Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「暮らし」を含む日記RSS

はてなキーワード:暮らしとは

次の25件>

2025-10-27

同棲彼氏、健やかに寝る

今日家出る前からセックス約束を取り付けて

とんでもなく我慢して今ここに至るんだけど

彼氏、寝た

30分後起こしてと言い残して

かれこれともに暮らし半年、そろそろ知っている

こいつは起きない

でも寝顔がとても可愛い

同じ布団で寝息を聞きつつムラつくのもまた一興

彼氏よ、健やかに眠れ

いずれ夫となり、子とともにその健やかな寝息を聞かせておくれ

Permalink |記事への反応(2) | 22:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251027131946

「まともな暮らし」のレベルなんかお前次第だと言われとるんやで

飯食えて風呂があってスマホで遊べてなんか昭和に比べたら死ぬほど贅沢だけどだからどうだとお前は言うだろ

Permalink |記事への反応(0) | 21:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

言ってみたいセリフ

寮生活には慣れた?」

俺は寮生活というものに憧れがある

一方で、全然馴染めなくて無理かもという恐怖もある

寮生活に慣れたか聞いてくるのは、寮生活に慣れている先輩だ

このセリフを口にできたとき、俺は寮生活に慣れた、余裕のある先輩になってるってこと

「つまんねー依頼ばっかだなあ!」

ギルド掲示板を見て、冒険者が口にするセリフ

これを言ってるってことは、俺は冒険者だってこと

しかも、それなりに経験を積んだ冒険者

冒険者にはモチロン憧れている 冒険者になりたい

このセリフを口にしている時点で、もう勝ちだ

ただ、つまんねー依頼をないがしろにするのは死亡フラグに他ならないので、グチグチ言いながら余った(新人が取らなかった)依頼を受けるようにしたい

「これ、おかわりもらえますか」

まれてこの方、家での食事以外でおかわりができたためしがない

本当にうまいメチャクチャ好きだ!と思った料理があって、まだ食える状態でも、恥じらい・自意識邪魔をしておかわりができない

飯を出してくれている人にたいし、面と向かっておかわりを要求できる

そういう人になりたいんだよな

「うわ…すげえ雪」

南国生まれ・南国暮らしで、雪に憧れがある

雪はときどき降るけど、すげえ雪ってほどの雪は降らない

頭に「うわ」がつくってことは、たとえば朝起きてカーテンを開けたとか、そういうタイミング 雪の具合を知らずに外を見て、驚いたって要素がある

俺は、雪に驚きたいです

陛下が探してましたよ」

このセリフ示唆するのは、俺が王宮の、それなりのポジションにいるということ

また、陛下なのに人を探してて、そのことを配下カジュアルに話してるってことは、風通しがいい職場ってことだ

あるいは「陛下」は象徴から全然権力はなかったり、もはやただのあだ名だったりする

11人いる!で、閉鎖空間にいる宇宙船搭乗員のひとりが王さまと気軽に呼ばれているのが好きだった

そんな感じで、なんらかの血筋があったりする人を、親しみを込めて陛下と呼んでるんだとしてもアツい

「そこで止まってもらえるか」

こんな物言いをするのは、ポストアポカリプスとかそういう、荒んだ世界人間だけだ

「止まってもらえる?」は、普通に車を運転してる友達かにいかねない

「止まってもらえますか」なんて、もしかしたらすでにタクシーなんかで言ったことがあるかも

「もらえるか」という語尾は、じつは普通に生きてたら一度も口に出さなものだと思う

ポストアポカリプス世界で、治安が激悪なので、俺の本質は善人なんだけど、警戒を怠ることができなくなってしまった

また、語尾なんかにちょっとした荒さを出して、牽制しないといけなくなってしまった

そういう背景があって、コロニーに近づいてきた主人公に向かって、銃を向けながら「そこで止まってもらえるか」と言うことになる

そういう人物は大抵、結局優しい

「まずいな……伏せて」

やべえバケモノ徘徊していることにいち早く気づいた、あるいは、空爆なんかが始まることにいち早く気づいた

そういうところで、頼れる先輩が口にする言葉

普段のんびり飄々としてるんだけど、この時ばかりは険しい顔

そういう人になりたいんだよな

「あ…相部屋、ですか?」

出張先で、ホテルあるいは会社の手違いで、同僚の女性と相部屋になってしまった〜ッ!ってことだ

ホントにそんなことが起きたら、ひたすら気まずいし、普通に自腹で別の宿を取るなりして逃げ出すしかない……と言いたいところだが、そもそも相部屋になる時点で世界観が現実世界とは異なり(現実には部屋が取れてなかったという扱いになるに決まっていて、相部屋で泊まるというのは選択肢になりえない)、世界のものアダルトビデオの中にあるということなのだから、その後の展開としては、まず間違いなくセックス

でも、相部屋ものAVって、よくあるって印象はあるんだけど、結局最後はどうなるんですか?

まりセックスをしたところで人生は終わらないわけで、当然ライフゴーズ・オンではあって、そうなったときに、セックスによって俺と同僚の関係はどう変わるのがスタンダードなのだろうか

なんか、アダルトビデオサブスクリプションかに入ってさ、相部屋ものビデオを見まくって、統計を取ってみたいですね

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

