
はてなキーワード:春休みとは
対物レンズ越しに合った目
一生の丈合わせ
生きてるスケール違うので
これで逢いに行けます
ざわつく教室抜け出して
旧校舎の理科室へ
泳いで 捉えて
こっちみて
対物レンズ越しに合った目
等身大 目の前に揃っちゃって
君の名前も知らない
おちかづきになりたい
好きな水質とか聞いてみたい
素っ頓狂 信じるわけないんだって
おっしゃらないで頂戴
同じ目線に立ちたいの
観測続行 諦めちゃ、め
▼それで馴染めるのは才能ね
▼でも、申し訳ないけど覚えておいて
▼いつかは解けるのが魔法なの
理想郷 特等席
旧校舎の掛け時計は
狂って 止まって
おっこちて
取り壊されるんだって
百年目の春休み
君に会いたい
うまく走れない
対物レンズ越しに合った目
おうちみたいな涙を溜めて
かける言葉も知らない
嘘で騙したくない
ほんの少しだけを聞いてほしい
その光に惹かれたんだって
対物レンズ越しに合った目
等身大 目の前に揃っちゃって
君の心は透けない
かみさまごめんなさい
素っ頓狂 信じるわけないんだって
終わらないで、恋
体も全部透けちゃうの
聞いて
たまたま匿名ダイアリーを知り、早朝に寝ぼけ眼で書いてみたが誤字・脱字がひどかったため改めて投稿したのが数年前。
中学は最高だった。成績は常にトップ。部活では部長。生徒会本部役員。モテてたし彼女もいた。高校は厳しいぞと親や中学の担任から言われたが、結局中学と立ち位置は変わらなかった。現役で東大文一に受かり、「ノルウェイの森」の永沢という男を気取っていた。ただここまでが人生のピーク。下らない理想モデルで失敗した。僕の理想モデルは「司法試験在学中合格→国1トップ→外務省→事務次官→駐米大使→定年後に国際関係論の権威として駒場の教授」だった。
単純な話だが司法試験で失敗した。高校卒業した春休みから伊藤塾に通い詰め、3回連続受けたものの論文が通らなかったのだ。普通なら2年生、3年生と2連続不合格なら諦めて国1に専念する。しかし僕は往生際が悪く、国1と司法試験を並行した。4年になる4月頃にはメンタルが崩壊。そのまま国1と短答を迎えるが前日も彼女や友人と遊び歩いていた。東大には本番の朝まで駒場で麻雀やって司法試験に受かる基地外がいるが僕は凡人だった。結局国1は受かったものの外務省含め希望省庁からオファーは来なかった。司法試験はやはり論文落ち。万一のために「官僚にはなりません」と嘘をついて内定をもらっていた会社に入社することとなった。
僕は今、霞ヶ関の官僚になれずにコンプレックスを抱えながら丸の内三菱村の社内官僚として生きている。仕事が終わるとたまに行幸通りを通って日比谷公園を歩き霞ヶ関を散歩する。そして「外交官として働いているもう1人の自分」を妄想して帰宅する。
シルク・フロス・ボート(ほそや ゆきの著)は&sofaというアフタヌーン系列のweb媒体で連載されていた漫画で、昨年一月に第一巻が、十月に最終二巻が出て完結を迎えた。
面白かったので、まぁどっかで誰かが今年読んでよかった漫画、として紹介するだろうと思っていたら誰もしない。嘘だろ。俺は感想だのレビューだのといったことを言うのが苦手で、「面白かった。読めばわかる。」以上のことは言いたくないし言えないのだが、仕方がないので下手糞は承知で俺が紹介する。
気になった人がいたら一話のリンクを貼っておくのでこんな駄文を読んでいる暇があったらそちらを読んでほしい。
https://comic-days.com/episode/2550689798819995914
して、ざっくりあらすじを言うと、主人公・宮島ひかるは不登校の中一女子。小学校の時にいじめていた同じクラスの鹿児島魚子が中学に上がる前の春休みに自殺してしまって以来、学校に行けなくなってしまう。ある時蚕の姫様を名乗る変てこな神様に出会い、願いを叶えてやるからその代わりに蚕を育ててくれと頼まれる。彼女が神に何を願ったのか、目が覚めると自分以外の人間が皆鹿児島魚子のことを忘れてしまっている。そしてもう一人の主人公、鹿児島魚子は蚕の姫から体をもらって生き返るのだが…
だいたいここまでが二話前半くらいまでの話で、俺はネタバレというか前情報を仕入れるのも与えるのも嫌いなのでさっさと読んでほしいのだが、このお話がどういう話かというと、養蚕の話、養蚕を通して自分のしてしまったこと、いじめ、自殺と向き合う話、命(蚕)に触れて自分のしていることに否応なしに向き合うことになる話、なわけで、割り合いテーマが重たいのだけど、前述の蚕の姫様の他にも三途の川の渡しをしている人だったり、聖徳太子より年上の4人の犬娘(それぞれ犬種別、居そうな犬感のある顔立ちが良い)といったファンタジー要素のあるキャラクターも出てきて読んでいて楽しいのですよ。
