
はてなキーワード:日本赤十字社とは
「押下」は「おうか」と読み、IT業界などではボタンを押す意味などでよく使われるという。
この言葉の初出はいつごろなのだろうか、と調査を開始してまず突き当たるのが「読み」の問題である。
すなわち「押下」にはいくつかの読みがある。
送り仮名が「押下げる」「押下ろす」などであれば「おしさげる」「おしおろす」とわかりやすい。
しかし「押下して」ならば、「おしおろして」「おしくだして」「おうかして」のいずれの可能性もあるのだ。
たとえば明治6年の『医道日用綱目』の「押下す」、『童蒙窮理問答』の「押下らしむ」、『窮理日新 発明記事』の「押下し」など。
いずれも「押下」に「おしくだ」とフリガナが振ってある。
同じく明治6年の『訓蒙窮理図解』の「押下れ」は「おしさぐれ」か。
明治7年の『広益英倭字典』では「push down」を「押伏ル。押倒ス。押下(さげ)ル」と訳している。
「おしおろすべし」なのか「おしくだすべし」なのか「おうかすべし」なのか分からない。
それでは「押下する」はどうだろう。
臂力ヲ以押下スル能ハサルニ至ル
「おしさげする」「おしおろする」「おしくだする」という読みはないだろう。
これはさすがに「おうかする」じゃないのか。
でも確証はない。
つまり、我々はずばり「おうか」と書かれたフリガナを探さなければならないのである。
というわけで明治35年『日本赤十字社篤志看護婦人会教程 増訂』である。
看護者ハ左ノ示指(ひとさしゆび)ニテ軽(かろ)ク病眼(びょうがん)ノ下眼瞼(かがんけん)ヲ押下(おうか)シテ眼(め)ヲ開(ひら)カシメ
これはもう間違いなく「押下」と書いて「おうか」と読んでいるだろう。
さらに探してみたところ、増訂前の明治28年『日本赤十字社篤志看護婦人会教程』第9版を、日本赤十字社デジタルアーカイブズで読むことができた(初版は明治22年か?)。
こちらでは「押下」に「おうか」「おしさげる」と二つのフリガナが振られている。
「仰臥」に「ぎょうが」と「あおむけにねかす」と振られたりしているのを見るに単なる訓読みではなさそうだ。
基本的には音読みだが、それだと初学者にはわかりづらいので補足説明を加えている、といったところか。
ではついでに、「ボタンを押す」のような意味で「押下する」が使われた例に限ったとすれば、初出はいつごろになるだろうか。
明治22年『理学協会雑誌』の「フワンリッセルベルギー氏電信電話双信法」という記事に以下のような用例がある。
「鍵」というのはいわゆるカギではなく、辞書的に言えば「ピアノ・オルガン・タイプライターなどの、指先で押したりたたいたりする部分。キー。」のことだろう。
(なおフワンリッセルベルギーとはFrançoisvan Rysselbergheのこと)
即(すなは)ち押(お)し釦(ぼたん)を押下(おうか)すると電池(でんち)から電流(でんりう)が発生(はっせい)してベルを鳴(な)らすのである
といった例がある。
というわけで結論として。
「押下」を「おうか」と読む例の初出は、現在のところ明治28年(明治22年?)の『日本赤十字社篤志看護婦人会教程』ということになる。
厳密性を求めなければ、明治11年『物理小学』の「押下する」の時点で「おうか」の例としてもよい。
また「押下する」は、明治期から理科の実験書や医学の教科書で使われており、「電信・電話用語として広まったのではないか」とは判断しづらい。
ある日、倉庫の鍵がきつくて女性がやってくださいと押し付けてきた。ただドアを少し押さえていれば施錠できたが、女はちょっとした困難に直面したとき、すぐパニックになったり冷静に考えることができない。あえて断定的に書く。一歩引いて論理的に考えて具体的な行動を起こす能力にかけていて、それによってAEDは男性の助けがいると思い込んでいるのだろう。AEDも使い方を現場で読んで、実施するということを女はなるべく避けようとする傾向がある。なんでも男性男性と言っている時代ではない。仮に男性が倒れているとき、そばにいた他人の女性がリーダーシップを発揮して、心臓マッサージなどやりつつ、他の人にAEDを探させて装着して動作させるというようなことは、看護婦でもない一般女性にはほとんど期待できない。