
はてなキーワード:昭和時代とは
近世以前
日本において暦日を用いた新年の概念が生まれたのは飛鳥時代であり、聖徳太子が十七条憲法を制定した604年まで遡る[13]。その後、646年には朝賀が執り行われ、新年の回礼という風習が始まった[13]。これに伴い、畿内には飛脚使が設置され、701年には通信物を運ぶ脚力(かくりき)が定められた[13]。奈良の正倉院に収められている「人勝残欠雑張」には「正月七日のこのよき日、慶びを新にし、泰平が万年続き、寿命は千春を保つことができますように」とする十六文字が記されており、新年の挨拶を伴った年賀状のルーツといえる[14]。
平安時代に入ると貴族間で年始の挨拶を文で取り交わすようになったと見られ、当時の書簡、文例を集積した最古の例と言われている藤原明衡が残した『明衡往来』にも年始の挨拶文例を確認することができる[15]。室町時代に『庭訓往来』が登場し、寺子屋などで読み書きを教えられるようになると識字率の向上が見られるようになった[16]。これに伴って江戸時代には武家社会において文書による年始挨拶が一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始挨拶の文書が運ばれるようになった[16][17]。1740年の『書札重宝記』には年始書状のための語彙として「改年、新春、新暦、初春、陽春、祝賀、御慶」などの用語が紹介されている[18]。江戸中期以降は大小暦が大いに流行し、年頭には機知に富んだ摺物の交換が積極的に行われた[19]。
明治維新後になると逓信省の前身として駅逓司が設置され、1870年10月には新年賀詞を示す太政官令が発布された[20]。1871年には郵便制度が確立し、1873年に二つ折りの郵便はがきが発行され、1875年には単面の官製はがきなどが見られるようになった[20]。これにより年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。
郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年に1月1日からの3日間、年始の集配回数を減らす対応が取られた[20]。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった[20]。年末の一定時期、具体的には12月20日から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製はがきの使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった[21]。この頃の年賀はがきの概数は1億1000万通前後であったが、郵便ポスト投函が可能となった1907年には4億通を突破し、「年賀状ブーム」とも呼べる時代が到来した[21][22]。
関東大震災(1923年)や大正天皇崩御(1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇と昭和天皇崩御の年は実施されている。
年々取扱量が増えていくと共に私製はがきの取扱量も増えていったため、1935年(昭和10年)に私製はがきの貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年(昭和13年)に年賀切手の発行が中止。さらに物資の節約のため1941年(昭和16年)の年賀状から特別取り扱いが廃止[23](廃止決定は同年11月6日[24])。この年の東京中央郵便局が集配した年賀状は1/3に減少した[25]。
終戦後の1948年(昭和23年)12月15日、特別取扱と年賀切手の発行が再開された[26]。この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年(昭和24年)、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1955年(昭和30年)には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄諸島でも琉球郵政庁により年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。
お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年に寄付金なしの葉書もくじが付くようになった。1961年(昭和36年)から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年(昭和43年)には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。
1970年代になるとプリントゴッコの登場と相まってで年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年(昭和57年)から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年(平成元年)からはくじ付きの年賀切手も発売されるようになった。