して、この漫画の良さというのはそうしたテーマだったりキャラクターだったり、真剣な場面の温度感や場面転換の妙、子供が大人になろうとしている姿など色々あるのですが、この漫画の最もすごいところは、読んでいて人の手指の柔らかい感触が伝わるところなんです。どういうことだかわからないと思うのですが、でも実際そうなのだからしょうがない。
それほどまでに精巧で緻密な絵、というわけではなく、むしろ細部・背景まで徹底してデフォルメされていて、さらにはコマ枠を除いたあらゆる線が、蚕の芋虫はもちろん遠景のビルから糸を繰る巨大で複雑な機械まで、全てフリーハンドのよれのある線で描かれているのです。そうやってすべての線に作者の意識が入っているからなのか、あるいは一人称視点で手が近くに描かれることが多いからなのか、何にせよただそのようなやり方で描かれているからという話では説明がつかないと思うのですが、とにかく、読んでいて指の柔らかさ、温度感といった触覚がわかる、というのはただごとじゃないですよ。なのに誰もこの漫画を紹介しない。時空が歪んでるか何かでこの漫画は俺にしか認識できないのか?
そんなはずはないのでぜひ読んでみてください。全二巻で読みやすいと思います。なんで後半敬語になったのだろう。オススメです。
日本の健康保険はすごい。手術費が400万円以上かかったのに16万程度しか負担してない。高額療養費制度が凄すぎる。
外科医、7時間くらいの手術をして凄い。ぶっ通しで集中するって凄すぎる。入院病棟の看護師の方も凄い。なんか脱毛で通ってた皮膚科の看護師の方とはテキパキさが全然違うのね。脱毛とは違って急変して死ぬような患者が次々来る場所だからそれもそうなのか。
会社ありがとう。手術で長期の休みくれて。会社自体にそれなりの規模があり、抜けている間も業務のパンク状態にはならなかったと思う。就活頑張ってよかった。
死ぬ可能性ゼロではなかったので、死ぬつもりで引継ぎ資料を作ったのも新鮮だった。自宅も完璧に片付けてネット証券のログイン情報とかも家族向け死亡時引継ぎ資料としてまとめた。27歳で一旦死ぬつもりになってみるのは良い体験だった。
私がこうなったことで母が一時的にスピってしまった。告知直後から私より母が精神状態が変になってしまい、母には正確な病状等を伝えないようになった。
基本全部「この手術では絶対死なないから大丈夫!」みたいな感じでポジティブな嘘をついてた。家族への説明は父が受けてくれてありがたかった。あと私が入院あけて回復して職場復帰していったことで母がもとに戻っていったのもとりあえずは良かった。
病気で手術するから入院という話をしてから大学時代から7年付き合ってた彼氏に振られたのはすごい。恋愛ほど脆いものはないな。というか、逆の立場で彼氏のほうが難病になりましたってとき、
じゃあ私が全力で一生支えますみたいな気持ちになれたかというとそれも微妙だった。付き合いが長くなりすぎて冷めてきてはいたが、本当に関係がゾンビ状態だったのだなと実感した。
別れたあとも連絡は可能な状態になっていたけど、職場の23歳の子にアプローチして振られたという謎の愚痴をLINEしてきたのでブロックした。
なんなんだこいつ…となったけど、「それ私に言うことじゃなくない?」って内容をわざわざ言ってくるのは知り合った頃から何も変わってなかった。
病気をするまでとくに気にしていなかった健康保険だけど、本当にその価値を思い知った。大病院の設備も人材もすごい。日本に生まれてなかったら死んでいたんだろうなとしみじみ思う。
医療関係者の方々もすごい。ハードワークだ。あなたたちが医療業界を志してなかったら私は生きてない。本当にありがとうございます。
あと、入院明けで歩くのが激遅状態のとき父が車を出してくれて荷物積んで家まで運んでくれたのもありがたかった。利便性の高い場所に住んでると正直、車必須のシチュエーションが少なくて、免許取らないままここまできたのだけど、
父の迎えがあってなんか改めて、使う頻度が低いままだったとしても、免許欲しいなと思って。2026年は自動車学校に通う。春休みの大学生で混み始める前にね。
スキルというものが光輝いて見えて、気持ち(?)のような曖昧なものの価値が自分の中で下がった一年だった。日本はいい国だと思います。健康保険を納めてくださっている方々もありがとう。良いお年を。
Permalink |記事への反応(20) | 18:55