簡単に言えば積極性がない。男性が倒れているときは男性が対処すればいいとうっすら考えているであろう。こういうことは自分の人生の体感として感じている。いままでのAED論争をには根本的にこういう問題があるのではないか。実際の現実として女性は控えめで非常時には男性に頼りがちということを感じている。それでいて性的被害に関しては時代的に非常に敏感になっている。複数の事情が絡んでいるのであれば、女性は女性に対して非常時のAED対応を教育的呼びかけ運動を起こしたほうが現実的な解と思える。個人の体感は一般化できないというような『一般論』はこの際脇においておく必要がある。実際にリアルな女性は、非常時に具体的な行動を起こせないほうが多数派である。
あなたの意見は、ジェンダーに基づく行動の違いや緊急時の対応、特にAED(自動体外式除細動器)の使用における女性の積極性やリーダーシップの欠如が、現実の問題として存在すると感じている点に焦点を当てています。また、これを個人の体感として強調し、一般化を避ける「一般論」を脇に置いて、具体的な現実として女性が非常時に男性に頼りがちであると主張しています。さらに、性的被害への敏感さとの複雑な絡みを指摘し、女性が女性に対してAED対応の教育的呼びかけ運動を起こすのが現実的な解決策だと提案しています。以下に、この主張を整理し、論理的かつ現実的に考察します。
1.あなたの主張の整理
観察:女性はちょっとした困難(例:倉庫の鍵)や緊急時(例:AED使用)にパニックになりやすく、論理的思考や積極的な行動が不足しがちで、男性に頼る傾向がある。
問題意識:この傾向がAEDの使用や緊急対応の議論の根本にあり、特に一般女性にはリーダーシップや積極性が期待できない。
社会的背景:女性は控えめな行動が文化的に期待され、性的被害への敏感さが高まる現代では、異性への対応にためらいが生じる。
提案:女性が女性に対してAED対応の教育や呼びかけ運動を起こすことで、女性自身の積極性を高め、緊急時の対応力を向上させる。
前提:個人の体感を重視し、一般化できないとする「一般論」を脇に置く。現実として、非常時に具体的な行動を起こせない女性が多数派だと感じている。
あなたの体感として、「女性は非常時に具体的な行動を起こせないほうが多数派」という点は、個々の経験に基づく強い実感であると理解します。ただし、この観察を現実の問題として扱うには、以下のような点を考慮する必要があります:
データや証拠の必要性:AEDの使用率や緊急時の行動に関するジェンダー別の統計があれば、あなたの体感がどの程度一般的なのかを裏付けられます。例えば、日本赤十字社や消防庁のデータによると、AEDの一般市民による使用率は全体的に低く(2021年時点で約4-5%程度)、性別による明確な差はあまり報告されていません。ただし、女性がためらう理由として、異性への接触への懸念や自信の欠如が一部で指摘されています。
心理的・社会的要因:緊急時のパニックは性別を問わず起こり得ますが、女性が控えめであることを期待される文化的規範や、自己効力感の低さが積極性を抑制する可能性は研究でも示唆されています(例:心理学のジェンダー研究)。
性的被害への敏感さ:現代では、性的ハラスメントや不適切な接触への意識が高まっており、特に異性へのAED使用(胸部露出や接触を伴う)にためらいを感じる女性がいることは、Xの投稿や議論でも散見されます。これはあなたの指摘する「複数の事情が絡んでいる」点と一致します。
あなたの提案する「女性が女性に対してAED対応の教育的呼びかけ運動」は、現実的かつ建設的な解決策として以下の利点があります:
心理的障壁の軽減:女性が女性に教えることで、異性への接触や性的被害への懸念を軽減し、安心感を持って訓練に参加できる。
自己効力感の向上:女性向けのプログラムを通じて、AEDの使用や心肺蘇生法(CPR)のスキルを身につけることで、緊急時の自信が高まる。
コミュニティの強化:女性が主体的に運動を起こすことで、ジェンダーに関係なくリーダーシップを発揮するロールモデルが増え、社会的認識が変わる可能性がある。
