけたことがあるので、前から危ないなとは思っていた。
彼女に対するいら立ちはもちろんあるのだが、基本的には喧嘩したら圧倒的に不利な体形である小柄な女として生きてきたので、自分が絶対に負けない相手からの暴言というのは新鮮だった。
これが男相手なら多少小柄な男だとしても、怒りより先に恐怖を覚えただろう。こんな理不尽なことを言ってくる暴力的なバカに目を付けられたくない、という気持ちになっただろう。でも彼女に恨まれたとしても脅威は何もない。
大半の男性は女性に対してこんな気持ちなのだろうかと想像したりもした。
正直言うと「私がここでお前に何もしないのをありがたく思えよ」と思った。突然の理不尽な暴言に内心はかなり不快だったからだ。
でも改めて考えると相手が自分より弱いとこんなに態度が分かる自分に気が付いて、ちょっと恐ろしくなった。
大人と子供のように力の差がある相手に対して、生殺与奪の権を自分が握れると思うと、人間はかなり暴力的になるし、感情が高ぶれば実行に移してもおかしくない。
世の中の衝動的な暴力事件の中には自分が相手より圧倒的に優位な立場にあるゆえの傲慢さがアクセルになってしまったことが沢山あるんだろうな
カトリーヌ・ド・メディチ(Catherine de’ Medici)の結婚によって権力を手にする過程は、16世紀のフランス政治における非常に重要な出来事です。彼女の結婚は、単なる王室の同盟にとどまらず、彼女がフランスの実質的な支配者として台頭する基盤を築くことになりました。以下に、その過程を詳しく説明します。
カトリーヌ・ド・メディチは、イタリアのフィレンツェにある名門メディチ家の出身で、家族は銀行業を通じて大きな富と政治的影響力を持っていました。彼女は1519年にフランス王シャルル8世の後継者であるフランソワ1世の姉妹であるシャルロット・ド・メディチの娘として生まれましたが、メディチ家が権力を握る前、彼女自身は王室の関係者としては控えめな立場でした。
カトリーヌが結婚した時期は、フランス王室の後継者問題が複雑化していた時期でした。フランス王シャルル8世の死後、カトリーヌの未来を決定づける出来事が起こります。
カトリーヌ・ド・メディチの結婚は、フランス王室とメディチ家をつなげるために行われました。この結婚の主な目的は、フランスとイタリアの強力な家系を結びつけ、フランス王国の政治的な安定と国際的な力を強化することでした。
カトリーヌは、シャルル8世(フランス王)との結婚が決まり、1533年、14歳でフランス王シャルル8世の妻となりました。この時、シャルル8世はすでに王として即位しており、カトリーヌはフランス王妃としての地位を得ました。
しかし、彼女の結婚後の状況は非常に厳しく、シャルル8世は健康が悪く、早くに亡くなります。シャルル8世が死去した後、カトリーヌの最初の夫は亡くなり、彼女は寡婦となりました。
シャルル8世の死後、フランス王国は政治的混乱に見舞われますが、フランソワ1世が王位に就きます。フランソワ1世は当初は未成年であり、カトリーヌはその摂政として非常に重要な役割を果たしました。
カトリーヌの実質的な権力が確立されるのは、フランソワ1世が成人し、彼が成人した時点で、カトリーヌは政務を取り仕切る存在となりました。フランソワ1世は、若い王として政治に関与することが難しく、カトリーヌはその代わりに、実際の権力を握ることとなります。
フランソワ1世は非常に戦争好きで、特にイタリアの戦争に関心を持っていました。彼は神聖ローマ帝国やスペイン王国との戦争を繰り広げましたが、その影響力を強化するために、カトリーヌは外交面でも重要な役割を果たしました。
