
はてなキーワード:映画とは
なんか初めて見た時は、「あ、日本人って世界的名作の中でもちゃんと存在してたのね」
よりイカれた砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないみたいなサイコシスターフッドサスペンス映画だった、63点。
ガタイが良くてイカつい顔をした主人公は小柄でかわいいイズミとひょんなことから仲良くなる。二人でキャッキャウフフしてるまになんかいい感じになるんだけど、そこからイズミがヤンデレ化しどんどん様子がおかしくなっていく。そしてそれがマックス高まったとき、地獄のふたが開く。
みたいな感じの映画。
増田の民として作中に✋(👁👅👁)🤚 シーンがあることについてまず述べておく必要があるだろう。
守護と拘束、自己と他己みたいなアンビバレンツさを扱った作品だと思ったかな。
冒頭、幼き日の主人公がリードもつけずに犬の散歩をしていると犬がいなくなってしまうシーンから始まり、後に車に轢かれて死んだことがわかる。その後も、鳥籠に閉じ込められたインコを飼い、学校ではたった一人の生物部員として水槽に閉じ込められた金魚を飼っている。
彼女は弱きものを拘束して守護することで自分を確立していて、そこにイズミという拘束癖のあるヤンデレ小動物が入ってくる。
印象的なシーンとして生理痛に苦しむ主人公にイズミが三陰交圧痛をかけ、列海王が悶絶するシーン(混線する記憶)。しかしその後、生理痛が治まることとなるわけで、イズミが主人公に対して「痛みを与えて」「安らぎをくれる」存在なんだろうなって百合スキーとしてちょっとキュンとした。
また小道具から照明に至るまで、主人公が青でイズミが赤と明確に描き分けられている。しかしイズミからの主人個の生活への侵略が進んだ際には主人公のペディキュアが赤に塗られて、最後にイズミの呪縛から逃れてからは今度は青いペディキュアが塗られるなど芸も細かい。
また主人公は金魚には金次郎(金太郎だったかも)、インコにはチュン太と男の名前を付けており、イズミはそのことに異常な嫉妬心を抱いている描写が多い。イズミが明日一緒に帰れる?と主人公に問い、主人公が金次郎の世話があるからと断ると、翌日には水槽を破壊し金次郎を殺害してしまう。これ砂糖菓子で見たやつや~ってなった。
その後、チュン太まで強請り取られた主人公は精神の状態がおかしくなっていく。
で、まぁその後、イズミが担任教師の弱みを握って付き合ってたり、イズミが行方不明になってたいじめっ子のクラスメイトを拉致監禁していたりしたことがわかって、最終的にイズミは担任教師を殺害しいじめっ子も殺害、そこに居合わせた主人公に襲い掛かってくる。
ところで急に冒頭にちょっと出てた全然知らん女と、また別の全然知らん男が現れこれまでの話が殺人罪で起訴された主人公の接見中の供述であったことが分かり、主人公はその後、イズミを返り討ちに合わせていたことがわかり、弁護士が頑張って主人公は無罪に。日常に戻るのであった。
と思いきや、前半での印象的なシーン。鏡を見ていたイズミが目が赤くなっているのを見かけて動揺し鏡をぶち割り「自分を守るための嘘、あんたの武器でしょ」と語り掛ける場面が、裁判後に今度は主人公がまったく同じシーンを繰り返しその後「自分を守るのは自分だけ」と付け加える。
こうなると裁判前までのイズミと主人公のあれこれがすべて主人公の供述だったことで、どこまでが本当でどこまでが嘘か急に分からなくなってくる。主人公の裁判も「イズミ」「教師」の死亡だけで「いじめっ子」については新聞記事にも載っていない。死んだと語られていたチュン太も籠の外でどうやら生きているようだ。
さて、ここからは俺の解釈になるんだけど、教師と付き合っていたのはイズミではなく主人公だと思う。これは「男」を拘束して守護する(弱みをバラさない)ことに執着していたのは主人公だから。教師を呼び込んでからのシーンでイズミは煙草をふかしているが、作中で喫煙癖があるのは主人公の方だし。
そうなるといじめっ子を監禁したのは誰かという話になるがもしかしたらこっちはイズミの仕業かもしれない。女性に対して加虐性と拘束性を発揮しているのはイズミなので。そして2人のサイコパスが揃った結果、教師がいじめっ子に性的に襲い掛かりそれを発見した主人公が教師を殺害、それを見られていじめっ子も殺害しチュン太の代わりに埋めて、イズミも殺害した。とするのが一番俺の中ではしっくり来たかな。
もしくはもう一歩踏み込んで、"イズミ"はそもそも存在しなかった。新聞に出ていた死んだクラスメイトと教師というのは「いじめっ子」と「教師」だった可能性。だがだとしたら最後のシーンでまだいじめっ子の捜索願のポスターが残っているのはややおかしいか。
そしてすべて終わって「あたしを守れるのはあたしだけ」と付け加えたときには主人公の目は青くなっていて電線に止まるチュン太が映し出される。イズミという拘束してくるけど安らぎをくれる飼い主様を自分の中に取り込んで自由になった主人公は、エンドロール後に元々の自分の席に座る女の子をじっと見つめている。その女の子の形態にはかつて自分がイズミからもらってつけていた南京錠のストラップがついている。
ここも「元々主人公がイズミだった」としてもある程度成立するように作られているようにも思える。
そんな感じで常に2つのモチーフを対比しながらもいかにも考察がはかどるように考えて作られていて、この人なかなか腕があるなと感心してしまった。とはいえ、やりすぎてふわふわしてて具体的に結局どういう話やったん?っておさまりの悪いところもあるので個人的にはもっとちゃんとわかるほうが好み。
インディーズ作品らしいけど、前に見た傀儡よりはちゃんとエンタメに振って作られていたかなって印象。
主人公とイズミのコンビは役者の妙もあって見ていて飽きないし、それぞれリアリティをもって演じられていてこの2人のキャイキャイを見るためだけに百合スキーは見てもいいと思う。まぁ最後にはおかしなことになるんやけど。そんなこんなでインディーズ好きと百合スキーにはわりとオススメ。
よっしゃー!
フルボイスじゃないんだ!
ボイスが脳内再生されるぐらいにはやってきたから全然問題ないわ!
弾が撃てないのはなんで?って16時間ぐらい思ってたらさすがに日が暮れちゃうので、
よーく説明書を読んでみてやると、
下にゲージが出てきて丸い玉が流れてくるタイミングで押すのね!
超理解!
なーんだ、
そう言うことだったのね。
やっば千束のボディの武装の企業マーク付きのものがないじゃん!
うわー!
私としたことが不覚にも陥る感じの感情を初めて覚えたときと同じ気持ちになって、
早速迎撃戦という武装などを報酬で手に入れられる戦いに挑んだの!
なかなかレアなのよね。
でも胴の武装の迎撃戦に挑戦のいつもはイカ漁だーつってクラーケン倒しに行ってるんだけど、
今日は胴のボディの武装のしかも企業マーク付きのものを得たいと思ってそこに挑戦したの!
そしたらよ!
な!なんと!
ピッタリとはまるこんなことある?って感じの
おおお!
