
はてなキーワード:日本流とは
日本では正面から解雇規制をゆるめる動きはほとんど進まないまま、裏側では雇用の形がじわじわ変わってきている。
判例法に根づいた「解雇はそう簡単にできない」という枠は強く、政治も世論もそれを大きく動かす気配が薄い。
支持基盤に反発されるリスクが大きすぎて、与党も自由化には踏み込めない。
とはいえ現場では、雇用の硬さを周囲から崩すような制度が増えている。
ジョブ型が広まり、業務が明確になるほど「その仕事がなくなったら辞めましょう」という構造が強まる。
勤務地や職種を限定した正社員も増えていて、配置転換で守る余地がないぶん整理がしやすくなる。
副業や兼業を政策が後押ししているのも、企業が余剰人員を抱えたときの負担を和らげる方向に働く。
評価制度の厳格化で処遇差が広がり、退職勧奨が受け入れやすくなる流れもある。
AIやDXを理由にした早期退職の常態化も、規制を変えずにホワイトカラーを自然減させる手段として定着しつつある。
政府は「解雇規制を緩和します」とは言わないが、リスキリングや職務明確化を掲げる政策は、結果的に雇用の流動性を高める側に働く。
もしAI普及でホワイトカラーが本格的に余るようになれば、法改正ではなくジョブ型の加速や希望退職の常態化、再教育を条件にした再配置など、企業内部の仕組みのほうが先に変わっていくはずで、これが日本流の「緩やかな失業」につながりやすい。
長い目で見ると、正社員の範囲は細っていき、ジョブ型や専門職契約、フリーランスの比重が大きくなって、制度としての解雇規制は残しておきながら、実態としては欧州寄りの柔らかい雇用に近づいていく。
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あのね、向こうでは今日も漁船がぶつかって、さあ大騒ぎ。でも日本は別に慌てないの。
ぶつかったくらいじゃ死なないし、怪我もしない。
韓国みたいに、慰安婦カードでぐずぐず言われても、とうとう国民は呆れて見放したでしょう。
あれは安倍さんの手柄じゃない。国民の目が覚めたの。ああもう、これ以上我慢する必要はない、という目。
それにしても、今頃になって韓国の首脳がやってきて、『そろそろ雪解けを』とか言ってるんだから、笑いが止まらない。
どの口が言うのかしら。長年日本に文句を言い続けてきたくせに、何を今さら。
こういう野を見ていないのかしら、中国の人たちは。圧力かければ従うだろう、と思い込むその精神構造も、まったく同じなのよ。
韓国はね、同じことを30年もやってきたの。ある意味、それが国の存在理由になっていた。
慰安婦問題や徴用工問題で、物語を作り、それに沿って世界に訴え続けた。でも、思わぬ反感を食らって、物語ごと消滅してしまった。
中国も同じことをしている。物語の中で日本をやっつける、そういう筋書きを描いているのだけれど、現実は違う。
センゴク88事件のころから、戦時賠償だの漁船衝突だので、日本の足元を見て圧力をかけてくる。でもね、そろそろ限界なの。
日本の世論というのは、たまった水が急に溢れるみたいに、ある日突然、流れを変えるのよ。
そして台湾の話。どことは言わないけれど、友好地域の危機においては、これを支援する――なんて公式に言ってしまうかもしれない。
でも、日本式だから、そんなにはっきり言わない。雰囲気だけ悪くなり、ある日突然ホワイト国を辞める、とか、そういう形かもしれない。
口に出すだけで、向こうにはじわじわ効く。派手な行動じゃなくても、じんわり効くのが日本流なのよ。
日本という国はね、思いを秘めて口に出さない。表面では応対するけれど、取り繕う言葉がひとつひとつ少なくなり、やがてゼロになる。そういう国なの。
韓国はすぐ隣にいるくせに、長年日本人と付き合ってきたくせに、まだ分からないでいる。
中国もまた、ある意味で韓国と同じ夢を見ているのよ。圧力をかければ従うだろう、やり返すわけがないだろう――そんな夢をね。
結局、韓国も中国も、似た精神構造なの。圧力=相手は黙って従う、と思っている。でも、日本は黙って従わないことがある。
世論というのは、水のように、たまったら溢れる。だから、口先の宣言だけでも向こうの計画が狂うかもしれないし、じんわり日本流で答えを示すこともある。
向こうはまだ見ていない、知らない、ということが、面白いところでもあり、少し怖いところでもあるの。
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あのね、向こうでは今日も漁船がぶつかって、さあ大騒ぎ。でも日本は別に慌てないの。ぶつかったくらいじゃ死なないし、怪我もしない。韓国みたいに、慰安婦カードでぐずぐず言われても、とうとう国民は呆れて見放したでしょう。あれは安倍さんの手柄じゃない。国民の目が覚めたの。ああもう、これ以上我慢する必要はない、という目。
それにしても、今頃になって韓国の首脳がやってきて、『そろそろ雪解けを』とか言ってるんだから、笑いが止まらない。どの口が言うのかしら。長年日本に文句を言い続けてきたくせに、何を今さら。こういう野を見ていないのかしら、中国の人たちは。圧力かければ従うだろう、と思い込むその精神構造も、まったく同じなのよ。
