
はてなキーワード:普通とは
ロシアも少数民族とか囚人前線に放り込んで一般人は普通の生活送ってるし
子供が〇〇菌とか言ってるのと同じノリで、あいつキモいし暗いしなんか触りたくねーよなって言ってるだけだろ
そういうなんとなくのノリが共有されてれば、どんな言葉を当てるかなんて些細なことだろ
言葉ってのはノリなんだよ
みんなで楽しくウェイウェイ言ってることこそが本質で、定義なんてのは後から細かい人がそれに合わせて言語化してくれれば良いだけの話であって、「定義に沿った正しい言葉遣い」なんてのはやりたい人だけがやれば良いんだよ
普通は初めにノリとか雰囲気で言葉が決められて、後から定義がついてくるんだよ
世間的に「清潔感」が「お前なんとなく汚ねーから外見ちゃんとしろよ」ってノリになってるんだから、それでいいんだよ
その「清潔」の部分だけ取り出して過度に固執するんじゃないよ
📌結論
患者へのメッセージ配信(SMS /WhatsApp / 専用アプリ)
つまり、
Tさんが言っていた 「病院からLINEで動画と正しい情報を送れ」
↓
多くの病院に Misinformation Task Force(誤情報対策部門) がある。
やっていること:
つまり、
名称は PatientEducation Center / HealthEducation Library。
やっていること:
アメリカでは
という考え方が徹底されている。
動画編集チーム
という構造ではない。
誤情報よりも
🔥 総まとめ(超短縮版)
アメリカ:
日本:
📌結論
患者へのメッセージ配信(SMS /WhatsApp / 専用アプリ)
つまり、
Tさんが言っていた 「病院からLINEで動画と正しい情報を送れ」
↓
多くの病院に Misinformation Task Force(誤情報対策部門) がある。
やっていること:
つまり、
名称は PatientEducation Center / HealthEducation Library。
やっていること:
アメリカでは
という考え方が徹底されている。
動画編集チーム
という構造ではない。
誤情報よりも
🔥 総まとめ(超短縮版)
アメリカ:
日本:
✗ 「出る杭は打たれる」文化
✗集団の和を乱すな
✓個性を伸ばす
✓ 褒めて伸ばす文化
結果:
「みんなと同じ」が安全
「目立つ」=リスク
欧米:
「目立つ」= 素晴らしい
結果:
「いえいえ、私なんて...」=美徳
謙遜しないと叩かれる
欧米:
「Thankyou!」(褒められたら素直に受け取る)
自分の成果は堂々と主張
謙遜しすぎ = 自信がないと見られる
結果:
4. 失敗への恐怖日本:
失敗 = 恥
一度の失敗が致命傷になりうる
「失敗しないこと」が重視される
欧米:
失敗 = 学びの機会
結果:
→ 新しいことに挑戦できない
出典:リクルートブライダル総研、マッチングアプリ各社調査結論:あなたの経験は異常ではない。日本では「普通」です。🎭 なぜ日本人女性は受け身なのか?社会構造的な理由1.ジェンダー規範の刷り込み幼少期からの教育:
✓男性を立てる
結果:
→受け身が「女性らしさ」という刷り込み2.社会的リスクの回避積極的な女性への視線:
✓ 「軽い女」と見られるリスク
✓ 「必死」と思われる恐怖
✓ 友人グループ内での評判
結果:
→男性が動くまで待つ3.恋愛マニュアル文化女性誌・恋愛本の典型的なアドバイス:
✗ 「男性を追わせる」
✗ 「すぐ返信しない方がモテる」
結果:
→ 本当は興味あっても連絡しない
→ 「戦略」として受け身を演じる4.選択肢の多さ(マッチングアプリ時代)女性側の状況:
結果:
→ 一人一人への投資が薄い
相変わらずとか何が見えちゃってるのかわからんが
普通軍事行動を起こす時には戦闘機が出る、軍艦が出るというのは当たり前なんだよ
俺は別に戦闘機乗り憧れだからやってもいいが戦闘機に乗るには当然戦闘機がいるし
戦闘機が出撃する空港や空母の整備にも何千人という人間が関わるわけだ
多少脳みそがあれば誰にもわかる話だから賢い君には当然わかってるだろうが
それを無視してモロトフカクテルで特攻してこいってんだからびっくりするよなあ
左翼って竹槍でB29落とせ派の人たちだとは思いませんでした
保守が何を守るかといったら「今までやってきたこと」で、保守派とは伝統を守る派
リベラルはそれに沿わない新しいことも受け入れる派
たったそれだけ
19世紀半ばのまだ貴族もいる、奴隷もいる、資本家は子供でもなんでも金にあかせて実質的な奴隷にして買えた時代には共産主義で無理やり武力でそれを打ち倒そう、世の中を正すために共産党で独裁しよう、というのは非伝統的なことだったわけや
そしてソ連ができて中華人民共和国とかポルポトとかもできて、まあクソほど人が死んでも生き残った共産主義、元共産主義の独裁国家が武力で周辺国家を侵略してる状態になった150年以上後の今にいまだに全体主義独裁国家ってのは定義的にはリベラルとは真逆でガチガチの保守やで
日本で言ったら武士は無礼打ちオッケーっていまだにやってるようなもんや
普通はしてないで
共産主義者の方々が自分はリベラルだ!と主張して日本ではそれがある程度通ってるからおかしくなってるが
高校生がJump演奏する動画が推薦されたので観てみたんだけど、
異常に再生数多いからなんなんだろうと思ったら、ギターの女子高生「だけ」が異常に上手かった…😟
広場恐怖とかのある私は当然、いや、普通の人でも、大勢の前で"Eruption"を完璧に演奏するのは無理です
上手すぎて、寧ろ丁寧に感じられもした(ステージでも冷静なタイプなんだろうなあ…)ので、なんかもっとぶっ飛んだ汚い演奏してもいいぐらい、
原曲の音源ですか?みたいにさえ感じられた、あー、なんか全然ヴァンヘイレンもできないんだよなあ、俺、
ヴァンヘイレンって、音楽理論的には、失礼ながら大したことなかったり、要はワンコードだったりもするんだけど、
デイヴィッドリーロスの方は微妙だったので、がんばりましょう…😟自分はボーカルも駄目なんで偉そうなこと言えないけど…
そういえば、家から一番近いと思われるボイトレスクールの前まで昨日行ってきたんだけど、
え?ここ、入れるの?みたいなところから、そのビルの区画に入れて、ちょっと驚いてしまった
あげるのは一般的な(普段はやらないけど餅つきみたいな)調理法だけど
知能がどうとか書くと、何か言われがちなのは了承済みで、ちょっと悩み事を書きます
知能高いって言ってるけど、どれほどの問題については、色々東大京大卒、国立医学部卒の学力の持ち主しておいてください。
一方で、家内は、いわゆる普通の4年生大学を出た人、この表現も悩ましいけど、一般的に言う偏差値は50としてください。
以上前置きで、実際知能の格差があることで、とても悩んでる結婚生活っていかがなもんでしょうか?
