
はてなキーワード:旧姓とは
論文を書くような博士とかでも、8割近くが夫の姓に変更してるし
英語のジャーナルに論文を発表する非西洋出身の国際的な学者、特に若手の学者の多くは、イングリッシュネームまたは簡略化されたローマ字表記を含むビジネスネーム、ハンドルネームや旧姓etc.を使用しており、法律上の名前とは異なる場合があることは広く認識されてる。
(国際的な取り決めで決まっている)
ふと昔の京都大サークル仲間(京大生)のことを思い出した。旧姓で知っていた京都大の後輩が結婚後に名前を変えて研究者として活動していたことまでは辿れた!
残念ながら見つかったのは20年以上前の記録だけだった。戦略もしくはさきがけのプロジェクト報告書に名前が残っていて、2000年から2002年頃に活動していたことは
京都大OBとしての系譜を追うつもりが、時間の断絶に行き当たってしまった。
名字が比較的珍しいこともあり、記憶と断片的な資料が重なって「あの京大生だ」と確信できたのは、元京大生としてちょっとだけ嬉しかった。
けれども、そこから先はもう辿れなかった。人の人生は京都大の公開情報に残る部分と残らない部分があり、記録が途絶えることもまた一つの京都大的な選択なのだろう。
そんなこと追跡をしていると、ふと先日家族と京都大の学園祭に出かけたことを思い出した。京都大の展示や企画は新鮮だったが、特に印象に残ったのは
昔よく通った京都大の近くの食堂で家族と食事をしたことと折田先生の像がなくなったことだった。
中国のトイレ、ホテルは最新だがレストランや会社はまだ汚れた和式&紙ない・紙流せないところも多くて、これはやだな~なんで進化しないんだ?と思ったが、それが普通になってて比較で不便を実感できないと進化しない、という話だった
どう考えても片方だけが一方的に不便負担だし外国人は別姓でやってるし戸籍はすでに別姓対応してて旧姓使用のほうが面倒が発生するし国際論文が旧姓と繋がらないとか仕事にも差し支えるのに、なぜか選択別姓を認めない
むしろ汚いトイレで女だけに用を足させてる遅れた差別社会みたいなものなのに、男が不便を実感していないからで変えないのははるかに悪質
あ、男だけじゃなくて男好きヨイショ女もいるしもちろんマトモな男もいますよ、ね(だる)
あーそれはわかるけど、今回の旧姓の件においては、
不便だと言われる個別シーンにそれぞれ対応していった結果、一歩ずつ保守側が後退している印象を持っちゃうんだよな。
たとえばこの記事なんかも、
パスポート旧姓併記、出入国で「懸念」のトラブル報告はゼロ 外務省答弁、参政党吉川氏に -産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20250313-AH27YNTT4ZEOVFPQVOWMEA3YOU/
「ほれみろ、旧姓併記という運用で十分じゃないか!」という記事ではあるけれど、本当のゴリゴリの保守からしたら、できることなら旧姓併記さえ許したくはなかったんじゃないのかなー?って思うわけよ。
夫の姓に変わっても、何の不便もなく「夫の姓だけで」暮らしていける社会こそが、ゴリゴリ保守の理想なんじゃないのかな?
ゴリゴリ保守に「ちゃうで」って言われるんなら、それはごめん。
(追記)
君が代の意味なんかも、君が代を存続・歌唱させたいがために、保守の側が「君というのは必ずしも天皇を指していたわけじゃなくて」などと言い出すのはダサいと感じる。そして「君」の意味の変遷や解釈の違いを、左右の両方がそれぞれの方法で拠り所にするさまはどちらもダサい。
リベラルってこういうレッテル貼りするけど、やめた方がいいと思うよ。普通に。
旧姓利用でいいって言う人と話して、相手の考えを理解しようとしてみなよ。
興味・関心を持って相手のテリトリーに踏み込もうと思えなくて。
生むだけじゃなくて実際に育てるための援助を受けて、子育てしたい。
私みたいな人って結構いると思う。
一人から一人以上を生み出さないと少子化するのだから、この選択肢はいつかは絶対必要だと思うよ。
”名前というアイデンティティが変わるのが嫌なら結婚しなければいい”、って今や大半を占めてるらしい旧姓拡大でいいだろ派は言うけどさ。
別に、アイデンティティが変わるのが嫌でも結婚したっていいでしょ?