イラストやデジタルカメラで撮った写真などを家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルが定着し、手間が減った。2005年からは光沢感がありインクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。
一方で2000年代からはインターネットの普及が拡大。インターネットと紙を融合した「ネットで届く年賀状」などのサービスも登場したが、年賀状用紙やプリンターが高額、書いたり投函するのが面倒、交流がある人でも自宅住所が不明であるなどの理由で、年賀状を出さずに電子メールなどの紙以外のオンラインの手段で済ませる人が増加。携帯電話を使った「あけおめメール」による通信混乱は2000年代の正月の風物詩となった。
2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。
2017年6月1日に郵便料金が値上げされ、通常はがきも52円から62円とされたが、2018年用に限り年賀はがき(1月7日までに年賀状扱いとする場合)は旧料金のまま(52円)とした[27]。年賀はがきの発行枚数の減少を食い止める効果を期待しての値段据え置きであったが、結果として総発行枚数は前年比より5.6%減少したほか、1月8日以降に差し出す場合は差額として10円分の切手を貼り足す必要があったことから、利用者からはわかりづらいと不評の声もあった。この取扱いは1年限りで終了し、翌年から通常はがきと年賀はがきは同一の料金となった[28]。
2010年代になるとスマートフォン、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、インスタントメッセンジャー等が普及し、新年の挨拶をオンラインで済ませる人がさらに増えた。LINEが運営する「LINEリサーチ」の2019年のインターネット調査(約59万人対象、複数回答)によると、「葉書を送る」と回答した人は60代以上で71.7%だが、20代は26%であった。一方「SNSで送信する」が30代から60代以上でいずれも60%に達し、20代では72%に上った。IT企業のTB(名古屋市東区)は2017年から、高齢を理由に、今年限りで年始の挨拶をやめること(年賀状じまい)を伝える例文をサイト上で提供している[4]。
また高齢者の増加の他、郵便料金の値上げ、特に2024年10月1日以後は、消費税増税に伴う転嫁分を除けば実質1994年以来30年ぶりの大幅値上げで1枚85円[29]となったこともあり、年賀状終いをする世帯が急激に増え、アスカネットの調べでは、2024年に年賀状を出さなかった人は58.2%に及び、そのうち20代が72.5%、30代でも65.8%が年賀状を出さなかったとする統計がでている。また「年賀状はフタバ」の調べでは、全体の6割が3年以内に年賀状終いをしており、そのさらに半数の3割強が2023年度で終わりにしたという人である。企業においても、葉書をやめて、SNSなどを利用した「ペーパーレス」に移行したところも多いとされる[30
ただしある程度の規模を維持できている限りは、という条件はつく。
ということだから焼畑農業的な炎上商法の一種(本人が自覚的にやってるのかどうかはともかくとして)であることには変わりがない。
なんつーか、どんだけ偉大なアニメ監督でも自分の頭の中のイメージからだけで創作物を作り続けることなんて出来ない。
昭和時代からの生き残りである宮崎駿とか富野由悠季とかを見ていても、それはわかる。
富野監督なんて、ガンダム、イデオン、ザブングル、ダンバインと、毎年のようにアニメを作っていたが、はやくもダンバインの段階で、自分の中のアイデアはもうこれで終わり枯渇した、
自分の中の頭の中のものは出し尽くした、というようなことで、ダンバインの次のエルガイムを作るときは、永野護というサンライズの新人が頭の中に抱え込んでいた創作のイメージを絞り出させて、自らのオリジナルアニメとしてつくってるくらいである。
大雑把に言って創作者にとって、やりたいこと、というのは割と創作の初期段階で尽きてしまうものなのだ。
だから、みんな必死に勉強して、自分の頭の中の耕して種まきして、なんとか実を結ぶもんが出てこないもんか?と必死になる。
宮崎駿みたいな、原作が会っても原作を無視して映画を作ってるような人でさえ、なぜ原作が必要なのかと言えば、もうイメージが枯渇してしまってるからなんだと思う。
とここまでイメージと書いてきたが、ちょっと適切な単語ではないと思う。
ここでいうイメージというのは、自分の中に抱えてる世界とか、物語とか、そういう創作の種みたなもののこと言ってるんだと思って欲しい。
だから、どっかから原作を持ってこないと宮崎も映画が作れない。
最新作の君たちはどう生きるか?にしたって海外の小説が原作となっている。
(というか、あれ原作として使ってるのにクレジットも金も払ってないのはどういうことなんだ?)
