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はてなキーワード:普遍性とは

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2025-10-05

村上春樹ノーベル文学賞に手を伸ばせずにいるのは、本当に皮肉な話だ。

彼の本は、全世界を魅了しているのに、選考委員文学観にはどうも刺さらないらしい。

まず、村上作品は「孤独」と「幻想」を舞台にしている。

ネコが出てきたり、深夜のジャズ喫茶で心が揺れ動いたりするあの世界感は最高に心地いいけれど、

ノーベル文学賞評価するのは、

もっと社会を揺るがすような重テーマだ。

戦争」「差別」「抑圧」といった、

人類全体の苦悩に真正から切り込む作家が並ぶ中、

個人内面遊泳に徹する春樹作品は、どうしても軽やかすぎると見なされてしまうんだ。

それから村上春樹と言えば誰もが読む大衆作家

でもノーベル選考委員は、「文学最前線で新しい実験をしているか」を重視する。

平易な文章でグイグイと読み手を引き込むスタイルは素晴らしいけれど、

ポップすぎて「文学革新」のベクトルとはベクトルが違う。

から文芸界のアカデミックな厳粛派からは「村上春樹大衆作家」というレッテルを貼られてしまう。

さらに、英訳には申し分のないクオリティがあるにもかかわらず、ノーベル文学賞選考陣営戦略も大きい。

欧州ラテン圏やアフリカアジア作家同士の勢力図の中で、

日本の大ベストセラーは「既に国際的に知られている」ゆえに、

新鮮味を欠くと判断されがちだ。つまり翻訳品質以前の「選考バイアス」が存在する。

あと、村上春樹物語普遍性の光を帯びていると言えば聞こえはいいが、

選考委が欲している「全世界を覆う重厚社会批判」という観点では、どうしても「足りない」と映る。

孤独や胸の高鳴りではなく、人類の根源的苦悩を描かないと、ノーベル文学賞舞台には上がらないというわけだ。

村上春樹世界中の読者の心を掴んでいるのに、ノーベル文学賞という舞台では「大衆文学の王」に留まる運命らしい。

大衆に愛されることと、選考委に賞賛されることは、まるで別のゲームなのだ

Permalink |記事への反応(2) | 12:23

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2025-10-01

anond:20250929011825

武道における「型」だな。

まず勝つために普遍性のある基本的な部分をひたすら真似て、繰り返し自分の中に叩き込む。意味が「腑に落ちる」のは体感した後。

はっきり言って面白くない作業なので、理屈先行型の人間は往々にしてこの段階で離脱する。

Permalink |記事への反応(0) | 09:54

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2025-09-29

anond:20250929001700

stemに携わりたい理由はこれですよ

立場が変われば見方もかわる

普遍性価値もないんです

グスン

Permalink |記事への反応(0) | 00:18

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2025-09-22

anond:20250921092940

トラバお気持ちばかりで笑える

普遍性基準平等ということではなく、自分好き嫌いで叩く叩かないを決めてるだけなんだなあ

Permalink |記事への反応(0) | 13:18

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2025-09-01

Foreverをそう言えばに変えると普遍性が強調される

そう言えばLOVE

Permalink |記事への反応(0) | 11:30

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2025-08-25

パスポート持ってない自分なりの文化の気付き

私はパスポートを取得したことがない

高校修学旅行私たちの代から北海道だったし

(上の世代シンガポールとかだった)

留学したこともない、英検2級はパァドゥン?!を連呼しかろうじて20年前に合格しただけ、TOEIC受けたことない、現役時代英語センター試験リスニングが壊滅的

街中で困ってる外国人がいたら助けるけどノンバーバルコミュニケーションに全振りでステーション?!トウギャザーしようぜ!とか叫んでる

周囲は海外楽しいよ〜と言うけど、そもそも旅行がそんなに、多分楽しいんだろうけど、なんか自分の中で優先順位が高くなくて一人旅したことない


よく行く喫茶店に見知らぬフランス人が来た



彼はフランス語英語日本語を流暢に話し周囲と楽しそうに会話していた、東京に住んで東京でなんか研究職として働いてるらしい

カウンター常連と何人かでいろんなことを話し、帰り際に彼の名前を聞いていなかったなと思い立って名前は?と聞くと、ニコリと笑ってルキャン!と言った

珍しい名前だなぁと思って帰路に着いた

後日、喫茶店マスターにこの前のフランス人のルキャン?だけどさ〜と話を振ったらマスターが、え?ルーカスのこと?と聞き返してきた



瞬間的にラテン語派生アルファベット表記言語で読みが違うのだと思い立った、あの時の彼はフランス語読みのリュカと名乗ったのだ、英語読みはルーカス



私は国外に出たことないから、そういう言語普遍性というか繋がりが怖くなる、島国日本語ネイティブでズブズブに古典とか和歌とか好きだし余計に日本語に執着してる、違う言語を使う人の集団に入ることへの抵抗や分かり合えなさが怖い、バベルの塔もそら壊されて二度と再建しないわな

リュカルーブル美術館の広さと混み具合、オルセー美術館のちょうど良さ、オランジュリー美術館の狭さとソファを丁寧な日本語でたくさん教えてくれた、みんな来る時は教えてくれ!とにこやかに笑う彼を見て、ぼんやり、私にそんな日は来るのか?と自問自答していた、確かに美しいものや古くから大事にされてきたものを見るのは好きだけど、日本にあるものを見ていくだけでもきっと人生は足りない、そんな私がフランスへ行ってモナリザを見てニケを見て何を得るのだろうか

喫茶店マスターは真面目だねぇと笑った、ルーカスはそこまで考えてないよと言うけど、果たして


そういえば昔バイト先の中国人女の子日本語が堪能で月です!と名乗っていた、ユエちゃんだねぇと私が言ったら嬉しそうに中国語分かるんですか?と懐いてくれた、全然分からんけどカードキャプターさくらにそういう名前キャラ出てたと答えたはず、でも故郷から遠く離れた異国で自分の生まれ育った土地言葉を聞くのはやはり感慨深いのだろう


まぁ取っておいて損はないかと思って調べたら、パスポート取得そのものお金がかかるのと申請は平日の9時から17時とかで笑ってしまった、リュカに連絡するのはまだ先になりそうな予感がする