あのね。
優しくて、手があったかくて、私には勿体ない天使のような相手だ。
と、同時に、私は生まれたときから何十年も連れ添ってきた「姓」を変更することになった。
どちらの姓を選ぶか、協議しなかったわけではないが、
①夫のほうがやや歳上なこと
を理由に(正しくは、それを理由にすることが今の日本社会で一番ハレーションが起きないという我身かわいさからの打算で)、私たちは夫の姓を名乗ることになった。
婚姻届の「婚姻後の夫婦の氏」欄、「夫の氏」へチェックを入れているとき、何かとてつもない“さみしさ”に襲われた。
親から教えてもらって、初めてひらがなで書けるようになった「ますだ」は、「ま」の字が左右反転していて、それを母が今でも笑うこと。
憧れだった女子高の入学式で、自分の名前が読み上げられて嬉しかったこと。
チーム全員の終電の時刻がデスクに大きく書いてあるほど残業の耐えない職場で、同期に負けないよう必死に働き、部下からの呼び名が「増田さん」から「増田係長」になって少し誇らしかったこと。
今までの人生の色んなことを思い出した。
大学の友達から付けてもらったあだ名の「まっすー」も、増田じゃない私には、もう違う。
私は持病があって子どもができないし、夫も子どもを望んでいないが、私には一人暮らしの頃から、まさに“我が子のように”かわいがってきたネコチャンがいる。
ネコチャンに、「お前はもう増田タマじゃないんだよ」と教えてあげた。
夫が「タマちゃんには戸籍がないんだから、増田のままでもいいじゃない」と言った。
それを聞いて、こんなに優しい大好きな人と同じ名字になれるのに、こんなに心にぽっかり穴が空いたようで“さみしさ”に耐えられない私はダメなのかな、と落ち込んだりもした。
職場ではもちろん旧姓使用の申請をしたが、その申請書に「なぜ旧姓を使用したいかの理由を具体的に書きなさい」という欄があり、なんかまたやけにムカついた。
多分、クレジットカードとか銀行口座とか奨学金の引き落としとかその他大勢の氏名変更手続きと、仕事の繁忙期が被って、気が立っていたからだ。
こういう話をすると、やれ事実婚だとか通称使用だとかパートナーシップ制度だとかゴチャゴチャ言ってくる人がいるが、私は愛する彼と「結婚」したいんです。
日本社会で、広く一般的に定型化された男女の相互契約を結んで、相互扶助義務とか貞操義務とか負いながら、普通に一緒に生きていきたいんです。
あーーー小さい頃から憧れてた、愛する人との結婚を、こんなつまんない“さみしさ”で汚したくなかったなーーー悔しいなーーーという気持ちに尽きる。まじで。
今はこの言いようのない“さみしさ”と、海より深い“悔しさ”をエネルギーにして、『自分自身は姓を変えた側じゃないくせに幼い頃からのアイデンティティを何も奪われてないくせに夫婦別姓に反対している』人々を殴りに行こうか。YAH!YAH!YAH!
そして何十年と苦楽を共にしてくれた私の「増田」への
鎮魂歌です──。
このまま高市政権で通称使用が拡大されていったほうが、悪いことするときに便利なんじゃないか?
郵便受けに「違う名前の宛先だが、どちらも私宛」の郵便物が一つずつ入っていたのを見てふとそう思った。
私は昨年入籍して姓が変わった男性だが、実際に銀行や証券、保険などの名義変更でたいへん不便な思いをした。
そうは言ってもメガバンクの一つは通称として旧姓で口座を使わせてくれたり、徐々に不便は減っていっているのだろうと思う。
犯罪者として実名が報道されても、旧姓を使い続けている職場の知り合いは私のことだとわからないだろう。
逆に戸籍の名前でしか私を知らない人たちは、旧姓で報道されたら気づかないだろう。
名前を使い分けるのはなかなか愉快な気分もするのだけど、もしかしたらこれって悪いことにも使えるんじゃないだろうか?
