
はてなキーワード:既読無視とは
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
うーん、AIで作った文を改変したのかなぁ
最後の方、やたら鍵カッコが多いのが気になるねぇ
一番最後だけ取ってつけたような感じだね、そこは自分で書いたのかな?
インスタで月曜日に知ってすぐ書かなかったのはなぜかな?
「震えと涙が止まらない」はAIがよく使う表現なので気になるよ
「違和感があったとすれば、 1年半前に遊んだのを境に連絡が途絶え、遊ぼうと誘えば雑に断られ、たわいもないメッセージを飛ばしても既読無視か途中で終わっていた」も気になるよ。
それじゃん!!!
月曜の朝、ふとインスタを開くと大学からの10年来の親友のストーリーが飛び込んできた。
「結婚式をしました!!!最高ーーーに楽しかった!関わってくれた皆に感謝!」
ねえちょっと待って。
呼ばれてないんだけど。
私は成人してから一度も知り合いの結婚式へ参列した事がなく、同級生の結婚をインスタで知る事は日常茶飯事であった。
彼女との出会いは、私がまだ大学に入りたての頃、じゅけんきに通っていた塾にたまたま遊びに行った時、先生に「同じ大学を目指してる子がいるよ」と紹介され話したのが最初だった。
彼女は無事合格し、学年は違うものの専攻も同じで趣味も似ている事から意気投合した。卒業後も彼女の引っ越しにより距離は離れたものの、フェスに行ったり飲みに行ったりと、私の中では頻繁に遊ぶ仲だった。
そんな彼女の結婚式に呼ばれず、インスタのストーリーで知る事となるとは思いもしなかった。
し、親族だけで挙式したのかな!という望みも虚しく、しっかり親しい人は全員呼ばれていた。
席次表も名前を伏せた状態で公開されており、およそ60人規模程度の結婚式であったことがわかった。
彼女は交友関係が広く活発であったものの、友達ランキングの上位に入ってるものだと信じていた。
違和感があったとすれば、1年半前に遊んだのを境に連絡が途絶え、遊ぼうと誘えば雑に断られ、たわいもないメッセージを飛ばしても既読無視か途中で終わっていた事。また彼女の入籍も同じくインスタで知ったという事くらいだ。
一生に一度のハレの日に呼ばれるような事をどこかで私はしてしまったのだろうか。そう考えると震えと涙が止まらないのだ。
何が1番怖いかと言えば、この事後報告を私も見ているインスタで公開してしまっているという事だ。彼女は私がひどく動揺し傷付いている事も知らずに、私以外の「皆」に感謝を述べていた。
私は軽音部であった事もあり、「結婚式で余興絶対披露するからね!」と盛り上がっていた事もあった。しかし私はイベント参加枠からも落選していたようだ。
同じ境遇の人を探そうとするも、「そんな関係は果たして親友だったのか」「よくある事ですよ」という類のコメントばかりで、私側に救いはなかった。
晴れ姿見たかったな。
彼女にとって私は友人ではなかったみたいだし、貴方と関わる事はもう叶わないけれど、この場を借りてお伝えさせてください。
結婚おめでとう。
「女にモテないやつの特徴」みたいな増田がちょくちょく話題に登るね。
タイトルは「モテない根本」と書いたが、認知が歪んでいてもモテるやつはモテる。
見た目が良いとか金があるとか、外で会う分にはユーモアがあって一緒にいて楽しいように感じるやつ。
ただ認知の歪みが強いやつは、実際に付き合ったり結婚したりすると本性が出て離別につながる確率は高い。
結果として持続可能な人間関係が築けず、結局友達もパートナーもいないまま中年になってしまう。