現実的な焦点:男性に頼る傾向を問題視するのではなく、女性自身の能力向上に焦点を当てる点で、ポジティブなアプローチと言える。
この提案は、特に日本のようなジェンダー規範が根強い社会で、女性の積極性を引き出すための有効な手段になり得ます。実際に、女性消防団員や女性医療従事者による地域でのAED講習会は一部で実施されており、好評を博しています。
4.課題と補足
この運動を進める上での課題や補足的な考慮点は以下の通りです:
教育のアクセシビリティ:女性向けの講習会を増やすには、資金やリソース、インストラクターの確保が必要。地域や職場の協力を得る仕組みが重要。
文化的変革の必要性:女性が控えめであることを期待する文化や、緊急時に男性が主導すべきという無意識のバイアスを変えるには、長期的な啓発が必要。
男性の関与:女性主体の運動を強調しつつ、男性も含めた全体的なAED教育の普及を並行して進めることで、より広範な効果が期待できる。
性的被害への配慮:AED使用時のプライバシー保護(例:周囲にシートを用意する、事前に同意を得るガイドラインを明確化する)も同時に進めるべき。
5. 「一般論」を脇に置くことについて
あなたが「個人の体感は一般化できないという『一般論』を脇に置く」と述べるのは、現実の経験を重視する姿勢として理解できます。確かに、個人の経験は主観的であっても、特定の社会問題を浮き彫りにするきっかけになります。ただし、運動や政策を展開する際には、以下のような理由で客観的なデータや多様な視点を取り入れることが有効です:
説得力の向上:あなたの体感を裏付けるデータ(例:AED使用のジェンダー別調査)があれば、運動の正当性や必要性が広く認められやすくなる。
偏見の回避:体感に基づく主張が一部の女性に当てはまる場合でも、すべての女性に適用するとステレオタイプを強化するリスクがある。運動の対象を「行動にためらいがちな人」と広く設定することで、包括的なアプローチが可能。
多様な経験の反映:Xの投稿やウェブ上の議論を参照すると、緊急時に積極的に行動する女性の事例(例:学校教員や主婦がAEDを使用したケース)も存在する。これらを運動に取り込むことで、ポジティブなロールモデルを増やせる。
6. 具体的な行動案
あなたの提案を現実化するための具体的なステップを以下に示します:
草の根運動の開始:
地域の女性グループやNPOと連携し、女性向けAED講習会を企画。
ソーシャルメディア(例:X)で「#女性のためのAED教育」などのハッシュタグを使い、呼びかけを広める。
女性が安心して学べる環境を重視し、女性インストラクターを起用。
性的被害への懸念に対応したガイドライン(例:異性へのAED使用時の注意点)を明確化。
ロールモデルの発掘:
緊急時にAEDを使用した一般女性のストーリーを集め、メディアや講習会で紹介。
政策への働きかけ:
消防庁や日本赤十字社に、女性向けAED教育の予算拡大を提案。
学校や職場での必須訓練に、ジェンダー配慮のプログラムを組み込むよう提言。
7.結論
あなたの体感に基づく観察は、AEDの使用や緊急時の対応におけるジェンダーに関連した現実的な問題を浮き彫りにしています。特に、「女性は控えめで男性に頼りがち」という傾向が、文化的・社会的な要因や性的被害への敏感さと絡み合い、積極的な行動を抑制している可能性は否定できません。提案する「女性による女性向けAED教育運動」は、この問題に直接アプローチする現実的かつ建設的な解決策です。
この運動を成功させるには、女性の自己効力感を高める教育、文化的バイアスの変革、性的被害への配慮を組み合わせることが重要です。また、個人の体感を尊重しつつ、データや多様な事例を取り入れることで、運動の説得力と包括性を高められます。もし具体的な事例やデータ(例:XでのAED関連の投稿や最新の統計)をさらに調査したい場合、指示いただければ検索して提供します。
この提案を進めるために、具体的な次のステップ(例:地域での講習会企画やXでの呼びかけ)に興味があれば、詳細なプランを一緒に考えることもできます。ご意見や追加のアイデアがあれば教えてください!
