
はてなキーワード:日報とは
無力感は自然発生しない。制度・文化・心理の三層構造で精密に設計される。
以下の条件が揃ったとき、民衆は自ら行動を放棄し、支配に従う観察者となる。
投票・請願・抗議などの政治行動が、結果に直結しないことを繰り返し体験させる。
政策決定過程を複雑化・専門化し、「誰が責任者か分からない」状態を意図的に作る。
官僚・委員会・審議会を盾として前面に出し、政治家も国民も責任を回避する構造にする。
このとき、行動のコストが期待値を上回り、最適戦略は何もしないことになる。
「空気を読む」「和を乱さない」といった規範を教育とメディアで再生産する。
異論者を敵ではなく変人として扱う。社会的排除は暴力よりも効果的だ。
「成功は適応の結果」「不満は努力不足」という道徳を浸透させ、構造批判を個人の失敗に変換する。
→ この段階で民衆は自らを検閲し、互いを監視する。支配者は沈黙の群衆を得る。
メディアが問題を連日報じながら、解決の物語を決して提示しない。
SNSが怒りを即時発散させ、組織化を阻む。怒りは行動に変わらず、ただ消費される。
エンタメ化された政治は、抵抗を観賞に変える。人々は現実を変えるより、実況することを選ぶ。
→民衆は自分の生活を「誰かの物語」として眺める。これが観察者化の完成段階である。
その瞬間を測る基準は次の三つだ。
【基準1】
支配の言説が自己責任の形で内面化された瞬間、抵抗は消滅する。
【基準2】
監視と同調が自動化され、権力が介入せずとも秩序が保たれるとき。
【基準3】
自らの鎖を秩序と呼び、その枷を守るようになった時、支配は完了する。
無力感の制度化とは、力の外的行使ではなく、意志の内的従属化だ。
若手社員の要望でクラウドストレージを導入。ノートPC持って社外で作業する人も多いから、便利になると思った。
40代以上からは「メールで十分」「ログインとかめんどくさい」と不評だったので、エクスプローラーから直接使えるように自作アプリまで作って、それぞれのPCでAWSにマウントできるようにした。
導入から1年。
仲のいいおじさん社員が、USBにデータを入れて、車で1時間かけて別部署へ持ってきた。僕の目の前で。にこにこで。
もちろん悪気はない。むしろ「えらいだろ?」くらいの顔だった。
はあ。転職しようかな。
機械・車両管理(どこに何があるかダッシュボード表示、移動したらLINEやSMSで通知)
使ってるのはC++とかRailsとかPythonとかMySQLとか。インフラはAWS中心で、herokuで実験。LINEAPIとかNTTのCPaaSも叩いてる。
一人で社内システムを頑張ってたつもりだったけど
USBで運ぶおじさんの前では全部無力だった。
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トルコ北部で、結婚式を終えたばかりの23歳の新郎が祝砲として放たれた銃弾に当たって死亡した。
新婦側の親戚が発砲したとみられ、治安当局は、47歳の女を容疑者として拘束。
Amazonの新しい音声アシスタント「Alexa+」、優先的に招待されるための条件とは
Amazonの新しい音声アシスタント「Alexa+」への招待が始まっていることを、海外メディアが報じている。
Alexa+は、Amazonの音声アシスタント「Alexa」のアップデート版で、生成AIを活用しているとされる。Amazonプライム会員には無料で、それ以外には月額19.99ドルで提供されることが2月に発表されたが、その後はほとんど音沙汰がなく、また、実際に使っているユーザーの声もほとんど見られないと「ロイター」が先日報じたばかり。今回、「The Verge」の取材に対してAmazonの広報担当者が語ったところによると、実際には招待された何十万人ものユーザーがAlexa+を利用中であるとのこと。同社はEcho Showデバイスを所有するユーザーを優先的にサポートすると発表していることから、いち早くこのAlexa+に招待されたい場合は、Echo Showデバイスを利用できるようにしておくのが効果大とみてよさそうだ。
リンゴ日報創業者、ジミー・ライが国安法裁判で最終弁論に出廷。外国勢力との結託をいまだに否認しているが、よくこんなわかりやすい嘘をつけるもの。
そも、こいつは詐欺罪で禁錮5年9ヶ月の実刑を言い渡された詐欺師である。こんなやつの言うことをよく信じるものだ。
逮捕されたリンゴ日報の他幹部が軒並み罪を認めているので、有罪は避けられない。
