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はてなキーワード:旧東ドイツとは

2025-04-21

anond:20250419142045

現在進行系でベルリンに住んでる勢です。(と言っても2年くらいなのでまだまだ新米という感じ。)

ドイツといっても、首都ベルリンに関してはかなり毛色が違うので、自分視点で色々してみる。

メインで使ってるのは英語なので、ドイツ語は簡単文法定型フレーズが使える程度で全然話せません。

あと単身なので、家族で済むとかになると全然話が違ってくるかとは思います

医療

まじで一回も病院にかかったことがないからわからないです。

日本にいたときから病気怪我ほとんどしたことがない人間です)

ビザの時点で任意保険加入必須で、保険証明書で病院での支払は免除になります保険料は月2万円弱(多分年齢や属性による)

電車

ストはありますねー。多いときで週の半分くらい地下鉄が止まるのが月2回とかそんな感じ。

地下鉄、地上線、トラムバスと4種類あって、半分くらい止まるのでそれ以外のルートでなんとかするイメージ

困るには困るけど、よくあることなので、職場とか学校事前連絡が来ます

東京でいうと、台風とか雪で電車止まるかも!ってのと同じくらいの頻度だと考えるそこまでひどい話でもないのでは?

ベルリン公共交通の本数自体東京並みに多いので、定時運行が崩れたとてそんなに困ることはないです。

バストラムチケット電車共通で、乗り換えがスムーズなのも良いところ。

別の都市に行くときとかはD-barn(日本で言うJRドイツ都市同士を繋ぐ路線)を使うのだけれど、

そのダイヤ乱れは本気でやばい。2時間遅れとか全然ザラ。アナウンス流れるとみんな諦めて時間を潰しに行く。

あと、座席の予約システムが、「予約されてなければ自由席」という謎スタイルで、予約しているかどうかの表示も曖昧なので、

予約したのに人が座ってる・・・。ってことも割とある。あとは、当日車両編成が変わってて自分座席がないとか。

現地でもこのあたりのサービスの悪さは定評がある。

D-Barnは定時運航率50%切るらしくて、そのせいでスイスとの相互乗り入れがなくなったらしい。草。

治安

ヨーロッパの中では相当良い方。他の国でよくある、繁華街ひったくり心配はほぼ無し。

目安としては「深夜の地下鉄女性が一人で乗っても大丈夫」というレベル

他国の話だと、イタリアローマ中央駅でパスポートごとハンドバッグをすられたのは今でもトラウマなので、個人的にここはかなり重要ポイント

ただ、

・道端や電車の中で物乞いをする人(ただ座ってるのではなく積極的に話しかけてくる)