たまたまパートナーや友達が寄り添い性能・忍耐力高めだと、うまくいくケースもあるかもね。
それって当たり前じゃなくて相手の思いやりから成り立っているから、大切にしたってや。
認知の歪みは誰にでもある。単なる「考え方の癖」。
けれど、それに気づかないまま悪化させてしまうと、人間関係に支障が出てしまうんだ。
先日見かけた「妻が化粧しないで困ってる」の増田もだけど、そもそも「他人をコントロール可能」だと思い込んでいるのが認知の歪みのひとつね。
コントロールできることもあるけれど、それって洗脳や支配なんだよね。
他人はコントロールできないから、どう頑張っても自分を誰かに好いてもらう努力には限界があるの。
あくまで例だけど、自分の認知の歪みに気づいて思考と行動を変えるきっかけにしてくれたら、人間関係がもっと楽しめるようになると思う。
例:「過去に1度告白して失敗したから、自分はモテないに違いない」
→モテないとモテるの間にはグラデーションがあり、そこの関係を築けず友達にすらなれないため恋愛のチャンスも訪れない。
例:「誰からも告白されたことがないから、自分は誰からも好かれない。モテない。」
→ 限られた経験から極端に結論づけてしまう。君を慕ってくれる友達も家族もおらんか?いなかったら他の項目参考にしてクレメンス。
例:褒められても「でも彼氏/彼女にはできないでしょ」と否定的に受け取る。
→ 褒められたことを素直に受け取って恋心を抱いてしまったら「キモい」と思われそうで怖くなって、コミュニケーションがネガティブになる。好きになるかどうかは置いといて、褒められたことは素直に受け取ろうや。
例:食事に誘えた成功より、「LINEの返事が遅い」とネガティブに注目。
→ せっかく食事に誘ってOKもらったのに、些細な要素でネガティブになり、やっぱりダメなんだ…と悪く考えすぎてしまう。「やっぱりダメなんだ」というネガティブ思考でデートに臨むのと、「今日は楽しむぞ!」とポジティブな気持ちでデートに望むのでは結果が違うと思わん?
例:「既読無視された=嫌われたに違いない」
→根拠のないマイナス推測で関係を壊すことも。メッセージの確認には人それぞれのペースやその時の事情があります。
例:好きな人と会話した時に緊張して噛んだ →「最悪の失敗」。好きな人に褒められても →「どうせお世辞だろうな…」
→自分の短所を過大に考え、長所を過小に考える癖だよ!失敗を省みることは大事だけど、悪い方に考えすぎるのは自己肯定感を下げるだけでメリットなし。
→感情に左右され現実を誤って判断。挨拶すらしなければ知り合いにもなれない。世知辛い現実だが、君が眉目秀麗でなければ、そこから急に恋愛に発展するわけがない。かといって眉目秀麗な人間とて、認知の歪みが強ければパートナーを得ても幸せになりにくいのじゃよ。
例:「男ならお金を出してリードすべき」「女ならメイクして可愛くあるべき」
→ お互いの「自分らしさ」を受け入れられず、「◯◯するべき」という期待が外れると相手に不満を抱いてしまう。せっかくの良いご縁も自分の認知の歪みから台無しに。
→一面的に自分を否定してしまう。もしかしたらダメな部分もあるだろうけど、君には良いところもたくさんあるはずだ。
例:相手の機嫌が悪いと「自分が何か余計なことを言ったのかもしれない…」と自分の責任だと考える
→ もしかしたら自分が何かやらかした可能性はあるが、言われない限りはわからない。過剰な自己否定をすれば、自信を失ったり、自分から関係を壊す行動に出てしまうことも。単に下痢でしんどかっただけかもしれないよ。
以上!
認知の歪みが気になったら、このキーワードで検索してみてなー。
いっぱい本もあるで!