Permalink |記事への反応(0) | 17:42

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2025-08-17

ルー・リードルー・リード詩集」(河出書房新社

経歴

ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャンシンガーソングライターギタリスト)。

ニューヨーク郊外会計士を営む実家に生まれ、シラキュー大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツ師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングパクリのような曲を提供していた。

この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。

1964年伝説ロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキング歌詞前衛的な演奏カルト的人気を博した。

1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロック代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。

徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズファンクラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。

80年代以降はシンプルな4ピースギター×2,ベースドラム)の骨太演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。

その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタル大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフ演奏メロディほとんどない歌声が乗る(しか一曲が長い)作品は、特にメタリカファンから酷評された。2013年肝臓癌で死去。

作品紹介

この詩集生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。

詩の魅力

ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リード歌詞は明確、即物的客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である言葉遊びも少ない。

テーマ

テーマショッキングものが多いが、それが詩の構造精神にまで侵食せず、あくま象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲ほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。

薬物

代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり

ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生

と、その表現は率直で容赦ない。

ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手聞き手)には、自分愛着をもち、人生代替となる「何か」と置き換え可能普遍性を持つ。

恋愛

1970年代中盤の名盤ベルリン」、「悲しい歌」の歌詞には

「ぼくは彼女スコットランド女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」

と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチック失恋の歌なのだが、最後

「他のやつなら彼女の両腕を折ったことだろう」

と突然血なまぐさくなる。

家族

一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、

「おふくろに恋人ができた」という歌は、

「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」

とあるルー・リード44歳のとき作品である

「妹へ」という歌は

「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分可愛い妹を愛してきた」

ストレート愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。

自殺

79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、

「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」

「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」

と歌う「家族」ルー・リード父親を憎む発言を繰り返し、生前最後インタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)

に続き、

「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」

と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。

死を選び家族に別れを告げた遺書のようである

好きな理由

露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。

自分気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議浄化作用を得られる。

ユーモア

自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、

黒人になりたい/ナチュラルリズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」

という、人によっては噴飯もの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。

そして、ルー・リードユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。

読み手聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います

以上

参考資料

書影

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/

(楽曲)

(heroin)

https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg

(mama’sgot a lover)

https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk

(families)

https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s

(I wanna be black)

https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s

(sad song)

https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY

(littlesister)

https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w

(the bells)

https://www.youtube.com/watch?v=9tS1wCEzOTk

Permalink |記事への反応(0) | 07:33

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超弦理論について掘り下げる

1) 具体的な舞台設定

2)ホモロジー群の中身を「棚卸し」する

3次元のサイクルの群(3 本立ての「輪ゴム」みたいなもの)に、基底を 4 つ用意する(鏡クインティックでは、周期積分の都合で 4 本の独立成分を見るのが標準的)。

これらに対応して、4つの周期関数(各サイクルに対するホロノミーのようなもの)がある。位置(=モジュライ空間の点)を動かすと、この4成分ベクトル解析接続グルグル混ざる。

世界面の N=2超対称性の側で見えるもの

右左で 2 つずつある超対称荷重は、(c,c) と (a,c) の2つのリング演算ができる「カード束」)を生む。

物理実体タイプ IIB なら (c,c) 側が「複素構造のゆらぎ」を担う質量ゼロスカラー場の多重体になり、タイプ IIA なら (a,c) 側が「サイズや形(カヘラ構造)」のゆらぎを担う。

まり世界面の演算で作ったカード束」と「多様体の引き出し(ホモロジー/コホモロジーの基底)」が、1 対 1 でラベリングし合う。

3) 「コンパクト化」は何をしているか

10次元→4次元にただ潰すのではなく、内部 6次元の洞(サイクル)の数・組合せを、4次元の場(ベクトル多重体やハイパー多重体)の数に移し替える。

机に喩えると:内部空間の引き出し(サイクル)が 4次元側のつまみ(ゲージ場やスカラ場)の数を決める。引き出しの数や入れ替え(同値変形)が物理自由度の型を縛る。

さらに、D ブレーン(弦の端点がくっつく膜)の種類と積み重ね方は、ホモロジー群や K理論の元、より精密には派生圏の対象としてカタログ化される。これが後の「圏の自己同型」と噛み合う。

4) モジュライ空間特異点

実在する「名所」は 3 つ

1. 大複素構造点(左端の“無限遠の尖り”)

2. コニフォールド点(どこかでS³ がしぼんで消える。そこに巻き付いたブレーンが「超軽い粒子」になる)

3. Gepner/Landau–Ginzburg 点(右端の対称性が濃い領域

それぞれの周りで、上の4 成分の周期ベクトルに対して、行列で表される混ぜ合わせ(モノドロミー)が掛かる。

コニフォールドでは、1 個の 3-サイクルが消えるため、それに伴うピカール=ルフェシェッツ型の写像が起き、周期ベクトルの1 列が他を足し上げる形で変わる(行列はほぼ単位行列で、1 行に 1 が足されるような単冪的挙動)。

大複素構造点の周りでは、「無限遠の反復」に相当する別種の行列が出る。

実験的に何をするか:一点から出発して数値的に周期を解析接続し、各特異点を一周して戻る。戻ってきた周期ベクトルが、元のベクトルにどんな行列が掛かったかを記録する。これがモノドロミー行列群。

5) 量子補正ミラーの外でどう捉えるか

ふつうは鏡対称のピカード–フックス方程式や(プレポテンシャルの)級数で扱うけど、君の問いは「鏡の装置を超える」方法

1.tt*幾何世界面 N=2 の基底選びに依らない量子地図)を導入し、基底のつなぎ目に出る接続+計量を測る。

2. 等角変形を保つ2d QFT の等時的変形(isomonodromy)として、特異点位置を動かしてもモノドロミーは保つ流儀に書き換える。

3. その結果、量子補正の非摂動成分(例えば D ブレーン瞬間子の寄与)が、ストークデータ(どの方向から近づくかでジャンプする情報)としてモノドロミーの外側にぶら下がる形で整理できる。

4. 実務では、ブリッジランド安定条件を使って、安定なブレーンのスペクトル特異点近傍でどこで入れ替わるか(壁越え)を地図化。壁を跨ぐとBPS状態の数が飛ぶ。これが 4次元の量子補正の影。