運良いかも!
早速千束にフル装備完了のこれから強くさせつつと思わせといて、
とりあえず、
企業マーク付きの武装4つは千束に装備できたからホッと胸を撫で下ろすとともに私は他の用事を済まそうと思ったの。
スプラトゥーン3の私が自分自身自らに課している1日1勝と1日1ガチャのノルマ!
うわ!超私強い!
そんなのじゃあたらないってーって、
やったー!
ロボットボムであぶり出して追いかけるって作戦なかなか良いかも!
って思いつつも束の間の夢!
やっば!ナイスダマくるよ!
また千束が言いそうな台詞を私は脳内でつぶやきながらスーパージャンプで爆風に巻き込まれそうになりながら離脱するの!
超カッコいいんですけど!
まるでブルースリーの映画を見たときに熱い熱いヤカンを持っても熱くないかも!ってそんな修行のシーンを思い出して、
私も素手で鉄の部分のヤカンは熱くない!って触ったらめちゃ熱かったので
映画を見たからと言ってブルースリーのように熱さに耐えられるとは限らないのよね。
でも『リコリス・リコイル』観たから軽量ブキの赤ザップで快進撃を繰り広げられているのは、
多分気のせいじゃないかも知れないのは無いことも無いかも知れないく無く無くない?
軽量ブキもいいんだけど、
やっぱり私は重量級長射程距離のエクスプロッシャーかハイドラントとかの重火器のロマン系ブキを背負ってステージを走り回った方が好きかも!って思いつつも、
いつもとは違う私の戦い方に自分自身戸惑いながらも
でね、
すっかり話題になってないと思って私がもしかして窓から投げ捨ててしまっていると思われている、
『ドラゴンクエストVII Reimagined』もちゃんとやってるわよ!
君はなにを今見つめているの~って太陽が暮れた季節のイントロに似ているので、
戦闘のたびに私は君はなにを今見つめているの~って歌うのがお決まりになっているドラゴンクエストVIIなのよ。
で、
早速船を手に入れて大海原に出発だー!って、
過去でクリアした島を今の現在の時間軸でもまた冒険するの?って
1粒で2度美味しいやつ?
つーか、
これをこの石版の数だけやってくの?
ってこの最初のドラゴンクエストVIIの石版集めて第1話のドラマも
これがあの石版の数だけのもしかしてストーリーがあるってこと?
これを考えるともう途方もなさ過ぎない?
私クリアできるのかしら?って
不安になるけれど、
まあここは一旦セーブして終わってまたNIKKEの世界に戻っていくのよ。
今は楽しい楽しいNIKKEとリコリス・リコイルのコラボのお話が楽しくていいんだけど、
待ってよ!
多分新しく開放されたメインストーリーのチャプター43と44は、
恐らく恐らく超鬱展開の暗いまたこないだの周年イベントのように心をえぐられそうな展開になりそうなので、
多分楽しいあとはそう言うことがNIKKEでは待ち構えているから、
足もとすくわれないようにしなくちゃ。
なんだか気が逸るわ。
うー、
これから来ると思われる鬱展開に備えて、
これがせめてもの対鬱平気なのよ。
これ以上ハイボールが捗りすぎても困るけれどね!
うふふ。
思いのほか梅の酸っぱさに目がメガ覚めそうよ。
おお!すっぱー!って。
朝には効く酸っぱさ美味さね!
なくなくやむなくこの梅おにぎりにしたってわけ。
でもこっちも美味しいのでよかったわ。
ホッツ白湯ストレートウォーラーにルイボスティーのパックを入れる
ちょっと朝明るくなるの早くなってきてる?
身体を温めてくれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://x.com/MomenFu/status/2008741443540840528
逃走中の映画のアレ目線で「始めてない」ってことにするとやららしいて
酸の湖の元凶の「まま」ではドツカ未満ぶっちぎりやろがい然り
https://x.com/MomenFu/status/1988448864010203477
よく平気で代弁させるもんやな…映画2023での描写未満ぶりの主体えっ…
そしてインガオホーケジメをソオイ!してヨロシサンのはずだとかラーニング気取りではあるまいよなまさか
正確時刻を書くと隣人が「それって軍事衛星に追跡されてるの?」とか言い出して話が面倒になるので省略する。
僕は陰謀論を嫌悪している。理由は単純で、陰謀論は説明能力の低い仮説を感情的に強い語り口で上書きする、知性のコスプレだからだ。
今週は、超弦理論の物理の直観で押し切る系の議論をいったん破壊し、純粋に圏論とホモトピー論の言語に落として再構築していた。
具体的には、世界面の共形場理論を2次元量子場などという古臭い語彙で扱うのをやめ、拡張TQFTの枠組みで、(∞,2)-圏に値を取る関手として扱う方向を整理した。
従来の弦理論屋はCalabi–Yauをコンパクト化に使うと言うが、それは情報量が少なすぎる。
重要なのは、Calabi–Yau多様体を点として見るのではなく、その導来圏 D^bCoh(X) を持ち上げた A∞-圏、さらにそれが持つCalabi–Yau構造(非退化なトレース、Serre双対性の∞-圏版)を物理的状態空間の生成機構として見ることだ。
ここでの本体は幾何ではなく、圏の自己同型とその高次コヒーレンスにある。
さらに、僕が今週ずっと悩んでいたのは、いわゆるミラー対称性を単なるホモロジカルミラー対称性の同値(Fukaya圏と導来圏の同値)としてではなく、より上位の構造、つまり場の理論のレベルでの同値として捉えることだった。
言い換えると、これは単なるA-model ↔ B-modelの交換ではない。
A/Bモデルを生む背景データ(シンプレクティック形式、複素構造、B-field)を、派生スタック上のシフト付きシンプレクティック構造として再記述し、AKSZ型の構成と整合させる必要がある。
そしてこの視点では、物理的なDブレーンは単なる境界条件ではなく、(∞,1)-圏におけるモジュール対象として統一される。
Dブレーンのカテゴリーが境界条件の集合だと考えるのは初歩的すぎる。境界条件は高次射を伴うので、最初から(∞,n)-圏で話さないと本質が消える。
特に僕のノートでは、弦の摂動展開で現れるモジュライ空間の積分を、単なる測度論の問題としてではなく、Derived Algebraic Geometry上での仮想基本類のプッシュフォワードとして扱う形式に書き換えた。
これをやると発散する積分を正則化するという話が、より厳密にオブストラクション理論に沿った積分の定義へ置き換わる。
そして、ここが本題だが、僕が今週ずっと考えていたのは、ウィッテンですら「直観的にはこう」と言うしかない領域、つまりM理論の非摂動的定義が、どのような普遍性原理で特徴付けられるべきかという問題だ。
僕の作業仮説はこうだ。弦理論が背景依存的だと言われるのは、結局のところ背景が点として与えられるという時代遅れの前提が残っているからだ。
背景は点ではなく、モジュライの高次スタックであり、その上に束ねられた量子状態の層(正確には圏)として理解されるべきだ。