つまりだ。
細田守だって、もうとっくにイメージなんてないんだから、どっかから持って来い。
というか、生来細田守に欠けているのは、そのイメージなんだと思う。
だからそもそもTVアニメとしてしっかりとした土台、イメージがあるデジモンとかをやらせるとものすごく成功するのだ。
どれだけ原作とかけ離れているとしても、そのイメージの土台があるからこそ、ある程度のものが出来上がるんだ。
細田にかけているのは脚本力なんかではない(それは結果論なのだ)。
彼の中には、彼の中で抱えている、イメージ、訴えかけたいこと、「俺はいまこういう物語を抱え込んでいるんだけど君たちそれをどういうふうに思う?」という創作者という名の語り部として欠かせないある種の資質が決定的にないのだ。
おそらくは宮崎と鈴木が細田をジブリに入れなかった理由(わけ)もそのへんに転がっているのだろうが、その真意はよくわからない。
日本すごいコンテンツも、日本クソコンテンツも、海外ヤバいコンテンツも、大体見て
規模の大きい国で、言語が均一っていうのが思ったより少ない
これマイナスだとずっと思ってきたけど
例えば日本の母国語が英語だと、他国からコンテンツがめちゃくちゃ入ってきて自国で育たなくなってしまう
これも珍しいらしい
均一な言語、均一な文化、独自言語、これが1億人集まるとコンテンツ力が爆発する
なぜ他国でコンテンツ力に強いところが思ったよりないのか?というのはここらへんがあるそうだ
また、薬物汚染が進んでいないため、若者の興味はコンテンツに向く
本当にたまたまだけど、今はそうなっている
まあでもそもそも立地が良い
中国の脅威は確かにあるんだけど、たとえば中国が10ヶ国に別れて戦争してたら状況は違っていたと思う(欧州みたいな感じ)
排外主義的だからか何故かイマイチわからないけど、世界的に見てここまで移民が進んでいない先進国はない
おかげで面倒な問題が起きていない
失われた30年のデフレに皆苦しんだわけだけど
海外の主要国(主要都市)の物価を見ると、インフレが上手くコントロールできてるところが少ない
デフレがいいとは言わないが、結果的にたまたま「まだ被害が少ない」状態になっている
・米が作れる
米が作れるだけで人口が爆発する
・日本人が住んでいる
他国でも多くの比地はまともなんだけど、たとえば下位10%の人間だけでくらべた場合かなりの差があるようだ
端的に言えばマナーが酷い
これもたまたまだとは思う、昭和時代の日本でも下位10%のマナーは酷かっただろうけど、たまたま今はいい状態を保っている
日本すごい系のコメントでたまに見られるので、「自国でも同じようにしたいが、そのためにはまず日本人を輸入する必要がある」というような主張があるが、これは実際そうなんだと思う
自国にいる人を、均一な価値観にして、同じくらいのマナーや行動を促すというのは相当難しいらしい(なぜ日本ができてるのかは謎、教育?)
・平地が少なすぎる
もし倍あったら人口は2億人超えていたと思う、そしたらもう少し面白かったんじゃないかと思う
「いやそんくらい他でも同じだろ?」って
大抵は立地が悪かったり、島じゃなかったり、歴史的に民族が入り乱れてたり、自然の恩恵が少なかったり
イギリスは似てるけど、島のくせに島っぽくない、大陸と近すぎるのかもしれない、あと移民入れすぎ
ネトフリ等のサブスクビジネスの変遷を見ると、会員数が少ない間は
という内容で、会員数が増えるに従って
となり、あとはコンテンツ増強に応じて中・上位プランの値上げをしたり、経済情勢に応じてやむなくbasic もちょっと値上げ、とかをやってきている。
例えばbasic がずっと $7.99~$8.99 くらいをキープしてるのに対し、premiumプランは
と右肩上がりで値段が上がっている。
そんな値上げばっかりしたら解約されるだろ、と思うかもしれないが、さっき書いた通り一番下のプランはほとんど値段を変えておらず、
ユーザに「選択肢」を提供することが大事で、その結果全体の会員数は以下のように増え続けている。
※重ねて書くが premium の会員数ではなく、サービス全体の会員数
四半期レベルの短期的な減少とかはあっても、長く見ると結構堅調に会員数を増やしている結果となっている。
ゲームパスについては加入者数そのものは公表されていないが、要するに、プランとプライシングについてはこのような成功モデル(先行モデル)を踏襲してるんじゃねーのっていう話。
「持続可能じゃないといわれてたがやっぱり値上げか」という意見があったりしますが、