いくらか列挙
これが当然ながら本体。具体的には、日常会話などで自分がなんとなく話していることについて、当然、ナチュラルスピードでは話せない。少し理解がつまずいたなぁと思うと補足説明や例え話をしたり少し手間が多い。また話す。スピード自体も普通だと早すぎるとなるのでとても遅くした調整をする。
日常会話としたものの、関心の範囲やトピック、それ自体にも大きく差が出る。
例えば、私自身は、経済金融や社会政治、医療や科学技術など、少し後半に興味が広いタイプの人間です。日常的にも、今はとても安くなった本を中心に、専門家が書いた一般書なんかを読みっています。
たいして相手はと言うと、そういう話には飛んで、安心はなく、こういった話をすると、少し難しい話をされた顔をしてわかったようでもない。相槌だけが返ってきます。
もちろん、誰でも自分の知らない話をされるのは、快適でないのは理解するものの、残念ながらその共通範囲がとても狭く、また私自身が関心を持っている領域がとても広いと言う図式になっていそうです。
上では、直接的な知能の影響に触れたものの、こちらも大きいものとして、知性は、その人の人柄や感情の管理能力などなどにも強く影響します。
具体的には、同じような、いわゆる東大京大卒のような人は同感されると思いますが、感情的にヒステリックな反応をする人が高学歴にはとても少ないです。
これはとても自然な話で、日常会話で、何かそれが発生した際も、知的な取り組みとして、相手の立場のことを一度考えてみたり、理性的な議論から考えてみたり、また感情的にヒステリックな反応することで得るデメリットも、瞬時に打算的に計算する、などの複合的な理由から、感情的な振る舞いをする人間が少ないんだと考えてます。
一方で、いわゆる普通の人との会話をしてみると、上に上げたものをそれぞれ期待するのは難しそうです。
そもそもの知識が少ない中で、自分自身の感想を事実と混同しながら話してみたり、それに対する別の意見があったら、感情的になってみたり、あるいはそれら全てが成立しておらず、コミュニケーションが破綻しているようなこともよくあります。
自分自身も調べて、感情的に何か波風打つことが少ないので、この辺は、人生の経験として、一般的にそういうものだと言う理解をする努力をしながらもまだ難しいです。
・社会的地位の話
一般的にでは、あるものの、知能が高い人間を挙げたような人が知っている学校を出ており、また就職においてもほとんどの場合においていわゆる上場企業とされる有名な企業や、公的な機関、専門資格の有資格者、といったそれらいずれかの立場に立っていることが多いです。私もその例に漏れるものではありません。
他方で、当然ながら挙げたような普通の人と言う立場の方は、そういう状況にはなく、日本の平均年収は4,000,000円とよく言いますが、その状況にあることが多いでしょう。
即でマウントメれたことにいくつか触れていますが、繰り返しながらこの辺は重要ではありません。
ただ、ポイントとしてあるのは、日常の会話をする中で、こういった差がとても顕著なものとして現れると言うことです。
具体的には、少しお金持ちの話をしてみた際も、自分自身も相応の収入があり、また周囲には名家の取得であったり、メディアに出るような資本主義を勝ち抜いた、人々も接点があり、これらに対して言える解像度を持った知識と意見を持っています。
ただ普通の生活をしているとこういったところとは接点がないので、とてもずれた会話になってしまいます。
以上、思いつく主にいろいろなことを挙げたものの、一言で言うと、とても大きな分断で、そうであれば、結婚生活なんかしなければ良いと言う考え方もあるかもしれませんが、人柄はとても優しくそれを継続したいと思う事はあります。
ただやっぱりとても厳しいのが、上に書いたような大きな差があると、今後数十年同じ生活に取り組み、様々な問題に対面して解決すると言うトライをすることに自信が持てません。
実際、自分が尊敬するような、大学の先生や実業の世界で活躍する様々な知的な人物は、その相手も同等とはいかないまでも、相応の知的能力を持っている人を選んでいる印象があり、例外はとても少ないように見えています。
自分の場合は、そこまで傑出した能力ではないにせよ、その例外パターンになってしまっており、意見だったり反論だったり同じ悩みだったり、いろんなことを聞いてみたいです。