大学の春休みでチラシ配りの短期バイトの予定が午後から入ってた。お昼頃アパートのベッドに腰掛けて携帯で父親と通話していて、このあと出かける、みたいな話をしていた。大きな縦揺れになって、普段の地震とは違うことは明らかだった。揺れている最中から父が何度も「通話中でよかった、この大きさだとこのあと多分通じなくなるかもしれないから」と言っていた。とにかく早めにお金をまとめておろすこと、そして食べ物も買い溜めしておくようにと言われた。
部屋は特に崩れたりせず、縦揺れなんて初めてだったなと驚くくらいで、普通にバイトの集合地点にむかって歩きながら、しかし電波が飛ばずバイト先の仲間と連絡が取れなかった。お互いメアドは知らず電話番号だけ知っていて、当時LINEは普及してない。雇い主とは連絡が取れた。向こうからかけてくれた。「とりあえず、連絡が難しい状態だから今日はなしで!」ということを言われた。そのバイト仲間の車で複数人で移動する予定だったからそうするしかない。雇い主もバイト仲間と連絡が取れないらしかった。今思うと携帯同士では繋がりにくく、どちらかが有線電話だと繋がりやすかったのかな。
そのままの方向にあるATMに向かって歩きながら福島に帰省していた友達2人に大丈夫?とメールを送った。(今なら相手の状況や電池のことを考えてメールは送らないです。当時は災害の規模がよくわかっていなかった上に無神経でした…)すぐに返してくれた子は「かなり揺れたいま親とテーブルの下に隠れてる」と言ってた。ATMで奨学金から7万円くらいおろして、スーパーに寄って帰った。(手数料かからない銀行は遠かったので緊急事態だから今くらいはいいかと…)
どう連絡を取れたのか覚えていないがその日の夜私の部屋に友達が遊びにきた。朧げな記憶なんだけどお互いに携帯がauで、au同士だとギリメールできたんじゃなかったかな。それか、もとから約束していたか。もしくは直接アポなしで来たのかもしれない。家近かったから。
夜になったあたりからテレビで少しずつ被災地の映像が流されるようになった。
津波に飲み込まれた街の映像に、衝撃を受けるよりも現実離れしていて本当に起こっていることと思えずボンヤリしてしまった。ふたりで「映画みたいだね」と話した。
しかし報道に原発事故の要素が加わり、火事の様子も画面に加わるあたりから友達は血の気が引いていた。彼女は実家こそ沿岸部ではないが福島出身の子だった。やばい、どうしよう、どうしようと呟き出した。
家族とメールはできるけど電話ができない、みたいなこと言っていた気がする。いやメールも途絶えていたのかのかもしれない。
万が一のためにあると便利だからと私の親が設置してくれていた小さい子機みたいな有線電話を貸してみたら親と繋がったみたいで感謝された。私ではなく親のおかげだけど、その日私はその友達の気持ちそっちのけで「つまらないもう春休み帰省ようかな」とずっとうだうだ言っていて不謹慎だし失礼だったので、あれで相殺になったと思いたい。電話が通じて安堵の様子の友達を見てうちに電話をつけてもらっていて良かったと思った。
そのあとも一緒にテレビを見てて実感が追いつかないなりに甚大さにこれはなんか…と途中からテレビ番組を録画したし、意味ないけどデジカメでテレビの液晶を撮ったりした。水の上で火が燃え広がってそれがさらに流れているのがやばかった。
後日、私の実家は停電してガスもとまって浴槽に水を溜めているしガソリンの調達も大変ということで帰省どころでないことがわかった。そもそも新幹線がしばらく運休になったので帰りたくても帰れなかった。
携帯は電波が戻らず、しばらく代替機を使っていたけど、もう使っていた機種の電波?のサポートはauも諦めることになったとのことで安く別の機種に変えることになり、高一から使っていたW51P(https://youtu.be/GbMyYIm3_JA)とお別れすることになった。変えた先もガラケーだったんだけどこの時スマホに変えていたら学生生活ちょっと違っただろうなと思う。
運転してくれるはずだったバイト仲間は次の年のチラシシーズンに再会し、聞くと実家が気仙沼で浸水してしまったとのことだった。
地域によるけど、もう最初のスマホはAndroidでも普通らしい
下手すると小学6年生の春休みに買い与える時代になってきた。低年齢化。
・親の経済的な意向が勝つ年齢。高校生ならバイトして返すとかいう子もいるだろうが中学生は無理。
12歳に買うか、15歳に買うかの違いは大きい。
・iPhoneが円安あおりでバカ高い。10数万するもの子ども側がねだっても、3年後に買い替えるかもしれんのに、まだ早いって意識が親には出るし、安めのスマホで妥当感がある。
