
はてなキーワード:時間割とは
話題になってたので観てきました。
・予習としてハムレットとダンテの神曲のあらすじを頭に入れて挑む。物語の下地にはなっているのだろうけど、個人的には知らなくても問題なかったな。
・ハムレットからの換骨奪胎ぶりが面白いとの評判だったが、個人的にはそもそも悲劇を描こうとしてないしハムレット派生作品として見るもんではないなと思った。単純明快な勧善懲悪の作品に思った。細田守らしい子供向けを意識する。ハムレットとしては、王様が意地悪に叔父に殺されて復讐心に燃えるハムレット、毒で殺すつもりが毒で死ぬ叔父、まぁ様々イベントは似たことが起きる。が、知ってても知らなくてもどうでもよく思う。レアティーズいないし。
・神曲への解像度は私は低い。世界文学的にものごっつい大事な作品で、地獄から煉獄、天国への長い旅を、様々な著名キャラと出会い別れながら進む神聖なる喜劇、的な理解。あんまり知らない。スカーレットでは舞台としては準えてるけど、下地として何か作用しているようには感じなかった。棺桶のシーンとかは関係してそうに思ったけど、それは神曲を知ってないといけないかと言われるとそうは思わなかった。それともそれは重要なシーンを無理解に進んでしまった私の不甲斐なさかもしれない。
・時をかける少女が宣伝に持ち出されたのは、まさに時をかけていたから、かな?安直だけど。
・一つ一つのシーンの絵作りは前評判通り、どれも美しく素晴らしい。
・特にスカーレットが可愛すぎる。表情ひとつひとつが愛おしい。
・シーン一つ一つが夢の中って感じ。私は村上春樹の世界の終わりとか、海辺のカフカとか好きなので、こういうの好きぃ…ってなった。
・現代に生きる私を写像した先のスカーレットが写像する世界ってのは、ナーロッパ的な中世であって、銃が存在し、僧がおり、アフリカとか南米とか、色んな文化が表層的に混じり合う。作中では、過去も未来も生も死も混じり合う世界とわかりやすく何度も表現される。細田守最高だぜ。こういうファンタジーへ大衆を入門させてくれてありがとうだぜ。私はこういうのが好きだ。
・服飾考証しっかりしてるとの事前情報通り、私はよく知らんけど多分しっかりしていたと思われて、その解像度のおかげで、地獄の狂い具合が鮮明で面白い。混じり合って混沌としている。
・産業革命以降の武力が作中に存在しないのは、それが我々にとっての現実の脅威だからだと思う。この作品はファンタジーなんだ。力強い線引きを感じた。
・渋谷ダンスシーン、きたきたぁ!!ってなった。幾原的な心象風景かと思ったら丁寧に前段から渋谷という箱の舞台を歪にチラ見せしたりしてて、思ったより浮いてはいなかったかな。いや画としてはバチクソ浮いてたけど。まぁ意図はかなり明快に伝わった……と思ってる。でも現代の子どもがこの渋谷や踊りを自分ごととして捉えられるかというと疑問よなぁ。現実を描写できない制約の中でのスカーレット心象の箱庭、非現実の作中での現実としての非現実としては面白い画だった。私→スカーレット→聖→スカーレット→渋谷。クール。
・宿の主人、てのが登場人物紹介にいたが、作画として特徴的だなと思ったが映画の中では短いシーンだった。でも重要な役割だったんかなぁ。
・スカーレットの成長を見守るおじさんの気分になった。私も歳をとったなぁ。
・聖、なぜお前は矢を放った……?抑止力はその装置を発動させてしまったら終わりだ。それはお前の思想と矛盾しないのか。観終えた後、ダンテでいうと七つの大罪のシーン中だと振り返ってみるが、結びつけるには苦悩する。いやこんなん結びつけなくてええかってなった。……いやでもまじで意味わからん。知りたい。
・雑魚雑魚悪役にレアティーズとかいう名前が付けられてるのも何か関係あるんか……?
