
はてなキーワード:暗喩とは
ストリーマーの布団ちゃんが配信内でカラオケ店でチンコをメニュー表に擦り付けたように見える(本人はチンコはメニュー表には接触してないと供述している)行為を行い炎上。所属事務所を契約解除され、カラオケ店から関係機関(警察の暗喩)と相談中と声明を出された件。
ちょいちょいYah◯oニュースとか関連動画のコメント欄で「個人でやってた時代ならよかったけど事務所に所属してそれはダメだよね」とか、「個人的には面白いと思うけど社会情勢が許してくれないよね」みたいなコメントが散見されたんだけどさ。
いや、カラオケ屋でメニューでちんこを隠すのは個人でやっててもダメだし、こんなもん何一つ面白くないだろ。
こんなクソ迷惑行為を「面白い」とはやし立てる奴がいるからいつまでたってもバカは寿司屋行って醤油さし舐めるし、バイトは冷蔵庫で寝転がるし、カラオケ店でちんこ出してそれを拡散するんだろ。
こういう行為を「面白い」と表明しちゃうやつがいる限りはこういうバカ行為で炎上して裁判沙汰になるやつは絶えないんだろうなと暗澹とした。
配信者はバカと底辺の福祉だと俺も思ってるけど、社会に迷惑かけるな。
やりたいなら金払って村かなんか買い取って独立宣言してそこでやれ。海外の迷惑系Youtuberも誘致したらインバウンドで繁栄するかもしれんよ。
知ってるかどうかはそこまで問題ではないと思う
例えば「玄武、朱雀、青龍とくれば?」という質問で「象」と答えても教養のあるなしを判別するのは早計だ
知らない人は知らないのだから
けど、無言の帰宅といった暗喩や伏字表現が存在することを認められなかったり、一般的ではないと御託を述べたり、直接言わないのはおかしいだとか騒ぎ出す人間はまともでは無い
文脈を理解せず目に入った僅かな単語だけで判断して誤解することは人である以上仕方ないが、ブクマカなどはそれでも間違いを認めず相手の表現技法のせいにしたがるよな
ていうか「無言の帰宅」なんかちょっと考えりゃ死んだことくらいわかるだろ
ブクマも知ってました知りませんでしたばっか、前例主義にもほどがある
事前にそのまんまの用法用例で見聞きしたことがなくても初めて聞いた言い回しなら立ち止まって考えるでしょ普通
普通って言葉使うと「普通ってなんですかー」とか言い出すやつが絶対いるけど、そういうやつこそ「自分は当てはまらないから普通ではない」って思ってるよね
そもそも暗喩なんてものは広く知られて慣用句になった言い回し以外にも、その場で編み出されたワンアンドオンリーなオリジナル暗喩だって山ほどあるだろ
前例があろうがなかろうが、人はそういう暗喩を聞いては「遠回しにこういうことを言ってるんだな」って言語的反射神経で理解してきたんだよ
その応用力を教養っていうの
知りませんでしたとか甘えたことぬかしてんじゃねえ
自営業で、時間の融通も効き、女一人でそこそこ経済を回せている。
金の管理ができない!!
