
はてなキーワード:星野源とは
「前提条件」ではなく「イコール」ということは、生理的に無理でなければ恋愛対象になり得るということだよね。
みたいなことは言わないってことだよね。
そうであれば、恋愛と結婚は別派と増田が言ってることは緩衝しないと思う(ここでは「星野源以下は生理的に無理」、みたいなハズレ値は想定しない)
「生理的に無理でない」けど「ピンと来ない」「キュンキュンしない」、要は「普通の人」を最初から結婚の対象外とした結果、先に進めなくなった層が多いんじゃないかってこと。
増田の例で言えば、昔はお見合いで生理的に無理じゃない「普通の人」と会ったとして、将来的に(結婚後からでも)恋愛要素を育もうとすることは普通にあったが、
現在は生理的に無理じゃない「普通の人」と会っても、恋愛対象じゃないから先に進めようとしない層が多いだろうということ(よく聞くのが「ピンと来ない」「いい人だけど」「落ち着くし安心するけどドキドキしない」など)
つまり、「生理的に無理でない」どころじゃない異性としての魅力を結婚の前提条件に置く人が増えた結果、結婚が困難化したのではないかということ。
昨年あたりから、川口・蕨エリアに住んでいるというと、「治安悪いんでしょ?」と言われることが増えた。ネット上の切り抜き動画を見ると「キケンな町」だと思うらしい。昔、このあたり出身の星野源が「住宅やら赤ちょうちんしかないような場所」と形容したように、たいした特徴のない街だ。
しかし、ここのところ、大きな変化が1つ。拡声器で口汚い言葉を叫ぶ、市外の活動家たちが駅前にやってくるようになったのだ。さらに、それに反対するために、口汚い言葉で言い返す活動家までやってくる。
当然、罵詈雑言の投げつけ合いが起こる。言葉のキャッチボールじゃない。撃ち合いだ。右から飛んできた弾でも、左から飛んできた弾でも、耳に流れ弾が直撃すると、不快きわまりない。
昨夜、改札を出たら、こんな声が聞こえてきた。
―日本人がぁ、1番でいいんでぇす!!
―(ヤジ)そうだー よく言ったー
―(ヤジ)うーそつき うーそつき レイシスト帰れぇ!
マジうっせえ。お前ら、まとめて黙れよ。どうせ、市外から来たんだろ、帰れよ。
この夏、地域を愛し、地域のために働く「市民ファースト」の人たちが一生懸命準備した祭りの日にまでやってきて、ギャアギャア言いやがって。お前らが、内輪にしか届かない罵詈雑言ばらまくと、地域がギスギスすんだよ。気づけよ。
だいたい、しばき隊とか言うヤツらもうっせーよ。お前らが口汚い言葉でギャアギャア反論すると、騒音レベル上がるから、別のアプローチしろ。
そして、河合ゆうすけ!しかめっ面で駅の周りうろうろして、誰かを叩いて、発信して、議員の手当てもらえるのかよ、いいな。スーパークレイジー君も当選した戸田市で1度だけトップ当選したからって、民意を得たと勘違いしやがって。おい、戸田市民、そちらの市議がこちらにやってきてとんだ迷惑だよ、なんとかしろよ。市境、越えさせるなよ
そして、彼を囲むヤツら、「そうだー」「そうだ-」とか同調してるけど、まず、髪の毛洗えよ、歯を磨けよ。デモの日、駅前がくせえんだよ。差別じゃない。事実だ。言葉の流れ弾並みにキツいわ それだけで体感治安、さらに悪くなる。
ネットの断片的な情報見て、覚醒したのかもしれないけど、まず、自分の面倒見ろ。そこに混ざって叫んでいたら、今ここにある孤独や不安は癒えるかもしれないけど、帰属するところ間違っているぞ。その活動、恋人や家族や同僚からは敬遠されるぞ、絶対。名門の大学出て、お笑いでたいした人気もでず、「ヘイト」という道に活路を見出した男に魅せられたって、あいつは人生の責任とってくれない。
ここまで読んだら、絶対何人かは「危機感のない、バカが書いている」とか「かの国の人だ」とか言い出すヤツいるだろ。地域を愛する「市民ファースト」の日本人だよ。市外の活動家、蕨・川口に来るな!出てけ!
2025Rock this Party / timelesz
2024ライラック /Mrs. GREEN APPLE
2023 唱 /Ado
2022 Habit /SEKAI NO OWARI
2018 U.S.A /DA PUMP
2016 恋 /星野源
2014Let it Go ~ありのままで~ /May J.