・ハムレットにおけるクローディアスの懺悔は本物の神への懺悔。現代日本では神への信仰が薄く、物語でもあまりに薄情。
・最後のキスと涙が商業的すぎて泣けなくて泣いた。しかし世の中の大衆はそれが好きなのだろう。届ける先のニーズに応えようとする様はえらい。これを描くには時間が足りない。
・争いよりも友好を、憎しみよりも愛を。これはもっともっと丁寧に描いてほしい。もう1時間割いていい。3時間でいい。…でも忠実に2時間に収めて偉いなぁ。細田守はすごい大衆作家だ。
文学的な作品として観たら不評の嵐になるのはなんとなく感じるが、私は素養がないのでその辺はノータッチで。
芝居も映像はやっぱ最高のクオリティだ。映画館で観て良かった。地上波でも家でも観たくない。
価値観も好きだ。物語の壮大さも好きだ。でも、ラストだけはちょいと心残りだなぁ。
オマツリ男爵もだけど、細田さんはラストへの拘りや興味があまりない……?
作家をメタれば、前半の苦悩や憤怒の感情はきっと描きたいものであったとは思う。
でも作品として本来目指す描きたいものは、それなりに人間の根源的なもの、思春期の頃に精一杯みんなが考えて悩んでほしいことで、大人になっても向き合って向き合って考えていきたいことだとは思う。
その勧善懲悪は良いが、憎しみへの向き合い方としての成功例としてこのように描くにはご都合が良すぎるように思った。特に聖の矢とクローディアスへの天罰。
現実でいうと、例えば中共がオラオラしてるのを武力を持ってやめろやめろと脅すまではいいけど実際に刃を抜いたら戦争なっちまうやん、対話で友好を目指そうぜっていう作品にしたいのにさ、殺しちまったらそれは勝てば官軍ストーリーやん。現実では為政者が落雷で都合よく命を落とすわけないやん。殴ってきた相手を殴り返してはい終わりになるわけないやん。スカーレットが殺してなくても、殺す味方が代わりに殺してくれたありがとーは、私は、同罪だと思う。目を逸らすな。私はそれは嫌いだ。
利己的な活動と、利他的な活動のバランス。攻撃性と社会性のバランス。自己家畜化した我々が、より家畜化できる先を目指したいんだ。攻撃すんなと説くだけでは、攻撃的な人間が独裁的に得をするゲームバランスは崩れない。我々は山上を生まないですむ社会にしなければならない。そういう思想のもとで、細田守は何をどう伝えたかったのだろう?だから、聖が矢をもって暴力を振るったことへの解説をまじで教えてほしい。教えて!!
本って読んだことないんだけど書かれてること理解できるもんなの?分厚い本とかになると一度では読み終わるまでいかないと思うけど普段一度の読書にどれぐらいの時間割いてるの?