子ども側も、お年玉とかお小遣いとかの貯めたお金の使い先は、スマホ機種のハードより、音楽のサブスクが大事。
ほかにも有料エンタメサービスで動画サービス、漫画アプリとかにお金使えるかの方が大事でハードよりソフトになってきてる。
iPhoneがバカ高くなければiPhone買った上での話になったろうけど、さすがに性能差ほぼ無いのに高いだけになってきてるからね。
あと、学校のタブレット支給が当たり前の世代か、それ以前の世代かでも感性が結構違うらしい。
地域や学校で支給されてる端末に違いがあるから、何に慣れ親しんでいるかは日本全国一律に語れないと思う。
Chromebook使ってた小学校の子が最初のスマホiPhoneじゃなきゃヤダにどこまで影響するかは結構あると思う。
2000年〜2010年生まれの子の世代のiPhone偏重期は一昔前の話になりつつあるよねと言う事
4〜5年前のコロナ禍ごろまではスマホアプリのサービス提供側は、10代の子を取り込むなら、初めてスマホ持つ=iPhoneに最適化してれば必要十分だったんだよ。
そんな話も、ひと世代入れ替わって、今年とかから状況が変わった。
最適化するベンチマークしとく機種にAndroidのどこまでの範囲をサクサク動くように見ておくのか話になってきてる。
iPhoneの最新機種は常にベンチマークしてたけど、大人の既存層もそんなすぐに機種変なんてしない世の中になった。
業界人よろしく最新機種買い替えてた様な人でもここ数年はiPhone最新機種買い換えてないから、iPhone12とか13でも十分なんだよね〜とか言ってるしな。
あと、グローバルで見るとiPhoneってシェア少ないから、グローバルも見据えてるとiPhone偏重は日本のガラパゴス事情なんだよね。
ここ1年とかのトレンドだから、またiPhone偏重に戻るかもしれないし来年にかけてどうなるかわからないけどな。
まあ、今年はもう2025年なんで若者のトレンド語るのなら、2020年データでも5年前のデータだってこと気をつけた方が良い
・1年前期
将来の夢は非常に漠然としていて、志望の専攻もなかったので偏差値や得意教科的に自分にマッチしているだけの大学・学部に入る。
モチベーションは勿論低い。さっそくドイツ語など教養科目をたくさん落とす。専門科目は全滅。
・1年後期~2年後期
正直あまり記憶がないが、サークル活動が楽しかったということだけは覚えている。
楽しい刹那的な記憶と単位を落としまくるという日常的光景は忘れやすいということか。
まあでもこの時期に自分の学部の魅力みたいなものに気づきましたね。
・3年前期
さらにゼミや大学の公務員講座に入るなど環境が変わったが、ここで突然将来に対して恐怖を感じる。
ある日いつものように学校をサボったのをきっかけに日中に外に出ることができなくなり1ヶ月ほど部屋に引きこもり、携帯電話の電源はずっとオフにする。
自殺願望が高まっていき何度も首を吊ってみたが失敗。久々に携帯の電源をオンにしたら、メール数や着信数がとんでもないことになっていた。
あの時は友人にも両親にも先生にも心配をかけさせまくって本当にごめんなさい。
・3年後期
周りが就活の準備をする中、単位が不足している俺はまた精神的に不安定に。
このあたりに留年することを決意し親に通達。何もやっていないという不安感から、春休みに運転免許を取得。
・4年前期~5年前期
完全におかしくなっていた。
学校には一切行かず毎日家でネットばかりし、それでいて「自殺すれば全てから逃げられる」と楽観視する退廃的な生活。
食事は1日1食でコンビニの弁当かマックか宅配ピザのローテーション、おかげでこの1年半で20kg体重増加。
大学の友人達が卒業するときに久方ぶりに顔を見せたけど、みんなから太ったねって言われたね。
5年の夏休みに地元の自治体の試験を受けると親と約束していたが、部屋から出れず地元に帰らなかったことをきっかけに、ここで退廃的な生活に終止符。
・5年後期
ある程度改心。
学期開始前に精神科で検査したが、異常なしという結果だったので大学復帰に自信を持てた。
とりあえずまだ取り終えていない英語とドイツ語の単位を取りに行った。
・6年前期
地域で言うと日本海側→日本海側への移動なのでめちゃくちゃ時間かかります。
月曜日に4つ授業を入れていたが就活の日程的に休みすぎたせいで全滅し卒業できるかどうかでかなり焦り始める。
あ、念願のドイツ語の単位はここで取れました。ちなみにドイツ語の教科書は通算で6冊くらい買いました。
就職が決まってから心の中に「責任」というものが芽生え始めたように思える。