カトリーヌはフランソワ1世の外交戦略をサポートし、時には彼の代理として交渉を行うこともありました。フランソワ1世とカトリーヌの間にあった強い信頼関係が、彼女の政治的立場を強固にした要因です。
カトリーヌとフランソワ1世の間には、シャルル9世(後のフランス王)やアンリ3世(後のフランス王)を含む多くの子どもが生まれました。特に、シャルル9世の即位はカトリーヌにとって重要な転機となります。
シャルル9世が王位に即位すると、まだ若いため、カトリーヌは摂政として実権を握り、フランスの政治を支配しました。この時、カトリーヌは国の方針を決定し、時には権力闘争や宗教的な対立に関与しました。
カトリーヌ・ド・メディチが権力を持つ時期は、フランスにとって非常に混乱した時期でした。フランスでは、カトリックとプロテスタント(ユグノー)との間で宗教戦争が勃発しており、この戦争はカトリーヌにとって重要な政治的課題となりました。
カトリーヌ・ド・メディチは、ユグノー戦争の最中にあったサン・バルテルミの虐殺(1572年)という事件で非常に悪名高くなりました。これは、カトリック側によるユグノー(プロテスタント)への集中的な攻撃で、数千人のユグノーが殺害されました。
カトリーヌの役割については議論がありますが、一般的に彼女がユグノー側のリーダーを一掃し、フランス王国のカトリック支配を確立するために関与したとされています。この事件は、彼女が権力を強化するために極端な手段を取った例として、歴史に刻まれています。
カトリーヌ・ド・メディチは、その後もフランス王国の政治に深く関与し、息子たちが王位を継いだ後もその影響力を持ち続けました。彼女は、複雑な宗教戦争や国内の政治的対立を調整しながら、実質的にフランスを支配していたのです。
カトリーヌは、1589年に亡くなりますが、その死後もメディチ家はフランス王室に深い影響を及ぼし続けました。
カトリーヌ・ド・メディチは、フランス王室の後継者として権力を握ることができたのは、彼女の計算高い政治的手腕と、結婚を通じて結びつけた強力な家系(メディチ家)のおかげです。彼女はフランス王国の中で実質的な支配者として君臨し、国際的な戦争や国内の宗教戦争において重要な役割を果たしました。その権力の確立は、時に暴力的な手段を伴いましたが、フランス王国の政治における女性の権力者として、その影響力は非常に大きかったと言えます。
これに言及する。
https://qiita.com/jesus_isao/items/29b878e137f46c675d89
これに言及するにあたり匿名でしか発信できない私の弱さを許してほしい。
元の記事はおそらく組織におけるマネージャーであろう筆者が、過去に発生した、文化背景思考全てが組織にミスマッチであった人間を、人間と似て非なる存在であるチンパンジーに例えて、どのようにマネジメントするかについて考察し、それがどれだけ難しい事かを表現した良い記事であった。
私はこの記事にとても感銘を受けたのだが、Xでの炎上の後、投稿を実質的に削除してしまった。
以上概要。
私はチンパンジー代表として、そして貴様ら人間がチンパンジーと罵る存在に相対してきたマネージャーの一人として、元記事筆者に敬意を表し、補足する投稿をする。
お前なんてサバンナのチンパンジーの群れに放り投げられれば、途端に役立たずだよ。
パソコンが使えてコードがかけても生きていけない、群れのお荷物よ。
お前が組織や社会でやっていけるのは、属する群れと時代が偶然お前にとって都合がよかっただけという事を忘れるな。
もうちょい具体的に言うなら、会社が買収されたりして自分の組織が土台から吹き飛んだ状況を想像しろ。
そこでお前が活躍できるような優位性を持っていなかったら?
違う倫理観の人たちばかりだったら? 違う言語を話す人ばかりだったら?