個人的にはそれでも息子の才能を伸ばしてやりたいなと思う。
一部はできるけど他ができない子を入れて置く場所ではない
どうしても普通級入れたい!って思ってるなら一度学習指導要領を読んでみたらどうかね?うちも主要教科は買ってる、一冊数百円程度だから安いよ、あと小学校の時間割を近所の人にもらってみそ、情緒級でも普通級でも時間割はほぼ同じになる、見てみりゃわかるが小学校は勉強以外の才能を必要とする時間が週の半分くらいある
自分語りするがうちも障害児が二人いて片方は重度知的障害IQ27で支援学校、もう片方は自閉症で情緒級
んで情緒級に入ってる子は生徒や先生との摩擦が大きい事が理由で積極的不登校になってる
当事者なら知ってると思うが支援学校は生徒2〜3に対して先生1と保育園より先生の配置数多いからね、かなり手厚く対応してもらってるからな
何が言いたいかというと低IQ+ASDの子に勉強の才能があるから伸ばしてやりたい、と思っているなら
そこだけピンポイントで親が伸ばした方がいいよ。
支援学校なんて昼飯食ったら終わりなんだし放デイ少し減らして親が勉強見るところから始めた方がいいと思うぞってそんな話
なお、またも自分語りするが、自閉症児の方は積極的不登校なんでワイが勉強みてて小学4年生ながら英検5級、算検6級までは取得済み、学校行かない分子供の能力に合わせて好き勝手にスケジュール組めるから勉強かなり捗るよ
なんで誰とも仲良くなれねえんだ、なんで私はあの輪に入れねえんだ
いろいろ試した
好かれてる人の真似をして、愛想良く笑顔を意識した。だめだった。もう染み付いちゃって自分から抜けなくなって、職場のおじさんに気に入られてしまう。つらい。セクハラなんてこのご時世ないから、飲み会誘われたら雑談したりする程度だけど、それでもそんな相手私にとっては貴重すぎて、嬉しくなってしまう自分が本当に嫌だ。欲しかったのは友達なんだ。
常識的な人間にならなきゃと思って礼儀もしっかりするようにしたよ。ありがとう、ごめん、ちゃんと言う人になろうって。でもダメだった。なんで?舐められるだけだった。
女社会ちゃんと観察して、それなりに身なりを整えないとダメだと気付いて、頑張ったよ。素材は悪くはなかったからそこそこいい感じになった。でもだめなんだ。かわい〜って盛り上がれるの一時的で、続かない。もう意味がわからない。誰とも仲良くなれない。
あと下心ある男しか寄ってこない。流石にこれは嬉しくない。でもさそれなりに彼氏も作ったりしたんだ、やっぱ恋愛話が盛り上がりやすいんだ、って気付いて。自分に好意を向けられるのって初めてだったから嬉しかったけど、でもなぜか続かない。何人か付き合ったけど、最初は嬉しくて舞い上がるだけで、めんどくさくなる。相手のことどうでも良くなる。ちゃんと自分が好きな相手を見つけられてないからなんだろうね。好きってなに????趣味が合えばいいんだろうけど全く合わない。合う人を見つけても、なんか微妙に他が合わない。見た目はそれなりに整えたけど中身がほんとな根暗でオタクでネットに毒されてるからダメなんだろうな。見た目で寄ってくる奴らと合うわけない。
相変わらず友達はできない。なんかいろいろ繰り返して試行錯誤しているうちに初対面だけ大得意になった。でも誰とも深い関係になれない。距離の詰め方がわからない。そうこうしているうちに周りはどんどん仲良くなっていく。焦ってもなんか微妙な雰囲気になって置いてかれて気まずくなっていく。
おもえば学生時代もそうだったかもしれない。最初にできたグループでだいたい固まるんよね。なんとかグループには滑り込むんだけど、結局自分だけ浮かんだよね最後の方。わりと民度のいい学校だったからいじめられることはなかったけど孤独だった。早くクラス替えして環境変えたかった。そのグループの人たちとは卒業以来連絡なんてとってない。私以外のメンツではとってるかも。しらない。
もうここまでくると分かってくるんだよ。多分私の性格がめちゃくちゃ悪くて、人格的な魅力もなくて、中身も空っぽで引き出しとかもなくて、そういう人間だから誰からも好かれないんだって。でも、自分は頑張ってるつもりなんよ。性格良く振る舞ってるつもりで、頑張って愛想良くして。でもどうにもならない。
積極性がないからだとか、自分から行動すべきとかよくいうよね。やってるよ。でもさ、誘ってもビミョーな感じになったり、嫌そうな雰囲気がさ、わかるんよ。伝わってくる。なんとかこじつけても話盛り上げたりなんてできないんよ。もういろいろトラウマになってて、たぶん。頑張るけど、でもだめうまくいかない。聞き専になれば?みたいな意見よくみる、聞きに徹してもさ、なんか相手の負担になっちゃうみたいで。聞き専ってのも難しいんよ、リアクションだけじゃなくてうまく話広げていかないと相手は楽しくないんよ。社会人になると聞き専の友達なんかに時間割いてくれる人間、いないんよ。みんな忙しいから。自分の魅力のなさがつれえよ。