大体リンゴ日報というのはゴシップ紙に過ぎないのであって、中国人をバッタ扱いするなどヘイトを撒き散らして香港人を煽っていた新聞である。報道以前の問題。
一言で言えば、香港人の驕りと劣等感を体現していた新聞である。
それが香港の良心的メディアとして称賛を受けているのだから、世界の良識人は大変見る目があると言える。表向きいいことを言っていれば、ヘイトスピーチなど許される。
今SNSで分断を煽って儲けているインフルエンサーはリンゴ日報の後継者だ。そう考えるとリンゴ日報を称賛していた連中がどれだけ浅はかかわかる。統一協会を本気で世界平和のための団体と考えている連中と同レベルである。
結果だけみると、一番日本にとって邪悪なやつを選ぶ結果となった
①1981年、父の死後、 真っ先に葬儀に駆けつけてくれた田中角栄氏の助言で政界を目指すも田中派ではなく中曽根派からの立候補。
田中角栄を裏切る。
②1993年 非自民の細川連立政権が成立。自民党が野党に転落すると、 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった」 と捨て台詞をはき離党届。
自民党を裏切る。
③小沢一郎を「真の改革者」と称賛して新進党結成に参加するも、小沢一郎が党首に選ばれると、自分の考える政党と違うと総選挙前に離党。
小沢一郎を裏切る。
④自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が「石破君は仕事のできる人だから」と情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか、派閥は旧態然としていると思いますよ」の捨て台詞で伊吹派を離脱。
伊吹派を裏切る。
⑤麻生政権の閣僚を務めていながら、支持率低迷で総選挙が近づくと総理官邸に乗り込み、「後任は麻生さんが指名すべきだと、私は思うわけです」と謎の論理を展開して麻生おろしに加担。
麻生太郎を裏切る。
⑥民主党からの政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三と総理を争い、敗れて幹事長に在任期間中、地方選挙で連戦連敗。
自民党支持者を裏切る。
⑦安保関連法担当大臣を任せたいと言われるも、面倒くさそうなので、屁理屈をこねて固辞。代わりに受けた地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益に配慮して加計学園問題で地方見殺し
地方を裏切る。
⑧自民党総裁任期延長問題で総務会で吠えまくるが、誰にも相手にされず、
⑨森友問題や加計学園問題で自衛隊日報問題で新聞テレビに連日出演して、安倍政権と自民党を背後から撃つ発言をしまくり、マスコミの安倍おろしに加担。
安倍晋三を裏切る。←今ココ
⑩の予想 政策至上主義に書いたことは一切実行せず、本も売れない。
総裁選も当然敗北
さらに売国政策を加速、税金は国民どころか国家インフラにすら充てず、中国移民にばら撒き続ける
日本を裏切る
新卒の頃にいた会社の進捗管理が今になってクソだったんだなっと思った。
普通は余裕をみて多めに期限を設定したりするんだろうが常にギリギリの期限を設定される
例えばこんな感じでタスクがあったとする A(期限1月1日)B(期限1月3日)C(期限1月8日)
Aのタスクが1日遅れた場合、日報にはA(1日遅れ)B(1日遅れ)C(1日遅れ)と書かされ、全てに遅れている理由の詳細を書かされる(アホかよ)
遅れると当然詰められるので、実装に悩んでいること・今試していることなどを細かく説明するんだが
他のエンジニアも当然タスクがカツカツなので相談したところで、時間など全く取れないので結局は自分で解決しなきゃいけない
毎朝の進捗確認で、「お前の遅れでみんなが迷惑している」「申し訳ないと思わないのか」とみんなの前で説教が始まる
鬱になってやめたけど、兎に角あの当時は常に仕事に追われて深夜まで働いて辛かったなぁ・・・
が、その怪談界隈が、陰謀論界隈に飲み込まれて政治の話題に侵食されそうになっている。
今の怪談界隈では「ヒトコワ」というジャンルが人気だ。このヒトコワが元々心霊中心だった怪談界隈を少し悪い方向に変えている気がする。