長々書きましたがありがとうございました。
※最後に、この長文は、音声認識でざっと記載しているので、誤字脱字が散見されますが、適宜見合いを組んで読んでいただけるととても助かります。ご容赦ください。
riceratoppo細田守も大概やけど、新海誠も大概やと思う。「君の名は」がなぜか大ヒットしてしまったが故に、名監督扱いされてしまっているけど、結局は運なんだよな。
昔から映像美は凄まじいのに脚本が残念で界隈で人気止まりだった作品に「普通」の脚本が合わさればヒットするに決まってんだろ
わいせつの定義は、法的には「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」ということになっている。分かりやすく言いかえると、人をやたらエロい気分にさせ、普通の人を恥ずかしい気持ちにし、性の常識に反しているという全ての条件を満たすときにわいせつであるといえる。だが、まんこはこの定義に当てはまらない。まんこはエロくないからだ。
乳はエロい。へそはエロい。腹筋はエロい。マン毛はエロい。太ももはエロい。裏にまわって、うなじはエロい。首すじはエロい。肩はエロい。背中はエロい。尻はエロい。 服についても、ブラジャーはエロい。パンツはエロい。上着はエロい。スカートもパンツもエロい。でもまんこはエロくない。
まんこは形がグロい。臭いし汚い。生々しい。ぐちゅぐちゅしている。スカートが風でまくれたとき、パンツは見たいが、まんこは見たくない。
それは、男の性欲が2段階で構成されているからだ。ちんこが勃起することと、勃起をどうにかすることの2段階。
まず勃起があり、勃起をどうにかしなければならないという切実さが意識をまんこへと向かわせる。そして、激しい摩擦の末、射精という快感とともに欲望を発散する。まんこは勃起させる器官ではなく、突っ込んだら気持ちが良い穴なのだ。まんこ以外のあらゆる女の要素がちんこを勃起へと誘導して、まんこへと向かわせる。エロさとはちんこを勃起へ導く性質である。
だから、わいせつの定義の、性欲を興奮させたり刺激するという性質は、まんこ以外の要素に当てはまるのであって、まんこ自体はわいせつではない。すなわち、まんこにモザイクがかかっているのはおかしいのであって、まんこ以外あらゆる部位にモザイクがかかっていて、まんこは無修正なのが正しいのだ。
普通にあったやろ。歴代の目的は地方を旅して各地のジムバッジ集めてポケモンチャンピオンになること。旅を続けるという明確な目的があって、途中でなんちゃら団とのいざこざを解決していたのは旅を続けるために必要だったからや。
でもZAにはこの目的が無い。
事件を解決しないと他の街に行けないとかなら分かるけどそんなことは無いし、そもそもミアレシティ出身ですらないから無理して街に留まる理由も無い。
https://x.com/sakanamaza/status/1992054294833738165?s=46
このツイートと引用を見て思ったことだけれど、主人公が主人公らしい行動をするのに「主人公だから」以外の理由が必要か?
確かに主人公にも家族がいて、故郷があって、大切な人がいるかもしれない。でも何かのために己を犠牲にしてでも頑張ることができるから主人公なんじゃないか? そこに理由とか説得力とか必要か?
例えばよくあるRPGでは、主人公は村の生まれで勇者に選ばれて魔王を倒すために冒険をする。その主人公にも家族がいて、村という故郷があって、死にたくない理由がある。それでも危険な魔王討伐の冒険に向かう。
その理由は主人公だからだ。「自分、死にたくないんで魔王討伐行きません」なんて言うやつはまず主人公にはなれない。そのキャラクターによるストーリーは始まることはない。村で普通に生きて普通に死んでいく。そんなつまらないお話を遊ぶ奴も作る奴もいない。
まず主人公に「主人公らしさ」がないと物語が始まらないんだよ。だから主人公が主人公らしい行動をする理由は「主人公だから」で十分なんだよ。