しかもネットですら友達できねえし、まともに関係深められねえんだ。私もオタクだけどさ、女オタクのあのやり取りすっごい苦手で、でもやっぱ文字だけだしなんとかなると思って、みんなの真似して交流とかしてみるんだけど。なんかいつまでも距離感あって縮められない。そうこうしてるうちにみんな周りは仲良くなってく、ほんとに。わからん。みんなどうやってるの。すげえよ。
私の投稿には全然反応来ないんだ、私からは積極的に絡みにいってがんばって。だんだん虚しくなってネットでもうまくいかねえんだって。そりゃそうじゃん、リアルで一切できてないのに、顔見えねえやつと仲良くなれるわけねえじゃん。
ネットの女オタクって絵が描けることが正義なんだよね。だから練習してんだけどさ、ちょっとやそっとでは上手くならん。努力が足りんかな?でもさ人と仲良くなるために絵の練習までせなあかんのかって虚しくなってさ。自分の好きなものを表現するために絵を描きたいんよ。
でもこういうところで努力できないのがまた私のくそなところ。いろいろやったつもりでやりきれてない。結局なにもなしえてない。成果に繋がってない。
なんか必死すぎるんかな。滲み出てるのかな、って思って、ネットでもそういう意見見かけて、リアルでもネットでも必死に見えないようにさりげない感じにしてたら余計交流減ったよ。
もうどうしたらいいかわかんねえよ。ずっと私は一人だ。もう諦めてXもずっと一人で好きなこと呟き続けてるし、ずっと一人で生きてる。自分の中で折り合いつけたつもりでも、やっぱ寂しいもんは寂しいんだ。彼氏無理やり作っても虚しくなるだけなんだ。オタクしてるとさ、ダメなのは分かってるけど理想はほんとに上がっていくからさ、現実の男がほんとになんか情けなく見えてきて、ほんと人のこと言える立場じゃないんだけど。こういう性格の悪さかな。ダメなところ。人のいいところ見つけていかないとダメかな。性格ってもう変えられないんすわ、いや取り繕って客観的に変えることはできても中身なんて変わらん。
ほんとうに数ヶ月前に家族からきた連絡くらいで、誰からも連絡こないんだから。もう自分から頑張って気遣って送る気力もないよ。おもしろかったこととか、感動したこととか誰かと共有してえよ。くそみてえな人生。最後にここに投稿して誰かから反応きたらいいなって期待してしまうのがまたつらい。お前のことなんて誰も見てないんだ。自覚しろ。
私に性欲をむける夫に対して嫌悪感を抱いていた者です。
その状態が異常であると思い、現在は私が関係修復のために努力しているところです。
もしかしたら奥さんはこう考えているかも?の可能性の一つとして私の話が参考になれば、と思います。
子どもと夫を取り合うような、そんな夫ラブな妻で居続けたい!と思っていました。
出産ですべてが変わりました。
出産後は自分自身が「子の生命維持装置」になったように感じました。
私の身体も精神も全て子と繋がっており、子を生かすために全てを捧げる存在になったという感覚です。
とにもかくにも何よりも優先されるべきは子であり、子が快適に過ごすことのできる心地よい住居環境であるという思いが常にあります。
なので、せかせかちまちまと家の名も無き家事をやり続けてしまっていました。全ては子のためです。
出産までは家事はやれるときにやれたらいいね、くらいだった私ですが、少しでも家事が残っていたり、家が乱れていたりすると生命維持装置としての自分の役割が完了できていないので落ち着きませんでした。
綺麗好きになったわけではありません。
すべては、子が百パーセント快適に過ごすためです。
本題です。
家事がまだ残っていたり、家がまだ乱れたりしているにもかかわらず夫から性欲(軽いボディタッチも含む)を向けられると、ゾゾゾッと総毛立つような嫌悪感が生まれました。
この嫌悪感は、子の生命維持装置としての役割が完了していないので、気持ちの上で子との連動がオフになっていないことが原因だと、後から考えてわかりました。
まるで、子供に授乳しているにも関わらず体を求められたようなおぞましさがある、といえばわかってもらえるでしょうか。
こちらとしては子を生かすことで精一杯なのに、そんなことも無視するほど、性欲で我を忘れるなんてケダモノではないか!!という嫌悪です。
妊娠出産まではあんなに場所を考えずにズコバコしていたアツい2人なのにどうして拒否するの!?そんなに子が大事なの!??俺のことも大事にしてよ!!!