知らない人のために説明すると、ヒトコワとは身近にいた怖い人や犯罪者など実在するヒトにまつわる怖い話で、怪談をテーマにするYouTubeチャンネルでは心霊による怖い話と同列で語られることが多い。「結局一番怖いのは人間だよね」というオチになる怖い話の一種として怪談好きの視聴者から支持されて、今では怪談の中の一大ジャンルとしての地位を確立しているといって良い。
しかし、ヒトコワは実際の人が関わる分、話された内容が、憶測で新聞記事などと関連付けられては、それが都市伝説界隈や陰謀論者に利用されて彼らの主張を裏付けるストーリーの中に組み込まれやすい。ストーカーや痴情のもつれ、性産業に関連するヒトコワも多く、社会問題につなげて問題提起し政治の話題に広がることも多い。そうなってくると元々近い界隈だった陰謀論者が怪談界隈にわらわらと集まるようになる。
もともと陰謀論界隈は、都市伝説や宇宙人、災害、戦争、フリーメイソンといった切り口で自衛隊や米軍、〇〇政府の〇〇機関と結びつきやすく、往々にして政治と距離が近くなりがちである。最近で言えば、都市伝説系YouTubeチャンネルのNaokiman Showを手がけるナオキマン氏がトランプ大統領の私邸に招待されたのは有名な話だ。
その陰謀論界隈がヒトコワを機に侵入したことで、心霊界隈(というか視聴者層)が急速に政治化しているのだ。
結果としてただの心霊話でも、何らかの形で現世と結び付けられることが多くなる。例えば土地柄がからむ心霊ならその土地の政治家の「財務省がらみ」の陰謀論が持ち出されたりといった具合だ。本来、原理について深掘る必要のない心霊が都合よく陰謀論者の世界観を強化するように使われている。芸能人に関するものなら、芸能界のスキャンダルや芸能人の事件や自死と結びつけられることもある。芸能スキャンダルは陰謀論者が大好きなジャンルだ。彼らはしきりにそれを使って政治的陰謀を連想する。
こうして元々心霊を主にしていたはずの怪談界隈はヒトコワを窓口にして「政治」という俗世の空気を迎え入れることになった。
本来、心霊を主軸にしていた怪談は、不思議な現象への好奇心を満たしつつ、亡くなった人や生き霊の無念に思いを偲び、少しだけ優しい気持ちになって自らの生を見直すきっかけになるような、「個人的な」話であったはずだ。そこには話す方も聞く方にも罪悪感と呼べるような「よそよそしさ」があり、だからこそ怖さに真実味が増す。もちろん、幽霊なんて居ないと思っている人がこんなことを聞けば「何言っているんだ。エンタメなんだから自由でいい」と言うかもしれないが、フィクションと割り切ってしまうと心霊話は虚無になる。心霊話は、「もしかしたら嘘かもしれないけど、本当だと思うことで生きる自分や死んだ誰かが救われるかもしれないし、本当と信じたところで誰にも迷惑をかけないのなら、より優しい世界になりそうな方をこっそり選んでしまえ」という、内心の自由の行使によって主観的な世界をチューニングするための道徳的契機のようなものなのだ。それは体系的な宗教とも違う、聖典がない多神教だった日本の原風景で生き残った日曜大工的な思想形態の一つなのだろう。
しかし、そのような個人的であるべき世界が、陰謀論界隈の侵入によって「みんなのこと」になって、多くの人を巻き込む「おおごと」になっている。
それに拍車をかけているのは2025年7月問題という、(日本の)陰謀論界隈にとってのハルマゲドン的な共通トピックが去年、怪談界隈を侵食していることだろう。2025年7月問題とは、日本の陰謀論界隈で盛り上がっている、新たな滅亡論の類いだ。その出自には、ホピ族の予言という人もいれば、物理学者でノートルダム清心女子大学教授の保江邦夫氏が自身のNASAの知り合いに聞いたという証言、漫画家たつき諒氏の『私が見た未来』での言及、『奇跡のりんご』で知られるリンゴ農家木村秋則氏の宇宙人との交流エピソードが挙げられる。こういった様々な根拠を元にして、陰謀論界隈ではこれら全ての一致は偶然ではないと本気にしている人が多い。滅亡シナリオが果たして戦争か災害なのかは不明だがとにかく2025年7月は大変なことになると界隈は大盛り上がりである。この熱が海外にも波及した結果、7月の来日観光客による予約が前年より減少しているというニュースが先日報道されたのは記憶に新しい。
怪談界隈はこの滅亡論によって痛手を受けた。ヒトコワの登場を皮切りにして視聴者層が「現世寄り」に変異した中で、そのニーズに応えるため怪談ライブや怪談系のYouTubeチャンネルがこの話題を取り上げるようになった。そして、これらの動画の再生数は心霊系怪談のそれを遥かに凌駕していたため、それに味を占めた配信者の中には、心霊の世界から、むしろスピリチュアルと政治を絡ませる方向に「還俗」する者が出始める。そうでなくても、オチのない心霊話ではなく、よりエンタメ性の高いヒトコワや都市伝説の頻度を上げるような形でコンテンツの質が変化したり、視聴者層の変化によってコメント欄がX味を増し居心地が悪くなったりした。