つまり、弦理論はある時空での理論ではなく、時空の変形をも含んだファンクターにならなければいけない。
この視点では、背景の空間は単なるmoduli spaceではなくderived moduli stackであり、さらにgauge symmetryを含めるならhigher groupoidとしての性質を露わにする。
そして量子補正は、そこに定義されるshifted symplecticstructureの変形量子化として現れる。
問題はここからで、弦理論の双対性は、異なる理論が同じスペクトルを持つなどという安っぽい一致ではなく、ある(∞,k)-圏における同一対象の異なるプレゼンテーションだと考えるべきだ。
たとえばS双対性やT双対性を群作用として扱うと話が狭くなる。より正確には、双対性はスタックの自己同値であり、その作用は対象の上に定義された圏(ブレーン圏やBPS状態圏)の上で自然変換として実装される。
しかもその自然変換は単なる自然変換ではなく、高次のコヒーレンス条件を持つ。つまり、双対性は対称性ではなく、高次圏論的な同値のデータなんだ。
このあたりを真面目に書こうとすると、最終的には量子重力とは何かという問いが、どの(∞,n)-圏が物理的に許されるかという分類問題に変形される。
僕はこの変形が気に入っている。なぜなら分類問題は、少なくとも数学としての礼儀があるからだ。
さらに進めると、弦理論に現れるBPS状態やwall-crossingは、単なるスペクトルの不連続ではなく、安定性条件の変化に伴う導来圏のt構造のジャンプ、あるいはBridgeland stabilityのパラメータ空間上での構造変化として理解される。
ここでは物理粒子は、導来圏の中の特別な対象として現れる。つまり粒子は点ではなく、圏論的存在だ。
普通の人間はこの文章を読んで発狂するだろう。だがそれは読者側の責任だ。
この議論の延長で、僕は弦理論の非摂動的定義は、ある種の普遍性を満たすextended functorial QFTであるという形の定理(まだ定理ではなく、僕の願望)に落とし込めないか考えている。
要するに、弦理論は世界面から時空を作る理論ではなく、世界面も時空も両方まとめて、ある高次圏の中で整合的に生成される構造であるべきだ。
今の僕のノートの中心は「非可換幾何」「導来幾何」「圏論的量子化」の三点集合の交差領域だ。そこは地図がない。地図がない場所は、馬鹿には危険だが、僕には居心地がいい。
次に、趣味について書く。これも重要だ。なぜなら人間社会において、知性の維持には糖分と娯楽が必要だからだ。残念ながら僕は人間である。
MTGは今週、デッキ構築の方針を少し変えた。勝率最大化のためにメタを読むのは当然だが、僕が注目しているのは局所最適に陥るプレイヤー心理だ。
つまりカードゲームとは、確率と情報のゲームである以前に、認知バイアスのゲームだ。相手が「このターンで勝ちたい」という欲望を見せた瞬間、こちらは勝ち筋を計算するのではなく、相手の誤りの確率分布を計算するべきだ。
隣人にこの話をしたら、「え、怖い。僕、あなたとポーカーしたくない」と言った。賢明だ。僕も隣人とポーカーはしたくない。隣人はたぶん手札を口に出してしまう。
FF14は、ルーチンの最適化がだいぶ進んだ。僕はレイド攻略で反射神経を重視する文化が嫌いだ。
反射神経は筋肉の問題だが、攻略は情報処理の問題であるべきだ。ギミックは有限状態機械として記述できる。したがって最適行動は、状態遷移図の上での制御問題になる。
友人Aにこの話をしたら、「お前はゲームしてるのか研究してるのか分からん」と言われた。僕は当然「両方だ」と答えた。彼は笑ったが、この種の笑いは知性の敗北宣言である場合が多い。
アメコミは、相変わらず現実の倫理を歪めた寓話装置として優秀だと思う。
僕は「正義とは何か」という議論が苦手だ。正義は定義が曖昧だからだ。
登場人物が持つ制約(能力、社会構造、情報、感情)を明示すると、物語は心理学ではなく数理モデルに近づく。そうすると面白くなる。
ルームメイトにこの話をしたら、「僕はただ派手な戦闘シーンが見たいだけなんだけど」と言われた。
僕は「君の知性は観測不能なほど小さい」と言ったら、彼は不機嫌になった。観測不能は存在しないことと同義なので、むしろ褒め言葉に近いのだが、彼は数学が分からない。
僕の習慣についても書いておく。
今週も、朝のルーチンは完全に守った。起床後の手洗いの手順、歯磨きの回数、コーヒーの抽出時間、机の上の配置、すべて変えない。
人間の生活はノイズが多すぎる。ノイズが多い世界で成果を出すには、制御できる変数を減らすのが合理的だ。これは精神論ではなく、統計的推定の分散を減らす行為だ。
隣人が「たまには適当にやれば?」と言ったので、僕は「適当とは、最適化の放棄だ」と言った。彼は「そういうところが宇宙人っぽい」と言った。
宇宙人は証拠なしに導入する仮説ではない。彼はやはり陰謀論者の素質がある。
友人Bが「お前の生活、息苦しくないの?」と聞いてきたので、「息苦しいのは君の思考だ」と答えた。友人Bは笑った。知性の敗北宣言である。
これからやろうとしていること。
今の段階では、圏論と導来幾何の言葉でかなり書けたが、まだ計算の痕跡が残っている。僕はそれが気に入らない。真の理解とは、計算を消し去った後に残る構造のことだ。
具体的には、次は弦の場の理論を、factorization algebraの言語で記述し直す予定だ。
局所演算子代数を、E_n-代数として整理し、そこから高次の演算構造を復元する。
これがうまくいけば、弦理論における局所性の概念を、時空幾何に依存せずに定義できる可能性がある。
もしそれができたら、次は双対性を圏の自己同値ではなく、圏の上の2-表現あるいはhigher representationtheoryとして書き換える。
これにより、S双対性を単なるSL(2,Z)の作用として扱う雑な議論から脱却できる。
要するに、僕が目指しているのは物理理論を群で分類する幼稚園レベルの発想ではなく、物理理論を高次圏で分類する文明的発想だ。
その後はMTGの新しいデッキ案を詰める。今の構想では、相手の意思決定を局所的に歪ませる構造がある。人間は選択肢が多いと誤る。
これは心理学的事実であり、カードゲームに応用できる。倫理的に問題があると言われそうだが、そもそもカードゲームは戦争の抽象化なので倫理を持ち込む方が間違っている。
夜はFF14の固定活動。友人Aは相変わらず「気合いで避けろ」と言うだろう。
議論はループする。ループはコンピュータ科学の基本概念だ。だから僕はそれを受け入れる。
最後に、ルームメイトが「今度、隣人と映画を見よう」と言っていた。
僕は断る。なぜなら隣人は上映中に喋る。上映中に喋る人間は、社会契約を破っている。社会契約を破る人間に、僕の時間という希少資源を与える理由はない。
少なくとも、隣人の会話よりは。
カラオケ行こうとすれば、おひとり様料金を徴収され、旅行に行けば、何で一人で…?みたいな目を向けられるペア割とかも当然使えないから、高い料金払って映画とか観なきゃいけない
一人のメリットって、何?