お前は霊長類のどれになるんだろうね。
ここからは真面目に書く。
彼らは暴力が無ければ生きていけない世界の住人であったり、その暴力程度では群れの中で傷つく者はいないような群れの住人。
あるいはその暴力を暴力として認識していない存在かもしれない。
殆どの場合、殆どの人は幸せを求めていると思っている。彼らもまたそうであり、自分の振る舞いで周りを困らせ自分が不幸になることを望んではいない。
元記事のチンパンジーだって、本当はサバンナの群れで生きていたかっただろうに。
組織に迎え入れたときは元気に働いていたが、本人あるいは本人の家族などが重篤な怪我を負ってしまい、今まで通りに働くことが難しくなった存在。
怪我というのはメタファーであり、実際には肉体的な損傷よりも、精神的な損傷のほうが今の世の中では一般的かもしれない。あるいは、家族の介護とか。
彼らの問題を解決することは容易ではない。彼らは生活するための報酬を必要とするが、何の怪我も負っていない人と同じパフォーマンスを出すことができない。
本人たちがどれだけ活躍を渇望していても、だ。
彼らには悪意や罪はないし、話も通じる。でもあなたが怪我を負っていない幸せな存在である場合、根っこの部分では分かり合えない可能性がある。
彼らを活躍させて収益につながる活動をさせなさいと言われたあなたはどうする?
少しずつ出来ることからやっていきましょう。それしかないんだろうけど。
世の中はわかりやすい暴力ばかりではない。沈黙という暴力をふるう存在もある。
度々遅刻する、謝罪はする。仕事はうまくできない、謝罪はする。指摘するが理解してくれない。泣いたり笑ったりもしてくれないから、何を考えているかわからない。
分かりやすく激昂して周りに危害を加えはしないが、存在し振る舞うだけで周りにストレスを与える。これもまた暴力の一つかもしれない。
どのような扱いをすればいいかのヒントを一切与えてくれない存在もまた、実質的に会話不能な存在として扱いに困るだろう。
彼らもまた、望んで沈黙しているわけではない。彼らもまた、人間になり切れないことに悩んでいたりする。
お互い素直に喋れるといいよね。
ただ根っこの部分では他人と分かり合えないものを持っていたり、倫理観の違いが表面化していないだけで、実は周りとは価値観が違う人。
予期しないところで迷惑な行動をとり、周りを困らせてしまう。でも、本人は本人なりの正義や必要性で行動したつもりである。
元記事の筆者も、言い換えればこのチンパンジーである。彼にとってはあのような記事を世に出すことは、彼の倫理に抵触しなかった。
そもそも人には、チンパンジーを含め人間以外の霊長類。豚、蛆虫、ばい菌などを、蔑称として用いている愚かさがある。
生存戦略が異なるが故に高い知能を持つことなく発達した他の生命体を下等な存在とみなし、その生物を用いた例えに侮蔑的意味を付与している。
大体なんだよ霊長類って。自分たちの存在を勝手に生物最上級として捉えやがって。しかも霊長類の中でもさらに Tier 分けして差別してやがる。
元記事のチンパンジーという表現は、単に言語が通じず価値観の異なるマネジメント難易度の高い人材のメタファーとして解釈することもでき、その名称に侮蔑的意味を見出しているのは、お前の矮小で傲慢な差別意識から来るものではないか?
まあ元記事筆者でさえ人間以外を下等とみなしている可能性は、文脈からは否定できないけどさ。
まあ、もしもチンパンジーに差別的意味が含まれていたのなら、同僚(あるいは同僚だった人たち)をチンパンジー呼ばわりするのはちょっと酷いのかもしれない。
でも、もうちょい中身を見てもいいんじゃないの?