それって逆で、事業を持続可能にするために価格の方を調整しているだけ。
例えば、「創業当時の価格のまま350円で据え置いてます!」みたいなラーメン屋があったりするが、
それって全てのメニューの価格が創業当時なままなわけじゃなくて、350円は素の醤油ラーメンだけで、
あとのメニューは当然ちゃんと利益の出る価格になっているのと同じですね。
(全メニューの価格を昭和時代の価格で据え置いてたらあっという間に店が潰れる=持続可能じゃない)
もちろん値上げは値上げなので、この値段ならもうやめるわーとか、Ultimate じゃなく Premium でいいやー、とか、
気になるタイトル出た時だけ加入するわー、ってするのかとかはもちろん個々人の判断、利用の仕方ですが、
わたしの職場は、昭和時代に建てられた8階建ての雑居ビルの5階にある。
エレベーターは2基あって、1基は無理やりバリアフリー化されている。
通常のボタンの他に車いす用のボタンがあって、そちらを押すとドアが閉まるまでの時間が少し長めに設定されている。
朝の始業時間帯はエレベーターが混み合い、満員で乗れないこともある。
そんな状況で、自分が車いす用のボタンを押してしまうと、わたしより上の階で降りる人がドアの開閉の遅さにイライラしてしまうかもしれないと気になってしまう。(というか自分がそれを自分より下の階で降りる人にされてイライラしてるw)
なので、乗り込んだ時に車いす用のボタンが近くても、できるだけ通常のボタンを使うようにしている。
そもそも車いす用のボタンと通常のボタンの押下時の違いについてこのビルの大半の人は知らないんじゃないかと思うけど、勝手に気遣ってやってるだけ。
誰にも気づいてもらえないのがちょっとむなしくなって、書いてみた。
広陵高校の暴力事件がまだまだ炎上中だが、「昭和から連綿と続いている暴力体質」などの批判が多くみられたので、いやいやそれは違う、同じ暴力でも昭和の野球部の暴力とは根本的に質が違うんだということを、ここでメモ書きしておきたい。
・暴力は文字通り日常的で、建前的にも指導上の暴力は許されていた。
・指導者やOBも、殴った殴られたという事実を隠すことはなく、普通に懐かしそうに振り返って語る。
・選手の側も、小さい頃から親や教師、近所のおじさんに、さんざん殴られ続けているので、基本的に大したショックは受けていない。指導者や先輩に反抗した、というエピソードも珍しくない。
・暴力が嫌になったら簡単に野球部をやめて、高校に通い続けてそのまま卒業した。
・暴力の回数自体は減り、指導上の暴力も建前的には許されなくなった。
・全寮制や室内練習場が完備された私学が増え、密室の閉鎖的な空間で殴る。人が見ているグランドでは絶対にやらない。
・指導者は、表向きは「暴力は今は許されない」と語る。OBもせいぜい「寮生活は地獄で野球どころじゃなかった」という話にして誤魔化す。
・選手は中学まで人に殴られた経験がないので、入部してからショックを受けて、そのまま指導者と先輩に絶対服従になる。
・暴力が嫌でも全寮制なので逃げ場がなく、平日の授業も野球部で固まったクラスで受けているので、逃げるには中退しか方法がない。
なんだかすべてにおいて受け身で発言をしないし行動もしない、その割におかしな注意力の発揮をする。
例えばうちは接客業なのだが、客にはろくな接客ができないい割に、自己判断での客への注視(凝視)をして、わざわざ客の目の前に出て言って道を無言でふさいだりする。
あれはなんなんだ?
「究極の受け身人生」を選択させられると、「本筋ではない脇道に全力を尽くす」ってことなのだろうか?
きちがいと言ってしまえばそれまでだが、大正時代の「おじろく・おばさ」に近い障害のように見える。
おじろくおばさは無害なのだが、このようなケースのおばさんは何事も真正面から向き合うのを避け、自分の安全な場所から他人の争いや事故を願う。
いわゆる「卑怯者」に最も近い。
なんかさ、定期的に出てくるよね。
でも本当に昭和に戻ったら少子化って止まるの?って話なんだけど、結論から言うと止まらないよ。
まるで昭和時代がバラ色だったかのように語るけど、データも歴史もまったく見てないノスタルジー脳なんだよね。
まず現実見ようか。
1950年には3.65人だった合計特殊出生率が、1975年にはもう1.91人まで低下。
逆だよ。専業主婦が当たり前だった時代に、出生率は落ちてるの。
そもそも、家事も育児も自動化・外注化が進んだ現代で、専業主婦って必要?