いるか?理由が、説得力が。魔王討伐に向かう勇者の言う「世界を救いたい」に対して「でもこの勇者には大切な人たちがいるよね? それなのに命を賭けるなんて普通じゃありえなくない?」なんて思うこと自体、野暮すぎる。主人公なんてみんな普通じゃなくて当然だ。なのになんでそこにリアルな心理を持ち込むんだ。助けられるかもわからないのに火事に巻き込まれた子供のために燃えさかる建物に突っ込むような奴が主人公なんだよ。
これが当たり前になって、主人公に可哀想な過去とかその行動をする理由とかいちいち描写されるようになったら、その方が萎える。理由がないと人助けをしちゃいけないのか?ゲームでくらい綺麗事を見せてくれよ。
塾の増田が「小学校のテスト20点は本気でやばい」「そもそも問題の意味がわかってない」って書いてたやつ読んで、
「あ、うちだ…」と思ったので、実際にそのゾーンを歩いてる親側の記録を書いてみる。
だから「親がそこそこ稼いでる=子どもも勉強できる」みたいな図式は、
で、うちの子。
算数は積み上げ科目だから、つまづいたところを一個ずつガチで潰さないと未来で地雷になる、
と思ってるので、そこに時間と労力をめちゃくちゃ注ぎ込んでいる。
具体的にどこでつまづいて、どうやって埋めてるかを書いてみる。
これは未就学くらいのタイミングかな。
1〜20までは一応言える。
でも、そこから先の「パターンとしての21〜99」がわからない。
29、30の次は?ってきくと31って言って欲しいのに40って答える
みたいな感じで、100までスムーズに行けない。桁と数字が分かってない感じ。
ここは「そのうち慣れるやろ」と流すと、
後々の数直線・数の感覚・筆算、全部に響くと思ったので、かなりガチめにやってる。
「数の並びを、暗記じゃなくて“景色”として持てるようにする」のが目標で、
ここにだけでも正直、何時間も溶かしてる。
足し算・引き算の繰り上がり/繰り下がりも、
まず数えるときに10の束を作れない。必ず全部数えないとわからなかった。
やり方だけ覚えても、そのうち必ず崩れるのがわかってるので、徹底的に「10の束」からやり直ししてる。
「繰り上がりって何をしてるのか」が腑に落ちるまで前に進ませない感じでやってる。
ここを適当に抜けると、
二桁三桁の計算、
小数の足し引き、
九九も、「覚えが悪いからもうセンスない」で切り捨てると詰むので、
7×8=56なら「7が8こある」図を毎回かいてもらう
暗記が苦手な子ほど、
「意味を伴わない丸暗記」をやらされて折れてる感じがするので、
遅くてもいいから「7×8って、あの長方形ね」くらいにはしておきたい、という方針でやってる。
掛け算・割り算の筆算になると、
ここも、
みたいな感じで、「ノートの上でだけ起きているルール」にしないようにしてる。
よくわからないけど割れば答えが出ると覚えてしまったりして大変だった。
こんな感じで、
一個一個のつまづきに「まあそのうち分かるだろ」でフタをしないで、全部潰しに行ってる。
塾にも通わせてて、算数だけで見ると、
俺自身、こんなに他人の算数を真面目にやったの、人生で初めて。
それだけやっても、塾では一番下のクラス。
じゃあ無駄なのかというと、そうでもない。
点数にはまだ反映されにくいけど、
「理解の速度」と「わからないと言うまでの粘り」は明らかに変わってきた。
塾的にはまだ「一番下のクラスでギリついてきてる子」かもしれないけど、
隣に座って見ている親としては、
石ころをヤスリで削るみたいなスピードで、ちゃんと変化はしているのがわかる。
と、
「20点〜40点ゾーン=もう詰み」ではない世界線も、ギリ存在するんじゃないか、
というのが、今のところの実感。
勉強以外の得意なこと・好きになれそうなことも、もちろん別で探してる。
ただ、
と言い切るには、まだ早い気もしていて。
塾の先生側から見た「これは相当厳しいよ」というリアルも大事だし、
そのうえで、「積み上げを本気でやり直してる親子もいる」という現場目線も、どこかに残しておきたかった。
これを書いてる俺自身も、
「諦めなければ、もしかしたらなんとかなるかもしれない」
ユニクロが提示するのは、モードではない。「ライフウェア」というトートロジー的な命名が示す通り、それは空気や水のように、生存にとって自明なものとして振る舞おうとする。フリース、ヒートテック、ウルトラライトダウン。これらはもはや衣服というよりも、都市生活を送るための「装備」である。