「怖い〜」
「〇〇分〇〇秒に男の声の人が入ってませんか?」
で良かったのに
「〇〇トンネルって建設中の死亡事故あったらしいです。それを当時の△△大臣が揉み消して…」
みたいな人が増えている。
現世に持ち込まれた心霊が「見えざる手」によって視えるようになる過程を見ていくようだ。心霊に社会的意味なんてなくていい。
事故物件や忌み地といったワードを使って、東京の再開発地や地域を曰く付き呼ばわりすることは昔から多い。YouTubeで「大島てる」と検索すれば数多くの怪談動画がヒットするだろう。しかし、最近ではそれがエスカレートし、人気だったり有名なところに遊びに行く人や住もうとする金持ちを「穢れ」扱いする「これ差別か嫉妬をお化けの力を借りて正当化してるだけだろっ」てショート動画がたくさんある。
怪談と陰謀論界隈の間に長らく鎮座していたスピ界隈が自己啓発の果てに投資にたどり着いて、そう言う偽霊媒師の言うことを本気にしてるから救いようがない。本来霊界が突き放したはずの資本主義が、残留思念のごとく心霊すらも物象化してしまっている。
人間の尺度で心霊が現世に召喚され、それが都合よく各所で利用されるところには、さもしさがある。霊感が衆愚化し、彼らに配置された心霊がそこかしこに視えてしまう世界は、もはや死後の世界に等しい。
どうか、2025年の7月に「何も起こらない」ことで、下らない陰謀論の世界が一掃され、我々の世界が生きる者のための世界に戻って来てくれ。
今年の盆こそは怪談が楽しみたいんだ。
思ったより多くの人に見られて驚いてます。
まず、こんなに見られるなら、もっと考えて一大ブームのモキュメンタリーにも触れたら良かったなと後悔してます。
他にも、オカルトが右派の陰謀論へ行くのは昔からあるという意見を多くいただきましたが、一方で、今年世間を賑わせた性接待一般への関心の高まりがあるなか、性犯罪的なヒトコワになると、左派のポリコレへと接続していくような別の政治化があるので、右派も左派も関係がなくなった点も盛り込めば良かったなとも後悔してます。
様々な人の声をまとめると、現実の延長で怖いものを見たいという欲求がヒトコワやモキュメンタリーの人気を呼び、その中には「怖いものを取り除きたい」と思う人が出てきて、歪んだジャーナリズムになびかれ、元から近かった陰謀論に接続していくという道筋が見えた気がします。
ありがとうございました。
Permalink |記事への反応(20) | 23:58
元は「俺たちは世界を変える!」とか「GAFAに並ぶ!」とか言ってたはずが、買収された瞬間にガチの「人月計算リソース」に成り下がる。
昨日まで仲間とスニーカーで議論してたのに、今日からスーツ着てZoomで日報報告。夢は秒で破壊され、Excelの中で生きる人生が始まる。
「神!」「これは革命!」「🔥🔥🔥」みたいなスタンプが飛び交ってた社内Slack、今では「承知しました」か「お疲れ様です」の2択。
もはや生気ゼロのチャットルーム。「盛り上げ担当」とかほざいてた奴も、今じゃノートPCの前で沈黙。
買収前:「弊社のコアバリュー5箇条」をNotionに丁寧にまとめてた
買収後:それらはPMI担当に「削除していいですか?」と聞かれ、消された。
「オープンマインド」「チャレンジ精神」とか書いてたくせに、真っ先に逆らわず黙って従うあたり、ギャグとしては完成度高め。
創業者は「この統合により新たな可能性が広がります」とか言って金だけもらって消える。
社員はその後、年収は上がらず・自由は減り・肩書きは“アソシエイト”に格下げされる。
元ベンチャーのキーマンたちは、外資の“パワポとスプレッドシートしか使えない族”に指図され、毎日虚無。
ちゃんとコード書けて、論理も強い技術者は買収後すぐに状況を察して転職 or海外移住。
残るのは元営業と、ExcelでKPI見て悦に入ってる中間管理職だけ。
3年後くらいに誰かが思い出して言うやつ
「○○って今どうなったんだっけ?昔、なんか意識高かったよね」
その頃には社名も変わり、オフィスも縮小、ブランドも消滅。残るのは、LinkedInでやたら“クロスボーダーPM経験あり”を自称してる元社員だけ。