恐山のお坊さんである南直哉さんが、生まれたくて生まれてきた人なんて一人もいないんだから、究極的には自己責任なんてないんですよ、って言ってたんだよな

まさか子供アラサーになっても実家暮らし手取り20いかず、恋人や友人もいない人間になるとは思いもしないよね

親がどんな気持ち育児してたのかと思うと申し訳なくて泣きそうになる

まあ、自分は生まれたいとも生まれたくないとも思ってなかったのに、

親に生まされたから、こんな酷い人生体験させられてるんだ、って考え方もありといえばありなんだよね…😟

どこまでが自己責任で、どこからが他社の責任なのか、線引きは難しいけど、

親が生まなければ、自分存在しなかったわけで、生まれなかったら、これまでの楽しいことは体験できなかったし、

これまでの辛いこと、苦しいことを経験する必要もなかったわけで、

究極的には親の責任

更にもっと責めるなら、神さまの責任でもあるわけだ

だって、神さまが天と地とアダムとイブ創造しなければ、この世界人間存在しなかったわけで、

人類経験した全ての悲劇は、大元をたどれば、すべからく神さまの責任である…😟

ただ、親とか神さまを責めても、何か自体好転するはずもないし、自〇するのもありっちゃありなんだろうけど、

自分責任を責め、親とか神さまの責任までたどっていったら、もうそから自分他人を責めること自体放棄するべきなんだよ…😟

まりある意味では、誰のせいでもなくなっていく話なわけだから、もうそれ以上自分卑下しない、責めないのが大事

前を向いて歩けないなら、上を向いて歩こう…😟

Permalink |記事への反応(0) | 15:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

日経平均5万超えたってさ

庶民暮らしは何一つ良くなってないのにね

もう終わりやんこの国

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

「青の純度」はラッセンモデル小説ではない(読書感想文

篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンモデルしたこと否認しているという誤解が広まっているようだ。

「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンモデル小説では無い。

なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚読書家の感想からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。

私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。

ラッセンに着想を得たがラッセンモデル小説ではない、とはどういう意味か。

そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。

モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナル定義だが、日本語場合はある実在人物テーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者意味である

モデル小説テーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものからだ。

篠田氏がラッセンモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセン人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。

なお、作中の登場人物実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙アントニオ猪木モデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙アントニオ猪木モデル漫画ではない。

これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。

 

バブル後に一世を風靡し、印刷物限定品と称して高値で売るエウリアン悪徳商法問題となって消えた偽ラッセン

出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセン風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。

そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセン印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である

しかし偽ラッセンの絵は、当時を知らない若者にも好評らしい。

出版社勤めの主人公ラッセン大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島暮らしているという偽ラッセン訪問すべくハワイ島に飛んだ。

しかしそこで、偽ラッセン10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。

 

と、ここまでがいわば出題編である

10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。

 