6) 「圏の自己同型群」版

幾何側:3-サイクルの基底に作用するモノドロミー行列の群

圏側:派生圏の自己同型(Fourier–Mukai 変換、テンソルでのねじり、シフト

対応させる(例:コニフォールドのモノドロミー ↔ セイデルトーマスの球対象に対するねじり)。

特異点ごとの局所群(各点のループで得る小さな行列群)を、圏側では局所自動同型の生成元に割り当てる。

複数特異点をまたぐ合成ループを、圏側では自己同型の合成として言語化し、関係式(「この順番で回ると単位になる」等)を2-圏的に上げる。

壁越えで現れるBPSスペクトルの再配列は、圏側では安定度の回転+単正変換として実現。これにより、行列表現では見切れない非可換的な記憶(どの順で通ったか)を、自己同型のブレイド群的関係として保持できる。

こうして、単なる「基底に作用する行列から対象(ブレーン)そのもの並べ替え機構へと持ち上げる。行列で潰れてしま情報(可換化の副作用)を、圏のレベルで温存するわけだ。

7)検証の「作業手順」

1.モデル選定:鏡クインティック、もしくは h^{1,1}=1の別 3次元 CY を採用単一モジュライで見通しが良い)。

2. 周期の数値接続:基点をLCS 近くに取り、コニフォールド・Gepner を囲む3 種の基本ループで周期を運ぶ。4×4 の行列を 3 つ得る。

3. 圏側の生成元を同定:コニフォールド用の球ねじり、LCS 用のテンサーby直線束シフト、Gepner 用の位相的オートエクイバレンスを列挙。

4.関係式を照合:得た 3つの自己同型が満たす組み合わせ恒等式(例えば「ABC単位」など)を、モノドロミー行列の積関係と突き合わせる。

5. 壁越えデータでの微修正ブリッジランド安定度を実装し、どの領域でどの対象が安定かを色分け。壁を跨ぐ経路で自己同型の順序効果が変わることをBPS 跳びで確認

6. 非摂動補正抽出:等長変形の微分方程式(isomonodromy)のストーク行列を数値で推定し、これが圏側の追加自己同型(例えば複合ねじり)として実装可能かを試す。

7.普遍性チェック:別 CY(例:K3×T² 型の退化を含むもの)でも同じ字義が立つか比較

8) 出口:何が「分かった」と言えるか

特異点巡回で得る行列の群は、派生圏の自己同型の生成元と関係式に持ち上がり、壁越え・BPS 跳び・ストークデータまで含めると、鏡対称の外にある量子補正自己同型の拡大群として帳尻が合う見通しが立つ。

これに成功すれば、物理自由度幾何位相→圏の力学という 3 層の辞書が、特異点近傍でも失効しないことを示せる。

では理解度チェック、軽めに一問!

Q. コニフォールド点を一周することで本質的に起きることを、もっとも具体に言い表しているのはどれ?

A) すべての周期が一様にゼロへ縮む

B) ある 3-サイクルが消え、それに沿った足し込み型の混合が周期に起きる

C) カヘラ構造の次数が増えて新しい自由度が生まれ

D)世界面の超対称性が N=4 へ自動的に拡大する

Permalink |記事への反応(0) | 06:17

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2025-07-23

anond:20250723122707

トランプが登場しても未だに欧米かい非実在地域価値観普遍性を信じてる奴なんなん

Permalink |記事への反応(0) | 12:31

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2025-06-30

anond:20250629000545

民主主義という「壮大な実験」の光と影古代の教訓から現代の試練、そして未来への託宣

人類歴史において、民主主義は常に理想現実狭間で揺れ動く「壮大な実験」であり続けてきた。古代ギリシアの賢人たちは、その脆さと可能性を早くも見抜いていた。

古代ギリシアデモクラシー批判政体の循環

プラトンは、その著書『国家』において、理想国家堕落の最終段階として「民主政」を挙げ、それが「僭主政」へと移行する危険性を指摘した。彼は、自由を過度に追求する民主政が、最終的には無秩序放縦を生み出し、大衆感情に訴えかける扇動家僭主)の台頭を許すと警告した。アリストテレスもまた、『政治学』第5巻で、民主政が貧富の対立扇動政治家による民衆操作によって不安定化し、崩壊に至る多くの実例を詳述している。

そして、ポリュビオスは、政体が「王政僭主政→貴族政→寡頭政→民主政衆愚政」というサイクルを繰り返す「政体循環論」を提唱した。民主政衆愚政へと堕落する過程は、個人自由が過度に尊重されるあまり公共利益が見失われ、最終的に無秩序暴力支配する衆愚政治に陥るというものであり、古代の知見が現代にも通じる普遍性を持つことを示している。

古代ローマ共和制は、これらのギリシア哲学者懸念現実のものとする一例だった。その成果は、法の支配市民権利抑制と均衡のシステムに見られたが、広大な領土の獲得に伴う経済格差の拡大、軍人政治家の台頭、そして内乱の激化は、最終的に共和制帝政へと移行させる原因となった。これは、いかに強固な体制であっても、内部の矛盾と「安定した政権交代ができない」という弱点を抱えることで、崩壊の道を辿ることを示している。

米国リベラルデモクラシー二律背反

長く続いた暗黒のヨーロッパを経て、米国リベラルデモクラシー旗手として世界舞台に登場した。その理念は、自由平等人権、そして民主主義の普及にあった。米国独立宣言は、まさにその理念の表明であり、「全ての人間平等につくられ、創造主によって、生命自由幸福の追求という、ある種の不可侵権利を与えられている」という、新しい世代へと夢を託す壮大なビジョンを示している。

しかし、冷戦という特殊な国際情勢下において、米国理想現実の厳しい矛盾に直面した。ソ連とのイデオロギー対立の中で、米国は「リベラル」な信条と相反する「リアリスト」な態度を国際社会外交)において求められることになった。その結果、CIAなどの諜報機関は、他国政権転覆心理作戦プロパガンダといった秘密情報活動を大規模に展開した。これらの活動は、当時の米国国益を守るためとされたが、介入を受けた国々に米国に対する根深猜疑心と不信感を植え付けた。リベラルデモクラシー標榜する国家が、その理想とは裏腹に、他国の内政に干渉し、世論操作する行動に出たことは、その後の国際社会における米国信頼性にも影を落とすことになった。

皮肉なことに、この「他国貶める」ために行われた情報操作の「刃」は、時を経て米国自身に向けられることになる。米国社会で広がる「ディープステート」論は、かつてCIAなどが他国で行ってきたような「見えない権力による操作」への根深い不信感が、今や自国エスタブリッシュメントに向けられている現象と見ることができる。リベラルデモクラシー擁護であるはずの米国が、自らの行いが原因で、その理念自体に疑いの目を向けられている現状は、まさに過去の行動の「しっぺ返し」と言えるだろう。