まあね、迷うんですよ
いきなりいなくなれば困るよ
でも、いるだけでマイナスな要素もあるんだよね
業務以前の仕事として当たり前のマナーや常識から教えないといけない(年上のおばさんに)
報告も連絡も相談も、こちらから声をかけないとなにも上がってこない
接客番や電話番を放り出してすぐに外に買い物に行きたがる 昨日は切手買いに行き、今日は収入印紙買いに行き、明日はレターパックを買いに行く、そんな人
こういう人に月22万の給料払うのってどうなんだろうな
他の真面目に働いている社員に悪影響出るよな
毎日の業務日報を書きなさい、業務スケジュール表を作成しなさい、業務マニュアルを作成しなさいって言い続けてるけど、なんか子供の落書きレベルの物しか出てこないし
まあ属人化に必死なんだろうな あと自分の業務がスカスカなのを記録に残したくないのだろう
だからこいつを辞めさせて次の人を雇ったら一時的には困るだろうな
気に入らない奴の挨拶を平気で無視する人間なので、気に入らない会社も困らせてやると考えるタイプだろう
でも切れるタイミングで切らないと、傷は広がるばかりだろう
なにより自分自身がゴミクソ社員の顔を見ながら仕事することに疲れを感じてきている
舞の海が野村證券が手引きしたまっくろくろすけな脱税スキームにひっかかった件で、あまりにおぼこいブコメが人気になっていたので、みなさん変なスキームに騙されないようにねという注意喚起。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/863956 「節税」にアレルギーって相当のんきな話で、あれは節税ではなく脱税なんだよね。
仕組みは読売新聞が無料記事にしているから読むとよいですが(https://www.yomiuri.co.jp/national/20240316-OYT1T50174/)こんなのに騙される人がまだいるんだなぁ…という感じのまっくろくろすけ。
節税であればそういう(もっと効率よく会社を経営したい、社員に還元したいから税金は抑えたい)モチベーションもあるだろうし肯定されるべきだと思う。が、繰り返すがあれは脱税。
今回のスキームはすごく簡単で事業実態がない会社を経由させて経費ではないものを経費化する、というのがマズイ。シンプルなのでやる人もちらほら多い脱税で、少額ならいちいち刺しに来ないケースもあるが、税務調査が入るといの一番に調べられて刺される(追徴課税等)される。事業・業務実態がないのはすぐ分かるし、分からないようにするには何かしらの書類(日報とか経費一覧とか)をダミーで用意しておく必要があるが、要するにそういう「偽装」をしないとバレるわけで、脱税なんすよ。
今回は上の読売新聞の報道の通り、ポンジ味もかなり強く感じられ、ほぼ詐欺?という風情も漂っている。そのヤマを引っ張るのに、ついでに釣れた被害者も脱税犯扱いせざるを得ないんかもなぁ。
まぁ、この手に引っかかるのは、おぼこいぼんやりした田舎の地主三世とかそんぐらいじゃねーかと思うが…そういう意味では舞の海はそうとうおぼこいのかも。舞の海は櫻井よしこの講演会ゲストに出ちゃったりするようなかなり濃い味の極右みのある人でもあるので、こんなうっかりした脱税に乗っかってては恥ずかしいぞ。
そしてはてブのみんなもあの手のブコメをうっかり人気にするあたり相当初心でおぼこい。だから「節税」なんて近寄ってくる人はすべてが詐欺師だと思うぐらいの警戒をしておいた方がいいと思う。心配。
節税って、合法の世界では、税法等の控除や国や自治体が行っている民間企業支援(補助金とか控除とか)を使ってもろもろの税金を抑えるための方法を指す。
実は国や自治体は、税金を免除するわよ?課税所得・資産を抑えてもいいわよ?という法律や通達をけっこうたくさん用意している。ただ個人所得などは比較的イージーなのだが、法人税や資産税だとかなり複雑なケースもあるので、多くの場合は税理士(国家資格)が、その税免除や控除の要件を整理したり申請を手伝ったりをする。これが合法世界における節税。これはごく真っ当なこと。社会善。
真っ当じゃない点があるとしたら税務がとても複雑で煩雑だということはあるが…まぁクロ度95%なのに節税と言い張る脱税や、本義を大きく超えた脱法的な節税をする輩が後を絶たないので「法律の穴」を埋めつつ産業振興のための税免除・控除を本義に沿って稼働させるために税法や通達がどんどん複雑化しているので、悪いのは、脱税野郎どもと、一目で気づくような脱税を指して「えっ節税ってだめじゃないでしょ?」きゅるるん!とかわいこぶって言ってる輩どもです。
