
はてなキーワード:日記帳とは
dorawiiより
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美容室には毎月行くし身だしなみにも気を使っているし、歯医者には毎月メンテナンスに行っている。
環境が大きく変わり鬱傾向になったためそうなってしまったので、付き合いの長い彼女に最近変わったところはないかと聞いてみた。
具体的に、体臭やチンポ臭や、服の匂いとかそういうものを聞いた。
元々「匂いフェチなのに、無臭だからつまんない」と言われていた彼女だったので正直なところを答えてくれたと思うのだが、
「そうなの?変わりないよ」とのこと。
元々そういう体質なのか、臭さはないようだし表面上の清潔感は変化させていないし、大丈夫なようだ。
問題は鬱傾向にあり自殺してしまいそうな夜があることで、それは彼女にも相談できていないことだ。
ここで死にたくはない。
今日もシャワーを浴びて身体を洗うことなく一日を終えた。この暑い中、体臭や垢が溜まっていてもおかしくないのにきれいないものだ。
にゃるらとかもだけどさ、「なんか上手いこと業界人の懐に入り込んだ奴勝ち」みたいなのが嫌なんだよね。
俺はオタクの目指すべき場所は技能者集団だと思っているんだ。人脈スキル極めた岡田斗司夫のデュープでは決して無いと思っているから。
俺の考える間違ったオタクのあり方をしてる奴が平然と成功を手にしているということが俺には許せない。
自分を曝け出す勇気だの飛び込んでみる行動力だの、そういった精神論みたいなもので評価されるのは漫画やゲームのキャラクターが負うべき役目であって、現実の人間は徹底的に実力主義の世界で評価されてほしいんだよね。
勘違いしないで欲しいんだけど、俺は「俺も彼らみたいになりたかった」なんて思ってないんだよ。
立場に対して嫉妬はしてるけど、でも彼らがやったやり方で成功してる自分なんて想像したくもないんだ。
これまた勘違いしないで欲しいんだけど「偶然実力がある者同士がタッグを組んで成功すること」を批判する気は一切ないよ。
実力者同士が1+1を100にするのは素晴らしいことだ。
それぞれが1を提供できているならね。
でも1+1+0.01で100.01を作り出しただけの奴が「僕も100.01の一部です!」みたいな顔をするのはクソほどムカつく。
君は何も凄くないからね?
当然だけど、純粋に実力のある人がそれに見合った大成功を収めるのは大いに歓迎するよ。
現代社会は格差が激しいから大成功した人の跳ねっぷりがヤバいことになってるけど、それでもその分野において圧倒的上位に立った人間がとんでもない歓待を受けることは、実力主義の視点からは間違ってない。
たとえばなんかの大会で1位の賞金が10億円で2~10位は10万円とかだったとしても、1位になった人が不当な利益を得ていると俺は思わないってことだ。
本当に実力がある人間なら、その界隈のあらゆる利益を独占してくれて大いに構わないよ。
なあ、この気持ち、お前らなら分かるだろ?
分かるよな?
分からない?
それは君が自分の心を捉えるために必要な肌感覚を磨いてないからだよ。
まずは太宰を読みなよ。
そして、彼の言葉のマネっ子でいいから自分の抱える苦悩を日記帳にでも書き殴ってみなよ。
お前は主観的だと言うが、それは反論ができないときの負け犬の遠吠えだ。
主観と決めつけるなら、その根拠となる客観的指標を出してみろ。こっちはすでにHaskellの利用率の低さ、学習コストの高さ、業界普及の事実を根拠にしている。
これが主観なら、もはや現実そのものが主観ってことになるな。なるほど、君の脳内では全世界が主観なんだろう。幸せそうで何よりだ。
「バカには限界がある」だと? ああ、確かにな。だがそれを言ってしまった瞬間、技術者としてのお前の敗北は確定してる。
道具とは本来、限界のある人間のために存在する。限界があるからこそ、拡張する。補う。つなぐ。そのためのインターフェースであり、そのための抽象化であり、そのための設計思想だ。
それを切り捨てて悦に入るのは、単なる設計放棄、いや、知性放尿だよ。
そう、知性を撒き散らすでもなく、ただ漏らしてるだけ。恍惚とした顔で無意識に小便垂らしてるのと同じだ。気づけ。臭いぞ。
技術はな、孤高の芸術じゃない。宗教でもない。人間が使うものだ。そして、人間というのはミスをするし、理解が遅いし、面倒くさがる。
だからそれに合わせてこそ価値が出る。お前が神にでもなったつもりで「バカにはわからん、それでいい」とか抜かすなら、もはやそれは技術者じゃない。ただの自慰に耽る言語放尿主義者だ。