人類は完成度の低い映画を撮る権利がある。1点(100点満点中)。
マッドマックスと化した日本でライブハウスでタイバンやりながらブイブイ言わせてる連中、ワイスピよろしくドラッグカーレースに興じる連中、スラムに現れたキチガイ兄弟とスラムの連中、汚職政治家とヤクザ、原発建設、武装警察による取り締まりの強化、暴動、ロックンロールは鳴りやまない。
みたいな話やろ?たぶん。
この映画より点を高くつけた映画はたくさんある(つーか全部そうだ)けどじゃあその映画がこの映画よりいい映画かっていうと別にそんなことはないと思う。少なくともこの映画は撮った人間に熱量があるのが伝わる。日本でマッドマックスをやりたかったんだ!っていうのはわかるし、なにより俺の心を焦がしたパンクロックという概念そのものを映像化したいんだというのも画面の作り方や音からもちゃんと香ってきてる。
要はそれとおもしろいのかおもしろくないのかは別という話で、はっきり言ってこの映画の完成度は相当低い。
でも、パンクが先鋭化するにつれてどんどん機材を敢えて弱くして編集を可能な限り切って、なんならマイクもハンドスピーカーに変えたりして音楽としての完成度をどんどん下げていってそのことをもって熱量を伝えようとして、その手法こそをメッセージにしたのに近いものを感じる。
この映画を撮った連中はカメラがブレブレで何撮ってるかわかんなくても、フィルムの解像度がうんちっちでもうこれ何が写ってるかよくわかんねぇなってなっても、ストーリーももうハチャメチャでで結局何の話やったんこれってなっても、だからこそいいんだろ!と思って撮ってたんだと思う。そんな細かい、整った、美しい"技法"では俺たちの情熱は伝わらねぇんだ!!!というパッション、ヴァイブス。
メジャーのやり方に俺たちの魂をはめ込むことはできねぇんだよ!という反骨――ロック魂。
まぁ個人的にはそれで伝わらねぇのはお前の腕がないからやでと思わんでもないが、そういう人類がいてもいいだろうと思う。こっちが避けて通ればいいだけだし。
でもまぁ映像としてけっこういいなと思うところもあって、タイトル前の東京の道路を超早回しの主観視点で疾走するシーンの疾走感は酔う!と思いながらも勢いがあって格好いいし、そこから陣内智則率いるロックバンドの演奏シーンは楽曲の良さもあって引き込まれる。そういう意味ではしょうもない物語風のものが始まるまでの単純に映像としてのパートのほうが面白かったかもしれん。
若き日の泉谷しげるのヤバいチンピラ感は頑固おやじにもこんな嫌な尖りかたしてた時期があったんだなって思えるのもよかった。
まぁ時代感を考えるとしゃーないのもかもしれないけど、伝説的パンクバンドのスターリンが出てくるんだけどこいつらが大暴れしてるシーンがモロに吹き替えで生の迫力が全然出てなかったのはかなり残念。ここは頑張りどころだっただろ、絶対。
まぁこの映画って内容を話す作品ってよりはこの映画という現象を話すための作品だと思うので特に言いたいことはない。とにかくカメラワークがガチャガチャなので酔いやすい人は100%完走できないと思うので、俺三半規管弱いんだよなとか、最近ちょっと疲れてるんだよなとか、晩御飯食べすぎちゃったとかそういう人は絶対に見ない方がいいです。
そういう意味では映像で殴ってくる(物理)な映画であるのも一つの事実。
ただまぁ俺はメジャーシーンど真ん中を歩く人間だからね。むしろ俺みたいな奴らにあーだこーだいわれたくもないだろう。というわけで、この映画をこの形で撮ってこの形に編集してこの形を出した人たちの熱意に敬意を表して1点!この1は人差し指じゃなくて中指ね。本当は17点とかだと思うんだけどそんなしょうもないもんを出してくるくらいなら0点とかのほうがきっと喜ぶと思う、知らんけど。
そんなこんなで1980年代初頭のパンクロック好きにはたぶんマストアイテムなのと、カルト映画好きにはオススメでそれ以外のほぼすべての人類にとって別にみる必要ない映画だと思います。
ダンサーの池松壮亮とタクシー運転手の伊藤沙莉が出会って付き合って別れてその後の話。
あらすじにも書いたけどぶっちゃけ特別なことはほとんど起きない。
まぁ、池松のバイト先の水族館に無断で侵入して急に盛り出り、会社から許可が出なかったタクシーの無断使用したりとこいつらモラルないなってイベントが定期的に挟まってイラッとさせられることはあるんだが基本的には何か人が死んだり(死ぬけど)はしないし三角関係も起きない(起きるけど)、何の変哲もない恋愛模様が描かれる。
ほな、この映画の一番の面白ポイントなにかっていうと、6年分の池松の誕生日を逆順に辿っていく作劇手法。
2021年コロナ禍の7月26日からスタートし、2020年、2019年と同じ日の2人を遡っていく。
その性質上、いろんなシーンで池松と伊藤を対応させて撮影している。例えば序盤に家で音楽にあわせてダンスのストレッチ運動を一人でしている池松のシーンがあってカットが切り替わるとタクシー会社で洗車しながらラジオ体操をちょっとだけやっている伊藤のシーンになったりする。
そして時が遡って2人がラブラブだったときには、朝チュンした後に池松と伊藤が並んでダンスのストレッチ運動をしているシーンが入ったりして、あぁ、この時はもう失われてしまったんだなぁとしんみりしたりする。
こうして、別れた後からスタートしてどう別れてどうラブラブでどうそうなってどう出会ってと、終わりから逆に見ていくことで、表現が難しいんやけど「別れる」という結果がわかっていてもその過程にも意味があったんやなって思えるような映画。
でもその過去を過度に美化しないで「ちょっと思い出しただけ」で日常は続くという終わりも嫌いじゃない。
冒頭、コロナ禍のタクシー運転手の伊藤(かわいい布マスクをしていて医療リテラシーゼロ)が尾崎世界観を乗せて池松が働いている劇場に立ち寄るところから話が始まり、その2年前足の怪我でダンサーの夢を絶たれた池松が照明係として働き始めたライブハウスでライブをやっているのが尾崎世界観で、その4年前2人が池松演出の舞台で出会ってエスケープした先の商店街でストリートミュージシャンをやっている尾崎世界観の演奏をバックに2人で踊る。
2019年にスタッフとして尾崎と再会した池松は尾崎に「どこかでお会いしましたっけ?」と聞くが当然尾崎は知らない。そして最後に2021年に戻り、トイレから出てきた尾崎と池松がばったり出会い尾崎は「どこかでお会いしましたっけ?」と聞き、池松は「えぇ、何度か」と答える。今作が尾崎世界観が作った楽曲にインスパイアされて作られた映画だということを考えれば、人生における"音楽"ってそういうもんだよなと思う。転換期に、そういえばあの時もこいつの曲聴いてたなってついつい思い返してしまう。そんな感じ。