久しぶりに親に会った。
元々自分に都合の悪いこと(幼少期にされた躾内容)とかの話をするとメッセージでのやり取りだと既読無視、直接会ってる時は怒鳴ってくるタイプの人間なんだが今回その話題が出る事になり案の定別れ際は怒鳴って不機嫌オーラ全開で解散した。
それで暫くこっちの連絡は無視するくせに自分の都合のいいタイミングになると「許してやった」事になってるのか何でも無いように連絡をしてくる。
これが数年続いている。
親と会うたびに機嫌を取らなきゃいけないか今回みたいに揉めるかで会う度に疲弊が凄いし正直こっち側としては会うメリットは無い。あっちはなんか知らんが退職後こちら側に面倒を見て貰えると思っているらしいがこっちは面倒見る気なんて無い。だからこっちとしては緊急連絡先くらいでしか世話になる事は無いけどそれもどうやら友人が引き受けてくれる様だし今は緊急連絡先を請け負ってくれる会社もあるみたいだから親じゃなきゃいけない理由なんて無いんだよな。
取り敢えず次にあっちから連絡きたら無視しようかな。向こうはずっとその対応して来たんだしそれでもいいだろ。それはそれで鬼電とか警察とか言い出すだろうけどもう知らん。
愚痴。
姉とLINEで連絡をするときに、毎回送ってから3日から1週間経ってから返事が返ってくる。
「既読をつけたくないから、既読をしない方法でメッセージを読んでから返事をしている」と。
私が送るただの「わかった。」というものにさえ、3日くらい経ってから既読とスタンプが返ってくる。
それなら既読して終わりでいいのに。
忙しいにしても、1日のうちLINEを返信できないくらい忙しいわけはないと思う。
しかも仕事では普通に連絡しているらしいので、家族だからなめられているとしか思えない。
両親も返信が遅いと言っている。
そのせいで母が姉のもとへ遊びに行くときに時間の調整ができず会えなかったというし。
1ヶ月前から連絡していたのに。
なんだろう。Vでもやっているんだろうか。
「忙しい」と言っているのはただの言い訳だと感じる。
本当に忙しいのなら、仕事が多いというより本人の能率の低さが原因な気がする。
しかも何がムカつくって「自分が聞いてきたことにも返事が遅い」こと。
例えば「実家に〇〇あるっけ?」というのに私が「ある気がするよ〜」と当日に返事して、3日後に「そうなんだ!ありがとう」と返事が来る。
返事を待っている間も相手は何かしら考えている。
3日と書いているが、平気で1週間はかかる。
すぐ返信できないなら「今忙しいから夜中にLINEするね」と返してほしい。
なんのオチもない、薄い思い出話です。
2014年頃、当時私は20歳の大学生。横浜の実家から都内のキャンパスに通っていた。
援助交際はセックスありきだけど、パパ活は食事とお茶だけで肉体関係は伴わない立ち位置。
会話が碌に成立しない 風や水の頭の悪い女に飽き飽きしたおじさんが、四大に通えるほど学があって育ちも悪くない、若く、そこそこ可愛い女と気持ちよく喋れる。
女側は、社会的ヒエラルキーの高いおじさんに高いご飯を奢ってもらいながら意識高い会話をして、お茶代まで貰える。
当時、笹崎里菜アナがホステス経験バレて内定取り消しになった騒動もあって、わざわざどこかに籍を置いて水商売やるのは頭の良い行動じゃないよねという風潮があったこともあり。
賢い子はパパ活やりながらサクッと就活も終えるみたいなムーブメントが、かなり局地的にかもしれないけれど、確かにあった。
知り合いにはガールズバーとかラウンジ勤務の子もいたけど、専門出て医療事務やってるとか、日出からのグラドルとか、まあお察しみたいな子ばかりだった。
当時はまだマチアプなんてものは少なく、界隈に足を踏み入れたきっかけは、キャンパス構内でチビの男に声をかけられた所からだった。
ミッドタウンのレジデンスでパーティがあって、頼まれて可愛い子を探してる。来てくれるならお小遣いあげるし、社長とか弁護士とかいっぱい来るよ。と誘われた。