現実ラッセンは存命だし、近年の再評価2012年ラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである

10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。

したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ

 

ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品作家を切り分け、その販売手法言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品のものを取り上げ、そこにある芸術大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画ハワイに渡った。

しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアート巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。

また、偽ラッセン絵画原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。

そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。

結局のところ、主人公ハワイ渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。

したがって、偽ラッセンラッセンモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。

Permalink |記事への反応(3) | 13:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251027130605

それを屁理屈っていうんやで

アフリカレベルのヤツが日本でまともな暮らし出来るわけねーだろ

Permalink |記事への反応(1) | 13:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

孤独人生は失敗した、と思って暮らしてる。

そういう時、孤独についての本を読むと、必ず最後に「この本を書く間支えてくれた家族感謝」と書いてある。人生に失敗した、おれは負け犬と歌うミュージシャンは、ステージ喝采を浴びている。

結局、本当に孤独人生に失敗している人間は、それを本にも歌にもできない。コンテンツ化できるのは、成功者一時的に味わった「孤独っぽいもの」だけだ。

本当の負け犬、本当の孤独は、誰にも知られず、語る資格すら与えられない。

孤独です」「失敗しました」と表だって言える奴らは、もうその時点で勝者なんだよ。

からこれは、はてな匿名ダイアリーしか書けないおれの悲しみ

Permalink |記事への反応(0) | 12:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-26

猟銃免許電気工事士資格をとって、熊が出ない田舎のんびり暮らしたい

熊とは戦いたくないが、適度に周囲の役に立ちながら、お礼をもらいながら、安くのんきに暮らしたい

いや、田舎電気工事もそんな簡単じゃないことぐらいは知っている、妄想の話だな

Permalink |記事への反応(0) | 23:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

老い自覚するとき

自分場合は飲み食いに顕著。

酒は昔ほど飲めなくなったし、ちょうどいいくらいのつもりでも次の日しんどい

食べ物も、昔ほどガッツリしたものが食えなくなった。先日とんかつ食ったら次の次の日くらいまでしんどかったし、辛いものへの耐性もかなり落ちた。

逆に味の薄いもの、ないものが好きになってきた。砂糖の入った飲み物を飲む機会が減り、お茶や水を飲むことが増えた。ただの炭酸水も美味いと思う。500mlのコーラとか、今なら全部飲めないんじゃないだろうか。

そんな暮らしをしてても体重は落ちないし、健康診断の数値は芳しくない。老いって悲しい。

Permalink |記事への反応(7) | 15:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

穏やかにちんちん暮らしたい

Permalink |記事への反応(0) | 14:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251025005250

七歳のとき、パパとママ

離婚して、おばあちゃんのうちで暮らし

そんなボクの心の支えは

かわいい柴犬コロちゃんだった

何にも言わない犬だけど

とってもかわいい犬だった

いじめられておうちへかえる

心配そうにボクをみていた

コロ!

コロ!

何処へ行ったの

Permalink |記事への反応(0) | 06:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-25

政治に対して個人ができる対策

最近政権交代とかニュースとか見てて、「日本独裁国家になったらどうしよう・・・」とか「突然日本戦争が起きたらどうしよう・・・」という不安を感じるようになった。

不安がってても仕方ないから何か対策したいと思うんだけど、個人レベルだとどんな防衛策ができるんだろう?

缶詰買い溜めしておく?(備蓄食料として)

発電機でも買ってみる?(電気が来なくなるかも)

田舎に家を買っておく?(避難場所として)

でもどれもお金必要・・・

もしくは、逃げる方法(?)とかを考えておくとか?

世間の人々はどんな対策を取ってるのかな?