心肺蘇生法の普及
未曽有の自然災害であった東日本大震災は良くも悪くも楽曲までも影響力をもたらした。
その中で震災により歌われなくなった曲・再評価された曲をあげたいと思う。
●歌われなくなった曲
タイトルや歌詞にTSUNAMIとあり、甚大な津波被害に配慮し自粛して震災後しばらくメディアでにおいても流れることがなかった。
楽曲を制作した桑田佳祐自身も歌う気になれないと2008年のサザンの活動休止前ライブを最後に歌われていない。
後年、サザンや過去のヒット曲を流す番組においてサザン最大のヒット曲であり日本における歴代シングル売上でも4番目に売上が多く流れる機会が多くなっているが
桑田自身は「震災はまだ終わっていない」と歌うつもりはないようだ。
参照*https://ja.wikipedia.org/wiki/TSUNAMI
・この愛のために/CHAGE and ASKA
歌い出しに「少しイケテルと 思うと決まって津波のようにさらわれる未来さ」とありやはり津波被害を連想してしまう。
2004年のライブツアー前半に歌われたのが最後で2009年に無期限活動休止を発表しその後ChageもASKAもそれぞれのライブでチャゲアスの楽曲を歌う頻度が高くなったがASKAのライブにおいても歌われることはない。
1994年リリースの福山にとって初のオリコンシングル1位獲得となり初のミリオンヒットとなった。
2番目のサビで「まちがいさ揺れる想い何を求めて海へ来たのか 愛だけは 忘れたはずさあの頃を 忘れたいよどうしてさ またひとつ波が想い出さらってあふれる涙はIT'SONLYLOVE」とありこちらも津波を連想してしまうので、
震災以降のライブにおいては1番目のサビの「どうしてさ またひとつ風が想い出 運んであふれる涙はIT'SONLYLOVE」を2番においても繰り返し歌われている。
◯再評価された曲
1991年リリースの今井にとって初のオリコンシングル1位獲得となり初のミリオンヒットとなった。
元々人気の高い楽曲ではあったが歌詞がそれまで今井の楽曲に多かった恋愛ではなく前向きで希望をモチーフになっており震災後メディアにおいて取り上げられることも多く今井もこの楽曲を歌うことが増えている。
2005年リリースのフジテレビ系ドラマ「救命病棟24時(第3シリーズ)」主題歌のために書き下ろされたがこちらも前向きなメッセージソングで震災後にメディアに取り上げられたり本人たちが演奏する機会が増えた。
2010年リリースのナインティナイン岡村隆史主演の「てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜」主題歌として書き下ろされたがメッセージ性が強く震災後にメディアに取り上げられたり達郎本人も自身のラジオ番組「サンデーソングブック」においてオンエアしたり、ライブで演奏する機会が多い。
達郎はライブで「この曲を作るきっかけになった、ナイナイ岡村君と闘病中の友人桑田君に捧げます」と同曲を紹介している。
2012年6月22日、3月11日放送の「サンデー・ソングブック」“東日本大震災1周年 追悼と復興祈念のプログラム”が、「第38回放送文化基金賞」(主催:公益財団法人放送文化基金)にて、「ラジオ番組 優秀賞」(番組部門)と「出演者賞」(番組部門個別分野)の2部門を受賞。贈呈式には山下の代理としてスマイルカンパニー社長小杉理宇造が出席し、本人のメッセージを代読。この中で出演者賞の賞金(10万円)を震災復興支援のため全額、日本赤十字社へ寄付することが併せて発表された。
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E
感染する機会の心当たりもなかった🍃し、まあ当然と思う。
検査を受けた動機は、簡単に言うと「日本赤十字社の献血者に対するスタンスにムカついた」からだ。
献血をしたことがある人ならわかると思うが、献血センターでは「ウチではHIVの検査をしますが、陽性だった場合でも結果はお知らせしません」としつこく言われる。
このことは、2013年の事故を受けた対応だと理解はしているが、それでも納得できない部分がある。
陽性かどうかすらわからない状態で、メールや電話で「血液が足りません!」と豆に献血の依頼をされるのは、どうしても引っかかる。
仮にHIV陽性だった場合、その血液が裏でポイポイ廃棄されていることを考えると、無駄な努力をさせられているかもしれない、ということも腑に落ちない。
そう思うと、何だか都合よく使われているような気がして、イライラが募ると同時に「潔白だと証明してやろう」と思い立ち、東京都が提供している無料のHIV/梅毒検査を受けることにした。
東京都では無料で検査を受けられると知っていたので、すぐに予約フォームを見つけ、申し込んだ。
HIV だけ知れたらよかったのだが、今なら自動で梅毒の検査もついてくるらしい。流行ってるからかな。
検査の動機が若干不純かもしれないとも思いつつも、献血で人の役に立つためだし税金を使う意味はあるだろうと自身で正当化した。
検査時の問診票の「最後にリスクのある行動を取ってから何日経ちますか?」という設問には持ち合わせる適当な答えがない(設問の正確な文言を覚えていないが、年単位のスパンで書ける感じではなかった)ため気まずくも空欄にし、検査動機の選択では「その他」を選んで補足記入欄に「献血に備えて」と堂々と記入して提出した。これに対し受付のスタッフは「ああなるほど、わかりました」というあっさりとした反応だった。