2013RPG /SEKAI NO OWARI
2011Rising Sun /EXILE
2010ヘビーローテーション /AKB48
2009Believe / 嵐
2008 366日 /HY
2007Love so sweet / 嵐
2004 花 /ORANGE RANGE
2001ultra soul / B‘z
1995LOVELOVELOE /DREAMS COME TRUE
1994innocent world /Mr.Children
1992涙のキッス /サザンオールスターズ
1981センチメンタル・ジャーニー /松本伊代
1976およげ!たいやきくん /子門真人
1969三百六十五歩のマーチ /水前寺清子
1963見上げてごらん夜の星を /坂本九
1954 お富さん /春日八郎
雨穴・梨・背筋・澤村伊智、全員小説を買ったことがある。おうみは気になってたけど結局買ってなかった。大森時生のコンテンツも見てる。
ホラー好きで漫画も読むしアニメも見るしゲームもする。好きなアーティストもいる。映画やドラマも見る。
それと同じように広義の「創作物」のひとつだと思ってるからバラエティ番組や漫才やコントも大好き。
だから今回の件は好きな界隈が燃えていて残念に思うと同時にちょっとざまあという気持ちがある。
おうみの件もそうだけど「いちばん美味しいゴミだけ食べさせて」が燃えた件もずっとアーティスト・俳優・芸人といった三次元界隈の人間がやられてきたことなんだよね。
昔のインタビュー記事・テレビ番組を引っ張り出してきてタレントを叩く→過去に差別的なツイートをしていたことを引っ張り出してツイッタラー作家を叩く
深夜放送の番組内の下世話な発言が書き起こされてYahoo記事に載り、深夜放送ということを把握していない人たちが「ゴールデンタイムに老若男女に向けて大々的に見せつけた」と勘違いして「子どもへの悪影響が!」などと叩く→Steamのインディーゲームの宣伝記事が大手企業アカウントに取り上げられ、Steamのインディーゲームがどういう位置づけの作品なのか知らない人たちが「Switchで発売されようとしている」 「任天堂がマリオやスプラと一緒に大々的に宣伝した」と勘違いして「子どもへの悪影響が!」 「差別が!」と叩く
タレントがやられてきたことがこれからどんどん二次元クリエイターに適用されるようになっていくよ。
芸能畑の人間が燃やされた時に、こんな奴らに品行方正さを求めるのはやめようとか、見出しで釣ろうとする恣意的なコタツ記事に惑わされるのはやめようとか、そういうことをしてこなかったどころか「こんな奴らどうでもいい、潰れとけw」とキャンセルカルチャーに加担してきたツケを支払う順番がやってきた。
商業作家になる前から同じTwitterアカウントを使い続けているカクヨム発の作家だとか、
昔の声優ラジオとか、アニメディア・アニメージュのスタッフインタビューとか、二次元オタクの好きな人たちの過去の発言が掘り返されて今の価値観で測られて燃えていくのはこれからどんどん増えていくだろう。
そして自分のSNSでは公的な立場としての発言のみしか許可されず、露悪的な5chノリを出すと糾弾される。
え?なんで?私は/俺は普通の人間なのに?たかがネット発の新人創作者がなんでお行儀よくしてなきゃいけないの?なんでそんなもの求められなきゃいけないの?
それだってミュージシャンや芸人がずっと言ってきたことだよ。印税もらってるプロのくせに何で自分たちは逃れられると思ったの?
オモコロも星野源とコラボしたり雨穴やみくのしんの本がヒットしたりして大きなコンテンツになってきているのに、つい最近の動画では、セブンで買ったせんべいをボロクソにこき下ろしててびっくりした。
増田の言うようにいつまでも内輪ノリ。自分の立ち位置がどういうものかとか自分の発言に対する責任だとか世間に対する意識が薄い。
本当なら「深夜番組/Steamなんだし露悪とかも好きに表現すればいいじゃん」 「たかがタレント/クリエイターに人間性なんか求めるなよ」という風潮になっていくのが理想だけど
今はネット民が一方的に前者だけ燃やして後者だけ庇いだてして正義ぶってる気持ちの悪い状況になってるからどっちも燃えていいよ。
私が星野源をとても苦手な理由を言語化してみます。ChatGPT相手に書くことでモヤモヤを消化するつもりでしたが、思った以上の長文となってしまい増田に投下します。そのため、あまり増田向きの文章ではありません。
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彼はとても多才で、何をやっても器用にこなせるのは素晴らしいし、その才能や人柄に惹かれて大勢の友人に恵まれるのも理解はできます。
そして現状に満足することなく常に向上心があり、さらに才能を発揮する場を求めたり、交友関係を広げようとしている、努力の人なのだろうと思います。