立場が人を作るってやつだろうか。
・6年後期
6年間の中で最も真面目に学校に行ってたし充実してた気がする。皆出席を達成。
卒論は書かなくても一応卒業できる大学だったので、その代わりと言ってはなんだが図書館の本を読書をする毎日。
24年間の人生で初めて読書の楽しさに気付けたし、勉強をする意味みたいなものにも気付けた。もう少し早くこの感覚を持ってていたらねえ。
私はアラサーになってから手芸たのちぃぃぃぃ!!状態になった子持ち女だが
手芸は本当に底なし沼で、編み物、縫い物、刺繍、レジン、ビーズ・・・・・・と沼がたくさんあるしいくらでも時間とお金を溶かすことができるんだよなあ
先日の自分の子供の幼稚園の春休みは、私はミシンで縫うことに自分の時間を溶かした
好みの布を買ってお金を溶かした
春休みだから早起きして園に子供を送ることをしなくていいので睡眠時間を犠牲にして縫い物をやった
キミとアイドルプリキュアのレッスンバッグを子供に作ったら、リアクション薄かった。前回わんだふるプリキュアのレッスンバッグを作ったときはものすごく喜んでくれたけど2回目だからか反応薄かったね
タイトルの通り。
俺たち3人は小中高が一緒の幼なじみ。俺だけ県外の大学に進学して、AくんとBちゃんは地元の大学へ行った。
別にどっちも、くん付けでもちゃん付けでも呼んでないけど、性別が分かりやすいように、ここでは付けて呼ぶことにする。
Aくんは、ずっとめちゃくちゃ友達が多かった。とにかく誰にでも話しかけるし、人の会話にすぐ首を突っ込む。テンションも高すぎて、引いてるヤツも多かったけど。コミュ力がありすぎるコミュ障、って感じ。友達思いのいいヤツだった。
大学1年の4月、5月は、Aくんとよく電話してた。俺は一人暮らしで寂しくて、Aくんしか会話相手がいなかった。
俺が「大学どう?」って聞くと、Aくんは「友達いないけど、Bちゃんがいるからなんとかやってる」って楽しそうに言ってた。履修も被せて、よく一緒に授業を受けてるらしい。傍からみればカップルにしか見えなかったと思う。その勘違いを思い浮かべて苦笑した。
俺が「Bちゃん楽しそう?」って聞いたら、Aくんはちょっと鼻で笑いながら「Bちゃんは大学デビューって感じ」って言った。
「静かなヤツ(まあ陰キャって言いたかったんだと思う)なのに、クラスで一番の陽キャグループとつるんでる。しかも次の学科イベントの主催もやるらしいんだよ」って。俺は「へえ」って、Bちゃんの行動力に感心した。
その後Aくんは「Bちゃんは無理してる」ってずっと言ってた。俺は(まあ大学の最初ってみんな無理するもんだろ)って思ってたけど、Aくんはそれが気に食わないらしかった。
そんな矢先、6月くらいにBちゃんに彼氏ができた。イベントの主催する中で仲良くなったらしい。
俺はBちゃんとTwitterの鍵垢で繋がってる。小中高の身内だけで繋がるアカウントだ。そこでBちゃんが、彼氏の話を永遠にしてるのをみてた。Bちゃんが惚気けるタイプだったとは思わなくてビックリしたけど、俺はBちゃんが楽しそうで嬉しかった。
その頃には俺も県外での暮らしに慣れて、友達もできて、サークルにも入って。大学生活が楽しくなってきていた。
Aくんと連絡を取る頻度は自然と減った。
Aくんと次に会ったのは、大学1年の夏休みに帰省したときだった。Bちゃんも誘ったけど、他の友達と遊ぶらしく「ごめんね〜汗」みたいなLINEと共に、不参加。
久々に会ったAくんは、見た目はそんなに変わってないのに、静かだった。前はテンション高すぎて、マシンガントークをかましすぎて困るくらいだったのに。大人になって落ち着いたのかな、って単純に思ったけど、違った。
俺が「大学どう?」って聞いたら、「楽しくない。友達が1人もいない。ずっとぼっち」って言ったんだ。
驚いた。Aくんとぼっちがなかなか結びつかなかった。
で、Aくんはそのあとに、「俺がぼっちなのはBちゃんのせい」って言った。
え?って思った。
Aくんは
「Bちゃんに『後期は、彼氏がいるからAくんと2人きりで授業は受けられない』って言われた」
らしい。
最初は執着がすごすぎて、あれAくんってBちゃんのこと好きだったのか?って思ったけど、話を聞いてるとそんなことはなさそうだった。要約すれば「Bちゃんに裏切られた」っていう怨念を抱えている感じだ。
「重症だな…」と思いつつ、心のどっかでは、「いやお前も頑張れよ」とも思った。
で、今俺たちは大学3年になったところなんだけど。
Bちゃんは彼氏とずっと付き合い続けている。未だに惚気が止まらないから、相当上手くいってるんだと思う。俺も大学生活は楽しい。