・夜の繁華街で奇声をあげて警官に取り押さえられる人

みたいなのはたくさんいて、それを体感治安としてどう捉えるかは人次第かと。

あと、マリファナは現状かぎりなく白に近いグレーなので、公園によっては売人が佇んでたりとか。

旧東ドイツエリア(Neuköllnとか)に行くと、あきらかにガラが悪くなって面白い

イメージ歌舞伎町とかが近いかしょっちゅう歩くけど、雰囲気以上の実被害はない。

生粋ベルリン育ちの人からすれば、自分東アジア系が我が物顔で歩いてるのも「得体のしれない」度では変わらないだろうし

そういうのはお互い様だと思ってる。

人種差別

大前提として、ベルリンは超国際都市です。

ベルリン当地ネタ定番が「店員に”わたしドイツ語喋れないか英語でお願い!”って言われた」になるくらい。

電車に乗ってると半分以上はドイツ語以外の言語を話しているし、

ケバブ屋でよく見るトルコ系に関しては移民3世の「トルコドイツ人」であることも多くそもそも彼らは外国人じゃない。

シリア系もそのうち同じような立ち位置になっていくはず。いわゆるヒジャブしている系のムスリムもたくさんいます

EU圏はビザ無しで相互就労可能なので、フランス語やらスペイン語も飛び交ってます

日本でいう現地人/外国人とか、外国人観光客、みたいな単純な線引きは一切できません。

バリロンドンで噂に聞くような「移民都市サービス崩壊してる!」みたいな事象は一切感じたことが無いです。

なんとなくコミュニティは別れているし断絶もあるけど、秩序は保たれているように見える。

日本人が遭遇する人種差別って

(1)チン・チョン・チャン的なド直球からかい差別

(2)店先で明らかに嫌な顔されたり塩対応される

の2パターンがあると思うけど、(1)に関してはベルリンでも、観光で訪れた他の都市でも1度もないです。

自分海外経験でいうと、フィリピン地方歩いてると「韓国人韓国人?」って感じで子ども笑顔でついてきたことが一度あるくらいか

(2)に関しては、渡航当初は何度かあったけど、ドイツ語で簡単なやり取りができるようになってからは全くなくなったし、みんなフレンドリーに接してくれる。

これもよく言われる話だけど、「あいさつ」「笑顔」みたいな社交コードがないと、そういう対応を受ける可能性はそれなりにあると思う。

相手立場に立って考えてみるとわかりやすいと思うけど、

日本の町中で中東系っぽい男性仏頂面でこっちにきて、なんだかわからない言語で話しかけてきたとして、笑顔対応できますか?

これ、実際は中東系じゃなくてインド人だし、なんだかわからない言語、はインド訛りが強いだけで実は超シンプル英語で話しかけているのかもしれない。

ヨーロッパ系の人からすれば日本人と中国人区別なんてつかないし、日本訛りの英語はなかなか通じないことが多いので、向こうからすると多分似た感じ。

国民性

こっちに来て思ったのは、「国を超えても、結局は社会的同質性の近いコミュニティに属することになるから日本と対して変わらん」

そもそもドイツ人って誰?という話は先に述べた通り。街に出れば多人種で溢れているので、店先のやりとりも異文化コミュニケーションのほうが多いくらい。

自分英語コミュニティ生活しているので、リベラルかつ多文化リテラシーの高い人ばかりだし、

Slackで「今度ユーロ議会選挙があるから極右政党進出を止めよう!」みたいなのが平然と流れてきます

そうではない「大多数の一般人」とは接点の持ちようがないし、おそらくそこには隔絶があると思う。

事実として、AfDみたいな極右政党が順調に議席を伸ばしているわけだけど、少なくてもベルリン、かつ私の生活範囲では当面大きな変化があることはないのではと思う。

自分はこうした多様性恩恵を受ける側なのでこうした状況は好ましく思えるけど、それで自分たちの居場所が奪われると感じる現地の人もいるだろう、という想像力は持ちたい。

食事外食編)

日本からすると、外食事情はめちゃくちゃ悪い。

「値段の割にクオリティが低くてがっかりすることが多いか開拓する気がなくなる」

悪循環ですっかりレストランに行くことはなくなった。

一言でいうと、

「うちのスペシャリテだぜ!って言って出てくるのが焼いた肉にソースを掛けただけ」

という感じ。

おそらくだけど「美味しいものを食べる」に対する期待値と感度が違いすぎる。

外国人がやってる料理アジアンとか中華とか日本料理とか)もそれに引きずられて、

日本からすると、今ひとつ美味しくない感じになってることが多い。

ビールソーセージ既製品なのでそもそもレストランで食べる必要がない。

カリーブルスト?まじでフランクフルトカレー粉かけただけだよ、なんであれが名物ヅラしているのか本気でわからない。

日曜日クリスマスシーズン広場屋台が並ぶのでいろいろ試したけど、正直どれも想像を超えない味だった。

外食で唯一定期的に食べたくなるものケバブ(Döner)。ベルリンの誇るべき名物といっていい。

味の付け方とか、野菜バランスとか店によってちゃんとこだわりを感じる。

食事事情自炊編)