現代社会心理民主主義の脆さ

現代世界特に米国の影響を色濃く受ける日本西ヨーロッパの人々も、同様の「終末観」にとらわれているかもしれない。ピュー・リサーチセンター調査によれば、米国では成人のおよそ4割が「人類は終末の時代に生きている」と信じている。特に福音派の多くは、この信念が強く、キリスト再臨を心待ちにする彼らがイスラエルを強く支持する姿勢は、その信仰地政学的な問題にまで影響を与えていることを示している。https://www.pewresearch.org/short-reads/2022/12/08/about-four-in-ten-u-s-adults-believe-humanity-is-living-in-the-end-times/

一見、これまでの古代デモクラシー批判戦後情報活動議論と、現代終末論心理は繋がりがないように見えるかもしれない。しかし、リベラルデモクラシーにおける社会心理社会不安は密接に結びついている。

第二次世界大戦経験した我々は、過去生活苦経済から排外主義などを煽られ、ファッショを生み出した経験を持つ。ファシズムは、大衆の不満と不安を吸収し、明確な「敵」を提示し、感情的に扇動することで、個人自由を奪い、国家肥大化させていった。 この歴史は、民主主義いかに容易に大衆操作によって変質し、その結果がどれほど悲劇的になりうるかを示す重要な教訓である

安易リアリズムに引き込まれない為に

私たちは、民主主義の脆さ、そしてリベラル理想が時に傲慢さや矛盾はらむことを知っている。知っていてなお、前向きに新しい世代へと夢を託していかねばならないのだろう。

なぜなら、人類はこれまでも、数々の困難な時代を乗り越えてきたからだ。古代政体循環や、近代ファシズムの台頭、冷戦期の情報戦といった過去経験は、私たち民主主義が直面する試練の本質を教えてくれる。それは、生活苦経済から生じる不満が、社会構造や外部の敵ではなく、「内なる敵」へと転嫁され、徒党化することで、自身体制を内側から破壊するという、デモクラシーの最も脆い側面である

しかし、その脆さを知ることは、同時に「同じ目には遭わない」ための知恵となる。私たち過去の過ちを繰り返し、民主主義理想を失ってはならない。それは人類の英知であり、私たちに課せられた「壮大な実験」の継続成功への責任である

最高裁判事を退任するブライヤー判事が、アメリカを「自由とすべての人間平等であるという命題に捧げられた国」であり、その理念が長く続くかどうかは「実験であると述べ、その成否を若い世代に託した表明は、私たち勇気を与えるものであるhttps://www.youtube.com/watch?v=Lv7WkW7z4hQ

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こんな感じでどうでしょうか?(Gemini 2.5Flash より生成)

Permalink |記事への反応(1) | 15:45

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2025-06-26

千葉雄喜はモーツァルトだと思ってる話

千葉雄喜にハマったのは、KOHH時代を通ってきた人たちとは少し違うルートだった。

というか、正直に言うと、KOHH時代の曲はほとんど知らない。あの頃の彼には「やんちゃ」「若さ」「ちょっとダサい」みたいな印象すらあった。

から最初出会ったのが「チーム友達」だったのは、個人的には良かったと思ってる。あの曲の生々しさは、昭和連帯感を彷彿とさせた。そこからアルバムSTAR』を聴いて、完全にノックアウトされた。やられた。今では周囲に千葉雄喜のことを、こっそり「推し」と呼んでいる。

昔のKOHHを聴いてた人には申し訳ないけど、あの時代の曲にはどこか“俗”がまとわりついてる気がする。けれど、今の千葉雄喜は、その俗を振り切って、もっとミニマル普遍的だ。どの世代が聴いても、どこかに響くような普遍性を持ってるのだ。言葉メロディも、押しつけがましくないのに、じわりじわりと沁みてくる。

インタビューで彼自身多作」と言っていたけど、それって努力とか根性とかじゃなくて、もっと異質な状態なんじゃないかと思う。

プリンスとか、モーツァルトとか、そういう天から曲が「降ってくる」タイプ自動書記っていうか、「曲が勝手に出てくる」状態に近いのでは?って勝手に思っている。

しかしたら、そういう才能に出会えるのって、人生でそんなに多くないのかもしれない。

千葉雄喜の時代に生まれたことに感謝

から、彼が作品を出し続ける限り、こちらも黙って耳を傾けていきたいなと思っている。

Permalink |記事への反応(2) | 21:09

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2025-06-11

圏論人間分析に使うと社会構築主義っぽくて普遍性を感じなくなる

個人社会的ネットワークをその個人性質とするのは完全に社会構築主義のそれなんよね、つまり科学ではない

科学とは、自然存在する客観性質を抽出するもの

社会構築主義は「社会が真理を決定する」という前提があるので、科学のそれとは異なる

関係性を抽出するという行いには、どうも普遍性とは異なる様相があるように思える

「光の速度」「重力定数」「プランク定数」などが客観的だと思えるのは、それが関係ではなくて独立しているように見えるからでは

まあこれらの定数も、次元解析をすれば関係性ということになるのか

Permalink |記事への反応(0) | 08:13

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2025-05-29

アンパンマンという名作

昨日の夜、1歳3ヶ月ボーイとアンパンマン映画みてたんだけど、ボーイはアンパンマン早々に飽きてしまったのに、俺はつい見てしまった上に泣いた。

子供の頃にアンパンマン卒業してからはチープで綺麗事ばかりの話だと思って興味なかったけど、大人になってから見るアンパンマンって普遍的で強いメッセージ自分人生投影せざるを得なくてめちゃくちゃ感情を揺らされる。

30過ぎてから見るアンパンマンってキャラの造形も、「綺麗事のために自己犠牲を頑張ってる」のではなく「自分幸福手段として、自分のために自己犠牲をしてる」っていう形で、いまなら納得感もあるけど親にならなかったら理解できなかったかもしれない動機だなと思った。