とかかな。残念要素抜きの年上メインヒロインなら
私が大学生になって初めてできた彼氏は、とにかく「理解のある彼くん」だった。名前は達也。出会いは入学式の日、私が人混みで落とした学生証を拾ってくれたことがきっかけだ。声をかけられたときに見上げた彼の顔は、少し人懐こそうな笑みを浮かべていた。春の日差しの中、なんだかドラマみたいな瞬間で、そのまま私たちはサークルも一緒、帰り道の駅も一緒で、自然と連絡先を交換するようになった。
その頃の私は、大学に合格した安堵感と新生活への期待で、浮き足立っていたと思う。地元を離れて初めての一人暮らし。両親の目も届かず、どこか少し自由を楽しみたい気持ちもあった。人間関係も一から作り直し。そんな中で、拾われた学生証が縁となってできた関係……要するに、私は軽い運命めいたものを感じて、あっという間に達也と付き合い始めたのだ。
付き合い初めのころ、達也は自分のことを「あんまり目立つタイプじゃない」と言っていたけれど、その通り、目立って派手に騒いだりはしない。友達と喧嘩したり、悪口を言いふらしたりといった話も聞かない。とにかく落ち着いていて、穏やかで、私のどんな話にもにこにこ耳を傾けてくれる。そのうえ、自分の意見をしっかり持っていて、私が間違った方向に走ろうとしたら、きちんとそれとなく正してくれる。否定するときも、「それは違うよ」「やめたほうがいいよ」なんて強い言い方をせず、「こう考えたらどうかな?」と別の道を示してくれたりするのだ。
そんな性格に惹かれて付き合い始めたはずなのに、一年も経たないうちに私の中では「どうしてこんなに物わかりがいいんだろう?」という感情が芽生え始めた。普通だったら多少揉めたりぶつかったりして関係が深まっていくものだと思うのに、達也との間にはいつも波風が立たない。もちろん、穏やかな生活はありがたい。だけど、私自身がもう少し衝突してみたかったのかもしれない。青春とは、もっと揺れ動く気持ちだとか、勢いで飛び出した言葉からお互いの気持ちを探るような、“熱量”のイメージがあった。私たちにはそういう“ドラマチックな盛り上がり”が足りない気がしていた。
友人たちは「そんな彼、最高じゃん。大事にしなよ」と口をそろえて言っていた。私も頭ではわかっている。「みんなが羨むぐらい完璧な彼なのだ」と。でも、心がついてこない。「最高すぎる彼」は時に息苦しくなるぐらい完璧だった。デートは私の都合や好みに合わせてプランを立ててくれるし、行きたい場所があったら何も文句を言わずについてきてくれる。私が仕事やサークルで忙しかったら、時間を調整してくれる。記念日もきっちり覚えてくれて、ささやかなサプライズを用意してくれる。ここまでしてくれたら文句をつけようがない。一方で、私がたまにかまってちゃんモードになって自爆しかけても、何も咎めたりはしない。私の言い分を一度受け止めたうえで、「つらかったんだね、わかるよ」と言ってくれる。
正直、最初は「そうだよね、私の気持ちを分かってくれるんだよね!」と心が満たされていたけれど、少しずつ物足りなさ、というか「理解されすぎている」という歯がゆさが募っていった。私が気持ちを伝えようとする前に、先回りして理解してしまう。「あ、もしかして今日は機嫌悪い? 無理しないでね」「なんだか元気ないね、何かあった?」。そんな優しい言葉をかけられるたびに、なんだか妙に恥ずかしくなって、私が自分で自分の感情を見つめる前に、達也の側がそれを代弁してしまう。まるで読みすぎるくらい、私の心を読んでしまうのだ。
実家を出てから初めてできた彼氏だったし、彼が優しいからこそ居心地がいいはずだった。でも、いつしかその「居心地の良さ」が「退屈」と感じられるようになってしまった。平穏すぎて、ストーリーがないのだ。私が望んでいないのに、いきなり波乱万丈な出来事なんてわざわざ起きはしない。とはいえ、現実に刺激を求めるのもおかしな話だが、私の中でくすぶるモヤモヤは消えなかった。
ちょうどその頃、サークルであるイベントの準備に追われていたとき、年上の先輩とやり取りをする機会が増えた。彼は私を振り回すようなタイプで、こっちの予定を無視して仕事を押し付けてきたり、「なんでそんなこともできないんだ?」とイライラをぶつけてきたりする。最初は嫌で仕方なかったが、逆に言えば、彼は感情をむき出しにしているぶん、私の腹立ちや焦り、苦しさもそのまま表に出していいと思わせてくれた。そこで初めて、私が「ちゃんと反論してもいいんだ」と感じられるようになったのだ。彼と何度もぶつかり合いながらも、実はその刺激を楽しんでいる自分に気づいてしまった。静かな湖畔に石を投げ込んで波紋が広がるように、感情が大きくうねっているのを感じた。