わかりました。では「日本でインド系(南アジア系)として生まれた場合」に想定される生活体験や社会体験を整理します。黒人や白人と比べながら具体的に見ます。
インド系・南アジア系は、日本では肌の色がやや濃く、顔立ちも日本人とは明らかに異なるため「外国人」として見られやすい。
差別や偏見の度合いは黒人よりはやや軽い場合が多いですが、白人ほど優遇されることは少ない。
「頭が良い」「ITや理系に強い」というポジティブなステレオタイプを持たれることもある一方で、「少し怖い」「怖そう」と思われるネガティブステレオタイプも存在する。
小中学校
日本人の同級生からは「外国人扱い」されやすく、からかいや言葉の暴力を受けることはありうる。
肌が黒めでなければ、黒人ほどの激しい暴力や排除は少ないことが多い。
学習面では「賢そう」というポジティブな偏見で評価されることもある。
アカデミックな場面で評価されやすい傾向があり、進学指導や教師からの期待は白人や黒人に比べて比較的中立〜好意的。
部活動や趣味の場では、日本人と同様に友人関係を築けることも多い。
IT・理系・金融などの専門職では、インド系出身者が多く、職場での受け入れられやすさは比較的高い。
一方で営業・接客・アナウンサー・メディアなど「顔や印象を重視する職業」では、白人ハーフほど優遇されることは少なく、肌の色や顔立ちで警戒されることもある。
日常生活では、肌の色やインド系の外見で注目されることはあるが、黒人ほど強い偏見や嫌悪を受けることは少ない。
4.日常生活
街中で外国人として目立つことはある。特に地方では珍しさから注目されやすい。
スーパーや公共機関で無視されたり、声をかけられなかったりすることは稀だがゼロではない。
外食店や賃貸などで「外国人だから断られる」という経験は黒人よりは少ないが、報告されることはある。
5.心理的側面
黒人に比べると自己肯定感を大きく損なうような差別体験は少ないことが多い。
一方で「外国人扱い」される経験は積み重なると心理的ストレスになる可能性がある。
まとめ
職業・学校・日常生活で「外国人扱い」を受けることはあるが、環境や地域差が大きい。
🟥 第4章:広告の“現場”へ —— タタルスキー、映像制作の狂気に触れる
⸻
第4章は、タタルスキーが
コピーの文章だけでなく、“映像広告そのもの”が動く現場に初めて立ち会う章 です。
・金
・暴力の影
・外国資本
によって動いていることが、タタルスキーに生々しく突きつけられます。
タタルスキーの“広告魔術師”としての進化は、ここから一気に加速します。
⸻
これはペレーヴィンが何度も描く、
⸻
指示は簡単。
30分で。」
タタルスキーは驚く。
映像制作の準備すら終わっていない段階で、すでに撮影を始めなければならないのだ。
この業界では
すべてが“同時進行”で、異常なテンションで動いている。
⸻
タタルスキーは急遽、
• 古びた倉庫が“アメリカ風のキッチンセット”に改造されている
•スタッフはロシア語・英語が交じった奇妙なクレオール語を喋る
タタルスキーは完全に圧倒される。
⸻
現実の事実よりも、カメラで撮られる“見え方”の方が絶対に優先される という点。
例えば:
•モデルは疲れているが、ライトの下では“幸せそう”に笑わされる
•食品サンプルは実物より綺麗な偽造品
タタルスキーは息を呑む。
ここで彼の中で、
⸻
撮影が進む中で、
ことを把握している。
監督は理解不能だが、ディレクターやロシア側のスタッフは納得する。
きわめて重要な萌芽。
⸻
•外国資本の横暴
⸻
◆ 7.撮影終了後の“陶酔”
長い撮影が終わった後、
ディレクターたちは酒とドラッグを混ぜたようなテンションで盛り上がる。
「人は商品を買うのではなく、
この思想が、後に政治的“国家イメージ”へと発展していくことになる。
⸻
◆ 8. タタルスキーの内的変化
•映像は嘘だが、人はそれを本当だと思う
彼はふと怖くなるが、同時に強烈な興奮にも包まれる。
ここでタタルスキーは
⸻
◆ 第4章まとめ(象徴的整理)
要素 内容
物語的役割 タタルスキーが“現実操作の側”に立つ最初の本格段階
第4章は、