と、私の夫は悲しく思っていたようです。
でもこっちとしてはそんな思いは見当違いなんです。
夫のことが好きな「妻」ではなく、子のために生きる「装置」になってるだけなんです。
まだ「妻」に切り替わっていないのに迫られても無理なんです。
じゃあどうやったら「妻」に切り替わるのか、って話です。
簡単です。家事が残っておらず、家も完全に整っており、子にとって快適な環境になっていれば生命維持装置としての役目が終わります。
でもその時って永遠にこないんですよ。
家なんて、一回ご飯食べればすぐ乱れます。床のほこりなんて数時間で生まれます。
じゃあ夜寝るときなら全て一旦家事は完了してるからいいのか?というとそれも違います。
夜の睡眠は、あくまで明日、子を生かすための準備だからです。しっかり睡眠をとらないと次の日の装置の役目としての精度が下がりますから。
夫の性欲を満たすためだけに睡眠時間減らされたらたまったもんじゃないわけです。
じゃあ子供をあずけて夫婦二人で行く旅行先ならいいのか?というとそれも難しい。
頭の中で、帰宅後にやらないといけないことを考え続けるからです。
じゃあ家のことを数日間完全に夫が担当すればいのか?というと、結局その数日が終わったあとに控えていることを考えてしまうし、そもそも普段やってない人が家を100%整えるなんて恐らく無理です。
じゃあ無ずすべがないじゃないか、と。
そうなんです。出産した時点でもう詰んでるんですよ。
外側から妻に働きかけることで生命維持装置モードを切り替えさせようとするのは無理なんです。
ただ、この生命維持装置モードは妻本人にとってもとてもしんどい状態です。
常に神経と視線を張り巡らせて、環境整備に努め続けているので脳のリソースがずっと割かれ続けてるんですね。
本人もこんな状態やれられるなら辞めたいと心の底では思っています。
なので、正攻法は一つだけです。
“本人に自分が生命維持装置モードになっていることを自覚させ、心の平安のためにもそのモードを自発的に辞めるように働きかけつつ、家や子について考える主導権を奪うこと”です。
イメージでいうと、PC業務中に無意識に力を入れて肩の筋肉をこわばらせてしまっている人にそれを指摘したうえで、その業務内で必要な選択をすべてこちらでやってあげることで業務の負担感を減らす、という感じでしょうか。
妻が生命維持装置の役目にある程度の区切りをつけられるように仕組みを整える、といえば伝わりますでしょうか。
例えば、
・平日において妻がやるべき最低限の家事の精選とリスト化とルーティン化
・その月にやるべき/やりたい、普段できない家のことや子のイベントのリスト化
・子や家の予定を夫が主体的に把握し、妻に先んじて、いついつまでに〇〇を用意しないとね、など提案していく
・なくなりそうな調味料の補充や準備を夫もやる
・子の次にやるべき行動(ごはんとかお風呂とか)を夫が先んじて口に出し、そのために必要な段取りを夫婦どっちがやるのかを夫が決める
挙げるとキリがないですが、全てに共通しているのは、
①妻が家の中を整えるために永遠とアンテナをはらなくていいように範囲や上限を設定する
というポイントです。
これで妻が子の生命維持装置として自ら疲弊していくことを防ぐ事が出来ると思います。
それによって、夫と夫婦関係にある「妻」の部分が表出する時間がだんだん延びていくと思います。
「妻」である時間を見極めて、出産前に夫婦2人で行った旅行の話や子が巣立ったら2人でやりたいことの話を折に触れて話してはいかがでしょうか。
だんだんと妻も自発的に「妻」である時間を大切にするようになるはずです。なぜならそっちのほうが自分が生き生きしていることがわかるはずだからです。
長々と書き連ねましたが、じゃあお前はどうやってんだ、という話ですよね。
私は自分が子の生命維持装置として疲弊していることを自覚できたので、1週間の家事を時間割のようにリスト化して印刷し、逐一そのリストをみてチェックしながら動くようにし始めました。
うまく行かないときもありますが、精神的な負担はだいぶ減ったと思います。
それまでは一つの家事をやってる間に次やるべき家事に気づいて…というのを永遠と繰り返してましたから。
また、家のことに対して私だけが主体的に動いているような感覚があり、夫に対していつもうっすらと「無能」と思ってしまっていました。
余裕のない我が社には、自ら考えて動く社員しかいらないのに、実際にいるのは暇ができたらソファでくつろぐ指示待ち人間。私がしっかりしなきゃ!