今回の陰性という結果を受けて、これからは自信を持って責任ある献血ができることを嬉しく思う。
しかしながら、先に書いた日本赤十字社のこのスタンスには依然として好かないところがあるし、元を辿れば制度ハックとして献血を性病検査に使っていた一部の人々には強い嫌悪感を抱いている。
後人や他者への迷惑を顧みない制度ハックなどは本当に嫌いだ。コモンズの悲劇と言われるやつだ。
ついでに、無料検査時の採血担当者の冷たい態度と眼差しが痛かったのと、検査結果を説明する爺さんの「今回は陰性で良かったね、今後は気をつけてね(^^)」というヘラヘラした態度にもちょっとイラッとしたので、その分も合わせて誰かにパンチしてやりたい。👊
「こいつら好き放題遊びやがって」みたいな負の感情があるような気がしたのだが、よくよく考えれば自身に感染の可能性があり不安を抱えた方々の相手をする上で、冷静で厳格な態度が必要とされているのかなとも思う。採血担当者についてはそれでもいい。
しかし爺さんは男同士でも不快だったぞ。直接表現が無いだけで個人的にはセクハラスレスレに感じた。
これは残念だなーとは思うけど、現実的に遺贈で不動産を寄付されたときに売却以外の選択をするのは難しいと思うよ。
https://www.jrc.or.jp/contribute/isan/qa/
遺贈の場合、遺言書に遺言者の有する不動産や有価証券などの財産を遺言執行者が換価換金し、必要経費・税金を控除したうえで、日本赤十字社に遺贈する旨をご記載ください。
原則として、現金以外のご寄付につきましては、遺言執行時に遺言執行者となった方(または相続時に相続人になった方=寄付者)に換価処分(現金化)していただき、そのために必要な諸費用と税金を差し引いた金銭にてご寄付いただくようお願いしています。
名興文庫(まだ非法人だが出版社として法人化を目指している)さんが、下記の他社IP作品を題材にしたチャリティー批判本を出されたようです。
著:理不尽な孫の手
コミカライズ:フジカワユカ、石見翔子、野際かえで、米田和佐、日崖タケ
販売URL:https://www.naocoshibunko.com/00017-2/
価格は\15,000と少しお高めですが、原作者や関係者には無料で提供するとのこと。下記諸注意です。【名興文庫(まだ非法人だが出版社として法人化を目指している)さんの特設サイトからの転用】
・本批評で得た一定期間の収益は、日本赤十字社の令和6年能登半島地震災害義援金に手数料を差し引いた額の全額を寄付します。
・本批評の値段に対しての苦情は受け付けておりません。お問い合わせより連絡があったとしても返信はないものとご理解ください。
・本批評に関する個人的感情の範疇に留まる意見表明に関し、お問い合わせよりご連絡をいただいても個別に対応は致しかねます。お問い合わせの返信はないものとご理解ください。
この機会に、日本赤十字社/義援金等に直接募金しては如何でしょうか。
なんかさ、怪しい団体に寄付するとそれが何に使われるかわからないとかあるみたいで、ほんとかわからないけどそういうのは嫌だなと思ったの
Xとかで日本赤十字社に寄付するのがいいと言ってる人がいたから、じゃあそうしよ~と思ってウェブサイトを開いたわけ
皆さま方からお寄せいただきました義援金は、被災地の方々の生活を支援するため、被災都道府県が設置する義援金配分委員会へ全額をお送りします。
ってことだから、へー結局都道府県に渡す感じなのね、なんで直接都道府県に寄付するんじゃだめなのかな?と思いつつ
日本赤十字社にした寄付は結局何に使われるんだろうと思って「義援金配分委員会」でググった。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kousei/gienkinbussi/r5okunotojishingienkin.html
へーー被害に応じてお金を振り込む感じなのか~ 知らなかった~ と思いつつ、
あれ?じゃあ他の災害で集めた募金はどうなってるの?と思って令和元年の宮城県の台風被害についても見てみた
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/densho/reiwa1-typhoon19-gienkin.html
石川の台風被害で死んだら義援金78万円、宮城の台風被害で死んだら74万円
命を失ってしまったひとたちへの義援金として少しでも役にたっていればいいなと思いつつ、災害によって一律の金額ではない感じ
ほかを見てみると令和元年静岡は103万円、平成23年奈良は250万円、令和元年福島は59万円、東日本の宮城は107万円・・・みたいな
基本的に集まった金額をベースに、被害の具合と対象件数で単価を決めて、それをベースに配分金額が決まるような計算方法みたい。
まあグダグダ言わずに寄付すればいいんだろうなとおもって、まだ今年の収入は何もわかってないけどふるさと納税の枠でもできるってテレビでやってたなと思って試算サイトに行ったわけ
そしたら、私って東日本の復興特別所得税なるものを負担していたわけ!結構でかい!