その感覚を一度でも知ってしまうと、もう達也との平穏な日常に戻るのが息苦しく感じられてしまった。彼は決して悪くない。むしろ、私が“もっと波風立てたい”なんて勝手な理由を抱えているだけ。でも、その気持ちは抑えきれなかった。ある日、ふと「私、達也と別れよう」という考えが頭をかすめた。もちろん、そんなの間違ってる、と思った。あんなに優しくて理解のある彼を手放すなんて、普通ならありえないし、友達が聞いたら大反対するに決まっている。けれど、その日は全く眠れなかった。頭の中でずっと「このまま付き合っていて、本当に私は幸せなの?」という疑問が渦を巻いていた。
結局、私がとった行動は「思い切って別れ話をする」という選択だった。季節は夏。夜風が生ぬるくて、不快感すら感じるような夜に、私は達也を近くの公園に呼び出した。別れるつもりで呼び出したのに、いざ目の前に立たれると、胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。「なにかあった?」と心配そうに私を見る彼を見て、罪悪感で胸がいっぱいになりそうだった。けれど、私はもう“刺激”を求めてしまった自分に嘘はつけない。少しもめてもいいから、感情をさらけ出して、もう一度自分の気持ちを確かめたいとすら思っていた。
私は震える声で言った。「私、もう達也とは付き合えない。ごめんね」
達也は驚いたような顔で、それから俯いて小さく息をついた。「そうか……辛い思いをさせてたのかな?」と心配する言葉がまず返ってくる。私はなんて身勝手なんだろうと思った。別れ話を切り出した私が、逆に相手を心配されるのだ。泣いてすがるとか、怒るとか、そういう感情の爆発はない。いつものように冷静で、「君の言葉を受け止めるよ」と言わんばかりの態度だ。それを見た瞬間、私の心の中でむき出しになっていた感情に、何か冷水を浴びせかけられた気がした。
「そうじゃないの。達也が悪いわけじゃないんだよ」と、私は必死で伝えた。「ただ……刺激がなさすぎるの。こんなの自分勝手だってわかってる。でも、もっとぶつかったりして、本音をさらけ出し合いたかった。達也はいつも私を傷つけないように、慎重に言葉を選んでくれて、でもそれが……私には物足りなかったの」
自分で言っていても、我ながらどうかしている。こんな理由で別れを切り出すなんて。けれど、達也はそれすら「うん、わかったよ」と受け止めてしまう。私は「ここで少しは怒ってくれないの?」とさえ思った。結局、きちんと話し合った末に、私は彼を振る形で別れが成立した。言い分が自分勝手すぎて、最後は私が泣きそうになったが、達也は静かに「ありがとう。今まで楽しかった」とだけ言って、私をそっと抱きしめ、それから家まで送ってくれた。
ドアの前まで見送り、こちらが断っても「最後だから」と一緒に歩いてくれた彼に、私は後ろめたさと切なさが同時に込み上げた。別れた直後に背を向けるとき、彼の優しい笑顔を何度も思い出して、「本当にこれでいいんだろうか」という後悔が頭をよぎった。友達に後日報告すると案の定、「あんたバカじゃないの?」という反応が返ってきた。それでも、私は別れると決めた。これは私が抱えてしまった矛盾だ。彼の優しさに包まれているときはとても幸せなはずだった。でも、それを重荷に感じてしまったのも事実なのだ。
その後、私は一時的に先輩との関係にのめりこみかけたものの、やはりそれは長くは続かなかった。先輩はただ率直に言葉をぶつけるタイプで、常にバタバタとトラブルを呼び寄せていた。いろいろなドラマが日々起きる反面、心が疲弊してしまうことも多かった。私が欲しかったのは“穏やかすぎない関係”だけれど、かといって“安らぎ”まで手放す気はなかったんだと、今さら気づかされる。わがままだと思う。でも、そういうものだろう。人間の欲望は複雑で、“当たり前にある安心感”と“突き動かされるような刺激”の両方を兼ね備えた関係なんて、そう簡単に手に入るものではない。