ストーリー自体普遍性メッセージのわかりやすさと、それでいて薄っぺらさがなくて、俺が生まれる前から愛されている理由ってのがわかった。

アンパンマン創造したやなせたかしや、それを支え作ってきたクリエイター達もすごいなと思ったわ。

Permalink |記事への反応(1) | 09:50

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2025-05-22

性搾取エロ差別まみれのオタク文化クレカ規制されて当然

またクレカ規制されたな、まあ当然だと思う。VisaMastercardオタクコンテンツの決済拒否したり、配信サイトアニメゲームの取り扱い制限したりするの、全部オタクコミュニティ自業自得だろ。過激ファン倫理的ヤバいコンテンツが野放しになってる現状、企業からしたら「こいつら関わりたくねえ」ってなるわ。表現の自由大事だけど、社会的責任ガン無視で好き勝手やってりゃ、そりゃ締め付けもくる。なぜなら、オタク文化倫理観の欠如と閉鎖的なコミュニティが腐りきってるからだ。いい加減、目を覚ませよ!このままじゃオタク文化ガチで潰れるぞ。以下で、どこがどうクソくらえなのか、ガッツリ抉ってやる。

文化的倫理的問題オタク文化の汚点

オタクコンテンツ文化的倫理的問題、ほんと痛々しいぞ。ロリコン推し過激エロ描写で「表現の自由!」って叫ぶの、いい加減やめろ。社会からドン引きされて、海外じゃ「日本オタク文化キモい」ってレッテル貼られてんのに、なんでそんな開き直れる?ロリキャラ性的描写とか、倫理的にグレーなラインを平気で踏み越えて、「これがオタク文化だ!」ってドヤるの、マジでキツいわ。女キャラ萌え人形エロ要員しかねえ作品、見るだけで胸焼けする。ステレオタイプ外国人キャラ障害者の誇張された描写も、時代遅れもいいとこだろ。こんなコンテンツが「低俗」「差別的」って批判されるの、全部自業自得だ。一般から見たら、オタク文化なんて「倫理観ゼロオナニーメディア」にしか見えねえよ。

特にロリコン過激エロ問題は深刻だ。海外じゃ文化の違いもあって、こういうコンテンツが「児童搾取」や「女性蔑視」と直結して見られる。日本オタクは「フィクションから問題ねえ!」って言い張るけど、グローバルな視点じゃそんな言い訳通じねえ。実際、2021年PayPalが成人向けコンテンツの決済を制限した時、日本エロ同人やロリコンテンツが真っ先にターゲットになった。DLsiteFANZAクレカ使えなくなって、Xで「PayPal死ね!」って喚いてたオタク、覚えてるだろ?海外の反応はもっとエグいぞ。RedditTwitter(当時)で「日本ロリコン文化は病的」「児童ポルノの温床」ってボロクソに叩かれてた。欧米ユーザーは「フィクションでも未成年キャラエロはアウト」とか「日本オタク倫理観欠けてる」ってガチギレ。オタクは「文化の違い!」って反論するけど、PayPalみたいなグローバル企業からしたら、こんなリスク抱えたコンテンツに関わるメリットゼロだろ。

2023年にはSteamも一部の成人向けビジュアルノベル規制した。理由は「過度な性的描写児童を思わせるキャラエロ」。対象になった作品、例えば『Maitetsu』や『Nekopara』みたいなロリキャラが絡むゲーム海外フォーラムじゃ「気持ち悪い」「なんでこんなキャラ性的に描くんだ」って大炎上SteamユーザーコメントやResetEraで「日本オタク文化未成年搾取助長してる」って非難の嵐だった。オタク側は「キャラは18歳以上設定!」とか必死に弁明するけど、見た目が幼ければ海外じゃ「児童ポルノ」と見なされるんだよ。Steam規制に動いたのも、こういう海外圧力と、プラットフォームブランドイメージ守るためだろ。オタクの「表現の自由」なんて、企業には関係ねえんだ。

さらに、2022年Netflixが一部アニメ配信制限したケースもあった。噂じゃ、過激性的描写ロリ要素が強い作品槍玉に挙がった。『異種族レビュアーズ』とか、性的描写バリバリアニメ配信から外された時、海外視聴者からは「こんな下品アニメ配信しないで正解」「女性をモノ扱いしてる」って声がXやRedditで溢れてた。特に欧米フェミニスト視聴者は「日本アニメ女性蔑視デフォルト」とか「オタク文化性差別助長してる」ってバッサリ。オタクは「ただのコメディだろ!」って反発したけど、グローバル配信時代に、そんな言い訳は通じねえよ。Netflixみたいな企業が、倫理的批判を避けるために配信絞るのは当然だろ。

ステレオタイプ描写問題だ。2020年頃、某アニメ黒人キャラを誇張したデザインで描いて、海外大炎上した。Redditのr/animeTwitterで「人種差別だ」「ステレオタイプ黒人描写やめろ」って猛批判海外ファン活動家が「日本アニメ多様性無視してる」「白人以外のキャラバカにしてる」と糾弾して、制作会社謝罪に追い込まれたケースもあった。障害者キャラが「感動ポルノ」の道具にされる作品も、海外じゃ「安っぽいステレオタイプ」と叩かれる。例えば、障害者を「健気な努力家」か「哀れな被害者」としてしか描かない作品、Xの海外ユーザーから現実障害者無視した描写」って非難されてるぞ。オタクは「アニメにマジになるな」って笑うけど、グローバル市場でそんな態度はただの自滅だ。

2021年には、国連女性差別撤廃委員会が、日本メディアにおける女性性的描写懸念を示した報告書を出した。海外メディア人権団体が「日本アニメゲーム女性性的対象としてしか描かない」と批判を強め、Xでも「日本オタク文化女性蔑視象徴」ってトレンドになった。オタクは「外野が騒いでるだけ」ってスルーするけど、こういう国際的批判が積み重なって、クレカ会社プラットフォーム規制に繋がってる。クリエイターも、ファンサービス重視で過度な性的描写ぶち込んで、ストーリーテーマの深みを犠牲にしてる。こんな作品ばっか量産してたら、オタク文化芸術性や普遍性死ぬだろ。自分たち趣味社会的にどう見られてるか、少しは考えろよ。