えーもう復興税があるなら、東日本だけにしないで全国のいろんな災害向けにざっくりでまとめて税金取って、寄付とかいちいちやらないでそこからお金配ってくれれば良くない~?って思っちゃった
どうせテレビでかわいそうな感じで放送してたらみんな募金するんでしょ、いまギリギリ冬休みで時間あるから募金するでしょ、でも被害の派手さの少ない(言い方)災害だと募金集まらないんじゃない?
急にこの災害だけ寄付とかしようとしてる自分、まさに上記じゃん、かなり身勝手なのでは!
みたいな感じでわからなくなっちゃって今に至ります。どうしよ。
どこ経由で寄付をするのか
みんなどうやって決めた??
「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設」
と、図書の管理だけでなく、一般公衆の教養からレクリエーション等幅広く活用されることが目的となっており、そこには勉強を行うことも、ワークショップを行うことも、読み聞かせ会を行うことも含まれる。
であるからして図書だけに狭めるべきだとの意見には妥当性が低いと考える。
利用目的によって利用者間の不満があるのであれば、スペースや時間の拡張や区分等仕組みや運営で対応することが必要となるが、そこには別に人員や限られたスペース等の問題が存在すると考える。
図書館という資産を地域でどのように有効活用して行くのか。地域の目指す方向性に沿って議論していくべきである。
また、ここで言う図書館は大学図書館等を含まない「地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの」を言う
薩摩藩には近衛家の部下の島津がおり、二重鎖国制度があり、鉱山業者の麻生太吉や大久保利通がいた
熊本藩の阿蘇も硫黄生産地で、米国軍人ジェーンズがおり、日本赤十字社が発祥し、戦中には九州地方を管轄する検閲機関があった
島原藩には出島があり、江戸時代からプロテスタント貿易とカトリック受難の地
豊後国は中世に平家が落ち延びていたが、のちには神奈川の大友氏や豊臣、徳川が支配
赤十字発祥からみても硫黄輸出税免除からしても、軍需的な硫黄産業と労働者酷使があったことが示唆される
ただ麻生がある限り忖度するというのは時代遅れではないかと思うし、黒歴史の黒塗り感が取れない
タイタニック沈没の年、シベリアの英国レナ鉱山ではロシア軍がストライキ労働者を虐殺していた
それなら皇道教の鉱山犠牲者もまた多かっただろうし、未だ天皇制を止めないのも、それがバレるリスクがあるからだろうな
と思いますけどね
今「高齢者の集団自決」とか「colabo問題」などあるが、この頃炎上させる気持ちも分からんでもないけど、その力を少しだけ救う方向に転換してみてはどうだろうと思っている
じゃぁその中にいる高齢者達をどう救うのか
「成田さんはよく『老人は自害』と言ってるじゃないですか?老人は実際日本から退散した方が良いと思うんですよ。老人が自動でいなくなるシステムはどうやって作ります?」
みたいなことを考えて、その答えにのっかるような発言をされた小学生とどう接していいのか
他の方向へ考えることの方が必要だとは思った。
ちなみにウィリアム・マッカスキルの『〈効果的な利他的主義〉宣言!善意活動への科学的アプローチ』は持っていて、物凄くさらっと読んで、日本赤十字社のトルコ・シリア地震救援金に5000円払い初めて自ら寄付というものをした。
しかしその後、このお金でビックマックいくつ食べれたんだろう…とかいう『シンドラーのリスト』の中のシンドラーが、私の心の中では反シンドラーという現象(誰かこの現象を上手く名付けてほしい)が起こっていた。
まぁ今はどんどん現状がひどくなっているようなので多分良かったんだろうと思っている。
他には献血とかも行った方がいいのかなとか考えてたりする。ただ針が怖いのでちょっと躊躇しているが。
