
はてなキーワード:日本国民とは
始めての女性首相だから「サナ活〜」とか言って自民党に投票した奴全員馬鹿である
日本の政治システム上、衆議院で3分の2を占めると、法案や予算案が基本的に党内手続きだけで成立するようになる。
国会の法案審議、予算審議は形骸化し、自民党内手続きだけが意味を持つようになる。
官僚は野党には説明しなくなるだろう。説明する意味がないのだから当然である。
これまでも与党だけで衆議院3分の2を占めることはあってもあくまで連立政権であり、政権を維持するためには一方の顔色を伺う必要があったがそれすら必要なくなる。どうやらまだそのことに気がついていないようだ。
ベトナムとかの一党独裁国家と何ら変わりのない手続きが続くのが今後の4年間である。
はっきり言う。勝たせすぎである。参議院ならまだしも衆議院ではやってはいけなかったことである。やってはいけなかったことをやってしまったのだが、責任は取らねばならない。それが民主主義である。
この状態で日本は狂わずいられるだろうか?少し楽観していたがやはり疑問である。おこめ券が信認を得たとか、委員会議長を全部要求するとか既に萌芽は見え始めている。権力者の自制や自省が国家には必要だが、「要求するのは自由」とか国民が言っているようではどうにもならないだろう
2026年の選挙は、一つの「分水嶺」として記憶されることになるだろう。
石破政権の退陣を受け、新たに発足した高市政権。その直後に断行された、いわゆる「7条解散」。1月23日の解散から投開票までの短期決戦は、グローバル市場が発した「サナエショック(金利急騰・円安)」という警告音を、政治的な熱狂と列島を覆う大雪がかき消していくプロセスそのものであった。
結果として自民・維新を中心とする勢力が全議席の4分の3を掌握したという事実は、旧来の自民党支持者すら驚くものであった。それは「政治家の人気投票」という側面を加速させる、選挙戦術の技術的な完成を意味していただろう。
圧倒的な数の力を背景に、長らく議論のテーブルに乗るだけだった「憲法改正」は、いまや現実的な政治スケジュールへと組み込まれようとしている。高市政権は、地政学的リスクの高まりを背景とした「中国脅威論」や、国内に醸成されつつある排外的な空気を巧みに政治的駆動力へと転換した。その支持を追い風に、「9条改正は現実的要請である」というロジックが、強力なキャッチフレーズとして機能し始めている。
私たちは今日、騒がしい政治のタイムラインから距離を置き、無限に降ってくるエコーチェンバーの雪を視界から遠ざけることができるだろうか。
今、この国の変化した「重心」が何を成そうとしているのかを、静かに見つめ直す必要がある。
憲法改正について、世間ではどのようなイメージが流布しているだろうか。「古いものを令和版にアップデートする」といった、あたかもスマートフォンのOS更新のような、若々しく前向きなイメージが、おそらくは今後急速に普及すると予想される。
しかし私たちは、実際にどのような案が議論の遡上に載せられているか、その設計図を確認せねばならない。
議論の参照点となるのは、自民党が2012年に作成した「日本国憲法改正草案」である。このテキストには、単なる9条条文の修正にとどまらない、国家観の根本的な転換が示唆されている。
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
この条文は、人権が国家に先立って存在する「自然権(天賦人権)」であることを宣言したものだ。しかし、草案ではこれが削除され、11条を残すことで人権は国家が与える形を取ることになる。さらに第13条の「個人として尊重される」という文言が「人として尊重される」へと書き換えられた。
「個人」から「人」へ。97条削除に比べればわずか一文字の違いだが、ここに込められた断絶は深い。かつて草案起草に関わった片山さつき氏が「天賦人権論をとるのは止めよう」と明言した事実、そこに流れているのは当然、権利とは天から(あるいは生まれながらに)与えられるものではなく、国家という共同体に帰属し、義務を果たすことによって初めて付与されるものだ、という思想である。
これは良し悪しという感情論以前の、近代立憲主義というOS(オペレーティングシステム)の入れ替えに近い。国家が個人を守るための憲法から、個人が国家を支えるための憲法へ。その重心移動は2012年にすでに開始していたのである。
このような草案内容と、高市総理自身のイメージ戦略はどのように共鳴しているだろうか。
「日本列島を、強く豊かに」。これは、かつて安倍総理が「美しい国」というフレーズを用いたように、いま高市総理が繰り返し掲げているスローガンである。
一見すると経済的繁栄の約束に聞こえるが、彼女の支持基盤である日本会議的な政治的系譜や、選択的夫婦別姓への慎重姿勢、家族間の相互扶助を強調する福祉観などを俯瞰するとき、そこには明治国家のスローガン「富国強兵」と同型的な発想が見えてくる。
明治時代、「富国」という経済的な豊かさは、個人の幸福追求のためではなく、あくまで「強兵」という国家の強さを支えるための基盤として位置づけられた。
逆に言えば、それらを成し遂げなければ個人の幸福を保証できないような情勢なのだと言っているのかもしれない。