しかしたら私が知らなかっただけで、これまでも何度かそういう危機はあったのかもしれないから、不安に思う必要はないのかもしれないけど。

政治に対して声をあげたりできたら良いけど、SNSに書いても意味ないだろうしな。そのための選挙のはずなんだけどな。みんなどうしてるんだろう。

平和暮らし続けられたらいいのになーーー

Permalink |記事への反応(2) | 20:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

熊怖すぎ、人類安全な壁の中で暮らした方が良い

壁も一つじゃ心配から三重にした方が良い

Permalink |記事への反応(1) | 18:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251024171402

どうも原始時代の我々の祖先はメスの群れで子育てをしていた母系社会で、成人したオスは群れの外で遊んだり、喧嘩したり、たまにメスの群れに近寄ってセックスしたりで適当に生きてたっぽいのよね。

我々に一番近い猿であるチンパンジーの群れや同じ人類でも原始時代に近い暮らしをしている未開の狩猟採集民を観察した感じだと。

現代のオスが子育てに関与するのは文明によって躾けられた結果というわけ。

本能」を持ち出すなら無責任射精がオスの本来の姿ってこと。

本能が云々、子孫繁栄が云々言うなら、子どもが生まれたらその子を健やかに育てることが一番の目的になるはずでしょ? それより自分欲望を優先させるのは都合が良すぎるよ。

Permalink |記事への反応(2) | 02:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251024142433

実家暮らししているだけの人間人間以下だと見なす倫理観人間のほうがよっぽど人間未満なのでこどおじ駆除積極的に推進していくべきであると言える

Permalink |記事への反応(0) | 14:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251023170010

自立できず親と暮らしていることがコンプレックスなんや

Permalink |記事への反応(0) | 14:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

俺が弱者男性にならなかった理由

過去を振り返ると人並みに試練が多い人生だったと思う。

例えば、

社会人になりたての頃は、

全く社会で戦っていける武器はなかった。

過去の瞬間を切り取れば、弱者男性と呼ばれる男だったと思う。

そこから40代になった今は、一応一部上場企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやか暮らしている。

現在弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。

まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。

みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。

独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。

途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。

社会人スタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分プライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。

運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分自分しか救えない。これは真実だ。

そして、これから人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。

みんな頑張れ。

Permalink |記事への反応(2) | 11:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

pkmnZAで彼氏と初喧嘩した

同棲して3ヶ月

特に喧嘩もなく、平和暮らしてきた私たち

でも今日、初めてケンカした

ケンカと言っても私が一方的に怒っただけ

理由ポケモン

私は幼少期からポケモン大好き

新作は必ずプレイするオタクである

上手くはなくゆったりまったりやる方ではあるけらど

ZAも楽しくプレイしていた

たまに彼氏にも貸していて、私がやってない時はポケモンを育てたり捕まえたり楽しんでいるようだった

そして、今日いつものように私がお風呂の間に彼氏ポケモンを貸していたら、お風呂を出たら衝撃の一言ストーリー進めたら〇〇が出てきたよ」

はぁ!?!?!?!?!?

他人ROMでメインストリー進めるか!?

ポケモンはいまだに一度ストーリーが過ぎたりもうそストーリーは見ることができない

私が毎日少しずつ楽しく進めているの見てただろ!?

私がいる時に進めるならまだしも何でいない時に!?

まりの衝撃で「私のゲームだよ?勝手ストーリー進めないでよ!」と怒ったら、彼氏は「重要じゃないところだったから…」とモゴモゴ言って逃げていった

謝れや!!!!!!!!!!!

悪気がなかったのはわかるけど謝れや!!!!!!!!!!!!!!

一番謝罪なしで逃げたことが腹立って、今日はお休みを言わずに就寝

もし心当たりのある人がこの記事を読むことがあれば、まずはごめんなさい、をいうことを勧めます

彼氏の言う通り確かにストーリー重要ではなさそう

でもそういう問題じゃないじゃん

悪気はなくても、相手が怒るようなことをしたなら謝ろう、私からは以上です

Permalink |記事への反応(3) | 00:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-23