ある金は片端から使ってしまうカスの金銭感覚の持ち主なため、大手取引先からの報酬が支払われるまでの繋ぎとして、メルレ、つまりメールレディをやってみることにした。
どういうことかというと、金をもらいながら男性客と話をするのだ。
大抵が猥談だという事前情報もあるが、私は、女を「おばさん」か「そうでない」かに二分するなら確実に前者に収まる年齢だ。つまりある程度場数を踏んで来てるので猥談に抵抗が無い。
ので、始めてみた。
これは簡単だった。
AIに自分の写真を読み込ませ、それっぽく別人に仕立て上げて貰えば良い。
間違っても身バレしたくなかったので、そのままの顔を使う愚行は犯したくなかったし、何よりも私はだいぶ太っている。
そのままの写真を使えば第二次対戦中のイタリア軍よりもすごい勢いで男性は逃げていくし、必死に追いかけたところで仕方がない。
そうなると少数民族の戦士よりも顔を塗りたくり、誰だかわからないように加工して敵前に躍り出る他なくなる。
次にプロフィールの文面作り。
ので、「初めて付き合った彼氏と結婚したもののレスに悩まされる人妻」という仮面を被った。
例えば「通話したい」とか「ビデオ通話がしたい」とか言われても、これなら「隣に夫がいるから……」と残念そうに逃げることができる。咳をしても一人なのに。
つまりどういうことか、私は「マリカさん37歳人妻」というマジで何も私のプロフィールに掠らない人格を演じることになったのである。
モテない女の性欲はすさまじく、今まで読んだ来た数多のFANZAの知識を総動員して、それっぽい文面を考え、男性客に一斉送信。あとは返信を待つだけ。
具体的な数字、三人かかった。
「ビデオ通話できないならメールいらないよ」とわざわざ(金を払ってまで)返してくれたので、「寂しい😿」とゴネる。これにもわざわざ(金を払ってまで)返してくれる。ちょろい。
彼からもビデオ通話の申し出があり、「夫が隣にいるから」「今すっぴんだし見られたら幻滅されちゃう」と恥じらってみせ、金を引っ張る。
「マリカちゃんくらい綺麗ならすっぴんでも歓迎だよ」と優しい彼は言う。ちょろい。
三人目がこれまた稼げた。地方在住、(マリカさんに比べたら)年下の男性。
年上のお姉さまに甘えたいのだろうというのが透けて見えたので、私は無意味に肩のストレッチとかをして張り切りながら相手をしていた。
自分の性器を見せたがる人間の気持ちなんてこれっぽっちもわからないが、三人目はとにかく見せたがった。
聳り立つ塔(暗喩)や、力無く倒れ白い川に伏す塔(暗喩)の動画やら写真やらがいっぱい送られてきた。
動画や写真は写真するだけで儲けが良く、私は「もっと見せて…♡」と人妻らしくしっとり懇願する。結婚なんかしたことないし彼氏も学生時代にできたが最後、それらしい言葉をFANZAでしか知らないのでFANZAっぽくお願いする。
ちなみにムラつきはない。私は哀れなモンスターななで、二次元の男にしか興奮できない。
この頃にはすでに私は眠かった。
昨日は本業で真夜中まで作業をしていたので、落ちる頭と格闘しながら、眠気を飛ばすために海外ドラマ──よりによってサスペンスものだ──運営によってモザイクの気遣いがなされた写真を開きもせず、テレビに映る焼け焦げた死体を見ながら何とか「すごく…大きいです…」「奥まで捩じ込んで…♡」とか言ってた。なんか違うの混ざったな。
「マリカさんの顔だけで抜ける!」
散々私に写真を送ってくれた後、三人目はそう言って旅立った。たぶん賢者タイムみたいなやつだろう。私は「ようやく終わったか」と一仕事終えた顔をしながら布団に入り……
いやこれ何も仕事してないな
急に正気に返った。
本日の儲けは3000円ほど。
メールしてるだけで稼げる額にしてはデカいが、一回タクシーに乗れば吹き飛ぶ額だ。まあタクシーなんか使うから金が無くなるんだけど。
こんな端金のために時間の無駄するならだったら資格試験の勉強して生涯年収上げた方が良くない?
抜いてもないくせに賢者タイムを迎えた私は今、ガリガリくんホワイトサワー味を食べながらこれを書いている。
男性客のプロフィールを見れば何を言って欲しいかは大抵わかる。
男性客の返信を見ればどういうふうに扱われたいかは大抵わかる。
「○○が苦手だ」を「○○が得意じゃない」に言い換える表現が近年広まりつつある。
私はこれに強~烈な違和感を覚えている。
は? 普通だが? ……って思うじゃん?
たしかに、「歌が苦手だ」、「長距離走が苦手だ」などを「歌は得意じゃない」、「長距離走は得意じゃない」などに言い換えるのは至って普通だ。違和感はない。
では、「パクチーが得意じゃありません」、「柑橘系のにおいが得意じゃない」、「筋肉質の男の人は得意じゃない」ではどうだろう?