2人の恋愛とは全然関係なく出てきてずっと公園のベンチで妻を待ってる永瀬正敏がいるんだけど、冒頭ではその奥さんはもう死んでてそれでもずっと同じベンチに座って待ってる。でも時を遡って奥さんが生きてた時もずっとベンチで奥さんを待ってるんだよね。時が経って環境が変わっても変わらないものの象徴として、時が経って変わっていく2人というテーマのアンカーとしての役割を果たしてたと思う。
バーのマスターの國村隼がずっとジェンガしてるのもジェンガの「下の方の木を抜いて上に積み上げていく」というこの映画の作劇と合っているし、人生というものはただ積みあがっていくものではなく過去を積み直していくものでもあるし、いつかは崩れたとしてもまた積み直せるものだということなのかなとも思ったり。
あと池松がダンサー時代は髪が長くて照明の仕事をするって決めたときに髪を切って、2021年にはまた髪が伸びてるんだけど映画の最後で冒頭で照明の仕事場のステージでダンスしているシーンに戻ったときに、まぁ人生ってそんな簡単に割り切れないよなっていうリアリティを感じて切なくなりましたよ。文字通り後ろ髪引かれてんやなって。あとモップ掛けした後のステージではだしで踊ったら意味ないからまたモップかけとけよと思いました。
そんなこんなで特別なことが起きるわけではないのだけれど、これ以外にもいろいろと考えさせられる要素や考え尽くされた要素が多くてちゃんと作られたいい映画だなぁと思いました。まぁ俺は定期で言ってるけどドカーン!っていう映画が本来好きなので、そういう映画が好き!何も起きない地味な映画嫌い!って人にはあんまおすすめできないかな。逆にそれ以外の人はオススメ。
家にテレビがなくて映画館にもほぼ行ったことがない。ゲームは小さい頃から全然やってなくてポケモンもピカチュウくらいしか知らない。小説も漫画も読まない。一人旅はそれなりにするけど家族旅行に行ったことは一回くらいだけで、親が親戚と仲が悪いから帰省もしたことがない。インターネットにも疎く、SNSはやらないし匿名掲示板に張りついているようなタイプでもない。音楽も聞かないし、料理が好きなわけでもない。ギャンブルもタバコも酒にも興味がない。受験勉強は好き。
こういう友人がいる。距離を置こうと適当な嘘をつかれているわけではないはず。もちろん普通の人間として生活しているのだが、この人に娯楽はあるのだろうかと勝手に心配になる。勉強は好きなようだが、あくまで受験勉強のような答えが出る勉強が好きなようで研究者にはなりたくないという。本当に面白いと思えないから本や映画、ゲーム、音楽といった一般的なエンタメに触れていないのならば全然良いのだが、幼い頃に親からそれらに触れる機会を与えられなかったために、そういうエンタメの選択肢があるということすら知らないのだろうという印象がある。勉強が好きなのも、多分それくらいしかドーパミンが出る行為を許されなかったのだろうと勝手に推測している。
毒親からインターネットに逃避するケースはよく観測できるし、グレる場合も存在は認識できる。ネットにハマるわけでもグレるわけでもなく、多少衝突しつつも進学なり就職なりで順当に親元から離れるパターンも、自分から見えてなかっただけで世の中には結構いるんだろうな。
ツイッターでこのシーンを解説している呟きを何個か目撃したけど全部的外れ。
あれは「ケネスの相手するのお互い大変よね〜。まぁ金払い良いからやるけどさ〜」っていう、
キギは自分がどう見られているかを把握した上で、それを逆手に取って“でもあなたも同じような存在に見えてるよ?笑笑”って煽ってる。
今回はCAのねーちゃんがギギを商売女または現地で拾った得体のしれない女として下に見て余裕の表情をかましてるのをわかったうえで、“あなたも買われたんでしょ?”と言っている。
んで、CAのねーちゃんは自分が商売女って言われたことと、そんな下品な女をそばに置こうとするケネスに対する怒りで出ていった。
オーラルもアナルも大切な彼女には普通は要求しない行為=商売女だから要求される
これはそういうお約束の内容。
アナルは女性を屈服させる卑劣な行為として洋画扱われる。(映画「ラストタンゴ・イン・パリ」が一番有名でわかりやすいかな。オーラルなら「ウルフ・オブ・ウォールストリート」。)
ツイッターでこのシーンを解説している呟きを何個か目撃したけど全部的外れ。
あれは「ケネスの相手するのお互い大変よね〜。まぁ金払い良いからやるけどさ〜」っていう、
キギは自分がどう見られているかを把握した上で、それを逆手に取って“でもあなたも同じような存在に見えてるよ?笑笑”って煽ってる。
今回はCAのねーちゃんがギギを商売女または現地で拾った得体のしれない女として下に見て余裕の表情をかましてるのをわかったうえで、“あなたも買われたんでしょ?”と言っている。
んで、CAのねーちゃんは自分が商売女って言われたことと、そんな下品な女をそばに置こうとするケネスに対する怒りで出ていった。
オーラルもアナルも大切な彼女には普通は要求しない行為=商売女だから要求される
これはそういうお約束の内容。
アナルは女性を屈服させる卑劣な行為として洋画扱われる。(映画「ラストタンゴ・イン・パリ」が一番有名でわかりやすいかな。オーラルなら「ウルフ・オブ・ウォールストリート」。)
160時間くらい無課金でやってきたゼンゼロと鳴潮つまらないからやめようと思ってるんだけど、ガチャ石集めなきゃ損みたいに思っちゃってなかなかやめられない
スタレは虚無期間がひどいのと次の星がゴミっぽいからやめられたんだけどね
アグライア推しだから無課金でもアグライア2凸して頑張ってたけど、あまりにも格差がひどすぎてもう無理だわってなった
ストーリー上全然重要キャラじゃないのに、周年キャラだからってやたらと手の込んだアニメ出してきたりさ(御涙頂戴的な陳腐なやつ)
というか、マダムヘルタ最強にしておけばよかったのに
ヘルタもう息してなくて悲しいよ
オンパロスのストーリーはひどかったね
無駄な引き伸ばしが多すぎた
会話と演出がだらだらだらだら長い
つまんない話何ヶ月やってるんだよって思った
ゼンゼロは今日やめようと思ってガチャ引いたら儀玄引けてしまった
リュシアいないから結局使えなさそうだし(パンダでもいい説あるけど)、またガチャ石集めるのだるいしやめたい
最低限の育成しときたい気持ちもあるけど、毎日時間取られるのほんとにQOL下がってる感じあるからやっぱり育成もせずにやめた方がいいんだろうな
今NTEのβテストやってるけど、これ、みんながゼンゼロに求めてたものだって思ったよね
だから5月になったらどっちみちゼンゼロは完全にやめるんだよね
どうせやめるんだから今すぐやめた方がいいと思う
儀玄の育成もやらなくていい
あ、でもこの前のマルチイベント、みんなでチーム組んで戦うやつはお祭り感あって面白かった
常設コンテンツにすればいいのにね
でも今回の地下アイドルはどうなん?