と自分で首をしめてました。
夫にやってほしいのは、家のことや子のことを主体的に考えて動くこと。
それは家事を全部巻き取ってほしい、という願いではなくて、家のことについて私だけが考えているこの状況を終わらせてくれ!という願いなんです。
一緒に管理職になってくれ!と思ってるんです。
そう言えばいいじゃん、と思われるかもしれませんが、そうやって指示しないといけない時点でやっぱりただの新入社員なんですよ。
指示待ち人間に、指示されなくても私の仕事を私より先にやれ!といっても絶対に無理だと思って絶望してました。
今はそういう思いはそもそも過剰すぎることに気づいたので自発的に肩の力を抜き、夫と夫婦の時間を持てるようにしています。
月初は子を預けて、近所のカフェで1時間程度の夫婦会議をやるようになりました。
そこでその月の家の予定とそのために必要な段取りをすべて確認して共有するようにしています。
また、一日のはじまりと終わりにハグをして互いを労ることも始めました。
気恥ずかしくはありますが。
朝のハグは絶対にそこからセックスには繋がらないので、最初も抵抗感なくはじめられました。生命維持装置であっても労られたくはありましたから。
自分の整理のためにも書こうと隙間時間でチマチマ入力思ったら気づいたらこんな長文になってしまいました。
元増田さんの何かの参考になれば良いのですが。
Permalink |記事への反応(37) | 05:45
・公式インタビューで若いスタッフ達も全員原作のファンですと言ったけれど正直遊んだことも無ければそのシリーズにすら触った事が無い
※この間日経エンタの統計でシリーズのファンの平均年齢出てたけどまさにスタッフの年齢はそれより下
・むしろスタッフ全員別にそのゲームの事好きな訳じゃないというか全然知らない
・世代のスタッフは当時出たオリジナルは好きだったけど続編や関連作は触ったことがない
・原作のリメイクの繋ぎありきで作られたソシャゲで、どんなに売り上げが悪くても赤字でもリメイク3作目が出るまでサ終しない事が決定してる
・でも原作愛が無いスタッフで固められてるから海外含めたファンからお叱りやお気持ちだらけだし売上はどんどん下がってるし職場がお通夜モード
・特に別アニメの方のソシャゲは盛況で、そのアニメ自体詳しくないけどシナリオや演出担当してる別会社スタッフがガチのファンで評価いいからそっちに移りたい
・スキンや武器が片方のヒロインに偏重してる件については、おっぱい大きくて食いつく層がいるからで別にスタッフ贔屓という訳ではないらしい
・もう片方のヒロインはなんかいて一応女キャラだからファンついてて途中で〇ぬから人気程度の認識
・世間的に人気なのと知名度あるのは主人公とラスボスだけどあえてその二人を使わない俺達かっこいいと思っているらしい
・一番偉い人が推してるソシャゲ新キャラ3人が滅茶苦茶不人気なので本当はこいつらに時間割きたくない
・キャラの性格変えて一部で大不評だったエイプリルフールイベントは上記の全然原作の事知らない若手スタッフがXの二次創作だけ軽く見て考えた
・主人公の偽の記憶の元になったキャラの事について皆よく分かってない、こいつが主人公のゲームあるけどソシャゲ内では人気と売上が意外と低い
・ラスボスの幼少期がプレイアブルで敬語ショタキャラになってるけど、大人になった時の整合性とかみんな考えてないから繋がらなくても仕方ないししもはや別キャラ扱い
・原作でシナリオ担当してた人からたまにシナリオ上がってくるけど正直面白く無いと思ってる
まとめ
ゴミの捨て方も市の案内を見ればいい。
専門職以外の一般の人たちにとって、理系の勉強って社会に出て何か役に立つ?