センゴク88事件のころから、戦時賠償だの漁船衝突だので、日本の足元を見て圧力をかけてくる。でもね、そろそろ限界なの。日本の世論というのは、たまった水が急に溢れるみたいに、ある日突然、流れを変えるのよ。
そして台湾の話。どことは言わないけれど、友好地域の危機においては、これを支援する――なんて公式に言ってしまうかもしれない。でも、日本式だから、そんなにはっきり言わない。雰囲気だけ悪くなり、ある日突然ホワイト国を辞める、とか、そういう形かもしれない。口に出すだけで、向こうにはじわじわ効く。派手な行動じゃなくても、じんわり効くのが日本流なのよ。
日本という国はね、思いを秘めて口に出さない。表面では応対するけれど、取り繕う言葉がひとつひとつ少なくなり、やがてゼロになる。そういう国なの。韓国はすぐ隣にいるくせに、長年日本人と付き合ってきたくせに、まだ分からないでいる。中国もまた、ある意味で韓国と同じ夢を見ているのよ。圧力をかければ従うだろう、やり返すわけがないだろう――そんな夢をね。
結局、韓国も中国も、似た精神構造なの。圧力=相手は黙って従う、と思っている。でも、日本は黙って従わないことがある。世論というのは、水のように、たまったら溢れる。だから、口先の宣言だけでも向こうの計画が狂うかもしれないし、じんわり日本流で答えを示すこともある。向こうはまだ見ていない、知らない、ということが、面白いところでもあり、少し怖いところでもあるの。
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ここ、誰も議論しない。というか、できない。
儒教封建国家では、個人識別は二要素方式──つまり「苗字+名前」。
日本、中国、韓国、みんなそうだ。理由は長くなるから省略。知りたきゃChatGPTにでも聞け。
でもこの話、表ではできない。不敬罪が怖い。
で、だ。
右派も左派も納得の「夫婦別姓・超・解決策」を思いついたので記しておく。
まず前提。ミドルネームといっても世界にはいろんなタイプがある。
定義は曖昧だが、ここでは「個人識別を三要素以上で行う」としておこう。
だから、儒教的家族観を壊さず、むしろ強化しつつ左派も黙らせる方式が必要。
例を出そう。
「高市斎藤早苗」という女が、「山本高橋 択」という男と結婚する。
女側の選択肢:
ただし、子のミドルネームは自由。母でも父でも、好きな方を引き継げる。
「山本高市ポチ子」「山本斎藤ポチ子」「山本高橋ポチ子」すべて可。
そして成人・婚姻時のみ、どの要素を日常名に採用するか選べる。
「高市山本早苗」であれば、「高市早苗」でも「山本早苗」でも名乗ってよい。
右派は「家」が守られてニッコリ。
その認識自体が可哀想なほど偏見によってフィルタリングされた結果の穿った視点。
普通にアンテナ感度の高い専門ギーク系の日本人が中国のモノ作りの侮れなさに触れたことで自然な危機感を抱き、その流れでブログやら何やらで発信しているだけなのに、「これ書いてるのは中国人だ!」「工作員だろ!」「共産党の差し金だ!」みたいに思い込んで、国内産業のどうみても衰退しているデータから目を背け、あまつさえ低俗ゴシップ動画よろしく「日本スゴイ」論をいつまでも続けて甘やかそうとするから、有害無益なんだけど。そういう人間は消費者の自然な選択すら貶し始める。たとえば白物家電で言ったら、低所得家庭にとって、ハイアール傘下のAQUAの価格競争力についていける国内メーカーがどれだけいるんだ。ほぼゼロと言っていいだろう。価格だけでいうと低価格路線のアイリスオーヤマあたりは一見張り合えてるように見えるかもしれないが、製品クオリティの部分で一段、いや数段格下なのでついていけているとは到底言えない。そういう状況を見て何も危機感を抱かず日本流の胡散臭い機能ゴテゴテ盛りのブランドプレミアム価格なモノ作りを擁護しつづけていくべきだと思うのか?そんな態度は、例えるなら安いコメがないなら余ってるブランド米買えよ日本人だろと喚く、傲慢で独りよがりな人間のようなものだ。
とんかつやコロッケなどの揚げ物は、ポテトサラダと一緒にマヨで包むのが良いと思う。
とんかつや焼き餃子、カレーなどの日本流多国籍料理は、どれも合う。
レンチンで作るのが楽だが、西友でみなさまのお墨付き大容量パックを買ってくるほうが早い。
おそらく、選択肢の中で一番癖が無い。
ある種の鍋の締めには、うどんより向いてる。
人を選ぶが、これが一番違和感がない、という人は多いと思う。
まあ日本では昔から「俺はフェミニストだから女は殴らねえ」みたいな意味不明な誤用がされてきた言葉だから正しい定義もクソもないんだけどね。
アメリカにおける男女不平等に端を発した活動につけられた名前を日本にそのまま持ってきても無意味なんだよね。
女性の権利について活動してる人達はちゃんと「日本流のフェミニズム」に対して名前をつけたほうがいいよ。
勿論、「男女平等という旗を掲げて火遊びしてる馬鹿」に対してもちゃんと新しい名前をつけようね。
そうしないと切り分けることが出来ないよ。
もしも、もしもだけど、「活動してくれる人の頭数が増えるなら単なる放火魔にもフェミニストを名乗っていてもらいたい」と思ってるならやらなくてもいいけど。そうではないんでしょ?