こういう言い方をする人、確実に増えてます。
まあ、これに違和感を感じない人も多いんでしょう。だって増えてるんだから。
けど私は、「じゃあ逆に〈パクチーが得意〉ってどういう状態!? 栽培が得意なの!?」ってなる。
言葉の成り立ちで言うと、「苦手」はそもそも「自分にとって扱いにくい人や物」を指す言葉で、仏教語として平安期に日本に入ってきた言葉らしい。「おれ増田課長は苦手なんだよなあ」のタイプ。これをタイプAと呼ぼう。
やがて(おそらく江戸後期くらい)、苦手という言葉の対象が「自分が上手にできない行為」に広がる。「水泳は苦手だ」のタイプ。抽象物を擬人化・擬物化しているのでちょっと修辞的な表現である。「野球は人生だ」みたいな暗喩にも少し近い(正確には違う)。これをタイプBと呼ぼう。
さらに近現代になると、「嫌い」 「好みではない」の意味でも「苦手」が使われるようになった。今回の「辛いものが苦手」 「ホラー映画が苦手」のやつである。「嫌い」 「好みではない」とそのまま口に出すとニュアンスが強すぎるので、言い換えてニュアンスをマイルドにしている。これをタイプCと呼ぼう。
タイプCの使われ方はタイプAととても似ているが、タイプAには「好き/嫌い」の判断はなくとっつきにくいだけであるのに対し、タイプCは明確に「嫌いだが嫌いとは口に出しにくいケース」にだけ使われる。
そして、「得意だ」は「その行為を上手にできる」という意味なので、対義語が「得意」になるのはタイプBだけである。「水泳は苦手だ/得意だ」は両方とも成り立つ。タイプAやタイプCでは本来は成り立たないはずだ。しかし今、タイプCの対義語としての「得意」が新たに登場した。「得意」は、「好き嫌いという文脈においてポジティヴなほう」を表す言葉というポジションを得たのである。これは辞書にはまだ載っていない用法だ。
言葉は生き物なので、時代とともに新たな意味や用法を獲得していくことはよくある。新しい「得意」は、「パクチーが得意じゃない」のように否定とセットで用いられるのが普通だった。しかし近年ではいよいよ肯定形として「レバーが得意です」のように使われることさえ出てきた。「苦手の対義語」として登場した用法なので、この「得意」は「問題なく食べられる」の意味なのか、「好物だ」なのかは今イチ判然としないが。
この一風おかしな「得意」が成立した背景をもう少しだけ掘り下げてみたい。
タイプCの「苦手」は「嫌い」のマイルド化、つまり婉曲表現だと述べた。
「嫌い」だと直接的すぎるし、「好きじゃない」(対義語の否定形)と婉曲にしてもまだ表現が強く感じるのだろう。
(ちなみに対義語を否定形で使うとニュアンスが弱まる。「ヘタ」よりも「上手くない」のほうが少しニュアンスが弱い)
そこで、好きか嫌いかをはっきり言わない「苦手」に言い換えれば、少し丁寧な感じが出るし、出された料理に対しても「嫌い」よりも失礼がない、ということを誰かが発見したのだろう。
そもそも食べ物の好き嫌いはそれがあることじたい少し恥ずかしいことなのだ。アレルギーを除けば何でもおいしく食べられることこそ「大人として成熟した味覚」だとする社会通念がある。「ピーマン嫌~い」と口に出すのは子どもっぽい仕草とみなされている。「苦手」は、失礼さや子どもっぽさをわりとナチュラルに糊塗してくれる便利ワードだったのだ。
ニュアンスを薄めたくて婉曲に表現していたことも、長く使われるうちにやがて婉曲効果が薄れ、本来の意味と直結してきてしまうのだ。
「嫌い」を曖昧にぼやかしていたはずの「苦手」も、婉曲効果が薄れてくると再び「嫌いだ」と言っているも同然になってしまう。使用を避けたくなってきたわけである。
「好きじゃない」でニュアンスを弱めるのはどうか。いや、好きか嫌いかをはっきりさせたくないのだからこれは使えない。
そこで咄嗟に捻り出したのがタイプBの対義語の否定形、「得意じゃない」だ。ワンチャン気持ちは通じるっしょ、いちおう対義語だし。
そういう経過じゃないかなあと思う。
この曲だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Soy4jGPHr3g
これを聞いて以来、イライラが止まらないので気持ちを聞いて欲しい。