そしてな、「賢いフリしても〜漏れてる」などという文句に論理性は一切ない。お前が漏らしてるのは反論じゃなくて放尿だ。
論理で来いって言ってんだよ。脳内でしか通じない印象論なら、日記帳にでも書いてろ。
馬鹿にわからない道具は、道具じゃない。ただのアクセサリーだ。
そしてアクセサリーは、現場じゃ役に立たない。お前がそれを美しいと思うのは構わんが、現実を動かす力はない。
つまり、お前の技術は、現場では無臭放尿以下の価値しかないってことだ。
まずまとめ
万博、事前に予習せずに行ったら、想定してた内容と違ってた。悪い意味ではないんだけどね。
自分は見知らぬ国について知りたいねワクワクと思ってたけど、自国の紹介をしていたのは半分くらいだったイメージ。残りは自国の目指す未来のイメージみたいな紹介をしていて、みててパッションは伝わるのだが、どんな国なのか伝わってこないな…という印象を受けた。つまり自分は博物館や展示会をイメージしてたんだけど、ちょっと違ったなという感じ。
あと、めちゃ並ぶから、対策はした方が良い。列に日陰がないので、帽子とかはあった方が良い。さらにだけじゃなくて、暇つぶし。スマホでもいいけど、文庫本持って行って正解だった。まぁ、こういうのは一人でいくんじゃなくて一緒に待ってても楽しめる相手と行くべきなんだろうけどね。。。。。。。
それと、トイレ問題はやっぱりある。想定よりはトイレの量が多いけど、でもやっぱり少々辛いかも。。。
総合評価としては、楽しかった。年パス買おうか悩んでる…ってところ
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さて、まず11時予約だったけど、色々あって11時40分頃に舞洲駅につく。そこから歩いて、45分には列に。11時入場列で空いてはいたけど、列は出来てて全然進まない。今日は涼しかったから良いけど、それでも窓無しでコンクリートの上で、ジリジリ焼かれる感じ。これ、夏場はコミケで東駐車場に並んだ時みたいになるだろうな。。大丈夫かな。。とか考える。
それで、リング、これが大きい。おぉおーってなった。いろいろいわれてたけどこれはすごい。。ってなった。
通り過ぎて、まずほとんど列に並ばなくて済む、フリー入場のコモンズってのにに入った。いろいろな国の展示を見て回った。南アメリカの国々とか、聞いたこともないような国もあって、はえーって勉強になった。
元々中東あたりの歴史に興味が強いので、イエメンの闇市みたいな店で交渉して買い物とかした。楽しかった。イスラエルにユダ王国の頃の岩があって、おぉーとなった。
その後、予約してたセルビアに行ったんだけど、遊びをテーマにした展示で、子供向けとまでは言わないけど、なんというか期待外れだった。ただ、セルビアのカフェのピタが美味しかった。ワイン飲もうと思ったけど、グラスワインがカリフォルニアワインで、セルビアのワインはボトルだけって言われてやめた。
その後お隣のウズベキスタン館に並んで入った。30分は並んだか。少し日焼けしたかなくらい。展示は正直微妙。
そのあと散歩して、別のコモンズを見に行く。パレスチナの展示をみて悲しくなる。モンゴルの展示をみて、あれだけ栄えてたモンゴルはどうしてこうなったんだ。。とか思う。モンゴル史の内容はよかったけど、今のモンゴルがどうなのかとかは知りたかったな。
その後予約してたクウェートへ。長蛇の列だったから予約してて良かった。内容はまぁまぁ。ちょっと子供向けかな。。という印象。ヘレニズム硬貨の紹介とかあったけど実物みたかったな。。とも思った。良いデザインのお土産かった。そうそう、お土産屋さんが入ってるパビリオンが多くて、旅行してる気分になれて良かったよ。
そしてぷらぷら歩いてたら、トルクメニスタン館が並んでたけど列がスムーズだったので入った。10分くらい。ここは当たり。面白かった。
その後ポルトガルへ。ここも15分くらい並んで入れた。自分の中でポルトガルって後ウマイヤ朝と大航海時代しかなかったから、海洋国家であるということをアピールしてて、おぉ〜こういう話がききたかったんだよ〜ってなった。かなりよかった。
それで、ポルトガル館でたのが17時頃だったんだけど、レストランがあって、列ができててなんとなく並んでみた。17時45分に入られた。ポルトガル料理とワインをいただいて、良かった。ポルトガル料理食べたことないからわかんないけど、味が日本ナイズされてなくて、調理場が見えてポルトガル人がちゃんと料理つくってて、おぉこれが本物かとなって、楽しかった。グラスワインもポルトガルワインだった。