料理趣味なのでドイツ料理の本を何冊か買って一通り作ったのだけど、

文化としての「ドイツ料理」はちゃん存在しているし、独自性もある。

製品

畜産品、特に加工製品クオリティはやっぱり高い。誇りを感じる。

ソーセージはまじで美味しいし種類も多い。

ソーセージドイツ語だとWürstなんだけど、これは「肉製品」くらいのカテゴリで、

レバーペーストとかパンに乗るスプレッドタイプ(Teewürst)、なんなら味付けして真空パックされた生肉(Metwürst)とかも含まれます

ビアシンケンみたいな日本もよく見る薄切りハムも、食べてみると全然クオリティが違う。

寿司クオリティがが日本とそれ以外の国で違うように、肉の鮮度や加工法とか、根幹となるレベルそもそも違うんだろうな、という感じ。

バラエティも多くて、血を使ったやつとか、ゼリー寄せになってるやつとか、全部うまい日本では絶対食べれない味ばかり。

生クリームとかバターは使うだけでバシッと味が決まるし、

バラ肉ベーコン(Bauchspeck)も炒め物やスープに入れると風味の主役!って感じ。

野菜

じゃがいもは、日本でいう「インカの目覚め」みたいな味が濃くてネットリしたやつ(Festkochened)が主流で、

さっき行ったバラ肉ベーコンカリッと炒めるとうまいスープにしても良いし、グレーターで削ってロスティにしてもいい。

野菜スープ(Suppe)や煮込み料理(Eintopf, Gulasch) も、だし・乳脂肪分、ハーブの組み合わせに説得力があって、

日本と違ってこれが1日のメインディッシュになるのもわかる、という感じ。

ちょっといいスーパーに行くと、春は白アスパラ、秋はきのこ、冬は根菜、という感じでちゃんと「旬」があるのも嬉しい。

野菜日本のより若干固くて味が濃い感じで、料理のしがいがある。

マーケットで生のポルチーニ(Steinpilz)がキロで売ってて、初めて食べたが絶品だった。

ドイツ人にSteinpilzうまいよね!っていったら「なにそれドイツ食べ物じゃなくね?」って言われたけど)

パン

パンうまい

日本の「焼き立てで美味しいパン」って大体フランスブーランジェリー系だけど、それとは若干方向性がが違って、発酵なにそれおいしいの?みたいな趣。

ライ麦や、ひまわりの種やかぼちゃの種を練り込んで、どっしりとしてる。美味しいし、安い。

前述の肉製品を乗っけたり挟んだりするスタイルとめちゃくちゃ相性が良くて、それだけでに美味しく1食分になる。

というかドイツ人はまじで加工肉・パンチーズだけで3食過ごしてる。

あと、日本で言うプレッツェルは、こっちだとアルカリ溶液を使ったLaugenという生地パンとして、

いろんな形状と種類がある。香ばしくて塩気が効いてうまい

ビール

ビールは外せない。ドイツ料理においては、アルコールと言うより、白米的なポジションだと思う。

まず種類が多い。「世界ビール」の多様性が、ドイツにおいては「何の変哲もない普通のLagar」という1ジャンルに収まってしまうくらい。

乳酸菌発酵したやつ(Weizen)とか、肉並みにコクがあるやつ(Oktoberfest)とか、ビール概念拡張されまくる。

輸入ビールにも寛容で、チェコ黒ビールなんかも余裕で買えるし、日本ブームからアサヒキリン普通に売ってる。

ただ、ある程度時間が立つと舌が慣れてきて、もう安いブランドの箱買いでいいやってなる。

あと、移民マーケットが盛んで、

中華料理材料とか、南アジア系のスパイス日本よりも手に入りやすいのも自炊勢としては楽しい

ちなみに、ハンブルグとかドレスデンウィーンあたりも遊びにいったけど、

スーパーレパートリーはそんなに変わらなかったのでこのあたりはドイツ共通かと。

結論

公共サービスとか物価税金についても書こうと思ったけど、食べ物が長くなりすぎたのでこのへんで。

あくまで「外国人として」ではあるけど、慣れてしまえばそんなにストレスがないし、

日本人が移住先として考える分には、ベルリンはかなり有力な選択肢では?と言うのが個人的感想です。

自炊好きならドイツ楽しい

Permalink |記事への反応(2) | 18:48

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2025-03-02

旧東ドイツ市民向けのなろう系を書けよ

彼らの琴線に触れるんだよ。

住んでいた地域によって差別されていた存在、を主人公に据える

からプラン作成を始めて。

日本人向けではなくドイツ人が好みそうなストーリーにする

政治的な要素は抜く

右翼思想連想させるもの絶対に入れない

フランス人連想させるパーティから離脱を告げられるシーンから始める

Permalink |記事への反応(0) | 08:35

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2021-11-22

anond:20211121122452

東欧圏だった旧東ドイツエリア被害が少ない。なぜだ?ソ連製のBCGワクチンだったからでは?という仮説がありましたが、逆に今は旧東欧圏の方が悲惨なんですね。

現在ぶっちぎりの「ドイツ」ですが、第五波?も東西ドイツで差があるのでしょうか?

Permalink |記事への反応(1) | 13:58

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2021-09-13

anond:20210913071207

JAWA(ヤワ)とは、源流を旧東ドイツの名門2ストロークエンジン二輪車企業に持つ、かつての東側二輪車製造業者である。…特徴として、当時および現代技術レベルからすると旧態依然とした技術集大成みえ機関および車体を持つことがあげられる。(ただし、日本オートレース業界使用車両のように、かの国ではアイストラックレースという競技があり、そこでの彼等はトップコンテンダーとしての地位を保っていたことは記憶に遺すべき事項である

Permalink |記事への反応(0) | 07:23

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2021-09-12

anond:20210909175740

同じドイツ国内でも、旧東ドイツ領土だったベルリンマクデブルクは今でも治安が良くなく、アングラ雰囲気の町だよね。

逆に旧西ドイツ大都市は、ヨーロッパ最高レベル治安の町が多い。

増田が書いているフランクフルトミュンヘンとか。

Permalink |記事への反応(0) | 23:00

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2020-10-08

anond:20201008204734

ライカスクリューマウントかな?