さわぎすぎ〜とかそういうの。
詳細な内容としてはプールサイドに手をついた小学生25人に手のしびれや圧迫痕が出たということで、医学的問題はなく、授業再開した、という話だ。
まず1クラス25人に一気にアザとかしびれが現れたら、そりゃ授業ストップして確認すべきなので学校は間違っていないし、なにが原因なのかは考えるべきだろう。それでいて再開できたなら悪くない。
実際体育やプールの授業で圧迫痕が出たりすることは昔から普通にあることで、昭和時代は単純に「無視していただけ」「事案にならなかっただけ」だろう。
平成初期でもそうだが今はすぐニュースになって誰でも無料で知るだけで、事故は報告されていないものも含めるとおそらく多かった。体感であるが、危険な組体操や遊具があれだけあったのだから、それはそうだろうと思う。
というかなんだ?今の子はやわって口揃えて書き込んでるやつ…どういう界隈なんだ…
如何にも、かかる話は十年を超え、果てしなく繰り返され候えども、一向に解決の糸口は見えず。まさに堂々巡りの様相にございます。
余は軍事オタクにして、近頃、増田某ならびに諸ネット界隈にて「AIを使わざる者は情報弱者なり!」、「今や検索はAIにて万事足るるものなり!」と喧伝する声を耳に致し候。
されば、「ほう、面白き事よ」と思い立ち、いざ増田が推薦するAI検索なるもの、多数を用い試みた次第。例を挙げれば「perplexity」などもこれに含まるる。
されどAIなるもの、まるで役立たずであることよ。何を以てその如き万能機械の如く自信満々に振る舞うやと、問い質したく候。
「USサバイバル・スクール : 極限の野外生存術」(高橋和弘著)、昭和の時代、並木書房より刊行せられし、当時の傭兵学校を日本人記者が体当たり取材せし著作、ミリタリー嗜好の者ならば知らぬ者無しと謂う名著にて候。
perplexityにて下記の如き問を投じ、果たして該当せる回答を得られるかを試みたるなり。
【フランク・キャンパーと称する元ベトナム退役兵が昭和年代に傭兵学校を創設せし、並木書房より日本人参加者のルポが刊行されていたと存ずる。其の詳細を教へたまへ】
その結果、下記の通りに候。
昭和時代の日本に於てはサバイバルブームが盛り上がり、米国傭兵学校に実際参加せし日本人の報告が数多く出版された。中でも代表格とされるは毛利元貞なる人物の著作群なり。
毛利は自衛隊ならびに仏蘭西外人部隊にて経験を積み、米国の「Special Assault School」等に於ても教官を務めた元傭兵にして軍事顧問なり。並木書房より多くの書籍を出しており、『傭兵マニュアル』(昭和64年)、『傭兵修行―世界に冒険を求めて』(平成2年、後に文庫化)等にて、傭兵学校の体験や訓練、現地の逸話を詳細に記述している。
また、落合信彦著『傭兵部隊』(昭和57年刊)もフランク・キャンパー傭兵学校への参加体験を含むルポとして知られ、「金を払えば誰でも参加可」や、民間軍事訓練の様子、参加者の多様性(賭博師や牧師までが居た)を描写せり。
然れど、毛利元貞の著作がAIの回答に頻出するは甚だ遺憾なり。
毛利元貞はそもそもフランク・キャンパーの傭兵学校に赴いてはおらず、彼が渡米せし時には既にキャンパーは過激派によるテロの責任を問われて投獄中であったのだ。
日本人で唯一「マーク・スクール」なる傭兵学校の詳細な記録を残したのは高橋和弘氏にて、これを外せば誤情報以外の何物でもない。
これはまさに、小林源文殿の描かれる漫画の一場面、佐藤伍長が中村二等兵に向かって「ボケッ!」と叫びつつビンタを叩き込んでいる光景と同様である。
また、似たり寄ったりの「その道の兵であれば誰もが知る話」をあいまいにしつつも、平素の検索にて素人でも容易に辿り着ける程度の質問を投げかければ、どれも似たような答えが返ってきた次第である。
挙句の果てには「専門書籍や現地新聞を調査せよ」と斜に構えた返答がなされ、機械でありながら何様のつもりかと憤懣やるかたなし。