すこし時系列は戻って、Aくんとは、3年生直前の春休みに久しぶりに会った。この前の春休みだ。
そこで見たAくんは、やつれたどころじゃなくて、別人みたいになってた。
元気すぎたAくんが、ハッキリ言えば根暗になってた。陰キャとかでもないんだよな。屍に近い。
なんか台無しだった。失礼すぎるかもしれないけど。
そこでAくんは、2年生が終わったタイミングなのに、「大学ではまだ友達がいない」って言った。
授業は基本ぼっち、食堂も1人、放課後に誰かと遊びに行ったことも2年の最初にサークルの新歓で1回行ったきりない。バイトも合わなくてやめたらしい。今は家でずっとYouTube見てるって。
で、最後にまた言った。
そこからは話の内容も全部同じ。大学1年の夏休みに聞いたセリフを、そのまま繰り返してるみたいだった。「Bちゃんが大学デビューしたせいで、俺は置いていかれた」「Bちゃんは友達作って、彼氏作って、俺を捨てた」って。
お前、Bちゃんが必死で馴染もうとしてたとき、何してたんだよ、っておもった。
お前、Bちゃんの努力を、「大学デビュー笑」って切り捨てて、バカにしてただろ。努力せず、自分からは誰にも話しかけず、謎に全部Bちゃんのせい。てか普通に色々、破綻してるし。
お前、大学に入った2年間、Bちゃんにキレ続けて、なにしてたんだよ。
って思った。
俺は一応「無理やりでも、今からどこかに馴染みにいけば」って言ったけど、Aくんは「大学の友達とか要らないし」って返してきた。
いや友達いないからそんな荒んでるんだろ、と思って、他にも色々言ったけど、もうAくんは「変わる気がない。それよりBちゃんが、」って続けるから、説得を諦めてしまった。
新大学生、今友達いないやつもそこそこいると思うけど、「大学デビュー笑」って傍から言われるくらい、頑張ってみてもいいと思うよ。
最初の方を、冷笑みたいなことしてなあなあに過ごす方がのちのちつらいから。
って思った、ってだけの話です。
春休みで実家に帰省していた。読書と猫と戯れること以外にやることがなかった。文学部だったので就職が不安で狂いそうだった。そうだ、いっそのこと狂ってしまえと思った。左翼にかぶれた教授がやたらLGBTを擁護していたので、俺もいっそのこと片足突っ込んでみるか、と思った。いや、そんなのは半分以上見栄だ。女旱りがキツすぎて、もう男でもいいやと思ったというほうが大きかったかもしれない。
LINE友達募集とかカカオ友達募集みたいな掲示板で、ひたすらホモに声をかけまくった。
「挿入は怖くてできませんが、舐め合ったりとかしたいです」
思ったよりも返信率が低くて、選り好みしてんじゃねーよ、と苛立った。こちとら淫乱テディベアのブツでもしゃぶる覚悟でいたというのに。
よくやく会えそうな流れになったのが、2つ隣の市に住む男だった。深夜、軽自動車を走らせて会いに行った。
指定された場所は、昔ながらの田舎の集落の外れの、田んぼ道の入り口だった。
「到着しました」とメールした数分後、暗闇からいきなり男が現れ、当たり前のように助手席に座り込み、ズボンを下ろした。
俺は会って2秒でそいつのチンコをしゃぶり始めた。闇夜でも分かるほど我慢汁が滲み出ていて、雄臭6割、石鹸臭4割の臭気が直撃した。もっとえずくかと思ったが、意外とスムーズにフェラチオができた。自分だったらどうされたら気持ちいいかを考えながら、右手で睾丸をさすり、歯を立てないよう注意しながら愛撫した。
しばらく続けたが、俺の努力の割に、そいつの興奮は高まっていないようだった。男は申し訳なさそうに、「動画、見てもいい?」と聞いてきた。俺は頷いた。何の変哲もなさそうなAVの女の喘ぎ声が聞こえてきた。運転席から90度体を捻ってフェラチオをしていたので、腰が痛かった。
ようやく男が上り詰めてきたので、俺はオーガズムの到来を邪魔しないよう、一定の強さの刺激を与え続けた。一呼吸置いて、男がくすぐったそうな素振りを見せた。
「あれ? イってない?」
小さなオーガズムだったのか。それともイったふりだったのか。ともかく俺は、自分の唾液と少量の精液が混じったかもしれない液体を早く吐き出したく、運転席のドアを開け、ペッとやった。世の女の子は一生のうちに何回これをやるのだろうか、と思った。
冷静になって見てみると、男は俺の一つか二つ年上くらいだっただろうか。三十路手前くらいに見えた。
「いや、ノンケだよ。生きてる間に一回、フェラをしてみたくてね。そっちはどうなの?」
「オレもノンケ。結婚してんだけど、嫁がヤらせてくれなくて。溜まっちゃってさぁ」