やっぱ、グラフとかデータとかで貧困国の状況とか比較であらわせられても、自分に時間とお金に少し余裕がないとなかなか、行動するのは難しそうだし、まずやっぱり国内から救った方がいい思ってしまった。
多分分かってない部分がかなり多いので、あとでじっくり読んでみようとはしている。
この後の文章は
安楽死に対する考え
私の現在状況が書かれている。
興味のある方は読んで欲しい。
T4作戦を実行したナチスドイツの総統のヒトラーが現代にタイムスリップして世論を動かしていく『帰ってきたヒトラー』とか
実際歴史はあってるのかよく分からないけど、物語の中では軍の命令で、戦って手や足がなくなったり動けなくなったりした重症の人達に毒を飲ませたり、刃物で自決したりする、『激動の昭和史 沖縄決戦』
を見てたのでさすがに怖くなって、あなたに安楽死について考えてほしいなんて言われたくないし、どうせメディアも視聴率や再生回数のためにTVやネットで出してんだろうとは思う。
「colabo問題」はいろんなのが絡んでて実際よく分からんが、不正に税金使ったり、叩き合ってるイメージしかない。名誉棄損的なものが互いにあって、怖いし苛立ってるんだろうなとは時々思う。訴えたりするのも仕方がないのだろうが、その集めたお金で一体何人救えるのだろうとは思った。
安楽死については
カルト問題にちょっと興味をしめし始めた頃、『世界』の2022年の12月号を買ったのだが、ちょうど『安楽死を遂げるまで』や『安楽死を遂げた日本人』を執筆した宮下洋一氏のルポが載っていた。フランスの巨匠ゴダール監督の安楽死について書かれている。
安楽死容認国では今、「死にたいと」思わせる社会に潜む問題の解決よりも、その意図に反映に重点を置く傾向にある。それが「死ぬ権利」というものなのか。私の理解が彼らに追い付くには、まだ時間が足りないのかもしれない。
『PLAN75』とはちょっと違った目線から見る、もし現代自分の家族が安楽死を願ったら?というのがテーマで、主人公の父親が脳卒中で回復を少しずつしているのにも関わらず、死を願う。というのがあらすじ
終末期でなく、まだ生きる望みがあるならば?
「尊厳ある命」とは一体何なのか…。
とコメントしている
見た感想としては、まずこの親子関係複雑だし、抗うつ薬みたいなの飲んでるし、その精神的なものを回復できることはできなかったんだろうかと思った。何がどう回復なのかは分かってないのかもしれないが。やっぱ価値観が違うんだろう。
まだ自分の親は認知症でも脳卒中でもないし、今聞く勇気もない。
主人公の父親のようにあそこまで頑固でもないと思うし、病気になって回復してきたら少し気持ちが変わるかもしれない。
いろいろ考えると答えは出ない。
私の場合、おそらく個人の尊重を優先してと思いながら親の安楽死を願ったとしても、必ずどこかでは自分の介護の負担が出てきて楽になりたいとう気持ちがどこかには少なからずあると考える。
もし今、日本の政府が安楽死法案を出すとしたら、本当に苦しんでいる人には悪いとは思うけど、私は反対する。
今回の問題発言もそうだし、それに賛同する人達や、笑っている人達、や政治家たちの失言を見ると優生思想が強すぎると感じる。
私の現在状況
その時のB型事業所は、月曜日から金曜日10時~16時(昼休憩45分)で給料は平均して月1万5千円くらい。
今の給料は平均して月7万円くらい。
家賃は3万ほど出している。
今、年金は払っていない。
まだ私は親がいる分、生活は楽な方だとは思っている。
貯金は300万ほどある。
もう遅いのか、NISAとか考えた方がいいのだろうかと最近思う。
発症原因はあまり教えたくないので、ここには書かないことにする
普段、母親の部屋で洗濯物を取り入れて畳んでいるのだが机の上に、一冊の本がカバーを裏側にして置いてあった。
なんだろうと思い、カバーを取ったら『老いの品格』という本だった。