まずひとつ。これは元々あのゲームのテトリスの曲をパクって作っているのだが、そのことについてコメント欄含めて一切触れていないのが気になる。
楽曲でもなんでも、ものづくりでは「最初に作った人へのリスペクト」が不可欠である。
それがなく、単に流用してYouTube の再生数稼ぎをしていることに腹が立つ。
歌詞が出ているが「ピンボール」「ハイボール」で「ル」が改行してしまっているところ。
これが何らかの意味を暗喩しているとかならまだわかるが、そうではない。無意味な改行であり、単なるミスにしか見えない。
同様に、左上のテロップ部分。これもシーンによってはみ出してしまっている。
先程の問と同じだが、何かを暗喩しているならわかるが、見ての通りそのような深い意図は無い。
最後に、MV そのものの構成。これは明らかにシルエット錯視を元に作ったものである。
しかし錯視であることを書いたり錯視の制作者へのリンクもなく、ただ単にリスペクトなくパクっただけに見える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E9%8C%AF%E8%A6%96
音楽そのものに中毒性があって再生数が増えるのはわかる。自分も何度か聞いてしまった。
この曲だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Soy4jGPHr3g
これを聞いて以来、イライラが止まらないので気持ちを聞いて欲しい。
まずひとつ。これは元々あのゲームのテトリスの曲をパクって作っているのだが、そのことについてコメント欄含めて一切触れていないのが気になる。
楽曲でもなんでも、ものづくりでは「最初に作った人へのリスペクト」が不可欠である。
それがなく、単に流用してYouTube の再生数稼ぎをしていることに腹が立つ。
歌詞が出ているが「ピンボール」「ハイボール」で「ル」が改行してしまっているところ。
これが何らかの意味を暗喩しているとかならまだわかるが、そうではない。無意味な改行であり、単なるミスにしか見えない。
同様に、左上のテロップ部分。これもシーンによってはみ出してしまっている。
先程の問と同じだが、何かを暗喩しているならわかるが、見ての通りそのような深い意図は無い。
最後に、MV そのものの構成。これは明らかにシルエット錯視を元に作ったものである。
しかし錯視であることを書いたり錯視の制作者へのリンクもなく、ただ単にリスペクトなくパクっただけに見える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E9%8C%AF%E8%A6%96
音楽そのものに中毒性があって再生数が増えるのはわかる。自分も何度か聞いてしまった。
11話目前ですが、chatgptくんと一緒に考察してたら割とピンとくる内容が出てきたので書いてみます。ひょっとすると他の方が言及済みの内容を含むかもですが、以下ダラダラ書いていきます。
【ジークアクスのネーミングについて】
まずGQuuuuuuXがメタ構文変数で9番目を意味するというのは結構前から言われていた。そしてジークアクス2号機のジフレドのモデルナンバー、gMS-κ(カッパ)はギリシャ文字で10番目なので、やはり初号機のジークアクスは9号機ということで間違いなさそうだ。
では、なぜ9なのか?ということがずっとわからなかったが、これは6とセットで世界の反転(ジオン勝利if)を暗喩しているのではないかと思い付いた。
6ってどこから出てきたんや、6と9セットで反転を意味するって何?という感じだと思うが、
・マチュはサイド6の学校のプールサイドで逆立ちした後に、9号機のジークアクスに乗ることになる。(6を逆立ちして見ると、9になる)
というのが一つ決定的でないかと思う。
あと、6という数字については、
・主題歌のプラズマは正しいスペルのPla"s"maではなくPla"z"ma、そしてゼクノヴァZeknovaの頭文字もZだが、Z=ゼータはギリシャ文字で6番目。
・GQuuuuuuXのuの数は6つ
というところからも導き出せる。