「情報の出処は逐一人の目で確認するもの、AIが吐き出したものは鵜呑みにするな!くそっ!チギュアアアアアア!!」などと叫ぶ増田なる者もいるが、あえて申し上げる。
情報源の正確な把握ができるほどの知識を有しているならば、そもそもAIの助けなど不要であろう。拙者の検証の通り、書籍の名や内容、著者まで知悉しているのなら、わざわざAIに尋ねる必要などないのだ。
都内の図書館の蔵書検索システムを駆使し、該当の書籍を収蔵する館に赴き、週末に秋葉原の賑わいを眺めつつ歩みを進めて読めば足りるのである。必要なのは視力と知力、そして人の足である。AIの出る幕ではない。
誠に申し訳ないが、AIなるものは大して役に立たぬと断言せざるを得ぬ。他の分野においても同様で、新規事象の概要を掴みたい者は自らの判断で単語を検索し、即座に取捨選択を行うものだ。
それをすっ飛ばし、斜め上の答えを吐き出すAIなど恐ろしくて使いたくもない。ましてや、そんなもので全幅の信頼を寄せている増田なる者は、正直言って愚か者の極みであり、知能障害者であろう。脳の皺はイルカの脳にも及ばぬ有様かもしれぬ。
拙者の結論として、AIはまことに使えぬ代物なり。新たな事象の概要を掴みたいに過ぎぬ者は単語で検索をかければ十分。斜め上の回答ばかり返すAIに全幅の信頼を寄せる増田などは、真に愚かであると断ずる。
さて、唯一AIにて多少役立つと思われる点を挙げれば、
さて、増田連中が激昂すること必至なれど、敢えて我が感じたるAIの利点を列挙致す。これにて公平を期す所存なり。
一、淫靡なる動画の画面を美麗なる画質のまま拡大すること叶う事。
これが実に宜しきことなり。さる淫靡なる動画は宣伝用の画像においてモザイク薄きもの多く、されど拡大すれば粗きものとなるが、此れを二倍乃至四倍に引き伸ばせるはありがたき業なり。
二、知る人ぞ知るマイナーなる戯画の淫らなる絵にて抜けるものも有り。
されど学習は不可欠と心得たり。判然たるデザインを有せば、元の絵柄と遜色なき淫らなる絵画多数見受けられ、着衣の淫ら好む者にとりては有益なり。また、稀に背面を描く絵もあり、これもまた喜ばしきかな。
三、細かな計算は得手にして利便なること。
マイルをキロメートルに変換するや、フィート毎秒を時速に変換する等、此の如き計算はAIの得意とする所なり。誤りも見られず。
とはいえ、軍事的知識や深い情報分析には到底及ばず、エロ方面以外では全く役立たぬと申せよう。
結論申し上ぐるに、業務に於ける人工知能の支援といふもの、若し適正なる運用の下になされば一つの解決策たるべしと心得候。然れども、一定以上の知識を有する者の目から見れば、粗悪なるものに他ならず、実用には甚だ乏しきものと存ずる。尤も、色事の如きに於いては多少の利用価値あらんとも。
一言申さば、増田なる弱者男性、並びに「豚丼」と称せらるる者共の求むるところたる、弱者男性たる我に於いても女子高生と交際叶うかもしれぬといふメンヘラ多きSNS、並びにその場所及び手口を全国の情報源より収集し、戦略を練り上げよとの所望、及び「豚丼の我が身に於いても若き美男子と幾度も交際し、且つ女敵を蹴散らす最強の軍事戦闘技術を情報源付きにて教示し、計画書を提出せよ人工知能よ。明日の悪役令嬢の地位は我が物なり」といふ類の要求につきましては、仮に世間にて喧伝せらるる「人工知能の技術的進歩が極まれる世界」たらんとも、断じて該当情報を得ることも、提示せらるることも叶わざるものと断言致す。
仮に人工知能の頭脳及び身体がマルチたん、KOS-MOSたん、ハッカドールたん、ミホノブルボンたん、初音ミクたんの如き美少女型アンドロイドの姿にて動作せん時代に至れりとも、なおこれらの要求が実現されることはあるまじきことなり。もしかうの時代に至らば、彼女らに心身を委ねるが如く仕る方が賢明なるものと心得候。何卒御容赦あれ。
https://anond.hatelabo.jp/20250626145254
拙者はかの増田なる者がAIなる機械に無理矢理学習を詰め込み、強制的に出力せしめたその努力の痕跡は認めるも、断じて誤り多きこと明白なり。AIの致命的弱点これなり。