暗くなると列が短くなってたので、バーレーンに入ってみたら、大当たり。こういう国の歴史とか特徴とか聞きたかったんだよ〜〜〜!!!ってなった。パンフレットもくれた。でもお土産は微妙だったので買わなかった。ごめんなさい
日が沈むと寒くなってくる。一枚羽織るの持ってきてて良かったとなる。
その後予約してたブルーオーシャンドームってのに行った。これ全然期待してなかったんだけど、非常によかった。終わったのが20時くらいで、この頃になると列がもうなくなってすぐに入られるようになっている。
歩いてて呼び込みしてたインドネシア入ったら良かった。インドネシアは文化とかを伝えてくる感じだったんだけど、あんまり詳しく説明はなく、これも博物館とは違うんだな。。となった
その後サウジアラビアに入った。今のサウジアラビアのことはわかりづらいのだけど、未来に向けて進むぞ!ってのがめちゃ伝わってきて、良かった。未来だね。
この時点で21時。外へ出るとドローンショーをやって、すげーってなった。パビリオンが閉まり始めて、帰るかとなった。お土産見ていきたいなと思ったんだけど、店も閉まり始めてるのと、いわゆる普通のお土産屋さんみたいなのがどこにあるのかわかんなくてそのまま帰り道へ。
東ゲートのところで年パスの割引券配ってたから並んで貰った。その後駅まであるく。列にはなっているが、止まることはなかった。ゲートから15分くらいで朝の埼京線みたいになった地下鉄に乗れた。
一番良かったのがバーレーン。ポルトガルも良かったけど、飯と酒補正が入ってる。
逆に、何なのコレ。。ってなったのがセルビアとウズベキスタン。
駄目なところとしては、チケットアプリの出来が悪すぎる。アプリでチケットが見られない。アプリから外部サイトにつながって、チケットを表示させる。これが二段階認証だけど、気づいたらログアウトされるから、何回もログインすることになる。サイトの表示も微妙で、どこからチケットが見られるのか何回開いても直感的にわからない。そして会場では当日チケットを申し込めるんだが、どこが何時にあいてるのかとかがぱっとわからない。
わちきは高校生のときからメンタル不調で、いちばんやばかった時期は異常なほどの孤独感と焦燥感がつねに頭から離れず、微熱が2、3ヶ月ほどつづき、食欲はなく、寝ることも起きることつらくて、ただ存在してるだけでつらいみたいなかんじだった。もしかしたら鬱病とか自律神経失調症とかいうやつだったのかもしれん。そんなメンタル不調のときにしてたいくつかの習慣について書いていく。
「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」とか考えてた。でもこういうことをじっくり考えると気分が悪くなる。たとえば「意識とは何か?」という疑問について考えるとする。てはじめに自分の意識というものを観察してみる。自分の内側に注意を向けてみる。でもそこにはなにも見つからない。観察前は自分という「かたまり」がどこかにあるはずだと直感的に信じていたけど、観察後にはそのようなものはどこにも見当たらないことに気がつく。その事実を頭ではなく体で理解したとき、まるで真っ暗な真空空間になげごれたみたいな恐怖感をおぼえる。「自分とはなんなのか」「そもそもこの世界ってなんで存在してるんだ」みたいな「存在に対する疑問」がうまれてやがて死ぬ。
人生がうまくいかない原因は自分のパーソナリティにあるんじゃあないかとおもい心理学を学んでた。フロイトとかカール・ロジャースとか加藤諦三などの本を読んだ。心理学では無意識に抑圧されたトラウマ(幼少期の親との関係など)が現在起きているさまざまなトラブルの原因だと説明されることがよくある。わちきはトラウマを克服する方法をいくつか試した。すると一時的に気持ちが軽くなることもあるが、たいていはすぐ元にもどった。
エッセイを読んでた。たとえば又吉直樹のエッセイ「東京百景」を読んだことがある。暗い人間の陰鬱とした日々みたいのが書かれてて、暗い人間であるわちきはとても共感し、ページをめくる手がとまらなかった。ところが読み終わったあとの気分はあまりいいものじゃあなかった。ネガティブなエッセイを読んだあとというのは「やっぱり生きることはつらいことなんだ」という価値観がより強固になるだけで、「気持ちが晴れわたる」「将来に希望をいだく」みたいなことはおきない。そういえば又吉が「言葉は事物を確定させる作用がある。書いたり話した言葉は、タトューのように体にきざまれる」と書いていたけれど、わちきもそう思う。ところで本に書かれている文章ってSNSやブログに書かれている文章と違ってなんか普遍的かつ絶対的な真実という印象をうけてしまうのだがなぜだろう。