蛇足だが、6と9で反転を示すのは、ひょっとすると易経の影響?とも考えている。というのも本作品と同じく敗戦国勝利ifとして名高いPKDの「高い城の男」では重要アイテムとして易経が登場するが、易経で6は「陰が極まり陽に転ずる」9はその逆を意味するらしい。正直これは自信がないので与太話として。ただ、制作チームの性格上、このくらいのSFネタをぶっ込んでくる可能性はあるかもと妄想したりする。
マチュ=アマテユズリハと、アムロレイって何か響きが似てるよね、と思っていた。
両者をアルファベットで書くと、
・AMATE YUZURIHA
・AMURORAY
になる。
マチュだけの文字は、E,Z,H,T,I。
ここでアムロ固有文字Oは、ガンダム主人公の始祖(Origin)の地位、あるいはオールド(Old)を示唆すると考える。
そしてマチュ固有文字のE,Z,H,T,Iは以下のとおり、ギリシャ文字の5番目から9番目に対応すると考える。つまり、
#5 Ε(イプシロン)
#6 Ζ(ゼータ)
#7 Η(エータ)
#8 Θ(シータ)
#9 Ι(イオタ)
Θ以外についてはアルファベットとギリシャ文字の対応について異論ないと思う。Θが苦しいが、英語表記ベース(Theta)の頭文字Tということでご容赦いただきたい。
そしてマチュ固有文字で最後のΙ(イオタ)は、以上のとおりギリシャ文字で9番目だ。ここにもやはり9が出てくる。
やや苦しい語呂合わせをすれば、正史世界の主人公であるアム"ロ"=6に対して、反転世界を象徴する数字である"9"を埋め込んだ名前としても解釈できる。
以上、ダラダラ書いてみました。いつか答え合わせができたらいいなあ。
増田には、「読みづらい」「支離滅裂」「誤字脱字だらけ」――そんなエントリが、なぜか心を打つことがあります。
それは、書き手の「うまく言葉にできない苦しみ」や「表現を放棄しながらも書かずにいられない衝動」が、そのまま伝わってくるからです。
・文法を揃える
・語順を調整する
・接続詞を補う
そうして整った文章は読みやすい。でも\*\*「伝わりすぎてしまう」ことで、逆に心に残らなくなる\*\*。
増田の魅力は「伝わらなさ」のなかにあるのに、AIがそれを最短経路で翻訳してしまう。
結果、「読む」という体験がフラットになり、「わからなさを味わう文化」が死ぬのです。
---
ある時期の増田には、「誰にも見せたことのない心の奥底を書く」美学がありました。
それは勇気でもあり、暴力的な告白でもあり、誰にも届かない手紙でもあった。
しかし今や、「心の奥底っぽいもの」を生成するのはAIの得意分野です。
たとえば:
――こうした文章は、AIにとっては比較的簡単に再現できる。**模倣が大量に溢れれば、リアルな内面の言葉は「どこかで見たやつ」になってしまう。**
つまり、「本当に自分が考えた言葉」であっても、それがAIの生成物に似てしまうことで、**内面を書くこと自体が疑われ、陳腐になる**。
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・状況も断片的
でも、それが読者の想像力を刺激する。「もしかしてこういう人では」「こんな背景があったのかも」と読者が補完することで、**言葉の余白**に意味が宿る。
ところがAIは、読者の混乱や誤読を避けるために、文脈を自動補完してしまう。
読者に委ねられていた「解釈の余白」が、どんどん狭まっていく。
つまり、読むという行為が「受け取る」ではなく「指示に従う」ものになってしまう。
増田のような、**想像力の共同作業**としての読書が消えていくのです。
---
増田は「誰が書いたか」が本質的に重要ではなく、「誰でもありえた語り」が共有される場所です。
どんなにそれっぽい口調、トラウマ、記憶、逸話を盛り込んでも、AIには**死も、劣化も、忘却も、時間もない**。
つまり、AIの語りには「今これを書かねば、消えてしまうかもしれない」という切迫感がない。
それが、**匿名であるにも関わらず、血の通った語り**を作れない理由です。
そしてこの事実に読者が気づくと、増田の文章を読むときに「これはAIじゃないか?」と一度疑うようになる。
その一瞬の疑いが、**語り手との共振を断ち切ってしまう。**
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