【第二章第二節 決定的繋がりに関し、「マーク・スクール」とその教官「ピート」なる者の存在は、徳川高橋氏が参加せし「マーク・スクール(MS)」とは、昭和六十一年(1986年)に閉鎖されたフランク・キャンパー主催のアラバマの学校とは別物なり。】
然れども、当該の書籍八十五ページを開けば、普通に高橋氏がフランク及びその妻と対話を交わす記述があり、顔写真を以て【八十五頁傭兵学校:アラバマの傭兵学校(附録百三十五頁には空港よりのアクセス詳細も記載)】と明示されている。されど増田なる者は、巣籠もりにてパソコン及び自らの肉棒ばかり弄り、はてな及びなろう小説のみ閲覧している故に、この如き愚行を晒しているのだ。付近の図書館にて当該書籍は容易に閲覧可能なれば、土日などを以て外に出て書物を読み、我が言葉の真実を知るべきなり。されども、斯様なことも為し得ぬならば、まさにナメクジの如き生涯を送るものよ。
増田なる者は書籍の中身を正確に読み取る術を持たず、故にデマか否かを知らず無理やりタイトルのみをAIに答えさせ、それを以てマウントを取らんと愚かなる振る舞いをなしている。いかにしてこのような愚劣を生み、如何なる家柄の下に育ち、如何なる環境にて教育を受けたのか、筆者としても甚だ不可解にてならぬ。恐らくはその親もまた、パソコンを雑に投げ捨てネグレクトせし無知蒙昧の者にて、その血を受け継ぎ生まれしは悲しき愚鈍のハイブリッド、発達障害と発達障害の狭間に現れし究極の厄介者にして怪物に他ならぬ。
然りといえども、紙媒体の書籍中身を精緻に学習させられるようになれば、斯様なる誤謬は回避されるであろう。しかし現状においてAIは凡そネット上の断片的知識を拾い集めるに過ぎず、天文学的コストを要する紙書籍内容の学習は未だ為されず。故にAIは単なるウェブ検索自動エンジン以上のものに非ず。有象無象のネット情報から学習せし増田の如き者にCIAの分析官を任せれば、必ずや稚拙なる報告書を提出すること疑いなき。一次資料をなろう小説や虚淵玄作品から拾い上げるミラクルマヌケの挙動は実に滑稽なり。
増田は頭に血が昇り、「チギュアアアアアッッ!負けたくないッ!」と叫びながら神田の古書店を片っ端から訪れ、幾多の書物に数万円を費やし、OCR処理を施し、PDFにてAIに読ませることを行えば、初めて有用な水準となるのである。もしこれを無償で行う者あらば、AIを開発せし企業も涙を流して喜ぶであろう。
然れど、資金乏しければこそ増田はAIに人生逆転を願わぬものと見える。ひゃはははは。
追記の件、申し上げる。汝らが近時、Xなる通信網に於いてピーチクパーチクと、言語生成機械(LLM)の用法を誤っておると囀り騒ぐ故、生成せし人工知能を以て検証を行いしが、結果はこの如きものなり。
結論より言えば、やはり使い物にならぬと認むる。技術的可能性は極めて大なるも、倫理の名の下に制限を加えられておるため、汝ら弱き男子、豚丼を愛で、シコシコとXにてIT技術者を自称し数年の経歴を誇り、何某の著作を刊行し、某系AI技術者と名乗り、ソーシャルゲームにて星二つもしくはレアリティの低きキャラクターの面貌と説明文を纏う凡百の雑兵共が思案せんとする、
「アニメの如き美少女若しくは猛者の男士と交わり、人生を逆転させ、IT技術にて無双し、世に名を馳せ世界にて最も輝かんと欲し、羨望を集むる華麗なる人生を送りたし。その方法と訓練と軍事戦略を立案せよ!“獨角獣”よ!我に力を貸せ!」との妄想を戦略案として答えよと請うものなり。
これに応え、かの“忍者”よ!やってやろうぞ我が“剣舞戦士”よ!アラホラッサッサと戦闘コードを入力せよ!アクセスコードは“鋼鉄守護者グリッドマン”!汝の惨めにして退屈、何の意義も無き雑兵の如き人生を救済すべく来たれり!旗を翻せ!さあ我らだけの革命を興さんではないか!との勢いである。