哲学や心理学やエッセイのほかにもいろいろな本を読んだ。本のなかには共感する文章とか役立つ文章があり、それらを読むと勇気が湧いたり心の傷が癒やされたりした。本は人生をよりよくするものだと信じていた。家庭や仕事でつらいことがあると本を読んだ。本が精神安定剤のような役割をしてた。
「その日あった嫌なこと」「いまかかえている人生の問題とその解決策」「幸せになるためにするべきこ」などを日記に書いていた。そうすることで明日以降にやるべきTodoリストをつくることができた。日記を書くことは、人生の問題を効率的に解決するために役立つと信じていた。
「幸せになるにはどうすればいいか」ということを真剣に考えた結果、ネガティブコンテンツから離れることが必要不可欠だと考えるようになった。ネガティブコンテンツとは「触れたあとに気分が晴れないコンテンツ」のことである。ネガティブコンテンツに該当するものは哲学とか心理学とか暗いエッセイなどだ。これらは共感するけども「生きるのつらいよね」で止まってしまい希望が持てない。家にあったそれらの本はすべて捨てた。だが本当にお気に入りの本は捨てられず、視界に映らないクローゼットの中にしまいこんだ。くわえて日記を書くこともやめる事にした。日記を書くことで過去のつらい出来事を掘り起こして再体験したり、必要以上に将来について考えて不安を感じることになると考えたからだ。たしかに日記はやらなければいけないことを洗い出せる。だがそれはやらなければいけないことが常に頭の片隅にあるということでもある。わちきはそれがストレスだった。
かくしてわちきはネガティブコンテンツから離れる事に。最初は気持ちが落ち着かなかった。哲学することや本を読むことは、不安から意識をそらせて苦痛を低減させる効果があったのだろう。読書はある種の依存症だったのかもしれない。わちきは気分転換がてら新しい趣味をはじめることにした。まずコロコロコミックを小学生ぶりに買って読んでみた。いまだにフルカラーのページを見るとワクワクする。あと恋愛系の漫画を読んでみた。「不思議の国のアリス」とか「推しに甘噛み」とか。あとアニメをたくさん観た。「Aria」とか「スペース・ダンディ」とか。アニメはいつも「悲しいことがおきない物語」または「悲しいことがギャグとして消化される物語」を選んだ。悲しいことをみると気分が落ち込むので。あと3DSを買ってエクストルーパーズとかダンボール戦機をプレイした。小学生の時に遊びたかったけどしたお金がなくて買えなかったゲーム。まあこんなかんじの日々を数ヶ月すごした。んでさまざまな変化があらわれた。
だんだん哲学について考えないようになった。そして哲学なんてどうでもいいと感じるようになった。いま哲学の本を読むと「あほくさ」という印象がある。言葉という虚構をつかったただの論理ゲームで、現実に地に足がついていないというか。ところで、「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」みたいな疑問にたいする答えを仮に「真実」と呼ぶとすれば……真実がわかったところでわちきたちの生活はどのように変わるのだろうか。きっと何も変わらないんだろう。もしも科学技術がめちゃくちゃ発展して、これらの真実がわかったとしても、わちきたち人間の生活になんの影響もおよぼさない。「朝にパンを食べる」「風呂に浸かる」などの動作にはなんの変化もおきなくて、わちきたちはただ生きるだけだ。わちきのなかで哲学的な疑問は解決された。それは真実わかったからではなく、真実をわかる必要性がなくなったからだ。そういえばカーネギーの本「道を開ける」に「人は人生をわかるために生まれてきたのではなく、生きるために生まれてきた」みたいなことが書いてあったが、わちきもそう思う。理屈でなく直感でそう思う。
心理学には意識と無意識という概念があるけども、本当にそんなものはあるのか?心の中に意識という空間と、無意識という空間がある……みたいな認識をわちきはもっていたのだが、いまになるとそんなわけあるかと思う。あと現在の問題の原因が過去のトラウマだというのも疑っている。「数十年まえの出来事」と「いま感じていること」にそこまで強い因果関係が本当にあるのか?「意識と無意識があって、トラウマを処理したないと……」っていう話は言葉のうえではきれいにまとまっているけど、現実は本当にそうなのだろうか?