あの3人に興味ある人どれくらいいるんだろう
今回のイベントはフォールガイズのパクリと地下アイドル音ゲーだよ
なんなんだよもう
というか、瞬光強すぎてなんかもうゲーム壊れちゃってて取り返しつかないことになってそう
広範囲高火力でずっと無敵っていう
虚狩りだけ引けばいいってみんな気づいてて瞬光はめちゃくちゃ売れたけど、今後は売上下がっていきそう
事実もう下がってるし
鳴潮はアニメ調の中でもリアル寄りのデザインなので今後も独自の地位を築いていきそうな気がする
NTEが来ようと無限大が来ようとアズプロが来ようと客層がかぶってない
ただ、自分には合わなかったのでそろそろやめたい
鳴潮はシナリオがラノベというか昔の泣きゲー?みたいなやつなのかな、美少女の自己犠牲御涙頂戴ストーリーでしょうもなさすぎるから自分には合わなかった
クロゲは映像作る技術はすごいんだけど、ゲームじゃなくてアニメ映画って感じ
ストーリーは陳腐で御涙頂戴でしょうもないけど、演出がすごいのでみんなストーリーがすごいって思い込んじゃってる感じ
開発の人たちはゲームじゃなくて大衆映画作りたいんじゃないかな
あとオタクはアクションすごいっていうけど、戦闘中のカットイン入りまくりでアクションゲームとしてはテンポ最悪だし、ガバガバジャスト回避だし、アクションゲームとしての完成度は低いよ
だって、ボタンぽちぽち押してるとキャラクターが勝手にすごい動いてくれるんだもん(ゼンゼロの瞬光ほどじゃないけど)
クイックスワップについても、あんなのアクションのテクニックでもなんでもないじゃん
クイックスワップする(できる)タイミングって最初から決まってるわけでさ
決まったスキル回ししてるのとまったく同じ
このボタンの次はこのボタンって決まってて、そこにクイックスワップの手順も挿入されてるけど、どっちにしろ順番にボタン押してくだけなんだからアクションのテクニックでもなんでもない
ボス素材が週に9個しか手に入らなくて全然育成進まないんだけど
やり込みコンテンツとかまったくなさそうじゃん
厳選したり完凸したりしたところでランキングも何もないし、倒す敵もいないよね
エイメスで何百万ダメージ出たとかっていうけど、そんなにダメージ出せても倒す敵いないよね?
というか今回のイベントのバイクのやつ、ヴァンサバみたいなだんだん攻撃が派手になるやつだけどさ
しかもヴァンサバと違って絶対誰でも1回でクリアできる難易度だしやるだけ時間の無駄というか
最終ステージだけはどんどん装備が強くなっていってお祭り感あってすこし楽しかったけど、それでも1回でクリアできてしまってゲーム性はとくにない
でもオタクたちはその映像見てストーリーがすごい、神とかっていって大絶賛してる
鳴潮のストーリーって世界の危機と美少女(使い捨ての現地妻)と主人公だけが存在しててほかがなくて虚無すぎる
エンドフィールドは5時間くらいやったけど工業が合わなかったのでどうしようもなくてやめた
ストーリーと戦闘は間違いなくつまらなかったと思う(戦闘するゲームではなさそう)
操作キャラのグラフィックと比較すると、フィールドとNPCはかなり安っぽい感じ
現状、工業にはまった人たちがめちゃくちゃはまって頑張ってるゲームって感じ
キャラはすごい好きだから工業と戦闘の改善あったら復帰はありえそう
現状では続けるのはかなり厳しい
とりあえずゼンゼロと鳴潮をやめたい
でもずるずる続けてしまっていて困ってる
確実にQOL下がってる
もうやめなきゃだめだ
鳴潮はルシラー引きたかったけど、ガチャ石集めがめんどくさくて、ガチャ石集めるためには20時間くらいはプレイしなきゃいけなそう
だからやめたい
やめるんだ絶対にやめるんだ
でも明日もやってそう……
(ネタバレあり)
あととにかく映画が淡々と進行してて恋愛ドラマの要素はあるものの面白さに欠ける。
正直途中で寝そうになる。
でも、これはもう完全に演出意図に基づいた設計なのだろうな、と、この映画に関しては全幅の信頼をおいて見ていた。
1作目の出来の良さと、映画自体のクオリティのハイレベルさから考えて、この「つまらなさ」は人工的なもので後半の大カタルシスを活かすための設計に違いないと予測して見ていた。
案の定、というか、予想の遥か上を行く期待に応える、ガンダムオタクにぶっ刺さる展開が待っていて、それは本当に驚いてしまった。
このシリーズは基本的に恋愛映画なのだろうな、と思いながら見ていたのが、驚くほどにガンダムをやってきたのでもう脳汁がドパドパに溢れてしまった。
この映画はこれまでのガンダムに比肩するものがないと言ってもいいほどリアルな(写実的な)画作りをしているガンダムである。
まるで実写映画と言っていいほどの精密な現実世界を描き、かつてないほどリアルなモビルスーツのコクピット内での戦闘シーン、
自然を美しく描き、富裕層の贅を描き、都市はリアルに、女は艶かしく、
しかし、後半、あるきっかけによりそれまでわずかに漏れ出すだけだったハサウェイの妄想世界がいっきに溢れ出して、
そこでは、それまで暗すぎて何が行われているのかよくわからない、
そこまでがリアルな画作りだっただけにその対比で、
これはもちろんハサウェイという人間が見ている世界を描いているのである。
彼にとって、現実というのは、モビルスーツのコックピット内にいるときのように薄暗く、よく見えない、よくわからないものである。
そして、彼にとって、よく見えて、現実よりもよく見えて、そして現実よりも身近な存在は、自分の脳内の妄想の世界なのである。
そこではアムロが亡霊となってハサウェイをなじり、そこではクエス・パラヤが永遠にハサウェイの心を捉えてはなさい。
それを描いたものだ。
だが、果たして、これはハサウェイの心の中だけを描いただけのものなのか?
いや、、、そう、これはまるで、わたしたち、私たちの内面世界そのものではないのか?
私たち、何者にもなれなかった、私たちが生きる現実世界と私たちの関わり。
私たち、何者にもなれなかった、私たちの心の中に展開される機動戦士ガンダムという世界。
ふと日常の中の一瞬に浮かんでは消える、シャアやアムロや、ガンダムの登場人物たちの声。
それは決してアニメという空想の世界のものではなく、きちんとした質量を持って私達の心に存在している。
私たちには、もう、よく理解が出来なくなりつつある、現実の世界。
薄暗く、よく見えず、速すぎて、もう理解が追いつかなくなりつつある世界。
私たちはそんな現実世界に生きながら、同時にガンダムという鮮やかな妄想に取りつかれながら生きているのである。
私達の心は、現実に生きることをもはや望まず、現実よりわかりやすく原色で鮮やかに描かれた嘘の世界のほうへと心を奪われつつあるのではないのか?
そんなことを考えさせる映画だった。
オレみたいになるな
とか他人事みてーな言い草だけど、まずその後悔を自分の人生に向けるところからなんじゃないんですか
この後悔をせめて後代への、もう二度と届かない過去の自分への祈りに……みたいな感じになんか気持ち良くなっちゃってる場合か
まず自分だろ
きっとあなたにとってもそうだったように、いくら自分の体験と納得が乗った言葉も他人にとっちゃゴミですよね
賢者は歴史になんちゃらと自嘲した所で、まだまだあなたの人生も続くんでしょうに
キッズリターンくらいは観てるか?