決して「日本国民を、強く豊かに」と言わないのは、あの時代の国家観を「美しい国」として、戦後の反省だけでは国を守れないとする意思を表しているのだろうか。
2026年衆院選において、高市政権は市場の警告を、左派の不安を、選挙勝利への多様な戦術でねじ伏せてみせた。その手腕は国家という物語を紡ぐ演出としてスケールアップし、いま有権者に受容されていく可能性を見せている。
圧倒的な議席数と、顕在化した憲法改正への熱望。この二つが揃ったいま、私たちはどう振る舞うべきだろう。
SNSで快哉を叫ぶか、あるいは嘆き悲しむか。過激な批判の応酬は止むことがないだろう。それでも政治的な熱狂から一歩身を引き剥がし、思考のための穏やかな場を確保することは可能だ。
たとえば、「憲法カフェ」のような試みがある。リラックスした空間で、コーヒーを片手に憲法について語り合う。そこでは「賛成か反対か」を叫ぶのではなく、法文がどのような意味を持つのかを学び、穏やかに思考を交わすことができる。
「国家」という巨大な物語に飲み込まれないためには、私たち一人ひとりが、暮らしの根元にいつでも存在する憲法を知り、尊重されるべき「個人」として位置付けられていることを知っておくことは大事だ。
厳冬の衆院選。その唐突な政治の季節は熱く、あまりに短く過ぎ去った。しかし憲法という国の形を変える議論は、これからが長い正念場である。熱狂の宴が終わったあとだからこそ、考えて欲しい。なぜなら憲法とは、普段の生活のほとんどすべてを支えている法律なのだから。
公明B「ん?」
公明A「国政、そろそろ潮時だとおもうんだよ。なんでおれらが政治なんかやってんの、ていう」
公明B「まあ、そうだね。国立戒壇の実現とかそういうのはオワコンだな」
公明A「そそ。地方自治に注力したいんだよ。国政は縮小の方針で」
公明A「そうだなー。でも少しは国政に影響力残したい」
公明B「そうだね。」
公明B「そうだね。でも、そんな都合よくいくかな」
公明A「連絡しとくね」
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〇〇「いけいけ!よしひこ!どんといけ!」
〇〇「クリームパン食べてなにが悪い!!」
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今回負けたのはバカに声が届かなかったからだ、知能の低い国民は政策を理解できないからだ!
導き出される答えは『日本国民の半数以上がバカであるという事実』
防衛力の強化のために改憲と防衛費増を急がなきゃ!という論調が強まってる中で。
ちょっとまずITmedia系の情報サイトが纏めてくれてる各国の貿易相手国ランキングを見て欲しいんだよね
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/spv/2510/21/news009.html
見てのとおり、日本にとっての中国はいまや輸出入%最大の相手国で、敵対するのはデメリットの方がどう考えても大きい
実際原料含めてmade in China製品を生活の中で全く使ってない日本人って、ほぼ居ないと思うしね
一方アメリカや中国にとっての日本はというと、30年前はまだしも、今はもはや多数の貿易相手の中の数%でしかなかったりする。
アメリカにとっての中国と、中国にとってのアメリカの方が貿易相手としてよっぽど存在感がある。
日本の没落っぷりを感じて悲しいけど、まずしっかり現実を見よう
でも、日本+韓国+米国で考えると、中国の貿易相手として結構な割合を占めてる。
韓国も在韓米軍からは台湾有事の協力を要請されてる一方、最大の貿易相手国は中国なので板挟み…っていう日本と似たような状況らしいのだけど、
この日米韓がまとまって台湾侵攻を牽制しつつ、中国の貿易相手国としての存在感と魅力を高め、「この三国と敵対すると経済的損失が大きいぞ」と認識させることこそが、抑止力になるのではないかと思うのだよね。
中国は近年急速に対ASEAN貿易の比率を高めていて、これも一種の戦争準備と思われる。政府もASEANの会議が開かれるたびに協力を呼びかけてるみたいだけど、ASEANにも「日本が戦争になったら困る」と認識してもらうことが必要だろうね。
肝心の中国は情報統制があって難しいかもしれないけれど、韓国やASEANの国民に「台湾有事で日本のあらゆる産業がストップすることになるかもしれない、日本国民もそれを望んでない」ということを広く認識してもらうことが第一歩なのかもしれない。
その産業の中には勿論、海外でも人気なゲームやアニメ、今ブームが来ている日本食や抹茶なんかも含まれる。円安でチャンスというならば、既に人気なコンテンツは勿論、他にも積極的に魅力あるものを発信・輸出していくチャンスでもある。
幸いASEANの国々に住んでいる人々は日本に比較的好意を持ってくれている。それぞれの国内の世論が日本の産業を守る方向になってくれたなら、戦争回避と同時に日本の経済発展の道にもなるのではないか。
都知事選、参院の参政党、各知事選、今回のチームみらい、この2年で日本国民はどうにでも動かせることがわかってしまった。
安倍の死は想定外だったが、ほぼ影響は無く既定路線。役者も揃った。
2年後にはイケメン小泉、自衛隊マッチョ神谷、東大AI安野が「強くて若い新しい日本」を作ってくれる。