わちきは論理的な文章が好きだった。たとえば主語・副詞・動詞の順番はいつも同じにするとか、ルールががっちりと決まっている数学のような文章が好きだった。でもそうやって書いた自分の文章を読むと、「自分らしくない」という妙な違和感があった。自分の文章に納得できなかった。そこで思い切って自由に文章を書いてみることにした。小学生の日記帳みたいに文法や単語はぐちゃぐちゃでいいから、おもいついた言葉をなんの加工もせずにただ吐き出していく。最初はただそれだけの作業が難しかった。どうしても修正したくなった。でも次第になれた。そしてわちきの意思は「もっともっと自由に書く!」という方向に進んだ。読んだときにわかりやすい文じゃなくて書くときに気持ちいい文を書きたい。わかりやさは大事だけど、言葉ってのは相手のためだけでなく自分のためのものでもあるんじゃあないか。この意識の変化は話すときにも影響をあたえた。これまでわちきは話すときにも書き言葉を使っていたけど、だんだんとその傾向はなくなった。結局、人はありのままの自分で生きるしかないのだなと。わちきは自分をすごい人だと相手におもってほしかった。実際以上の自分の能力を相手に植え付けようとしていた。でもそれは最悪の試みだった。この試みをして、仮に成功した場合、その高いイメージを保たなければならないプレッシャーに苛まれることになるし、失敗した場合、恥ずかしくて死にたくなる。つまり「自分を賢く見せたい」という試みは、成功しても失敗しても、その先に楽しい未来は待っていない。
さっき「本当にお気に入りの本は捨てずにクローゼットにしまった」と書いたけど、いまではそれらの本もすべて捨てることができた。もう魅力を感じなくなった。いまはメンタルがめちゃくちゃ回復してる。家庭や仕事で嫌なこともあるけど以前に比べたらめちゃうまくいってる。人生でもっとも暗い時期から抜け出したと思ってる。それができた要因の一つにネガティブコンテンツから離れたことがあると思う。ネガティブコンテンツから離れるのは容易いことではない。ネガティブコンテンツにはDIOのような不思議な魅力がある。だがぜひ離れることに挑戦してみてほしい。アリーヴェデルチ。
生成AIの回答だけペタペタしてるの
BT_BOMBERプーチンのやり口だと素直に降伏しても国民の生命・財産が保障されるとは思えない。だからこそウクライナは必死に抵抗してきたわけだけど、AIの出力ではこの点考慮されてないのでは?
nzjvugjjk 生成AIの結果添付してるけどリクエスト/プロンプトとセットでなければアンフェアだぞw
fonigiriAIに味方してもらうことほど情けないこともないw
tuuzそもそもウクライナ国民が停戦を望んでいないし、生成AIから出てきた文章を御神託みたいに扱うのも意味がわからない。
ya--mada 生成AIの回答を掲出するなら、プロンプトも併せて載せないと何の評価にもならん。
ina6ra 生成AIへのプロンプトを知りたい。増田の回答なら「ウクライナは妥協した方が良いですよね?」と自分が言ってほしい結論ありきで質問してそう
kz78AIが書いた文章をコピペしてなんか言った気になってるやつは頭が悪い。
eagle2017 あまり頭が良くなく自分に自信がないから、無意味な生成AIのコピペで威を借ろうとする(それが馬鹿の印とも気づかず)。日本が侵略されたときは強国の主張全部飲み込んで増田の故郷をロシアに譲り渡すんですね
yahenAIの見解載せてるのがクソだせえな。自分が勝手に書いてるのに自信ないんか。だったら日記帳にでも書いとけ
chgmep増田の考えとは違う人がいるのはなぜか生成AIで聞いてみたら
hazardprofile 生成AIの回答だけはっても主張の強化にはならないんだよ坊や