という考え方があって
残りは日本流採用の発達障害andチー牛排除の顔面弱者排除で採用された顔採用だけにして
運用していくんだよね
Webサービスは立てっぱなしのビルじゃないんだからって思うわ
一般社団法人日本流行増田協会は、優れたブックマークコメントを顕彰する制度「増田ブコメアウォード2023」が2023年12月31日に開催され、 「グランプリ」が決定しましたのでお知らせいたします。
【グランプリ GRANDPRIX】は、
に付いたブコメの
少し前にも書いたけど、カルト宗教、ジャニーズ、宝塚、日大、そして政治家の裏金と、様々な業界に居座り続けた悪しき慣習にメスを入れた年だったんだから「膿」一択だと思うけどね。 - cia62872 のブコメ
に決定致しました。
【授賞理由】
今回の増田ブコメアウォードでは世相とどうコミュニケーションをとり、ブコメに反映したかが評価のポイントとなった。
当該ブクマ家は世の中の動向をよく観察し、批評性と楽しさをリズミカルに表現していた。
この1年、はてブで話題になった諸々の総括的な意味でもこれかなと。ブコメの後にダイハツも出てきたし。
Baye McNeil
2004年来日。作家として日本での生活に関して2作品上梓したほか、ジャパン・タイムズ紙のコラムニストとして、日本に住むアフリカ系の人々の生活について執筆。また、日本における人種や多様化問題についての講演やワークショップも行っている。ジャズと映画、そしてラーメンをこよなく愛する。現在、第1作を翻訳中。
日本に住んで15年、もうとっくに”空席問題”には慣れてしまった。
筆者だけではないと思う。日本に住む多くの外国人は、電車やバスに乗るとき、あるいは、カフェや公共の場にいるあいだ、多くの日本人が自分のそばに座らないという空席問題をある程度経験しているだろう。
なかには、隣が空席なんて経験はないという人や、たとえ空席でも気にならないという人、空席のほうがゆったりできてむしろいいという人もいるだろうが、その他大勢の外国人にとっては違う。日本人とよりよい関係を築き、日本での暮らしをより快適にしたいと願うからこそ、空席問題を理解し、自分の中での問題解決に努める必要がある。
私自身は、時間の経過とともにこの問題に対する考え方は変化してきた。いちばん最初の頃は、これこそ日本人の差別意識かと思いこみ不快に感じていた。だがすぐに、多くの日本人と知り合う中で彼らの意見を聞き変わっていった。
私の隣の席が空くとしても、それが日本人独特のシャイさの表れと感じたことをもある。また違う視点では、どうやら私がどんな人間かを推測した結果、隣に座らないことをあえて選択しているのかもしれないと想像もした。
そう思った理由は友人たちの助言だった。私が隣に座った人に誰彼かまわず英語で話しかけそうな人間だとか、不躾にも女性をナンパするのではないかなど、いずれも失礼な想像ではあるのだが、仮にこのように推測されていたとしても人種差別的だとは言えないレベルだ。もしかして隣を空けておくことが外国人に対する日本流の気づかいなのかと考えたこともあるが、この考えも長く続かなかった。
いずれにしても外国人の隣に座ろうとしない日本人がとても多いということはいえる。理由はいろいろあるだろうが、少なくとも積極的に座るようなことは私の経験上ほとんど見掛けない。外見が日本人と異なるだけで、日本ではこの空席問題がつきまとうのだ。
← よくわかってるじゃん。日本共産党は結構なナショナリストで、自民党みたいに中国共産党に対して媚びを売ったりもしてないし、北方領土返還交渉でもソ連共産党員と妥協せずに四島じゃなくて全千島列島返還を求めているし、変化にはたいてい何でも反対だし、保守的なナショナリストなんよな。あの三島由紀夫も「天皇に関する事以外は共産党と一致する」とか言ってるし、意外と石原慎太郎や渡辺恒雄に近いのかも知れない。
俺自身の立場は決して弱者ではないので日本共産党に大きく共鳴するわけでもないし思想信条は大いに異なるのだが、まあ言論の自由が保証されている社会という観点から言って、日本共産党みたいな野党もある程度の勢力を持ってガンガンもの言える状況は、決して悪くないというか、あるべき状態だとは思ってるよ。
ただ、俺から見て不思議なのは、日本社会での弱者とか搾取されている側の人間たちが、何故か共産党のような弱者の味方である勢力に批判的であって、搾取する側の強者たちを支持してる連中が多いってこと。
不思議ではあるんだけれども、これはこれで悪いことじゃないんだよね。おかげで俺らは日本の社会で下からの突き上げや揺さぶりに怯えることなく安心していい思いができるわけだからねww