それでも私は、あの夏の夜に達也に伝えた気持ちを「間違いだった」とは思わないようにしている。なぜなら、あのときは本当にそう思ったし、そうしなければ自分に嘘をつくことになっていたから。もし我慢して付き合い続けていたら、いずれもっと酷い形で爆発していたかもしれない。それに、達也は最後の最後まで私の気持ちを受け止めようとしてくれた。私に必要だったのは、「誰かに受け止めてもらう」ことではなく、「自分で自分の感情をはっきり言葉にする」ことだったのだと思う。
その後、卒業間近に達也とは偶然キャンパスで会った。久しぶりに見た彼は、少し髪が伸びて、相変わらず穏やかな笑顔で「元気?」と声をかけてくれた。どうやら新しい彼女ができたらしく、私には思わず「おめでとう」と口から出ていた。嫉妬心とか、そういうのはほとんどなかった。ただ、本当に安心したのだ。あれだけ理解のある彼なら、きっと誰とでも上手くやっていけるのだろうし、彼自身が幸せになってほしいと思ったからだ。
帰り道、私は少しだけ思い出を振り返りつつも、もう達也が隣にいない生活を特に寂しく思わなかった。それは私が成長したからかもしれないし、あるいはもう達也のことを「元彼」としてしか見られなくなったからかもしれない。そう考えると、あの日あの夜、汗ばんだ手のひらで彼の手を握りしめ「別れたい」と告げた決断は、私にとって間違いではなかったのだと、改めて思う。
私には私の人生がある。達也には達也の人生がある。私たちはそれぞれ別の道を歩んでいく。そして、今度誰かと出会い付き合うときには、同じ過ちを繰り返さないとは言い切れないけれど、自分が本当はどんな関係を望んでいるのかを、もう少し丁寧に見つめられると思う。刺激的でドキドキするだけの恋よりも、安心して本音をぶつけ合える相手。そんな相手と出会えたらいいなと願う。
こうして、私は「理解のある彼くん」を敢えて振るという選択をした。周りから見れば「何を贅沢なことを」と思われるかもしれない。でも、そのときの私は自分の心の声に正直になりたかった。衝突し合うことも、時には幸せの形のひとつだと感じていたから。あれから時間が経ち、今の私は達也みたいに優しいだけの人よりは、自分の気持ちを素直にさらけ出せる相手がいいかもしれないと思う。そんな私は、結局わがままで矛盾だらけなのだろう。けれど、恋愛において100点満点の答えなんて最初から用意されていないのだ。自分に正直であることが、私にとっては一番大切なことだった。
――これは、私が理解のある彼くんを敢えて振ってみた話。後悔がないかと問われれば、少しはあると言わざるを得ない。それでも、あの別れがあったからこそ、私は自分が何を求めているのかを知ることができたのだ。人生には数えきれない選択があって、どれが正解かなんて誰にもわからない。だからこそ、自分で選んだ道を信じて、進んでいくしかない。いつか振り返ったときに、「あのときそうしたかったんだもん。仕方ないよね」と笑い飛ばせるぐらいには、自分を大事にしてあげたいと思う。
いや、ちょっと待ってくださいよ。ナンデモオープン株式会社のアイデア、確かに面白いと思うんですけど、実際にやるとなると問題が山積みなんですよね。
例えば、社内風景を音声付きカメラで全世界に配信するって、これ完全にプライバシー侵害じゃないですか?社員が常に監視されているって感じになっちゃうし、ストレス溜まりますよ。普通の人はそんな環境で働きたくないと思いますけどね。
それから、業務日報や会議の内容をオープンにするって言ってますけど、これもどうなのかな。特に競合他社がいる業界だと、自社の戦略やアイデアを簡単に盗まれちゃうリスクがあるわけですよ。オープンすぎるのも考えものです。
アイデアボックスを設置して「全人類が自由に提案できる」って言ってますけど、実際には誰もが提案するわけじゃないし、質の低いアイデアが大量に集まる可能性もあるんですよね。結局、良いアイデアが生まれるとは限らないし、その管理も大変だと思いますよ。
フィードバックを全世界に公開するっていうのも、社員が本音を言えなくなるリスクがありますよね。「この会社クソだな」と思っても、それを公表したらどうなるか考えたことあります?逆に社員が萎縮しちゃう可能性もあるんですよ。
最後に社内イベントを「全人類が参加できるように」って言ってますけど、それって現実的じゃないですよね。物理的に参加できない人もいるし、オンラインでやったとしても、参加者数が多すぎて運営が大変になるだけでしょう。
要するに、「オープン」っていうコンセプトはいいけど、それを実際に運用するとなると多くの課題があるわけです。だから、「なんでもオープン」っていうのは、一見魅力的だけど、実際にはかなり難しいんじゃないかなと思いますよ。