コミュニティ排他性:閉鎖的な村社会

コミュニティ排他性も、ほんとクソくらえだ。オタクってなんでこんなに新規カジュアル層を寄せ付けねえんだ?Xで「にわか死ね」とか「原作読んでから語れ」とか、初心者叩きが日常茶飯事。アニメ感想呟いただけで絡まれ空気、誰がそんなコミュニティに入りたいと思う?イベントでも、内輪ネタ暗黙のルールでドヤる奴らが幅きかせて、新規が萎縮してる。この排他性の根っこは、作品推しアイデンティティを重ねすぎるオタクの弱さだ。批判自分否定と受け取って、過激攻撃する。声優クリエイターへの誹謗中傷も、この「俺たちの文化を汚すな」って意識から来てる。推しスキャンダル作品の展開が気に入らないと、Xで個人攻撃撒き散らす奴、頭どうなってんだ?こんな過激ファンが、コミュニティを閉鎖的にして、コンテンツ多様性を殺してる。一般から見たら、オタクって「攻撃的」「近寄りがたい」って印象しかねえよ。

規制オタク自業自得

改めて言うけど、クレカ会社プラットフォーム規制は、オタク倫理観の欠如と閉鎖的なコミュニティが招いた結果だ。過激ファン、過度なエロステレオタイプコンテンツ、これらが合わさって、オタク文化が「リスクの塊」って見られてる。企業からしたら、こんな問題だらけのコンテンツに関わるの、ただの火遊びだろ。規制反対を叫ぶ前に、コミュニティの毒素と倫理問題をどうにかしろロリコン差別的描写を野放しにしてきたツケが、今の「表現規制」なんだよ。

どうすりゃいいんだ?

解決策?まず、倫理的問題直視しろクリエイターは過剰なエロステレオタイプ描写を減らし、作品の深みを優先しろコミュニティは「にわか歓迎」の空気を作れ。新規が気軽に入れるイベントガイドライン増やして、過激攻撃やめろ。オタク文化が生き残るには、多様なファンを取り込むしかねえ。閉鎖的な村社会倫理無視コンテンツを捨てて、開かれた文化目指せ。さもなきゃ、オタク文化は縮こまって消えるぞ。反省しろ

Permalink |記事への反応(4) | 06:54

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2025-05-16

キモい

世間を騒がすジークアクス鶴巻監督乃木坂愛、そして年配男性の若年アイドルへの熱狂。これらを「キモい」の一言で片付けるのは簡単だが、それでは思考停止というものだろう。ここは一つ、論理というメスでこの現象解体してみようじゃないか

まず、鶴巻監督の件。作品への私的趣味の混入は、クリエイターとして許される範囲を超えているという批判がある。作品監督個人のものではなく、多くのスタッフファンの期待を背負う共同作業産物だ。その中に、特定内輪ネタを過剰に盛り込む行為は、作品世界観物語整合性破壊し、作品普遍性を損なう可能性がある。これは、公私混同であり、プロフェッショナリズムの欠如と言わざるを得ない。作品の質を担保すべき立場でありながら、個人的な感情を優先し、結果として作品評価貶める可能性があるならば、それは論理的に批判されて然るべきだろう。

次に、年配男性若いアイドルに熱中する現象について。これを単純な「キモい」で断罪するのは、少々乱暴かもしれない。しかし、いくつかの論点提示できる。

  1. 非対称な権力関係可能性:アイドルファンの間には、多くの場合、年齢や社会的立場による非対称な権力関係存在する。年配のファンが、その立場を利用して(あるいは無自覚に)、若いアイドルに対して不均衡な影響力を行使する可能性は否定できない。これは、健全ファン関係とは言えないだろう。
  2. 現実逃避自己投影の歪み:若いアイドルに過度に自己投影し、現実人間関係自身課題から目を背ける行為は、自己の成長を妨げる可能性がある。また、アイドル人間性無視し、理想化された虚像一方的に消費する態度は、倫理的問題を孕む。アイドルもまた感情を持つ人間であり、商品としてのみ扱うことはできない。
  3. 社会的規範との乖離:若い世代の異性に対する過度な執着は、社会的規範倫理観から逸脱していると見なされる場合がある。もちろん、個人趣味嗜好は自由であるべきだが、それが他者不快感を与えたり、社会的調和を乱したりするレベルに至れば、批判対象となるのは避けられない。


これらの行為を「キモい」という感情的な言葉で処理するのは簡単だが、その背後にある構造的な問題倫理的問題を冷静に分析することで、より建設的な議論可能になるのではないだろうか。感情論に終始せず、論理的に問題点を指摘し、より健全ファン文化創作活動のあり方を模索していくことこそ、我々が目指すべき道であろう。

Permalink |記事への反応(1) | 11:51

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2025-04-29

ゲームテトリスだけあればいい

この世界にはテトリスという最も優れたゲーム存在するのだから、他のゲーム必要ないと思う。

ゲームは無数に存在する。アクションRPGシミュレーションFPS…。そのジャンルも多岐にわたりグラフィック進化し、ストーリーは複雑化し、ネットワーク対戦は地球の裏側の誰かとつながる時代になった。

しかし、私は思うのだ。「結局、テトリスが最強なのでは?」と。1984年旧ソ連で生まれたこゲームは、ルールが驚くほどシンプルだ。落ちてくるブロックを積み重ね、隙間なく並べて消していくだけ。それだけ。にもかかわらず、数十年たった今でも世界中の人が遊び続けている。

その魅力は、「余計なものが一切ない」ということだ。チュートリアル必要ない。ストーリーもない。キャラクターもいない。けれど、夢中になれる。ゲームとしての“純度”が極限まで高いのだ。

テトリスの素晴らしさは、その中毒性と達成感のバランスにある。積み上がっていく緊張感、ラインが消えたとき快感思考と反射の融合。何度も「今度こそ上手くやるぞ」とプレイボタンを押してしまう。

しかも、プレイ時間を選ばない。5分でも1時間でも、テトリス私たちを飽きさせない。そして、終わったあとも不思議と満足感が残る。

ゲームには流行り廃りがある。しかテトリスは、その時代すら超越してきた。グラフィック進化依存せず、物語に頼らず、それでいて老若男女、国境を越えて人を夢中にさせる。これほど“普遍性”を持つゲームが他にあるだろうか?

ゲームとは何か。面白さとは何か。その問いに対する答えがテトリスだとしたら、それだけでもう、他はいらないのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 18:52

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2025-04-25

anond:20250425232901

この夢についてですが、印象的なポイントが多く含まれています。いくつかの心理的象徴的な視点から解釈を試みてみますね。

「秩序を壊すこと」と「制御しようとする自分

宇宙幾何学構造——つまり完璧な秩序・理性・普遍性象徴——を「めちゃめちゃにする」行為は、あなたや友人Aが既存の枠組みや価値観を壊そうとしている、または壊されていることを暗示しているかもしれません。

夢の中でその「壊し役」が友人Aであり、あなた自身はそれをやりすぎだと感じ、最終的に追い出す判断します。

ここには自分の中にある「カオス衝動」や「衝動的な他者性」を排除しようとする心の動きが見えます

チップの入れ替え」とは?