妻(と対外的には称している女性 以下同じ)と一緒に住み始めて5年を超えた。住民票は同一世帯にし、互いの両親とも夫婦同様に交流している。あとはもう婚姻届を出すだけの状態で5年止まっている。
婚姻届を出していない理由は、俺も嫁も名字を変えたくないし、相手に変えても欲しくないという点のみ。
名字が変わることによる手続きや出費が本当に嫌だ。戸籍が変わったらマイナンバーカードも免許証もパスポートも全部作り直し。銀行口座もクレカも賃貸契約も引きづられる。海外渡航が多く、常に数カ月先の航空券が手元にあるんだが、これも変えなきゃだめだよな。試しに聞いたところ、ユナイテッドはなんとか頼めば変えてくれるらしいが、あるLCCは「買い直ししかない」と明確に断られた。
「〇〇は旧姓のまま放っといても大丈夫」と言われるが、AとB(たとえばパスポートと搭乗券、銀行口座とクレカ名義)は揃ってないとダメ、BとCも揃ってないとダメ、とチェーンのように繋がっているので、結局どこかが「戸籍名と一致してないとダメ」と言い出すと芋づる式に変えていく羽目になる。
そもそもそんなイレギュラーに弱い「運用でカバー」みたいなことはしたくないし、物によっては法的にグレーだろう。
「そんなの1日と少しの金で済むからみんな我慢してる」という人もあるだろうが、俺は1秒たりとも1銭たりとも払いたくない。たとえば引っ越した時は俺も頑張っていろんな手続きをする。それは俺が引っ越したいと思い住所を変え、引っ越し先で必要な住民サービスを受けたいと考え、またそれは合理的に必要な手間だと理解しているからだ。でも結婚のために名字を変えることは違う。俺と妻は愛し合っているが名字が一緒になることが家族の形を表すとは考えていない。じゃあ他の誰のためなのだろう。誰かのためになるなら自分を納得させることもできるだろうが、そんな人はいるのだろうか。(あ、子供ができたときの姓は話し合い済みなのでお気になさらず)
この話をどこかに書いたとき「法律婚にこだわらなくてもいいんだよ」としたり顔(ほんとにしてるかは知らんが)のコメントな沢山ついた。
いや、「名字を変えたくないカップルは法律婚できない」というのを変えて欲しい、と言っているわけで話が通じてない。
実際、法律婚じゃないと困ることがある。子供ができれば認知や相続の面で異なる扱いをされる。ペアローンの金利も法律婚と事実婚では差が出る。
これらの今見えている差分に乗り越える方法があったとしてもそれは大事なことではない。名字を変えた時と変えない時で取り扱いをまったく同じにしてほしいという話なので、旧姓利用拡大もまた解決策にはならない。
「わがまま言うな」というリプライもよく見る。自分のありたい状態と法律がバッティングして不利益を被っているのであれば、声を上げるの民主主義国家だと思っているので、それもまた筋の悪い批判だ。「生活に困っているのでガソリン税を下げてほしい」というのと「金銭的な負担や手間を避けたいので、夫婦別姓を選択させてほしい」というのはどちらも一市民の切なる願いだと思うのだが、違うのだろうか。
今年で31になるが、このせいで子作りも家探しも中断している。選挙のたびに争点に挙がるのであと1年あと1年と待ってきたが、今般の総裁選の結果が出たときは妻と「もう年賀の納めどきかね」と話した。こんな暗い顔で婚姻届は出したくない。
国会質疑で法務省から別姓夫婦の戸籍謄本案が提示されていますが、現在のものとほぼ変わりません。質問者である国重とおる議員のサイトでその書式を見ることができます。1997年(平成9年)6月11日の国会法務委員会第十号答申B案(民法改正案)の答弁でも、導入にはそれほどコストがかからない旨が述べられています。
選択的夫婦別姓があれば本来不要であったはずの「旧姓併記」に、住民票・マイナンバー等のシステム改修費だけでも国庫から莫大な税金が投入されている問題が、現在進行中の裁判でも指摘されています。
という話もある。
もちろんこれを「夫婦別姓派が都合よく言ってるだけ」と否定することはできるが。