つまるところ、その夜の営みには何一つ多様性や進歩性といった要素は無く、どこまでも女に飢えた男二人の悲しき代償行為だったのである。男の放った精液の少なさが、それを証明していた。
別れた直後、俺は持参してきたリステリンで、何回も何回も口を濯いだ。腰の痛みはまだ残っていた。
最近自宅を購入して引越ししてきたんだけど、ちょうどそのタイミングでお義父さんが飼っていた犬を引き取ることになった。
もう15歳になる老犬で、昨日引き取って来たんだけどよろよろ歩く様を見てたら昔飼ってた犬のことを思い出したので少し振り返ってみたくなった。
前飼ってた犬は俺が小学3年生くらいの時に飼い始めたと思う。
飼い始めたとは言ったけど、当時実際に飼っていたのは俺の家ではなく父方の祖父母の家で飼い始めることになっていた。
毛色は黒に近い焦茶色をしていて、初めの頃はマグカップサイズでとても小さかったのを覚えている。
最初の2〜3年は躾をするのが大事だと父親に教わったこともあり、接し方についてはテレビで見た知識や本で学んだ知識などを元に少し厳しく、でもフェリスが嫌がらない程度の距離感で接していたと思う。
ちなみにその頃に弟はまだ小学校1、2年生だったのもあるせいか、かなり乱暴な扱いをしていて、大人になってからとことん嫌われていた(近づくだけで唸り声を上げられる、噛み付く、呼びかけても一切近寄らない)ので、今後犬を飼う予定がある人は注意したほうがいいと思う。
少し背景を説明すると、祖父母の家は京都にあって俺は関東に住んでいた。
祖父母の家には毎年、お盆と年末年始と春休みなどの学校が長期休暇になるタイミングで遊びに行っていた。
また、フェリスを飼い始めたきっかけは、祖父母の家で元々飼っていた犬(フェリスとは別の犬)が亡くなってしまい、祖父母が落ち込んでいたらしい。その様子を俺の父が見かねてフェリスをもらって来たことがきっかけだったと聞いた。ただ、祖父母たちからしたら当時は新しい犬を飼う気分ではないし、そもそも自分達もあと10年生きていけるかどうかと言うタイミングだったらしいので初めはあまり歓迎していなかったらしい。
飼い始めてからはよく「フェリスが死ぬのが先か、ワシらが死ぬのが先か」と言っていたのを覚えている。
なぜ背景を説明したかというと、実はこの犬、超がつくほど甘やかされて育ったのだ。
と言うのも、フェリスがご飯のおねだりをすると祖父母(特に祖父)はなんでもあげてしまうのだ。
それこそ、朝昼夕の食事時はもちろんのことで、デザートや間食の際にも何か食べているとすぐに寄って来て食べ物をもらっていた。(大好物はカスタードのクリームパン)
また、それとは別に犬用のご飯も追加であって、しかもそれがドックフードではなくキャベツと鶏肉をクタクタに煮た物でそこら辺の犬よりもよっぽど舌が肥えていたと思う。
それに加えて散歩も大嫌いな性格をしており、家の前でおしっこやうんこを済ませたら直ぐに帰ろうとするのである。一度引きずってでも遠出の散歩をしたことがあったのだが、本当に引きずって散歩したために肉球がズタボロになって、翌日以降に悲鳴を上げながら歩いていたので、2度と無理やり散歩をしなくなってしまった。
そんな生活を数年続ければまぁ当然肥満体質になるわけで、気づけば体重10キロ以上あるデブ犬となっていた。
とことん甘やかされた生活を送って来てはいたが、俺は前述の通り正しい躾を意識した接し方をしていたので、
家族の中でも俺と父親の言うことだけは比較的聞いてくれていた。
祖母がくも膜下出血で倒れて緊急手術をすることになり、フェリスの面倒を見れる人がいなくなってしまった。
祖父母の家では面倒が見れないと言うことで俺の家で飼うことが決まり、急遽うちで住むことになったのだ。
うちで住み始めてからは上記のような甘やかし生活ではなく、一般的なドックフードがメインとなり、間食も与えずにまともな食生活を送ることになった。
そのおかげかみるみるうちに痩せていき、1年で6キロ以上痩せることに成功した。
動物病院に連れて行った母親から「お医者さんからどうやったらこんなに痩せれるんですか!?って驚かれたわ」と言う話も聞いた。
一緒に生活してからのエピソードで2つほど事件があったのでそれも紹介しておく。
俺が大学生になった頃の出来事。その日は午前の授業がなく、ゆっくり家を出る日だったので朝食の時間になっても直ぐに起きずにいた。すると、母親が突然「ご飯残さずにちゃんと食べろ!!」と言うお叱りで起こしに来たのだ。まだ飯を食い始めてすらいないのに何故残してる扱いされるのだ??とリビングへ向かうと、白米が入ったお茶碗の横に空となった小皿が置いてあった。そしてふと横を見ると口をもぐもぐと動かしているフェリス。そう、俺のおかずを食べられていたのだ。