料理も酒もタダで金持ちの男ばかり来るし、DJもあるから下手なクラブ行くより楽しいと思うって口説かれたこともあり、じゃあ行くよとその場で返事したら、その場で五千円くれた。
当時時給¥1,200のカテキョバイトをしてたので、悪くないなと思って受け取った。
後から聞いた話、このチビはうちの大学に在籍しておらず、田舎から上京してホストで食い繋いでるというアホだった。
数日後、実際そのパーティに行ってみた。
たしか金曜の19時過ぎくらい、レジデンスの前に着いてチビに電話を入れたら、デカい男が迎えに来た。ミッドタウンのレジデンスはパーティ禁止だから、わざわざ1人ずつ部屋に誘導してるらしい。1人だと間に合わないから交代でやっているようだった。
やたら天井の高いエントランスを抜けてエレベーターホールに着いたら、某俳優とすれ違った。ちょっとテンションが上がったのを今でも覚えてる。
フロアは忘れたけど、東京タワーが真っ直ぐ先に見える部屋に案内されて、そこで万札を手渡された。
そこが女の子の待機場所になっていて、来てる女の子はだいたい小綺麗なワンピースとかを着ていて、清楚な感じだった。
特に女の子同士で交流するような雰囲気ではなく、周囲に絡んでいたのは場違いなギャルっぽい子だけで、それ以外は静かにメイクや前髪を直したりしていた。
ギャルの話に聞き耳を立ててみたが、大体みんな良い大学の子達だった。
チビが言っていた通り、確かにDJがいて、料理と酒も用意されていた。
ただ大して良い酒はなく、ほろよいとかいかにも女子大生が好みそうなものか、イエガーやテキーラなどのアルコール度数高めなものくらいだった。当時は高い酒の銘柄もほとんど知らなかったけど、金持ちの家だからと期待したので拍子抜けした。
パーティは、てっきり合コン的な雰囲気なのかと思っていたが、おじさん達同士は全く会話をしていなかった。
それぞれ離れた位置に点々と座っていて、おじさん同士で交流をする気はまるで無いのが見て取れる。場が静かすぎて、はじめはBGMしか聞こえない空間だった。
大きいイベントとかを仕切ってる、割と爽やかな人だった。
思い返せば女衒でしかないが、気のいい明るいおじさんだったので気を許せた。
チビとデカ男はこのおじさんに雇われているようで、裏で頭を叩かれているところを見た。
次に、後々私のパパとなるおじさんの隣に座らされた。
この人は某レコード会社の偉い人だという紹介だけサクッと済ませて、チビは別の女の子を誘導しに行ってしまった。
コミュ強なわけでも無いから気まずいなぁと思い丁重な自己紹介から入ったら、だいぶ気に入ってもらえたようだった。
割と音楽は手広く聞いていて、エンタメ業界の就活も見据えていたことから、話を深掘りしやすかったこともあるが、初手にしてはかなりいいおじさんに当たったなと思う。
このおじさんは本当に癖がなくて説教垂れることもしないし、ただのんびり酒を飲んで女の子と楽しく会話できればそれで十分という感じの人だった。
しばらく会話をして(そこそこ盛り上がった)、連絡先を交換して次のおじさんが待つ席に移動した。
次に話したのは、弁護士だというおじさん(といっても比較的若い人)。ただ見るからに半グレっぽくて怖くて、当たり障りの無い会話をして、すぐに席を離れた。
一人でいると、すぐ別のおじさんが話しかけてくる。
次は会計士だった。このおじさんは終始ヘラヘラしていて下心満載な感じだけど、陰キャ臭×社会人デビュー臭がすごかった。陰キャ故に強引さが無くてその場で話す分には楽な人だった。
その後は代わる代わる、ディーラーで稼いでる人、さっきとは違う弁護士、役員、ベンチャーの社長、等々と話した。
ウェイ系なノリの人も少なくなかったが、基本酒の強要は禁じられていたようで、そこまで無理に飲まされることもなかった。
おじさん達はみんな"次"に繋がる出会いを探しに来ているので、大抵は丁寧におだててくれるし、気分は悪くない会だった。
喋った人全員と連絡先を交換してその日は解散した。
例の場違いなギャルは穴要員で呼ばれていたようで、ベロベロに酔って誰かに持ち帰られたが、それ以外の女の子はタクシー代を持たされて健全帰宅したようだった。