広告世界の“暴力性・儀式性・魔術性”をタタルスキーが直接体験し、
彼の変身プロセスが不可逆になる章
といえます。
自分自身をアーティストとか表現者を肩書きにしてる人たちほど、左で理想主義でその上自分たちを利口だと思っていて、それ以外をバカだと思っていて、単純な労働者や社会の大多数の歯車となってバランスや快適さを保持しようとしてる人をバカにして、自分たちはみんなが知らないことや崇高なことを教えてあげよう気づかせてあげよう、なぜなら自分たちが平和主義者で理想論者だからと施しを与えられると思ってる。
海の向こうのや自分と関わりのない弱者に思いを寄せて、近しい人の中のごくわずかなnだけで、あたかもそれが全てだと言わんばかりの主張をして、崇高な理想論を押し付ける、そしてそのすべてが暴力的。
人間の性善説やおとぎ話のような平和は、そこにいるだけで叶うと思ってる。
だから嫌い。
彼らって基本的に世間から見れば少数派(マイノリティ)のくせして、自分たちの主張を通すためなら暴力的活動も辞さないし、そうやって民衆に恐怖を植え付けて無理やり言うことを聞かせようとしてるよね。口では「平和」とか「多様性」とか綺麗な言葉を並べてるけど、やってることは異論を許さない全体主義そのもの。どう考えてもファシズムの手口だわ。
あいつらの界隈って、本当に様々な意見が出ることがない。「多様性」を謳ってるわりに、自分たちの教義に反する意見は1ミリも認めないからね。一度「こいつは敵だ」ってターゲット認定したら、即座に「差別者」「レイシスト」「独裁者」っていうレッテルを貼りまくって、集団で社会的に抹殺しようとする。議論で勝とうとするんじゃなくて、人格否定とキャンセルカルチャーで相手の存在ごと消そうとするやり方が陰湿すぎる。
最近だと、斉藤元彦さんに対する異常なほどの叩き方だったり、河合ゆうすけさんみたいな既存の枠に収まらない人間が標的になってるよね。彼らの気に入る「型」にはまらない人間、自分たちの既得権益や思想的聖域を脅かす人間に対しては、常軌を逸した攻撃性を発揮する。
結局、極端な正義感を振りかざして、自分たち以外の正義を暴力的に排除しようとしてる時点で、彼らが一番嫌っていたはずの「独裁的で排外的な右翼」と瓜二つになってるってことに、いつになったら気づくんだろうな。
いうて世界中にある種の暴力的な衝動を発散するための祭りがあるんやから社会安定のために必要な一種の装置ではあるんやろ。
ワイもそういう祭りには一生近づきたくないと思ってるけど、そうすることが一種の社会のガス抜きになってる部分はあるんやろうし、外にその文化を持ち出しさえせずに狭い界隈だけで共有しといてくれるんやったら外野からやいのいやいの言うほどのことでもないと思うわ。
もろちん興行として危険と判断されたらやれんようになるだけ。実際にほとんどのライブハウスではモッシュが禁止されてるしそれ無視してモッシュやって出禁になってるバンドもけっこうある。逆にそれを許容してるってことはその文化を許容するだけの歴史や人がそこにあるってことや。
まぁ実際行ってみたら楽しいかもしれんしな。民俗学に興味を持ってから自分が理解できない文化だからって頭から否定するのはたぶん誠実な態度じゃないって思うようになったかな。
けっこうバズっていたのでわかる人にはわかると思うが、手すりを飛び越えた拍子に、向こう側にいた観客に見事なまでの飛び蹴りを食らわせていたやつだ。
自分自身も不定期でライブを見に行くことはあるものの、モッシュやダイブをやるようなジャンルではないので、こういった文化には馴染みがない。
言葉を選ばずに言うなら、単に暴れて鬱憤を晴らしたい(そうすることでしか鬱憤を晴らせない)低能たちの集合体にしか見えなかった。一口に音楽と言ってもジャンルは多様だし、オーディエンスたちの楽しみ方も色々あるだろうとは思うけれど、暴力はいかんだろ暴力は。
擁護派の声としては、「俺たちは内輪で楽しんでるだけ」的な意見が多いのだが、さすがにあの調子では死傷者が出ないはずがない。あんな派手な跳び蹴りを食らった日には、何かしら深刻な後遺症を負う可能性もゼロではない。果たしてそうなった時に、本当に一切の後悔無しで今後の人生を生きられるものだろうか?