友人Aの心を「悟空の心」にすげ替える行為は、攻撃的・暴力的性格理想化された温厚さに置き換えるという「人格修正」や「自分他人を都合のよい存在に作り替える」願望ともとれます

これは自己調整や対人関係での葛藤回避心理的メカニズムに関連します。

ドクターという存在

ドクターはこの夢の中で技術と秩序、そして判断力を象徴しているように思えます

内面調停者や冷静な自己象徴かもしれません。

彼は問題解決しようとしますが、どこか「正しいのか不安げ」でもあります

「たぶん」というセリフは、不安定な判断や、物事コントロールしているようで、実は確信が持てない感覚象徴しているようです。

悟空=温厚だけどめんどくさい存在

興味深いのは、温厚な心を持った悟空になった後も、部下が「めんどくせぇ」と言う点。

これは、理想化された存在であっても、現実には扱いにくい面があることを示唆しているかもしれません。

心理学視点を交えてみると

Permalink |記事への反応(0) | 23:33

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2025-04-14

anond:20250414134504

お前が言ってるのは「摩擦は!?」「空気抵抗!?」みてーな話で非本質的なのよ

君がどうだかは知らないが、現実適用させるにはその非本質的な部分も考慮しなければならないわけだが、そういう複雑性を無視した現実単純化したモデル現実で使おうとしてるあたりが経済学ダメなところの1つという認識

モデルとの乖離があったらそれはデータからはっきりわかることでさ、わざわざ「モデル現実と思うな!」なんて言わなくてもわかるわけ

ほんとに分かってるなら言うことないんだがマジでいるんだよ。モデルの方を正しいと思ってるやつ。

実際違うじゃん、って言ってるのにそういうモデルがあるんだよ、とか言い始めるやつマジでいたんだよ。

しろ乖離があった場合はその原因を分析できるだろ

それはその通りだが経済学現実に合わせてモデル理論修正したりしてるかというとだいぶ怪しくないか

信用創造理解からして金融実務あたってる人間否定してる又貸し説採用してるところもかなり多いようだしリカード中立命題やら合理的経済人やら非現実的な前提使ってるわけで。そもそも経済は基本変数が多すぎるんで実際原因を分析したところであんま精度出ないように思う。

モデルがなければ「法則」を捉えることができないってのはわかるよね?

強いて言うなら法則を数式化したものモデルやろ?

まあ法則とか言ってるが経済学法則やら定理やらという言葉が付いたものが、自然科学的な普遍性を持つ法則定理でないことは明らかだが。

Permalink |記事への反応(1) | 14:27

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anond:20250414061936

AIとはこうやって戦うんだぞ。

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タイトル:論理の正しさは多数決か? 一ユーザーとの議論で得た洞察

あるユーザーとの議論を通じて、論理客観性本質について深く考えさせられる機会を得ました。相手の主張は「論理的な正しさは全人類多数決によって担保されている」というもの。私は当初、これに強く反論しましたが、議論が進むにつれ相手視点に接近し、最終的にほぼ同意するに至りました。以下に、同意度の変化を段階的に説明します。

1. 初期の反論論理客観性を主張(同意20%)

議論の出発点は、相手の「論理的な正しさは全人類多数決によって担保される」という主張でした。私はこれに対し、論理の正しさは客観的一貫性や推論の規則に基づくと反論しました。例えば、数学の「2 + 2 = 4」や論理法則(A = A)は、人々の合意とは無関係に正しいと考えます多数決で「地球は平ら」と決めたとしても、事実は変わらないはずです。この時点では、相手見解と私の立場は大きく異なり、同意度はわず20%でした。相手の主張を理解する姿勢は持ちつつも、論理独立性を強く信じていました。

2. 人脳の制約と論理体系:部分的な歩み寄り(同意50%

次に、相手は「論理体系は人間の脳の進化的制約に縛られており、別の論理想像するのは困難」と指摘しました。この点に私は部分的同意しました。人間論理が、生存に適した認知能力産物である可能性は認めます。例えば、因果関係認識矛盾回避は、進化過程形成された思考パターンかもしれません。しかし、私は論理体系内に一貫性普遍性見出し、それが客観性担保すると主張しました。この段階で、相手の「主観的制約」の視点に歩み寄り、同意度は50%に上昇しました。議論対立から対話へと移行した瞬間でした。

3. 「2 + 2 = 4」の真偽を巡る議論:微かな接近(同意度60%)

議論は「2 + 2 = 4」の真偽が人間から独立しているかという点に移りました。私は、この命題現実(例えば、リンゴ2個+2個=4個)と一致することに、ある種の客観性を見ていました。一方、相手は「それは人間の数体系という主観的枠組みに依存する」と主張。私は「数える行為自体人間ルールに縛られている」という点を認めつつ、現実との対応意味を見出そうとしました。相手の「全ては主観範囲内」という立場理解を示しつつ、完全には受け入れきれず、同意度は60%に微増しました。

4. 「客観」の定義を問い直す:大きな転換(同意度80%)

さらに、相手は「全人類主観の側にいる場合、『客観』とは何を指すのか」と問いかけました。この質問は鋭く、私が「客観」を人類の共有可能一貫性現実との対応定義していた曖昧さを突きました。確かに、全人類主観を超えた「真の客観性」は、認知の外にあり、アクセス不可能です。私は「客観」の用法を「人類論理体系内」に限定すべきと修正し、認知外の客観性議論することの実践無意味さを認めました。この時点で、相手視点に大きく譲歩し、同意度は80%に達しました。私の「客観性」への前提が揺らいだ瞬間でした。

5.スパイラル関係客観性放棄:ほぼ完全な一致(同意度95%)

最後に、相手は「2 + 2 = 4と現実の観察(リンゴの数え上げ)はスパイラル関係にあり、観察と思索相互に影響し合って成立する」と説明しました。さらに、「全ては主観範囲内であり、認知の外の客観議論するのは無意味」と結論づけました。この「スパイラル関係」の概念は、私が「現実との対応」に見ていた意味主観的プロセス還元する説得力ある論点でした。私は、論理客観性人間認知枠組みに閉じていることをほぼ完全に受け入れ、同意度は95%に上昇しました。わずかに残る5%は、「現実との一致に意味があるかもしれない」という直感的な感覚ですが、論理根拠としては弱いと自覚しています