寝て起きて次の朝、スマホを見たら連絡が死ぬほど溜まっていた。
あの晩にいたおじさん達からの連絡で、食事行こうとか合コンセットしてくれとか、そんなものばかりだった。
殆ど誰が誰かも分からなくなっていたし、主催者・レコード会社・会計士の3名以外の連絡は全部既読無視した。
ディーラーの奴だけは既読無視してもずっと合コンの依頼を送ってくる気概のある男だった(それでも返事をすることは一度もなかったけど)。何年か経ってインフルエンサーの女と結婚したという投稿を見た。
主催者からは、女の子をパーティに呼んで欲しいという依頼だった。
大事な友達を誘うのもなんだか忍びないから、実家貧乏で奨学金もらってる子、サークルの先輩に脱法ハーブ吸わされて以来ちょっと変になった子、意識高くて肩書き大好きな子、あたりを後で適当に当てがってた。一応みんな顔は可愛かった。
後日チビ経由で謝礼的なものを貰って(金額は忘れた)、このおじさんと会うことは二度となかった。
レコード会社と会計士は、ワンチャン就活の役に立ってくれるかもと思って誘いを快諾した。
会計士は話が死ぬほどつまらなかったから一度の食事で終わったけど(そのあと海外一緒に行こうとかしつこく誘われた)、レコード会社とは月1〜2回のペースで食事をしてお茶代(1〜2万)をもらう関係がしばらく続いた。好きなミュージシャンのチケットを融通してもらったりもしていた。
念のため補足しておくと、色恋は一切無かった。
本当にただ、良い店や良いバーに連れて行ってもらい、他愛もない話をしたり、仕事の話を聞いたりするだけだった。
私としては、友だちや親とは行かないような店で、ためになる話を聞けて、ついでにお金をもらえてありがたい。あとチケットに関してはマジでありがとう。以外の感情は一切無かった。
就活が始まるまで関係は続いて、就活が始まって自然とフェードアウトした。結局エンタメ業界への就活もしないまま終わって、私は全然関係は無いがまあ悪くない会社に就職した。
今は連絡先も知らないし、私は結婚したから一生会うことも無いだろうけど、ある意味で良い思い出になってる。
親兄弟には言えないけど、墓場まで秘めて持っていくほどはやましい所もない思い出。
あのパーティにいた女の子達の顔は殆ど覚えていないけど、一人だけ丸の内の通りですれ違った気がしてる。
お互いよろしい所で働いているんだねと思ったよ。
レコード会社のおじさんはググったらまあまあ昇格していた。
Permalink |記事への反応(12) | 04:24
内容はそのまま、大学時代からのたった一人の親友と距離を置くことを選んだ。
なんでも話せるし、なんでも知っている、私の大切な親友である。
「親友 距離を置く」「親友 絶交した」など検索すると、意外にもすっきりしたなど前向きな感想を述べている人が多い印象。
だが私はまだそういった気持ちになれず、心のどこかでモヤっとしているのでここに吐き出させて欲しい。
私たちは大学卒業後別々の進路を歩んだが、些細な相談から親友の仕事を副業として手伝うことになった。
はじめの2年ほどは順調に仕事をこなし、彼女との関係性も変わらず毎日のようにLINEや電話をし
定期的に遊びにいくような仲として日々を過ごした。
たまに気持ちが落ち込んでいる、うまく布団から起き上がれない、などの悩みは聞いていたが
過去に心身の調子を崩していたことや精神科に通院していることも知っていたため
心配はしつつも病院や薬のことを深く聞きすぎないようにし気を配っていたつもりだった。
ある時、親友の会社の上司から親友と一週間連絡がついていない旨の連絡が入った。
私はすぐさま親友にLINEをし、体調の心配と仕事の件について連絡をした。
いつもは即レスだが今回は既読から3時間ほど経って返信が来た。
「心配かけて迷惑かけてごめんね、本当に申し訳ないのだけど、体調がとても悪くてお仕事のヘルプをお願いしてもいい?」