生きてるうちに将来教科書に載るような歴史的瞬間に立ち会えるだろうね。
なのに裏金や統一教会なんかの些末なウンコしか突くことしかできなかった野党とメディアの罪は重い。
俺はサヨク活動家だったが、今回で降りることにした。もう無理だ。もはや一個人には重すぎるし壁が厚くて高すぎる。
ここ最近はデモも街宣も徒労感と無力感しか感じなくなった。正直、疲れたよ
もう敗北でかまわんが、おかげさまでカネになる手法は熟知している。
悪いが表向きはウヨって差別して銭稼ぎ、裏では政治から距離置いて自分と家族だけを守ることに徹する
サヨ活、終了おじさん
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD265RF0W6A120C2000000/
もしくは日経新聞に書いた学者より自分の方が頭がいいと思ってる人がいるので、
もうね、日本国民はアホばかりだと思うよ
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争及び武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
② 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。この場合において、その発動を決定し、又は承認した者は、当該発動に伴い生ずる危険及び結果を、自ら引き受ける。
第九条の二
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
② 国防軍の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③ 前項の承認を行った衆議院議員及び参議院議員、並びに内閣総理大臣その他の国務大臣は、国防軍の行動が継続的に行われ、かつ生命又は身体に対する高度の危険が現に存在する地域において、その実情を直接確認しなければならない。
大衆より知性や教養はあるという自認だけど、日本を捨てて海外に働きに出たり、大衆を見限って搾取する側に回るほどの頭の良さではなくて、イライラしてネットで日本人を罵倒するるしかないって感じなんだろうな。
■現行憲法
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
(第97条)※最高法規の章
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
(第11条)
国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である
(第97条)… 削除
97条では、「侵すことのできない永久の権利として信託された」と書かれているが、誰に?
一応、憲法学的には、「最高法規の章でも記載することで、最高の法規なのだと宣言しているのだ」となるみたい
【憲法97条削除は「基本的人権が永久の権利でなくなること、それを侵してもいいものになること」を意味する。】
とか言っちゃう人もいるけれど、そもそも人権の章で「侵すことのできない永久の権利」と書いてあるのに
そういう整合性もなく、11条の存在も知らず、経緯を想像もせず、ただただ「基本的人権を削除」って騒ぐのが界隈の知性を示してる
どれほど検索しても、小選挙区での死票を分析した報道が1つも見つけられなかったので集計してみた。
■ 結果:
自民: 249
中道: 7
国民: 8
参政: 0
みら: 0
共産: 0
■ 総投票数
維新: 3,742,160
参政: 3,924,221
みら:156,853
どうだろうか?
しかし、投票した人数の総数としては、約28:12 なのである。
中道は、1200万人以上が投票して 7議席 のみ(※繰り返すが、小選挙区)。
比例代表に関しては分析しないが、この数値は知っておく必要がある気がする。
なぜ報道されないだろうか?
『この1200万人だって、この時期に、自ら票を投じた日本国民である』 ことを忘れてはならない。
追記:
実際にわかりやすいコメントが1件ついているように、非自民は非国民であるかのような言動も少なくない現状を見ての提起。
Permalink |記事への反応(39) | 21:42
立法経緯を見ればわかる。
まず今の憲法9条。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
素直に読めば、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いているから自衛隊は無理そう。
実はマッカーサーが書いた憲法原案ってのがあったんだけど、それを見るとより明確に自衛隊ダメって書かれている。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
そして日本の防衛は、「今や世界を動かしつつある崇高な理想」(=国連?)に任せる、と。
理想が高い。
でもさすがにこれじゃまずいってことで、GHQ原案は今の9条に近い形に修正された。
「自衛権の存在・行使を明文で否定することは不適当であるとGHQ原案の作成にあたった運営委員会の法律家らが考えたため」とウィキペディアには書いてある。