ここにあるのは「意味の脱色」だ。ユニクロは、衣服から装飾、階級、そして個性を剥ぎ取り、「ベーシック」という名の漂白された平地へと我々を誘う。しかし、騙されてはならない。この「記号の不在」こそが、現代日本における最も強力な記号なのである。それは「私は何も主張しない」という、極めて政治的な主張だ。
かつて戦時下の日本には「国民服」が存在したが、現代においてその役割を継承したのは、皮肉にも国家権力ではなく、一民間企業であった。しかし、その背後には奇妙な共犯関係が透けて見える。
日銀やGPIFを通じて、この企業の株式を買い支えるという事実は、何を意味するのか? それは、国家が「国民の貧困化」を公式なシステムとして承認したという署名に他ならない。国民が impoverishment(総貧困化)へと滑り落ちる過程で、安価なユニクロは必需品となり、国家はその企業の価値を維持することで、貧困の構造自体を延命させる。この循環は、経済政策というよりも、一種の宗教的な儀式(典礼)に近い。
三、富の偏在とオランダの幻影
この巨大な「平準化」の装置の頂点には、柳井一族という特権的なシニフィエ(意味するもの)が君臨している。国民が皆、同じ衣服に身を包み、個体差を消去されているその真上で、富は重力に逆らって吸い上げられ、一箇所に凝縮する。
さらに、その富は「オランダ」という記号を経由する。アムステルダムの資産管理会社。それはチューリップや運河の国ではない。資本主義のアルケミーが行われる、地図上の空白地帯だ。彼らは、日本の労働者と消費者が織りなす経済圏から巧妙に身をかわし、課税という社会契約から逃走する。ユニクロが標榜する「民主的な服(Made forAll)」というスローガンは、ここで決定的な亀裂を迎える。服は万人のためのものだが、そこから生まれる利益は万人のためのものではない。資本は国境を越えて蒸発し、後に残されるのは、すり切れたフリースを着た納税者たちだけだ。
彼らは言う。「サステナビリティ」と。ペットボトルを再生したポリエステル。しかし、ファストファッションの本質は「加速」と「忘却」である。大量生産され、大量に消費され、そして短期間で廃棄される運命にある衣服が、いかに「環境に優しい」顔をしようとも、それは欺瞞である。それは自然を模倣した化学繊維であり、土に還ることのない永遠のプラスチックだ。
彼らはエコロジーを語ることで、消費者の罪悪感を麻痺させる。我々は「良いことをしている」という幻想と共に、地球を汚染する権利を安価で購入しているに過ぎない。この「清潔な破壊」こそが、現代の消費社会の病理である。
最終的に、ユニクロとは何か? それは、我々の肌に最も密着し、日々の生活を支え、冬の寒さから守ってくれる、あまりにも親密で、頼りがいのある存在だ。しかし、その親密さの正体は、国家による貧困の固定化、特定の血族への富の異常な集中、グローバルな租税回避、そして環境の破壊という、冷徹な計算式である。
最も日常的で、無害で、清潔に見えるものが、実は最も収奪的で破壊的なシステムを隠蔽している。 「普通」という仮面を被った怪物。この、あまりにも滑らかで継ぎ目のない表面の下に、どす黒い内臓を隠し持っているという事実。
合計で4ハプ(実質3)しかかましていませんが(少ないよね・・・基本平日しか動けないので)
それの誘われ方と行動をまとめます
①常連良単男
まず常連さんってところで最高👏
その方がくるまでずっと店員さんと永遠に旦那の不満をいいまくっていたので、
男性がきたあとに
店員さんから「旦那さんが不満で新規でここにきたんですよ~」ってさりげにフォローがあったので
そこも良ポイントでした。
「手つないでくれますか?」と私が聞いたら、全然嫌な顔をしないで握ってくれたので
もはや私が処女かってくらいに恥ずかしくなった私は
そのままルームのこともわからずに、常連単男さんの指示にしたがいシャワーへGOしました。
ルームのシステムも全然わかっていなかったので、その方が常連さんでスムーズだったのが良かったです。
②記憶に消したい24歳単男
私は平日しか動けないので
「あ~、しょーもない男子しかいないわ~酒だけ飲んで帰ろう」と思っていましたが
ずっとそそのかすので
「ああ、そうですね、顔かっこいいですね」とか適当にあしらっていたら
「じゃあ、このこが私とルームOKなら行きます!無理なら帰ります!(実際は帰りたかった)」