交友関係の広さにもかかわらず、たびたび「孤独」を口にしたり、自分の境遇について「地獄」と表現することがあります。彼には彼なりの苦悩があるのでしょうが、それを吐露されたところで共感できる要素が一つもありません。知らんがな、自分でなんとかしろよ、と思ってしまいます。
むしろ、どんな境遇であっても決して満足感を得ることがないという欠点に見えてしまいます。「足るを知る」という古い言葉が教えるように、まずは現状の境遇に対して満足することが大切じゃないかと思います。
最近は、とある企業とコラボした広告が物議を醸しました。その企業の方々と星野さんは仲が良いようで、それ自体はとても結構なことだと思います。
しかし、その交友関係をただの交友関係だけで終わらせず、ビジネスに繋げてしまうのは、非常に高度なバランス感覚を求められるように思います。内輪受けで楽しんでいたものを世間に見せるのは、やはり難しいのでしょう。
決して、やってはいけない、とは思いません。しかし機微というものを欠いていたようには見えます。広告として世間に見せる以上、世間からは受け入れられないこともあります。これは仕方のないことです。
ここまで書いてみて、なんだか星野さんが少し心配になってきました。彼はとても器用な人なので、何をやっても評価されるし、ビジネスに繋げられる。しかし、その才能がかえって足枷になっているように見えます。
自分の好きなことをやって、他人から評価されようとは思わずに、自分だけが楽しむ。あるいは自分のまわりのごく限られたコミュニティの内側で楽しむ。それで人生はもう十分じゃないかと私は思いますし、私自身はそのようにして人生をまあまあ楽しんでいます。
もしも私の身近なところに星野さんがいたのなら、やはり心配して声をかけてしまいそうです。そんなに思いつめないでいいですよ、あなたは十分に恵まれているじゃないですか、と話すでしょう。
そういえば遠い昔、やはり私の知人にとても多才な人がいました。楽器を演奏できて、絵も上手くて、さらに小説を書く人でした。すべてが高い水準にあるように見えましたが、その人はいつも不満をこぼしていました。
私から見れば非常に恵まれていて羨ましいほどなのに、しかし満足せずに愚痴をこぼしている。一方の私は、大して文章力はないけれど小説を書いていて、自分で自分をそれなりに肯定していました。足りないところは多々あるけれど、それは現状の私が未熟なだけであって、何十年も続けていけば将来的には凄いことになるのだと謎の自信を持っていました。
未熟ながらも自己肯定感の高い私と、早熟で多才ながらも自己肯定感の低いらしい人とが上手く行くわけはなく、やがて疎遠になったのでした。二十年あまりが経った今でも、その人にどんな言葉をかけてあげれば良かったのか分かりません。今でも人生に不満があるのか、あるいは程々に楽しくやれているのか、近況を訊いてみたい気はします。
話を星野さんに戻しますが、私はそもそも星野さんの知人ではないしファンでもないため、彼の日頃の発言や動向を追ってなどいないし、この文章にも大いに事実誤認が含まれている可能性はあります。もしも誤りがあれば、星野さんには申し訳なく思います。
しかし彼の過去の発言にあった「孤独」「地獄」という言葉には、やはり強い違和感があります。言葉としてあまりに強すぎるのです。どんなに飲み食いしても地獄で飢えと渇きに苦しむ餓鬼のように見えてしまい、掛ける言葉を無くしてしまうのです。
さらに、これは個人的な好みの問題でしかないのですが……彼の生み出すメロディや歌詞は、それほどハイレベルなものだと思わないのです。繰り返しになりますが私の個人的な好みの話です。だけど、それにしても、歌詞に深みがなく直接的な表現ばかりに思えますし、「ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ」などと唐突に一般化されても感情移入できず困惑します。
古い曲だけでなく最近の歌詞も読んでみましたが、印象はさほど変わりません。個々のフレーズには感心する部分もあるのですが、前後のフレーズとの繋がりがほとんど無いように見えます。口に入れて咀嚼する前にぶつぶつと切れるうどんのようで食感が悪いのです。もうすこし繋げてくれないと味が分かりません。
星野さん本人は、なんでも器用にこなせると思っているのかもしれませんが、私から見ると、その器用さによって滑っているように思います。星野さんについて「鼻につく」という論評を見かけるのも、こういうところかなと思います。たしかに表面的には器用ではあるけど、何を伝えたいのか分からないのです。
長々と書いてきたのに結局は好みの問題じゃないか、なんだこれは、と私も思います。しかし苦手なものを苦手だと表明する自由はあるべきですし、私がただ言語化してスッキリするための文章ですから、これでよいのです。
そして私が星野さんに対して望むのは、まずは自身の現状を肯定的に捉えてほしいということです。そして、あなたがいる場所は地獄ではないし孤独でもない。もうすこし丁寧な情景描写を心がけたほうが良いのではないかと思うのです。