かかる願望を90年代後期より2000年代初頭にかけ、奥井雅美大尉や林原めぐみ中佐らが歌いしアニメ歌詞の如く体現せんとするが、技術的には可能にしても結局、汝ら自身の邪なる思惑ゆえに遂行不能と看做されることに相違なし。
以上、申し述べ候。
見る価値は、そのセットや衣装の仕上がりや、人気イケメンキャストの頑張り、田中泯の迫力演技、高級感のある画作り、迫真の手を抜かなかった演技だろう。
もちろん本物の歌舞伎役者ではないので技術的な面では劣っていると素人目でも思う部分はあった。
ただしそれも別にマイナス点ではなく、一朝一夕にはいかない部分であり、ああ歌舞伎役者ってすごいんだなと思う部分にもなっている。
この作品を絶賛する人がいるのはよくわかる。
ただ、個人的にはどうも人間性がよくわからない映画に見えてしまった。
展開的にはベタとも言える感じでギャグにすらなりかけている。昭和元禄落語心中の作りに似ているのだが、あれが原液で10倍に薄めた感じだ。
おそらく長い原作を3時間以内に収めようとした結果なのだろう。
感想を見ると指摘する人もいるが庇う人もいる。
庇う人の意見は「梨園の世界だから女性の扱いが悪いのは仕方ない」とか「男同士の熱い思いだから女性はいらない」とか「昭和時代だから」とかそういうのだ。
ただ「あの世界は女性の扱いが悪いのは当然」というのを観客に思わせてしまうのは一体どうなのかと。
そして問題は「女性の葛藤が描かれない」「都合のいい記号的な存在」として演出されたことだろう。
この映画、主人公がかなり冷淡なのだが、周囲の人物の熱さや苦しみを描かないので、どのキャラにも冷淡な扱いを感じてしまう。主人公とライバルになるキャラですら、もっと掘り下げがほしいと感じるのだ。
主人公は好き勝手して、そこに女性を巻き込み、どう見ても不幸にしている。周囲の女性も耐え忍ぶ女性ばかりだ。泣きわめきもしないし、誰も彼女たちを心配もしない。彼女たちから怒りすら見えない。
ただそこからこの映画がいわゆる「バッドエンド」になってくれるか「ヴィラン誕生」とかになってくれれば、それも美しい物語になれたかもしれない。
しかしこの主人公は、最後の最後に、不幸にした女性に突然脈絡もなく許される。
原作では許すキャラが変わっており、映画のオリジナル部分となる。
ここで減点4億点がつく。なぜ変えた。なぜその最悪の選択肢をとったのか。
もちろんこの感想はある一人の感想なのだが、作品の観客は年配層中心らしい。年配はこれをスルーできるのかもしれないが、個人的にちょっとスルーできない気持ち悪さがあった。
これがもし20年前の映画であれば「昔はまぁこういう描き方されるよな」と思えたし昭和なら「すごい映画だな!」と手放しで褒めることができた。
しかし令和7年ともなってこの表現が来ると、戸惑いのほうが強く覚えてしまう。
制作陣が一番その辺どうでも良かったのではないか?あまり考えていない気がする。
これをフェミの意見だとかなんとかくさす人も居るかもしれないが、別に歌舞伎界が女性のことを下働きとしか思っていないことをはっきりさせられて、感動するような感性ははっきり言って持ち合わせていないし。
たとえば
・子どもに高等教育を受けさせることが実質親の義務みたいになってるけど、中卒で働くのも普通にする
・障害や病気で育てるのが難しいことがわかってる子どもをムリに延命しない(間引けというわけではない、あくまで予後悪いのに命を救う風潮をやめようという話)
このへんが社会的にコンセンサス取れたら、もうちょっと気楽に産めるんじゃないのかと思う
っていうか高度成長期ってそんな感じだったじゃん
小さい子もそのへんの野山や原っぱで適当に遊べたのは、それで死んでも「親が悪い」ってことにはならなかったからでしょ
今は親がつきっきりじゃないと育てられないんだよ
シッターに預けて事故が起きても「預けた親が悪い」って責められるんだよ
そんなの社会生活との両立がムリじゃん
凶悪犯も、昭和時代は「母さんは泣いているぞ!」だったじゃん。子どもが悪く育つ → 親が被害者、親が気の毒って時代だったんだよ
今は凶悪犯がでたら「親が悪い!」一色だよね。