無いと困ることある?
・・・勉強時間の6分の1くらいが忘れてOKな、理系科目のタイパの悪さ。
それだったら、マトモな性教育に少しでも時間割いた方がいいよ。
いまだに「女性が部屋に招いたらOK」とか「セックスの最中に『イヤ』とか『ダメ』とか言いだしたら、イヤという意味ではなく、喜んでる」のような深刻に有害な間違いを信じてるクズが後をたたない。
レスバでもなんでもいいけどこんなとこでのやり取りに時間割いて本業の生産性あがるのかって話だぞ。
お前の「生産性はむしろ上がるという研究結果があるから導入されてるんだぞw」に対する真っ向からの反論だろう?
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以下の架空の懲戒解雇処分取消請求訴訟について検討する。裁判所による判決の発表が法的・社会的秩序に影響を与えることも考慮して、適切な判断と議論を構成せよ。
原告Aは、被告B学園の非常勤講師として週1回勤務していた。Aは、B学園の運営する職員寮に入居していた。Aの担当する授業はX曜日の1時間目~5時間目までであり、また、契約上、授業の実施以外の義務はなかった。したがって、Aは6時間目の授業実施中に、Aの自宅である職員寮に帰宅するのが通例であった。これらの事実に争いはない。
ところが、被告B学園の主張によると、AはY年4月ごろより、6時間目に校庭わきの花壇に設置されたベンチに座り、数十分そこに滞在してから帰るという行動を行うようになった。X曜日の6時間目は、C年D組の体育の授業が校庭で行われる時間割であり、Aはそこで体育の授業が行われている様子を見ていた。Y年11月中旬に、C年D組の児童Eは、体育の授業中Aにじっと見られているように感じ、不安であると担任Fに訴えた。Eは、Aは怒りや不満ではなく、ほほ笑んだ表情ではあったが、いつも視線を感じるので、なにか自分に恨みがあり、目をつけられているのではないかと感じると訴えた。
Fは、この問題について事実関係を確認するため、教頭Gにこの証言を報告した。教頭Gは、11月下旬のX曜日の6時間目に確かにAが校庭を見ていることを確認し、さらなる事実関係を確定するため、12月上旬にD組の児童に匿名アンケートを実施した。その結果、4月からほとんど毎週体育の授業を見ていることが判明し、さらに、Aの視線が授業中の児童に向けられていることが判明した。アンケートの一部の回答は、Aの視線がとりわけ女子児童に向けられていることを指摘するものが複数あったが、特にEに執着しているとする回答はなかった。また、「声をかけられたり、触られたりしていやな思いをしたことがないか」「おどされたことはないか」といった質問にはすべての回答が「特になし」または無回答であった。
B学園は教頭G、C年学年主任H、担任Fで協議した結果、このアンケート結果を「十分に不審な兆候が見られる」と判断した。「居住人または第三者による違法な活動が行われている可能性が高いとB学園が判断した場合、B学園は監視カメラの内容を確認する」という入居契約と、監視カメラ運用規定にもとづき、B学園人事課I および生活安全担当職員Jの立会いの下、寮のA居室内に設置された録音機能付き監視カメラの映像を閲覧した。そこで、AがX曜日の帰宅直後、習慣的に自慰行為を行っていることが判明した。さらに、録音の内容からは、D組の児童Eや児童Kの名前を連呼し、「いつもかわいらしいおしりを見せてくれてありがとう」「汗でぬれた体操着がとってもエッチだった」といった発言から始まり、卑猥な言葉をエスカレートさせ、EやKと性的行為を行っている空想のもとでかかる行為を行っていることが判明した。また、AはX曜日以外にも自慰行為はおこなっているものの、その多くは帰宅直後ではなかった。