その日のおかずはメンチカツで、すぐさま「お前〜〜〜〜〜!!!!」とブチギレて口元を抑えると、油まみれの口元で「え?なんですか??」と言うとボケた顔で目線を逸らすフェリスだった。
この事件以降、ご飯の準備する時にはフェリスから目を離さないようにするが鉄則になったのであった。。。
俺が高校卒業して直ぐの頃、平日で朝からずっと自分の部屋でゴロゴロしていた時にパートから帰宅した母親から「チョコレートのゴミはちゃんと捨てろ!!!」と言うお叱りを受けた。
チョコレートなんて食べた覚えがないが?と疑問符だった俺がリビングへ向かうと、床にはからになったチョコレートの箱とビリビリに破かれた銀紙が大量に散らばっていた。
何これ、、、とふとフェリスの方を見るといつもより若干興奮気味に尻尾を振りながらこっちを見ていた。
すぐさま吐き出すように手を突っ込んだりもしたのだが、噛みついてくるし吐く気配がない上に食べてから結構時間が経ってしまっているようで、もう手遅れと言うような状態だった。
ちなみにそう簡単にチョコレートが食べられるような場所に置いてあったのかというと、そう言うわけではない。
一般的な高校生用の手提げバック(チャック付き)の中にしまってあり(弟のバック)、
さらに箱の中に銀紙で包まれた状態で入っていた。(一口サイズの小さいチョコが銀紙で包まれてるタイプ)
匂いとかもバックの中にあるときはそんなに匂わないはずなのに、フェリスはバックを開けて箱を取り出し、箱の中から銀紙で包装されたチョコを剥がして食べたのだ。
その時ほどこいつこんなに賢かったのか?と困惑したことはない。
その後、1日はいつもよりも興奮気味ではあったが、他には特に異常がないところを見て、祖父母に育てられていた時には一体何を食わされていたんだろうと心配になったのであった。
※犬にチョコレートは絶対に食べさせてはいけません。皆さんは犬を育てる際にはチョコレートを与えないようにしてください。
また、もし万が一誤って食べてしまった場合は最寄りの動物病院へ相談に行ってください。
この二つのエピソードは今でもうちの中では鉄板ネタとなっていて、事あるごとにみんなで話している。
そんなバラエティに事欠かない犬だったが、5年前の2020年4月に亡くなってしまった。
ちょうど世間がコロナで騒がしくなり始めた頃だったので、よく覚えている。
亡くなる前日にあれだけ食いしん坊だったフェリスがパタリと何も食べなくなって、衰弱していくのを見て「ああもう長くないんだな」と思ったのを覚えている。それで試しに生クリームを口元に近づけたところ、食い気味にぺろぺろ舐め始めたのを見て笑ったのも印象に残っている。
とにかく食いしん坊でまんまるに太っていて、可愛らしい犬だったなぁ。。。
ちなみにフェリスが亡くなってから一月も経たないうちにうちの父親はまた新しく犬を飼い始めたのだが、それはまた別の話なので違う機会に話すとする。
そんなわけで、愛犬を失う悲しさや寂しさを知っている俺の身としては今から妻のメンタルが心配になっているのだが、二人と一匹でこれからも頑張ろうと思う。
1番最初は学生の頃で春休み中、2回目は学校を忌引で休み3回目は職場の年末年始休暇中であった。
4回目は夏季休暇の最終日に亡くなり、本来ならかなり遠方まで葬儀に行かなくてはならなかったが家族の者が一人で行くというので私は行かなかった。
ただ当初は行く予定で数ヶ月前から体調が悪いというのは聞いていたので早めに職場には伝えていた。
その後亡くなった時に会社にはその事を伝えておらず、その2ヶ月後に仕事が忙しく手が空いている人が何も手伝ってくれず少数の従業員だけが毎日残業をしたり週末は休日出勤をしていたが
精神的にも肉体的にも疲労がたまり、転職を考えるようになった。
ふと前から伝えていた身内の者が今亡くなったことにして忌引を使おうと思い、有給も組み合わせて5日程連続して休むことが出来た。
家族葬でやると言い香典も辞退し、遠方に行くという体だったので会社関係の人が来ることはなく証拠を求められることもなかった。
本来ならいけないことだが一部の従業員だけが忙しく働いていることについて職場には全く理解してもらえなかったし、身内の不幸と言うことで休んでも文句を言われることもなくあのまま仕事を続けていたら精神的にもおかしくなっていたと思う。
5回目は先月だが本当に身内が亡くなり、職場には家族葬でやると伝え香典も辞退したが地元だったので実際に社長やお世話になっている先輩が通夜に来て香典をいただいた。