旧東ドイツ由来の、M42マウントかな?

Permalink |記事への反応(0) | 20:48

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2020-03-07

anond:20200307080143

俺たちからすると、旧東ドイツみたいなのが理想なんだろうな

Permalink |記事への反応(1) | 08:04

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2017-12-12

東京ドイツ村

東京ディズニーランド千葉県浦安にあるのはみんな知ってると思う

だがしかし東京ドイツ村についてよく知っている者は少ないだろう

東京千葉

ドイツ日本ドイツ要素もよくわからない)

村→市(袖ヶ浦市

いったいどこなんだって感じだ

でも実は冷戦期の旧東ドイツ領地だったとも言われている

表向きにはテーマパークということでやっているが内部は共産主義アジトとして使用されている可能性も高い

みんなも一度行ってみて真相を確かめて欲しい

Permalink |記事への反応(0) | 14:08

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2017-10-29

travelnote

9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツ旅行してきました。

前夜。

トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物ピザハットピザ政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間出国せず空港内で過ごしました。

中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンフルーツの方がずっと美味しく感じました。

9/25

フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。

新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。

ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒミューエ似のおっさんスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝気持ちを述べた言葉ドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。

ベルリン

インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。

行ったところ。

ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連東ベルリン統治する上で、東側諸国リーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。

次。DDRMuseumという旧東ドイツ博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。

アレクサンダー広場ベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。

テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。

2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。

テレビを点けたらチャンピオンズリーグバイエルンアンデルレヒト試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。

昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物写真ネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラ反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。

夕方オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代遺産写真男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間電車を引き返すことに。

夜。ポツダムプラッツレストランで夕食。ベルリンピルスナーを堪能。ドイツビールは飲めるけど、日本ビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後ベルリン名物アイスバイン塩漬け豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。

帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学

ホテル内。ビールを飲みながらテレビドルトムントレアルマドリード試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルドルトムントボコボコにしてました。

3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットガルトへ。メルセデス・ベンツミュージアム見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。

博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンホテルマテルヌスハウスチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。

ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式ローマ・カトリック教会ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人スリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。

夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。

4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。

フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルト金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。

魔の5日目。トランジット北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。

19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。

初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分時間が流れていました。

しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーション外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。

また行きたいですね。今度はルフトハンザ航空の直行便ファーストクラスで。

Permalink |記事への反応(0) | 18:46

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2016-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20160226102119

旧東ドイツ地域ロシアも、経済格差はあるもの

秘密警察強制連行されて秘密裏に殺されて埋められる可能性がなくなっただけ多少はマシだと思う…

Permalink |記事への反応(1) | 10:25

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2013-12-07

トルヒーヨについて

Wikipediaより)

ラファエルレオニダス・トルヒーヨ・モリナ(RafaelLeónidas Trujillo Molina、1891年10月24日 -1961年5月30日)はドミニカ共和国政治家軍人。31年間の長期独裁体制下で個人崇拝を徹底させ、国家経済の大部分を私物化した。

(『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』p274から一部編集抜粋

彼のスパイはどこにでもいた。トルヒーヨの秘密警察はシュタージ(旧東ドイツ秘密警察)よりもシュタージ的で、あらゆる人を監視していた。アメリカに暮らす人まで全てだ。秘密警察組織マングースのようにとんでもなくしつこくて、誰かが朝の八時四十分にボスの悪口を言ったら、十時前にはもうクァレンタで牛追い棒を尻の穴に突っ込まれているという具合だった(…)

トルヒーヨが生み出したのは国民総密告者国家だった。つまり、すべての暗黒の王が影を持つように、トルヒーヨにも献身的な国民たちがいたのだ。広く信じられているところでは、常に四十二パーセントから八十七パーセントドミニカ人が秘密警察から給料をもらっていたという。

隣人があんたを密告する理由が、そいつのすごく欲しがっているものを持っていたとか、食堂の列で横入りしたとかいうことだってありえた。分別をなくした人々はそんな風にして消えていった。友人だと思っていた人々や自分家族に密告され、あるいは自らの失言によって。

Permalink |記事への反応(0) | 22:56

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