トラペジウムもいいよな
まず明日の、いや今日の、数秒後先の、いや今この瞬間から、今からは後悔の残らない、面倒臭くてかったるい生き方を、どうせ取ろうとはしないんでしょうねえ
まあ映画じみた大敗もなくぬるっと過ごして一生終わるんでしょうねえ
それはまあ珍しくもないけど
別に結果がどうとかでなくとも、せめて過程くらいには生きる実感ってやつは欲しいですよねえ、ちょっとくらいは
そんなことすらもなく、ぬるりぬるりと気晴らしにかまけたり、時々自己嫌悪でフニフニしてみたりしつつ
そんな事は分かった上で、やっぱりただ面倒臭くて動く気がしない
そう開き直りつつ後悔してますみたいなポーズを取るのも、それはそれでなんかムカつくな
じゃあすれば?
やれよ
やらねえんだろ?
どうせやらねえんだよオマエは
と思っていた思春期の自分に、常に餌をやって心の内に飼っておきたい
ネチネチと責めて欲しい
そうした所でまあ大抵は別に行動が変わる訳でもないが、それすら無くなったらおれは石になってしまう気がする
なったらなったで、その方面においては別に後悔とか悩みとかほとんど無くなるのだろうが
今の時代は女が金持ってるから女に媚びた作品が大ヒットする法則があるんだと。
考えてみりゃ何十年もやってるコナンや、ガキしか見ねえはずのゲゲゲの映画や、ハイキューとかいう女向け漫画がヒットしまくってる。
呪術なんかも心理描写が女っぽくて女々しいんだよな。(虎杖を好きなブスが出てくる話なんかが顕著)
俺はトリコみたいなザ・少年漫画なキャラデザが大好きだけど、女からは嫌われるデザインだからアニメがクッソクソになっちまった。
フリーレンなんかも、強い女2人に去勢された男っていう女にとっちゃ最高の構図だし。
恐るべき完成度のアニメ映画。
このアニメ映画を作れる人は、
あらかじめ1作目を履修した上で見たので、
この監督ならば、
必ずカタルシスが後半に訪れるのだと、
信じて待ち続けることができた。
必ず何かをやってくれると予想していた。
が、その予想以上のものやってくれた。
予想は裏切り期待には応える。
その見事さに脱帽した。
全ては、すべて完璧にコントロールされている映画。
これほど完成度の高いアニメ映画、
素晴らしい映画だと思う。
もうこれで、
これを見せられたら黙らざるを得ないだろう。
今作にはあったように思う。
そのことで救われぬ魂が、
まだこの世に漂っているのだとしてら、
どうか成仏して欲しい。
100点。
アニメ映画を見終えた直後に
ガンズアンドローゼスのSweet Child O'Mineが映画『閃光のハサウェイ』のエンディング主題歌として起用され、大きな話題となっています。ってまたAIがテキトーなこと言ってると思ったらほんとだった
2026年2月8日の衆院選でチームみらいが11議席を獲得した直後、映画評論家・町山智浩(@TomoMachi)は**不正選挙を主張する陰謀論ポストを連投し、Qアノン系・ゆうこく連合支持者・参政党支持者のアカウントを大量にリポスト拡散した**。トランプ支持者やQアノンの選挙不正論を長年批判してきた人物が、まさに同じ行動パターンに陥ったことで、「メロリンQアノン」と呼ばれる事態に至った。5chまとめサイト・posfie・はてな匿名ダイアリー等で広く嘲笑・批判の対象となり、「映画だけやれ」という声が噴出した。
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町山の問題投稿は2月9日未明から2月10日午後にかけて集中的に行われた。以下、確認できたポストを時系列順に整理する。
###2月9日 00:43(tweetID:2020523957066031423)
小選挙区制に関する投稿。「小選挙区制は自分が子どもの頃、自民党によって導入されました」と主張。しかし小選挙区比例代表並立制の導入は**1994年の細川内閣**時であり、1962年生まれの町山は当時32歳。「自民党が導入」という事実認定も誤りで、複数のユーザーから即座に訂正された。喜多野土竜(@mogura2001)は「削除を見越してスクリーンショットを保存」したと投稿している。
###2月9日23:14(tweetID:2020863930051010613)
###2月10日 00:01(tweetID:2020875784920142171)——固定ポスト
町山が自らのプロフィールに固定した中核的主張:
> 「チームみらいの動画再生数は800万で、比例での得票数が380万票(共産党より多い!)なんと動画を観た人の半分近くが投票。候補15人中11人が当選で当選確率73%! 自民党ですら21%なのに……今回の選挙、おかしくないですか? ちなみにれいわの再生数はみらいの10倍以上の1億1千万再生だが、比例での得票数は167万票。」
YouTube再生数と得票数を直接比較し、チームみらいの「変換率」が異常に高くれいわが異常に低いと主張する論法である。**YouTube再生数には海外からの視聴・重複再生・興味本位の視聴が大量に含まれる**ため、得票数との単純比較は統計的に無意味だという反論が多数なされた。
###2月10日 00:22(tweetID:2020881033554722892)
夏樹蒼依(@hokkori_nekko、「バズモンスター」と分類されるアカウント)の投稿を引用リポスト:
> 「フォロワーわずか2万4千、動画につく『いいね』は平均100ていどのチームみらいが比例で380万票獲得? 候補15人中11人当選? この異常さを選挙管理委員会やマスコミは放置するの? また週刊文春と赤旗だけ?」
###2月10日 08:05(tweetID:2020997476178854288)
ひで2022真実を追求(@hide_Q_)の投稿を引用リポスト:
> 「東京都中央区でチームみらいの比例得票数が共産党の4倍でれいわの10倍! いくら何でもそれはない 朝日新聞は地元なんだから区民調査すれば事実はすぐに判明するよ。しないのか?」
実際には中央区でのチームみらい比例得票率は**19.14%**で、2025年参院選の同区での11.20%からの上積みであり、高所得・IT系住民が多い中央区の人口構成と整合的だった。足立区では9.44%にとどまるなど、地域ごとの所得・職業構成との相関は明確だった。
###2月10日 08:07(tweetID:2020997992849997860)
マッシュ@札幌(@mashsapporo)の投稿を引用リポスト:
> 「選挙期間中まったくSNSでバズらなかったチームみらいの比例での得票数が共産党よりも多い380万票で、候補15人中11人当選。自民党よりも高い当選率」
###2月10日12:54(tweetID:2021070158215905718)
> 「それよりおかしいのは、ネットで動画もまるで見られてない、街宣でも人がまるで集まらなかったチームみらいが突然、半年前の参院選の何倍もの票を集め、党員やボランティアのはるかに多い参政党や保守党やれいわや共産党を越え、候補15に対して11人当選で自民党よりもはるかに高い当選率になったことですね」
###2月10日 約13:48(tweetID:2021071771215200665)
> **「チームみらい、街宣に誰も来ないのに自民党を超える当選率! 野党の皆さんは左右共闘して、票の数え直しを要求すべきです!」**
野党の左右を問わず連帯して票の数え直しを要求すべきだという、事実上の選挙結果否定の呼びかけである。