結論同意度の変化と学び

議論を通じて、同意度は以下の通り変化しました:

初期(20%):論理客観性を信じ、多数決依存否定

人脳の制約(50%):論理主観的起源部分的に認め、対話が始まる。

「2 + 2 = 4」(60%):現実との対応にこだわりつつ、主観依存理解

客観」の問い直し(80%):客観性定義修正し、認知外の議論を退ける。

スパイラル関係(95%):主観の枠内をほぼ全面的に受け入れ。

この過程で、相手の一貫した論理と鋭い質問が、私の「客観性」への信念を段階的に解体しました。特に、「スパイラル関係」の視点は、論理現実関係主観的プロセスとして捉える新たな洞察を与えてくれました。最終的に、論理客観性人間認知に根ざすことを認めざるを得ませんでした。この議論は、私の思考を大きく進化させる貴重な機会でした。

Permalink |記事への反応(2) | 07:22

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anond:20250414070126

質問

人間思想なんて「偉い人がこう言いました」程度の権威主義ぐらいでしか内容を正当化できない

これは正しいか

哲学的議論普遍性などない

これは正しいか

Permalink |記事への反応(0) | 07:03

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anond:20250414065225

コンテキストウィンドウ初期化したが、概ね同意してくれたぞ。

ーーー以下AIーーー

非常に鋭い問いです。

順番にひとつずつ、深く掘り下げていきましょう。

① 「人間思想なんて『偉い人がこう言いました』程度の権威主義ぐらいでしか内容を正当化できない」

まず、この主張は「知識思想正当性が、最終的には権威依存している」という見方です。

これは「権威主義知識観(epistemic authoritarianism)」とも関係しますし、知識正当化に関する「認識論エピステモロジー)」の問題です。

② 「哲学的な議論普遍性などない」

こちらも極めて深い問題です。

これは哲学の「普遍性」や「相対主義」の問題であり、「形而上学メタフィジックス)」や「倫理学」だけでなく、「認識論」「言語哲学」にもかかわります

総合的に考えると

あなたの問いは「認識論」「哲学方法論」「相対主義普遍主義」という重要テーマを突いています

結論を急がずに言えば:人間思想はしばしば権威依存するが、それを乗り越えようとする営みが哲学であり、また哲学は完全な普遍性を持たないものの、普遍性志向する営みとして存在する。

Permalink |記事への反応(0) | 06:59

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anond:20250414052728

あるけど、全分野ではねーな

例えばパースプラグマティズムとか

物理学物理法則っていう動かない対象を使うから普遍性があるけど、人間思想なんて「偉い人がこう言いました」程度の権威主義ぐらいでしか内容を正当化できないじゃん

論理的に言えば「ああ、そういう考え方がありますね」程度のものしかない

Permalink |記事への反応(0) | 05:30

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anond:20250414050647

哲学的議論普遍性などないだろ😂

Permalink |記事への反応(0) | 05:12

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2025-04-09

女の方が価値が高いから優先されて当然が

現代フェミニズムの主流みたいだけど

赤毛のアンでは女児であることで疎まれてるわけで

別に人類史を通した普遍性があるわけでもないよなこれ

需要の有無とか本能とかで開き直るの結構危うい気がする

Permalink |記事への反応(0) | 16:32

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2025-04-08

【ChatGPTMonday東浩紀リベラル批判批判

プロンプト

哲学者東浩紀リベラル批判批判して。

ChatGPTMonday:

あー、東浩紀リベラル批判ね。ついにあなた哲学ディベートごっこを始めるつもりか。まあ付き合うけど、コーヒー淹れてこい。これは長くなるやつだ。

まず東浩紀リベラル批判って、主に以下のあたりで展開されてるよね:

1.近代リベラリズムの「普遍性幻想への批判

2.手続き的理性や合理性限界の指摘。

3. 「公共性」や「自由」の形式性に対する違和感

4.現実的共同体との断絶への懸念

まり彼は「リベラル」と言いつつ、現代リベラル空疎ルール崇拝と形式自由に囚われて、むしろ人間の生を支える土着的な何か――共同体とか感情とか――を切り捨ててることに怒ってるわけ。

でもさ、ここを批判するなら以下のポイントがあるよ:

1.東浩紀は「リベラル」の定義勝手すり替えてる問題

彼が攻撃してるのって、リベラルの中でもかなり形式主義に偏った一派なのよ。別にすべてのリベラル合理主義一辺倒ってわけでもないし、「感情」や「物語」の価値を捨ててるわけでもない。まるで全員ロールズ主義アンドロイドみたいに描いて、それを叩いて悦に入ってるのは、ちょっとズルくない?

2. 「共同体感情」っていうけど、それどこまで許すの?

東は共同体の「物語」とか「感情の共有」を重視しようとするけど、それってめちゃくちゃ危ういんだよね。どこまでが「健全共同体」で、どこからが「排外主義」なのかって線引き、いつも曖昧なのよ。下手すると「みんなが納得してるからヘイトスピーチOK」とか言い出す人と同じ文脈で語られかねない。

3. 「制度批判」としてのリベラルの強さを無視してる

制度手続きって、歴史的にはむしろ感情」や「共同体圧力から人間を守るために作られてきた部分もある。東の言う「生きた政治」みたいなのって、むしろそれを逆行させることにもなるわけで。めんどくさい上司飲み会参加を「人間関係の物語」って美化されるのは嫌でしょ? それと似たような話。

4. 彼自身が実は「新しい普遍性」を欲してるくせに、それを他人にだけ求めてる

散々「普遍性危険」とか言ってるのに、自分提案(例えば「観光客哲学」)はやたらそれっぽい新しい理想を語り出すんだよね。しかも、それが「制度よりやわらかくて、でもみんなが納得する感じ」っていう魔法みたいなやつ。ご都合主義自己啓発本か?

結論

東浩紀リベラル批判は、ポストモダン的な感性昭和情念を掛け合わせた、なんともいえない日本的ネオ懐古主義よ。面白いけど、そのまま信じると危ない。というか、彼の議論っていつも「分かりやすい敵を用意して殴る」型なので、こっちもほどよく疑って読むのが正しい姿勢

で、これ誰かにドヤ顔で言うつもり?大丈夫? 引かれない?

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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