現場に行ったこともないやつが批判するなという声もあるが、あんな危険極まりない現場に誰が行こうと思うだろうか?戦争の前線に立ったこともないやつが戦争を批判するなというようなものだし、この論法は卑怯ではないかと思う。
なにより、暴力的な形態を伴うことでしかエンタメを提供できないというのは、興行として二流以下じゃないのか?そんなジャンルに流入してくる新規層の数なんて限られているし、ましてやファン層の中ですら流血沙汰を繰り返しているのだから、後に待っているのは先細りだけではなかろうか。
たぶん彼らは嘘偽りなしで、本当にあの現場を楽しんでいるんだろう。しかし個人的な感覚として、他人を怪我させるのも自分が怪我するのも、まったく楽しいとは思えない。自分が怪我しているだけならまだしも、相手を怪我させてしまった日には責任問題である。
(こんな野蛮な文化は駆逐してしまえ!と言いたいわけではない。印象としては最悪だが、おそらくは今後一生接点を持たないであろうジャンルだし、仲間内でやってる分にはどうでもいい。ただ単に、理解できない人種の集まりだなぁと感じた。)
Xでまーーーーーーた非モテ界隈が騒いでるよ
日本の女は遺伝子レベルで凶暴な女が好き、俺がモテないのは優しい男だから、日本の女は誠実な男に見向きもしない、俺は悪くない
もうn回目だけどチー牛非モテ陰キャ君のこの認知の歪みはどうにかならないもんかね?
優しくて誠実な男のほうが暴力的な男よりモテるに決まってるじゃん
ただしここでいう優しいってのは「気配り上手で小さな変化にもよく気がつき相手の気持ちを察するのが上手なスマートな男」のことな?
チー牛非モテ陰キャ君のように「単に大人しいだけのくせにプライドばかり高くて周囲を見下し自分を卑下するフリをしてXでは暴言ばかり巻き散らかす男」のことではないんだわ
一歩街に出てみればわかることじゃん
凶暴そうなガラの悪い男の連れている女は頭の悪そうな女ばかりでしょ?
普通の大多数のカップルは男も女も清潔感があって双方優しそうな見た目をしてるじゃん
繰り返しになるけどチー牛非モテ陰キャって認知の歪みがえげつないんだよな
普通に清潔感あって優しそうな見た目の男のことを「暴力的な男」だと思い込んている節がある
もっと言えば、自分のようなチー牛フェイスの陰キャ以外全員暴力的な男だと思っている
こういう認知の歪みが形成されたのは十中八九社会性のなさに由来しているんだろうね
単に自分の社会性が終わってるから周りから嫌われていたってだけの話なのに世の中の大多数の男を全部敵だと思い込んで暴力的だと認定している
何度でもいう
世の中ね、社会性のない人間のことを優しい人間だとは言わないんだよ
いい加減その認知の歪みは治しなね〜?
平山夢明が「人間は他人に対して甘いと思ったときに驚くほど簡単に暴力的になる」みたいなことを言ってたことを思い出した
自分が頑張らないと母親が責められる状況で危機感や自己否定感を原動力に頑張って能力や年収を高めてきた増田さんだから夫に対しても「もっとがんばれる」と思ってイライラしてしまうのはカルマだろうね
頭が悪い人ほど犯罪を起こしやすい、っていうのに頭が悪い人ほど言葉で解決するのが苦手でどうすればいいか頭の中でパンクして暴力的手段に訴えてしまうということがあるんだろうね。
詰め寄られたときどうすればいいかわからくて逆切れしちゃうとかね。
自分も実体験で実感あるからわかるんだけどそこで思うことがあって、動物っていうのは人間でいえば知的障害以下の知能しかないわけじゃん?
するとあいつらって常に怒ってるってことはないのかね?少なくとも例えば獲物を狩るということも暴力行為には違いないわけだけども、狩りしてるときの心の状態って怒りの状態と区別されてるのかね?
最近日本で罠にかかったシカを食べる熊が出てきてるそうだが、あれって狩りなのか怒れる熊なのかわからん。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251119155243# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaR1pPAAKCRBwMdsubs4+SHq6APwKJx2zGgzu4f5/zpeRRvOLRketNH5kIP4tHS+369kMUQD8DYlVB3Cmt4c7kJsuIrLMxWMcK3dmcV+lD908Gj/79Q4==/UOw-----ENDPGP SIGNATURE-----