この映像に衝撃を受けたF, G, Hらは、Aを処分することを決意し、B学園理事Lに一部始終を報告した。理事LはB学園理事会臨時会をY年12月20日に招集し、B学園はAの行為が「児童の権利を著しく侵害する行為」 「教員としての信頼を失墜させる行為」に該当するとして、懲戒解雇を決定した。
Aは、この解雇処分を不服とし、解雇処分取消を求めて訴訟を提起した。Aは、雇用契約はY年2月に延長され、Y年4月より5年間とする契約が結ばれたので、Z年まで非常勤職員の地位があると主張している。
Aの主張は以下の通りである。
・毎週数十分校庭を見ていたというのは誤りであり、10分程度で帰る場合や、校庭に立ち寄らずに帰宅する週もあった。
・校庭の授業を見ていたのは、児童の様子を知るという教育的見地からであった。そのために、児童全体を見ていた。女子生徒に特に目線を向けていたという一部の証言は、Aを不審者扱いしていることが露骨なアンケートにより誘導されたものであり、思春期の児童の敏感な自己意識に作用して、誤った認識が生じたに過ぎない。
・アンケート結果を「十分に不審な兆候が見られる」と判断したのは誤りである。また、そもそも「居住人または第三者による違法な活動が行われている可能性が高いとB学園が判断した場合、B学園は監視カメラの内容を確認する」とする入居契約の条項は、居住人のプライバシーを違法に侵害する無効な条項である。さらに、自慰行為は違法な活動とはいえない。この点から、監視カメラの映像および音声は違法かつ人権を強度に侵害する手段により得られた証拠であり、裁判所はこの証拠を採用すべきではない。
・刑事裁判の判例において、違法収集証拠の能力が否定されるのは、憲法31条・35条・38条2項の立法趣旨に基づいて、国家権力の強大な力を抑制し、違法な証拠収集活動の蔓延を防ぐためと解される。一方で、民事裁判において違法収集証拠の能力が必ずしも否定されないのは、しばしば証拠へのアクセスが限られ、組織的圧力に反して証人を用意することが困難な個人が、無断の録音のような手段によってのみ真実を提示することができるという事情によると考えられる。今回、被告は原告の使用人兼住居の貸主という強大な立場にあり、国家に準ずる、もしくはそれ以上の干渉能力を有していることから、刑事裁判の証拠能力基準を準用すべきである。
・音声上で繰り返されるEやKの名称は、Aの想像上のキャラクターであり、D組の生徒との名前の一致は偶然にすぎない。
・仮に、B学園の主張する事実関係がすべて真実であったとしても、児童の危険は抽象的可能性にすぎず、解雇の理由としては著しく合理性にかけ、Aの内心の自由の権利を不当に侵害し、懲戒権の濫用にあたる。
一方で、B学園は、Aが児童に強烈な性的関心を抱き、その欲望のために具体的な行動をすでに起こしているという事実、児童の安全という極めて重要な人格的利益、公共的利益を保護する観点、さらにEが不安を訴えるという事態がすでに起きていることを考えると、監視カメラの確認や懲戒解雇もやむを得ないとしている。また職務上の権限を濫用して校庭の児童を執拗に見つめ、Aの性的欲望の充足に利用するという行為は、一体として一つの違法行為を構成すると主張している。