もちろん私はOKと即答し、上司と連絡をつけ仕事をサポートした。
私たちの仕事内容やスキルがほとんど同じだったことが幸いし問題なく業務は遂行できる状況ではあった。
しかし親友は連絡が取れなくなる二週間前ほど前から納期を滞納していたようで催促が来ている状況だった。
普段なら一週間かけて行う作業を半日でしなくてはいけない状況だった。
さらに親友のPCのローカルにあるデータがないと進まない状況→連絡をしても既読無視→結局1から私が作成
といった状況で、慌ただしい日が10日ほど続き、落ち着いた頃ようやく親友が職場に復帰した。
それから1年半の間に同じようなことが3回起こった。
職場も何度も注意していたし、そういった事態にも対応できるようデータ保管の仕組みやマニュアルの改善などに努めていたが
どうしてもローカルで持っているファイルをそのままにしてしまう癖が治らなかった。
私生活でもだんだんと私へのあたりが雑になっていくのを感じた。
共通の好きなものに関して、今まではお互い尊重できていたのに対して
私の方が先に好きになった、あなたはここまで詳しくない
そして4度目の体調不良が起こった
「いい加減にしてほしい、体調悪いのはしょうがないが最低限の連絡は守ってほしい」
と私はメールを送った。返信はなかった。
今までの流れだったらある時突然、何事もなかったかのように
「久しぶり〜体調崩してた!」とか「大変だった〜ご飯行こ?」
など連絡が来ると予想できるが、それでも返信はせずにそっと距離を置くことを決めた。
もういいように使われるのもそれに怒り半分と諦め半分で対応するのも疲れてしまった。
ずっと親友との10年間の思い出が捨てがたく、関係性を続けることを選択していた。
将来も結婚式のスピーチをお願いしたいとお互い言い合っていたこと、
ペットを飼った時の名前を考えていたことや、おばあちゃんになってもくだらない話をしようと言い合っていたことなど
二人で思い出も未来も積み重ねてきていた。
私の昔の恋人への些細な悩み、行きつけのカフェやレストランで食べたメニュー、
いい思い出や期待する未来がなくなるわけではないがやっぱり濁ってしまう。
でも自分を蔑ろにしながら関係性を保ち続けるのはもう限界である。
そして私は体調を回復することが最優先だとも思っているし、
今までの復帰は本当は回復ではなかったのではないか、もっと長期での療養が必要なのではとも思っている。
衣食住に困る環境ではなさそうなのでそこも見越して療養に専念するべきである。
まあ長く乱雑になってしまったが、
時間がいつになるかわからないけど、十分に回復してくれることを遠くから見守る=距離を置くという選択が私たちには最善の選択なのではないか。
時間が経って回復してある時私のことを振り返ってくれたらより嬉しい。
またいつか昔理想に描いていた関係性とは違った形になってしまっても
親友に戻れたら私はそんな幸せなことあるのかと思ってしまうのであった。
一つ一つの体験にいちいちショック受けてたらこの先生きるのつらいぜ?
メンタルやられない自衛策といったら、依存しすぎないことになる
バイトから変えていって、もうちょっと若い職場にいくとかさ全然やりようはある気はする
疎遠だね 昔違う人にそういう感じのlineしたら既読無視されてキモイ文面しか考えつかないんだろうなと思って全然送れてないんよね
お、いいじゃんいきないきな
対面できたら「実は悩んでいて」と悩み相談だ!現状その人しかいないなら誘う上での殺し文句として「どうしてもあなた(相手の名前)に聞いてほしいことがある」とでもいうのだよ
趣味じゃなくてもダラダラ過ごせる共通の何かがあれば、もっと話しやすいんだがなー
できそうな事をいくつか用意して振っていくのもありだけど、例えばキャンプ、山登りとか黙っていても手や足を動かす必要のあるアウトドアって結構気楽だぜ?
なぜなら、究極的に「空気を吸う」ことが許容されるから話題が枯れても気にならない
その上、お互いを気にかけてるって空気感が出てくれば、なんか仲良くなった気もしてくるんだ