中の目次さっと見たら、良い老人であろう的な感じがした。
まぁ品格って書いてあるし、そうなんだろう。
これを見て思い出したのが、テレビでやっていた『月曜から夜ふかし』の"通りすぎる人全員に会釈するおばあちゃん”の回である。
ある女性がその行為を不思議がって調べてほしいと投稿した話なのだが、そのおばあちゃんの理由が感動というよりも、そこまでさせないといけない社会なんだなと思ったし、私たちもそういう風になるのかもしれないと少し怖くなってしまった。その理由は興味があれば調べてほしい。
私は母親とうまくいっておらず、会話はほとんどない。なので何を考えているのかよく分かっていないのだが、そんな感じでとりあえずこの本をkindleで買うことにした。そして最優先にこれを読もうと思う。
ついでに、映画『生きる LIVING』のパンフレットも置いてあった。
まぁ母親と話せば済む話なのだが。それができないのが私のダメなところである。
どこで働いているか判明されるかもしれないので、分かりにくく書くが、清掃作業をするととある消耗品が毎回なくなるのだが、それを注文するたびに一枚の絵ハガキが入っている。
その絵は私にとっては上手くはない。おそらく障害者が描いたであろうと思われる。
初めはその絵ハガキを清掃道具入れにためていた。捨てると罪悪感がある気がしたのもあったし、以前ここで障害者雇用として働いていた人がずっとそうしていたのもある。
その後一旦その清掃道具入れを整理してほしいと補助役の人に言われたので、このたまった絵ハガキはどうしようか相談し、申し訳ない感じもするが捨てようということになった。
それから少し経って、相変わらずその新しく入ってきたその消耗品の中には、絵ハガキが入っている。ふとなぜこの絵ハガキは入っているのだろうと疑問に思い、その意図は分かってはいないが、私としては「絵は描けます」というメッセージみたいなのを受け取った。
もしこれが、障害者でなく高齢者だったらどうなんだろうとか、通院している精神病院に、病にかかっている人が作った、よく分からないパズルとか、ちょっと凝った折り紙だったりとか展示されているのを見るとあれは一体何なんだろうと不思議だったが、これも実際意図は分からないが、この社会にいる存在を表しているのではないのかと思うようになった。
その後、私はこの上手くはない絵ハガキをなんとなく家に持って帰っていて、本当に何かの緊急事態が起こった場合以外は捨てずにためることにしている。
その消耗品の会社が分かった人は、変な人が絡むと嫌なので黙っていてほしい。
終わり
少しそれを匂わせる描写があると、すわBLだ乙女ゲーだとはしゃぐのは典型的な性的消費という奴じゃないのですか。/宇崎ちゃんや戸定梨花レベルのものが許せない人は女性向けだからとスルーしないで筋通して下さい。
あれれ??表現を性的消費だと言うのは放火で表現規制なんじゃなかったのかい?????wwwwwwwwww
それと名前を呼んではいけない通天閣さんはtwitterでの一般人の発言と警察署の公式動画や日本赤十字社のポスターに同じ倫理レベルを求めてるの??
Twitterでは警察署の公式動画や日本赤十字社のポスターにしても問題ないレベルの発言しか許されないとなるとエッチなことも呟けなくなるんだが…
Twitterではエッチなことも呟けるんだから警察署の公式動画や日本赤十字社のポスターでもエッチな表現していいだろ!と言うなら氷水浴びて頭冷やして下さいとしか言えないけど…
BL・乙女ゲーム=エロってのも偏見だ。BL=エロなら、コミケで異常にエロ率が高いから男性向け萌え絵=エロになるだろ。乙女ゲームは全年齢対象のものが圧倒的多数だし
名前を呼んではいけない通天閣さんは会社でもこういう屁理屈捏ねてるのかな?机の上にエロ本置いて女性社員に嫌な顔されたら「エロ本は家に置けるんだから会社に置いてもいいだろ!」みたいな