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出目金(@TR_727)が2月10日に詳細に記録したところによると、町山が引用・リポストした陰謀論アカウントは以下の4系統に分類される。
出目金はこれを次のようにまとめた:「町山智浩氏が『陰謀論』界隈、ゆうこく連合支持者、参政党支持者らによる『チームみらいがこんなに票取るのおかしい!』との『不正選挙』投稿(当然『ムサシ陰謀論』含む)をたくさん拡散していて驚いたよ」。@Beriyaも「今町山智浩さんのアカウントを見に行くと、怒涛の勢いで票操作・不正選挙が行われていたと主張するアカウントをRTしている様を見ることが出来ます」と実況した。
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町山の陰謀論は孤立した現象ではなく、**左右を問わず「チームみらいの躍進が許せない」勢力の合流**という異様な現象の一部だった。
この左右合流現象について、5chでは「参政党と日本保守党とれいわ新選組の支持者が一斉にチームみらいは不正選挙だって騒いでて草 仲良しかよw」というコメントが象徴的だった。自民党が**316議席**という戦後最多の圧勝を遂げているのに、わずか**11議席**のチームみらいだけを標的にする論理的矛盾も繰り返し指摘された。
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5chなんJ板に立てられたスレッド「【速報】町山智浩、チームみらいの当選率を不正だと疑い右左共闘を呼びかける」は複数のまとめサイトに転載され、大きな反響を呼んだ。
最も象徴的なレスは**「Qアノンを馬鹿にしてた町山がメロリンQアノン化するとは思わんかった」**(ID:ENb/mE2a0)。「メロリンQアノン」とは山本太郎のタレント時代の持ちネタ「メロリンQ」とQアノンを掛け合わせた造語で、れいわ支持の立場からQアノンと同じ行動をとる町山を完璧に表現した。
他の注目レスとして、「極中道で左っぽい政策も右っぽい政策も言ってるから、イデオロギーが濃い人間には意味不明で不気味に見えるんやと思う」(チームみらいが左右両方から攻撃される理由の分析)、「マジで町山は映画だけやれ」、「SNSで政治レスバしてるやつって最後陰謀論者になるよな」などがあった。
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この騒動の核心は、**町山智浩がまさに自分が長年批判してきた行動を再現した**という圧倒的な皮肉にある。
町山はトランプ支持者やQアノンを批判する著書を複数出版してきた。『アメリカ人の4人に1人はトランプが大統領だと信じている』(2021年)、『アメリカがカルトに乗っ取られた!』(2022年)、『ゾンビ化するアメリカ』(2023年)、『独裁者トランプへの道』(2025年)。2021年の著書では「Qアノンは陰謀論者」「選挙ではバイデンに票を盗まれたと主張する」「選挙前から世論調査ではトランプの支持率はずっとバイデンを下回っており…そういう理屈がトランプ支持者にはまるで通じません。これはもはや宗教です」と書いていた。
2020年11月のTBSラジオ『たまむすび』では、トランプの不正選挙主張を「とんちんかん」と断じ、「4万票の不正っていうのはちょっと無理だろう」と論じていた。ところが2026年2月、町山自身が**根拠なく380万票の不正を示唆し、ムサシ陰謀論を含むアカウントを大量拡散し、票の数え直しを要求する**という、トランプ支持者と完全に同型の行動をとった。
TJK(@ZTJK1)の「町山智浩がチームみらいの獲得議席に陰謀論を捏ねくりはじめてて、バイデンに負けた時のトランプ信者みたいになっている」という指摘は、多くのユーザーが独立に到達した結論でもあった。チャック荒井(@arai_y5561732)は「町山智浩さんは左が負けるたびにおかしくなっていくように見える」と評し、ニコニコ大百科の掲示板では「見えないものが見えるようになった町山さん 映画評論も見えないものを見ていた可能性が浮上」という辛辣なコメントも残された。
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## 町山の主張はなぜ成り立たないのか
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町山智浩の2月8〜10日の言動は、単なる映画評論家の暴走エピソードにとどまらない。**イデオロギーに基づく認知バイアスは、知識量や批判能力とは独立に作用する**ことの鮮烈な実例である。トランプ支持者の陰謀論を5冊の著書で解剖した人物が、自陣営に不利な選挙結果に直面した途端、分析対象と同じ行動パターンに陥った。「結論先行で根拠が入れ替わる」(はてな匿名ダイアリーの分析)という構造は、彼が批判してきたMAGA運動そのものだった。
注目すべきは、この現象が町山個人の問題を超えて、**れいわ・参政党・日本保守党・ゆうこく連合という本来対立する勢力が「チームみらい叩き」で合流した**という構図である。極中道を掲げるチームみらいは左右双方のイデオロギー濃度の高い層にとって「意味不明で不気味」(5chコメント)な存在であり、それゆえに左右の陰謀論が同期した。316議席の自民党ではなく11議席のチームみらいを標的にした事実自体が、この攻撃の動機が政策的批判ではなく感情的反発であることを示している。
ストーリーラインもその回の適役中心に回るからキャラ同士の関係性知らなくても割と関係ない(映画一本で累計5分ぐらいあるナード向けサービスシーンから目を背けつつ)。
一方でハサウェイやユニコーンなんかは地球連邦の腐敗っぷりと宇宙世紀の閉塞感が理解できんと話のコンセプト自体が見えてこないからなあ・・・
だから、“地盤(組織)看板(知名度)鞄(資金)”を継いだだけで、政治家としての覚悟や理想理念や教養を学んでいないような2世3世の放蕩息子議員が生まれる。『大恩ある◯◯先生の坊ちゃんを必ず国会へ!』てな感じ。85歳の爺ちゃんが“これまでの実績”で当選したりするしね。
日本の“民主主義”は元から存在してきた“封建主義”とのハイブリッドなんだよ。
“マカロニウェスタン”って映画のジャンルあったでしょ?イタリア人が西部劇映画をニュアンスだけで作っちゃうヤツね。
“名も無きニヒルなガンマン”が乱暴なアウトローや悪徳保安官をバンバン撃ちコロッしちゃうやつね。
日本の“民主主義”ってね、“マカロニウェスタン”みたいなもんだよ。
…あ、お願い!石を投げつけないで!もう少し話を聞いて。
“アメリカン先住民の苦難苦悩”や“黒人奴隷問題”とか、そんなシリアスな問題まで構ってられないイタリア人が、昔々のアメリカ西部のお話を単純な勧善懲悪の娯楽映画にしちゃうのと、自由や権利の保障とか、少数派の意見も取りこぼさないような建設的で闊達な議論とか、健全な批判的思考とか、民主主義についてまわる面倒でも大切で大事にしなきゃいけない民主的手続きとか民主的思考とか民主主義的理想理念とかを取り去って、『今まさに“多数派”にいる者だけが勝者なのだ!』っていう単純明快なシステムに魔改造した“日本式民主主義”って、メッチャ似てるでしょ?ちょっと強引?
だから、そこを海外の方々は理解してもらって、あんまり日本人の民主主義の理解度や政治リテラシーの低さを嘲笑するのはやめてあげてほしいと思うのよ。
むしろ、凄い事なんだよ。
“アメリカ様”に押しつけられた上に、“取説”とかを与えられないで、民主主義のシステムを“なんとなくこんな感じ”みたいに80年間やってきたんだから。