とほざいたら
断れず言ったら全然クソ童貞みたいなゴムもろくにつけれない人間でした。
行為もなく、ずっとFをして終わりました。まじで時間の無駄だった。
これ以降、「ナルシストイケメン」はわたしのトラウマになりました
③単女さん紹介の常連単男
潮めっちゃふかされました。私って潮ふけるのか!?と驚きました。
「ゴムちゃんと付けてるとこみないとダメだよ~」とか「つけ方覚えたほうが良いよ」と教えてくれたので
ずっとたってたのがすごかったです。(めっちゃ若いんだろうなって思いました)
隣で飲んでて会話が面白かったのでわいわい話していたら
他の方から「え~しないの?しちゃいなよ!」と勢いで行きました
私もその単男も悪い印象を持ってなかったのでルームへ、
私が「Sっぽい人が好きです」って要望に対して
シャワー二人で入って、強引なチューされたのは最高でした。
(こういうのだけでも私のS成分補給できるのでちょろいです)
という今月の振り返りなので
Xにいるのは右も左もキチガイだぞ
まず、出した本がスマッシュヒットを連発。その勢いに乗るようにXではほぼ毎日、短編小説を複数投稿し続けている。しかもほとんどが大好評で、1000以上RTされて拡散されている。
その甲斐あってフォロワーもいつの間にか数万人規模になっていた。もはや押しも押されもせぬ人気作家であり、デビュー前から追っていた信者としても鼻が高い。
しかし、その陰で一つだけ気がかりなことがある。
以前の作家氏は、X小説と同じかそれ以上に、通常ポストをたくさん投稿していた。その内容も、身の回りで起こった奇妙な出来事や非常識な人物について、作家らしくウィットに富んだ文章で語るもので、とても興味深かった。あれをそのまままとめるだけでエッセイとして出版できるレベルだと思う。
また氏はとても正義感の強い人で、様々な社会問題についても積極的に意見を述べていた。差別、DV、AIなどに対し、その辺のオールドメディアなどよりはるかに深く、そして誠実に語っていた。勉強になる、というより、私のような内向的なオタクにも自然に社会へ目を向けさせてくれる、ありがたいアカウントだったのだ。
それが今は、小説の合間にときどき、当たり障りのない告知や日常ポストをする程度。以前のような、恐ろしいほどの筆の冴えは見られなくなってしまった。
これがどういう理由によるものなのかは分からない。単純に、今は小説に集中したいだけかもしれない。あるいは、以前、とある同業者の差別的な言動に持ち前の正義感で苦言を呈したことで、何かがあったという可能性も考えられる。
いずれにしても、一読者には知りようもない問題だし、何かを要求することもできない。でも、もしも叶うなら、小説と並行してまたあの日常を彩る綺羅星のようなポストたちが帰ってきてくれると嬉しいな…とひそかに願っている。
今日も特にやることがなかったので歩いて小一時間ほどのところにあるショッピングモール内のフードコートに昼食を食べに行った
そこには何か特別なメニューがあるわけではなく食べたのは普通のおいしい昼食以上のものではないのだがもう一つの目当てのものがあった
導線から外れて人がほとんど通らない空いた空間にある写真展である
写真は付近の街の歴史を明治時代から令和まで振り返るというテーマで並んでいる
明治時代や大正時代のものは原っぱや果樹園や掘っ建て小屋のような駅舎でほとんどが歴史モノの映画のワンシーンのような雰囲気でとても今の街並と連続しているとは思えないファンタジーの世界のように見えた
戦後の混乱期は道端や広場に瓦礫や何かの資材のようなものが転がっていて活気がありつつも嵐の後のような荒々しい雰囲気がある
空爆の被害を受けたのかそれとも別の災害や争乱によるものなのかは不勉強で知識がないのでよくわからなかった
昭和30年代になると街並はまだ荒れているものの自分も知っている庁舎や劇場などの大きくてモダンな施設が建ち始める
昭和40年代には建物の雰囲気はレトロ風なもののここがどこか?と問われたら答えられるくらいには今の街並と地続きな感じの整った景色が完成されている
ネットを見ているとつい人類や歴史のダークサイドばかり考えてしまうがこういう記録を見ると文明の強さや美しさなど明るい面を感じることができて良い経験だった