目の下にクマ

whg*****

13分

非表示・報告

現れるのは月に数十数百時間時間外勤務をしているためです。

税金投入でブラック企業駆除報酬を上げて、

全数駆除目標にしなければ安全暮らしはないです。

退勤後の明け方夜間などは市街地であっても危険です。

これでは田舎であるにも関わらず、

ランニング散歩すら出来ない何百万人もおります

健康被害数字になりませんが確実に増えます

国として大問題だと思います

Permalink |記事への反応(1) | 13:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

盛岡市役所クマ

whg*****

13分

非表示・報告

現れるのは山に既に数十数百倍の個体がいるためです。

税金投入で駆除報酬を上げて、

全数駆除目標にしなければ安全暮らしはないです。

明け方夜間などは市街地であっても危険です。

これでは田舎であるにも関わらず、

ランニング散歩すら出来ない何百万人もおります

健康被害数字になりませんが確実に増えます

国として大問題だと思います

Permalink |記事への反応(3) | 13:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

家族に良い暮らしをさせたいだけでいいんじゃないのか

自分仕事はやる価値が無いブルシットジョブだと思っているが、別に仕事やりがいなんて求めてないしな。

不相応な給料もらっても家族幸せになるなら社会貢献やりがいなんてものは大したものじゃない。

エッセンシャルワーカーとかも、仕事やりがいを得ているんなら低賃金で生きるのに精一杯でも仕方がないよなとも思う。

社会的に多くの人に貢献しているなら、自分の贔屓したい人に集中して貢献するのは難しい話。

社会的無駄仕事でも、その分自分家族に貢献できるなら、自分はこっちを選ぶだけの話。

何がエッセンシャルだよと。「俺らが居なくなったら社会が回らなくなる」なんて社会的モラハラだろと。

Permalink |記事への反応(2) | 13:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

自閉スペクトラム症の子を育てて思ったこ

子供ってさ、いろんなものをいろんないじり方をして、そこから学ぶわけじゃん。

いろんなものを水に投げ込んで、これは浮かぶ、これは沈む、ということを学習する。

高いところからモノを落とすと壊れるのをみて、落下中に加速するということを学習する。

叩いて、切って、落として、水没させて、風や水流に乗せて、そういうことが学習なんだけど、そういうことって、なかなかできない。

現代社会には、叩いちゃいけないモノ、切ってはいけないモノ、落としてはいけないモノ、水没させてはいけないモノが多すぎる。

というより、家の中のほとんどのモノはそうだ。

じゃあ、野外に行けばいいのかといえば、野外だってうそ自由にできるものは少ない。

歩道橋から道路に石を落としていいはずがないし、川に紙やビニールを投げてはいけない。

草木は抜くな、動物は殺すな、他人のモノは触るな、と言われてしまう。

自然科学よりも、人間社会ルールを先に覚えなければ生きていけない。

禁止事項が多すぎる。

というよりも、許可されたエリア許可されたモノに対して許可されたことだけしかしちゃいけないようになってる。

現代社会は、子供には危険がいっぱいだ。

例えば、赤信号では止まる、それを覚えないと都会で生きてはいけない。

もちろん、とりあえず理屈は抜きに周りの真似をするということは、現代社会じゃなくたって必要スキルだ。

たとえ、サバンナ暮らしたって、不用意にライオンに近づかないとか、そういうことは覚えないといけないだろう。

しかし、それにしたって、現代社会ルールの数は子供には多すぎる。

理解も納得もないまま、周りと同じように振舞う必要がある。

まり空気を読む力が、まず第一必要なのである

前置きが長くなった。

自閉スペクトラム症の子供を育てるのは辛いよ。

本当につらかった。

興味が向くまま全部やって、怒ってもぜんぜん効かないんだもん。

Permalink |記事への反応(1) | 11:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

タメ語で話していいよって言うやつ

なんか微妙な先輩とか言ってきがちだけど、ほな失礼して「マジ?お前さあ、それおもろいやん!もっとくれや」みたいに話しはじめると急に「何こいつ?」みたいな感じになるのはなんでなん?

同じように年上の部下とか後輩がなんかめっちゃフランクに上からしかけてきたからしゃーなし目線を合わせて話しはじめたら「え?わたしとしうえなんですけど?」みたいな顔するのなんなん?だったらわたしせんぱいなんですけど?

人間コミュニケーション面倒くさすぎるわ

一生猫撫でてて暮らしたい

Permalink |記事への反応(0) | 10:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp